大矢根淳ゼミ卒業論文講評 劇的な生活環境変容のインテンシブな実証研究を中心とする 「災害社会学」を中心とするゼミナール 担当 大矢根 淳 そして、3 年生の段階で春秋 2 回の報告、4 年 ゼミの構成・運営 生になって同じく春秋 2 回の報告を経て、最終 今年度のゼミ運営は、4年生 11 名、3年生 的な執筆許可がおりる(10 月中 旬)。この 4 回 12 名で両学年合わせて 23 名・ほぼ男女半々の の報告以外に、3・4 年生合同のサブゼミ (ユニ にぎやかな構成だった。4年生に一名、海外留 ット単位 )が様々に実施されていた。 学に出ている学生がいて、今年度末に帰国して 次に卒論の内容に関する諸約束事ついて。ま 来年度から4年生として戻ってくる予定。今年 ず、各自の関心に関連して必 1 冊はいわゆる古 度4年生はその多くが、自分たちで創設したボ 典といわれもの(あるいは将来、古典と称される ランティア・サークルで活動していて、東日本 ことになるであろう、きちっとした専門文献= 大震災の復興支援に携わっていた。ほぼ毎月、 例えば学位論など)を読破しなくてはならいと 入れ替わり何名かが現地に赴いていた。その経 うこと 。2 つ目は、必ずオリジナルなデータを 験がもとになって論文テーマが絞られてきた者 収集して解釈して見せなくはならいとうこと。 も多い。また、前専修大学非常勤講師の吉川忠 ユニットやサブゼミの場で、皆あるいは該当 寛氏が代表を務める防災都市計画研究所にゼミ する数人で、こうしたことを毎日遅くまで作業 生がアルバイトとして採用いただいたことで、 部屋 (研究室前の社会調査実習室 6 や、新設の 防災社会工学の研究実践の現場に触れ、そこか 4 号館 3 階の PC 端末室など)で議論しながら ら卒論テーマを得てきた学生もいる。様々な機 進めていた。 以下、このようにして作成された 会に恵まれ、また、自ら創造して、卒論作成に 卒論を学籍順に講評していこう。 取り組んできた。 それではここで、例年のように、まずはゼミ の運営体制について簡単に記しておきたい。卒 卒論講評 論作成に際して、ゼミ生によって遵守されてき た、執筆の体制やプロセス、諸約束事などを記 羽岡論文「台東区谷中地区の首都直下地震対応 しておこう。 における脆弱性の根源的原因克服の道筋を探る 卒論執筆の体制について。 3 年ゼミに入ると、 ~まちまち net への参与観察とインタビュー調 ゼミでの勉強仕方、具体的にはレジュメ書き方、 査を通して~」は、防災都市計画研究所のアル 報告・質疑の作法やテクニックなどが 4 年生よ バイトの機会に識ることとなった谷中の活動事 り伝授される。これは give & take(というより 例に着目して、自ら丁寧に接する機会を重ねて、 は、その意義・手法を体得していく過程で学生達、 現場の諸活動を、ワイズナーの大著『防災原論』 特に 4 年生が、give & given であることに気づ の増圧・減圧モデルに照らし合わせて丁寧に分 くようであるが)の関係で、3 年生は 4 年生の卒 析した秀作。 論執筆に関わる各種作業 (例えばコピー取りや 図表の清書など)を手伝いながら、いわば OJT 江成論文「「顔の分かる関係」が成り立つホテル これを身につける。この先輩・後輩関係(グルー 空間は災害時「みなし仮設」となり得るのか~ プ学習)を当ゼミでは「ユニット」と称している。 アイガーデンエア・ホテルメトロポリタンエド 1 大矢根淳ゼミ モントへのインタビュー調査より~」は、装置 髙野論文「村落共同体から都市「コミュニティ」 産業としてのホテルが(東日本大震災で脚光を モデルへの変化に対応した地域活動について考 浴びた)「みなし仮設」として機能しうるかどう 察する~川崎市多摩区宿河原地域でのフィール か、果敢に考察した。そこにホテルの「おもてな ドワークから~」は、地元区役所とゼミのコラ しの心」や、対象フィールド「アイガーデンエア」 ボ事業から展開した区事業に、自身が積極的に のスローガン「顔の見える関係づくり」を包含し 参画することで得た知己を大切に紡ぎつつ、大 てみせたところに、就職先・ホテル業界の防災対 都市近郊住宅地域を都市コミュニティ論の枠組 応への鋭くも大きな期待を寄せている様が読み みで分析してみせた。