第三部:「イスラーム国」の思想(抜粋) 民主主義観(本文 24-25 頁) イスラーム過激派にとって、民主主義は「アッラーの啓示以外のもので統治を行う異教」 に他ならない。 「イスラーム国」の活動の中では、こうした考え方は 2005 年に行われたイ ラクでの憲法信認投票や議会選挙の際に表明され、 「二大河の国のアル=カーイダ」が投票・ 選挙に際して住民に投票所や選挙運動に近づかないよう脅迫したり、選挙関連施設などへ の攻勢をかけたりした。民主主義を排除すべき異教とみなす以上、「イスラーム国」をはじ めとするイスラーム過激派が自らの政治的目的を実現したり、主義主張・要求事項を世に知 らしめたりするにあたり、人定法に基づく合法的な手段を用いることはおよそ考えられな い。ここから、既存の議会や選挙に参入したり、合法的な福祉・教育活動を行ったりしてい る個人・団体は、例えそれらが一般にはイスラーム過激派、或いはイスラーム運動と分類さ れうるものでも、 「イスラーム国」とは相容れない存在として敵視されることになる。具体 的には、ハマース、パレスチナ・イスラーム・ジハード運動(PIJ) 、ムスリム同胞団、ナフ ダ党をそのような団体として挙げることができる。 上記のような民主主義に対する立場は、過去数年の間にイスラーム過激派の活動が活発 化したことと密接に関わっている。アラブ諸国では、2010 年末~2011 年夏ごろにかけて、 「アラブの春」と呼ばれる政治変動の嵐が吹き荒れた。 「アラブの春」は、特に組織的な背 景を持たない若者が中心となり、比較的新しい通信技術である SNS を主要な媒体として動 員を行い、平和的抗議行動によって長期間続いた権威主義体制を崩壊させた運動として一 時期もてはやされた。そして、この政変の後、自由で民主的な選挙を通じた新たな政治体制 作りが進むことが期待され、実際長期政権崩壊後の最初の選挙ではチュニジアのナフダ党、 エジプトの自由公正党(ムスリム同胞団が結党した政党)が第一党となるなど、議会制度・ 選挙を通じた政権獲得を目指すイスラーム運動諸派が躍進した。こうした展開は、イスラー ム過激派が目指してきた中東諸国の体制の打倒が、彼らが唯一の手段とする暴力ではなく、 平和的抗議行動によって実現し、今後も一般民衆が安全かつ合法的な手段を通じて政治的 要求を実現したり、社会的不満を解消したりできるようになり、その結果イスラーム過激派 への支持が減退するとの楽観的見通しを惹起した。しかし、実際には「アラブの春」を経験 した諸国の全てで政治の混乱・経済の停滞が生じ、エジプトでは打倒されたはずの旧体制の エリートの復権が顕在化した。こうした展開は、体制打倒運動に加わった人々にとっては合 法的で安全な手段で政治目標を実現することができなかっただけでなく、生活水準の低下、 治安の悪化などの混乱を意味し、民主主義のルールに基づく政治への幻滅感が広がった。こ こに、現在の政治・社会情勢に不満を持つ者が、イスラーム過激派による暴力・武装闘争を 通じた変革に共鳴する素地が作られていったのである。実際、「アラブの春」の唯一の成功 例とされるチュニジアでも、政局の混乱によりイスラーム過激派の勧誘活動が活発化し、同 国は「イスラーム国」をはじめとするシリア紛争に参戦した武装勢力諸派への戦闘員の最大 の送り出し国となっている。 第五部:「イスラーム国」の日常(抜粋) 「イスラーム国」と女性 その 2:戦闘員の結婚(本文:45-46 頁) 2014 年 7 月のシリア人権監視団の報告によれば、シリアのアレッポ県北部バーブに結婚 斡旋所が設置された。婚約までの流れは、まず結婚を希望する女性が氏名、相手に求めるス テータス、自分の住所を登録する。戦闘員はそれらを参照して好みの女性を探す。目ぼしい 女性を見つけると、彼女らの家に赴いてプロポーズを行うといった流れだ。実際にイスラー ム国に移住したとされる女性のブログやツイッターでは、こうした結婚話が散見される。戦 闘の激しいシリアのラッカ県やアレッポ県東部・北部で盛んとされている。 (イスラーム過激派掲示板サイトより) 写真:結婚式の際に使用される車 (シリア人権監視団, Jul, 29) 写真:結婚斡旋所と思しき建物 上記の婚活の実情は、以下の諸要因により促進されていると考えられる。第 1 に、最高指 導者バグダーディーによる戦闘員の結婚推奨である。2014 年 7 月 30 日付のシリア人権監 視団の報告によれば、家族を持つシリア人戦闘員に、月給 400 ドルに加えて、子供一人当 たり 50 ドル、妻一人当たり 100 ドルの手当が支給される。また、シリア人以外の戦闘員に は、月給 400 ドルに加え、諸々の手当てと「移住」費として月額 400 ドルが支給される。 だが、これら就労手当てのうち住居に関して言うと、戦場となった土地にもともと住んでい る人々が「イスラーム国」によって追い出され、その空になった住居が戦闘員に配分されて いる。 第 2 に、 「イスラーム国」に移住した多くの女性のラッカやアレッポへの集中である。イ スラーム国に移住した女性のブログによれば、シリアに移住しても未婚者には家が支給さ れないので、いったん「本部」に集められる。彼女らは、結婚するまで年上の女性の管理の 下で、集団生活する。こうした女性側の事情と「イスラーム国」指導部の意向が作用した結 果、組織的な男女の引き合わせが必要となり、結婚斡旋所が作られたと考えられる。 第 3 に、 「イスラーム国」と地元の諸部族との間で摩擦を避けるために、戦闘員の婚姻の 相手を一定数外部から導入する必要があるという点である。 「イスラーム国」は、かつてイ ラクにおいて外国人戦闘員が地縁・血縁を得るため、強引に部族の子女との婚姻を進めたが、 これが地元社会との摩擦の一因となっていた。また、「イスラーム国」に多数潜入する外国 人戦闘員には、地元の方言やそもそもアラビア語を解さない者も多いため、そうした人々の 性的欲求や結婚願望を満たすためにも、彼らの言語環境に適した結婚相手を斡旋する機能 が必要となったのである。
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