アデランス・フィリピン工場 個別受注製品の生産革新プロジェクト

Zoom Up
アデランス・フィリピン工場 個別受注製品の生産革新プロジェクト
〜孤軍奮闘の海外生産拠点がわずか1年で
生産性の高いマザーファクトリーに!〜
ジェムコ日本経営 古谷 賢一
Aderans Philippines, Inc. 生産革新プロジェクトメンバー
日本の製造業の海外生産が加速する中、国内生
余儀なくされる。今回の事例は、孤軍奮闘で苦労
産が減少し、日本がマザーファクトリーの役割を
していた海外拠点が、グローバル全体でのサプラ
果たせなくなってきている事例は多い。日本に生
イチェーンの要になると共に、他の拠点をも指導
産拠点が残っている企業でも海外で指導できる人
できるレベルにまで工場の生産性を高めた改革事
材が枯渇してきている傾向が増えている。そうな
例である。
ると、海外拠点は日本からの支援を受けることは
アデランス(以下アデランス、創業 1968 年、
できず、孤軍奮闘、さらには、我流による生産を
2014 年2月期の連結売上高 67,755 百万円)は、大
小合わせて約 3,000 社がひしめき市場規模は 1,500
会
社
概
要
会 社 名:Aderans Philippines, Inc.
所 在 地:フィリピン共和国 パンパンガ州 アンヘ
レス クラーク特別経済区
資 本 金:40 億フィリピンペソ
設 立:2003 年
従業員数:1,200 名(2014 年 12 月時点)
事業内容:男性用ウィッグおよび女性用ウィッグの製
造(全工程一貫生産)および輸出
工場管理 2015/03
億円
(矢野経済研究所調べ)
という国内薄毛関連市
場において、ダントツのトップシェアを誇るいわ
ば総合毛髪関連事業のリーディングカンパニーだ。
その主力工場が、本稿で紹介するアデランス・
フィリピン社(Aderans Philippines, Inc.、以下
API、設立 2002 年)である。同社はアデランスの
主力である、オーダーメイドの男性用、女性用か
つら・ウィッグの製造および輸出を行っている。
63
工場改革が始まる前の 2012 年当時、API は深刻
<課題1>生産工程の複雑さ
な状況におかれていた。好調な需要を背景に生産
キャップづくり、毛髪つくり、植毛。これら
が急激に増加するものの、生産の現場は混乱し、
3つの工程のなかにさらに細分化された多くの
モノづくりの技術と言うよりは、ベテラン従業員
工程もある。その上、複数の工程が途中で離れ
や現場を知り尽くした日本人スタッフの力技で必
たり、合流したりなど、非常に複雑な業務プロ
死に品質や納期に対応している状態であった。現
セスで生産している。そのため、工程管理や生
場は仕掛り品であふれ、次から次へと入ってくる
産管理が非常に難しい。
受注にひたすら対応する状況下にありながら、工
<課題2>顧客からのフルオーダー製品
程の進捗などがつかめずに納期問題を多発させて
ほぼすべての仕様項目が、顧客ごとに違う。
いた。また、そのような職場なので作業ミスなど
プロセスは同じでも、材料や条件などの仕様は
の品質問題も多発し、工程を一層混乱させていた。
一品一様で感覚的な仕様項目もあるため、設備
その混乱の中でも出荷を維持するために技術者は
導入による自動化や、作業の標準化が進めにく
日々走り回っていた。一方、営業力拡大策やグロ
い。
ーバルな M&A による業容拡大が進み、さらなる
<課題3>高度な熟練技を要求される
増産に迫られ、力技による生産体制は困難を極め
植毛など、多くの工程に熟練作業者の高度な
ていた。そもそも、アデランス全体として、事業
スキルを要する。自動化や標準化の難しさとも
の拡大・成長に伴い、フィリピンだけでなくタイ、
相まって、人が生産の要になっていて、極めて
ラオスなどで製造拠点の多拠点展開に取り組んで
高い管理力が要求される。
おり、日本のグローバル本社が各拠点を的確に管
理できる体制に変革する必要があった。
ところが、距離を隔てた日本のグローバル本社
海外工場の苦悩:
“活動前夜”
からは、現場で何が起きているのか実情がまった
API が悩んでいた課題の根本は、他社の海外工
く見えて来ない。そのため、グローバルサプライ
場の多くも殆ど同じであると感じる。
チェーンの適切な管理ができておらず大きな問題
<悩み①>若い労働力の確保が困難
と考えていた。そのタイミングで、ジェムコ日本
1980 年代、アデランスは生産工場を新潟に持っ
経営の海外工場診断を受けるに至り、筆者がフィ
ていた。その生産子会社は、
“工業製品”ではなく、
リピンの工場に出向いた。その結果、問題の根本
フルオーダーの製品を高度な技を持った職人が作
解決には、まず API の現場の立て直しが必須であ
ることが明らかになった。こうして API は、2013
年から現場改革をスタートした。
アデランスのグローバル生産体制
オーダーメイドウィッグを作る難しさ
アデランス・フィリピンの工場で作っている
かつらは、顧客1人ひとりの頭の形、毛髪の色、
本社
太さ、クセ、量が異なるため、あらゆる製品仕
様が個別のフルオーダー生産である。量産型の
製品とは異なり、
「匠」の技術が求められるモノ
づくりを行うえで、3つの課題を抱えている。
その一方で、それは、人のスキルに頼らざるを
得ないという免罪符になっている側面もあった。
ラオス
タイ
フィリピン
API の改革は、その免罪符に正面から向き合っ
て、本質改善に切り込んだ好例である。
64
Vol.61 No.4 工場管理
Zoom Up
アデランス・フィリピン工場 個別受注製品の生産革新プロジェクト
る個別受注の“工芸品的製品”の工場であった。
況が本社側でも問題視された。次第に海外拠点と
ち密な手作業を要求される工芸品としてのかつ
本社との交流が強化され、主力工場たる API に対
ら・ウィッグの生産には、多くの労働力が必要で、 しては抜本的な改革が必要と認識された。
市場の競争にさらされる中で、国内では若い労働
力を確保することが困難になった。そのため、
1990 年代にタイに生産工場を設立したのを皮切り
改革の思想:
世界一生産性の高いかつら工場に!
