新 戦 力 ・ 角 川 地 名 大 辞 典 が 効 く !

風早へ 久萬山へ 第 2 部
〔
近
世
〕
河
原
村
江
戸
期
~
明
治
年
の
村
名
・
(
中
略
)
天
保
十
四
年
で
あ
り
、
そ
れ
を
二
神
氏
一
族
に
新
恩
給
与
し
た
も
の
と
み
ら
れ
る
。
寺
領
分
を
除
く
「
河
原
分
」
を
宛
行
っ
て
い
る
。
当
地
が
河
野
氏
の
直
轄
領
天
文
十
四
年
六
月
十
六
日
に
は
河
野
通
直
は
二
神
孫
右
衛
門
に
、
正
崇
の
う
ち
か
。
る
。
同
史
料
に
よ
る
と
前
知
行
者
は
松
末
和
泉
守
で
あ
っ
た
。
粟
井
荘
(
郷
)
直
か
ら
二
神
兵
庫
助
に
宛
行
っ
た
所
領
は
、
河
原
分
の
う
ち
の
一
町
で
あ
」
の
庄
屋
は
五
兵
衛
(
渡
部
家
文
書
)
。
明
治
五
年
の
「
松
山
領
里
正
鑑
」
で
「
は
里
正
は
田
中
直
己
。
同
六
年
愛
媛
県
に
所
属
。
「
風
早
郡
地
誌
」
に
よ
れ
、
ば
村
の
広
さ
は
東
西
七
町
二
一
間
・
南
北
二
町
四
七
間
、
戸
数
一
九
、
人
口
22
九
六
、
牛
五
、
馬
一
二
。
明
治
二
十
二
年
粟
井
村
の
大
字
と
な
る
。
伊
予
国
風
早
郡
―
―
江
戸
幕
府
の
命
で
作
成
さ
れ
た
古
絵
図
34
六
月
十
六
日
の
河
野
弾
正
少
弼
通
直
知
行
宛
行
状
(
二
神
文
書
)
に
河
野
通
〔
中
世
〕
河
原
戦
国
期
に
見
え
る
地
名
。
風
早
郡
の
う
ち
。
天
正
十
四
年
か
わ
ら
河
原
(
北
條
市
)
川
原
と
も
書
く
(
慶
安
郷
村
数
帳
)
。
違
っ
た
ア
プ
ロ
ー
チ
が
で
き
た
よ
う
で
あ
る
。
た
。
三
五
〇
〇
円
也
。
早
速
、
「
河
原
」
の
項
に
ア
ク
セ
ス
。
平
凡
社
版
と
川
日
本
地
名
大
辞
典
/
愛
媛
県
』
を
江
古
田
の
「
根
元
書
房
」
で
探
し
当
て
平
凡
社
版
「
地
名
体
系
」
と
並
ん
で
、
こ
の
手
の
定
番
と
評
価
さ
れ
る
『
角
さ
ら
に
新
し
い
情
報
源
と
遭
遇
し
た
。
新
戦
力
・
角
川
地
名
大
辞
典
が
効
く
!
風早へ 久萬山へ 第 2 部
〔
中
世
〕
正
岡
郷
戦
国
期
に
見
え
て
く
る
郷
名
。
風
早
郡
の
う
ち
。
永
禄
寺
を
建
立
し
て
い
る
正
岡
家
文
書
。
躍
し
、
鎌
倉
後
期
に
は
正
岡
経
孝
が
降
り
、
母
の
宗
昌
禅
尼
の
た
め
に
宗
昌
35
に
あ
た
る
。
中
世
に
は
河
野
親
経
の
跡
と
い
う
正
岡
氏
が
当
地
を
中
心
に
活
高
縄
半
島
の
北
西
部
、
立
岩
川
の
中
流
左
岸
に
位
置
し
、
高
縄
山
の
西
麓
正
岡
(
北
條
市
)
ば
村
の
広
さ
は
東
西
五
町
一
五
間
南
北
四
町
七
間
、
戸
数
は
四
一
人
口
一
社
。
明
治
五
年
の
「
松
山
領
里
正
は
中
川
信
賢
。
「
風
早
郡
地
誌
」
に
よ
れ
町
域
内
に
は
現
在
で
も
正
岡
姓
を
名
乗
る
者
が
多
い
。
年
毛
利
勢
の
た
め
に
落
城
し
た
が
経
政
の
そ
の
後
は
不
明
で
あ
る
。
な
お
、
と
し
た
が
、
逆
に
敗
れ
て
城
中
で
殺
さ
れ
た
と
い
う
。
幸
門
城
は
天
正
一
三
守
と
共
謀
し
て
経
政
を
討
ち
、
河
野
氏
と
不
仲
の
来
島
通
聡
に
加
担
し
よ
う
〔
近
世
〕
天
保
十
四
年
の
庄
屋
は
賢
次
郎
渡
部
家
文
書
。
神
社
は
一
宮
神
く
ぼ
っ
た
。
天
正
七
年
一
五
七
九
家
老
鳥
生
石
見
守
は
鷹
ケ
森
城
主
越
智
駿
河
五
七
〇
~
一
五
九
二
)
に
か
け
て
の
城
主
は
、
正
岡
経
高
久
保
・
十
三
年
十
二
月
朔
日
の
河
野
氏
奉
行
人
垣
生
盛
周
・
平
岡
房
実
連
署
奉
書
八
二
、
牛
二
馬
一
五
、
舟
一
、
物
産
は
瓦
。
)
る た (
。 所 二
領 神
五 家
箇 文
所 書
の )
う に
ち よ
に る
「 と
難 河
波 野
正 氏
岡 か
間 ら
に 二
五 神
拾 修
貫 理
分 進
可 (
被 重
進 成
事 か
」 )
と 宛
見 行
え っ
海
の
来
島
海
峡
に
対
し
、
山
峡
に
あ
る
町
域
内
に
も
古
る ら と い 家 識 「
つ 。 の は か で る 渡
い
史 い 。 あ 。 部
料 え 明 り こ 家
で
が 、 治 、 れ 文
に
言
、 な 初 庄 は 書
こ に 期 屋 か 」
え
れ か の の な に
ば
か メ 里 五 り 天