地域構造分析を緻密に重 とれる。 ねてきた労作。 本間論文「生活防災及び地区防災計画制度から 百武論文「「パニック」をスメルサーの価値付加 考察する「識災」豊かな実践共同体とそこでの 過程論を用い分析する~2000 年に発生したバ アイデンティティ形成~岩手県陸前高田市米崎 ングラデシュ工場火災事故とガソリンパニック 地区でのフィールドワークを通して~」は、復 の事例から~」は、自身の焦燥体験を開陳して、 興ボランティアの経験から発想して、現地の復 それを、巷に流布するパニック現象として理解 興の取り組み事例に肉薄し、それらを防災社会 するべきではないこと(そしてそれは、精神医学 工学の諸概念(生活防災、地区防災計画)で解析 で説かれるところのパニック障害であったこ すると同時に、その取り組みの実像を造語「識災 と)を、災害社会学・集合行動論で紐解いてみせ 豊か」と表象してみせた労作。 今年度代表論文に た努力作。 選出された。 山﨑論文「自己組織性概念の自省作用から見る 加我論文「三陸鉄道が BRT ではなく鉄道での 中間集団としてのコミュニティラジオを考察す 復旧にこだわる理由を集合的記憶論から考察す る~FM いわきへのインタビューを通して~」 る~三陸鉄道従業員と沿線住民へのインタビュ は、自らのラジオ局でのアルバイト経験から展 ー調査から~」は、被災鉄道復活のロジックを 開して、東日本大震災の被災地におけるラジオ 探って、被災地における伝統芸能再興の構制と の有用性を論ずることとしたわけであるが、大 意義を、集合的記憶論で読み解いて見せた。吟 著『自己組織性』を読破してそこから「自省作用」 味され尽くした概念を保持することで、その視 概念を抽出して分析に供していて、地域社会学 角からは日常の出来事が実に豊かに析出される の中間集団論に着地させて見せている。また、 こと、これを活字メディアに就いてからの筆者 インタビュー・データの整理・利用に至るまで、 の作品に期待したい。 緻密に組み上げられた秀作。 木村論文「水利組織スバックの役割から、地域 竹田論文「地域から生まれる共同性と公共性か に生まれる公共性を考察する~バリ島ウブド地 ら考察する「“復興”概念=発災から生活再建ま 域での聞き取り調査を通して~」は、学部専門 でのプロセス」の提唱~岩手県陸前高田市での 科目の授業で識ったインドネシアの水利慣行の 108 日のフィールドワークより~」は、東日本大 事例に触発されて、多大な労力・コストを払って 震災の復興ボランティアの現場体験から自問し 現地を訪れ、分析に際しては地域社会学の公共 つつ、「復興」概念と格闘して自らの解釈・定義を 性論に加えて、減災ボランティア論の「恊働」概 創出して見せている。その過程で、(防潮堤整備 念を選出・援用するに至っており、その卒論作成 などに関わる)住民説明会に現出した対立構造 の苦闘の流れがよく読みとれる構成に仕上がっ を読み切り、そこにおいて復興概念が諸主体間 ている。 で決して交差することのない非生産性、その重 層性を析出してみせた秀作。 2 2014 年度 卒業論文講評 橋本論文「世界遺産保護活動を通して、機能分 者の人となり、取組み具合等を勘案して加点し 析における潜在的機能を果たすプロセスを考察 てあげるところがったか、⑮授業中の報告を聞 する~株式会社 MIRADOR への聞き取り調査 いて関心・理解が深まったか、 ⑯ゼミ運営への寄 から~」は、インターンシップ経験で基点を得 与は十分であったか、の計 15 項目。これにそ たナスカ地上絵保護活動を、社会学者マートン れぞれ1~3点の点を付けて合計する。今年度 の機能分析の範例、特に没機能、潜在的機能が は、本間論文が最高点となり、これがゼミ代表 見いだされるプロセスに併記・明示させて見せ 論文として提出され、1 月末の専修社会学会大 た労作である。本論執筆過程では潜在的逆機能 会で代表論文として報告されることとなった。 までもが析出されてきており、フィールドへの 本間君はゼミ代表としても尽力してくれていた。 