( 注 ) 本 作 品 の 著 作 権 は 『 S H O S A K U 事 務 所 』 に 帰 属 し て い ま す 。 制 作 作 者 花 房 尚 作 S H O S A K U 事 務 所 ( イ ス ラ ー ム 論 ) 『 イ ス ラ ー ム 世 界 の 自 己 考 察 』 論 文 作 品 著作権者:SHOSAKU 事務所 今 後 、 追 記 や 修 正 を 施 し て 本 文 と し て い く 。 少 し で も 読 者 の お 役 に 立 て ば と 思 い 、 完 成 前 に 公 開 し た 。 http://www.sho39.com 本 論 文 は 作 成 中 の も の で あ る 。 『 イ ス ラ ー ム 世 界 の 自 己 考 察 』 『 ウ マ イ ヤ ド ・ モ ス ク 』 写真:SHOSAKU事務所 1 『 イ ラ ン ・ イ ラ ク の 話 』 『 イ ス ラ エ ル の 話 』 『 キ リ ス ト 教 徒 の 話 』 『 ユ ダ ヤ 人 の 話 』 目 『 次 ア ブ ラ ハ ム の 神 』 『 イ ス ラ ー ム 世 界 の 自 己 考 察 ( イ ス ラ ー ム 論 ) 』 著作権者:SHOSAKU 事務所 「 天 主 教 法 ( キ リ ス ト 教 ) と 源 を 同 じ う し て 派 を 異 に す る も の な り 」 し て い る 。 イ エ ス も 予 言 者 と し て 登 場 す る 。 江 戸 時 代 中 期 の 学 者 、 新 井 白 石 は イ ス ラ ー ム を こ う 説 明 神 か ら の 啓 示 の 決 定 版 と さ れ る コ ー ラ ン に は 、 旧 約 ・ 新 約 聖 書 の 物 語 を 始 め 、 モ ー セ や http://www.sho39.com 唯一の神 ア ダ ム ノ ア ア ブ ラ ハ ム 十 戒 詩 編 福 音 書 コ ー ラ ン モ ー セ ダ ビ デ イ エ ス ム ハ ン マ ド 新 約 聖 書 コ ー ラ ン 預言者(使徒) 旧約聖書 2 の ド ー ム 』 、 そ れ ら は 全 て エ ル サ レ ム に あ る 。 ス ス 徒 れ ユ リ ト 。 モ ぞ ユ ダ ム 教 イ ー れ ダ ヤ 。 徒 エ セ の ヤ 教 。 ス と 宗 教 の ム と い 教 、 聖 ハ い う に キ 地 ン う 使 分 リ 『 マ 使 徒 派 ス 嘆 ド 徒 を し ト き を を 通 て 教 の 通 通 じ い 、 壁 じ じ て る イ 』 て て 伝 。 ス 、 ラ 伝 伝 わ キ わ わ っ ー リ た ム っ っ ス た た の と ト も の の が 教 が が 『 に の 、 『 『 十 聖 コ 福 戒 信 地 』 じ ー 音 『 ラ 書 で る 聖 あ 神 ン 』 墳 』 で り 様 墓 、 は で あ 教 そ 同 あ り 会 れ じ り 、 』 、 で 、 そ を イ あ こ れ 信 ス り れ を じ ラ 、 を 信 た ー 旧 信 じ 人 ム 約 じ る 々 の 聖 る 人 が 聖 書 人 々 ユ 地 か 々 が ダ 『 ら が キ ヤ 岩 そ ム リ 教 『 ア ブ ラ ハ ム の 神 』 著作権者:SHOSAKU 事務所 http://www.sho39.com 『 シ ナ イ 山 』 写真:SHOSAKU事務所 な い 。 あ と 、 イ エ ス ・ キ リ ス ト の 『 キ リ ス ト 』 は 氏 名 で は な く 、 『 救 世 主 』 の 意 味 で あ る 。 3 は な い 。 ま た 、 コ ー ラ ン を 信 じ る 人 々 は 『 ム ス リ ム 』 で あ っ て 『 イ ス ラ ー ム 教 徒 』 と 呼 ば ち な み に 『 イ ス ラ ー ム 』 と い う 言 葉 自 体 が 宗 教 を 指 す の で 、 『 イ ス ラ ー ム 教 』 と 呼 ぶ 必 要 め る こ と に な る 。 ラ ン を 否 定 し て い る 。 こ れ を 認 め て し ま う と 自 分 達 に く だ っ た 啓 示 が 不 完 全 で あ っ た と 認 イ ス ラ ー ム が 旧 約 聖 書 や 新 約 聖 書 を 認 め て る の に 対 し て 、 ユ ダ ヤ 教 や キ リ ス ト 教 は コ ー 著作権者:SHOSAKU 事務所 う し た 傾 向 に あ る 。 シ ル ク ロ ー ド の 時 期 に 活 躍 し た ア ラ ブ の 商 人 は 、 そ う し た 土 壌 か ら 生 の 文 化 を も っ て い た 。 こ れ は モ ン ゴ ル な ど も 同 じ で 、 牧 畜 を 生 業 と す る 民 族 の 多 く は 、 そ ち な み に 古 来 か ら 、 ア ラ ブ 地 域 の 人 々 は ベ ド ウ ィ ン と 呼 ば れ る 遊 牧 生 活 を 営 み 、 移 住 型 知 識 人 を 生 み 出 し て い く 。 を 推 奨 し 、 健 全 な 金 銭 感 覚 を 培 っ て い っ た 。 そ の 結 果 と し て 、 後 に 多 く の 優 秀 な 科 学 者 や http://www.sho39.com 世 界 各 地 に 散 っ た ユ ダ ヤ 人 は 、 反 乱 の 失 敗 う け て 平 和 主 義 に 傾 斜 し て い っ た 。 