、
ら ッ 正 兵 重 保
正
先 セ が 衛 要 年
岡
の ー 田 さ な 間
氏
実 ジ 中 ん 発 の
の
地 し 姓 は 見 両
主
踏 て 。 お で 村
筋
査 く 祖 先 あ の
・
で れ 父 祖 る 庄
河
は て の 様 。 屋
野
必 い 実 と 河 名
氏
ず る 家 い 原 が
の
生 、 田 う の 記
興
き と 中 こ 渡 録
亡
て 思 家 と 部 さ
に
く い は に 家 れ
つ
る た 隣 な は て
い
は い 村 り 祖 い
て
ず 。 に は 母 る
は
で こ 住 す の の
、
あ れ む ま 実 を
こ
(
の
巻
が
簡
明
で
分
か
り
や
す
い
。
「
正
岡
氏
」
に
つ
い
て
も
、
補
強
で
き
る
)
叙
述
が
散
在
し
て
お
り
、
そ
の
い
く
つ
か
を
拾
っ
て
お
く
。
(
ま
た
天
正
一
〇
年
と
推
定
さ
れ
る
五
月
九
日
の
毛
利
輝
元
書
状
(
周
防
村
■
幸
門
城
と
鷹
取
城
幸
門
城
の
攻
防
・
上
文
書
)
に
、
河
野
通
直
に
叛
い
た
来
島
通
昌
の
軍
勢
の
来
襲
に
備
え
て
、
城
跡
は
多
く
、
鷹
ヶ
森
・
鬼
原
・
大
西
・
中
通
・
法
華
津
山
・
瀬
尾
山
・
法
・
河
野
氏
の
軍
勢
は
、
難
波
「
正
岡
郷
」
か
ら
発
向
し
て
い
る
。
木
谷
・
米
田
・
佐
礼
城
そ
の
他
十
四
以
上
が
数
え
ら
れ
る
。
海
抜
二
四
〇
㍍
・
の
大
戸
山
山
頂
の
幸
門
城
は
、
旧
龍
岡
村
に
あ
り
、
手
勢
三
〇
騎
を
も
つ
付
)
近
最
大
の
城
で
あ
っ
た
と
い
う
(
河
野
分
限
録
)
。
「
仙
遊
寺
文
書
」
に
永
正
(
五
年
(
一
五
〇
八
)
正
岡
経
成
の
寄
進
状
が
あ
る
が
、
元
亀
か
ら
天
正
(
一
経
政
父
子
で
あ
風早へ 久萬山へ 第 2 部
産
の
神
と
し
て
今
も
信
仰
を
得
て
い
る
。
し
た
夫
人
の
墓
は
吉
祥
寺
裏
山
に
住
職
に
よ
り
鷹
取
殿
と
し
て
祀
ら
れ
、
安
い
う
。
正
岡
紀
伊
守
経
貞
の
墓
は
古
谷
の
竹
林
寺
に
あ
る
が
、
と
も
に
自
刃
後
ま
で
河
野
氏
の
恩
顧
に
こ
た
え
て
戦
い
、
吉
祥
寺
の
裏
山
で
自
刃
し
た
と
の
名
に
恐
れ
て
ほ
と
ん
ど
開
城
す
る
城
砦
の
う
ち
、
城
主
紀
伊
守
経
長
は
最
る
。
そ
の
後
天
正
十
三
年
の
小
早
川
隆
景
ら
の
四
国
征
伐
で
は
、
豊
臣
秀
吉
の
来
島
氏
・
重
見
氏
ら
に
討
た
せ
た
が
、
後
に
罪
を
許
さ
れ
て
帰
城
し
て
い
と 河 削
鷹
同 い 野 平 山 取
年 う 家 や は 山
七 。 譜 井 今 城
」 戸 治 〈
月
に の 市 朝
、
倉
よ 跡 新 村
経
る 、 谷 〉
貞
と 石 の
の
大 垣 吉 字
動
永 列 祥 古
き
3 を 寺 谷
に
年 残 の の
謀
に す 南 鷹
反
は が 西 取
の
正 、 約 山
疑
岡 空 二 山
い
紀 濠 ㌔ 頂
を
伊 は に に
持
あ
守 埋 あ る
っ
経 没 り 城
た
貞 し 、 跡
河
が て 海 。
野
居 い 抜
通
城 る 約
直
し 。 三
は
て 「 三
、
い 予 〇
旗
下
た 陽 m
。
朝
倉
地
区
古
谷
の
集
落
。
中
央
右
寄
り
の
二
つ
の
左
峰
が
鷹
取
山
城
址
36
文
書
)
。
明
治
五
年
の
里
正
は
門
田
信
弌
。
(
後
略
)
八
反
地
村
(
前
略
)
天
保
十
四
年
の
庄
屋
は
門
田
与
次
右
衛
門
(
渡
部
家
(
後
略
)
貫
と
す
る
越
智
姓
正
岡
氏
の
祖
は
、
河
野
親
経
の
弟
康
孝
の
子
経
孝
と
い
う
。
当
地
が
河
野
氏
の
重
要
拠
点
と
な
っ
た
と
み
ら
れ
る
。
な
お
、
当
地
を
本
風早へ 久萬山へ 第 2 部
父
の
両
親
が
両
養
子
で
跡
を
継
い
だ
と
い
う
。
母
方
は
河
原
村
の
村
長
で
士
郡
の
こ
と
で
あ
ろ
う
。
そ
こ
の
士
族
・
正
岡
家
は
代
々
の
村
長
で
、
そ
こ
へ
片
仮
名
で
「
シ
ュ
ウ
ソ
ウ
」
郡
の
熊
山
の
地
名
が
書
い
て
あ
っ
た
。
周
桑
■
「
駆
け
落
ち
」
の
文
字
か
ら
の
聞
き
書
き
メ
モ
が
出
て
き
た
。
も
し
れ
な
い
。
そ
ん
な
も
や
も
や
し
た
気
分
で
い
た
ら
、
も
う
一
つ
の
、
父
生
存
域
を
高
縄
半
島
の
東
北
側
と
見
た
方
が
、
ル
ー
ツ
に
た
ど
り
着
け
る
か
て
ら
れ
た
と
記
録
さ
れ
て
い
る
よ
う
に
、
本
貫
地
は
風
早
に
あ
る
と
し
て
