京都教区ニュース - 日本基督教団京都教区

2011年1月31日
教区ニュース
(1) 第74回(合同後第44回)総会期 No.3
日本キリスト教団
あきら
発行代表者 望月 修治
はん
す しん
編集責任者 韓
守信
しゅう じ
もちづき
学院大学の神学部はついに廃止となり、優れ
た研究者たちが四散しました。この時、わた
しは教団の教師委員会委員長でしたので、何
度も教団に、青山学院に出かけ、折衝、説得
に当たりました。
その少し前の教団総会で、議長選挙に先立
ち候補者が所信表明を行うこととなり、世光
教会の後宮俊夫牧師をはじめ五人が議長候補
となりました。ところが、後宮先生は教会員
の葬儀で遅刻することが明らかとなり、急遽、
わたしが先生になりかわり所信表明をいたし
ました。
海軍将校だった先生が日本敗戦後の混乱の
中でキリスト教信仰を苦闘しながら獲得され、
神学校生活を経験しないまま「教師検定試験」
を積み重ねて牧師となり、京都教区の混乱を
忍耐強くくぐり抜けさせたと、これは自分の
ことではなく他人事なので、比較的に能弁に
語りました。しかし、これにより、後宮先生
にはこの後、数年間、伏見から東京都新宿区
の教団本部まで通勤させることとなり、御家
族をはじめ世光教会の皆さまには大きな負担
をかけることになり、申し訳ない気持ちでい
京都教区ニュース
【巻頭シリーズ】
みず
教区にと っ て 私 と は 
し
清 水 昭
隠退教師
わたしが洛陽教会牧師として過ごした一九
六九年から八〇年までの十年あまりの歳月は、
ひとつの乱世の時代でした。
一九六九年春、洛陽教会で開催された教区
総会は開会直後に乱入してきた同志社大学の
神学生により議事運営がにぎられ、
「靖国神
社にたいする教会の態度」、「大阪万博にキリ
スト教会館を出展するという教団決議」の二
件への総括を求められて、議場は極度の混乱
に陥りました。その混乱は教区内の教会、教
役者、信徒にとどまらず、日本キリスト教団
全般に及び、加えて鈴木正久教団総会議長が
ガンで死亡され、計画中の「全国青年宣教会
議 」が 中 止、「 教 師 検 定 問 題 」の 批 判、検 討
が行われ、教団、教会紛争は当時、流行語の
ひとつになりました。
東京神学大学は生きおおせましたが、青山
〒602-0917
京都市上京区一条通
室町西入ル
(075)451-3556
TEL
FAX(075)451-0630
E-mail
info@uccj-kyoto.com
ます。
日本キリスト教団は紛争から全面的に脱却
できないままでありましたが、この間、沖縄
キリスト教団との合同を成し遂げ、部落解放
センターを設立しました。長浜教会、彦根教
会を中心に着実な牧会を続けてこられた東岡
山治牧師は、同センターを通じ教会の心を解
き放つ貴重な礎石を置く働きをされました。
ところで、学園紛争と呼ばれる騒動を一八
七五年(明治八年)の創立以来何度も経験し
てきた同志社には乱世に強いと呼ばれる知恵
が残っています。そうした悪知恵を生かす工
夫も面白いことでしょう。
大阪万博(この時のテーマは「人類の進歩
と調和」でした)にキリスト教会館建設を推
進して来た実業家の信徒たちは、資本主義に
迎合するとの批判に対し、主イエスが「時を
得るも得ざるも福音を述べ伝えなさい」とす
すめておられると激しく反論。一度否決され
た議案の文章を変えて、出展賛成の信徒が再
度提案。混乱の続くなか、かろうじて採決さ
れました。
最初に述べた洛陽教会の京都教区総会に教
団の問安使として出席した高倉徹総幹事は、
個人的な見解と断ったうえで、「教団の議決
は誤りだった」と答えました。しかし、悲し
い歌は以後、十年を越え日本キリスト教団を
支配し、乱世が続きました。この後、しばら
くしてこれらの対策協議で有志が小野一郎牧
師宅に集まり、徹夜で語りあったことがあり
ますが、その席上、万博を中断させるに「た
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わしを会場の便器に詰め込んだら」の提案が
ありました。実現しておればどんなことになっ
たでしょうか。
乱世と悪知恵はいつの世にも尽きることは
ありません。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
【報告】
京都教区大 会 2 0 1 0
「環境・私・キリスト教」の報告
宣 教 部
、大 津 教 会
昨 年 十 一 月 二 十 三 日( 火・休 )
を会場に、二年に一度の京都教区大会が開催
されました。今回は、琵琶湖のある滋賀地区
で開催されるということで、実行委員会から
「環境・私・キリスト教」というテーマが提
案されました。
韓国基督教長老會大田老會との宣教協約に
基づく「交流のための祈りの日」の二〇一〇
年度の京都教区の祈りの課題の一つに「琵琶
湖をはじめとする豊かな自然の恵みをお与え
くださっている神に感謝し、自然環境を守る
働きに取り組めるように祈ります」という項
