津 山 に 来 ん ち ゃ い 古 林 勇 二 若 い こ ろ 岡 山 市 で 十 五 年 暮 ら し

け
る
時
間
だ
。
岡
山
駅
か
ら
山
陽
本
線
の
普
通
列
車
で
上
り
は
姫
路
、
下
り
は
三
原
ま
で
行
の
待
ち
合
わ
せ
が
二
回
の
便
も
あ
る
。
原
典
の
掲
載
年
月
日
車
で
も
約
一
時
間
半
か
か
る
。
単
線
な
の
で
列
車
行
き
違
い
の
た
め
三
~
五
分
津
山
・
岡
山
間
の
距
離
は
ほ
ぼ
六
〇
㌔
だ
が
、
大
変
遠
い
。
車
で
も
普
通
列
気
に
な
る
の
は
、
多
く
の
面
に
み
ら
れ
る
「
南
厚
北
薄
」
で
あ
る
。
原 題 作
典 名 者
山
陽
新
聞
2012 10 18
津
山
に
来
ん
夕 ち
刊 ゃ
エ い
ッ
セ
イ
古
林
勇
二
弁
を
聞
く
と
懐
か
し
い
。
「
食
べ
ん
ち
ゃ
い
」
な
ど
に
戸
惑
っ
た
よ
う
だ
。
今
は
2
人
と
も
「
~
ら
れ
え
」
一
方
、
岡
山
市
生
ま
れ
の
妻
は
、
津
山
に
引
っ
越
し
た
当
座
、
「
来
ん
ち
ゃ
い
」
は
流
ち
ょ
う
に
な
っ
た
。
皆
さ
ん
津
山
に
来
ん
ち
ゃ
い
。
「
死
ね
え
」
と
は
な
ん
じ
ゃ
、
と
目
を
ぱ
ち
く
り
し
た
。
一
五
年
間
で
県
南
弁
当
た
り
、
関
連
イ
ベ
ン
ト
も
行
わ
れ
る
。
ホ
ル
モ
ン
う
ど
ん
も
待
っ
て
い
る
。
よ
し
ね
え
」
。
と
は
い
え
、
津
山
は
い
い
と
こ
ろ
だ
。
来
年
は
美
作
国
建
国
一
三
〇
〇
年
に
大
学
生
に
な
っ
て
麻
雀
を
覚
え
た
。
こ
ち
ら
が
長
考
す
る
と
倉
敷
の
友
は
「
は
誘
導
”
す
る
政
治
家
が
出
て
も
私
は
決
し
て
文
句
を
言
わ
な
い
。
わ
か
り
、
初
め
て
の
異
文
化
に
“
へ
ー
え
”
と
納
得
す
る
十
八
歳
だ
っ
た
。
津
山
市
は
人
口
で
は
、
岡
山
、
倉
敷
に
次
ぐ
県
下
三
番
目
。
県
北
に
“
利
益
れ
え
」
と
せ
か
す
。
「
座
っ
と
る
」
と
皆
う
ろ
た
え
た
。
「
吸
い
な
さ
い
」
だ
と
つ
ゆ
が
こ
ぼ
れ
そ
う
に
な
っ
た
。
給
仕
の
お
姉
さ
ん
が
、
「
す
わ
れ
え
」
「
す
わ
泊
ま
っ
た
。
朝
食
時
、
お
膳
に
一
同
正
座
し
た
。
並
々
と
つ
が
れ
た
味
噌
汁
の
昔
、
大
学
受
験
時
の
体
験
。
岡
山
駅
前
の
宿
屋
に
、
同
じ
高
校
か
ら
団
体
で
野
連
は
強
い
バ
ッ
シ
ン
グ
を
受
け
る
は
ず
だ
。
祥
事
を
起
こ
し
、
出
場
辞
退
と
な
っ
た
。
今
、
こ
う
い
う
裁
定
だ
っ
た
ら
、
高
場
”
だ
け
だ
。
こ
の
時
は
野
球
部
と
は
関
係
の
な
い
応
援
団
員
が
岡
山
市
で
不
甲
子
園
出
場
願
望
は
強
い
。
昭
和
四
二
年
春
の
“
津
山
商
の
幻
の
甲
子
園
出
で
は
「
~
ち
ゃ
い
」
だ
。
向
が
強
い
。
な
さ
い
」
を
岡
山
で
は
「
~
ら
れ
え
」
、
備
中
で
は
「
~
ね
え
」
と
言
い
、
県
北
い
る
。
県
北
民
と
し
て
県
南
と
の
違
い
を
意
識
す
る
。
ま
ず
、
こ
と
ば
。
「
~
し
か
ら
“
よ
だ
つ
”
。
若
者
は
進
学
、
就
職
の
際
、
県
南
よ
り
も
関
西
圏
に
出
る
傾
通
学
す
る
人
も
い
る
が
、
年
配
者
に
と
っ
て
は
日
帰
り
の
岡
山
往
復
は
疲
れ
る
若
い
こ
ろ
岡
山
市
で
十
五
年
暮
ら
し
た
が
、
五
二
年
間
は
津
山
市
に
住
ん
で
大
病
を
す
れ
ば
県
南
に
で
る
。
津
山
に
は
映
画
館
が
な
い
。
岡
山
ま
で
通
勤
、
津
山
に
来
ん
ち
ゃ
い
古
林
勇
二
山
は
遠
い
な
あ
と
感
じ
る
。
た
。
空
港
で
人
を
見
送
っ
て
帰
宅
す
る
と
羽
田
着
の
方
が
早
い
。
こ
ん
な
時
津
岡
山
空
港
ま
で
は
一
時
間
十
五
分
ほ
ど
か
か
る
。
空
港
バ
ス
便
が
廃
止
さ
れ