も
、
た
が
、
一
族
は
土
着
し
て
越
智
、
周
桑
郡
あ
た
り
の
村
々
の
庄
屋
に
取
り
立
東
の
地
域
に
城
砦
を
築
き
、
や
が
て
秀
吉
の
四
国
征
伐
に
刃
向
か
っ
て
滅
び
に
気
づ
い
た
。
正
岡
氏
の
主
力
は
、
河
野
家
を
守
る
た
め
に
、
高
縄
城
か
ら
こ
う
や
っ
て
史
料
を
あ
れ
こ
れ
、
漁
っ
て
い
く
う
ち
に
、
ひ
と
つ
の
傾
向
家 元 曽
。 、 我
土 部
居 勢
ノ と
内 の
、 戦
津 い
倉 が
な 伝
ど 承
城 と
郭 し
を て
示 語
す り
地 継
名 が
も れ
残 て
る い
。 る
庄 。
屋 的
は 射
代 田
々 、
青 市
野 ノ
当
時
小
鴨
部
に
は
幸
門
城
の
支
城
三
谷
城
や
茂
森
城
が
あ
り
、
細
川
勢
や
長
出
来
な
い
で
い
る
。
早
く
、
現
地
へ
赴
き
た
い
。
37
地
一
反
を
寄
進
し
た
が
、
そ
の
在
所
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「
小
鴨
部
ひ
の
口
貞
永
名
」
で
あ
る
。
早
速
、
「
地
名
」
事
典
で
「
熊
山
」
を
捜
し
た
が
、
ま
だ
痕
跡
す
ら
発
見
に
、
竜
岡
村
幸
門
さ
い
か
ど
)
族
。
父
方
は
久
保
村
の
平
民
で
、
身
分
が
違
い
す
ぎ
た
ら
し
い
。
(
そ
の
た
め
か
、
「
駆
け
落
ち
」
の
文
字
が
書
き
加
え
て
あ
る
。
「
船
・
米
城
主
正
岡
左
衛
門
大
夫
経
成
が
佐
礼
寺
へ
田
戦
国
期
に
見
え
る
地
名
。
「
仙
遊
寺
文
書
」
永
正
五
年
六
月
十
二
日
の
条
小
鴨
部
匂
わ
せ
た
ら
し
い
が
、
「
菓
子
製
造
」
を
生
業
と
し
た
と
あ
る
。
相
場
」
は
一
家
が
「
筑
豊
・
直
方
」
に
新
天
地
を
求
め
て
移
動
し
た
経
緯
を
(
こ
か
ん
べ
)
風早へ 久萬山へ 第 2 部
り
追
い
求
め
て
い
た
『
河
野
分
限
録
』
が
同
載
さ
れ
て
い
た
か
ら
で
も
あ
っ
『
河
野
分
限
録
』
は
「
河
野
人
数
巻
」
と
も
い
い
、
筆
者
は
不
明
だ
と
い
う
。
■
御
一
門
三
十
二
将
心
は
す
で
に
、
「
予
章
記
」
に
奪
わ
れ
て
い
た
。
こ
の
中
に
、
か
ね
て
よ
「
古
城
を
ゆ
く
」
に
め
ぐ
り
逢
う
か
ら
だ
。
の
正
岡
氏
」
の
各
居
城
の
陣
容
は
、
こ
の
古
文
書
が
立
脚
点
と
な
っ
て
い
る
久
敬
)
を
改
め
て
申
し
込
む
。
た
の
で
、
す
ぐ
に
返
還
し
、
「
古
城
を
ゆ
く
…
…
伊
予
の
中
世
史
よ
り
」
(
松
残
念
な
が
ら
、
「
伊
予
の
領
主
」
は
南
予
・
宇
和
島
周
辺
に
限
ら
れ
て
い
「
河
野
分
限
録
」
だ
け
は
子
細
に
点
検
し
た
か
っ
た
。
こ
れ
ま
で
、
「
越
智
て
い
る
の
で
、
資
料
的
に
は
、
急
ぎ
深
入
り
し
な
く
て
も
い
い
だ
ろ
う
が
、
「
予
章
記
」
に
つ
い
て
は
景
浦
勉
氏
が
い
ろ
ん
な
と
こ
ろ
で
解
説
・
紹
介
し
じ
仕
組
み
に
、
つ
い
失
笑
し
て
し
ま
う
。
ス
ク
リ
ー
ン
に
表
示
さ
れ
る
。
ま
る
で
大
学
病
院
の
薬
を
受
け
取
る
の
と
同
あ
っ
た
。
待
つ
こ
と
、
二
〇
分
。
「
1
0
0
4
」
の
入
館
ナ
ン
バ
ー
が
電
光
田
武
男
著
)
と
「
予
章
記
・
水
里
玄
義
」
(
伊
予
史
談
会
双
書
第
五
集
)
で
こ
の
収
穫
は
計
り
知
れ
な
い
ほ
ど
、
大
き
か
っ
た
。
い
項
を
摘
ん
で
複
写
を
お
願
い
し
た
。
七
八
七
円
也
。
し
め
て
一
五
一
一
円
。
こ
れ
こ
そ
、
ぼ
く
の
求
め
て
い
た
も
の
と
言
え
た
。
直
ち
に
、
コ
ピ
ー
し
た
新
聞
」
に
連
載
さ
れ
た
も
の
を
、
加
筆
整
理
し
て
単
行
本
化
し
た
38
初
め
に
、
二
冊
を
指
名
し
て
み
た
。
「
中
世
に
お
け
る
伊
予
の
領
主
」
(
須
コ
ピ
ー
の
上
が
り
を
待
つ
間
に
、
「
古
城
を
ゆ
く
」
を
受
け
取
る
。
冊 「
で 愛
、 媛
1
た
。
閲
覧
室
へ
直
行
。
こ
れ
、
こ
れ
。
こ
れ
が
読
み
た
か
っ
た
の
だ
。
コ
ピ
る ゆ た
。 っ 。
た 四
り 月
し 十
た 一
ス 日
ペ 、
ー 地
ス 下
。 鉄
和 有
書 楽
図 町
書 線
目 で
「
録 永
が 田
納 町
入 」
期 へ
別 出