目がありました。この日は、大田老會からの
お客様もあり、そういう意味でも時宜にかなっ
たテーマであったと思います。
冒頭の開会礼拝で、宣教部委員長は、創世
記一章、二章、マタイ福音書六章をテキスト
にして、
「キリスト教は、高見にたって『土』
(被造物)を支配したり、従わせたり、開発
したり、開拓したりしてきた歴史を反省し、
『土』に仕え、徹底して『土』に聴くことか
ら始めなければならない。『耕す』(田返す・
たがえす)のではなく、本来の意味の『仕え
る』ことが大切である。教会は〝耕仕混同〟
を し て は な ら な い。『 仕 え る 』こ と が 人 間 の
使命である。イエスのように空の鳥、野の花
を見て、そこに聴くことから自らの生きざま
を考え直したい」という多少刺激的なメッセー
ジを述べられました。
主題講演では、琵琶湖環境科学研究センター
長の内藤正明さんが「生きのびるために私た
ちは何をしたら良いのか―琵琶湖と地球環境
の危機をふまえて」と題して、パワーポイン
トを用いて、
時にはユー
モアを加え
ながら、人
間の生き方
を根底から
問うような
お話しを分
かりやすく
してくださ
いました。
現在の地球
環境は、①
どのような
危機的な状
況にあるの
か、②そし
てそれは今
後どのよう
に推移して
いくのか、
③であるな
らば私たち
にできる具
体的なこと
は何か、を
お話しいた
だきました。
以下は、私
的な要約です。
何十万年の人類の歴史の中で最近の百年
「
だけで環境も社会も経済も激変した。今人類
は、地球規模の環境問題、資源枯渇、経済の
崩壊、社会の崩壊という危機的状況を迎えて
いる。人類は、たった百年で石油エネルギー
を使い切ろうとしている。二〇〇四年が石油
生産のピークだったというデータもあるほど
である。現在を人類の歴史の中の束の間の繁
栄と考えるべきであり、百年で繁栄したもの
は百年で元に戻ると考えるべきだ。このまま
の消費社会が永遠に持続していくとは考えら
れない。であるならば、エネルギーをできる
だけ消費しない持続可能な社会をそれぞれの
地域で作っていかなければならない。それは
〝自然共生型社会〟である。それは滋賀県や
東近江市などでもすでに取り組みが始められ
ている。これは政治課題というよりは、生き
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方(倫理観・価値観)の問題である。持続可
能な社会=『自然共生型社会』を創り出すた
めに人間中心なのか環境中心なのか問われて
い る。
」講 演 後 は、活 発 な 意 見 交 換 も あ り ま
した。
昼食は、実行委員会が準備した環境にやさ
しいお弁当でした。地産地消の材料を使い、
おむすびをリユース可能な竹の皮にくるみ、
箸とお茶は参加者の持ち込みでした。このお
弁 当 は 株 式 会 社「 初 穂 」( 甲 賀 市 水 口 町 )の
協力を得て、試作を重ねてできあがったもの
です。三部屋に分かれて、環境にやさしい、
特別栽培米の新米で作られたおむすびをおい
しくいただきながら歓談し、交流を深めまし
た。
午後は、滋賀県内の環境問題の取り組みを
発表していただきました。一つ目は、滋賀地
区社会委員会が八年前から取り組んでいる「大
人と子どもが一緒に考える環境問題集会」の
報告を永島鉄雄さん(草津教会)にしていた
だきました。二つ目は、市民・行政・企業が
協力しながら活動している「おおつ環境フォー
ラム」について中井正子さん(堅田教会)に
報告していただきました。三つ目は、近江兄
弟社小学校の環境教育の報告を保護者として
中野桂さんにしていただきました。どの報告
も興味深いものでした。
その後、韓国基督教長老會大田老會から交
流プログラムでおいでの李相浩牧師と崔鍾先
牧師からご挨拶をいただきました。
「 ほ っ と ら い ん 」に よ る「 よ
大 締 め で は、
し笛コンサート」を堪能しました。琵琶湖に
あるのだろうか。社会の片隅に苦しんでいる
自生している葦で作られた笛の音は、心に沁
人たちに神の福音を伝えないのだろうか。障
みる音色で、文字通り「ほっと」する一時で
がい者を受け入れ共に祈り合おうとしないの
した。また木で作られた「コカリナ」も素朴
だろうか」と、当時を振り返りながら語って
で素敵な音色でした。
おられる。
会場には古新聞で作られた枯れ木に、個人
委員会はこの間、様々な学習会、施設見学、
のエコ活動が書かれた葉っぱがつけられ、参
支 援 活 動、「 障 が い 者 」週 間 の 取 り 組 み の 他、
加型の集会の雰囲気が醸し出されていました。 全国交流集会などへの参加などに携わってき
内容の濃い、有意義な教区大会だったと思
た。
います。なお、今回の教区大会は、教区内の
ここ数年は、障がい者の置かれた現実に学
七十八教会・伝道所中、二十六教会一二五名
ぶために、当事者から直接話を聞く機会を増
の参加がありました。二年に一度の教区をあ
やすとともに、活動されている施設や働く場
