事例運動交流集会開催 - 福岡・佐賀民医連

第 484 号
( 1 )2014 年 月 日
2 15
︵
な声では稲嶺候補支持 るなんて考えられない
と言えない﹂と声をか のです。
け て く だ さ い ま し た。
海より命の問題
時 の お 茶 の 時 間 で、
私も庭先で御馳走にな ご 主 人 は﹁海 よ り 命
りました。すぐそこに の問題だ。基地を作っ
は青い海が広がってい たら百年間は続くと言
ます。この海を見たら、 わ れ て い る。 子 や 孫
埋め立てて滑走路を作 に 再 び、基 地 の 苦 し み
を残すことに
な る。 そ れ だ
けは絶対許し
て は な ら な い﹂
と強い口調で
言われました。
その言葉
は、活 字 で は
何度となく読
んでいるもの
の、現 地 の 人
から直接聞く
と、胸 に ズ シ
ーンと響きま
した。
伊見 万弓
米の山病
︶
院・事務
18
フェンス越しに並ぶ全国からの声
会沢芽美さんの歌と語り
基地問題と平和を考えるつどい開く
19
九州・沖縄地協で支援に取り組む
和田峯暢浩
12
沖縄県
の名護市
長選挙は、
基地反対
の稲嶺現市長が勝利し
た。支援に行った一人
と し て、大 変 う れ し い。
▼ し か し 政 府 は、地 元
の世論は全く無視し
て、基 地 建 設 を 始 め よ
うとしている。▼この
選 挙 直 後 に、防 衛 省 の
役人の言葉に唖然とし
た。
﹁
﹃国 会 の 民 意 ﹄は
対
﹁小
﹂
自民党が多数﹂﹁今回の
得票結果は
44
% な の に、議 席 は
挙区での与党得票率は
2012衆院選の小選
小選挙区制度のおかげ。
▼自民党が多数なのは、
さな声に耳を傾けねば﹂
56
%。2013参院選は
同じく %の得票で
に 今 の 政 治 は﹁小 さ な
野党が断然多い。さら
公 政 権 に 反 対、得 票 も
%の議席。▼民意は自
48
82
70
44
〝新基地ノー〟稲嶺氏圧勝
27
沖縄と心一つに
基地はいらない
名護市長選挙への激励込めたメッセージを手渡す
(写真左が伊見万弓さん)
選挙に関われたことに
安倍政権による新基地建設押しつけを許すかどうかが問われた名
喜びを感じています。
護市長選挙は
﹁辺野古の海にも陸にも基地をつくらせない﹂
と公約し
た稲嶺進氏が圧勝しました。福岡民医連では支援として、沖縄の戦
仲井真知事の変節
後の歴史とたたかいについて学習会を開催したり、名護市やんばる
今 回 の 選 挙 は、昨 年
診療所周辺の組合員ふやしにも協力、市長選勝利にむけて延べ20
月 日、仲 井 真 沖 縄
0人の支援者を送り勝利に貢献しました。
県知事が辺野古埋め立
て 申 請 を 承 認、一 気 に
相手陣営が元気づきま
した。私がビラ配りを
1月4日から3日間、 行きました。1月 日 立場をとる稲嶺進氏の し た 地 区 も、相 手 候 補
名護市長選挙の支援に 投票で基地建設反対の 再 選 が 決 ま り、歴 史 的 ののぼり旗が立ち並び
異様な光景でした。あ
るお宅にビラを入れて
い る と、庭 の 方 か ら 無
言の手招きで呼ばれま
した。
ご 主 人 は﹁ご 苦 労 さ
ま で す。 こ こ は、大 き
10
について学び、 声 ﹂よ り﹁ア メ リ カ の
基地撤去のた
声 ﹂の 言 い な り。 ▼ 残
たかいに連帯
念ながらこの出来事は、
するつどいを
マスコミではほとんど
開きました。
取り上げられなかった。
ま あ マ ス コ ミ は、総 務
当 日 は、文
省 の 許 認 可 と、大 企 業
化企画として
からの広告収入で成り
会沢芽美さん
立 っ て い る か ら、本 当
昨年 月 日、﹁沖縄の の歌と語り、大久保康裕
