【解答・配点例】

2 月 15 日
慶應義塾大学(文学部)日本史
※赤数字
赤数字が合否を分ける問題、青数字
青数字は難問(できなくても合格できる)
、色がない問題は「基礎~標準レベル」
赤数字
青数字
で絶対に落としてはならない問題です。
【解答・配点例】
※[Ⅰ][Ⅱ]は各 1 点。[Ⅲ]は各 3 点。
[Ⅳ][Ⅴ]は各 2 点。ただし、論述問題は各 8 点
合格目安=
合格目安=70/
/100 点(正答率
正答率 70%
%)
〔Ⅰ〕古代の外交・文化
古代の外交・文化 <標準>
<標準> 15 点満点
合否を分ける問題=
合否を分ける問題=13/53 問(難問
難問は
難問は 1 問)
合否を分ける問題=
合否を分ける問題=4 問
(A)2
(B)0(武)
(C)9
(D)4
(E)6
(G)1
(H)7
(I)0(壬申の乱)
(J)1
(K)0(吉備真備)
(L)3
(M)0(894)
(N)5
(O)7
〔Ⅱ〕近世
近世~近現代の印刷
近世 近現代の印刷 <標準>
<標準> 12 点満点
(F)7
合否を分ける問題=
合否を分ける問題=3 問
(A)2
(B)3
(C)0(ヴァリニャ―ニ)
(D)4
(E)3
(F)0(往来物)
(G)5
(H)4
(I)5
(J)1
(K)1
(L)3
〔Ⅲ〕日清戦争前後の外交
日清戦争前後の外交 <易> 27 点満点
合否を分ける問題=
合否を分ける問題=0 問
(A)李鴻章
(B)天津
(C)陸奥宗光
(E)遼東半島
(F)樺山資紀
(G)後藤新平
(H)ジョン=ヘイ
(I)三浦梧楼
〔Ⅳ〕鎌倉~南北朝の政治
鎌倉~南北朝の政治 <標準> 26 点満点
(D)下関
合否を分ける問題=
合否を分ける問題=1 問
問1
北条義時
問2
後鳥羽上皇
問3
後嵯峨上皇(天皇)
問5
後深草上皇
問6
禁秘抄
問7
光厳上皇(天皇)
問8
ばさら
問9
笠懸
問 4 霜月騒動
問10
<解答例 1>
当初、武士は天皇の権威を尊重したが、承久の乱を契機に、公武二元支配が崩壊し幕府が朝廷より優位
となり、南北朝の動乱期、台頭した武士の中には朝廷を軽視する者もいた。(80 字)
1
<解答例 2>
当初、武士は天皇の権威を尊重したが、承久の乱で朝廷が幕府に敗北した事を契機に、天皇に対する権
威が薄れ建武政権崩壊後、実力主義風潮により天皇を軽視する者も現れた。(80 字)
〔Ⅴ〕寛政の改革
寛政の改革 <標準> 20 点満点
問1(イ)杉田玄白
杉田玄白
(ロ)蘭学事始
蘭学事始
問 4 勘定所御用達
問5
合否を分ける問題=
合否を分ける問題=5 問
問2
白河の太守
問3
1787 年
棄捐令
問6
<解答例 1>
田沼意次失脚後、老中松平定信の寛政の改革により、賄賂の横行、奢侈・華美な風俗、武芸・学問の軽
視など、退廃していた世相が改められたと認識している。(72 字)
<解答例 2>
政局が田沼意次から、老中松平定信の寛政の改革に変化したことにより、賄賂の横行、奢侈・華美な風
俗、武芸・学問の軽視など、ゆるんだ風潮が改められたと認識している。(79 字)
【解説】
〔Ⅰ〕古代
古代の外交・文化
古代の外交・文化
内容分析=難問ともいえる昨年度の「原始~古代の遺跡・遺物」に比べ、2015 年度は[Ⅰ]は、難問もな
く、過去問演習量によっては完答も可能な大問となった。
(F)過去問演習量により得点差が生まれる。7『日本書紀』か 0『隋書』倭国伝で迷うはず。ただし、
慶應義塾の頻出分野である「遣隋使
遣隋使」
「小野妹子が隋から日本に帰国する際、
遣隋使 からの出題であったため、
隋の皇帝の返書を略奪された」という知識は、本学受験生レベルならば知っておいてほしい。
(G)慶應義塾の頻出分野である「遣唐使
遣唐使」からの出題。上智大学・青山大学
上智大学・青山大学でも出題歴がある。
遣唐使
上智大学・青山大学
(J)
「阿倍仲麻呂
阿倍仲麻呂」
「717 年」
「留学生」
「李白と交流」
「唐で没する」
阿倍仲麻呂 は、私立大学では頻出単語である。
がキーワードとなる。
(K)得点差が確実に生まれる。キーワードは、
「717 年」
「留学生」
「二度入唐」
「帰国後、追討に活躍」。
選択肢を見ると、奈良時代の人物。よって、本学受験生レベルであれば、正解したい。難関私立大学で