生 涯 学 習 の 聖 地 と な っ た 。 ラ ー ム 教 徒 に な っ て い く 。 そ の た め 、 エ ル サ レ ム は 、 ユ ダ ヤ 教 、 キ リ ス ト 教 、 イ ス ラ ー ム ユ ダ ヤ 人 追 放 後 、 パ レ ス チ ナ の 地 に や っ て き た の は ア ラ ブ 人 で 、 彼 ら は 7 世 紀 か ら イ ス の で あ る 。 ナ の 地 で キ リ ス ト 教 を 誕 生 さ せ る 一 方 、 ユ ダ ヤ 人 を 亡 国 の 民 と し て 世 界 各 地 に 分 散 さ せ た 二 度 の 反 乱 を 受 け て 、 ロ ー マ 帝 国 は ユ ダ ヤ 人 の 追 放 を 決 意 し た 。 ロ ー マ 帝 国 は パ レ ス チ 人 は 再 び 反 乱 を 起 こ し た 。 こ の 反 乱 も ロ ー マ 帝 国 の 軍 隊 に 制 圧 さ れ て し ま う 。 か し ユ ダ ヤ 人 に と っ て 多 神 教 を 信 仰 し て い る ロ ー マ 人 は 抹 殺 す る べ き 存 在 だ っ た 。 ユ ダ ヤ ま る て パ ロ う そ 。 旧 い レ 初 ー 。 こ 厳 約 る ス 期 マ で 格 聖 ロ テ の 帝 ユ な 書 ー ィ ロ 国 ダ 信 に マ ナ ー は ヤ 仰 は 人 で マ 制 人 心 、 は の 帝 圧 は を 異 抹 ユ 国 後 反 持 教 殺 ダ は も 乱 つ 徒 す ヤ 宗 、 を ユ は る 人 教 ユ 起 ダ 皆 べ 自 に ダ し ヤ 殺 き 治 対 ヤ た 人 し 存 を し 人 。 に に 在 認 て た そ と し だ め と ち の っ て っ て て が 反 て も た い も パ 乱 、 構 。 た 寛 レ 。 容 は 皆 わ ス ロ 殺 な と な テ こ 政 ー し い こ ィ と マ ろ 策 ナ 帝 そ 解 が を の ユ と 国 が 釈 正 地 で ダ っ の に 軍 義 き ヤ て 住 人 い 隊 に る な む 記 に た に こ あ る 述 と 。 。 と ( っ 信 え を ヨ な て 教 認 シ 多 の く め ュ 制 神 自 て ア 圧 教 由 い 記 を を さ た ) 信 保 れ 。 が て 仰 障 し あ し し し 、 4 称 が 一 般 的 に な っ て い る 。 そ れ ら は 『 ユ ダ ヤ 人 』 、 ま た は 『 ヘ ブ ラ イ 人 』 と 呼 ば れ て き た 。 現 在 で は 『 ユ ダ ヤ 人 』 の 名 現 在 パ レ ス チ ナ と 呼 ば れ る 地 域 に は 、 古 く か ら ユ ダ ヤ 教 を 信 仰 す る 人 々 が 住 ん で い た 。 『 ユ ダ ヤ 人 の 話 』 著作権者:SHOSAKU 事務所 http://www.sho39.com 『 嘆 き の 壁 』 写真:SHOSAKU事務所 5 民 族 で あ っ た た め 、 土 着 的 な 定 住 文 化 が 定 着 し た の だ ろ う 。 私 が 中 東 を 旅 し た 時 も 、 多 く の ベ ド ウ ィ ン が 山 や 砂 漠 で 暮 ら し て い た 。 逆 に 日 本 は 農 耕 た 背 景 を 受 け て ア ラ ブ 人 の 定 住 化 政 策 を 行 っ て い る 。 ま れ た 。 1 3 7 0 年 か ら 1 5 0 7 年 ま で 中 東 の 覇 権 を 握 っ て い た テ ィ ム ー ル 朝 は 、 そ う し 著作権者:SHOSAKU 事務所 支 配 下 に あ っ て 不 満 を 募 ら せ て い る ア ラ ブ 人 に 対 し 、 「 イ ギ リ ス に 協 力 す る な ら ア ラ ブ 人 に http://www.sho39.com と っ が な に 運 諸 当 し た ま 起 そ ど 収 動 1 国 時 時 た 。 だ こ の の め の 9 は 代 、 。 ド 戦 る う 列 て 波 世 、 は 中 イ 車 。 ち 強 お が 紀 帝 流 東 植 は き 押 後 国 れ ツ の 地 と 無 民 軍 た し 半 主 て 域 の か 地 事 い 寄 か 義 1 を の 介 列 せ ら の 9 戦 っ 支 線 た 分 入 強 る 2 時 世 配 捕 し に 。 0 代 紀 が 時 し 膠 代 り 、 と 国 世 に 、 て 合 こ っ 民 紀 突 産 着 、 い 戦 と て の 前 入 業 状 機 た が ご 不 多 半 し 革 態 関 の に 銃 過 と 都 数 、 て 命 は 熱 く 合 決 ヨ い を 陥 を オ っ 備 し 民 な で ー た 経 ス 、 主 制 国 ロ 。 て た え マ お 化 度 家 ッ 科 イ つ ン 互 の だ 方 パ 学 ギ け 帝 い 波 っ 針 の 、 リ た 国 の を た が 近 技 ス 塹 だ 利 潰 。 決 代 術 は 壕 っ 害 し そ ま 化 、 、 に た 三 は が て こ る の 産 。 枚 、 ぶ い で 民 影 業 イ つ っ イ 主 響 、 舌 易 ギ に 々 か た ギ 主 を 政 リ よ と り 。 