第3章 1. 保険 保険法総論 1.1. 保険とは 商取引には、様々なリスクがつきものである。その中でも、商品の滅失・毀損のリスクと、 取引相手方の倒産のリスクは、避けては通れない。 保険は、基本的には前者のリスクに対応するものである1。保険契約者と保険会社とが事 前に保険契約を締結して保険料を支払っていると、一定の事実(例えば、商品の滅失)が発 生したときに、保険会社から損害を填補するための保険金が支払われる。 保険料は、単純にいえば、損害の期待値に相当する金額(純保険料)に、保険会社の事業 の費用や利潤に相当する金額(付加保険料)を足したものである。保険加入者の一人一人に ついて、(保険料)=(保険金)×(保険金が支払われる確率)という関係が成り立つ。こ れを、給付反対給付均等の原則という。 単純な例で考えよう。例えば、資産 1 億円の A が、5000 万円の物品を購入するとして、 この物品が全部滅失する確率が 1%とする。このとき、A に発生する損害の期待値は、5000 万円×1%で 50 万円である。そして、保険会社 B は、物品の滅失(保険事故という)の発 生の如何にかかわらず、60 万円を保険料として払ってもらえるならば、A の物品が全部滅 失した際に 5000 万円を支払うという内容の保険契約を締結したとしよう。 保険契約を締結しなければ、物品購入後の A の財産状態は、99%の確率で 1 億円、1%の 確率で 5000 万円(損害が発生し、全部負担)となる。たいていの場合は問題ないが、1% 1 後者のリスクに対応するものとしては、担保(物的担保) 、保証(人的担保)、契約によ る自衛(例えば、期限の利益喪失約款)などが主要な対応策であり、他にも、相手方の先 履行、手形決済の拒否(信用を供与しない)なども信用リスクに対応するものとなる。 例えば、会社更生法適用前の JAL は、信用力に乏しかったが、この状態では、外国での 給油に支障が出て、飛行機が飛ばなくなるのではないか、という懸念があった。燃料を販 売する事業者としては、せっかく燃料を供給しても、支払を受ける前に JAL が倒産し、債 権が切り捨てられることになっては損害を被るので、掛け売りに応じず現金払いを要求す るような対応は当然である。そこで考えられるのは、例えば、事業継続に必要な取引債権 については担保をつけたり、政府が保証したりということである。そうしないと、事業が 継続できないことになる。例えば、民法で、一般先取特権の中で、共益費や保存に関する 費用に先取特権が認められている(民法 306 条 1 号、311 条 4 号、325 条 1 号、326 条、 330 条 2 号)のは、このような考慮からである。 同様の懸念は、会社更生手続/民事再生手続でも考えられる。倒産法の原則は、同順位 の債権者は同じ比率で弁済を受ける、というものであるが、この原則を貫いた場合、信用 力に不安を感じる取引相手が取引を拒絶することもあるだろうし、債権が焦げ付いて「裏 切られる」形になった取引債権者が、更正/再生後も従来と同様に取引に応じてくれるこ とを期待するのは難しい。そこで、JAL の会社更生手続では、異例ではあるが、取引債権 の弁済は認められた。私的整理において少額債権が保護されることが多い(大口債権者の 債権放棄で決着が付く)のは、このような観点から正当化されることになろう。 この授業では、保険の次に担保権を扱う。商法における担保権では、商事留置権が特に 重要である。 1 のリスクが現実化したとき、A は単に 5000 万の損害を被るというだけではなく、再建のた めの費用がかかったり資金繰りの問題が生じてそれ以上の損害を被るかもしれないし、流 動性に深刻な影響を受けたり信用力の低下から債権回収を図られて倒産するかもしれない 2。 保険契約を締結した場合、物品購入後の A の財産状態は、99%の確率で 9940 万円(保険 料を支払い、保険事故が発生しない)、1%の確率で 9940 万円(保険事故の発生で 4940 万 円になったが、5000 万円の保険金が支払われた)であるから、100%の確率で 9940 万円と いうことになる。 この状態を比較してどちらが望ましいかといえば、後者の状態であるのが通常である3。 従って、保険契約を締結することが望ましいことになる。このように、保険は、一面では、 個々の加入者が経済的保障を得るために、よりリスク中立的な主体である保険会社にリス クを移転する仕組みということができる。個々の加入者から見れば、 (細かい契約条件は別 にして)保険料を支払うことで、保険事故が発生するか否かにかかわらずおなじ経済状態を 確保することができるわけであり、保険事故発生のリスクは保険会社が負担していること になる。 他方、保険会社 B から評価をすればどうだろうか。