げての集会だけに、参加教会・参加者がもう
所をできるだけ直接訪れるようにしている。
少し増えると良いと思います。主催者として、 昨年度から今年度にかけては、聴覚障がいの
力量不足を感じています。二年後の教区大会
あるオーナーが経営されるJR大津駅前のコー
には多くの参加を期待します。
ヒーハウス「CODA(コーダ)」
、亀岡の圭
( け い )の 家( 精 神 障 が い 者 の 授 産 施 設 )
、
最後に、実行委員会を組織し企画運営を引
き受けてくださった滋賀地区の皆様、とくに
伏見区向島の「ベテスダの家」
(授産施設)、
会場を引き受けてくださった大津教会の皆様
岡山県の「長島愛生園」(ハンセン病施設)、「び
にこの誌上を借りて感謝を申し上げたいと思
わこ学園野洲」(医療福祉センター)の見学
います。ありがとうございました。
だけでなく、
「障がい」を考える全国交流集会、
全国部落解放会議、伏見教会での「満腹音楽
会」
(障がいのある演奏家らとともに一九九
障がい者問題特設委員会からの報告
〇年代から開催)参加などを行った(なお、
なが
しま
てつ
お
一部は、委員が個人的に訪問して報告したも
委員長 永 島
鉄 雄
の も 含 む )。近 年 は、サ ー ビ ス 業 や 芸 術 活 動
に新たな可能性を求めて社会活動されている
障がいのある方々も増えている。
委員会では今後、障がい者の家族の方々の
(仮称)「野外広場」(交流の場)の開設や、
ハンセン病差別についての内部学習会を積み
京都教区障がい者問題特設委員会は、第四
十九回教区総会(一九八五年)で設置が可決
された。その設立には丹波新生教会員の内藤
勇さんの働きが大きかったという。内藤さん
は、当 事 者 と し て、「 教 会 は 一 体 何 の た め に
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ゆう
いち
重ねて来年度には委員会として現地訪問等を
行う予定である。
かねてから当委員会は、点訳グループ「ミ
モザ」(近江金田教会を拠点に活動)の支援
を行っている。点訳してほしい本や知らせて
ほしい等の情報や新たな点訳奉仕者がおられ
れば、教区センターを通じて委員会まで連絡
していただきたい。
集会や見学会の呼びかけや、障がい者とと
もに守る礼拝や集会に講師紹介・派遣も行っ
ているので、今後、積極的に活用していただ
き、社会的弱者とともに歩む教会が増えるこ
とを心から願っている。
うえ
教職謝儀委 員 会 か ら の 報 告
いの
井 上 勇 一
委員長
今年も半期が過ぎようとしていますが、教
職謝儀委員会の中間報告をさせていただきま
す。今期委員会の関心は、デナリオン献金の
低迷です。昨年度目標に対して七五%の達成
で、ここ三年間、右肩下がりになっているこ
とです。この傾向が続くことは、教区教会互
助にとって決して望ましいことではないと考
えています。教区宣教連帯資金の枯渇、強い
ては教会謝儀支援が献金と経常会計繰入金と
いう二つの財源となり、デナリオン献金の低
迷は教会謝儀支援そのものが無くなっていく
ことを意味しています。
このようなデナリオン献金の低迷のなかで
どのようなことが委員会としてできるか、こ
の課題をもって今期がスタートいたしました。
今期の事業は、デナリオン推進協議会の開催、
被 支 援 教 会 の 訪 問( 三 箇 所 )、教 会 謝 儀 支 援
教会、支援額の決定、委員会活動などです。
これに加えて、今年は、デナリオン献金に参
加していない教会のうち、三箇所を訪問いた
しました。すでに教会訪問、各地区単位でデ
ナリオン推進協議会は実施されつつあります
が、今後、秋から冬期間にかけて慌しくなっ
てきます。
教会謝儀支援事業は、教区宣教連帯の基本
事業としてありますが、この基本は、信徒活
動として始まったデナリオン献金運動です。
このことは、デナリオン献金運動の進展如何
によっては、教区の宣教連帯を左右する問題
に発展しかねないということを意味していま
す。これは仮定の話ですが、もし、デナリオ
ン献金運動が低迷し、基金が枯渇していくと、
経常会計から教会謝儀支援の資金を捻出して
いきます。すると、教会負担金を増額するこ
とが求められてきます。教会謝儀支援を経常
会計から出すことも一計かも知れませんが、
そうすることは宣教連帯の取り組みの大きな
方向転換を意味します。各個教会の自主性、
自立性を尊重して形成されてきた京都教区、
その営みそのものが転換されることになりか
ねません。
もうひとつ、教職謝儀委員会が課題におい
ている点があります。それは教職互助献金で
す。昨年度教職互助献金は目標値の六〇%達
せい
じ
成に終わりました。信徒間以上に教職間の宣
教連帯の難しさが示されました。教職が自ら
年収の二%を献金すると、目標額の三〇〇%
以上がささげられるのではないかと考えられ
ます。さらに、教務教師・神学教師らがこの
献金に参加してくださいますと、さらに豊か
なものとなります。
教職謝儀委員会の課題を考えていきますと、