リ 義 受 治 ス あ を っ 近 ス は け は て づ っ 、 、 、 革 、 て 新 戦 く フ ア 中 オ 況 こ 第 ラ ラ 東 し ス 一 た を と ン ブ 地 マ 次 ヨ 打 が ス 諸 域 ン 開 で 世 ー 、 国 に 帝 し き 界 ロ ロ を 民 国 大 ッ よ な シ 手 主 の う か 戦 パ ア 中 化 っ ー る た ロ 。 十 。 ッ 1 字 パ 1 軍 諸 8 の 侯 7 宗 は 年 教 繰 、 的 り エ 意 返 ル 図 し サ を 十 レ 知 字 ム っ 軍 を た を 奪 イ 派 い ス 遣 返 ラ す し ー る 、 ム が 中 諸 、 東 侯 イ の は ス 地 、 ラ か ジ ー ら ハ ム 十 ー 諸 字 ド 国 軍 ( に を 聖 全 追 戦 く い ) も 出 を っ し 掲 て た げ 歯 。 て が そ 逆 立 の 襲 た 後 に な 、 転 か ヨ じ 6 結 ぶ イ ス ラ ー ム 諸 侯 も 多 か っ た 。 を も っ た 軍 隊 と し て 認 識 し て い な か っ た 。 敵 の 敵 は 味 方 、 と い っ た 具 合 に 、 十 字 軍 と 手 を い と も た や す く 征 服 で き た 。 ま た 、 当 時 の イ ス ラ ー ム 諸 侯 は 、 十 字 軍 を 特 別 な 宗 教 的 意 図 当 時 の 中 東 地 域 は 日 本 の 戦 国 時 代 の よ う な 分 裂 状 態 に あ り 、 十 字 軍 は そ の 間 隙 を ぬ っ て を 建 設 し た 。 発 。 1 0 9 9 年 7 月 に は エ ル サ レ ム 奪 還 に 成 功 し 、 シ リ ア の 湾 岸 地 域 に 四 つ の 十 字 軍 国 家 1 0 9 6 年 、 ヨ ー ロ ッ パ 諸 侯 は 、 こ の 呼 び か け に 応 じ て 十 字 軍 を 結 成 し 、 西 欧 各 地 を 出 は 、 聖 地 奪 還 を 呼 び 掛 け 、 エ ル サ レ ム へ の 十 字 軍 派 遣 を 要 請 し た 。 1 0 9 5 年 、 ク レ ル モ ン で 開 か れ た 宗 教 会 議 に お い て 、 キ リ ス ト 教 皇 の ウ ル バ ヌ ス 2 世 『 キ リ ス ト 教 徒 の 話 』 著作権者:SHOSAKU 事務所 http://www.sho39.com 当 然 の 如 く ア ラ ブ 人 は 猛 反 発 し た が 、 列 強 の 軍 事 力 に 太 刀 打 ち で き な か っ た 。 絵:SHOSAKU事務所 7 族 や ク ル ド 民 族 は 国 境 線 で 分 断 さ れ た 。 線 が 引 か れ 、 ア ラ ブ 人 へ の 約 束 は 破 ら れ て し ま う 。 シ ー ア 派 や ス ン ニ 派 、 そ の 他 の 少 数 民 ク と ヨ ル ダ ン は イ ギ リ ス の 植 民 地 と な っ た 。 中 東 地 域 に ア フ リ カ 大 陸 と 同 じ 直 線 的 な 国 境 第 一 次 大 戦 後 、 『 サ イ ク ス ・ ピ コ 協 定 』 に よ っ て 、 シ リ ア と レ バ ノ ン は フ ラ ン ス の 、 イ ラ 約 し て い た 。 こ れ を 『 サ イ ク ス ・ ピ コ 協 定 』 と 言 う 。 そ の う え で 、 フ ラ ン ス と ロ シ ア に 対 し 、 第 一 次 世 界 大 戦 後 の 中 東 分 割 ( 植 民 地 化 ) を 密 ナ の 地 に ユ ダ ヤ 人 の 国 家 建 設 を 認 め る 」 と 約 束 し た 。 こ れ を 『 バ ル フ ォ ア 宣 言 』 と 言 う 。 一 方 で 、 ユ ダ ヤ 人 の 大 富 豪 で あ る ロ ス チ ャ イ ル ド か ら 資 金 提 供 を 受 け る た め 、 「 パ レ ス チ よ る 建 国 を 支 援 す る 」 と 約 束 し た 。 こ れ を 『 フ セ イ ン ・ マ ク ラ ホ ン 協 定 』 と 言 う 。 著作権者:SHOSAKU 事務所 こ ち ら は お 返 し に ト ル コ の 財 政 の 完 璧 な 管 理 を 引 き 受 け て よ い 」 ( 板 垣 雄 三 訳 ) 。 ろ う 。 も し ス ル タ ン 陛 下 ( オ ス マ ン 帝 国 ) が わ れ わ れ に パ レ ス テ ィ ナ を 与 え る と な れ ば 、 っ て 忘 れ が た い 歴 史 的 郷 土 で あ る 。 そ の 名 は 、 す ば ら し く 効 果 的 な 召 集 の 呼 び 声 と な る だ れ る も の を と り 、 ユ ダ ヤ 人 世 論 の 好 む と こ ろ を と る だ ろ う 。 … … パ レ ス テ ィ ナ は 我 々 に と 「 パ レ ス テ ィ ナ を 選 ぶ か 、 そ れ と も ア ル ゼ ン チ ン を 選 ぶ か 。 組 織 は ど こ で あ れ あ た え ら http://www.sho39.com つ ぎ の よ う に 述 べ て い る 。 