に た
分 。
類 巨
さ き
れ く
て て
い 、
円
に
さ
げ
ら
れ
て
い
る
。
で
は
八
〇
ペ
ー
ジ
に
拡
大
さ
れ
て
い
る
。
コ
ピ
ー
代
も
一
枚
三
〇
円
が
二
四
【
註
】
二
〇
〇
〇
年
当
時
は
五
〇
ペ
ー
ジ
と
限
ら
れ
て
い
た
の
が
、
現
在
い
。
そ
の
手
始
め
と
し
て
、
国
会
図
書
館
を
タ
ー
ゲ
ッ
ト
と
し
て
選
ん
で
み
そ
れ
ま
で
に
調
べ
ら
れ
る
も
の
は
、
可
能
な
限
り
、
手
を
尽
く
し
て
お
き
た
の
を
。
あ
り
が
た
や
、
で
あ
る
。
二
〇
〇
〇
年
六
月
の
第
二
週
に
は
、
風
早
の
郷
へ
赴
く
予
定
を
た
て
た
。
2
4
円
也
。
神
田
の
古
本
屋
街
で
購
え
ば
1
万
円
は
覚
悟
せ
ね
ば
な
ら
ぬ
も
「
予
章
記
・
河
野
分
限
録
」
を
入
手
ペ
ー
ジ
と
限
ら
れ
る
と
い
う
。
う
ま
く
四
八
ペ
ー
ジ
で
収
ま
っ
た
。
金
、
7
ー
シ
ス
テ
ム
が
あ
る
。
早
速
、
手
続
き
。
1
冊
で
コ
ピ
ー
で
き
る
の
は
五
〇
風早へ 久萬山へ 第 2 部
正
岡
氏
の
ご
先
祖
は
、
越
智
郡
幸
門
城
主
■
正
岡
紀
伊
守
は
手
勢
五
騎
の
外
様
譜
代
衆
姓
の
特
徴
を
把
握
し
て
お
き
た
い
か
ら
だ
。
正
岡
右
近
大
夫
経
政
の
名
が
の
三
島
明
神
社
の
職
歴
に
力
点
が
あ
っ
た
。
筆
者
は
塙
忠
韻
と
あ
り
、
伝
承
な
ん
と
そ
の
分
流
・
正
岡
氏
の
由
緒
、
な
ら
び
に
同
氏
が
主
宰
し
た
風
早
郡
う
意
味
だ
か
ら
、
河
野
氏
の
起
源
を
論
ず
る
も
の
で
あ
る
に
も
か
か
わ
ら
ず
、
と
い
っ
た
具
合
で
あ
る
。
あ
え
て
列
記
し
た
の
は
河
野
氏
股
肱
の
衆
の
氏
し
て
い
た
。
初
め
て
耳
に
す
る
題
名
で
あ
る
。
㴑
洄
と
は
流
れ
を
遡
る
と
い
以
上
三
十
二
人
御
代
々
御
連
著
御
末
孫
此
三
十
二
家
ヨ
リ
と
こ
ろ
が
、
で
あ
る
。
「
水
里
㴑
洄
(
そ
か
い
)
録
」
と
い
う
希
書
が
付
随
通 正 備
冬 岡 前
右 守
土 近 通
居 大 森
左 夫
馬 経 今
介 政 岡
通
民
利 黒 部
川
櫛 美 大
部 濃 輔
肥 守
後 通 中
守 博 川
常
宣
武 和 陸
田 守
得 山 通
能 城 任
遠 守
江 通 重
守 勝 見
弥
通
能 河 七
野 郎
左 通
門 俊
ほ
か
に
類
書
も
な
く
重
要
史
料
と
し
て
活
用
で
き
る
。
野
家
臣
団
の
構
成
と
彼
ら
の
活
躍
し
た
地
盤
を
知
る
こ
と
が
で
き
る
の
で
、
後
に
得
能
通
貴
本
と
校
合
さ
れ
て
い
る
と
い
う
。
こ
の
史
料
を
通
じ
て
、
河
建 大
内
松 伊
末 賀
美 守
濃 信
守 泰
通
為 平
岡
久 遠
枝 江
肥 守
前 通
守 倚
宣
盛 南
美
桑 作
原 守
三 通
郎 師
兵
衛 土
泰 居
国 兵
庫
戒 守
能 通
な
お
、
「
分
限
録
」
の
底
本
は
得
能
通
義
本
(
下
浮
穴
郡
野
田
村
)
で
、
櫛
部
出
雲
守
(
竜
門
・
四
騎
)
ら
が
顔
を
揃
え
て
い
る
。
吉 垣 守
光 生 通
加 宗
村 賀
上 守 栗
出 盛 上
雲 周 但
馬
守 大
入
通 野
康 山 道
通
忽 城 閑
那 守
直
式
別
昌
部
府
少 村 宮
輔 上 少
通 掃 輔
著 部 通
頭 興
得 武
居 慶 大
半
祝
右 村 日
エ 上 向
門 備 守
通 前 安
久 守 勝
枝
松
太
郎
光
栄
山
・
六
騎
)
、
岡
部
十
郎
(
重
茂
・
三
騎
)
、
越
智
駿
河
守
(
鷹
森
・
五
騎
)
39
同
じ
グ
ル
ー
プ
に
、
い
ろ
ん
な
挿
話
で
絡
み
合
う
重
見
孫
七
郎
(
石
井
栗
上
左
衛
門
尉
通
妙
ト 河
号 野
ス 伊
〔 予
守
後 越
智
伊 朝
予 臣
守 通
ト 直
号 卿
ス 御
〕 内
御
一 始
門 四
三 郎
十 殿
二 ト
将 云
之 、
事 中
頃
栗
上
因
幡
兵
部
大
輔
ニ
ア 正
リ 岡
紀
新 伊
谷 守
村
ノ 越
内 智
郡
鷹
取
城
主
衆
と
し
て
名
を
連
ね
て
い
る
。
由
並
壱
岐
守
通
賢
手
勢
5
騎
墓
所
新
谷
村
光
雲
寺
予
州
風
早
郡
高
縄
城
主
に
記
述
さ
れ
て
い
る
。
所
属
の
家
臣
名
に
加
え
て
騎
数
等
を
列
記
し
て
い
る
。
そ
れ
は
、
こ
ん
な
風
戦
国
末
期
に
お
け
る
河
野
氏
配
下
の
部
将
の
氏
名
、
本
拠
と
し
た
居
城
名
、
て
い
た
が
、
こ
の