のことを報道できない。
いま│基地問題と平和を 氏による沖縄のたたかい
▼だからこそ私たちは、
考えるつどい﹂が福岡市 についての学習、ヘリパ
い ろ い ろ な 方 法 で、主
中央市民センターで開催 ッド建設に反対し座り込
体的に現地の生の声を
され、400 人を超える みを続ける伊佐真次氏の
聞 き、現 地 を 見 て 真 実
参加がありました。普天 訴えなどがあり、最後は
を 知 り、立 ち 上 が ら な
間基地の辺野古移設問題 会場と舞台が一つになり
け れ ば。
﹁す べ て は 子
が大きな争点となってい ﹁沖縄をかえせ﹂
を合唱し
供たちの未来のために﹂
る名護市長選挙を目前に て終わりました。
︵I・N︶
して沖縄の基地の現状
︵編集部︶ 12
安倍政権の強圧に屈せず
子や孫にも基地の苦しみ残せない
15
2
2014
484
●共同組織世帯数 95,289 世帯(+ 516 世帯)
●いつでも元気 5,108 部(- 22 部)
(2013 年 12 月末現在、
カッコ内は 11 月末からの変動)
千鳥橋病院
リニューアル後の
14
由 主 義のまっ只 中
去の産 物 ﹂との批 判に
に育 ち、社 会 科 学
対 して、無 料 低 額 診 療
的 な 素 養 の 基 礎、
事業の法的根拠と取扱
生活経験が不十分
いについて事実から必要
であること。 他 人
性を語りました。
の悲しみ、痛みに対
続いて 柳 谷 円 氏︵ 青
して鈍感になってお
森保健企画︶が高知市、
2月1日、2013年度県連事例運動交流集会をTKP博多駅南
り、自 由 な 意 見 表
旭川 市に次 ぐ 全 国で三
︵外部参加7人含む︶
が参加しました。﹁経済的困難
会議室で開き 人
明の機 会 を 与 える
番目の調剤処方費助成
を抱えた人たちの受領権を守る民医連の役割﹂をテーマに事例報告
ことや学ぶ楽しさ、
獲 得への取 り 組 みを 報
と記念講演を行いました。午前は事例発表、午後は潮谷有二氏︵長
学びあ う 楽しさを
告
。
患
者
さ
ん
の
声
を
も
崎純心大学教授︶
、柳谷円氏
︵青森保健企画︶
の二人が講演しました。
理 解 させることな
とに市 議 会 要 請、署 名
どが重 要であると
活 動、市 長 との懇 談 な
柳谷 円氏
潮谷 有二氏
話されました。
午 後 は、2 本の記 念 どその行 動 力に圧 倒さ
青年職員が多数
講 演 が おこな われ、潮 れました。 最 後に国 保
福岡・佐賀民医連は、 いる 医 療 現 場、職 場の
谷 有二氏︵長 崎 純 心 大 法 条の活 用や生 活 保
次世代を担う青年職員 中で日 頃 接 している 職
学教授︶
が﹁無料低額診 護 な ど﹃ 権 利 としての
を育成する立場から全 員が何 を 感じ、何 を 考
療 事 業の今 日 的 意 義 ﹂ 社 会 保 障 ﹄を拡 充 する
日本民医連の教育政策 えているか、どういう不
のテーマで講 演され、無 ことを 確 認して終 了し
午 前 は、事 例に基づ み﹂等のテーマにそって 料 低 額 診 療 事 業は﹁過 ました。 ︵編集部︶
を学び、実践し、日々の 安をかかえ業務を遂行
き﹁社 会 保 障 改 悪や格
課 題の克 服、交 流のた しているかなどを学ぶこ
報
告
と
質
疑
応
答
を
お
こ
差・貧困が招いた事例﹂ ないま した。 どの演 題
めに隔 年で教 育 担 当 者 とができました。
﹁無 料 低 額 事 業 拡 充 と も一人一人の人権を大
参 加 者からは﹁自 分
研 修 会 を 開 催していま
受診権を守る取り組み﹂ 切にして患 者の実 態 を
自 身 を 振 り 返 り なが
す。
﹁ 社 会 資 源の活 用 を 強 通して問 題 解 決に迫る