教会は「いったい何なのか」が問われますし、
教区が宣教連帯を掲げても「各教会が動かね
ばどうすることもできない」課題であること
を知らされます。
した
アジア宣教活動委員会からの報告
つき
月 下 星 志
委員
アジア宣教活動委員会は、タイプロジェク
ト、ネパールプロジェクト、バザールカフェ
プロジェクト、アジアサンデープロジェクト、
クラッパードイン教区センター第二館建物管
理の各プロジェクトから組織されています。
タイプロジェクトは、クラッパードインの
お庭にあるカレンハウスで毎週金・土曜日の
お昼(十一時三十分~十五時)に、タイ北部
カレン族の手工芸品の展示販売を行っていま
す。また、教区内の教会バザー等での販売も
行っています。数年前より、タイ・キリスト
教会のカレン族の教区である第十教区と交流
を深め、売り上げの中からカレン族の子ども
たちへ奨学金を送っています。今年度は、十
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一月にカレンの子どもたちへ届けました。ネ
パールプロジェクトは、
毎年ネパールでのワー
クキャンプへ数名のメンバーを派遣していま
す。今年度は第二十三回のメンバーになりま
すが、現在のところ、メンバーが確定できず、
調整中です。ワークキャンプへと行くだけで
なく、事前学習を含め、時間をかけて準備を
するため、メンバー決定、即派遣というわけ
にはいきません。じっくりと準備を進め、派
遣へとつながるよう話し合いを重ねています。
バザールカフェプロジェクトは、毎週水~
土曜日にクラッパードインで営業をしていま
す。現在、様々な事情により就労が困難な方
十一名を雇用し、同志社大学の学生を中心に
した多くのボランティアによって運営してい
ます。お店の運営等さまざまな課題がありま
すが、知恵を出し合い、多くの方のお支えに
より十三年目の活動を歩んでおります。十一
月二十日(土)には、様々な人や文化に出会
うイベントとして、年に一回のフィエスタと
いうお祭りを開催しました。また、バザール
カフェが活動しているクラッパードインが「京
都の近代建築を考える会」により、市民に愛
され、活用されている歴史的価値のある建物
として、第七回「市民が選ぶ文化財」に選定
されました。建物を覆う蔦が、壁の隙間から
侵食し、傷めるということで、蔦を取り、外
壁をきれいに塗り替えました。これらの活動
を教区のみなさまに覚えていただきたく、五
月のアジアサンデーにはパンフレットを送付
させていただきました。
それから、京都市内に戻り、同志社教会で
水曜祈祷会に出席し、信徒の皆さんと談笑し
様々な課題がありますが、各プロジェクト
修治議長、井上勇一副議長、大山修司交流小
がそれぞれ活動し、委員会で共有し、ゆっく
委員会委員長の心温まる歓迎をもって、スケ
りと活動を継続しております。いつもお祈り、 ジュールがはじまりました。
お支えいただき感謝いたします。
最初に、在日コリアンが生活しているウト
ロと東九条に行き、さまざまな問題に触れま
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
した。在日コリアンの問題をまるで自分の問
【第3回交換プログラム】
題のとらえる姿をとおして、温かい友情を感
じました。
京都教区を訪ねて
教会と宣教の現場への本格的な訪問は、京
都府北部にある両丹地区の訪問からはじまり
韓国基督教長老會大田老會
い
さん
ほ
ました。とくに、丹波新生教会は、四つの会
公州世光教会 李
相 浩
堂を二人の牧師が共同牧会する、都市と農村
のあいだで大きな会堂と小さな会堂がともに
支えあう教会でした。このような姿をとおし
て、今後の農村教会が抱える課題の代案を見
つけたような気がしました。福知山教会は、
大型保育園の運営によって、地域社会に大き
な影響を及ぼしていました。また、とても小
さな丹後宮津教会のために教区と地区が莫大
な財政によって牧会者を支えている姿は、「聖
なる浪費」という言葉を思い浮かべるくらい
でした。
これにつづき、農村の開拓教会である大江
の野花教会、女性牧師が牧会される物部教会、
そして、都市でありながらも信徒数が減少し
ている丹陽教会を訪問し、韓国の教会であれ
日本の教会であれ、明日を見通し、強度のあ
る代案を見いださねばならないという思いを
抱きました。
さきの十一月十一日
(木)
から二十五日(木)
まで、韓国基督教長老會大田老會と相互交流
している日本基督教団京都教区を訪ねました。
すでに十三
年目を迎え
ています。
京都教区は、
もう完全な
兄弟姉妹で
あり、家族
のような存
在です。
十一日
(木)の朝
早くに家を
出て、京都
には日暮れ
に到着しま
した。望月
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ました。大学の講堂を礼拝堂として用いてお
り、水曜日やその他の日には牧師館で集会を
開くという点には、多少、驚きました。また、