ム 運 動 ( ユ ダ ヤ 国 家 建 設 運 動 ) の 提 唱 者 で あ る ヘ ル ツ ル は 、 そ の 著 書 『 ユ ダ ヤ 人 国 家 』 で 会 的 状 況 に 応 じ 、 様 々 な 「 ユ ダ ヤ 人 国 家 計 画 」 が 持 ち 上 が っ て は 消 え て い っ た 。 シ オ ニ ズ を 打 つ べ く 、 1 8 世 紀 か ら ユ ダ ヤ 国 家 建 設 の 議 論 が さ か ん に な り 、 そ の 時 々 の 政 治 的 ・ 社 ユ ダ ヤ 人 は 祖 国 が 無 い こ と で 、 常 に 苦 渋 を 味 わ っ て き た 歴 史 が あ る 。 そ の 歴 史 に 終 止 符 よ り も 軽 く 扱 っ た 。 と 相 場 が 決 ま っ て い る 。 そ う し た 歴 史 の 背 景 が あ っ て 、 ナ チ ス は ユ ダ ヤ 人 の 命 を 、 虫 の 命 キ リ ス ト 教 徒 に お い て ユ ダ ヤ 人 を 迫 害 す る の は 正 義 だ っ た 。 古 典 文 学 の 悪 者 は ユ ダ ヤ 人 対 す る 免 罪 事 件 ( ド レ フ ュ ス 事 件 ) 等 な ど 、 例 を あ げ れ ば 切 が な く な る 。 8 8 年 の フ ラ ン ス で の ユ ダ ヤ 人 大 量 虐 殺 、 1 8 9 4 年 に フ ラ ン ス で 起 こ っ た ユ ダ ヤ 人 軍 人 に 例 え ば 、 ロ シ ア 帝 国 で の ポ グ ロ ム と 呼 ば れ る ユ ダ ヤ 人 へ の 集 団 的 な 暴 行 と 殺 戮 、 1 3 4 れ た 理 由 で 、 事 あ る ご と に ユ ダ ヤ 人 を 大 量 虐 殺 し 、 そ の 資 産 を 奪 っ た 。 キ リ ス ト 教 徒 は 、 『 イ エ ス を 殺 し た 恨 み 』 と い っ た 、 本 来 の キ リ ス ト 教 の 精 神 と は か け 離 論 で は 太 刀 打 ち で き ず 、 暴 力 に よ る 抑 圧 を 強 め て い く 。 教 的 信 念 に よ る 生 涯 学 習 の 重 視 は 、 キ リ ス ト 教 徒 に と っ て 脅 威 で も あ っ た 。 ど う し て も 議 ユ ダ ヤ 人 の 成 功 は 、 キ リ ス ト 教 徒 に と っ て や り 場 の な い 嫉 妬 心 を 生 み 出 し た 。 ま た 、 宗 服 し 、 商 業 的 な 成 功 を 勝 ち 得 て い っ た 。 別 を し て 優 越 感 に 浸 っ て い た 。 そ れ が い つ の 間 に か 、 ユ ダ ヤ 人 は 勤 勉 さ に よ っ て 差 別 を 克 コ ミ ニ テ ィ ー を 形 成 し て い っ た 。 そ れ に 対 し て キ リ ス ト 教 徒 は 、 職 業 を 制 限 す る な ど の 差 ロ ー マ 帝 国 に よ っ て パ レ ス テ ィ ナ か ら 追 放 さ れ た ユ ダ ヤ 人 は 、 ヨ ー ロ ッ パ 各 地 に 小 さ な 『 イ ス ラ エ ル の 話 』 著作権者:SHOSAKU 事務所 http://www.sho39.com エ ル 国 民 は 高 校 卒 業 後 、 男 性 は 3 年 、 女 性 は 2 年 の 兵 役 義 務 が あ る 。 4 2 号 ) 』 を 採 択 。 し か し 現 在 に 至 る ま で 実 現 さ れ ず 、 不 安 定 な 状 態 が 続 い て い る 。 イ ス ラ 軍 の 撤 退 、 及 び 、 イ ス ラ エ ル を 含 む 中 東 の す べ て の 国 の 主 権 と 生 存 権 を 確 認 す る 決 議 ( 2 そ の 後 、 計 4 度 の 中 東 戦 争 が 起 こ り 、 国 連 安 全 保 障 理 事 会 は 『 占 領 地 か ら の イ ス ラ エ ル 過 半 が 難 民 と な る 。 イ ス ラ エ ル は 西 側 地 区 と ガ ザ 地 区 を の ぞ く パ レ ス テ ィ ナ 全 土 を 掌 握 。 パ レ ス テ ィ ナ 人 の ル と 戦 争 に 突 入 。 ま ん ま と イ ギ リ ス の 狙 い 通 り に な っ た 。 9 で 、 ア ラ ブ 諸 国 の 猛 反 発 を 受 け る 。 ア ラ ブ 諸 国 は パ レ ス テ ィ ナ 分 割 案 に 反 対 し 、 イ ス ラ エ 1 9 4 8 年 、 イ ス ラ エ ル 建 国 。 ア ラ ブ 人 が 住 む 土 地 に 無 理 や り イ ス ラ エ ル を 建 国 し た の に 蔓 延 し た 時 期 で も あ る 。 ィ ナ が 荒 野 で あ る か の よ う な 宣 伝 も さ れ た 。 ア ラ ブ 世 界 に 対 す る 無 知 と 思 い 込 み が 世 界 中 ヨ ー ロ ッ パ で は 「 国 土 の な い 民 族 に 住 民 の い な い 土 地 を 」 と い っ た 、 あ た か も パ レ ス テ 狙 い も イ ギ リ ス に は あ っ た 。 介 な 問 題 を 国 外 に 輸 出 し た か っ た 。 