研究成果還元の意義は大きい。 おめでとう、そして、ありがとう。 但野論文「宮城県気仙沼市の水産業と復興支援 おわりに 金「がんばる漁業」の不整合~水産関連事業主 へのインタビューから~」は、東日本大震災に さて、例年のごとく今年も「大矢根ゼミ卒論の 遭って地場産業復興に邁進する親族への聞き取 タイトルは長すぎる」と、編集担当には不評とな りをベースに、復興施策が必ずしもその制度設 ることであろう。しかしながら、かくもタイト 計にそぐう形で展開していない負の側面を析出 ルが長くなってしまうのは、私の指導の至らな して見せている。内部告発的な素材であること さもさることがら、卒論に真摯に取り組んだゼ から、本論における記述・分析にかなり難しさが ミ生が、その成果を少しでも正確に伝えたいと あったことと思われる。労作。 の思いから、そうさせてしまうということをこ こに特記しておきたい。ゼミでは、タイトルに その研究の「領域」「対象」「方法」が漏れなく盛り 査読・S1 グランプリ 込まれ、メインタトル、サブタイトルにそれら このところ数年、提出された卒論は数日中に が効果的に割り振られ、そして決して言葉が重 ゼミ生によって査読される。査読では、以下の なるなどのミスを犯さないように、との指示が 項目に即して採点が行われる。まず、「論文の内 ユニットを通じて語り継がれている。今しばら 容構成」について、①先行業績のレビューが十分 くこうたタイトル事情は続くことと思われます なされているか、②基本的な概念が先行業績よ のでご勘弁いただきと思う。 り抽出されているか、③調査方法論、その組み これまで数年、私は 2 年生の社会調査実習を 合わせが明確に記されているか、④論文で扱わ 担当せず、3 年生の社会調査士実習を担当して れている事柄に関する一般的傾向について既存 きた。したがって、3 年ゼミ生は、私の調査研 データで概説してあるか、⑤自身が実施した調 究のスタイルにはあまり身近に接する機会がな 査プロセスが漏れなく記さているか、⑥調査デ いところでゼミ選択を行ってきた。今年の 3、4 ータが過不足なく提示されているか、⑦800 字 年生がそうだった。 しかし 2014 年度の今年は、 の概要は適切に記されているか。次いで、「論文 2 年生の社会調査実習を担当していることから、 の書式」について、⑧論文構成図は明確か、⑨論 来年度の新 3 年ゼミ生の多くは、この社会調査 文構成図に盛り込まれている用語は本文中で明 実習クラスからあがってくることとなる。どろ 確に定義され位置づけられているか、⑩本文中、 くさいフィールドワークに取り組む卒論が現れ 図表が適切に提示されているか、⑪引用文献等 てくるかもしれない。 ゼミ OG・OB 諸氏も是非、 の提示法は適切か、⑫タイトルには領域・対象・ 後輩の叱咤激励に顔を出していただきたいと思 方法が過不足・重複なく表現されているか。最後 う。 に「読後感」について、⑬他の学生に卒論の仕上 げ方の例として紹介する気になったか、⑭執筆 3 2014 年度 卒業論文要旨 台東区谷中地区の 首都直下地震対応における脆弱性の 根源的原因克服の道筋を探る 「顔の分かる関係」が成り立つ ホテル空間は 災害時「みなし仮設」となり得るのか ―まちまち net への参与観察と ~アイガーデンエア・ホテルメトロポリタン インタビュー調査を通して― エドモントへのインタビュー調査より~ LH21-4066E 羽岡 信 HS23-0036C 江成 洋平 本論文執筆のきっかけは東日本大震災でホテル が地域の避難所として活用されていたことを知り、 災害時ホテルという装置産業の果たす役割の可能 性を強く感じたことである。そして、「『顔の分か る関係』が構築されている空間(アイガーデンエ ア ) に 位 置 す る ホ テ ル は 、“ 復 元 = 回 復 力 (Resilience)”が有効に機能することで、災害時 みなし仮設となり、大規模災害への備えや事前復 興に貢献する。」 という仮説を立て、 例証していく。 第 1 章では上記の研究課題と仮説の他に方法論 を記述した。