同志社大学と同志社教会の設立者である新島
襄の生家(文化財として指定・管理されてい
ます)に行きました。水曜日の夕方には、京
都教会で説教奉仕し、その後は、教会員の皆
さまと真摯に交わりました。
翌日は、京都復興教会と其の枝幼稚園を訪
問し、美しい礼拝堂の建築にまつわる話をう
かがい、幼稚園の働きも見学しました。とく
に、教会の敷地内に納骨堂があったのは、本
当に印象的でした。ゴスペルハウス伝道所は、
韓国出身の金度亨牧師が開拓して間もない美
しい教会でした。それから、望月修治議長宅
にて開かれた神学生との交流会では、日本の
教会の活発な未来を見たような気分になり、
ほほえましくなりました。
醍醐教会とつくし保育園の訪問、愛隣館の
訪問につづき、わたしが牧会する教会と同じ
名前の世光教会に行きました。そこで、南山
城伝道協議会の交流を見ながら、京都教区の
姿を見たような気がしました。
第二週目は、滋賀地区を訪問し、ここでも
やはり幼稚園を運営する教会に行きました。
膳所教会では尊い働きを見ました。水口教会
での主日礼拝、信徒の皆さまとの交流では、
韓国の教会では見られない姿を見ました。日
本の教会では珍しいほど青年が多く、お年を
召した方々も自らの意思をはっきり表してい
ました。驚きでした。
堅田教会での二晩と湖南伝道圏の交流会で
は、昨年、大田老會に来られた竹内牧師が撮
られた写真を見ながら有意義な時間を過ごし
ました。そして、朝鮮学校の訪問につづき、
隠退牧師が説教の奉仕をしている大溝教会に
行き、永眠者記念礼拝と歴史あるオルガンの
調べに感動しました。
最後に、大津教会を訪問しました。教区大
会は、大団円のフィナーレでした。礼拝、基
調講演、取り組みの発表にいたるまで、参加
者は真剣でした。日本の教会の真面目を見ま
した。ところどころにあった歴史探訪と京都
の美しい景色は、味わい深い薬味でした。
帰路に東九条の洛南教会を訪ね、もう一度、
教会における保育園の働きの必要性を感じま
した。とくに、両親が韓国、フィリピン、バ
ングラデシュなど、本当に多様でした。0歳
から就学前までのこどもたちを教会で世話す
るのは容易ではありませんが、本当に大切な
働きです。
整ったスケジュールと心温まる案内・親切
に感謝を申し上げます。日本の教会は小さい
で す が( 1 % )、し っ か り し て い て い ま す。
建物は月日を経て古いですが、歴史の遺跡が
大切に保存されており、日本の教会には深み
があります。
教会ごとに幼稚園(保育園)を運営し、障
がい者福祉や特殊宣教などをとおして地域社
会に仕える姿には、善き影響力があります。
ただ、残念な点は、高齢化問題、また、幼稚
園などの付帯施設がありながらも、職員をク
リスチャンへと導くこともできず、繋げるこ
ともできないという点です。
とくに、教会の敷地内に納骨堂があり、信
徒の皆さんが先祖代々教会に結びついている
のは学ぶべき点です。毎年または定期的に教
会の事情にあわせてささげる永眠者記念礼拝
は、さきに天に召された者、生きている者、
家族にとって意味深いことであり、わたした
ちが学ばねばならない点です。
何はともあれ、今回の訪問は、相互理解と
共感の基盤を広めるうえで、たいへん有益な
機会でした。先述したとおり、日本の教会を
さらに理解することができたという点におい
て、交換プログラムは、互いに継続・発展さ
せていくべきだと思います。あらためまして、
心温かく招いてくださり、有意義な案内をし
てくださり、和気藹々と別れを惜しんでくだ
さった京都教区の皆さまに感謝を申し上げま
す。
(翻訳 韓 守信)
そん
牧会者交換プログラムに参加して
じょん
鍾 先
ちぇ
韓国基督教長老會大田老會
崔
西大田教会
九十年前、少年であったわたしの祖父は、
日本に渡り、日本にとどまって勉強すること
を願いました。祖父はその思いを叶えること
ができず、帰ってきましたが、わたしは、今
回の交換プログラムをつうじて、とても多く
のことを学びました。京都教区と大田老會の
2011年1月31日
教区ニュース
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交流に関わる前は、日本へのわたしの感情は
良くありませんでした。学校で学んだ歴史的
事実、アジア国家に対する現代の日本の政策
などが気に入らなかったからです。しかし、
大田老會と京都教区が相互交流を同意し、牧
会者や青年が交流するなかで、出会う人すべ
てが素敵であることを知りました。また、日
本と日本の教会をもっと知りたいと思うよう
になり、第二回交換プログラムで韓国に来ら
れた堅田教会の竹内宙牧師を案内するために、
日本語を学びはじめました。日本語を八ヶ月
間だけ勉強した実力では不十分でした。その
後、牧会者交換プログラムへの参加が、日本
と日本語を学ぶうえで大いに役立つと考え、
二週間の交換プログラムに参加するに至りま
した。今回のプログラムをつうじて、わたし
は、韓国も美しい国ですが、日本も本当に美
