基礎からのM&

基礎からの M&A 講座 第 11 回
M&A の論点(4)
クロスボーダー案件の留意点
デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー株式会社
コーポレートファイナンシャルアドバイザリー
坂井 洋介
はじめに
「基礎からの M&A 講座」第 8 回から M&A の個別論点について解説してきたが、今回はクロスボーダーM&A における留意
点について、これまでの実務上の経験を踏まえ解説する。
読者の皆さんは M&A の成功における重要な要素についてどのようにお考えだろうか。巷でよく言われていることであるが、
個人的な実務上の経験を踏まえても、適切な買収価格(およびその他主要契約条件)や PMI(Post Merger Integration)が
結果的に M&A の成功における重要な要素であると痛感する。当該重要性は、もちろんクロスボーダー取引に限った話で
はないが、とりわけクロスボーダー取引においては、主に交渉相手と日本人の文化の違いや言語力(特に英語力)に起因
し、多くの日本企業が困難に直面しているものと思料する。
今回は、クロスボーダーM&A において適切な買収価格やその他主要契約条件を勝ち取るために必須と言える交渉上の
留意点にフォーカスする。
交渉準備
買い手は、ターゲットないし売り手から買収検討に必要な情報を入手し、買収価格やその他主要な買収条件を決定のうえ、
交渉フェーズに臨む。ここで交渉フェーズに進む前に準備すべきことは、買収価格やその他主要な買収条件についてある
程度の幅を持たせ、かつ、それをベースに交渉チームやアドバイザーと買収交渉の基本戦略を構築することである。そし
て、当該基本戦略は交渉チーム体制、役割分担、条件提示の方法(書面/口頭/小出しに伝える/まとめて伝える)等
の細かい事項から交渉相手の反応を踏まえたシナリオ分析まで含む。
個人的な経験から、特に交渉担当者の選定とシナリオ分析、およびシナリオに基づく回答準備が重要と考える。交渉担当
者の選定においては、英語力や M&A に関連する知識を豊富に有しているか否かがフォーカスされることが多いと感じる
が、交渉が比較的スムーズに進んだ事例を振り返る限りでは、英語力や M&A の知識ではなく、しっかりと“No”が言える人
物であるかどうか(押しが強い人物であるかどうか)、交渉センスがある人物であるかどうかが重要と考える。M&A の詳細
な知識等については、交渉中にブレイクタイムを設けて適宜インプットするなど、カバーする方法はいくらでもあるし、流暢
に英語が話せるかどうかはそもそも本質ではないと考える(経験上、交渉相手もあまり英語力については気にしないよう
に感じており、むしろ、英語が流暢であっても、日本人特有の曖昧な発言を繰り返す方が好まれないと感じる)。また、シナ
リオ分析においては、相手の想定するリアクションや相手の重視するポイントを踏まえた分析の視点が重要となるため、
アドバイザーの豊富な交渉経験を活用することが一番のポイントと考える。
交渉上の基本的事項
交渉は契約書やその他書面のやり取りにより実施される部分も多いが、交渉上の重要な局面においいては
Face-to-Face のミーティングにより交渉が実施されることが多い。特にクロスボーダー案件では慣れない国や地域および
言語における交渉であることからも、相当の体力と精神力が要求される。加えて、一般的に日本人は交渉下手だと言われ
ており、より精神的なタフネスが要求されるように感じる。
それでは、クロスボーダーM&A においてどのようにタフな交渉を乗り切ればよいのか。あくまで個人的な実務上の見解で
はあるが、以下に留意すべき基本的事項を示す。これら基本的事項を遵守すること自体簡単なことではないが、頭の片
隅に留めて交渉に臨むことで大きく違いが出るものと考える。
1.