あ
と
、
「
御
旗
下
組
衆
」
が
列
記
さ
れ
て
い
る
の
が
新
し
旗
下
組
十
五
騎
、
合
計
三
〇
騎
。
こ
こ
ま
で
は
、
こ
れ
ま
で
の
史
料
で
知
っ
十
八
将
の
一
人
と
し
て
、
誇
ら
し
く
挙
げ
ら
れ
て
い
る
。
手
勢
十
五
騎
、
御
温
泉
郡
湯
月
城
在
城
さ
て
、
「
鷹
取
城
主
」
の
正
岡
経
貞
は
ど
こ
へ
行
っ
た
の
か
。
外
様
譜
代
い
発
見
だ
っ
た
。
風早へ 久萬山へ 第 2 部
霊
廟
・
高
縄
山
か
ら
流
れ
る
神
水
に
因
ん
で
「
河
野
」
を
氏
と
し
た
、
と
あ
さ
て
、
こ
こ
か
ら
が
「
正
岡
氏
本
家
来
由
事
」
に
入
る
。
越
智
氏
が
風
早
・
高
縄
山
に
大
明
神
を
鎮
祭
し
た
由
来
を
述
べ
た
あ
と
で
、
尊
・
惶
根
尊
也
」
…
…
こ
う
し
た
書
き
出
し
で
「
予
章
記
」
と
同
じ
よ
う
に
「
予
州
風
早
郡
河
野
ノ
郷
河
野
三
島
神
宮
ハ
大
三
島
同
体
ニ
シ
テ
、
面
足
と
い
う
高
僧
ま
で
招
い
て
関
山
祖
と
仰
ぐ
ま
で
に
な
っ
た
と
い
う
。
衛
門
尉
経
秀
と
い
う
人
が
新
た
に
大
伽
藍
再
建
の
志
願
を
発
し
、
大
蟲
和
尚
河
野
三
島
大
明
神
来
由
並
河
野
名
字
根
元
事
正
岡
家
代
々
の
信
仰
を
集
め
た
。
御
醍
醐
天
皇
の
元
弘
元
年
、
正
岡
弾
正
左
康
清
ノ
女
ト
ア
リ
)
菩
提
の
た
め
、
集
福
山
宗
昌
寺
と
号
す
る
精
舎
建
立
、
■
驚
き
の
「
正
岡
氏
本
家
来
由
事
」
す
る
と
、
「
可
の
氵
(
ミ
ズ
の
意
)
は
予
の
里
」
と
な
る
か
ら
だ
。
「
水
里
」
は
「
河
野
」
の
源
流
を
指
す
も
の
で
、
「
河
野
」
の
文
字
を
分
解
予
史
の
権
威
、
景
浦
勉
氏
も
述
べ
ら
れ
て
い
る
。
改
め
た
。
ま
た
信
濃
守
と
も
云
う
。
そ
の
頃
母
公
宗
昌
尼
(
一
説
ニ
ハ
叔
父
う
に
な
る
。
小
大
夫
経
孝
は
、
正
岡
ノ
郷
に
移
住
し
、
正
岡
丹
後
守
と
名
を
北
条
小
大
夫
経
孝
を
も
っ
て
掌
ら
し
め
た
.
地
頭
神
主
と
称
せ
せ
ら
れ
る
よ
造
営
を
祈
願
、
出
来
上
が
っ
た
神
殿
の
祭
務
を
頼
軽
の
弟
北
条
康
孝
の
子
・
分
流
で
あ
る
正
岡
氏
の
起
源
を
論
ず
る
こ
と
を
指
向
し
た
の
だ
ろ
う
、
と
伊
高
縄
城
経
営
に
あ
た
っ
て
、
新
大
夫
親
清
は
大
三
島
英
霊
を
摸
し
て
新
宮
と
読
む
。
「
洄
」
は
流
れ
を
溯
る
、
と
い
う
意
味
だ
か
ら
、
河
野
氏
と
そ
の
か
の
ぼ
る
」
の
意
だ
か
ら
、
許
容
の
範
囲
と
お
許
し
願
い
た
い
。
「
そ
か
い
」
よ
っ
て
は
「
遡
」
で
し
か
拾
え
な
い
場
合
が
あ
る
。
し
か
し
、
ど
ち
ら
も
「
さ
れ
ば
判
る
よ
う
に
、
「
氵
」
の
右
に
来
る
造
り
が
、
パ
ソ
コ
ン
の
ソ
フ
ト
に
標
記
で
あ
る
。
上
欄
に
掲
載
し
た
「
表
紙
」
の
写
真
と
見
比
べ
て
い
た
だ
け
最
初
に
お
断
り
し
て
お
く
が
「
㴑
洄
録
」
の
「
㴑
」
が
な
か
な
か
厄
介
な
子
と
な
り
、
八
幡
太
郎
と
名
乗
っ
た
吉
例
に
依
っ
た
も
の
で
あ
る
。
の
神
前
で
元
服
し
、
三
島
四
郎
と
名
乗
る
。
こ
れ
は
兄
・
義
家
が
八
幡
の
氏
る
、
と
祈
誓
し
た
。
果
た
し
て
、
男
子
誕
生
。
十
五
歳
に
な
る
や
、
大
明
神
大
明
神
の
氏
子
と
し
、
自
分
の
代
わ
り
に
伊
予
に
残
し
、
敬
心
の
証
し
に
す
司
と
し
て
下
向
し
た
折
、
吾
赴
任
の
間
、
も
し
男
子
出
生
し
た
な
ら
、
三
島
の
誕
生
で
あ
る
。
な
ぜ
、
河
野
家
に
入
っ
た
の
か
。
源
頼
義
が
伊
予
国
に
国
40
「
水
里
㴑
洄
録
」
を
読
む
新
大
夫
親
経
、
男
子
無
シ
テ
、
源
氏
正
統
伊
予
入
道
頼
義
…
…
新
大
夫
親
清
い
う
の
で
あ
る
。
「
孝
霊
天
皇
皇
子
彦
狭
島
命
ヨ
リ
四
十
二
代
ノ
末
裔
河
野
と
い
え
る
(
景
浦
勉
氏
)
。
再
興
し
た
の
は
わ
か
っ
た
が
、
こ
の
親
清
は
源
氏
の
正
統
頼
義
の
四
男
だ
と
次
の
項
か
ら
が
驚
き
の
連
続
で
あ
る
。
三
島
四
郎
親
清