同 時 に 、 ユ ダ ヤ 人 と ア ラ ブ 人 を 対 立 さ せ て 消 耗 さ せ る キ リ ス ト 教 徒 は 、 こ れ ま で ユ ダ ヤ 人 を 迫 害 し て き た 歴 史 を 鑑 み 、 ユ ダ ヤ 人 問 題 と い う 厄 ス チ ナ 地 方 で の ユ ダ ヤ 国 家 建 設 運 動 ( シ オ ニ ズ ム 運 動 ) が 本 格 化 し た 。 第 二 次 世 界 大 戦 後 、 ナ チ ス に よ る ユ ダ ヤ 人 の 大 虐 殺 が 知 れ 渡 る と 、 ユ ダ ヤ 人 に よ る パ レ 約 束 の 地 ・ パ レ ス チ ナ に 戻 り ユ ダ ヤ の 国 家 を 建 設 す る こ と を 夢 見 て い た 。 ユ ダ ヤ 人 は 1 9 0 0 年 ち か く 亡 国 の 民 だ っ た 。 ユ ダ ヤ 人 た ち は 各 地 に 離 散 し 、 い つ か は 著作権者:SHOSAKU 事務所 る 教 育 や 出 版 は 制 限 さ れ 、 最 下 層 の 地 位 に 追 い や ら れ る 。 多 く の ク ル ド 人 が 無 実 の 罪 で 国 れ る 。 そ の 結 果 、 ク ル ド 人 は 各 国 で 少 数 民 族 と な っ て し ま う 。 母 国 語 で あ る ク ル ド 語 に よ る が 、 大 英 帝 国 に よ っ て 旧 オ ス マ ン 帝 国 領 は ト ル コ 共 和 国 、 イ ラ ク 王 国 、 シ リ ア に 分 断 さ ー 朝 の 国 境 分 割 に よ っ て 居 住 区 が 二 つ の 国 家 に 分 断 さ れ た 。 第 一 次 大 戦 後 に 独 立 を 主 張 す そ の 人 口 は 2 5 0 0 ~ 3 0 0 0 万 人 と 推 定 さ れ る 。 1 7 世 紀 の オ ス マ ン 帝 国 と サ フ ァ ヴ ィ ク ル ド 人 の 居 住 地 域 は ト ル コ 南 東 部 、 イ ラ ク 北 部 、 イ ラ ン 西 部 、 シ リ ア 北 部 に ま た が り 、 http://www.sho39.com 後 、 ス ン ニ 派 を 次 々 と 粛 清 し て い っ た 。 こ れ に ク ル ド 人 も 加 わ っ て イ ラ ク は 大 混 乱 に 陥 る 。 派 は 、 こ れ ま で 受 け て き た 屈 辱 を 忘 れ ら れ な か っ た 。 そ の 恨 み は 深 く 、 ア メ リ カ 軍 の 撤 退 く り あ げ た 。 と こ ろ が 民 主 主 義 は 多 数 決 に よ っ て 方 針 が 決 ま っ て し ま う 。 多 数 派 の シ ー ア ん で い た 。 ア メ リ カ 合 衆 国 は 、 そ の フ セ イ ン 政 権 を 壊 滅 さ せ 、 民 主 主 義 に 基 づ く 政 権 を つ か つ て イ ラ ク の サ ダ ム ・ フ セ イ ン は 、 イ ラ ク の 最 大 多 数 で あ る シ ー ア 派 を 暴 力 で 抑 え 込 め ず 、 駆 逐 す る べ き 邪 教 と し て 捉 え て い る 。 格 な ス ン ニ 派 か ら 見 れ ば 、 自 由 奔 放 な 血 統 主 義 の シ ー ア 派 は 異 端 で あ り 、 ム ス リ ム と は 認 こ れ に 対 し て ス ン ニ 派 は 、 ス ン ナ ( 慣 例 ) を 重 視 し 、 戒 律 を 厳 格 に 守 る 傾 向 が あ る 。 厳 な け れ ば 、 戒 律 に 縛 ら れ る 必 要 は な い 。 ひ っ そ り と 断 食 中 に 飲 食 を し て い る 。 本 人 と 神 と の 関 係 を 重 視 し て い る の で 、 お お ぴ ら で 10 現 在 の イ ラ ン で は 、 ブ ル カ の 着 用 は 禁 じ ら れ て お り 、 人 々 は ひ っ そ り と ア ル コ ー ル を 飲 み 、 め ま ぐ る し く 変 わ る た め 、 『 戒 律 に よ る 縛 り 』 よ り も 『 信 仰 の 内 面 』 を 重 視 す る 傾 向 に あ る 。 教 義 の 側 面 と し て 、 シ ー ア 派 は 血 統 主 義 に 基 づ い た 指 導 者 の 資 質 に よ っ て 、 そ の 方 針 が 5 % 程 だ 。 そ の 1 5 % は イ ラ ク と イ ラ ン に 集 中 し て い る 。 統 主 義 へ の 反 発 は イ ス ラ ー ム 世 界 も 同 様 で 、 シ ー ア 派 の ム ス リ ム 全 体 に 占 め る 割 合 は 1 の 拠 点 で あ る イ ラ ン を 『 悪 の 枢 軸 』 と 名 指 し し た の も 、 こ の 血 統 主 義 に 基 づ い て い る 。 血 世 界 の 流 れ と し て 血 統 主 義 は 批 判 さ れ る 対 象 に な っ て い る 。 ア メ リ カ 合 衆 国 が シ ー ア 派 の 違 い か ら 、 イ ス ラ ー ム 史 の 比 較 的 初 期 に 分 派 し て い る 。 し 、 イ ス ラ ム 法 学 者 や 住 民 代 表 が 合 議 し て 各 地 域 で 方 針 を 決 め る 。 後 継 者 の 資 格 に つ い て 引 く 子 孫 に 、 指 導 者 と し て の 資 格 が あ る と 考 え る 。 