しい国だということを知りました。京都の十
一月の紅葉は、実に美しかったです。また、
わたしたちを連れて案内してくださった方々
すべてとわたしたちを温かい愛をもってお迎
えくださった教会と信徒の皆さまも美しかっ
たです。
京都教区は京都市内が中心だと思っていま
した。しかし、実際は、北部は海がある地域
までを、東部は遠くの地域までをも働きの場
としていました。教区の隅々を訪ねながら、
わたしたちは、まるで韓国からやってきた牧
師が尋訪(家庭訪問)しているかのような気
分になりました。訪問した福知山教会の牧師
夫人が教会のために祈ってほしいと言われた
とき、わた
しは、たど
たどしい日
本語で祈り
をささげま
した。生ま
れて初めて
日本語でお
祈りしたの
で、文法的
にも語彙的
にも十分で
な く、間
違った箇所
も多くあり
ました。し
かし、祈りの心と意味がたしかに伝わったも
のと信じています。ともに食事し、ともに祈
るこのような経験をとおして、大田老會と京
都教区が主においてひとつになったことを感
じました。
京都教区では、神の働きを様々なかたちで
担っている教会や教務者に出会い、大いに刺
激されました。ウトロと東九条の差別問題に
深い関心がある京都教区の働き、高齢化と農
村人口の減少による教会維持の難しさを克服
しようとする教会間の協力、幼稚園や保育園
の運営によって地域伝道とこども伝道に力を
入れている教会、信徒の減少によって運営が
厳しくなった教会を支えるデナリオン献金の
活用、地域の大学生と協力して教会を地域社
会に開くことが伝道のチャンスであると見な
している教会など、様々な宣教活動を展開し
ている京都教区の教会を訪問して学び、心か
ら感謝しています。
わたしは、今回の訪問をつうじて、京都教
区に韓国語を熱心に学び、韓国ドラマを楽し
んでいる方々が多いことを知り、うれしくな
りました。韓国では、青年が就職のために日
本語を学んでいます。しかし、日本では、青
年ではない成人が、韓国ドラマや韓国料理が
好きで日本語を学んでいました。これは、異
なる点でした。韓国は、この点において日本
よりも遅れています。韓国に対する京都教区
の信徒の関心と情熱に本当に感謝しています。
大田老會においても、日本と日本のドラマが
好きになって日本語を学び、日本、とくに京
都教区を訪ねようとする人が増えていけばと
思います。
二週間のプログラムのためにご尽力くださっ
た望月議長と大山委員長(交流小委員会)、
通訳の韓牧師、金牧師、仲程神学生、丹陽教
会の片岡牧師、困ったときに解決者として飛
んで来てくださった井上副議長に感謝いたし
ます。また、わたしたちが訪問した際、温か
いお茶と愛をもってお迎えくださった京都教
区のすべての兄弟姉妹に感謝いたします。今
回の交換プログラムは、韓日両国、大田老會
と京都教区がさらに近づく民間外交の一部と
なりました。個人的には、大きな成長と多く
の学びとなりました。これからも、よろしく
お願いいたします。
(翻訳 韓 守信)
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教区ニュース
2011年1月31日
【教会・伝道所からの声】
教会の日々 か ら
もろ
かわ
み
な
諸 川 美 那
彦根教会
確か十三才のイースターに受洗以後、半世
紀以上を生かせていただいたことになります。
常々教会とは、「行きたいと思った時には
何時でも、誰でもが行くことのできるところ
である」と思い、またそうであってほしいと、
ぼんやりと考えてきました。
ところが、この「誰でも」、「いつでも」と
いう言葉が、最近自分の心の中で、ジワジワ
と大きく重くなってきているのを感じていま
す。教会ではよく、周囲の人との会話が巧く
かみ合っていないと思われる人が礼拝や集会
や愛餐会の途中などで入ってきて、何かと迷
惑をかけ、ついつい周囲の目が厳しくなるこ
ともあります。当の本人に状況判断の能力が
有るのか無いのか、判断に苦しむこともあり、
時には彼らの方が神さまに近く、祈りの場に
は相応しいのではないだろうかとも思ってし
まいます。誰にでも入りやすい教会を目指す
ということとこのこととは、無関係ではない
はずです。
かつて、神戸市立盲学校で、図工・美術科
の教員として全盲児達を指導するという前人
未到の道を歩まれた福来四郎先生の著書と彼
らの作品に大きな感動を受けたことがありま
す。『 無 眼 球 児 の 彫 塑 』と い う 著 書 の 中 で 先
生が語っておられます。「盲児の世界はどん
なものであろうかとさがし求めても心を開く
わが主イエス、われを愛す
ようなことがないので、悶々の日々を送って
やす
い
ふ み こ
おりました。昭和二十六年の十月、先天全盲
長浜教会 安 井 富美子
生の差し出した作品こそ私に触覚の世界を開
眼することになりました。児童の机に置かれ
十年程度前まで、バイクのわたしはパート
た飛行機のような作品が眼についたのです。
」 に 向 か う 農 道 で、