が
三
島
大
明
神
を
と
ん
ど
絶
無
に
近
い
こ
と
か
ら
な
れ
ば
、
正
岡
氏
研
究
に
貴
重
な
参
考
史
料
を
中
心
と
し
た
も
の
で
は
あ
る
が
、
河
野
氏
の
家
臣
団
の
系
譜
・
記
録
が
ほ
る
。
風早へ 久萬山へ 第 2 部
門
(
サ
イ
カ
ド
)
の
城
で
あ
る
。
そ
の
ほ
か
出
城
・
枝
城
は
所
々
に
多
し
。
野
等
の
諸
家
に
分
か
れ
、
繁
昌
し
け
る
。
本
城
は
越
智
郡
竜
岳
(
丘
)
村
幸
り
、
今
に
五
人
衆
と
申
し
伝
わ
る
由
也
。
そ
の
後
、
正
岡
家
数
多
に
別
れ
、
正
岡
・
大
田
・
大
熊
・
東
・
得
重
・
長
て
討
ち
取
り
け
る
が
、
そ
の
後
彼
の
悪
霊
碍
を
な
し
、
彼
の
村
の
者
神
に
祭
玉
川
町
鬼
原
地
区
の
村
人
が
鎮
魂
の
想
い
が
篭
め
ら
れ
た
石
碑
と
五
輪
供
養
塔
逢
っ
て
し
ま
っ
た
。
彼
の
一
類
五
人
は
、
鬼
末
(
原
の
誤
記
か
)
村
の
前
に
北
条
家
の
免
許
を
蒙
っ
て
、
再
び
当
家
彼
職
に
復
し
け
る
。
の
他
と
陰
謀
し
、
通
高
を
討
亡
し
よ
う
と
工
作
し
た
が
、
事
顕
れ
皆
誅
殺
に
み
、
両
家
が
不
通
に
な
っ
て
し
ま
っ
た
。
そ
の
上
、
鳥
生
一
類
、
高
ノ
森
そ
右
近
大
夫
の
行
跡
も
悪
く
、
修
理
大
夫
の
支
配
悪
き
様
に
来
島
家
へ
申
し
込
と
こ
ろ
が
、
正
岡
代
々
の
家
老
鳥
生
石
見
と
云
う
者
、
奢
り
者
に
て
、
常
々
由
に
つ
き
て
、
修
理
大
夫
も
府
中
米
田
と
申
す
所
へ
住
居
を
移
せ
ら
れ
た
。
大
夫
い
ま
だ
若
年
な
れ
ば
、
貴
殿
我
が
娘
の
親
分
と
な
り
、
後
見
致
す
べ
き
日
高
と
申
す
城
に
居
住
せ
ら
れ
し
を
、
晴
通
よ
り
仰
せ
ら
れ
け
る
は
、
右
近
通
の
婿
聟
と
な
り
け
る
。
そ
の
頃
、
通
高
、
母
方
の
伯
父
別
宮
修
理
大
夫
、
41
を
丹
後
守
通
縄
と
云
う
。
通
縄
の
子
右
近
大
夫
通
高
は
、
河
野
弾
正
少
弼
晴
後
守
経
貞
、
男
子
無
く
て
、
河
野
刑
部
太
輔
通
直
の
四
男
を
養
子
と
し
、
是
通
義
・
通
之
を
後
見
し
守
り
立
て
、
家
名
を
引
き
起
さ
れ
け
る
。
そ
の
子
丹
右
十
郎
入
道
宗
栄
の
家
督
は
尾
張
守
が
相
続
し
、
幸
門
に
居
城
し
、
河
野
守
の
家
類
修
理
大
夫
と
い
う
者
が
当
社
を
押
領
。
や
が
て
河
野
家
本
領
の
後
、
ノ
乱
世
、
官
軍
た
る
に
依
っ
て
、
放
逐
さ
れ
て
し
ま
う
。
そ
の
間
、
厳
島
棚
即
ち
東
鑑
に
載
た
り
。
累
代
新
宮
祭
務
を
掌
け
ら
れ
け
る
。
も
っ
と
も
承
久
人
と
し
て
、
元
久
二
年
に
御
証
判
を
戴
い
た
与
州
大
将
三
十
二
人
の
内
也
。
正
岡
丹
後
守
経
孝
の
子
経
兼
、
そ
の
子
頼
経
は
、
鍾
倉
右
大
臣
家
の
御
家
し 国 左 秀
い 處 衛 ノ
。 々 門 子
の 尉 正
合 、 岡
戦 大 十
軍 田 郎
功 四 入
比 郎 道
類 左 宗
な 門 栄
き 尉 、
事 の 同
、 兄 中
の 弟 務
ち た 丞
の ち 経
太 は 義
平 、 、
記 河 尾
並 野 張
び 通 守
に 直 経
予 に 久
章 随 、
記 従 雅
等 し 楽
に 、 助
詳 西 六
わ
し
、
高
名
を
顕
わ
す
な
り
。
就
中
、
正
平
・
康
平
の
間
、
弾
正
左
衛
門
経
■
中
世
か
ら
戦
国
期
を
駆
け
抜
け
た
「
正
岡
一
族
」
河
野
十
八
家
府
中
七
竜
の
随
一
に
て
河
野
股
肱
の
一
族
也
。
度
々
軍
功
を
顕
風早へ 久萬山へ 第 2 部
当
国
譜
代
の
一
族
所
々
よ
り
一
揆
寄
力
し
て
、
本
意
を
遂
げ
ん
と
評
定
し
た
能
島
以
下
一
族
、
兵
船
に
取
り
乗
っ
て
当
国
興
居
島
に
押
し
渡
っ
た
。
亦
、
取
り
、
並
び
に
家
の
重
書
等
も
源
右
衛
門
所
持
致
す
由
承
る
。
器
什
書
を
ば
毛
利
長
門
守
殿
よ
り
御
預
か
り
の
由
、
そ
の
内
系
図
は
か
り
写
さ
れ
ば
、
天
正
一
五
年
通
直
高
(
竹
)
原
に
て
卒
去
の
時
、
河
野
重
代
の
什
芸
守
ノ
男
子
こ
の
虚
に
乗
じ
て
当
国
に
討
ち
入
る
。
宍
戸
・
村
上
・
曽
根
・
に
前
の
屋
形
河
野
兵
部