シ ー ア 派 は 血 統 主 義 を 断 固 と し て 拒 否 イ ス ラ ー ム 世 界 は 、 シ ー ア 派 と ス ン ニ 派 に 分 か れ て い る 。 シ ー ア 派 は ム ハ ン マ ド の 血 を 『 イ ラ ン ・ イ ラ ク の 話 』 著作権者:SHOSAKU 事務所 http://www.sho39.com い ン 日 る 人 本 ま 。 が へ た 親 の 、 日 直 日 化 行 本 し 便 と た が イ 。 就 ラ そ 航 ン う し は し て 、 た 多 1 背 く 9 景 の 7 が イ 4 あ ラ 年 っ ン ~ て 人 1 、 が 9 日 来 9 本 日 2 人 。 年 旅 日 ま 行 本 で 者 の 、 の 文 V 間 化 I で を S イ 知 A ラ る 相 ン こ 互 は と 免 楽 で 除 園 、 協 と 多 定 呼 く を ば の 結 れ イ び て ラ 、 ム 法 学 者 に よ る ム ス リ ム の た め の 国 家 を つ く っ た 。 年 の イ ラ ン ・ イ ス ラ ー ム 革 命 に よ っ て 君 主 制 を 打 倒 。 欧 米 列 強 の 影 響 を 受 け な い イ ス ラ ー そ の 後 、 イ ラ ン は イ ギ リ ス の 度 重 な る 干 渉 を 受 け な が ら も 近 代 化 を 推 し 進 め 、 1 9 7 9 11 の 念 を 持 つ 。 わ ゆ る 『 日 章 丸 事 件 』 で あ る 。 こ れ を 切 っ 掛 け と し て イ ラ ン の 人 々 は 、 日 本 人 へ 強 い 感 謝 光 石 油 は 石 油 タ ン カ ー を 派 遣 。 見 事 に 海 上 封 鎖 を 突 破 し て 日 本 に 石 油 を 持 ち か え っ た 。 い 付 に 来 た タ ン カ ー の 撃 沈 を 国 際 社 会 に 表 明 す る 。 そ の イ ラ ン に 、 日 本 の 民 間 会 社 で あ る 出 た イ ギ リ ス は 中 東 に 軍 艦 を 派 遣 し 、 事 実 上 の 経 済 制 裁 ・ 禁 輸 措 置 を 執 行 。 イ ラ ン へ 石 油 買 1 9 5 1 年 、 イ ラ ン は イ ギ リ ス の 干 渉 を 受 け な が ら も 石 油 施 設 の 国 有 化 を 宣 言 。 反 発 し に な っ て し ま う 。 人 の 間 で 有 名 に な っ て い る 。 イ ラ ン 人 は 心 の 底 か ら 世 話 を や い て く れ て 、 な に も か も 無 料 ち な み に 世 界 で 一 番 の 親 日 国 は 、 シ ー ア 派 国 家 の イ ラ ン で あ る 。 イ ラ ン の 親 日 ぶ り は 旅 え る 。 よ っ て ク ル ド 人 問 題 は 国 際 的 に 曖 昧 な 対 応 に な っ て い る 。 が 行 わ れ る の は 火 を 見 る よ り も 明 ら か だ 。 ク ル ド 人 国 家 の 建 設 は ユ ダ ヤ 人 以 上 に 困 難 と 言 続 い て い る 迫 害 へ の 恨 み は 深 く 、 も し 仮 に ク ル ド 人 の 国 家 建 設 を 許 し た な ら 、 激 し い 報 復 ユ ダ ヤ 人 が 商 人 気 質 で あ る の に 対 し 、 ク ル ド 人 は 軍 人 気 質 で あ る 。 ク ル ド 人 の 、 今 な お 家 警 察 に 連 行 さ れ 、 命 を 落 と し て い る 。 著作権者:SHOSAKU 事務所 ど う し た ら 中 東 地 域 に 日 本 の よ う な 平 和 を つ く り あ げ ら れ る の か 、 ず ~ と 考 え て い る が 、 域 を イ ラ ク に ま で 及 ぼ し て い る 。 派 の 旧 イ ラ ク 軍 人 と 結 託 し 、 シ リ ア の 内 戦 に 参 加 。 シ リ ア の 一 部 地 域 を 抑 え 、 そ の 支 配 地 リ バ ン 勢 力 だ っ た 。 テ ロ 組 織 の ア ル カ イ ダ か ら 分 派 し た I S I L ( ア イ シ ル ) は 、 ス ン ニ た 。 そ の 混 乱 に 乗 じ て 勢 力 を 拡 大 し た の が 、 テ ロ 組 織 の ア ル カ イ ダ や 、 原 理 主 義 組 織 の タ 入 し て し ま う 。 イ ラ ク で は シ ー ア 派 と ス ン ニ 派 の 対 立 や 、 ク ル ド 人 問 題 が 表 面 化 し て い っ http://www.sho39.com か ら 広 が っ た 現 政 権 へ の 抗 議 や デ モ 活 動 は 軍 事 衝 突 を 招 き 、 シ リ ア は 泥 沼 の 内 戦 状 態 に 突 中 東 地 域 が 混 乱 し た の は 、 日 本 に 帰 国 し て す ぐ だ っ た 。 チ ュ ニ ジ ア で の ジ ャ ス ミ ン 革 命 行 動 で き る 。 女 性 に と っ て 、 ブ ル カ の 着 用 は 優 し い 文 化 と 言 え る 。 煩 悩 に 悩 ま さ れ る こ と な く 、 気 楽 に 肌 の 露 出 は 、 自 ら の 美 を 披 露 し た い 欲 求 が 見 え 隠 れ し て い る 。 