『 イ ス ラ ー ム 世 界 の 自 己 考 察 』

(
注
)
本
作
品
の
著
作
権
は
『
S
H
O
S
A
K
U
事
務
所
』
に
帰
属
し
て
い
ま
す
。
制
作
作
者
花
房
尚
作
S
H
O
S
A
K
U
事
務
所
(
イ
ス
ラ
ー
ム
論
)
『
イ
ス
ラ
ー
ム
世
界
の
自
己
考
察
』
論
文
作
品
著作権者:SHOSAKU 事務所
今
後
、
追
記
や
修
正
を
施
し
て
本
文
と
し
て
い
く
。
少
し
で
も
読
者
の
お
役
に
立
て
ば
と
思
い
、
完
成
前
に
公
開
し
た
。
http://www.sho39.com
本
論
文
は
作
成
中
の
も
の
で
あ
る
。
『
イ
ス
ラ
ー
ム
世
界
の
自
己
考
察
』
『
ウ
マ
イ
ヤ
ド
・
モ
ス
ク
』
写真:SHOSAKU事務所
1
『
イ
ラ
ン
・
イ
ラ
ク
の
話
』
『
イ
ス
ラ
エ
ル
の
話
』
『
キ
リ
ス
ト
教
徒
の
話
』
『
ユ
ダ
ヤ
人
の
話
』
目
『 次
ア
ブ
ラ
ハ
ム
の
神
』
『
イ
ス
ラ
ー
ム
世
界
の
自
己
考
察
(
イ
ス
ラ
ー
ム
論
)
』
著作権者:SHOSAKU 事務所
「
天
主
教
法
(
キ
リ
ス
ト
教
)
と
源
を
同
じ
う
し
て
派
を
異
に
す
る
も
の
な
り
」
し
て
い
る
。
イ
エ
ス
も
予
言
者
と
し
て
登
場
す
る
。
江
戸
時
代
中
期
の
学
者
、
新
井
白
石
は
イ
ス
ラ
ー
ム
を
こ
う
説
明
神
か
ら
の
啓
示
の
決
定
版
と
さ
れ
る
コ
ー
ラ
ン
に
は
、
旧
約
・
新
約
聖
書
の
物
語
を
始
め
、
モ
ー
セ
や
http://www.sho39.com
唯一の神
ア
ダ
ム
ノ
ア
ア
ブ
ラ
ハ
ム
十
戒
詩
編
福
音
書
コ
ー
ラ
ン
モ
ー
セ
ダ
ビ
デ
イ
エ
ス
ム
ハ
ン
マ
ド
新
約
聖
書
コ
ー
ラ
ン
預言者(使徒)
旧約聖書
2
の
ド
ー
ム
』
、
そ
れ
ら
は
全
て
エ
ル
サ
レ
ム
に
あ
る
。
ス ス 徒
れ
ユ リ ト 。 モ ぞ ユ
ダ ム 教 イ ー れ ダ
ヤ 。 徒 エ セ の ヤ
教
。 ス と 宗 教
の
ム と い 教 、
聖
ハ い う に キ
地
ン う 使 分 リ
『
マ 使 徒 派 ス
嘆
ド 徒 を し ト
き
を を 通 て 教
の
通 通 じ い 、
壁
じ じ て る イ
』
て て 伝 。 ス
、
ラ
伝 伝 わ
キ
わ わ っ
ー
リ
た
ム
っ
っ
ス
た た の
と
ト
も
の の が
教
が
が
『
に
の
、
『 『 十
聖
コ
福
戒
信
地
』
じ
ー
音
『
ラ
書
で
る
聖
あ
神
ン
』
墳
』
で
り
様
墓
、
は
で
あ
教
そ
同
あ
り
会
れ
じ
り
、
』
、
で
、 そ を
イ
あ
こ れ 信
ス
り
れ を じ
ラ
、
を 信 た
ー
旧
信 じ 人
ム
約
じ る 々
の
聖
る 人 が
聖
書
人 々 ユ
地
か
々 が ダ
『
ら
が キ ヤ
岩
そ
ム リ 教
『
ア
ブ
ラ
ハ
ム
の
神
』
著作権者:SHOSAKU 事務所
http://www.sho39.com
『
シ
ナ
イ
山
』
写真:SHOSAKU事務所
な
い
。
あ
と
、
イ
エ
ス
・
キ
リ
ス
ト
の
『
キ
リ
ス
ト
』
は
氏
名
で
は
な
く
、
『
救
世
主
』
の
意
味
で
あ
る
。
3
は
な
い
。
ま
た
、
コ
ー
ラ
ン
を
信
じ
る
人
々
は
『
ム
ス
リ
ム
』
で
あ
っ
て
『
イ
ス
ラ
ー
ム
教
徒
』
と
呼
ば
ち
な
み
に
『
イ
ス
ラ
ー
ム
』
と
い
う
言
葉
自
体
が
宗
教
を
指
す
の
で
、
『
イ
ス
ラ
ー
ム
教
』
と
呼
ぶ
必
要
め
る
こ
と
に
な
る
。
ラ
ン
を
否
定
し
て
い
る
。
こ
れ
を
認
め
て
し
ま
う
と
自
分
達
に
く
だ
っ
た
啓
示
が
不
完
全
で
あ
っ
た
と
認
イ
ス
ラ
ー
ム
が
旧
約
聖
書
や
新
約
聖
書
を
認
め
て
る
の
に
対
し
て
、
ユ
ダ
ヤ
教
や
キ
リ
ス
ト
教
は
コ
ー
著作権者:SHOSAKU 事務所
う
し
た
傾
向
に
あ
る
。
シ
ル
ク
ロ
ー
ド
の
時
期
に
活
躍
し
た
ア
ラ
ブ
の
商
人
は
、
そ
う
し
た
土
壌
か
ら
生
の
文
化
を
も
っ
て
い
た
。
こ
れ
は
モ
ン
ゴ
ル
な
ど
も
同
じ
で
、
牧
畜
を
生
業
と
す
る
民
族
の
多
く
は
、
そ
ち
な
み
に
古
来
か
ら
、
ア
ラ
ブ
地
域
の
人
々
は
ベ
ド
ウ
ィ
ン
と
呼
ば
れ
る
遊
牧
生
活
を
営
み
、
移
住
型
知
識
人
を
生
み
出
し
て
い
く
。
を
推
奨
し
、
健
全
な
金
銭
感
覚
を
培
っ
て
い
っ
た
。
そ
の
結
果
と
し
て
、
後
に
多
く
の
優
秀
な
科
学
者
や
http://www.sho39.com
世