第 2 章ではホテルという装置産業と 災害の関係を東日本大震災を元に理解し、第 3 章 で対象となる千代田区の地域性を確認、第 4 章で は仮設住宅や避難所の実態を把握しそれらの在り 方を再考する。第 5 章のインタビュー及びフィー ルドワークから、アイガーデンエアでは防災訓練 や地域の祭りによって「顔の分かる関係」が日常 から育まれていることが明らかになった。第 6 章 でそうした日常の行動や習慣の持つ特性を分析す る手がかりとなる“脆弱性(Vulnerability) ”及 び“復元=回復力(Resilience)”概念について述 べていく。これらを踏まえ、アイガーデンエアが 日常から「顔の分かる関係づくり」をしているこ とやホテルでの「おもてなしの心」といった業務 上の習慣の応用が、対象地区の“脆弱性 (Vulnerability)”に対する反発力として機能す るのではないかと考察した。そこでは、ホテルの 装置産業としての多様な機能があることも。一つ の重要な要素であると言える。結論として、ホテ ルを「みなし仮設」として利用することで、深刻 なダメージから立ち直らせる問題解決能力である ところの“復元=回復力(Resilience)”につなが り、大規模災害への備えと事前復興にも貢献する のではないかとまとめ提起して、本論文とした。 本論文は首都直下地震に対してどう向き合えば 良いのか、という筆者の自身への問いかけからは じまっている。そして、台東区谷中にある、まち まち net の方々の防災に対する熱い思いに触れ、 ここに答えの手がかりがあるのではと思い、 「まち まち net は、谷中地区の首都直下地震に対するリ スクを小さくしている」という仮説を立て、まち まち net への参与観察とインフォーマル・インタ ビュー、文献調査を通して例証した。 まず、本論文における論文課題、仮説、方法論 を記述した(第一章) 。次に現在想定されている首 都直下地震の概要と、台東区の対策を確認した (第 二章) 。そして、台東区と谷中の地域特性と地域危 険度から、地震時の木造住宅密集地域の危険性を 示すとともに、対象であるまちまち net の紹介を した(第三章)。ここで、まちまち net への市民力 向上講座への参与観察と、まちまち net メンバー へのインフォーマル・インタビューから、①谷中 が歴史ある町並みの景観保護に力を注いできたこ と、②谷中コミュニティが役員によるピラミッド 型の構造であることと、③まちまち net の前身組 織が、谷中コミュニティの妨害を受けながらも、 谷中防災コミュニティーセンターの防災機能改善 に貢献していたことが明らかになった(第四章)。 そして、ワイズナーの脆弱性概念と災害の増圧と 減圧モデル(PAR)を示し、阪神・淡路大震災の分 析例を参考に(第五章)、首都直下地震対応におけ る谷中の根源的原因が「誰かがやってくれるだろ う」という他人ごとの防災意識と、経済力(予算 の使い方)と権力(年功序列的、地元事業者に優 位な町会役員任命制)の不平等な配分であると考 察した(第六章)。そして、自分の暮らす町のリス クを減らす第一歩は、町の社会構造に進んで関わ ることであると結論をまとめ、本論文とした。 4 大矢根淳ゼミ 生活防災及び地区防災計画制度から 考察する「識災」豊かな実践共同体と そこでのアイデンティティ形成 三陸鉄道が BRT ではなく 鉄道での復旧にこだわる理由を 集合的記憶論から考察する ~岩手県陸前高田市米崎地区での ~三陸鉄道従業員と沿線住民への フィールドワークを通して~ インタビュー調査から~ HS23-0047H 本間 智裕 HS23-0049D 本論文は東日本大震災により一次避難所が津波 で浸水し、多くの犠牲者が出るなどの被害がでた 岩手県陸前高田市米崎地区を主な対象地とし、 「避 難マニュアルに含まれるべき項目や平常時に防災 の取り組みとして必要なことは何か」という疑問 から出発して、 「同地区は「再生の里 ヤルキタウ ン」を拠点にして地域防災力につながる生活防災 とその実践共同体を形成し、 「成解」となる「地区 防災計画」を作成する事が可能となった」という 仮説を立て、現地調査を行い検証した。