保険会社は、1 つの契約だけを取り上 げれば、A と逆の状態である。しかし重要なのは、保険会社は、基本的に資本力に優れ、同 種の契約を多数抱えている。例えば、同内容の契約を 1000 件抱えているとしよう。保険料 収入は、60 万円×1000 件=6 億円である。そして、保険事故が発生する確率は 1%である から、10 件であり、支払保険金額は、5000 万円×10 件=5 億円である。従って、期待値と しては、保険料収入総額が保険金支払総額を1億円上回る。 1%という数字は、確率であり、発生件数は年によってばらつきがでる。ただ、同種のリ スクを多数抱えると、保険事故が発生する確率は 1%に近づいていく(大数の法則4)。そう すると、単純に考えれば、保険料収入総額から保険金支払総額を引いた金額から経費を引い た分だけ、利潤があげられ、事業として成立するわけである。 このように、保険は、危険を大量にプーリングするのみならず、危険を分散する。個々の 契約者からみれば、自分にとって損害が発生しなかった場合でも、同じグループに属する加 2 震災や自然災害に遭って廃業する会社がある理由の一つは、単に直接に損害を受けてそ の損害により経営状態が深刻に影響を受けるというだけではなく、例えば設備が被害を受 け、その設備の更新費用がかさむため、震災を機に事業を停止するという例がある。減価 償却の済んでいるような古い機械類を新調するためには、例えば機械の損害が(時価) 1000 万円であったとしても、1 億円以上かかるというようなことは珍しくない。 3 言うならば、ギャンブルと逆の状態であると考えて頂きたい。巨額の保険事故発生と、 巨額の「当たり」による利得の発生への選好が逆の状態であるか、というあたりは、法律 学と言うより経済学の領域に入る(ミクロ経済学が分かる学生は、効用関数を考えて欲し い)。 4 教室にいる諸君は、高校時代に、数学で確率については学習しているはずであるので、 その知識を思い出して欲しい。忘れた・さび付いたという抗弁は認めない。 2 入者の誰かは損害を被っているわけであり、その一部を負担することになる。保険は、一度 全ての加入者のリスクを保険者に集めたうえで、これを加入者全てに分散して、特定の誰か に生じた損害を、集団全体で分担して負担する仕組みということができる。 保険技術のキモは、確率評価を前提にした大数の法則であり、逆にいえば、大数の法則が 使えないリスク5への保険提供には制約がある。 なお、保険においては、保険会社の収受する保険料の総額が、支払うべき保険金の総額と 相等しくなるように事業が運営されなければならにない。これを、収支均等の原則という。 以上の例は、損害保険を前提にしたものであり、生命保険6や傷害保険、責任保険では、 対象となるリスクの性質は異なるが、さしあたり仕組み自体は同様に考えて良い。 1.2. 法源 保険法は、平成 20 年に、商法から独立し、保険法という単行法になった。必要に応じ、 民法・商法・消費者契約法等の適用もあるが、保険法が最大の法源である。 また、上記の説明にあるように、保険会社は、同種のリスクを大量に集めるために、たく さんの保険契約を締結するので、契約条件は約款7によることになる。 1.3. 保険契約の種類と当事者 1.3.1. 保険契約の種類 保険には多数の種類があるが、大別すると、損害保険、生命保険、傷害疾病保険である。 「契約」がつくときは、個々の契約を意味する。 損害保険契約とは、保険契約のうち、保険者が一定の偶然の自己によって生ずることのあ るおそれのある損害を填補するものをいう(2 条 6 号)。 生命保険契約とは、保険契約のうち、保険者が人の生存又は死亡に関し一定の保険給付を 行うことを約するもので、傷害疾病定額保険契約に該当するものを除いたものをいう(保険 法 2 条 8 号) 。 傷害疾病保険契約とは、保険者が人に傷害又は疾病が発生したときに保険金を支払うも ので、傷害疾病定額保険契約(2 条 9 号)と傷害疾病損害保険契約に分かれる(2 条 7 号)。 5 たとえば、地震・原子力・戦争・テロなど。一つの事故が起きたとき、損害同士が独立 に発生するという大数の法則の前提が成立しない(六甲道の交通事故と長田の交通事故は 独立だが、地震が起きたとき、六甲道の被害と長田の被害は同時に起きる)。 6 生命保険(死亡保険)の場合、終身保険(保険期間が死ぬまで。定期保険という商品も ある。)について考えると、死亡という結果は誰にでも起きるのだから、死亡そのものと いうより「早死に」のリスクを保険会社に移転している、と考えるのが自然である。この 逆が、年金であり、「長生き」のリスクを保険会社に移転している。生命保険(生存保 険)や年金の場合、早死により、生きていれば入ってきたはずの収入が途絶え、遺族の生 活に支障がでるので、これを保険会社に移転する。