﹁ 原 発 と め よ う! り続ける九州 電 力に対 避 難 者などの個 人が
2013年度は、昨年 ら、日常感じている﹃ も
め受療権を守る取り組 内容でした。
九 電 本 店 前 ひろば﹂ して青柳行信氏ら 人 参 加 し、賛 同 者 は3
月7日、福 岡 国 際 会 どかしさ﹄と時代背景、
が本 店 前で座り込みを 千人を超えました。
は2012 年4 月
議場にて愛知県立大学 社 会の流れなどが相 互
日、福 島 原 発 事 故 後 始めて千日が経 過しま
青柳行信氏は、
﹁今
だ き 新 しいつな が り が
の久保田貢准教授を招 に繋がっていることがよ
も不誠実な態度を取 した。
後 も 小 さなテントで
広がりました。
﹁活き活
き、現 代の青 年 を 理 解 く理解できた﹂
全 国 に 先 駆 大 きな力に対 抗でき
し、今 後の職 員 育 成に きと働 き 続けられる職
医療の質向上めざし
け 行われたこの るかが問われている。
寄 与 することを 目 的に 場があってこそ民医連の
活発な議論
行 動は、原 発 問 原 発 止めようの声 を
発 展がある﹂等の感 想
研
修
会
を
開
催
、
人
が
題に取り組む団 さらに上げ続けたい﹂
が寄せられました。
参加しました。
体、主婦、学生、 と語りました。
別府 匡
現 代の青 年︵ ∼
市民、原発事故
︵編集部︶
︵ 県連事務局・事務︶
歳︶の特性として、新自
8人の事例報告を聞く参加者
88
12
医学対活動について発表する
佐々木洋平医学生委員長
県連教育担当者研修会開く
九電前で座りこみ !! 千日超す
44
青柳 行信氏
12
35
まとめの SGD 報告をおこなう参加者
ューアルの終 わった 新 し をめざして﹂が 獲 得 し
新たに次の事業所が
い病院でどういった医療 ました。
全日本民医連に加盟しました。
活 動 を 展 開 す るのか、
来 年の 回 目 という どのように患 者 さん中 節 目の大 会に向 けさら
小規模多機能ホームいまやまの家
心の医 療の質 を 向 上し に地 域や患 者 さんに求
小規模多機能ホームねむの里
たのか、など熱い発表が め ら れ る 医 療 活 動 を
小規模多機能ホームふかうらの家
つづき ま し た。 様々な 展 開し奮 闘 することを
グループホームひまわり
素 晴 らしい発 表のなか 確 認しあい終 了しまし
親仁会ケアプランセンター
最優秀賞は総務部電話 た。
︵いずれも親仁会︶
交 換 室の﹁電 話 好 感 室
20
県連事例運動交流集会開く
12
今 年のTQM大 会は
これまでの千鳥橋病院、
千代診療所の大きな設
備 投 資 期 間 が 終 わ り、
これらのでき あがったハ やDVDではこれからの
ード を ど う 活 かしてい 千 鳥 橋 病 院・千 代 診 療
くのか、新 たな 医 療 活 所の歴 史 を あらたに刻
第 9 回 を む か え る、 400 人 が 参 加 し、会 動の展 望がみえる大 会 んでいくことが 訴 え ら
千 鳥 橋 病 院・千 代 診 療 場は熱気につつまれまし となりました。
れました。
所医療の質向上交流発 た。
オープニングの文化企
新たな展望
表集会︵TQM大会︶が
今 回は地 域の連 携 医 画では若 葉 高 校 津 軽三
開く大会
2013年 月 日に 療 機 関から多 くの参 加 味 線 部の素 晴らしい演 各チームの発 表 は 会
福岡国際会議場にて行 をいた だ き、会 場で も 奏 が 披 露 さ れ ま し た。
われました。 当日は約 活 発に討 論に参 加いた そして、職員による企画 場を3会場にわけ、リニ
54
18