なお「成 解」とは「正解」 (真理)とは異なり、空間限定的 で、時間限定的な性質を持つ解の事である。 第 1 章では上記の研究課題と仮説の他に方法論 を記述した。第 2 章では陸前高田市の概要と東日 本大震災による被害状況を報告し、かつ明治三陸 地震津波、昭和三陸地震津波、及びチリ地震津波 の概要を説明した。第 3 章では「避難マニュアル 等住民説明会」の見学、 「逃げ地図」制作の現場観 察を行い、第 4 章では「避難マニュアル等住民説 明会」をもとに地区ごとの特徴と「地域防災計画」 の限界を示し、第 5 章ではそれを補完する「地区 防災計画」を説明した。第 6 章では矢守克也の『防 災人間科学』から生活防災と「成解」を抽出した。 これらを踏まえて考察した結果、米崎地区はヤ ルキタウンを拠点に防災に関する実践共同体と、 防災とは無関係の実践共同体が相互に関係し、生 活防災と言える営みを実践できていると言えた。 そして、ヤルキタウンにおける新たな実践共同体 が、 「地区防災計画」を作成する可能性を見出すこ ともできた。最後に、違う角度から住民が災害を 認識し地域へ意識を向け、自らの地域の「成解」 を見出す営みを「識災」とし、あらゆる災害とそ れに起因する被害が想定される今日において、 「識 災豊か」な防災文化が求められると提言した。 加我 晋二 本論文は、 「三陸鉄道はなぜ BRT ではなく鉄道で 復旧することにこだわるのか」という筆者の疑問 から始まり、三陸鉄道沿線住民の集合的記憶から 見た三陸鉄道を明らかにすることを課題とし、 「三 陸鉄道は沿線住民にとって『伝統文化』という存 在意義を含んでいる」という仮説を立てた。 第 1 章では、上記の研究課題と仮説の他に方法 論と本論文での概念の設定を述べている。第 2 章 では、三陸鉄道沿線地域の地理的環境や産業、人 口などを概説した。第 3 章では、地方の民営鉄道 の厳しい経営状況を説明し、そのひとつである三 陸鉄道が東日本大震災で大きな被害を受け、そこ から復旧に至るまでの経緯、経営を黒字転換させ るための計画を説明した。第 4 章では、線路があ った場所にバス専用道を作り、そこにバスを走ら せる BRT の説明と、鉄道を廃止して BRT で復旧し た茨城県の鹿島鉄道を事例に、BRT の評判を説明 した。第 5 章では、沿線住民の A 氏、三陸鉄道関 係者の B 氏に対するインタビューのプロセスや方 法を詳細に記述している。第 6 章では、集合的記 憶という概念を使って三陸鉄道を考察する。集合 的記憶とは、集団が何かしらのきっかけ(装置)に よって以前の体験を強く思い起こし、再体験する という概念である。ここでは、沿線住民がどのよ うなきっかけ(装置)によってどのような体験を再 体験しているのかを探っている。 考察から、三陸鉄道の企画列車である「こたつ 列車」に登場する「なもみ」が装置となって、沿 線住民に伝統芸能の記憶を呼び起こし、古くから の伝統を再体験させていることがわかった。 「なも み」は少子化や過疎化によって衰退していた。そ の中で、 「なもみ」を見せる場である三陸鉄道は伝 統芸能を継承する場としての役割を含んでいたた めに、鉄道での復旧が必要だった。 5 2014 年度 卒業論文要旨 水利組織スバックの役割から、 地域に生まれる公共性を考察する 村落共同体から都市「コミュニティ」 モデルへの変化に対応した地域活動 について考察する 〜バリ島ウブド地域での聞き取り調査を通して〜 ~川崎市多摩区宿河原地域での フィールドワークから~ HS23-0058B 木村 太郎 HS23-0077G バリ島のウブド地域で、世務を司るデサ・ディ ナス(行政村)ではなく、水利組織スバックによっ て水路が管理されているのはなぜだろうか。4 年 生前期に受講した専門科目の講義で抱いた疑問が、 本論文の執筆のきっかけである。 そこで「生活に欠かせない水路管理を、ウブド 地域の住民が恊働で行うことにより、住民自身が 共同性を自覚し『小さな小文字の公共性』を生み 出している」という仮説を立て、田中重好の公共 性の概念をもとに、研究していくこととなった。 実際に筆者がバリ島ウブド地域に足を運び、聞 き取り調査を行ったものを中心に述べている。