界
各
地
に
散
っ
た
ユ
ダ
ヤ
人
は
、
反
乱
の
失
敗
う
け
て
平
和
主
義
に
傾
斜
し
て
い
っ
た
。
生
涯
学
習
の
聖
地
と
な
っ
た
。
ラ
ー
ム
教
徒
に
な
っ
て
い
く
。
そ
の
た
め
、
エ
ル
サ
レ
ム
は
、
ユ
ダ
ヤ
教
、
キ
リ
ス
ト
教
、
イ
ス
ラ
ー
ム
ユ
ダ
ヤ
人
追
放
後
、
パ
レ
ス
チ
ナ
の
地
に
や
っ
て
き
た
の
は
ア
ラ
ブ
人
で
、
彼
ら
は
7
世
紀
か
ら
イ
ス
の
で
あ
る
。
ナ
の
地
で
キ
リ
ス
ト
教
を
誕
生
さ
せ
る
一
方
、
ユ
ダ
ヤ
人
を
亡
国
の
民
と
し
て
世
界
各
地
に
分
散
さ
せ
た
二
度
の
反
乱
を
受
け
て
、
ロ
ー
マ
帝
国
は
ユ
ダ
ヤ
人
の
追
放
を
決
意
し
た
。
ロ
ー
マ
帝
国
は
パ
レ
ス
チ
人
は
再
び
反
乱
を
起
こ
し
た
。
こ
の
反
乱
も
ロ
ー
マ
帝
国
の
軍
隊
に
制
圧
さ
れ
て
し
ま
う
。
か
し
ユ
ダ
ヤ
人
に
と
っ
て
多
神
教
を
信
仰
し
て
い
る
ロ
ー
マ
人
は
抹
殺
す
る
べ
き
存
在
だ
っ
た
。
ユ
ダ
ヤ
ま
る
て パ
ロ う そ 。 旧 い レ 初
ー 。 こ 厳 約 る ス 期
マ
で 格 聖 ロ テ の
帝
ユ な 書 ー ィ ロ
国
ダ 信 に マ ナ ー
は
ヤ 仰 は 人 で マ
制
人 心 、 は の 帝
圧
は を 異 抹 ユ 国
後
反 持 教 殺 ダ は
も
乱 つ 徒 す ヤ 宗
、
を ユ は る 人 教
ユ
起 ダ 皆 べ 自 に
ダ
し ヤ 殺 き 治 対
ヤ
た 人 し 存 を し
人
。 に に 在 認 て
た
そ と し だ め と
ち
の っ て っ て て
が
反 て も た い も
パ
乱 、 構 。 た 寛
レ
。 容
は 皆 わ
ス
ロ 殺 な
と な
テ
こ 政
ー し い
こ
ィ
と
マ
ろ 策
ナ
帝 そ 解
が を
の
ユ と
国 が 釈
正
地
で
ダ っ
の
に
軍 義 き
ヤ て
住
人 い
隊 に る
な
む
記
に た
に
こ
あ る 述
と 。
。
と
(
っ 信
え
を
ヨ
な
て 教
認
シ
多 の
く
め
ュ
制
神 自
て
ア
圧
教 由
い
記
を を
さ
た
)
信 保
れ
。
が
て
仰 障
し
あ
し し
し
、
4
称
が
一
般
的
に
な
っ
て
い
る
。
そ
れ
ら
は
『
ユ
ダ
ヤ
人
』
、
ま
た
は
『
ヘ
ブ
ラ
イ
人
』
と
呼
ば
れ
て
き
た
。
現
在
で
は
『
ユ
ダ
ヤ
人
』
の
名
現
在
パ
レ
ス
チ
ナ
と
呼
ば
れ
る
地
域
に
は
、
古
く
か
ら
ユ
ダ
ヤ
教
を
信
仰
す
る
人
々
が
住
ん
で
い
た
。
『
ユ
ダ
ヤ
人
の
話
』
著作権者:SHOSAKU 事務所
http://www.sho39.com
『
嘆
き
の
壁
』
写真:SHOSAKU事務所
5
民
族
で
あ
っ
た
た
め
、
土
着
的
な
定
住
文
化
が
定
着
し
た
の
だ
ろ
う
。
私
が
中
東
を
旅
し
た
時
も
、
多
く
の
ベ
ド
ウ
ィ
ン
が
山
や
砂
漠
で
暮
ら
し
て
い
た
。
逆
に
日
本
は
農
耕
た
背
景
を
受
け
て
ア
ラ
ブ
人
の
定
住
化
政
策
を
行
っ
て
い
る
。
ま
れ
た
。
1
3
7
0
年
か
ら
1
5
0
7
年
ま
で
中
東
の
覇
権
を
握
っ
て
い
た
テ
ィ
ム
ー
ル
朝
は
、
そ
う
し
著作権者:SHOSAKU 事務所
支
配
下
に
あ
っ
て
不
満
を
募
ら
せ
て
い
る
ア
ラ
ブ
人
に
対
し
、
「
イ
ギ
リ
ス
に
協
力
す
る
な
ら
ア
ラ
ブ
人
に
http://www.sho39.com
と っ
が
な に 運
諸
当 し た ま 起 そ ど 収 動 1 国 時
時 た 。 だ こ の の め の 9 は 代
、 。 ド 戦 る う 列 て 波 世 、 は
中
イ 車 。 ち 強 お が 紀 帝 流
東
植 は き 押 後 国 れ
ツ の
地
と 無
民 軍 た し 半 主 て
域
の か
地 事 い 寄 か 義 1
を
の 介 列 せ ら の 9
戦 っ
支
線 た
分 入 強 る 2 時 世
配
捕 し に 。 0 代 紀
が 時
し
膠 代
り 、 と 国 世 に 、
て
合 こ っ 民 紀 突 産
着 、
い
戦 と て の 前 入 業
状 機
た
が ご 不 多 半 し 革
態 関
の
に 銃
過 と 都 数 、 て 命
は
熱 く 合 決 ヨ い を
陥 を
オ
っ 備
し 民 な で ー た 経
ス
、 主 制 国 ロ 。 て
た え
マ
お 化 度 家 ッ
科
イ つ
ン
互 の だ 方 パ
学
ギ け
帝
い 波 っ 針 の
、
リ た
国
の を た が 近
技
ス 塹
だ
利 潰 。 決 代
術
は 壕
っ
害 し そ ま 化
、
、 に
た
三 は
が て こ る の
産
。
枚 、
ぶ い で 民 影
業
イ
つ っ イ 主 響
、
舌 易
ギ
に 々