活き活きとした職場あってこそ
10
発展語り合う
三苫 哲也(千鳥橋病院・事務)
﹃権利としての社会保障﹄拡充めざす
2014 年 月 日
2 15 ( 2 )
第 484 号
これだけは知ってほしい
高瀬 圭介(県連医学生担当・事務)
33
12
28
29
みかん
キロを販売
10
22
23
20
23
23
41
16
19
9
15
26
60
5人でみかんを収穫
17
15
60
40
20
40
27
1月 日︵日︶に県連歯
今 回は私たちの悩みで どみんなで一歩はもっと大
議
場
︶
日
㈯
県
連
被
ば
く
科 部 主 催 で 歯 科 衛 生 士 ある﹁人づくり﹂をテーマに 事、人を責める側ではなく 対 策 委 員 会 学 習 会
日
交流集会を開催しました。 福 井 県さかい生 協 歯 科 診 手を差し伸べる側でよかっ ㈫ 全日本 新 入 医 師オリエン
テーション︵∼ 日︶
日
九沖 内の事 業 所からの参 療所の櫻川祐子さんが﹁民 た、などの多くの言葉が心
㈬九沖地協新入医師オリエ
加 も あ り、 人の歯 科 衛 医連歯科の歯科衛生士を に響 き、とても 共 感 を 覚
ン
テーション
日㈯薬剤
生士が参加しました。
つな ぐ 仲 間 た ちへ∼ 未 来 えました。
師就職説明会
は今 が きめる∼﹂ 参 加 者 からも、外に出 ︿ 月 ﹀
日㈭5・1メーデー、公認
と題して話しま て自 分 をレベルアップした
会計士往査
した。
い、動の歯科衛生士になり
講 演では、民 たい、職場力をつけたい、綱 など衛 生 士 独 自の取り
医連綱領を実現 領 を 誇 りに思 う、綱 領 を 組みなどが報告され、参
するために職 場 あらためて学びたいなどの 考になるところは 積 極
的に取り入れていきたい
力 をつけ 強 固 な 感想が出されました。
集団をつくる、静
グループディスカッション と思いました。
今 回は 数 年ぶりの
ではな く 動の歯 では、講演の感想を出しあ
科 衛 生 士 になっ い、歯 科 衛 生 士 が 人 を 育 交流集会でしたが、明日
ているか、経験を てる上での悩みを出し合い、 からの活 力になる内 容
共有し発信する 同じ悩みに共 感し解 消 す で、元気と光をいただい
た有 意 義な一日となり
こ と、何 よ り も ることができました。
患 者の近 く にい
各診療所の医療活動報 ました。 今後も継続し
る こ と、一 人 の 告では、NST活動、SPT、 て交流を深めていきたい
一歩は大事だけ ホワイトニング、予 防 教 室 と思います。
28
16
3
2
4
13
2
8
9
60
1回目
業所︶
から﹁主治医意見書
から学ぶ介 護 保 険 制 度に
ついて﹂と題してミニレクチ
ャーをおこなった後、 班
に分かれワークショップ形
20
川村 和代(大手町病院付属歯科診療所・歯科衛生士)
九州・沖縄地協からも参加した交流集会
№ 40
32
15
式で全 員が実 際の主 治 医
意見書作成を体験しまし
た。 具体的な症例から班
ごとに意見交換し、さらに
症 例が異なる場 合はどう
記 入 するのかまで深
く考察しました。
夜の懇 親 会では医
学 生、職 員 を 含め
人が一 堂に会し交 流
を 深めま した。 この
企 画で初 顔 合わせの
医 学 生 も 多 く、入 職
予 定 者は同じ病 院で
研 修 する仲 間とはじ
めて 交 流 で き た 事、
また先 輩 職 員となる
指導医や研修医と会
えて良かったとの感想
が寄せられました。
26
10
10数年ぶりに交流集会開く
20
50
16
16
「みんなで一歩」が人づくり
8
9
19
20
92
8
5
10
70