ス バックのメンバーが、組織の一員として自覚を持 ち、「恊働」で水路を管理することにより、「地域 的な共同性」を生み出していることを明らかにし 「小さな小文字の公共性」を例証できた。 本論文は、まず第1章で、課題・仮説・方法論・ 本論文での概念を解説した。次に第2章では、バ リ島のウブド地域の地域特性とコミュニティの形 成についてまとめた。第3章で、用水路と、それ を管理するスバックについて述べた。そして、第 4 章では本論文の核である聞き取り調査の抽出を まとめた。 第 5 章から、地域社会学の「共同性」と「公共 性」の概念を説明していく。第 6 章では第 2 章か ら第 5 章をもとに「地域から生まれる公共性」を 明らかにする。 バリ島のウブド地域の村に「小さな小文字の公 共性」が成立していることは例証できた。 「小さな 小文字の公共性」が「小さな大文字の公共性」に は移行しないことは明らかにできたが、 「大きな大 文字の公共性」についてはデータ不足のため、例 証できなかった。 6 髙野 陽子 本論文執筆のきっかけは、3 年次に多摩区役所 との地域振興活動である「ジモカツ」に参加した ことである。活動を取材するにつれて、漠然と「町 内活動が活発である」と感じるようになり、社会 学的に分析してみたいと感じるようになった。そ こで「宿河原地域は農村から都市への変化の中で の、コミュニティの変化に柔軟に対応することで、 活発な地域活動を可能としている」という仮説を 立て、フィールドワーク、インタビュー調査、文 献調査により検証していった。 まず、 第 1 章において本論文における論文課題、 仮説、方法論を定め、執筆までの流れ、用語の解 説・定義を記述した。第 2 章において川崎市、多 摩区、宿河原地域と細分化しながらの地域特性を 記述した。このなかで、 「川崎市」という大都市の 機能と、大都市によって造り上げられた「宿河原 地域」という「大都市近郊住宅都市」としての宿 河原地域の特性を記述した。第 3 章において宿河 原地域を分析するために都市と村落の特徴につい て記述した。第 4 章において、宿河原地域のフィ ールドワークを行った。伝統的な行事と、宿河原 が進める「安心して暮らせるまち 宿河原」に関 する行事に参加し、その特徴を分析した。第 5 章 ではフィールドワークにおける聞き取り調査と、 インタビュー調査の分析を行った。ここではフィ ールドワークにおいて確認した宿河原地域の特性 の裏付けや、その特性が構成されるまでの過程を 分析した。第 2 章~第 5 章を踏まえたうえで、第 6 章で考察を加えている。宿河原の地域特性から 読み取る「都市コミュニティ」を分析した。急激 な都市化によるコミュニティの変化に、宿河原地 域は柔軟に対応することで地域活動の活発化を図 ったというを結論をまとめ、本論文とした。 大矢根淳ゼミ 「パニック」をスメルサーの 価値付加過程論を用い分析する 自己組織性概念の自省作用から見る 中間集団としての コミュニティラジオを考察する 〜2000 年に発生したバングラデシュ工場火災 事故とガソリンパニックの事例から〜 HS23-0090B ~FM いわきへのインタビューを通して~ HS23-0106J 百武 美由紀 山﨑 航平 大矢根ゼミに入り、災害時にはラジオが役に立 つという話を聞いた。しかし、私の回りではラジ オを普段から聞く人は少なかった。そこで「なぜ コミュニティラジオが災害時に有効なのか」を明 らかにするため、 「自己組織性の自省作用から見る コミュニティラジオは中間集団としての働きを持 つ」という仮説を立てた。 本論文では、まず第一章、課題・仮説・方法論・ 用語を概説そた。第二章ではラジオのバックグラ ウンドについて、第三章でラジオのメディア特性 について述べた。第四章では中間集団についてま とめた。グローバル化によって生じた空間の圧縮、 IT 化により市民的公共圏が壊され、ガバメントで は対応しきれなくなり、中間集団の必要性が浮き 彫りになった。今田高俊『自己組織性』の自己組 織性概念の前提となる、自省作用を用いて中間集 団の再定義を行った。