第3章 “I”じゃなくて“We”(PDF 3.0MB)

特集:魔法の習慣 6
第3章
“I”じゃなくて“We”
―‌Maro’
s 代表
‌
メディカルトレーナー 伊藤和磨さん
手坂 空太郎
東京都中小企業診断士協会中央支部
「うちの親父に後で言われたんですが,う
を作りに来ているわけではないことだけは,
ちは当時,マンションの 4 階に住んでいて,
はっきりしていた。タフになるしかない環境
私の階段を上がってくる足音が暗いと。だけ
で,和磨少年はしのぎを削ってきた。
ど, 3 階まで来るといきなり足が止まって,
冒頭のエピソードは,週 5 ~ 6 日,21~22
しばらくの間,まったく足音が消える。
『何
時頃まで練習し,サラリーマンと一緒に日付
をしてるのかな』と思うと,いきなりタンタ
が変わるような時間帯に家路についていた当
ンと上がってくると。だから,
『あいつなり
時の彼の話である。
に気持ちを切り替えて,暗さを家に持ち帰っ
「準優勝でも,読売では優勝以外,まった
てこないんだな』って。自分では全然その意
く意味がないんです。クラブに帰ってもフロ
識はなかったんですが」
ントには,
『本当にダメな奴らだ』って顔を
フジテレビ「ホンマでっか⁉ TV」にも腰
されるし,コーチにもボロボロに言われる。
s」開
痛評論家として出演。2002年の「Maro’
結果が出なければ,あらゆるリスクが生じ,
業以来, 1 万5,000回以上にわたるセッショ
高まるんです」
ンで,プロレスラーの高田延彦氏などの著名
そんな彼が自然と習慣にしていたのが,
人も含め,数々の患者のサポートを行ってき
「自分の中にたくさんの引き出しを持つ」こ
た“Maro” こと伊藤和磨氏のルーツは, 9
とだった。当時,同級生たちがファミコンで
歳の頃にさかのぼる。
遊んだ話や,誰々と誰々がケンカしたなどの
“平和”な話をする一方で,彼は照明の中で
1 .タフな環境で得た引き出し
の昨晩の練習風景を蜃気楼のように感じなが
ら,シチュエーションに応じた対処法や気持
伊藤さんは,1985年に読売クラブユース S
に入団。1993年に J リーグが開幕する 8 年前,
読売クラブは当時唯一のプロチームで,ユー
ス S,ジュニアユース,ジュニオール,トッ
ちの整理方法を,知らず知らずのうちに身体
で覚えていたという。
2 .栄光と挫折の中で
プチームで構成されていた。全国大会に優勝
した年には,200人に 1 人の激戦を勝ち抜い
彼は一時,読売を離れたこともあった。特
たチームメイトが,さらに 1 学年上がると半
待生としてトップチームまでエスカレーター
分くらいに減る。
方式で行かせる,スパイクからグローブまで
お互いの素性も知らなければ,練習後に誰
用品・用具はすべて提供する,という都並敏
がどこに帰って行くのかも知らない。友だち
史選手・松木安太郎選手以来の好条件を蹴っ
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特集
てまで,彼は尊敬するコーチを追い,別チー
込んでいった。リビエラスポーツクラブ勤務
ムに移った。
時代のトレーナーであるジェフ・ライベング
それは,荒くれ者の集団ながら必ず勝つチ
ッド氏との出会いが,彼の最初の転機だった。
ーム「王者・読売クラブ」を外から見る機会
「本物に出会ったときに,私はいつか暴か
でもあった。試合会場で何十チームが一堂に
れると。こいつは偽物だし,何もわかってい
会す中,いつも最後から入ってくる読売クラ
ないって言われるのが怖くて」
ブを外から見て,
「ああ,これが読売なんだ」
給料をすべてつぎ込んで,医学書や DVD
と強い衝撃を受けた。
など世界中の教材を買い漁り,解剖学や筋機
所属チームの解散もあって,再び読売に戻
能解剖,病態生理学,神経生理学,バイオメ
った彼は,熾烈な競争に勝ち残り,高校卒業
カニクスなどを貪るように学んだ。また,学
後の1995年にヴェルディ川崎に入団した。そ
んだことを実践し,症状が回復した患者に喜
の後,ブラジル・パルメイラス,ジェフ市原
んでもらうのが嬉しくて,畳一畳分くらいの
に在籍するが,持病の腰痛がたたり,1999年
折り畳みベッドを担ぎ,関東中を回った。
に現役を引退した。学生の頃から退路を断ち,
サッカー一筋でやってきた彼にとって,現役
引退は「自分が死ぬこと」と同じだった。
「選手を辞めたときは,誰かに『元 J リー
ガーだ! すごいですね』って言われるのを
待っているような状態でした。だって,いま
の自分は全然すごくないから」
現金輸送,清掃業,ホテルの配膳,引っ越
し,土木建築など12種類の職を渡り歩いた。
元 J リーガーの肩書きが邪魔をして,
「言う
ことを聞かないだろう」
,
「変わっているだろ
日々医学について研鑽を怠らない伊藤さん
う」という偏見を持たれたこともあった。い
俳優・藤村俊二さんへの“伝説の治療”が
まのキャリアの原点となる株式会社リビエラ