この場合、長生きにより、生活費用が 必要となるので、これを保険会社(や年金基金)に移転する。 7 伝統的な約款論は、保険契約を主戦場としていた。 3 上記のうち、損害保険契約・傷害疾病損害保険契約は、実際に発生した損害額に応じて支 払われる仕組み(「損害の填補」)で、生命保険契約・傷害疾病定額保険契約は、実際に発生 した損害額如何に関わらず、契約で定めた一定の金額を支払う仕組みである(「定額給付」) 。 なお、責任保険は、損害保険契約の一種であり、損害保険契約のうち、被保険者が損害賠 償の責任を負うことによって生ずることのある損害をてん補するものをいう(17 条 2 項)。 以上のような、保険法点の類型とは異なる類型化で説明される場合がある。一つの区分は、 物保険と人保険であり、もう一つは、損害保険と定額保険である。 1.3.2. 保険契約の当事者 まず、保険契約の当事者は、保険契約者(2 条 3 号)と保険者(保険会社、2 条 2 号)で ある。保険契約者が保険料を支払い、保険者が保険金を支払う関係に立つ。 次に、被保険者という概念が重要である。被保険者は、損害保険契約と生命保険契約で、 同じ語が使われているが、内容が異なっている。 損害保険契約においては、損害保険契約により填補される損害を受ける者(2 条 4 号イ) をいう。保険契約者と同一人物のこともあるし、別人のこともある。例えば、子供が運転す る自動車の保険を親がかけるという場合、保険契約者が親、被保険者が子供となる。 生命保険契約・傷害疾病定額保険契約では、被保険者が亡くなることが保険事故の要素な ので、保険金を受け取る者が、契約当事者以外で定められることもある。生命保険契約・傷 害疾病定額保険契約においては、その者の生存・死亡に関し保険者が保険給付を行うことと なる者をいう。 たとえば、A が B 生命保険会社と、C が死亡した場合に、子供 D に 3000 万円を支払う 生命保険契約を締結した場合、A が保険契約者、C が被保険者、D が保険金受取人となる。 損害保険の場合、損害を受けるおそれのある利益(これを被保険利益という。)の主体が保 険金を受け取ることになる。 1.4. 保険法の特徴 商法と比較した保険法の特徴は以下の通りである。 第一に、改正直後であることもあり、保険法には、現代の保険実務が十分に反映されてい る。 第二に、保険法は、保険者よりも保険契約者等(保険契約者・被保険者・保険金受取人) が相対的に弱い立場にあることを考慮して、保険契約者等を保護する規定を用意しており、 かつ、企業保険の場合を除き、約款でこれらの規定よりも保険契約者等に不利な特約を定め ることを認めていない(片面的強行規定8。7 条、12 条、26 条、33 条、41 条、49 条、53 8 片面的強行規定は、従来の商法では任意規定と解されていたものについても及んでお り、保険法施行段階では約款の改定が必要となったし、解釈論としても、片面的強行規定 に抵触するか否かが問題となる事例は多い。 4 条、65 条、70 条、67 条、82 条、94 条)。これ以外の規定は、明示されていないが、任意 規定もあれば、強行規定もある。いわゆる保険金殺人や故意の事故招致は、このような悪用 の例である。 第三に、保険法は、保険契約外の第三者との法律関係を定める規定を用意した。一つは、 責任保険における被害者の保険金請求権に対する先取特権(22 条)であり、もう一つは、 生命保険契約・傷害疾病定額保険契約における保険金受取人の介入権(60 条~62 条、89 条 ~91 条)である。 1.5. 保険取引の特徴 保険取引は、他の取引類型には見られない特色があり、特有の契約法的規整や保険監督の 必要性と結びついている。 第一に、保険制度は、大数の法則を応用して、給付反対給付金等の原則と収支相等の原則 という二つの原則に立脚して運営される。このことから、告知義務(4 条、37 条、66 条) や、契約成立後の危険の増加に関する通知義務(29 条、56 条、85 条)など、保険者の危険 選択や対価関係の維持に関するルールが用意されている。 第二に、保険は、少額の保険料に対して多額の保険金を得られる構造であるため、その悪 用が考えられるところである。このような悪用への対策となる仕組みや判例法理が発展し ている。 第三に、特に生命保険は、貯蓄との類似性がある。生命保険では、純粋にリスクに応じた 保険料を徴収すると、高齢になるに従って保険料が高騰し支払えなくなるという問題が生 じる。そこで、例えば 10 年間は保険料を一定額請求するという平準保険料方式が採用され る。この時、純粋なリスクに対して余計に支払われている保険料は保険会社にプールされ、 保険料が運用されることで、最終的な保険料の金額を減らすことができる9。 