交渉相手との相互の利益の獲得を目指す
買収交渉においては、売り手と買い手の双方が何を目指すかは最も重要な点である。M&A は勝者と敗者が存在するゼロ
サムゲームに必ずしもならず、お互いが相互に利益を獲得することが可能な取引である。これが単純な金融商品等の取
引と違う点であり、M&A ならではの醍醐味でもあると感じる。これはシナジー効果に代表される様々な経営統合効果が存
在することにより、売り手が満足いく売却価格を受領する一方、買い手も事業成長に基づく投資額を上回るリターンを享受
することが出来るものと考えられる。
このような点を踏まえると、交渉上、相互の利益が最大となる点を目標として交渉することが、円滑な交渉および交渉をま
とめるうえで非常に重要なポイントとなる。もちろん、全ての交渉相手がこのような視点でフェアに交渉してくるとは限らな
いが、相互の利益の獲得を目指すフェアな交渉姿勢(フェアでない事項の明確な拒絶を含む)を貫くことは、基本的交渉姿
勢として重要である。
2.
交渉相手のペースに惑わされない
他の買い手候補がいることをほのめかす売り手は珍しくなく、架空の買い手候補の存在を演出する場合も多い。また、プ
リンシパル同士での交渉を強く要求し、アドバイザーを排除しての交渉を試みたり、長時間拘束して精神的・肉体的に疲
弊させるなど、クロスボーダー案件においては、日本では遠慮されるようなことでも平然と実施してくる場面も散見される。
交渉上は、このような交渉相手のペースに惑わされないように留意したい。
個人的な経験から、日本人の「お人好し気質」を利用して上手く自分のペースに引き込む場面も多く見られ、この点も留意
いただきたい。特に相対取引においては、M&A のプロセスの進捗に合わせ、次第にプリンシパル同士が親しくなるケース
が多く、このようなケースにおいて事後的にプリンシパルから合意した事項を告げられることも少なくない。経緯を詳細に
聞いていくと、些細な論点であるため特にアドバイザーに相談せずとも問題ないと判断して相手の要求を受け入れたとい
う話が比較的多いのだが、一つ一つの重要性は低くとも、交渉アイテムが減少すること自体、後の交渉でボディーブロー
のように効いてくる場合もあるため留意いただきたい。特に、買い手である場合において、買収価格に関して早期に合意
することは避けることをお勧めする。通常、売り手にとっての最大の関心事は売却価格であるから、あの手この手で売却
価格の早期の合意を求めてくるが、この点を早期に合意してしまうと後の交渉が悲惨なものとなってしまう。実際に、買収
価格に早期合意してしまったがゆえ、売り手から譲歩を引き出すための重要手段が、“案件から手を引くか否か”のみとい
う状況となり、満足のいく表明保証や補償等を獲得出来なかった事例も存在する。当該事例では、創業家株主兼経営者
である交渉相手に買収後も引き続き経営者として関与してもらうことが条件であったことから、案件を通してプリンシパル
間の関係が非常に近く、上手くアドバイザーのいない場で価格のみを合意させられてしまったのである。
上記事例も含め、クロスボーダー案件ではビジネス環境の相違等も影響し、交渉相手に買収後も引き続き経営者や JV
パートナーとして関与してもらうことが多い。そして、このような案件においては友好的な関係が交渉の過程でも構築され
るものであるが、その友好的な関係を利用して、自己に有利な条件を飲ませてくる場合が散見されるのである(これは交
渉相手と仲良くするな、ないしは、信用しない方がいいということを主張したいわけではなく、あくまでフェアでないことはフ
ェアでないと言える関係を構築することが重要、という意味の主張であることを念のため申し添える)。
いずれにしても、クロスボーダー案件においては、“だめもと”で法外な要求をしてくる場面が多く、また、当該要求を明確
に押し返さない場合においては、より法外な要求がエスカレートするため、フェアでないことは明確に拒絶する姿勢が肝要
と考える。
3.交渉において相互の理解を適宜確認する
長い交渉プロセスにおいては、相互の妥協点を見出したと考えていても、実は相互の理解に大きな隔たりがあったという
ことも珍しくない。実際にプリンシパルの意図にそってアドバイザー間で交渉する場面も多いのだが、それぞれのアドバイ
ザーが把握しているプリンシパル間で合意した事項、協議した事項の認識が異なり、結局時間を割いて集まったミーティ
ングを別の日程で再実施せざるを得ない場面は実に多いと感じる。相互の理解の相違の原因としてさまざまな要因が考
えられるが、まず相互が自分にとって有利な結果を望む心理が働くことが挙げられる。また、日本人は特に慣れない英語