か た ギ 主 を
政
リ
よ と
り 。 リ 義 受
治
ス
あ
を
っ 近
ス は け
は
て づ
っ
、 、 、
革
、
て
新
戦 く
フ ア 中
オ
況 こ
第
ラ ラ 東
し
ス
一
た
を と
ン ブ 地
マ
次
ヨ
打 が
ス 諸 域
ン
開 で
世
ー
、 国 に
帝
し き
界
ロ
ロ を 民
国
大
ッ
よ な
シ 手 主
の
う か
戦
パ
ア 中 化
っ ー る
た ロ 。 十
。 ッ 1 字
パ 1 軍
諸 8 の
侯 7 宗
は 年 教
繰 、 的
り エ 意
返 ル 図
し サ を
十 レ 知
字 ム っ
軍 を た
を 奪 イ
派 い ス
遣 返 ラ
す し ー
る 、 ム
が 中 諸
、 東 侯
イ の は
ス 地 、
ラ か ジ
ー ら ハ
ム 十 ー
諸 字 ド
国 軍 (
に を 聖
全 追 戦
く い )
も 出 を
っ し 掲
て た げ
歯 。 て
が そ 逆
立 の 襲
た 後 に
な 、 転
か ヨ じ
6
結
ぶ
イ
ス
ラ
ー
ム
諸
侯
も
多
か
っ
た
。
を
も
っ
た
軍
隊
と
し
て
認
識
し
て
い
な
か
っ
た
。
敵
の
敵
は
味
方
、
と
い
っ
た
具
合
に
、
十
字
軍
と
手
を
い
と
も
た
や
す
く
征
服
で
き
た
。
ま
た
、
当
時
の
イ
ス
ラ
ー
ム
諸
侯
は
、
十
字
軍
を
特
別
な
宗
教
的
意
図
当
時
の
中
東
地
域
は
日
本
の
戦
国
時
代
の
よ
う
な
分
裂
状
態
に
あ
り
、
十
字
軍
は
そ
の
間
隙
を
ぬ
っ
て
を
建
設
し
た
。
発
。
1
0
9
9
年
7
月
に
は
エ
ル
サ
レ
ム
奪
還
に
成
功
し
、
シ
リ
ア
の
湾
岸
地
域
に
四
つ
の
十
字
軍
国
家
1
0
9
6
年
、
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
諸
侯
は
、
こ
の
呼
び
か
け
に
応
じ
て
十
字
軍
を
結
成
し
、
西
欧
各
地
を
出
は
、
聖
地
奪
還
を
呼
び
掛
け
、
エ
ル
サ
レ
ム
へ
の
十
字
軍
派
遣
を
要
請
し
た
。
1
0
9
5
年
、
ク
レ
ル
モ
ン
で
開
か
れ
た
宗
教
会
議
に
お
い
て
、
キ
リ
ス
ト
教
皇
の
ウ
ル
バ
ヌ
ス
2
世
『
キ
リ
ス
ト
教
徒
の
話
』
著作権者:SHOSAKU 事務所
http://www.sho39.com
当
然
の
如
く
ア
ラ
ブ
人
は
猛
反
発
し
た
が
、
列
強
の
軍
事
力
に
太
刀
打
ち
で
き
な
か
っ
た
。
絵:SHOSAKU事務所
7
族
や
ク
ル
ド
民
族
は
国
境
線
で
分
断
さ
れ
た
。
線
が
引
か
れ
、
ア
ラ
ブ
人
へ
の
約
束
は
破
ら
れ
て
し
ま
う
。
シ
ー
ア
派
や
ス
ン
ニ
派
、
そ
の
他
の
少
数
民
ク
と
ヨ
ル
ダ
ン
は
イ
ギ
リ
ス
の
植
民
地
と
な
っ
た
。
中
東
地
域
に
ア
フ
リ
カ
大
陸
と
同
じ
直
線
的
な
国
境
第
一
次
大
戦
後
、
『
サ
イ
ク
ス
・
ピ
コ
協
定
』
に
よ
っ
て
、
シ
リ
ア
と
レ
バ
ノ
ン
は
フ
ラ
ン
ス
の
、
イ
ラ
約
し
て
い
た
。
こ
れ
を
『
サ
イ
ク
ス
・
ピ
コ
協
定
』
と
言
う
。
そ
の
う
え
で
、
フ
ラ
ン
ス
と
ロ
シ
ア
に
対
し
、
第
一
次
世
界
大
戦
後
の
中
東
分
割
(
植
民
地
化
)
を
密
ナ
の
地
に
ユ
ダ
ヤ
人
の
国
家
建
設
を
認
め
る
」
と
約
束
し
た
。
こ
れ
を
『
バ
ル
フ
ォ
ア
宣
言
』
と
言
う
。
一
方
で
、
ユ
ダ
ヤ
人
の
大
富
豪
で
あ
る
ロ
ス
チ
ャ
イ
ル
ド
か
ら
資
金
提
供
を
受
け
る
た
め
、
「
パ
レ
ス
チ
よ
る
建
国
を
支
援
す
る
」
と
約
束
し
た
。
こ
れ
を
『
フ
セ
イ
ン
・
マ
ク
ラ
ホ
ン
協
定
』
と
言
う
。
著作権者:SHOSAKU 事務所
こ
ち
ら
は
お
返
し
に
ト
ル
コ
の
財
政
の
完
璧
な
管
理
を
引
き
受
け
て
よ
い
」
(
板
垣
雄
三
訳
)
。
ろ
う
。
も
し
ス
ル
タ
ン
陛
下
(
オ
ス
マ
ン
帝
国
)
が
わ
れ
わ
れ
に
パ
レ
ス
テ
ィ
ナ
を
与
え
る
と
な
れ
ば
、
っ
て
忘
れ
が
た
い
歴
史
的
郷
土
で
あ
る
。
そ
の
名
は
、
す
ば
ら
し
く
効
果
的
な
召
集
の
呼
び
声
と
な
る
だ
れ
る
も
の
を
と
り
、
ユ
ダ
ヤ
人
世
論
の
好
む
と
こ
ろ
を
と
る
だ
ろ
う
。
…
…
パ
レ
ス
テ
ィ
ナ
は
我
々
に
と
「
パ
レ
ス
テ
ィ
ナ
を
選
ぶ
か
、
そ
れ
と
も
ア
ル
ゼ
ン
チ
ン
を
選
ぶ
か
。
組
織
は
ど
こ
で
あ
れ
あ
た
え
ら
http://www.sho39.com
つ
ぎ
の
よ
う
に
述
べ
