早稲田大学大学院日本語教育研究科 修 士 論 文 概 要 書 論 文 題 目 「移動する家族」とことば、そして、家族のかたち ―タイ在住の 2 つの家族の語りから― 内畑 愛美 2014年3 月 第1章 問題の所在と目的 第 1 章では、本研究の問題の所在と目的を示した。本研究の目的は、タイ在住の 2 つの 「移動する家族」の語りから「移動する家族」は「移動」を通じてどのように家族として、 「経験」をし、さらに、その「経験」によって、どのように影響を受け、 「変容」していっ たかを検討することである。現代社会は「国際移民の時代」(Castles & Miller、1996、関 根・関根訳、p.3)である。そのため、人々の生活は「移動」を通じて多様化し、家族のか たちも多様化している。そのため、 「移動」、 「家族」というキーワードは現代社会を読み解 くうえでも、重要なキーワードである。さらに、筆者の問題意識を記述することで、筆者 独自の問題意識を記述した。先行研究に関しては以下の 3 つの視点からレビューを行った。 ①家族と子どものことばの学びという視点 ②家族の「移動」と子どもへの影響という視点 ③家族と「移動する子ども」の言語習得という視点 先行研究の問題点としては、従来の研究では、親の視点、もしくは、子どもの視点とい う一方から語られた研究が多いということが挙げられる。また、親が子どもへどのような 「思い」で日本語教育を行っているのか、子どもの能力を把握し、効果的な教育方法を探 るものばかりである。それでは、現在の「移動」がキーワードとなっている、動態的な家 族の姿を捉え、 「家族」のことばの学びそのものがどうなっているのかを捉えることは難し いとことを指摘した。そこで、先行研究の問題点から浮かび上がってきた筆者の問いを明 らかにするために、次のリサーチクエスチョンを設定した。 【研究課題(RQ)】 RQ.1 日本につながる「移動する家族」は「移動」によってどのような「影響」を受け るのか。 RQ.2 日本につながる「移動する家族」は、 「影響」を受けながら、どのように自分たち を「チューニング」しているのか。 RQ.3 RQ1、RQ2 はどのような示唆を日本語教育に与えるのか。 1 なお、 「移動する家族」とは、川上(2011)の提唱する「移動する子ども」という分析概 念を援用した概念である。 「移動する子ども」の分析概念の条件は、①「空間を移動する」、 ②「言語間を移動する」 、③「言語教育カテゴリー移動する」の 3 つである。「移動する家 族」は、 「移動する子ども」の概念を含む、概念である。筆者の考える「移動する家族」の 分析概念の条件は、①空間を移動する、②言語間を移動する、③「移動する子ども」を育 てているという 3 つである。 また、 「チューニング」とは、川上(2012)の「日本語のチューニング」からヒントを得 たもので、 「移動する家族」が「移動」をしながら、自分たちのアイデンティティやことば と向き合っていく過程を指す。川上(2012)の「日本語のチューニング」とは、 「複数言語 のひとつである日本語とどのように向き合い、日本語を自分の中でどう位置づけ、社会で 生きる自分のあり方とどのように調整していく」(p.175)という行為を指す。 第2章 研究方法と研究視点 第 2 章では、本研究の方法論と研究視点を示すことを目的とした。まず、研究方法につい て述べた。研究方法は「移動する家族」のありのままの姿を記述するために、 「ライフスト ーリー・インタビュー」 (桜井、2012)と「エピソード記述」 (鯨岡、2005)を組み合わせ、 「ある対象に対して、複数の技法を組み合わせて、より多面的にとらえる」 (Merriam 、1998、 pp.138-139)ための方法論であるトライアギュレーションを試みた。 そして、なぜ「移動する家族」の中でも、調査協力者である「移動する家族」A、また、 「移動する家族」B に着目し、対象としたのかについて述べた。多くの「移動する家族」 の中でも、筆者が調査協力者として、「移動する家族」A と「移動する家族」B を選んだの は、両方の家族が先行研究でよく扱われてきた日本語の保持を目的とした学校や、日本語 を学ぶ「場」に子どもを通わせていなかったからである。このことによって、先行研究と は異なった家族の姿が浮き上がるのではないかと筆者は考えた。 次に、調査協力者である「移動する家族」A、そして、「移動する家族」B それぞれのプ ロフィールについても記述した。 「移動する家族」A の中心となるのは、母親であるプン(仮 名)、父親であるオダ(仮名)、そして、長男のシンイチ(仮名)の 3 人で、日タイ国際結 婚家庭である。 「移動する家族」A はシンイチが生まれてから、日本からタイ、タイから日 本、そして、日本からタイへと空間的な「移動」を繰り返している家族である。 「移動する 2 家族」B の中心となるのは、母親マリ(仮名)、父親タロウ(仮名)、そして、長女のアオ イ(仮名)の 3 人で、タイ永住志向の 3 人家族である。マリは国籍としては日本人である が、父が日本人、母がタイ人の日タイダブルとして日本で育った。そのため、日常的に「移 動」を経験していた家族であるといえる。 以上のことを踏まえ、分析の方法と観点について述べ、本研究で用いるデータの種類を 記述し、最後に、調査における倫理的配慮と個人的情報の取り扱いについて述べた。 第3章 事例1: 「移動する家族」A 第 3 章では、 「移動する家族」A が空間的に「移動」しながら、ことばと向き合っている 姿を記述した。「移動する家族」A の範囲としたのは、以下の図の通りである。 図 1:「移動する家族」A の範囲 分析と記述は、プンとオダが出会う前を 1 期、プンとオダが出会い、結婚するまでを 2 期、結婚してからシンイチが生まれ、日本に「移動」するまでを 3 期、タイから日本に「移 動」し、タイに再びタイに「移動」するまでを 4 期、日本からタイへ移動し、現在に至る までを 5 期として記述した。