彼の 2 度目の転機となった。 3 日後にドラマ
スポーツクラブへの入社も,求人誌を見て応
の収録を控える中,ギックリ腰を患い,困っ
募したという偶然がきっかけだった。
ている藤村さんの知人である常連顧客から,
SOS の電話を受けた。 5 人がかりの“本物”
3 .医療の世界にのめり込む
のドクターでもお手上げだった藤村さんの症
状を, 3 日間泊まり込みで治療にあたり,見
サッカー一筋だった伊藤さんは,何にでも
事に回復させた。
のめり込む性質である。現役のときは周囲が
「昔からずうずうしいっていうか,とにか
驚くくらい,常に自主トレを欠かさなかった。
く自分の身の丈に合わないことを平気で受け
そして,18歳の頃に出会ったビンテージオー
るんです。それで引き受けた後に,
『やべ~』
ディオの世界にもオタクのようにはまった。
って思うんですけど(笑)
」
「オーディオに,クルマに,時計に。それで,
その後も,クチコミで徹底的に患者と向き
結局はこの世界にはまった。私は飽きやすい
合う彼の評判は広まった。2002年には,独立
から,こんなに長くやるとは思わなかったん
ですが。やっぱり,医療の世界って奥が深い
し て メ デ ィ カ ル フ ィ ッ ト ネ ス ス タ ジ オ・
s」を開業した。医学的根拠をベース
「Maro’
し,終わりがない」
とした彼の知識量の豊富さは,「そんな知識,
彼は医療の世界に,オタクのようにのめり
どこで見つけたんですか」と,いまでも整形
た ち
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第 3 章 “I”じゃなくて“We”
外科医や理学療法士を唸らせることが多い。
の口からは錚々たる経営者の名前が挙がる。
とことん納得のいくまでやり抜くスタイル
「成功したと思われている人たちに共通す
は,治療への取組みだけではなく,本の執筆
るのは,本人たちに成功という意識がまった
にも表れている。自身のセッションを基に,
くないことです。なぜなら,まだ夢の途中だ
これまで14冊の著作を出版しているが, 4 万
から」
5,000部を記録する『腰痛はアタマで治す』
多くの大物と対峙した彼が感じる真理であ
(集英社)の執筆には 4 年もの歳月をかけた。
る。
「当時は,整形外科医に対して『これでも
喰らえ』みたいな,アンチテーゼ的にやって
5.
「ブレる」と「ユレる」
たんですが,途中で『あれ,これって誰に書
いてんの』って(笑)
」
「いまの社会は福祉が大事だから,うちは
いま,シルバー向けの仕事をやっていてさ」
彼のクライアントには経営者が多く,よく
仕事の話をされる。そうすると,彼はよくこ
う質問を投げかける。
「それって,本当に好きでやってます? 生まれ変わっても,もう 1 回やります?」
そう聞かれると,たいていは皆,頭が真っ
白になるという。彼はさらに尋ねる。
「それって目的じゃなくて,手段なんじゃ
ないですか?」
伊藤さんの代表的な著作
ベースで絶対に外せないのは,「好きでや
るか,不安でやるかの違い」だと彼は考える。
4 .「大物」からの学び
経営に困っている人や調子が悪い人を見ると,
不安を払拭するために何かをしている人がと
伊藤さんのもとには,一部上場企業の社長
ても多いという。不安の上に何を築いていっ
をはじめ,クチコミにより著名人たちも治療
ても,ベースが不安だから,ずっと不安のま
に訪れる。彼らとマンツーマンで接する中で,
ま。一方,好きでやっている人は,断られて
日々学ぶことや気づきも多いという。
もやる,何が何でもやるってことなので,そ
「伸びていく人たちは,いくつかあるルー
れが「ブレる」ことはない。
ティンの中のピースを,少しずつ入れ替えて
「ブレる」と「ユレる」は違う。万物は揺
いくんですよね。もしくは,新しいものを 1
れているし,止まってはいないから,
「ユレ
個入れる。あまり伸びていかない,達成でき
る」のは当たり前。「ブレる」は,向かう方
ない人たちは,そのルーティーンワークを一
向自体がずれたり,失うこと。一方で「ユレ
気にバンと替えるんですよ」
る」は,一点を見つめながら一定の振れ幅の
ひとかどの人物たちは,期せずとも習慣に
中で揺らめくこと。内部や外部からのさまざ
徐々に変化をもたらしていて,自身のステー
まな刺激や出来事に身を委ねながらも,スタ
ジや精神の成長に伴ってルーティンを変えて
ンスを崩さない。
おり,それがすべて仕事につながっていると
普通の成功を収めている人たちより,もう
いう。希少なのは,人生の現役時代を終えた
1 段上にいく人たちは,
“ユレながらも好き
70~80歳の往年の経営者たちとのセッション
でやり続ける”というのが,数々の経営者と
の数々である。本誌では記述できないが,彼
向き合ってきた伊藤さんの持論である。
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特集
「健康のためだけではなく,考えをまとめ
6.