て
い
る
。
ム
運
動
(
ユ
ダ
ヤ
国
家
建
設
運
動
)
の
提
唱
者
で
あ
る
ヘ
ル
ツ
ル
は
、
そ
の
著
書
『
ユ
ダ
ヤ
人
国
家
』
で
会
的
状
況
に
応
じ
、
様
々
な
「
ユ
ダ
ヤ
人
国
家
計
画
」
が
持
ち
上
が
っ
て
は
消
え
て
い
っ
た
。
シ
オ
ニ
ズ
を
打
つ
べ
く
、
1
8
世
紀
か
ら
ユ
ダ
ヤ
国
家
建
設
の
議
論
が
さ
か
ん
に
な
り
、
そ
の
時
々
の
政
治
的
・
社
ユ
ダ
ヤ
人
は
祖
国
が
無
い
こ
と
で
、
常
に
苦
渋
を
味
わ
っ
て
き
た
歴
史
が
あ
る
。
そ
の
歴
史
に
終
止
符
よ
り
も
軽
く
扱
っ
た
。
と
相
場
が
決
ま
っ
て
い
る
。
そ
う
し
た
歴
史
の
背
景
が
あ
っ
て
、
ナ
チ
ス
は
ユ
ダ
ヤ
人
の
命
を
、
虫
の
命
キ
リ
ス
ト
教
徒
に
お
い
て
ユ
ダ
ヤ
人
を
迫
害
す
る
の
は
正
義
だ
っ
た
。
古
典
文
学
の
悪
者
は
ユ
ダ
ヤ
人
対
す
る
免
罪
事
件
(
ド
レ
フ
ュ
ス
事
件
)
等
な
ど
、
例
を
あ
げ
れ
ば
切
が
な
く
な
る
。
8
8
年
の
フ
ラ
ン
ス
で
の
ユ
ダ
ヤ
人
大
量
虐
殺
、
1
8
9
4
年
に
フ
ラ
ン
ス
で
起
こ
っ
た
ユ
ダ
ヤ
人
軍
人
に
例
え
ば
、
ロ
シ
ア
帝
国
で
の
ポ
グ
ロ
ム
と
呼
ば
れ
る
ユ
ダ
ヤ
人
へ
の
集
団
的
な
暴
行
と
殺
戮
、
1
3
4
れ
た
理
由
で
、
事
あ
る
ご
と
に
ユ
ダ
ヤ
人
を
大
量
虐
殺
し
、
そ
の
資
産
を
奪
っ
た
。
キ
リ
ス
ト
教
徒
は
、
『
イ
エ
ス
を
殺
し
た
恨
み
』
と
い
っ
た
、
本
来
の
キ
リ
ス
ト
教
の
精
神
と
は
か
け
離
論
で
は
太
刀
打
ち
で
き
ず
、
暴
力
に
よ
る
抑
圧
を
強
め
て
い
く
。
教
的
信
念
に
よ
る
生
涯
学
習
の
重
視
は
、
キ
リ
ス
ト
教
徒
に
と
っ
て
脅
威
で
も
あ
っ
た
。
ど
う
し
て
も
議
ユ
ダ
ヤ
人
の
成
功
は
、
キ
リ
ス
ト
教
徒
に
と
っ
て
や
り
場
の
な
い
嫉
妬
心
を
生
み
出
し
た
。
ま
た
、
宗
服
し
、
商
業
的
な
成
功
を
勝
ち
得
て
い
っ
た
。
別
を
し
て
優
越
感
に
浸
っ
て
い
た
。
そ
れ
が
い
つ
の
間
に
か
、
ユ
ダ
ヤ
人
は
勤
勉
さ
に
よ
っ
て
差
別
を
克
コ
ミ
ニ
テ
ィ
ー
を
形
成
し
て
い
っ
た
。
そ
れ
に
対
し
て
キ
リ
ス
ト
教
徒
は
、
職
業
を
制
限
す
る
な
ど
の
差
ロ
ー
マ
帝
国
に
よ
っ
て
パ
レ
ス
テ
ィ
ナ
か
ら
追
放
さ
れ
た
ユ
ダ
ヤ
人
は
、
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
各
地
に
小
さ
な
『
イ
ス
ラ
エ
ル
の
話
』
著作権者:SHOSAKU 事務所
http://www.sho39.com
エ
ル
国
民
は
高
校
卒
業
後
、
男
性
は
3
年
、
女
性
は
2
年
の
兵
役
義
務
が
あ
る
。
4
2
号
)
』
を
採
択
。
し
か
し
現
在
に
至
る
ま
で
実
現
さ
れ
ず
、
不
安
定
な
状
態
が
続
い
て
い
る
。
イ
ス
ラ
軍
の
撤
退
、
及
び
、
イ
ス
ラ
エ
ル
を
含
む
中
東
の
す
べ
て
の
国
の
主
権
と
生
存
権
を
確
認
す
る
決
議
(
2
そ
の
後
、
計
4
度
の
中
東
戦
争
が
起
こ
り
、
国
連
安
全
保
障
理
事
会
は
『
占
領
地
か
ら
の
イ
ス
ラ
エ
ル
過
半
が
難
民
と
な
る
。
イ
ス
ラ
エ
ル
は
西
側
地
区
と
ガ
ザ
地
区
を
の
ぞ
く
パ
レ
ス
テ
ィ
ナ
全
土
を
掌
握
。
パ
レ
ス
テ
ィ
ナ
人
の
ル
と
戦
争
に
突
入
。
ま
ん
ま
と
イ
ギ
リ
ス
の
狙
い
通
り
に
な
っ
た
。
9
で
、
ア
ラ
ブ
諸
国
の
猛
反
発
を
受
け
る
。
ア
ラ
ブ
諸
国
は
パ
レ
ス
テ
ィ
ナ
分
割
案
に
反
対
し
、
イ
ス
ラ
エ
1
9
4
8
年
、
イ
ス
ラ
エ
ル
建
国
。
ア
ラ
ブ
人
が
住
む
土
地
に
無
理
や
り
イ
ス
ラ
エ
ル
を
建
国
し
た
の
に
蔓
延
し
た
時
期
で
も
あ
る
。
ィ
ナ
が
荒
野
で
あ
る
か
の
よ
う
な
宣
伝
も
さ
れ
た
。
ア
ラ
ブ
世
界
に
対
す
る
無
知
と
思
い
込
み
が
世
界
中
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
で
は
「
国
土
の
な
い
民
族
に
住
民
の
い
な
い
土
地
を
」
と
い
っ
た
、
あ