「 わ が 君 イ エ ス よ、わ れ を
そ こ に 置 か れ た も の は、「 犬 」と い う 説 明 な
きよめて、よきはたらきをなさしめたまえ」
がら、当然「手」の感触で知ることのできた
と歌ったものです。不思議な方法で、神さま
犬であり、抱き上げた時にゴリゴリとする六
の御手にひかれての五十余年を振り返り、感
本の肋骨をあらわにした、見たことも無い形
謝の念を新しくしています。
の粘土像でした。「晴眼者は外側を表すだけで、
十九歳 聖書との出逢い。はじめての教
手ざわりから得た内側まで表すことはない。
会。
私は今、触覚の世界をこの眼で見たのです。
二十歳
愛 知 牧 場 へ 就 職。『 湖 畔 の 声 』
これが糸口となり私はこの世界にとらわれて
の広告で。
し ま い ま し た。」ふ さ ふ さ と し た 毛 を も つ 四
二十一歳 南山教会で受洗。
本足の犬も、肋骨をもつ飛行機のような形の
二十四歳 朝日教会員の安井義夫と結婚。
犬も、全く等しく正解であり真実です。人の
五十一歳 直腸がん手術。前日に投稿した
心を動かすためには、体中の神経を研ぎ澄ま
拙稿が『信徒の友』に載り、後
して、本当のことを知りたいと望み求めるこ
の自分史作りに発展。
とが大切なのだと彼らから教わりました。「信
六十一歳 全国教会婦人会連合三十周年神
仰とは、望んでいることがらを確信し、まだ
戸大会に教区代表として出席。
見ていない事実を確認することである」とい
「わたしの発言」を光栄に。
う聖句がふと頭をよぎったことを、昨日のこ
六十三歳 夫が不治型がんと診断される。
とのように思い返しています。
熟慮の末、長浜教会に夫婦で転
会。
その長い歴史の中から、主が彦根教会に語
り続けてこられた声を聞き逃さないように、
六十六歳 夫の召天。祝福された最後と葬
教会での歩みを続けさせていただきたいと願っ
儀。
ています。
ここで、忘れられない、受けてきたことば
の数々を紹介させていただきます。
・
「 大 丈 夫 や。」( 朝 日 教 会 S 先 生。わ た し の
電話に応えて。急遽、選挙戦になった夫。
2011年1月31日
教区ニュース
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不安な妻。)
・「医師の指示に従うこと。」(長浜教会S先生。
大した症状もないのに手術となったわたし
に。)
・「義夫さんに悔いのない人生を送ってほし
いのが、わたしの願いです。」(住職婦人。
余命を察知した夫に。夫の入信以来、数十
年も交渉してきた「信教の自由」について。
夫婦でその円満理解を求めて住職夫婦に嘆
願したとき。その大詰めに。)
・「 謙 遜 を 旨 と し て。な っ ……。」
( 夫。前 記
の神戸集会に発つわたしに。連れ合いなら
ばこそ。)
・「 神 さ ま、ゆ だ ね ま す。」( 夫。地 上 で 最 期
のことば。幾たび思い返しても、これほど
祝福を受けた最期のことばが聞けたことは、
妻のわたしにとって感謝です。この思いは、
年月を経るごとに増しております。)
夫は、前記のことばよりも少し前にわたし
に「 富 美 子、あ り が と う 」、続 い て、息 子 と
娘ふたりにそれぞれを呼びかけながら「あり
がとう」と、はっきり言ってくれました。予
期もしない病状の急変で、夫は「エライ、エ
ラ イ 」を 繰 り 返 し、
「 神 さ ま、神 さ ま 」を 連
呼していました。適切な処方の効き目だった
のでしょうか。神さまは、大切な、是非とも
言いたい言葉をはっきり発声できる時と体力
を、夫にくださったのでした。賀川豊彦先生
から受洗して五十年。その間、農村教会青年
協議会での学びと交わりは、生涯、大きな信
仰の源となったようです。
今、共に生きる
くり
もと
まさ
よ
栗 本 正 氏
今津教会
わたしたちの町はいま、若者の働く場所が
なく、どんどん若者が他府県へ行ってしまう
ことから、過度の過疎化が進んでいます。何
とか働く場所を作り、地域と一体となって、
この過疎の状態を食い止めなければと立ち上
がっているのが、高島地域福祉事業所の「松
ぼっくりの家」です。
わたしは二年前にNTTを退職するにあた
り、これから何をしようかと迷いました。し
かし、働いていたときに認知症となった難病
の姑を預かってくださった施設に少しでもお
返しをと思い、三ヶ月間、2級ヘルパーの講
習を受けに栗東まで通いました。そして、そ
こで企業組合労協センター事業団のエリアマ
ネージャーである花崎さんと出会い、今津に
もこの講習を広げたいということで、二級ヘ
ルパーの講習を手伝い、いまに至っています。
いまでは、基金訓練の農業もはじまり、二
十二歳・二十三歳の人から八十歳代の人まで
が訓練を受けています。農業に目覚めている
人たちをも手伝っています。
それこそ、ウツの人や、引きこもりの人、
大学を出ても就職できなかった人、リストラ
にあった人など、さまざま人たちが自然と向
き合い、頑張っています。やはり自然は病気