で意思を伝え、かつ、交渉相手も当該英語により交渉内容を解釈せざるを得ない状況も要因として挙げられる。
これらを回避する手段は、非常にシンプルである。重要な論点がまとまった際に必ず書面で確認する作業を実施し、相互
に確認することである。そして、可能な限りにおいて具体的な対応(例えば契約書への具体的な規定方法等)まで決めて
おくことが肝要である。
また、このような相互の理解のギャップは内部、つまりプリンシパルとアドバイザー間でもしばしば起こる。交渉の現場にお
いては、決定すべき重要な点について、売り手と買い手それぞれが交渉を一時中断し、別の部屋で作戦会議を持つ事を
思い切って提案することも肝要である。このようにして内部的な意思疎通を図ったうえで、それをどのように交渉相手に伝
えるかを確認する姿勢が重要である。
4. 交渉相手にとっての重要事項/優先事項を理解する
至極当たり前のことであるが、交渉では相手が何を欲しているかを知ることが肝要である。M&A が発生する理由は多岐に
わたるため、必ずしも一般的な重要事項を交渉相手が重視しているとは限らないからである。例えば、買い手としての買
収交渉では、売却動機を詳細に知ることにより、交渉の中で相手が何を欲しているかをある程度判断できる。売却の動機
が創業家オーナーの引退後の安定した生活にあるのか、コングロマリットが事業ポートフォリオ見直しの一環としてノンコ
ア事業を売却するのかなど、売り手の背後にある状況は買い手が買収交渉に臨むうえで参考になる。前述のコングロマリ
ットのポートフォリオ見直しが公表されており、実行期限を外部投資家に一定程度コミットしている場合には、当該期限内
の売却が売却価格に比して優先される展開も想定し得るし、経営陣が変化した後のポートフォリオ戦略見直し後の売却で
あれば尚更である(当該事業の売却の責任は前経営陣に帰すると看做されるため)。
このようにして売り手に関する状況を把握し、可能な限りの情報を集め、売り手の最低限の条件を探ったうえで交渉するこ
とが重要である。その際に留意すべきは、どの程度自社以外の買い手候補が存在するか、当該買い手候補の真剣度、売
り手がどの程度売り急いでいるかなどである。特に競争入札案件では、同時並行的に同じ条件の下で入札が行われるた
め、他の買い手候補の分析は非常に重要となる。
5. アドバイザーを利用する
これまで記載してきた留意点は極めて基本的と言える事項であるが、実際に忠実に実行に移すとなるとハードルを感じる
方も少なくないのではないかと考える。それでは、どのような方法により基本的事項を忠実に遵守してクロスボーダー案件
における交渉を進めればよいのか。この問いに対する一つの答えとして、対象地域における十分な知識と経験を有する
外部の第三者たるアドバイザーの利用が挙げられる。
アドバイザーにサポートを仰ぐ事項として、具体的には、多くの取引経験に基づく冷静な交渉プロセスの管理、交渉戦略
立案のサポート、交渉のプロフェッショナルとしての代理交渉等が挙げられる。プリンシパル同士の交渉では、感情的な議
論となることも少なくないことから、冷静な第三者によるプロセス管理や交渉戦略の見直しは有益である。また、交渉のプ
ロフェッショナルとして、交渉を一定程度任せることも効果的・効率的な交渉に資すると考えられる。特に買収先が長年の
取引関係があるような会社である場合など、厳しい要求を直接伝えることが困難な相手との交渉において、その利用価値
はより高まると考える。
個人的な経験上、効果的・効率的に交渉を進めるプリンシパルは、概して上記のようなアドバイザーの利用価値を理解し
ており、交渉局面に応じたアドバイザーの使い分けに長けているように感じる。ぜひ積極的に外部アドバイザーを利用して
はいかがだろうか。
次稿は、「M&A を成功に導くためのポイント(留意すべき点)」を取り上げる。
本文中の意見や見解にかかわる部分は私見であることをお断りする。
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よび税理士法人トーマツを含む)の総称です。トーマツグループは日本で最大級のビジネスプロフェッショナルグループのひとつであり、各社がそれぞ
れの適用法令に従い、監査、税務、コンサルティング、ファイナンシャルアドバイザリー等を提供しています。また、国内約 40 都市に約 7,800 名の専門
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(www.deloitte.com/jp)ををご覧ください。
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