初顔合わせの医学生も楽しく交流
88
58
3
貧困の拡大と生活保護制度
10
入職予定者と奨学生対象に年末交流会
1
5
1
いけだ・かずひこ=龍谷大学大学
院文学研究科博士後期課程社会福
祉学専攻単位取得。満期退学後、
種智院大学助教授などを経て、現在、
筑紫女学園大学人間科学部教授。
専門は、社会保障論、公的扶助論。
2014年 度 入 職 予 定
者と奨学生との年末交流
会が昨 年 月 、 日の
両日、福岡市のホテルクリ
オコート 博 多で開 催 され
人の医 学 生が参 加しま
した。
一日目は田中 清貴医師
︵みさき病院院長︶が﹁認
知 症 と高 齢 者ケア﹂と題
し て 講 演 し ま し た。 ま
た宮川 昇氏︵親仁会みさ
き病院︶は、福岡市公認の
﹃ 認 知 症 サポーター 養 成
講座 ﹄から、ロールプレイン
グや、認知症の方への具体
的な接し方について話しま
した。
二日 目 は 斎 田 裕 子 氏
︵ さか き 居 宅 介 護 支 援 事
ワークショップでは活発な意見が続出
に利用できている人の ある貧困線以下の所得
は黙々とみかんを収穫、
全日本民医連・県連の
シリーズ
︿
第
回﹀ なんと 分で約 キロの
割 合 を 示 す 捕 捉 率 が、 しかない人の比率︶は シリーズ
主なスケジュール
専門家の試算で ∼
% で す が、同 年 の 貧
みかんを収穫しました。
%︵厚 生 労 働 省 の 発 表 困線は年収にして11
事 前に松 尾さんが収 穫 ︿2月 ﹀
日㈰第 回看護介護活
でも ・1%︶
と極めて 2 万 円 に 過 ぎ ま せ ん。
したみかんと 合 わせて
高取支部臥龍梅班︵親仁会︶
動
交
流
集
会
日 ㈬ 九沖
低いという事実があり 月額で 万円にも満た
キロのみかんが集まり
地
協
経
営
検
討
会︵∼ 日・
池田 和彦 さん︵筑紫女学園大学教授︶
ま す。 つ ま り、仮 に 捕 な い 金 額 か ら み て、こ
1月から3月の期 間 ろ、高 取 支 部 臥 龍 梅 班 ました。 事 務 所に戻り、 親仁会︶
日㈯ケアマネ
捉 率 が % だ と し て、 の %に入る人々は生 は、友の会の財政活動強 長の松尾さんから﹁今山 みかんの仕 分 け 作 業 を 小 委 員 会 学 習 会、生 存 権
裁判を支援する全国交流会
率が0・7%︵ 万22 必要な人すべてに制度 活保護制度を利用すべ 化月間。 定番の乾物や にみかんの木 が2 本 あ 黙々とするスタッフ︵笑︶
︵∼ 日︶
日㈰水俣病
29 人、 万19 25 が 届 い た と す れ ば、そ き状態にある可能性が ラーメン以外に何かない るからみかん狩りにおい たち、みかん農家の方々 検 診
日 ㈭ 全日 本 民 医
世 帯︻世 帯 数 の 最 少 は の利用者数は現在の5 高いと思われます。
かなーと考えていたとこ で﹂と優しい言葉をかけ の苦 労に頭が下がり ま 連第 回定期総会︵∼3/
1・長野︶
これら日本の貧困を
1992年の 万59 倍 と な り ま す か ら、約
ていただきまし す。
︿ 月﹀
72世帯︼
︶
であったの 10 8 2 万 人、総 人 口 示す数値の一部をみる
た。 早速、1月
収穫されたみかんは、
日㈰レジナビフェア︵マリン
と 比 較 す れ ば、貧 困 が の8・ %に達します。 だ け で も、こ の 年 く
日、高取支部 1月 日より 各 院 所で
メ
ッ
セ
︶
日
㈯
県
連介護
日 ㈰ さよ
らいの間に貧困が拡大
拡大していることは間
の支部長と友の ﹁今山みかん﹂として販 職 交 流 集 会
セイフティネットの
し続けているにも関わ
違いありません。もち
会担当者、声を 売 しました。 友の会の なら原 発 集 会︵福 岡 市・北