それらを分析した結果、 「移動する家族」A の場合、空間的移 動によって、家族のことばが変化していったことが明らかになった。また、 「移動」の背景 には、家族としての「意志」があり、そういった中で、その場で居心地の良い関係性を築 けるように、ことばだけではなく、自分自身をその社会自体に「チューニング」するとい うことも明らかになった。その「チューニング」の過程は、ただ「合わせる」のではなく、 自分自身の「居心地の良いように」ということが重要な視点であると考えられる。そして、 その向き合う過程には、家族の中の複数言語、つまり、 「ことば」が大きな意味を持ってい ることが明らかになった。 3 第4章 事例 2:「移動する家族」B 第 4 章では、 「移動する家族」B の中でも、「移動する家族」の中で育ったマリの経験に 着目しつつ、 「移動する家族」として育った「経験」が、どのように自身の教育観などに影 響を与えるのかについて明らかにした。 「移動する家族」B の範囲としたのは、以下の図の 点線で囲われた部分である。 図2:「移動する家族」B の範囲 分析と記述は、マリが自分の存在を肯定的に見ることが出来なかった小中高時代を 1 期、 マリが自分のことを肯定的に見られるようになった日本での社会人時代からタイ移住まで を 2 期、タイへ移住し、結婚してからアオイが生まれるまでを 3 期、アオイが生まれてか ら現在までを 4 期として、記述した。それらを分析した結果、第 3 章の「移動する家族」A の事例と同様に、「移動する家族」が社会からの影響を受けながら、「チューニング」を行 っている過程も明らかになったが、「移動する家族」としての「経験」は、世代を超えて、 受け継がれ、 「移動」を続けていくということが明らかになった。したがって、今後の社会 は「移動する家族」がマイノリティではなく、マジョリティになっていく可能性があると 考えられることが明らかになった。 第5章 総合考察: 「移動する家族」とことばの教育 第 5 章では、2 つの事例を通し、研究課題に対する答えを導くため、本研究で明らかに なった知見を改めて振り返り、総合的考察を行った。そのうえで、今後の「移動する家族」 のことばの教育に向けた示唆をまとめ、最後に、展望と課題を述べた。それぞれの研究課 4 題に対する答えは以下の通りである。 【研究課題への応答】 RQ.1 日本につながる「移動する家族」は「移動」を通じてどのような「影響」を受けるの か。 「移動」によって、社会の影響を受け、ことばのバランスが変化するという影響を受ける。 そして、その影響によって、家族内で使用することばも変化し、家族としての関わり方も 変化する。 RQ.2 日本につながる「移動する家族」は、 「影響」を受けながら、自分たちをどのように 「チューニング」しているのか。 「移動する家族」は、自分たちの経験と、思い描く将来をつなげながら、社会とのやり 取りの中で、自分たちが居心地の良いように「チューニング」をおこなっている。それは、 ことばだけではなく、相手への自分の見せ方にも関わる。 以上のことから、 「移動する家族」という視点が今後、実践者にも必要な視点であると考 えられる。今回「移動する家族」として、従来の視点にはない、 「家族」の視点で分析して いくことで、親と子だけではなく、親の親など何世代にも渡って、ことばの学びは起こっ ているということが分かった。また、そういった「移動する家族」の中で、育っていく子 どもたちも多様なことばの学びがあるということが分かった。 最後に、今後の課題と展望について述べる。本研究では、様々な意味で「移動」を経験 しながら、生きている家族のこと「移動する家族」とし、 「家族」の視点からことばの学び を検討する必要性を述べてきた。その結果、 「家族」として、ことばや社会から影響を受け ながら、自身を「チューニング」していく家族の姿が明らかになった。今後、本研究で検 討した「移動する家族」のような事例は増加の一途を辿ることが予想される。その際に、 私たち実践者はどのように「家族」という視点を持って、その「家族」に関わっていくの か。その点は、今後自身が実践者として考えなくてはいけない課題となると考えられる。 5 主な参考文献 川上郁雄(2011)『「移動する子どもたち」のことばの教育学』くろしお出版. 川上郁雄編(2013)『「移動する子ども」という記憶と力-ことばとアイデンティティ』く ろしお出版. 川上郁雄(2012) 『移民の子どもたちの言語教育―オーストラリアの英語学校で学ぶ子ども たち』オセアニア出版. 鯨岡峻(2005)『エピソード記述入門―実践と質的研究のために』東京大学出版 桜井厚(2005)『インタビューの社会学.ライフストーリーの聞き方』,せりか書房. 桜井厚(2012)『ライフストーリー論』弘文堂. Castles, Stephen and Mark J. Miller(1993) The Age of MigrAtion: InternAtionAl Population Movements in the Modern World, London: Macmillan.(1996,関 根政美・関根薫訳『国際移民の時代』名古屋大学出版会) Merriam, S. B. (1998) Qualitative Research and Case Study application in Education. John Wiley & Sons, Inc. (堀薫夫・久保真人・成島美弥(訳) 『質的調査法入門 ―教育における調査方法とケーススタディ』ミネルヴァ書房) 6
© Copyright 2024 ExpyDoc