は、「吉備
吉備真
吉備真備」についての詳細な知識を問われることがある。
(N)
(O) 2 つとも近年の私立大学では頻出単語である。新課程版の山川出版の教科書P72 に掲載さ
れているが、2015 年度の入試では、多くの受験生が持つ旧課程版の山川出版の教科書 P63 には大きく
掲載されている。
2
〔Ⅱ〕近世~近現代の印刷
近世~近現代の印刷
内容分析=慶應義塾/文学部・経済学部・商学部
慶應義塾/文学部・経済学部・商学部では過去に何度出題されてきたテーマの
1 つ「印刷
印刷
慶應義塾/文学部・経済学部・商学部
(出版物)」からの大問。
(B)得点差が確実に生まれる。もちろん難問であるが、「0」か「3(1590)」の 2 つで迷ってほしい。
本学受験生レベルならば、
「天正遣欧使節は、ヴァリニャーニのすすめにより、1582 年に派遣され、1590
年に帰国した」という知識は知っていてほしい。よって、帰国の 1590 年の際に、活字印刷機をもたら
したのではないかと推測し、「3」とした受験生もいたはずである。
(J)難問。
「本木昌造
本木昌造」は慶應義塾では頻出単語であるが、
「活版所」の所在までは難しい。なお、何
本木昌造
度も 2 月 4 日からの解答速報でお伝えさせてもらっているが、必ず、自分が受験する大学の過去問は何
度も繰り返し、弱点や苦手な分野をなくして本番をむかえてもらいたい。時間に余裕があれば、他学部
までやってほしい。なぜならば、
「同じ問題が出題される
同じ問題が出題される」からである。例えば、2009
年度の慶應/経
同じ問題が出題される
済の問題を見てもらいたい。網掛の箇所が、今回の文学部でも出題されている。
問
中世から近代にかけての出版や印刷について述べた次の文章1~4のなかから,誤りを含む文章
を一つ選びなさい。
1.室町前期に絶海中津,義堂周信ら禅僧が活躍していた五山では,大陸文化の影響を受けた学問や
文芸が展開されていた。五山で出版された教典や漢詩文集は五山版と呼ばれている。
2.宣教師ヴァリニャーニによって西洋の活字印刷技術が伝わり,この技術をもとにして文学書・辞
書・宗教書が出版された。それらはキリシタン版または天草版などと呼ばれている。
3.豊臣秀吉の朝鮮侵略の際に,大量の書物とともに朝鮮の活字印刷技術が日本へ伝わった。この技
術をもとにして,後陽成天皇の勅命で慶長勅版が刊行された。
4.江戸時代に流行した錦絵は木版画の多色刷りであった。また,化政期には本木昌造が開発した鉛製
活字によって,浮世草子などが印刷された。
〔Ⅲ〕日清戦争前後の外交
日清戦争前後の外交
内容分析=慶應
慶應義塾
・2005 と同じ箇所からの出題(慶應義塾大学は「日清戦争
日清戦争」
日露戦争」
慶應義塾/文・
義塾/文・2012・
/文・
日清戦争 「日露戦争
日露戦争
が頻出分野)。ただし、すべてが基本問題であり、全問正解が必須となる。
〔Ⅳ〕鎌倉~南北朝の政治
鎌倉~南北朝の政治(史料=『増鏡』
『太平記』)
鎌倉~南北朝の政治
内容分析=慶應義塾/文学部の合否を決めかねない論述問題。配点も高く 1 問 8 点。ただし、文学部で
は 2010・
・2005・
・2003 と「鎌倉~南北朝期の政治」に関する論述が出題されているため、問 10 の論述
も、
「承久の乱後の幕府と朝廷の関係(幕府が朝廷より優位に立つ)」という事を書かなければならない
ということは分かるはず。後は、史料の解釈からまとめることができるであろう。
3
〔Ⅴ〕寛政の改革
寛政の改革(史料=『後見草』
)
寛政の改革
内容分析=慶應義塾大学では「三大改革
三大改革」
・2006・
・2002、
、
三大改革 に関する論述は頻出である。文学部では 2013・
経済学部では 2011 に論述で出題している。
問1
(イ)の人物が特定できないと、(ロ)も解答できない。
問4
「勘定所御用達
勘定所御用達」は近年の私立大学では頻出用語。
勘定所御用達
問6
史料「白河の太守」が「松平定信」と特定し、狂歌の内容を参照しながら、既存の知識でまとめ
れば、高得点が取れる。
(※配点は予想配点です)
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