の人を癒すのか、少しずつ元気になっていか
れるのが不思議です。
せつ
こ
わたしたちは将来、就職できなかった人と
手を取り合って、配色やデイサービス、学童、
そして、六次産業と仕事を起こし、少しでも
地域の人に役立つことをやっていきたいと考
えています。
信仰の軌跡を刻む
く ぼ た
久保田 節 子
大溝教会
大溝教会の御堂には、歴代の牧師・天に召
された兄弟姉妹の写真が掲げられています。
かつて大溝藩主であった分部光謙侯がこの地
に福音の種を蒔かれてから百余年、その歴史
の流れのなかで、礼拝を守り、神の愛に生か
された先達。私は折にふれ、信仰に裏打ちさ
れた方々の素晴らしい生き様を聞かせて頂い
てきました。私を受洗に導いてくださったの
は身近な人の誘いもありましたが、心惹かれ
たのは一人の姉妹の姿でありました。ご高齢
でいらしたその方は礼拝の前には必ず会堂の
前庭を清掃し、トイレの掃除を慣れた手つき
で済まされ、穏やかな笑みを浮かべて礼拝の
席につかれていました。クリスチャンといえ
ば、近寄り難い先入観をもっていた私は、いつ
しかこの女性の生き様に導かれていきました。
会堂前の梅の古木は、今も支え棒にしっか
りと守られ、初春には僅かながら花を咲かせ
ています。
礼拝に 集いし人ら 先ず玄関の
古木の梅の 花を賞でをり(正栄) (10)
教区ニュース
2011年1月31日
大溝教会では、二〇〇八年八月宣教百周年
の記念式を挙行いたしました。ご多聞に洩れ
ず教会員は少なく小さな教会ですが、神の大
いなる業によって、教会堂に溢れるほど沢山
な人々の参加をいただきました。百年という
その歴史を紡いで歩んで来てくださった先達
から、今この百年の時を受け継ぎ、この一瞬
一瞬を神の業によって生かされていますこと
を感謝しております。
二〇一〇年十月十一日、教会の活性化と地
域との交流及び私達自身の学びを深めるため
に文化講演会を開きました。講師は、日本基
督教団正教師・宮城刑務所教誨師元理事・宮
城学院女子大学名誉教授の佐伯晴郎先生でし
た。
「 今 を 生 き る に は 」と 題 し て ご 講 演 を 頂
きました。秋晴れの一日、遠くから近くから、
クリスチャンでない方々も多く参加され、御
堂は聴衆で溢れました。
教誨師としての体験談では、「自分を愛す
るように人を愛しなさい」という言葉の実践
例をお話しくださいました。演題「今を生き
るには」の「今」とは何か、講演の途中で讃
美歌四六三番を全員で合唱しました。こども
さんびかです。
(一)ささやかなるしずくすら、ながれゆ
けば海となる。
(三)あだにすごすつかのまも、わがいの
ちの一節なり。
一瞬一瞬を大切に生き、教会の歴史に確か
な信仰の軌跡を刻んでいけるようにと願って
います。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
【お知らせとお願い】
地区総会のお知らせ
・滋賀地区総会
と き 二〇〇二年三月二十日(日)
午後三時~
ところ 大津教会( 〇七七 五-二二 三-六三四)
・両丹地区総会
と き 二〇〇二年二月二十日(日)
午後二時半~
ところ 丹波新生教会亀岡会堂
( 〇七七一 二-三 〇-五九六)
・京都南部地区総会
と き 二〇〇二年二月二十日(日)
午後二時~
ところ 洛西教会( 〇七五 四-六二 七-六五四)
※詳細につきましては、各地区長にお問い合
わせください。
教区総会議案報告書のお願い
教 区 書 記
今 年 五 月 三 日( 火・休 )と 四 日( 水・休 )、
京都教会において第七十五回(合同後第四十
五回)京都教区定期総会が開催されます。つ
きましては、各地区、各部・各委員会の責任
者の皆さまに、議案報告書原稿の提出をお願
い申し上げます。
《期日を厳守のうえ》
、ご協
力ください。
期 日 二〇一一年二月二十八日(月)
提 出 先 京都教区事務所
提出方法 可能なかぎり、MSワードのファ
イルでお願いいたします。
※詳細につきましては、後日、責任者の皆さ
まに郵送にてお知らせいたします。
編 集 後 記
京都教区の皆さま、いかがお過ごしで
しょうか。いつも教区の働きをお支えく
ださり、心から感謝を申し上げます。と
くに、お忙しいなかご寄稿いただきまし
た皆さまに、深く御礼を申し上げます。
今回の『教区ニュース』第三号は本来、
昨年十一月末に発行する予定でした。し
かし、教団総会関連の特別号を二度にわ
たって発行しましたので、年明けになり
ました。これにて今年度は終わります。
皆さまのご理解とご協力がありましたか
らこそ、微力ながらも『教区ニュース』
のご奉仕を担うことができました。心か
ら感謝を申し上げますとともに、来年度
もよろしくお願いいたします。また、ご
意見やご要望をお聞かせください。
新年を迎えてから、あっという間にひ
と月が経ちました。主イエスの体として、
神さまの御心と御計画を尋ね求めながら、
これからも支えあっていきましょう。体
調をお崩しになりませんように。イエス
は主なり&シャローム
(H)