機能が不十分
九 州 市・久 留 米 市・大 牟 田
ら ず、最 後 の セ ー フ テ
ろ ん、生 活 保 護 制 度 を
か けていただい 方 たちの協 力の下に今
市・佐賀市内ほか︶
日㈭
それは誇張でも何で ィネットといわれる生
厚生労働省が毎月公 人、被 保 護 世 帯 数 が1 利用している人だけが
た松尾さんと5 年も財政活動を強化し、 重 税 反 対 集 会
日㈯九
表する﹁被保護者調査﹂ 5 9 万 4 7 2 9 世 帯︶ 貧困状態にあるわけで もありません。厚生労 活保護制度さえ十分に
人でみかん狩り さらに友の会 活 動 を 広 沖介護事業所管理セミナー
日㈰
働 省 の 発 表 に よ れ ば、 機能していないことは
に よ れ ば、20 13 年 となっています。
はありません。
を行いました。 げて行きたいと思います。 ︵∼ 日・宮 崎 ︶
福岡県民集会
日㈮九
ここのところ必ずし
2009年の相対的貧 明らかです。次回はそ
月 現 在、総 人 口 に 占
米村 理恵
最初はわいわ
州玄海訴訟第 回公判
極めて低い捕捉率
︵米の山病院・事務︶
困 率︵所 得 の 多 い 人 か の原因を考えてみたい
める生活保護制度利用 も増え続けているわけ
い言いながらで
︿
月
﹀
日㈫法人入社式
日
こ の 国 で は、生 活 保 ら少ない人までを並べ と思います。︵つづく︶
者の割合を示す保護率 で は な く、い わ ば 高 止
したが、その後
㈬ 県 連 新 入 職 員 統 一 オリ
は1・ %︵被保護実人 まりの傾向にあります 護制度を利用できる状 たときに真ん中に位置
エンテーション︵福 岡 国 際 会
員は216万4338 が、19 95 年 の 保 護 態にある人のうち実際 する人の所得の半分で
第 484 号
( 3 )2014 年 月 日
2 15
な り、季 節 ネタばか り
なに時 間が係るとは予 月。 一時金に、給与に、 していた 時 に 素 敵 なコ てもらう事に・・。日頃、
ちゃんと食べた?
が 報 道 されている 気 が
想してなく、ケーキ屋さ 年 末 調 整 ⋮ な どな ど。 ートを 発 見!購 入しよ 離 れて暮 らし、話 す 機
池永 真奈美
してな り ません。 たし
んに行 くことを 忘 れて 初めての、大きな責任の うとレジに向かったとこ 会もぐっと減った息子の
かに、オリンピックは盛
たたらリハビリテーシ て、クリスマスケーキを たくさんの仕事。やっと ろ﹁遅 くなったけど、誕 成 長 を 感 じた うれしい
︵
︶
ョン病院・言語聴覚士
り 上がって欲しいしマー
食べることができません 大きな山を越えそうで 生日プレゼントに俺が払 出来事でした。
﹁ 今 日 は な ん で 来 でした!
君 も 新 天 地で 頑 張って
す。
う﹂と息子から思いがけ
地球温暖化の影響
欲しいとは思いま すが、 たと?寒 く なかった?﹂
子どもたちが寝るま ない一言が・・。
そして、腰の痛みが後
芳賀 徹也
それにしても 秘 密 保 護 ﹁ご 飯 は ちゃん と 食べ 日に来ました。
でに、な か な か 家 に 帰
息 子は、誕 生日が近
秘密保護法案
強行に怒り
︵県連 事務局・事務︶
法 案の話 題が無さす ぎ てる?﹂と 一 人 暮 ら し
りつけない日々でしたが い夫 と 娘の誕 生 日プレ
おせち おいしそう
朝の冷 え 込みがかな
井沢 弘幸
ませんか?皆さんは、ど の私 を 気にかけてく だ
﹁お 母 ちゃんは頑 張って ゼントを渡したのに、私
﹁末は博士か大臣か﹂
の悲しい末路
さる患者さんがいます。
︵大手町病院・放射線技師︶ う思われますか?
