「僕の弟」

中学生人権作文コンテスト
「僕の弟」
岐阜市立岐阜清流中学校三年
桜井 ライアン秀嘉
岐阜県教育委員会賞
をもっているからと言って関わることを自分は拒んでい
たのだと。周りからの冷たい視線を感じたのは、自分が
弟を障がい者だと見下していたからなのだと。本当の弟
は、とても明るくて野球でつかれている僕を見て心配し
てくれるほど優しい心の持ち主なのだと。そして、心が
人は、それぞれ生きてゆく環境が違います。それによ
明るくなった僕はこのことを親に話しました。そして僕
って肌の色の異なる人がいたり、障がいをもって産まれ
は、
てきたり、その後に、障がいを背負っていく人がいます。
「弟がダウン症じゃなかったら、すごくいい奴だったよ
僕には弟がいます。でも、普通の人とは少し違います。
なあ。」
弟はダウン症です。弟が産まれて幼い頃、僕はダウン症
と言いました。すると親は、
の事など全く知りませんでした。母親から話を聞いて、
「現に、障がいをもってきてしまったことは仕方ないこ
障がいをもっているという事を少しずつ理解していきま
となの。大事なのは、あの子をどうやって見守ってやる
した。でも日常を共にしているので特にこれといって何
のか。あの子は、お前が野球をやる姿がとても好きで自
も感じませんでした。
分から見に行きたいと言って話しかけてくるの。だから、
僕は小学二年生から野球を始めました。そして、年を
あの子の分もがんばってちょうだい。」
重ね、親が当番として野球について来なければいけませ
と言われたのを鮮明に覚えています。家族がなぜ普通に
んでした。親が二人共野球に来ることがありました。そ
弟と外出できたのか。それは、事実を受け止め、弟を一
の時は、必ず弟を連れて来ました。ダウン症なのでじっ
人の人間として接していたからです。でも、僕はちがい
としていることがなかなかできなくて、大声を発したり、
ました。心のどこかで関わりを拒んでいました。でも、
集合中の僕に話しかけたりと、普通ではとらないような
今は違います。毎日言葉を覚え、満面の笑みで僕達は明
行動をするようになりました。その行動を僕は恥ずかし
るく過ごせていることがはっきりと分かります。今では、
く感じるようになり、いつしか弟を憎むようになってい
我が家のスターとまでになりました。
ました。家の中でも、僕のゲームを勝手にさわったり、
そして、僕は野球に励みました。しかし、僕の心は不
うっとうしく感じるようになりました。野球の仲間は、
安定でした。辛い練習に耐えて、必死にやった野球も、
弟がダウン症だという事を次第に知っていきました。野
伸び悩み始め、自分の環境に満足できなくなりました。
球の仲間は、不思議な行動をとる弟を見て笑い、いつの
弟にはものすごく申し訳ない気持ちでいっぱいになりま
日かとても親しくなっていました。ですが、やはり僕と
した。でも僕は自分の限界に気付いてしまい誇りを失い、
しては恥ずかしくて、以前と変わらない気持ちでした。
とても後悔しました。そんな僕の人生を弟が変えてくれ
中学生になった僕は、周りからの目を恐れ、家族での
ました。
外出を拒むようになりました。仕方無く外出へついて行
弟は周りの人たちからとても好かれています。「どう
った時、やはり周りから冷たい視線が感じられました。
せ、障がい者だから。」と弟にレッテルをはっていた自
でも、そんなのはおかまいなしに弟は明るく元気でした。
分をバカバカしく思います。これがまさに、差別や偏見
ある日、僕が友達を家に呼んだ時に弟が家にいました。
につながる考えだったのです。人の権利をうばうという
とても明るい弟は、会うのが初めてにもかかわらずその
ことは、人の可能性をこわすことになります。差別し合
友達に話しかけました。友達は最初は少しとまどってい
った人同士や、差別をしている人は、人の可能性をうば
ました。ですが、とても陽気な弟を見て次第に会話をす
っていることになります。広い考えをもち、お互いが優
るようになりました。会話といっても、何を言っている
れた事があることに気づけば、この世から差別がなくな
か分からない口調の弟に合わせてうなずいたり反応して
る日が来ると思います。人権作文を書くことで改めて実
いるだけでした。でも、それだけの行動でその場がとて
感できました。
も明るくなりました。この時、ふと思いました。障がい