第四に、保険者の支払能力を確保する必要がある。保険契約者が保険契約を締結するのは、 いざという時に保険金を受け取るためであり、そのいざという時に保険会社が破綻してい て保険金が受け取れないなら、誰もそんな契約は締結しない。そして、保険事故の発生は不 確実であり、しかも長期の契約であるので、長期間にわたって保険会社の経営の健全性を確 保するよう、保険業法等で厳しい規制が設けられている。ソルベンシーマージン比率など聞 たとえば、45 歳の保険料が年 1 万円であり、純粋な死亡リスクを反映させると、1 年で 保険料が 1000 円ずつ保険料が増額する、という世界を考えよう。40 歳時点では 5000 円、50 歳時点では 15000 円が保険料になりそうである。しかし平準保険料方式は、たと えば 40 歳から 50 歳まで毎年 1 万円ずつ保険料を請求する。最初の 5 年間はリスクに対し て合計 15000 円余計に保険料が支払われているが、仮に保険会社がそのまま預かっていて も、50 歳までの保険料をまかなえる。 ここで、保険会社が市場で運用した結果、15000 円を 2 万円にできたとする。そうする と、保険料を割り引くことができる。規模の多いな保険会社による資産運用は個人による 資産運用よりも効率的である。実際の保険料設定は、利回りを約束して契約することで、 保険契約者が運用益の利益を受けている(これで困っていた現象がいわゆる逆ざや)。 9 5 いたことがあるかもしれないし、生損保の兼営禁止もその例である。火災保険が地震を免責 とするのもこのような理由が背景にある(保険会社に深刻な影響を与える地震リスクを火 災リスクから切り離し、地震リスクは地震保険でカバー) 。具体例は多いが、時間との関係 で保険業法は扱わない。 第五に、保険契約は、約款に基づく附合契約である。民法で飽きるほど聞いているはずの 話であるので省略する。 第六に、保険募集というプロセスがある。保険は目に見えない商品であり、しかも需要は 積極的には出てこない。例えば、独身者や共働きの夫婦が生命保険を購入する動機はほとん どないはずである(専業主婦(夫)である配偶者や子がいて初めて、自らが死亡し収入が途 絶えたときに保険金を残したいと考えるだろう)。バイクの免許を取得してすぐの若者が交 通事故により億単位の損害賠償責任を負担する可能性を考えているとも思えない。他方で、 医療保険を欲しいと考えるのは概ね高齢者や病人など保険事故の発生可能性の高い人や既 に発生している人であり、そのような人だけを入れていては保険は破綻するのであるから、 健康な人間にも加入してもらわなければ保険は成り立たない。 そこで、保険は、一般には、生損保とも、保険募集10と呼ばれる行為を行い、多くの見込 み客を勧誘し、保険への加入を求める(とはいえ、貿易のように企業向けの保険では募集を それほど行わなくてもリスクが認識されているから問題ないだろう) 。この保険募集プロセ スではトラブルが多く、保険業法では様々な規制が設けられているし、保険法にも規制があ る。 10 伝統的なタイプの生命保険会社は、新入社員に対して猛烈な勧誘をしていた。今はオフ ィスへの立ち入りが厳しくなるなど、そのようなルートでの勧誘が難しくなっているとい う。保険会社の目からは、募集に応じた客が適切な客で、自ら飛び込んできた客はむしろ 疑わしいという、端から見れば逆のようにも思われる状況にあった。 もっとも、今では、消費者が必要な保険を自らセレクトする傾向が強まっており、例え ば複数の保険商品を扱うショップ(そこかしこに存在する)が拡がってきたり、自らは伝 統的な意味での募集を行わないネット保険会社も普及している(とはいえ、実際の保険料 収入はそれほどでもない)。 特に生保は、上記のような営業職員による募集が中心だったため人件費が極めて高い し、募集人の入れ替わりが激しい業界であった。ある意味必然的に高コストであった。こ のあたりは、時代とともに状況が変わっているところである。 他方、特に損保は、保険会社が自ら勧誘を行うのではなく、代理店による募集が中心で ある。たとえば、自動車保険を購入するときに、損害保険会社に直接コンタクトをとって 購入するのではなく、自動車を購入したディーラーのところで保険を購入することは珍し くない。このような場合、ディーラーが損害保険会社から代理権を与えられて保険募集を 行っていることになる(代理商であることが多い)。 保険会社の勢力図が大きく影響を受けたのは、いわゆる銀行窓販である。このあたりは いくらでも話すネタがあるが、時間との関係でおそらく省略する。 6
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