り
厳
し
く
な
り
ま
し
た
ね
。
今
泉
麻
美
る
ね
﹂
と
言
っ
て
く
れ
る
、
3
へ
の
プ
レ
ゼ
ン
ト
が
遅
れ
て
安倍政権発足から一 円から2009年には
すごく嬉しくて、
心があ ︵ 千鳥橋病院・言語聴覚士︶ 人の子 どもたち と夫に いた事をずっと気にして
最 近、政 治の世 界に
ただ、近年、雪の降る
初々しさ感じる戴帽式
ったかくなります。
非常に鈍麻になってきて
印 象に残った 新 年 号 助けられて、なんとかや た ら しい。
﹁いいよ。 あ 日が極端に少なくなって 年 が 過 ぎ、ア ベ ノ ミ ク 40 6 万 円 に 減 少、正
いる感 じがしま す。 秘
の記 事は米の山 病 院の りきったかな∼。
永原 章男
なたもお金がいるし、自 いるのが気になります。 ス が も た ら し た の は、 規職員数も2000年
年末の大掃除
密 保 護 法 案 が 強 行 可 ︵大手町病院・放射線技師︶
おせち料理で、豪華でと
分 のた めに 貯 め と き ﹂ やはり 地 球 温 暖 化がか 円 安、株 高 な ど で 一 般 の ・0 % か ら20 1
感じた!!息子の成長
真理子
庶民の暮らしにはほと 0 年 に は ・6 % に 減
戴帽式の写真、
初々し 前田
決されてしまい、とって
て
も
お
い
し
そ
う
で
し
た
。
な
り
進
行
し
て
い
る
の
で
し
﹁
い
や
。
こ
こ
は
俺
が
払
︵ 健和会本部・看護師︶
んど関わりがないもの 少。このような背景を
猿渡 恵美子
も 大 事 な 世の中になる い姿で す ね。 これから
う﹂こんなやりとりの後、ょうか。
超忙しの数か月
年 来の障 子 紙の張
でした。2006年に 反映して就職活動を苦
︵親仁会本部・事務︶ 息 子の思いに負け、買っ
かもしれないというのに、つらい事 も た く さん あ
第一次安倍内閣が再チ にした大学生の自殺者
藤本 由希子
家 族 と 博 多 に 買い
可決されてからさっぱり ると思いますが、それら 替えをしました。 要領
ャ レ ン ジ︵一 度 就 職 活 は、20 1 1 年 に10
︵親仁会本部・事務︶ 物に出かけた時のこと。
です。 その手のニュース に負けずに立 派な看 護 が 悪 く、朝9 時 半 から
夜の9時 過 ぎ 迄。 こん
動や大学入試などを失 29人とはじめて千人
超
忙
し
か
っ
た
こ
こ
数
ケ
息
子
と
二
人
、
別
行
動
を
はメディアから音無しに 師になってください。
敗 し た 人 が、何 度 で も を突破しました。
久留米市山本町の観興寺にある野十郎の墓碑
歳のときの自画像
挑 戦 で き る こ と、ま た
今 回、紹 介 す る 本 は
挑戦できる社会︶とい 大学院への進学率が高
う概念を大きく掲げま く な る 中 で、政 府 が
した。同じくこの時期、 年代からすすめてきた
N H K ス ペ シ ャ ル で 大学院の拡充がどのよ
﹁ワ ー キ ン グ キ ン グ プ うな実態をもたらした
ア∼働いても豊かにな の か、大 学 院 に 進 学 し
れない∼﹂が放映され、 た方々の現状などを詳
大きな反響を呼びまし しく述べています。﹁末
た。労働の現場で何が は博士か大臣か﹂と立
起こっているのかを詳 身出世の代名詞だった
2014 年 月 日
2 15 ( 4 )
第 484 号
久留米が生んだ
貫橋 宣夫(くるめ医療生協 ・ 理事長)
№ 77
10
29
【問題】
四字熟語、正しいのは?