大
夫
通
直
の
養
息
河
野
太
郎
殿
実
ハ
芸
州
宍
戸
安
慶
長
五
年
秋
、
当
国
松
前
の
城
主
加
藤
左
馬
助
殿
関
ヶ
原
在
陣
し
、
こ
こ
て
道
前
北
条
村
に
居
住
し
、
永
く
民
間
に
落
ち
て
家
名
を
失
っ
て
し
ま
っ
た
。
長
州
毛
利
の
家
中
へ
嫁
し
て
い
る
。
次
男
源
右
衛
門
は
、
甚
だ
し
く
零
落
し
を
頼
っ
て
暫
く
年
を
送
っ
た
が
、
長
州
に
て
相
果
て
た
。
一
人
の
女
子
は
、
一
人
、
男
子
一
人
を
一
類
に
預
け
、
長
府
に
下
り
、
毛
利
甲
斐
守
殿
縁
類
故
ま
っ
て
い
た
の
だ
が
、
中
将
御
逝
去
に
因
っ
て
、
ま
た
牢
人
と
成
り
、
女
子
御
家
中
に
一
類
が
多
か
っ
た
の
で
、
御
願
い
申
し
、
御
奉
公
致
す
べ
き
と
定
大
夫
と
申
す
。
紙
切
れ
、
闕
字
多
し
。
右
式
部
大
夫
に
男
子
三
人
あ
り
。
嫡
子
を
ま
た
式
部
天
文
二
十
四
年
通
宣
の
御
証
文
も
、
中
頃
雨
湿
の
漏
れ
を
受
け
た
と
見
え
て
、
一
通
、
文
明
六
年
三
月
九
日
と
あ
り
。
何
れ
も
焼
け
残
り
と
見
え
た
り
。
右
書
翰
で
は
五
月
念
三
日
と
あ
っ
て
年
号
は
な
い
。
又
、
河
野
通
生
神
領
ノ
状
右
の
外
、
通
康
の
証
判
永
禄
九
年
五
月
と
あ
り
、
亦
武
任
備
前
守
宣
秋
の
め
、
御
暇
を
賜
っ
て
罷
り
帰
っ
て
、
老
母
を
養
育
し
、
そ
の
後
松
平
中
将
殿
最
初
本
田
下
総
守
殿
へ
参
列
し
て
い
た
が
、
当
国
松
山
に
老
母
が
あ
っ
た
た
中
御
祈
願
、
淨
心
寺
と
云
う
寺
に
住
侶
さ
れ
た
。
次
男
半
左
衛
門
通
成
は
、
天
文
廿
四
年
ル
ベ
シ
ヨ
ッ
テ
件
ノ
如
シ
五
月
廿
三
日
通
宣
判
42
忠
慶
と
申
す
。
当
将
軍
家
御
治
世
の
後
、
紀
州
黄
門
の
御
母
公
並
び
に
御
簾
正
岡
宮
之
内
保
免
諸
祭
田
此
下
欠
字
式
部
允
当
知
行
成
此
下
欠
字
違
有
さ
れ
て
し
ま
う
。
男
子
が
二
人
あ
っ
た
が
、
一
人
は
出
家
、
日
蓮
宗
で
名
を
も
散
々
と
な
り
、
通
高
も
出
家
し
て
法
名
を
一
心
と
申
し
、
九
二
歳
で
卒
去
去
る
ほ
ど
に
、
天
正
一
五
年
七
月
、
河
野
通
直
卒
去
さ
れ
、
本
国
の
一
族
土
居
に
移
住
し
た
。
河
野
通
宣
よ
り
祭
田
の
知
行
状
を
給
わ
る
。
そ
の
文
に
、
文
二
十
三
年
、
舎
弟
式
部
大
夫
に
こ
の
職
を
譲
ら
れ
、
則
ち
風
早
郡
新
宮
の
り
に
ま
で
収
録
し
て
い
る
。
え
、
越
智
郡
古
谷
(
こ
や
)
村
鷹
取
山
城
主
正
岡
紀
伊
守
相
続
せ
ら
る
。
天
河
野
新
宮
の
祭
務
は
、
近
き
頃
、
当
家
の
庶
流
に
別
れ
て
し
ま
っ
た
と
見
出
家
し
て
「
一
心
」
と
名
乗
り
、
そ
の
後
裔
た
ち
の
「
そ
の
後
」
の
落
魄
ぶ
に
も
記
述
さ
れ
て
い
た
。
そ
し
て
正
岡
経
政
は
「
通
高
」
と
な
っ
て
い
る
が
、
新
宮
社
職
定
補
筋
目
ノ
事
さ
き
に
「
幸
門
城
」
で
触
れ
た
「
鬼
原
五
人
衆
聖
霊
堂
」
の
由
来
が
こ
こ
■
あ
の
風
早
牢
人
の
首
魁
・
正
岡
重
氏
の
消
息
風早へ 久萬山へ 第 2 部
男
子
六
人
あ
り
、
残
ら
ず
新
宮
の
神
職
と
す
。
嫡
子
重
正
、
始
め
は
伊
織
と
玉
井
若
狭
守
重
忠
と
云
い
、
正
保
二
年
七
月
十
三
日
死
去
。
こ
の
出
雲
守
に
参
り
、
何
れ
の
家
へ
か
有
り
付
き
、
大
身
に
な
っ
た
と
か
伝
わ
っ
て
い
る
。
井
氏
の
系
図
・
重
書
等
を
申
し
受
け
、
玉
井
四
郎
左
衛
門
と
申
し
、
関
東
に
雲
牧
に
も
男
子
が
一
人
あ
っ
た
が
、
殊
の
外
弓
馬
の
達
人
に
て
、
外
祖
父
玉
弟
と
な
り
、
天
与
雲
牧
先
生
と
申
し
、
安
楽
に
年
月
を
送
ら
れ
た
と
云
う
。
世
々
宮
内
村
の
里
長
を
兼
役
す
。
こ
の
頃
は
公
課
多
く
し
て
社
職
を
怠
り
が
男
を
重
広
と
申
す
。
当
家
代
々
地
頭
・
社
職
相
兼
ね
た
る
所
以
か
ら
だ
ろ
う
、
十
九
日
、
年
七
十
一
歳
に
し
て
卒
去
。
久
重
嫡
子
を
孫
左
衛
門
と
云