「どうでもいいや」
たり,ネガティブなことをそこに捨てて行っ
たり,もう 1 人の自分と対話するためです。
開業して13年,必死に走り続ける中で,最
自 分 の 中 に も う 1 人 の 自 分 が い て, 常 に
近の彼の心境も当初とはだいぶ変わってきた
“We” なんですよね。“I” じゃなくて。 や
という。 4 年間,納得のいくまで書き直した
っと,そのもう 1 人の自分も成長してきて,
『腰痛はアタマで治す』で自身が考えること
自分を超え始めているから,そいつに相談す
を形にし,認められたことが,精神的に大き
るのが一番早いんですよ。旅に行くのも,も
な転機となった。
う 1 人の自分とゆっくり会話をするためです」
サッカーで14年,現在の仕事で14年を経て,
かつて彼を縛りつけていた「元 J リーガー」
彼は昔から独り言が多いらしい。冒頭の 9
の肩書きは,いつしかどうでもよくなった。
を出して」自身に語りかけていたのかもしれ
「昔の座右の銘は,『喧嘩上等』だったのが,
ない。往復 3 時間かけて,バスがなくなるく
いまや『どうでもいいや』ですからね(笑)
。
らいの時間まで練習した後,暗い読売ランド
『どうでもいい』というのは,大事なことが
の山道を下りながら,小さな頃から自身に語
歳の頃の彼も,自宅マンションの 3 階で「声
決まったから,それ以外はどうでもいいとい
りかけてきた経験。
「どうでもいいや」と言
うこと。ため息と同じで,どうでもいいと思
いながらも,伊藤さんは同時にサッカーへの
うと,ものすごく楽になります」
感謝を忘れない。
そんな心境になった彼は,これまで 1 人で
s に,今年 4 月から 2 名
運営してきた Maro’
「すべてはサッカーから始まっていると思
のスタッフを迎え入れた。
する感謝。支えてくれた両親にも」
「人に対して強く意識していることは,何
伊藤さんへの取材を終えて,日常に流され,
割の感情で動くか。怒っているときに怒りな
つい自身を振り返る時間を後回しにしてしま
がら言うと,相手はただ私が怒っているとし
いがちな自分を省みた。
「ブレる」と「ユレ
か思わない。先に余計なことを言うと,結局
る」の違いが意識できるよう,
「声に出して」
は伝わらない」
自分に語りかける習慣を見習いたい。
います。それはやっぱり,自分のルーツに対
「どうでもいいや」の精神は,スタッフと
対面するときも,客観的に自身を見つめる習
慣に役立っている。
7.
“I”じゃなくて“We”
伊藤さんは,多忙なスケジュールの合間を
縫って世界各国を巡っており,これまで訪れ
た国は44ヵ国に及ぶ。徹底的に俯瞰し,客観
的に物事を見る伊藤さんの習慣には,世界中
を回ってきたことが活きている。著書『アゴ
を引けば身体が変わる』
(光文社)の中でも,
「日本人もアフリカの女性のかがみ姿勢をお
手本にすべきだ」との記述がある。
最近の彼の日課は,朝は必ず 6 時半に起き
て10km 走ることだ。
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伊藤 和磨
(いとう かずま)
1976年東京都出身。腰痛症の改善を主と
したパーソナルトレーナー。プロサッカ
ー選手としてヴェルディ川崎,ブラジ
ル・パルメイラス,ジェフ市原に所属後,
腰痛のため引退。2002年「Maro’
s」開業。
日常姿勢や動作パターンから腰痛の本質
的な原因を追究し,毎年1,300回を超えるセッションを実施。
著書に『腰痛はアタマで治す』
(集英社)
,
『アゴを引けば身体
が変わる』
(光文社)など。
手坂 空太郎
(てさか そらたろう)
1977年東京都出身。慶應義塾大学環境情
報学部卒業後,楽器業界を経て,現在は
企業調査会社に勤務。2014年 4 月中小
企業診断士登録。一級販売士/事業再生
士補。
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