そ う し た 欲 求 を 持 た な い 人 の 肌 の 露 出 を 許 し て い る 寛 容 さ に 感 心 し た く ら い で あ る 。 く の 批 判 は 見 当 違 い だ と 解 る 。 む し ろ 肌 を 露 出 し て い る 外 国 人 の 方 が 異 常 に 見 え た 。 外 国 が な か っ た 。 そ の 地 域 に 行 っ て 、 そ の 文 化 に 触 れ て み れ ば 、 そ れ は ご く 当 り 前 で あ り 、 多 例 え ば 、 シ リ ア の 女 性 は ブ ル カ を 着 用 し て い る 。 そ の ブ ル カ に 対 し て 、 私 は 全 く 違 和 感 12 必 要 が あ る 。 大 き く 異 な る 。 お 互 い の 文 化 を 認 め 、 お 互 い の 文 化 の 違 い を 面 白 い と 感 じ 、 そ れ を 楽 し む 砂 の 中 で 暮 ら し て き た 遊 牧 民 族 と 、 森 の 中 で 暮 ら し て き た 農 耕 民 族 と で は 、 そ の 文 化 は 日 本 人 も ま た 、 広 大 な 砂 漠 で 暮 ら す 人 々 を 思 い 描 く の が 難 し い の だ ろ う 。 の 知 識 が な か っ た 。 中 東 地 域 か ら 遠 く 離 れ た 極 東 の 島 国 の こ と な ど 解 ら な く て 当 然 だ し 、 ま た 、 日 本 人 が 中 東 地 域 に つ い て の 知 識 が な い よ う に 、 中 東 地 域 の 人 々 も 日 本 に つ い て い 人 は そ ん な 私 に ト コ ト ン 優 し く 接 し て く れ た 。 も の だ っ た 。 そ の 差 が 激 し い の で 、 初 対 面 の 人 に は ま ず 性 悪 説 で 構 え る 必 要 が あ っ た 。 良 旅 を し て 感 じ た 印 象 は 、 良 い 人 は ト コ ト ン 良 い 人 で 、 悪 い 人 は ト コ ト ン 悪 い 人 と い っ た ル コ 、 シ リ ア 、 レ バ ノ ン 、 ヨ ル ダ ン 、 イ ス ラ エ ル 、 エ ジ プ ト 、 の 六 カ 国 を 巡 る 旅 だ っ た 。 『 ア ラ ブ の 春 』 と 呼 ば れ る 民 主 化 運 動 の 直 前 、 私 は 中 東 地 域 を 旅 し て い た 。 そ れ は 、 ト 『 イ ス ラ ー ム 世 界 の 自 己 考 察 』 著作権者:SHOSAKU 事務所 る の で 、 信 仰 宗 教 は ど ん ど ん 勢 力 を 拡 大 し て い る 。 し た 社 会 を つ く っ て い た の で 、 オ ウ ム 真 理 教 を 駆 逐 で き た 。 現 在 の 中 東 地 域 は 混 乱 し て い 信 仰 宗 教 は 社 会 が 混 乱 す れ ば す る ほ ど 、 そ の 求 心 力 は 高 ま っ て い く 。 日 本 は た ま た ま 安 定 な し て い る 。 オ ウ ム 真 理 教 が 仏 教 を 名 乗 っ て 社 会 を 混 乱 に 陥 れ よ う と し た の と 同 じ 構 造 だ 。 シ リ ア と イ ラ ク の 一 部 を 支 配 し て い る I S I L ( ア イ シ ル ) は 、 も は や 信 仰 宗 教 の 体 を 経 て 過 激 派 に な っ て い っ た 。 http://www.sho39.com 主 張 に 賛 同 し た ム ス リ ム が 、 イ ス ラ エ ル と の 中 東 戦 争 や 、 ソ 連 と の ア フ ガ ニ ス タ ン 紛 争 を 「 ゆ る ~ ~ ~ く し て い る か ら キ リ ス ト 教 徒 に 植 民 地 化 さ れ た の だ 」 と い っ た 主 張 だ 。 そ の キ リ ス ト 教 徒 の 勃 興 に よ っ て 、 ム ス リ ム の 間 で ゆ る ~ ~ ~ い 宗 教 へ の 反 発 が お こ っ た 。 ラ ム 法 学 者 の 解 釈 に よ っ て 厳 し く も で き て し ま う 。 ご く ご く 当 た り 前 に 中 東 地 域 で 商 売 を し て い る 。 ゆ る ~ ~ ~ い 反 面 、 ゆ る す ぎ る の で イ ス い の で 、 古 来 よ り 他 者 の 信 教 の 自 由 も 認 め て き た 。 十 字 軍 の 時 代 、 多 く の キ リ ス ト 教 徒 が 、 ろ う が 、 や る こ と さ え や っ て し ま え ば 、 あ と は 自 由 気 ま ま に 行 動 で き る 。 他 者 に 干 渉 し な に 祈 り を さ さ げ る こ と で 成 立 し て い る の で 、 祈 り の 時 間 に 遅 れ よ う が 、 作 法 が 自 己 流 で あ あ る 。 人 々 の 協 調 を 旨 と し 、 空 気 の 中 で な ん と な く 着 地 点 を 探 っ て い く 。 