第五章では FM いわきにイン タビューを行い、地域との恒常的な関わりから築 いたつながりによって取材に出られない FM いわ きに多くの情報が届き、幅広いニーズに応えるこ とができたことを示した。第六章では FM いわきは 地震の揺れによって機能しなくなったシステムを 再構成するために、放送を使って支援をしたこと から、自省作用が働き、中間集団の機能があると 考察した。 FM いわきは自省作用を持ち、環境の変化に適応 するために自らを変えることで、システムの再構 成を支援する組織、つまり中間集団としての機能 を持ったという結論に至った。 本論文は、大勢の前に出ると発汗、動悸がする といった症状は、社会学的にパニックと言うこと ができるのだろうか、という筆者の疑問から始ま り、精神的パニックは、社会学におけるパニック と同義であるのかどうかを明らかにすることを課 題として、他者とのコミュニケーションをする際 の発汗、息切れなどの症状は社会学的にもパニッ クと呼ぶことができる、という仮説を立てた。 第 1 章では、上記の研究課題と仮説の他に方法 論と本論文で用いる用語などを説明している。第 2 章では、精神医学における自身の幼少期の経験 の位置づけを説明している。第 3 章では、社会学 におけるパニックを説明するために、社会学や災 害社会学が歴史的に何を研究対象としてきたか、 説明している。第 4 章では、スメルサーの理価値 付加過程論や、集合行動の発生要因などを説明し ている。第 5 章では、 パニックを含む集合行動の、 社会変動との関係を説明している。第 6 章では、 価値付加過程論を使って、2 つの事例(2000 年に 発生したバングラデシュ工場火災事故とガソリン パニックの事例)を考察する。 価値付加過論とは、 事故が発生した現場で逃げ道が限られたり、自分 の命が危ういかもしれないという不安が広まって いたり、様々な背景・条件によって、常軌を逸す る行動、つまりパニックの発生する条件を明らか にした理論である。 第 7 章と第 8 章では、幼少期の体験は、精神医 学におけるパニック障害と位置付けられ、社会学 におけるパニックとは異義であるということを結 論とした。 7 2014 年度 卒業論文要旨 地域から生まれる共同性と公共性か ら考察する「“復興”概念=発災から 生活再建までのプロセス」の提唱 世界遺産保護活動を通して、 機能分析における潜在的機能を 果たすプロセスを考察する ~岩手県陸前高田市での 108 日の フィールドワークより~ ~株式会社 MIRADOR への聞き取り調査から~ HS23-0117C 竹田 耕大 HS23-0123G 東日本大震災が発生してから、筆者は岩手県で VoLo という組織でボランティア活動を行ってき た。しかし、 「復興」が定義づけされていないため、 住民と行政の対立が生まれていると感じた。筆者 の 108 日のフィールドワークもとに、復興を「発 災から何らかの到達像までの時間、 すなわち過程」 と定義し、筆者の復興論を陸前高田市に提言する ために本論文を執筆してみた。 まず、論文課題・仮説・方法論を定め、第 2 章 では東日本大震災の被害概要と陸前高田市の被災 状況を含めた概要を示す。第 3 章では自らの「復 興」概念を確認するためボランティアの「復興」 概念を、フィールドワークから「変化の先の到達 像」と定義した。第 4 章ではフィールドワークの 主な対象になった再生の里ヤルキタウンで K 氏へ の聞き取り調査から、防潮堤整備における陸前高 田市役所農林水産部水産課の政策に対する住民の 不満が生まれていることを述べた。第 5 章ではそ の脇ノ沢漁港の防潮堤整備と筆者が向き合うこと で、第 11 章で述べる景観という共同性を発見した。 第 6 章では避難マニュアル等の必要性について行 政と住民の対立の様子を実際に見て、上からの一 義的な公共を対立の原因として考察した。第 7 章 からは住民と行政の各々の「復興」の定義に触れ ていくことになるが、ボランティアの経験から 「復 旧」を「復興のための基盤を従前の状態に整備す る土木作業(事業) 」と定義し、第 8 章、第 9 章で、 被災地住民の「復興」 を生活再建への 「プロセス」、 行政の「復興」は「事業」と定義した。