た
か
も
パ
レ
ス
テ
狙
い
も
イ
ギ
リ
ス
に
は
あ
っ
た
。
介
な
問
題
を
国
外
に
輸
出
し
た
か
っ
た
。
同
時
に
、
ユ
ダ
ヤ
人
と
ア
ラ
ブ
人
を
対
立
さ
せ
て
消
耗
さ
せ
る
キ
リ
ス
ト
教
徒
は
、
こ
れ
ま
で
ユ
ダ
ヤ
人
を
迫
害
し
て
き
た
歴
史
を
鑑
み
、
ユ
ダ
ヤ
人
問
題
と
い
う
厄
ス
チ
ナ
地
方
で
の
ユ
ダ
ヤ
国
家
建
設
運
動
(
シ
オ
ニ
ズ
ム
運
動
)
が
本
格
化
し
た
。
第
二
次
世
界
大
戦
後
、
ナ
チ
ス
に
よ
る
ユ
ダ
ヤ
人
の
大
虐
殺
が
知
れ
渡
る
と
、
ユ
ダ
ヤ
人
に
よ
る
パ
レ
約
束
の
地
・
パ
レ
ス
チ
ナ
に
戻
り
ユ
ダ
ヤ
の
国
家
を
建
設
す
る
こ
と
を
夢
見
て
い
た
。
ユ
ダ
ヤ
人
は
1
9
0
0
年
ち
か
く
亡
国
の
民
だ
っ
た
。
ユ
ダ
ヤ
人
た
ち
は
各
地
に
離
散
し
、
い
つ
か
は
著作権者:SHOSAKU 事務所
る
教
育
や
出
版
は
制
限
さ
れ
、
最
下
層
の
地
位
に
追
い
や
ら
れ
る
。
多
く
の
ク
ル
ド
人
が
無
実
の
罪
で
国
れ
る
。
そ
の
結
果
、
ク
ル
ド
人
は
各
国
で
少
数
民
族
と
な
っ
て
し
ま
う
。
母
国
語
で
あ
る
ク
ル
ド
語
に
よ
る
が
、
大
英
帝
国
に
よ
っ
て
旧
オ
ス
マ
ン
帝
国
領
は
ト
ル
コ
共
和
国
、
イ
ラ
ク
王
国
、
シ
リ
ア
に
分
断
さ
ー
朝
の
国
境
分
割
に
よ
っ
て
居
住
区
が
二
つ
の
国
家
に
分
断
さ
れ
た
。
第
一
次
大
戦
後
に
独
立
を
主
張
す
そ
の
人
口
は
2
5
0
0
~
3
0
0
0
万
人
と
推
定
さ
れ
る
。
1
7
世
紀
の
オ
ス
マ
ン
帝
国
と
サ
フ
ァ
ヴ
ィ
ク
ル
ド
人
の
居
住
地
域
は
ト
ル
コ
南
東
部
、
イ
ラ
ク
北
部
、
イ
ラ
ン
西
部
、
シ
リ
ア
北
部
に
ま
た
が
り
、
http://www.sho39.com
後
、
ス
ン
ニ
派
を
次
々
と
粛
清
し
て
い
っ
た
。
こ
れ
に
ク
ル
ド
人
も
加
わ
っ
て
イ
ラ
ク
は
大
混
乱
に
陥
る
。
派
は
、
こ
れ
ま
で
受
け
て
き
た
屈
辱
を
忘
れ
ら
れ
な
か
っ
た
。
そ
の
恨
み
は
深
く
、
ア
メ
リ
カ
軍
の
撤
退
く
り
あ
げ
た
。
と
こ
ろ
が
民
主
主
義
は
多
数
決
に
よ
っ
て
方
針
が
決
ま
っ
て
し
ま
う
。
多
数
派
の
シ
ー
ア
ん
で
い
た
。
ア
メ
リ
カ
合
衆
国
は
、
そ
の
フ
セ
イ
ン
政
権
を
壊
滅
さ
せ
、
民
主
主
義
に
基
づ
く
政
権
を
つ
か
つ
て
イ
ラ
ク
の
サ
ダ
ム
・
フ
セ
イ
ン
は
、
イ
ラ
ク
の
最
大
多
数
で
あ
る
シ
ー
ア
派
を
暴
力
で
抑
え
込
め
ず
、
駆
逐
す
る
べ
き
邪
教
と
し
て
捉
え
て
い
る
。
格
な
ス
ン
ニ
派
か
ら
見
れ
ば
、
自
由
奔
放
な
血
統
主
義
の
シ
ー
ア
派
は
異
端
で
あ
り
、
ム
ス
リ
ム
と
は
認
こ
れ
に
対
し
て
ス
ン
ニ
派
は
、
ス
ン
ナ
(
慣
例
)
を
重
視
し
、
戒
律
を
厳
格
に
守
る
傾
向
が
あ
る
。
厳
な
け
れ
ば
、
戒
律
に
縛
ら
れ
る
必
要
は
な
い
。
ひ
っ
そ
り
と
断
食
中
に
飲
食
を
し
て
い
る
。
本
人
と
神
と
の
関
係
を
重
視
し
て
い
る
の
で
、
お
お
ぴ
ら
で
10
現
在
の
イ
ラ
ン
で
は
、
ブ
ル
カ
の
着
用
は
禁
じ
ら
れ
て
お
り
、
人
々
は
ひ
っ
そ
り
と
ア
ル
コ
ー
ル
を
飲
み
、
め
ま
ぐ
る
し
く
変
わ
る
た
め
、
『
戒
律
に
よ
る
縛
り
』
よ
り
も
『
信
仰
の
内
面
』
を
重
視
す
る
傾
向
に
あ
る
。
教
義
の
側
面
と
し
て
、
シ
ー
ア
派
は
血
統
主
義
に
基
づ
い
た
指
導
者
の
資
質
に
よ
っ
て
、
そ
の
方
針
が
5
%
程
だ
。
そ
の
1
5
%
は
イ
ラ
ク
と
イ
ラ
ン
に
集
中
し
て
い
る
。
統
主
義
へ
の
反
発
は
イ
ス
ラ
ー
ム
世
界
も
同
様
で
、
シ
ー
ア
派
の
ム
ス
リ
ム
全
体
に
占
め
る
割
合
は
1
の
拠
点
で
あ
る
イ
ラ
ン
を
『
悪
の
枢
軸
』
と
名
指
し
し
た
の
も
、
こ
の
血
統
主
義
に
基
づ
い
て
い
る
。
血
世
界
の
流
れ
と
し
て
血
統
主
義
は
批
判
さ
れ
る
対
象
に
な
っ
て
い
る
。
ア
メ
リ
カ
合
衆
国
が
シ
ー
ア
派
の
違
い
か
ら
、
イ
ス
ラ
ー
ム
史
の
比