に、2000 年代にフィリピン、そして 2010 年代には
2012 年当時の API は、大勢の作業者が並んでち
ラオスへと、海外に工場を立ち上げていった。そ
密な作業を黙々とこなす姿がある一方で、モノづ
れに伴い、従来のように職人が工芸品をつくるよ
くりの現場として大きな問題を抱えていた。現場
うな思想の生産では QCD が確保できなくなった。 は仕掛品や材料などであふれかえっており、どこ
また、生産拠点の増加に伴う教育も一子相伝のよ
に、何があるのか、皆目見当がつかない状況であ
うに若手に“カン・コツ・経験”と言ったスキル
った。そのため Q・C・D のすべてにおいて問題を
を移転するようなやり方ではとても間に合わなく
引き起こしており、ロスコストの増大と経営数字
なった。まさに工業製品をつくる“工場”として
の悪化を招いていた。
生まれ変わる必要性に迫られるようになった。
混乱した現場では、指示の読み間違い、モノの
<悩み②>モノづくり文化が根付きづらい環境
取り間違いなどのミスが多発しており、検査で流
しかし現実には、API を立ち上げるに際して職
出を防止しているとは言え、多大なロスを発生さ
人技を極めた優秀な技術者が派遣されたものの、
せていた。また、現場にモノがあふれムダが工程
従来の工芸品的考え方をベースとした“モノづく
の随所にあった。さらに日々の生産進捗が十分に
りの姿”を変えることなく、海外工場での生産指
把握されていなかったため、どのオーダーの品が
導が行われることになった。ところが、一筋縄で
いつ出荷できるか、すぐわかる状態ではなかった。
はいかなかった背景が2つあった。
どの作業現場も、目の前にある仕掛品の「山」を
1つ目は、API はアデランスの競合先である買
ひたすら処理するのが精いっぱいで、とても管理
収先企業が保有していた工場だった点にある。米
された工場とは言い難い状況だった。
国系の企業として発足した同社は、かつら・ウィ
そこで、アデランスとジェムコ日本経営は、
ッグの生産の基本的な知識と、各々の作業を標準
API の 企 業 診 断 を 実 施 す る に あ た り、 事 前 に
化して進めると言う素地があった。しかし、買収
“API のあるべき姿”を「API を“世界一”のかつ
先工場の流儀で日々のオペレーションが回るため、 ら工場にしたい」そして「API をアデランスグル
アデランスならではのモノづくり視点で捉えた多
ープのモデル工場にしたい」と定義した。そして、
くの課題を見逃していた。
あるべき姿の工場になるためには、徹底した“現
2つ目は、新潟にあった生産工場の閉鎖によっ
場の見える化”と、そして“アデランスのモノづ
て、海外工場をサポートしたくても、サポートが
くり
(モノづくりのポリシー)
明確化”が必須だと
できるマザー工場としての機能の多くがアデラン
提案した。
ス本社からは失われてしまっていた。
次に、
“世界一のかつら工場”とは具体的に何を
生産拡大の一途をたどる一方で、日本側からの
示すのか?「安全で 100%良品の品質が確保され、
サポート機能が弱くなった結果、API をはじめと
さらに原材料投入から製品出荷まで、工程間に溜
する海外拠点は、本社に頼るところもなく、自力
りがなく最大効率で生産されている姿」を実現す
で操業を継続し、日々発生する問題に対処をして
ると同時に、
「現場全員が自ら問題を発見し解決に
行かねばならないようになり、いつしか海外拠点
取り組める工場」と定義した。具体的には、現場
と本社の交流が極めて疎遠になってしまった。
に、必要なモノを、必要な分だけを供給し、一度
孤軍奮闘していた API だが、2010 年代になり経
現場に投入されれば、途中で留まることなく最短
営陣が刷新され、新経営陣によって、これらの状
時間で完成品となって出荷される姿を実現した工
工場管理 2015/03
65