第 11 章で は田中重好の『地域から生まれる公共性』から、 共同性と公共性の説明を踏まえて考察し、生活条 件向上の公共性から、住民・行政・ボランティア は復興を、 「発災から生活再建までの、復旧や『小 さな大文字の公共性』事業を織り込んだプロセス」 と定義すると結論づけた。 8 橋本 直幸 株式会社 MIRADOR は、環境の影響等により破壊 が著しく、消滅の危機にあるナスカの地上絵の保 護活動に取り組む企業である。本論文はそのプロ ジェクトに焦点をあて、株式会社 MIRADOR の保護 活動が果たす機能を分析する、ということを課題 とした。 まず、第 1 章で筆者が本論文の課題を設定した 経緯と、論文課題・仮説・方法論をまとめた。第 2 章ではナスカの地上絵に対する現在の危機的状 況とそれに至るまでの歴史を概説し、第 3 章では そのような状況を受けて、保護活動を行うに至っ た株式会社 MIRADOR について紹介した後、第 4 章 で筆者がペルー大使館へ同行して、観察してきた フィールドワークを記述し、加えて聞き取り調査 の調査記録の抽出から、 「他国の企業が行うことで、 受け入れる国が平和であることの PR になり、 その 国の存在意義を高めることができる」ことが分か った。第 5 章では『社会理論と社会構造』におい て、マートン(1961)の機能分析で用いられる社会 学における機能分析の範例を定義し、さらに潜在 的機能を果たすプロセス提示した。そして第 6 章 では、1~4 章で述べた株式会社 MIRADOR が保護活 動に取り組むことで生じた結果から、5 章で提示 した適応事例と比較して考察し、一致することを 証明した。最後に、本来の目的である保護活動と は関係ない、意図されていない結果に、隠された 機能があると結論づけた。 よって、仮説である「株式会社 MIRADOR のナス カの地上絵保護活動は、ペルー共和国の存在意義 を高めるという潜在的機能を果たしている」は例 証された。 大矢根淳ゼミ 宮城県気仙沼市の水産業と 復興支援金「がんばる漁業」の不整合 ~水産関連事業主へのインタビューから~ HS23-0134B 但野 まゆ 本論文執筆のきっかけは、東日本大震災が発生 して、筆者が宮城県気仙沼市で被災したことにあ る。津波被害により、事業の再建に奔走している 友人のご両親、そして、自身の父を見ているうち に、気仙沼の主要産業である水産業の復興が現在 どのように行われ、そして、どのような問題を抱 えているのか明らかにしていきたいと思った。そ して、インフォーマントにインタビューしていく うちに、震災で被災した漁船漁業の早期復興支援 を目的とする国の補助制度「がんばる漁業」につ いて、この事業の目的と現場の使用目的に不整合 が生じており、「がんばる漁業」の終了する平成 23 年の 3 月から気仙沼の水産業は急激に冷え込む 可能性があることが分かってきた。そこで、 「気仙 沼の水産業にとって「がんばる漁業」はその場し のぎになっている」という仮説を立てた。 第一章では、仮説、対象の制定、本論文で用い る用語の概念設定を行った。第二章では、気仙沼 市の地域特性、明治三陸津波、昭和三陸津波、チ リ地震津波の被害について示している。第三章で は、これまでの水産都市気仙沼の成り立ち、震災 以前から山積していた問題、震災後の気仙沼の水 産業が直面している問題を示した。第四章では、 現地調査とインフォーマントの紹介、インタビュ ー調査で見いだした気仙沼の水産業と復興支援金 の不整合について示した。第五章では、復興支援 事業「がんばる漁業」がどのようなものか、そし てその必要性について示している。第六章では、 鉱業都市である新日鐵・釜石を事例に、右肩下が りであった地域産業が災害によりどのような産業 構造へと舵を切ったのかを参照して考察を加えて みた。そこで、 「気仙沼の水産業にとって復興支援 金「がんばる漁業」は本来の目的と整合していな い」という結論が見いだされた。 9
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