較
的
初
期
に
分
派
し
て
い
る
。
し
、
イ
ス
ラ
ム
法
学
者
や
住
民
代
表
が
合
議
し
て
各
地
域
で
方
針
を
決
め
る
。
後
継
者
の
資
格
に
つ
い
て
引
く
子
孫
に
、
指
導
者
と
し
て
の
資
格
が
あ
る
と
考
え
る
。
シ
ー
ア
派
は
血
統
主
義
を
断
固
と
し
て
拒
否
イ
ス
ラ
ー
ム
世
界
は
、
シ
ー
ア
派
と
ス
ン
ニ
派
に
分
か
れ
て
い
る
。
シ
ー
ア
派
は
ム
ハ
ン
マ
ド
の
血
を
『
イ
ラ
ン
・
イ
ラ
ク
の
話
』
著作権者:SHOSAKU 事務所
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い ン 日
る 人 本 ま
。 が へ た
親 の 、
日 直 日
化 行 本
し 便 と
た が イ
。 就 ラ
そ 航 ン
う し は
し て 、
た 多 1
背 く 9
景 の 7
が イ 4
あ ラ 年
っ ン ~
て 人 1
、 が 9
日 来 9
本 日 2
人 。 年
旅 日 ま
行 本 で
者 の 、
の 文 V
間 化 I
で を S
イ 知 A
ラ る 相
ン こ 互
は と 免
楽 で 除
園 、 協
と 多 定
呼 く を
ば の 結
れ イ び
て ラ 、
ム
法
学
者
に
よ
る
ム
ス
リ
ム
の
た
め
の
国
家
を
つ
く
っ
た
。
年
の
イ
ラ
ン
・
イ
ス
ラ
ー
ム
革
命
に
よ
っ
て
君
主
制
を
打
倒
。
欧
米
列
強
の
影
響
を
受
け
な
い
イ
ス
ラ
ー
そ
の
後
、
イ
ラ
ン
は
イ
ギ
リ
ス
の
度
重
な
る
干
渉
を
受
け
な
が
ら
も
近
代
化
を
推
し
進
め
、
1
9
7
9
11
の
念
を
持
つ
。
わ
ゆ
る
『
日
章
丸
事
件
』
で
あ
る
。
こ
れ
を
切
っ
掛
け
と
し
て
イ
ラ
ン
の
人
々
は
、
日
本
人
へ
強
い
感
謝
光
石
油
は
石
油
タ
ン
カ
ー
を
派
遣
。
見
事
に
海
上
封
鎖
を
突
破
し
て
日
本
に
石
油
を
持
ち
か
え
っ
た
。
い
付
に
来
た
タ
ン
カ
ー
の
撃
沈
を
国
際
社
会
に
表
明
す
る
。
そ
の
イ
ラ
ン
に
、
日
本
の
民
間
会
社
で
あ
る
出
た
イ
ギ
リ
ス
は
中
東
に
軍
艦
を
派
遣
し
、
事
実
上
の
経
済
制
裁
・
禁
輸
措
置
を
執
行
。
イ
ラ
ン
へ
石
油
買
1
9
5
1
年
、
イ
ラ
ン
は
イ
ギ
リ
ス
の
干
渉
を
受
け
な
が
ら
も
石
油
施
設
の
国
有
化
を
宣
言
。
反
発
し
に
な
っ
て
し
ま
う
。
人
の
間
で
有
名
に
な
っ
て
い
る
。
イ
ラ
ン
人
は
心
の
底
か
ら
世
話
を
や
い
て
く
れ
て
、
な
に
も
か
も
無
料
ち
な
み
に
世
界
で
一
番
の
親
日
国
は
、
シ
ー
ア
派
国
家
の
イ
ラ
ン
で
あ
る
。
イ
ラ
ン
の
親
日
ぶ
り
は
旅
え
る
。
よ
っ
て
ク
ル
ド
人
問
題
は
国
際
的
に
曖
昧
な
対
応
に
な
っ
て
い
る
。
が
行
わ
れ
る
の
は
火
を
見
る
よ
り
も
明
ら
か
だ
。
ク
ル
ド
人
国
家
の
建
設
は
ユ
ダ
ヤ
人
以
上
に
困
難
と
言
続
い
て
い
る
迫
害
へ
の
恨
み
は
深
く
、
も
し
仮
に
ク
ル
ド
人
の
国
家
建
設
を
許
し
た
な
ら
、
激
し
い
報
復
ユ
ダ
ヤ
人
が
商
人
気
質
で
あ
る
の
に
対
し
、
ク
ル
ド
人
は
軍
人
気
質
で
あ
る
。
ク
ル
ド
人
の
、
今
な
お
家
警
察
に
連
行
さ
れ
、
命
を
落
と
し
て
い
る
。
著作権者:SHOSAKU 事務所
ど
う
し
た
ら
中
東
地
域
に
日
本
の
よ
う
な
平
和
を
つ
く
り
あ
げ
ら
れ
る
の
か
、
ず
~
と
考
え
て
い
る
が
、
域
を
イ
ラ
ク
に
ま
で
及
ぼ
し
て
い
る
。
派
の
旧
イ
ラ
ク
軍
人
と
結
託
し
、
シ
リ
ア
の
内
戦
に
参
加
。
シ
リ
ア
の
一
部
地
域
を
抑
え
、
そ
の
支
配
地
リ
バ
ン
勢
力
だ
っ
た
。
テ
ロ
組
織
の
ア
ル
カ
イ
ダ
か
ら
分
派
し
た
I
S
I
L
(
ア
イ
シ
ル
)
は
、
ス
ン
ニ
た
。
そ
の
混
乱
に
乗
じ
て
勢
力
を
拡
大
し
た
の
が
、
テ
ロ
組
織
の
ア
ル
カ
イ
ダ
や
、
原
理
主
義
組
織
の
タ
入
し
て
し
ま
う
。
イ
ラ
ク
で
は
シ
ー
ア
派
と
ス
ン
ニ
派
の
対
立
や
、
ク
ル
ド
人
問
題
が
表
面
化
し
て
い
っ
http://www.sho39.com
か
ら
広
が
っ
た
現
政
権
へ
の
抗
議
や
デ
モ
活
動
は
軍
事
衝
突
を
招
き
、
シ
リ
ア
は
泥
沼
の
内
戦
状
態
に
突
中
東
地
域