各 々 が 勝 手 に 神 一 般 的 に イ ス ラ ー ム は 戒 律 の 厳 し い 宗 教 と 思 わ れ て い る が 、 実 際 は ゆ る ~ ~ ~ い 宗 教 で 13 い た た め 、 イ ス ラ ー ム が 日 本 社 会 に 入 り 込 む 隙 が な か っ た 」 と の 論 だ 。 た だ し 、 そ れ 以 外 に も 理 由 が あ る よ う に 私 は 考 え る 。 「 イ ス ラ ー ム が 日 本 人 の 思 想 に 似 て た く 戒 律 の な い 仏 教 に 変 え て し ま っ た の だ か ら 、 そ の 論 は 正 し い だ ろ う 。 ん だ た め で あ る 」 と い っ た 趣 旨 の こ と を 述 べ て い る 。 日 本 人 は 戒 律 の 厳 し い 仏 教 を 、 ま っ で あ れ ほ ど 浸 透 し た イ ス ラ ー ム が 、 日 本 に 浸 透 し な か っ た の は 、 日 本 人 が 戒 律 の 厳 守 を 拒 小 室 直 樹 氏 は 、 著 作 『 日 本 人 の た め の イ ス ラ ム 原 論 』 ( 集 英 社 ) に お い て 、 「 東 南 ア ジ ア 小 僧 を 思 わ せ る 。 良 家 の ム ス リ ム が 世 を 正 し て い く 様 は 、 水 戸 黄 門 そ の も の だ っ た 。 と さ せ 、 不 法 者 に 対 し て な ら ず も の 集 団 が 立 ち 向 か っ て い く 様 は 、 清 水 の 次 郎 長 や ネ ズ ミ ー ム 法 学 者 が 裁 判 で 原 告 と 被 告 の 判 決 を 行 う 様 は 、 ま る で 大 岡 越 前 や 遠 山 の 金 さ ん を 彷 彿 解 決 を ム ス リ ム の 良 心 に 求 め 、 人 々 の 空 気 の 中 で な ん と な く 着 地 点 を 探 っ て い く 。 イ ス ラ そ の 過 程 で 、 イ ス ラ ー ム の 思 想 が 日 本 人 の 思 想 に 近 い こ と に ハ ッ と さ せ ら れ た 。 紛 争 の ス ラ ー ム の 教 え や 風 習 を 読 み 解 い て い っ た 。 人 政 権 が 分 立 し 、 ト ル コ ・ モ ン ゴ ル 系 国 家 か ら オ ス マ ン 帝 国 へ と つ な が る 歴 史 を 学 び 、 イ ム ハ ン マ ド が メ デ ィ ナ で ウ ン マ ( イ ス ラ ー ム 国 家 ) を つ く り 、 正 統 カ リ フ の 時 代 を 経 て 軍 ま っ た く 解 ら な い 。 私 に 唯 一 で き る こ と は 、 ひ た す ら 中 東 の 歴 史 文 化 を 学 ぶ こ と だ っ た 。 著作権者:SHOSAKU 事務所 『 イ ス ラ ー ム 世 界 の 自 己 考 察 ( イ ス ラ ー ム 論 ) 』 了 。 http://www.sho39.com 私 と し て は 、 ひ た す ら 学 び 、 祈 る し か な い よ う に 思 う 。 写真:SHOSAKU事務所 『 聖 墳 墓 教 会 』 花 房 尚 作 14 援 助 し て 、 社 会 の 安 定 を 促 し て い く 。 こ れ に 対 し て 日 本 政 府 が で き る こ と は 、 底 辺 の 人 々 へ の 人 道 援 助 だ ろ う 。 積 極 的 に 人 道 著作権者:SHOSAKU 事務所 http://www.sho39.com 『 岩 の ド ー ム 』 底 か ら 、 あ り が と う ご ざ い ま し た 、 と 書 き 記 し て 、 そ の お 礼 と さ せ て 頂 く 。 写真:SHOSAKU事務所 花 房 尚 作 15 ゆ か な い の で 、 多 く の 書 物 と 触 れ 合 い 、 知 識 を 向 上 さ せ て も ら っ た 縁 に 感 謝 し つ つ 、 心 の が ほ と ん ど で あ っ て 、 こ こ に 記 す こ と が 困 難 で あ る 。 著 者 名 や 書 名 を 適 当 に 書 く わ け に も の た め 、 そ れ ら の 著 書 を 参 考 文 献 と し て 紹 介 す る べ き な の だ が 、 頭 の 中 で う る 覚 え の 著 書 生 の 中 で 多 く の 学 者 や 研 究 家 の 著 書 を 読 み 、 そ れ ら の 積 み 重 ね に よ っ て 書 か れ て い る 。 そ 本 論 文 は 私 の 頭 の 中 に あ る 持 論 を 、 そ の ま ま 書 き 記 し て い る 。 と は い え 、 こ れ ま で の 人 『 参 考 文 献 に つ い て 』 著作権者:SHOSAKU 事務所 http://www.sho39.com 本書の一部あるいは全部を無断で複製することは、 法律で認められた場合を除き、著作権の侵害になります。 よって無断で著作権を侵害すると死刑になります。 著作権者:SHOSAKU 事務所 連絡先:090-4961-6521 メールアドレス:[email protected] ホームページ:http://www.sho39.com 16
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