い
、
次
三
年
八
月
五
日
上
京
し
て
、
国
名
甲
斐
守
と
改
め
ら
る
。
元
禄
五
年
正
月
二
て
卒
す
。
法
名
祖
山
ト
申
。
重
正
の
嫡
子
久
重
、
初
め
伊
織
と
申
し
、
天
和
右
甲
斐
介
重
正
、
寛
文
十
一
年
辛
亥
十
一
月
十
六
日
、
行
年
七
十
六
歳
に
の
道
に
達
し
、
又
、
諸
芸
の
達
人
で
あ
っ
た
の
で
、
諸
家
の
牢
人
衆
多
く
門
う
人
の
方
に
居
住
し
、
そ
の
後
河
野
善
応
寺
村
へ
隠
居
せ
ら
る
。
元
来
文
武
年
二
月
、
当
郡
小
川
村
に
帰
り
、
暫
く
外
父
で
あ
る
玉
井
四
郎
左
衛
門
と
云
村
に
帰
参
し
、
若
狭
守
と
名
を
改
め
た
の
で
あ
っ
た
。
出
雲
守
は
、
慶
長
十
儀
を
憚
っ
て
、
殊
に
病
身
な
れ
ば
、
弟
孫
左
萄
門
を
神
職
と
し
、
再
び
宮
内
ば
、
神
道
啓
状
件
の
如
し
。
従
六
位
上
勅
許
之
事
珍
重
珍
重
ニ
候
、
い
よ
い
よ
以
っ
て
神
役
に
相
勉
め
れ
与
州
風
早
郡
河
野
村
三
島
大
明
神
之
祠
官
玉
井
甲
斐
守
藤
原
重
正
、
今
度
寛
文
二
年
十
一
月
神 五
道 日
長
上
兼
朱
印
御
社
を
建
立
の
時
、
出
雲
守
罷
り
帰
り
、
職
事
に
勤
め
よ
う
と
し
た
が
、
公
43
り
し
を
相
頼
っ
て
、
暫
く
郡
内
と
申
す
所
に
蟄
居
す
。
そ
の
後
新
宮
氏
人
が
左
衛
門
相
助
け
て
退
き
、
当
国
大
洲
家
中
に
鈴
木
忠
右
衛
門
と
申
す
伯
父
あ
卜
部
兼
連
公
よ
り
御
状
を
下
さ
る
。
其
の
文
に
、
右
口
宣
頂
戴
し
て
今
日
に
是
あ
り
。
亦
、
同
時
に
神
祇
管
領
従
二
位
兼
侍
従
な
っ
て
失
っ
て
し
ま
っ
た
。
弟
出
雲
守
も
鉄
租
疵
を
蒙
り
、
そ
の
弟
正
岡
孫
に
伏
し
て
落
命
す
。
此
の
時
に
至
っ
て
、
数
代
相
伝
の
神
宝
什
物
皆
灰
燼
と
新
宮
に
放
火
し
、
一
時
に
攻
め
崩
す
.
式
部
罪
を
遁
れ
難
く
、
終
い
に
白
刃
宜
シ
ク
従
六
位
上
ニ
叙
ス
蔵
人
左
大
弁
藤
原
光
雄
奉
二
十
日
夜
人
定
の
頃
、
松
前
佃
次
郎
兵
衛
と
云
う
人
数
百
人
押
し
来
た
り
、
意
を
開
く
事
能
わ
ず
、
式
部
大
夫
は
退
い
て
新
宮
の
館
に
蟄
し
た
。
同
九
月
郎
通
具
、
共
に
軍
慮
を
尽
く
し
、
戦
力
を
励
ま
す
と
い
え
ど
も
、
終
い
に
素
藤
原
重
正
寛
文
二
年
十
一
月
四
日
上
卿
油
小
路
大
納
言
宣
旨
こ
そ
が
ぼ
く
の
捜
し
て
い
た
重
氏
に
違
い
な
い
)
並
び
に
横
山
城
主
南
彦
四
牢
人
を
相
催
し
、
荏
原
城
に
楯
篭
っ
た
。
こ
の
と
き
、
正
岡
式
部
大
夫
(
彼
の
で
あ
っ
た
.
な
か
で
も
平
岡
孫
右
衛
門
尉
兄
弟
、
久
米
・
浮
穴
両
郡
の
諸
さ
る
。
そ
の
口
宣
に
云
う
、
云
い
、
寛
文
二
年
寅
十
一
月
四
日
参
内
、
出
世
し
て
、
従
六
位
上
宣
旨
を
下
風早へ 久萬山へ 第 2 部
編
纂
所
」
で
閲
覧
で
き
る
の
を
、
後
で
知
る
。
そ
の
下
書
き
原
本
は
「
松
山
「
水
里
㴑
洄
録
」
の
下
書
き
原
本
44
【
後
註
:
「
水
里
㴑
洄
録
」
の
清
書
造
本
さ
れ
た
も
の
が
「
東
京
大
学
史
料
筆
者
塙
忠
韻
印
重
の
字
を
停
止
し
た
る
に
依
っ
て
、
重
明
を
正
勝
と
改
め
ら
る
。
め
主
税
、
享
保
六
年
丑
二
月
十
八
日
上
京
、
名
を
甲
斐
守
と
改
め
る
。
亦
、
正
徳
二
年
壬
辰
八
月
二
十
八
日
、
四
十
八
歳
に
て
死
去
す
。
嫡
子
重
明
、
初
伊
織
と
申
す
。
山
崎
垂
加
翁
高
弟
大
山
葦
水
翁
に
順
い
て
神
学
の
功
を
成
す
。
あ
っ
て
、
新
宮
祭
務
を
相
続
、
こ
の
と
き
旧
氏
正
岡
に
復
し
、
後
に
は
正
岡
重
広
、
初
左
衛
門
と
云
う
、
次
男
な
り
と
云
え
ど
も
、
斎
職
相
応
の
器
才
が
勤
む
。
次
男
(
長
か
)
孫
左
衛
門
村
長
と
し
て
、
今
な
お
、
子
孫
相
続
す
。
ち
と
あ
つ
て
、
村
長
役
・
神
社
神
職
」
で
あ
る
正
岡
一
男
氏
所
蔵
の
も
の
で
あ
る
】
社
役
を
別
し
て
二
つ
と
し
、
両
家
に
分
か
れ
て
相