が
混
乱
し
た
の
は
、
日
本
に
帰
国
し
て
す
ぐ
だ
っ
た
。
チ
ュ
ニ
ジ
ア
で
の
ジ
ャ
ス
ミ
ン
革
命
行
動
で
き
る
。
女
性
に
と
っ
て
、
ブ
ル
カ
の
着
用
は
優
し
い
文
化
と
言
え
る
。
煩
悩
に
悩
ま
さ
れ
る
こ
と
な
く
、
気
楽
に
肌
の
露
出
は
、
自
ら
の
美
を
披
露
し
た
い
欲
求
が
見
え
隠
れ
し
て
い
る
。
そ
う
し
た
欲
求
を
持
た
な
い
人
の
肌
の
露
出
を
許
し
て
い
る
寛
容
さ
に
感
心
し
た
く
ら
い
で
あ
る
。
く
の
批
判
は
見
当
違
い
だ
と
解
る
。
む
し
ろ
肌
を
露
出
し
て
い
る
外
国
人
の
方
が
異
常
に
見
え
た
。
外
国
が
な
か
っ
た
。
そ
の
地
域
に
行
っ
て
、
そ
の
文
化
に
触
れ
て
み
れ
ば
、
そ
れ
は
ご
く
当
り
前
で
あ
り
、
多
例
え
ば
、
シ
リ
ア
の
女
性
は
ブ
ル
カ
を
着
用
し
て
い
る
。
そ
の
ブ
ル
カ
に
対
し
て
、
私
は
全
く
違
和
感
12
必
要
が
あ
る
。
大
き
く
異
な
る
。
お
互
い
の
文
化
を
認
め
、
お
互
い
の
文
化
の
違
い
を
面
白
い
と
感
じ
、
そ
れ
を
楽
し
む
砂
の
中
で
暮
ら
し
て
き
た
遊
牧
民
族
と
、
森
の
中
で
暮
ら
し
て
き
た
農
耕
民
族
と
で
は
、
そ
の
文
化
は
日
本
人
も
ま
た
、
広
大
な
砂
漠
で
暮
ら
す
人
々
を
思
い
描
く
の
が
難
し
い
の
だ
ろ
う
。
の
知
識
が
な
か
っ
た
。
中
東
地
域
か
ら
遠
く
離
れ
た
極
東
の
島
国
の
こ
と
な
ど
解
ら
な
く
て
当
然
だ
し
、
ま
た
、
日
本
人
が
中
東
地
域
に
つ
い
て
の
知
識
が
な
い
よ
う
に
、
中
東
地
域
の
人
々
も
日
本
に
つ
い
て
い
人
は
そ
ん
な
私
に
ト
コ
ト
ン
優
し
く
接
し
て
く
れ
た
。
も
の
だ
っ
た
。
そ
の
差
が
激
し
い
の
で
、
初
対
面
の
人
に
は
ま
ず
性
悪
説
で
構
え
る
必
要
が
あ
っ
た
。
良
旅
を
し
て
感
じ
た
印
象
は
、
良
い
人
は
ト
コ
ト
ン
良
い
人
で
、
悪
い
人
は
ト
コ
ト
ン
悪
い
人
と
い
っ
た
ル
コ
、
シ
リ
ア
、
レ
バ
ノ
ン
、
ヨ
ル
ダ
ン
、
イ
ス
ラ
エ
ル
、
エ
ジ
プ
ト
、
の
六
カ
国
を
巡
る
旅
だ
っ
た
。
『
ア
ラ
ブ
の
春
』
と
呼
ば
れ
る
民
主
化
運
動
の
直
前
、
私
は
中
東
地
域
を
旅
し
て
い
た
。
そ
れ
は
、
ト
『
イ
ス
ラ
ー
ム
世
界
の
自
己
考
察
』
著作権者:SHOSAKU 事務所
る
の
で
、
信
仰
宗
教
は
ど
ん
ど
ん
勢
力
を
拡
大
し
て
い
る
。
し
た
社
会
を
つ
く
っ
て
い
た
の
で
、
オ
ウ
ム
真
理
教
を
駆
逐
で
き
た
。
現
在
の
中
東
地
域
は
混
乱
し
て
い
信
仰
宗
教
は
社
会
が
混
乱
す
れ
ば
す
る
ほ
ど
、
そ
の
求
心
力
は
高
ま
っ
て
い
く
。
日
本
は
た
ま
た
ま
安
定
な
し
て
い
る
。
オ
ウ
ム
真
理
教
が
仏
教
を
名
乗
っ
て
社
会
を
混
乱
に
陥
れ
よ
う
と
し
た
の
と
同
じ
構
造
だ
。
シ
リ
ア
と
イ
ラ
ク
の
一
部
を
支
配
し
て
い
る
I
S
I
L
(
ア
イ
シ
ル
)
は
、
も
は
や
信
仰
宗
教
の
体
を
経
て
過
激
派
に
な
っ
て
い
っ
た
。
http://www.sho39.com
主
張
に
賛
同
し
た
ム
ス
リ
ム
が
、
イ
ス
ラ
エ
ル
と
の
中
東
戦
争
や
、
ソ
連
と
の
ア
フ
ガ
ニ
ス
タ
ン
紛
争
を
「
ゆ
る
~
~
~
く
し
て
い
る
か
ら
キ
リ
ス
ト
教
徒
に
植
民
地
化
さ
れ
た
の
だ
」
と
い
っ
た
主
張
だ
。
そ
の
キ
リ
ス
ト
教
徒
の
勃
興
に
よ
っ
て
、
ム
ス
リ
ム
の
間
で
ゆ
る
~
~
~
い
宗
教
へ
の
反
発
が
お
こ
っ
た
。
ラ
ム
法
学
者
の
解
釈
に
よ
っ
て
厳
し
く
も
で
き
て
し
ま
う
。
ご
く
ご
く
当
た
り
前
に
中
東
地
域
で
商
売
を
し
て
い
る
。
ゆ
る
~
~
~
い
反
面
、
ゆ
る
す
ぎ
る
の
で
イ
ス
い
の
で
、
古
来
よ
り
他
者
の
信
教
の
自
由
も
認
め
て
き
た
。
十
字
軍
の
時
代
、
多
く
の
キ
リ
ス
ト
教
徒
が
、
ろ
う
が
、
や
る
こ
と
さ
え
や
っ
て
し
ま
え
ば
、
あ
と
は
自
由
気
ま
ま
に
行
動
で
き
る
。
他
者
に
干
渉
し
な
に
祈
り
を
さ
さ
げ
る
こ
と
で
成
立
し
て
い
る
の
で
、
祈
り
の
時
間
に
遅
れ
よ
う
が
、
作
法
が
自
己
流
で
あ
あ
る
。
人
々
の
協
調
を
旨
と
し
、
空
気
の
中
で
な
ん
と
な
く
着
地
点
を
探
っ
て
い
く
。
各
々
が
勝
手
に
神
一
般
的
に
イ
ス
ラ
ー
ム
は
戒
律
の
厳
し
い
宗
教
と
思
わ
れ
て
い
る
が
、
実
際
は
ゆ
る
~
~
~
い
宗
教
で
13
い
た
た
め
、
イ
ス
ラ
ー
ム
が
日
本
社
会
に
入
り
込
む
隙
が
な
か
っ
た
」
と
の
論
だ
。
た
だ
し
、
そ
れ
以
外
に
も
理
由
が
あ
る
よ
う
に
私
は
考
え
る
。
「
イ
ス
ラ
ー
ム
が
日
本
人
の
思
想
に
似
て
た
く
戒
律
の
な
い
仏
教
に
変
え
て
し
ま
っ
た
の
だ
か
ら
、
そ
の
論
は
正
し
い
だ
ろ
う
。
ん
だ
た
め
で
あ
る
」
と
い
っ
た
趣
旨
の
こ
と
を
述
べ
て
い
る
。
日
本
人
は
戒
律
の
厳
し
い
仏
教
を
、
ま
っ
で
あ
れ
ほ
ど
浸
透
し
た
イ
ス
ラ
ー
ム
が
、
日
本
に
浸
透
し
な
か
っ
た
の
は
、
日
本
人
が
戒
律
の
厳
守
を
拒
小
室
直
樹
氏
は
、
著
作
『
日
本
人
の
た
め
の
イ
ス
ラ
ム
原
論
』
(
集
英
社
)
に
お
い
て
、
「
東
南
ア
ジ
ア
小
僧
を
思
わ
せ
る
。
良
家
の
ム
ス
リ
ム
が
世
を
正
し
て
い
く
様
は
、
水
戸
黄
門
そ
の
も
の
だ
っ
た
。
と
さ
せ
、
不
法
者
に
対
し
て
な
ら
ず
も
の
集
団
が
立
ち
向
か
っ
て
い
く
様
は
、
清
水
の
次
郎
長
や
ネ
ズ
ミ
ー
ム
法
学
者
が
裁
判
で
原
告
と
被
告
の
判
決
を
行
う
様
は
、
ま
る
で
大
岡
越
前
や
遠
山
の
金
さ
ん
を
彷
彿
解
決
を
ム
ス
リ
ム
の
良
心
に
求
め
、
人
々
の
空
気
の
中
で
な
ん
と
な
く
着
地
点
を
探
っ
て
い
く
。
イ
ス
ラ
そ
の
過
程
で
、
イ
ス
ラ
ー
ム
の
思
想
が
日
本
人
の
思
想
に
近
い
こ
と
に
ハ
ッ
と
さ
せ
ら
れ
た
。
紛
争
の
ス
ラ
ー
ム
の
教
え
や
風
習
を
読
み
解
い
て
い
っ
た
。
人
政
権
が
分
立
し
、
ト
ル
コ
・
モ
ン
ゴ
ル
系
国
家
か
ら
オ
ス
マ
ン
帝
国
へ
と
つ
な
が
る
歴
史
を
学
び
、
イ
ム
ハ
ン
マ
ド
が
メ
デ
ィ
ナ
で
ウ
ン
マ
(
イ
ス
ラ
ー
ム
国
家
)
を
つ
く
り
、
正
統
カ
リ
フ
の
時
代
を
経
て
軍
ま
っ
た
く
解
ら
な
い
。
私
に
唯
一
で
き
る
こ
と
は
、
ひ
た
す
ら
中
東
の
歴
史
文
化
を
学
ぶ
こ
と
だ
っ
た
。
著作権者:SHOSAKU 事務所
『
イ
ス
ラ
ー
ム
世
界
の
自
己
考
察
(
イ
ス
ラ
ー
ム
論
)
』
了
。
http://www.sho39.com
私
と
し
て
は
、
ひ
た
す
ら
学
び
、
祈
る
し
か
な
い
よ
う
に
思
う
。
写真:SHOSAKU事務所
『
聖
墳
墓
教
会
』
花
房
尚
作
14
援
助
し
て
、
社
会
の
安
定
を
促
し
て
い
く
。
こ
れ
に
対
し
て
日
本
政
府
が
で
き
る
こ
と
は
、
底
辺
の
人
々
へ
の
人
道
援
助
だ
ろ
う
。
積
極
的
に
人
道
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『
岩
の
ド
ー
ム
』
底
か
ら
、
あ
り
が
と
う
ご
ざ
い
ま
し
た
、
と
書
き
記
し
て
、
そ
の
お
礼
と
さ
せ
て
頂
く
。
写真:SHOSAKU事務所
花
房
尚
作
15
ゆ
か
な
い
の
で
、
多
く
の
書
物
と
触
れ
合
い
、
知
識
を
向
上
さ
せ
て
も
ら
っ
た
縁
に
感
謝
し
つ
つ
、
心
の
が
ほ
と
ん
ど
で
あ
っ
て
、
こ
こ
に
記
す
こ
と
が
困
難
で
あ
る
。
著
者
名
や
書
名
を
適
当
に
書
く
わ
け
に
も
の
た
め
、
そ
れ
ら
の
著
書
を
参
考
文
献
と
し
て
紹
介
す
る
べ
き
な
の
だ
が
、
頭
の
中
で
う
る
覚
え
の
著
書
生
の
中
で
多
く
の
学
者
や
研
究
家
の
著
書
を
読
み
、
そ
れ
ら
の
積
み
重
ね
に
よ
っ
て
書
か
れ
て
い
る
。
そ
本
論
文
は
私
の
頭
の
中
に
あ
る
持
論
を
、
そ
の
ま
ま
書
き
記
し
て
い
る
。
と
は
い
え
、
こ
れ
ま
で
の
人
『
参
考
文
献
に
つ
い
て
』
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