③利益と損害
利害得失
利害特失
④栄えてもいずれ滅びる
栄故盛衰
栄枯盛衰
① 残忍なこと
冷酷無慚
冷酷無慙
②絶えず変化すること
有異転変
有為転変
〔正月号のクイズの答え〕
①馬のたてがみ ②馬のひずめ ③はかま ④獅子の足 ⑤獅子の耳
⑥左の男性の服 ⑦フィギュア選手の手
〔正月号クイズの当選者〕
応募総数18通、全員正解でした。次の10人の方が
当選者となりました。当選おめでとうございます。
前田真理子、永原 章男、田中 信而、池永真奈美
大鶴 節子、蕗谷 カツ、猿渡恵美子、松里 兼男
樋口 幸代、芳賀 徹也 (敬称略)
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孤高の画家・高島 野十郎
水月昭道著
(光文社新書735円)
90
ほ
高学歴ワーキングプア
「フリーター生産工場」
ん
としての大学院
だ
な
74
65
銀 時 計 を 辞 退し、画 家 も あ り ま したが、東 京 きく変わります。 静か になることは あ り ませ しく伝える内容でした。 博士がどのような状況
高い精神性と透徹したリアリズムに圧倒
そ し て 今、20 1 2 に あ る の か、筆 者 の 出
を志しました。
青 山で作 品の制 作に没 に輝 く 月、燃 え あ がる んでしたが、死後彼の画
2005年に福 岡 県
高 島 野 十 郎は189
卒 業 後の数 年 間 に、 頭していま す。 生 涯 を 蝋 燭の炎 な ど、夾 雑 物 業への評価は徐々に高ま 年に発足した第二次安 身大学院修了者260
倍 内 閣 は、
﹁成 長 戦 略﹂ 1人中、﹁死亡・不詳者﹂
立 美 術 館で﹁高 島 野 十 0年 御 井 郡 合 川 村︵現 野 十 郎は坂 本 繁二郎や 独身で過ごしました。
を 削 ぎおとしたような っています。
郎展﹂が開かれました。 在の久 留 米 市 ︶に生 ま 古 賀 春 江 といった 久 留
野 十 郎 の 絵 は 風 景 絵 が 多 く な り、心 境の
野 十 郎の墓は千 葉 県 の具体化である労働分 495人︵ %︶、就職
物 事の本 質に迫る気 迫、 れました。 本名は高島 米を代表する画家たち 画であれ静 物 画であれ、 変化を伝えています。
市川 市の市 立 霊 園にあ 野の大幅な規制緩和と 者897人︵ %︶など
高い精 神 性、透 徹 した 弥寿。福岡県立中学明 と 交 流 していま す。 1 冷 静 な 観 察に基づいて
りますが、分骨され19 し て、非 正 規 雇 用 の 拡 深刻な実態が詳しく書
死後、高まる評価
リアリズムに圧 倒され、 善校︵現明善高校︶
、第 929年から4年ほどヨ 描かれていま す。 歳
97年に久 留 米 市 山 本 大 や、ブ ラ ッ ク 企 業 の かれています。﹁自己責
一瞬にしてファンにな り 八高 等 学 校︵現 名 古 屋 ーロッパに渡り、ルネサン のときの自 画 像が残 さ
野 十 郎の全 作 品から 町にある観 興 寺に安 置 温存など﹁働くルール﹂ 任﹂だけでは片づけら
ました。 野十郎が久留 大学︶
を経て、東京帝国 ス期の巨 匠の絵に親 し れていま す が、野 十 郎 画 壇の流 行に惑わされ されました。 観 興 寺に の破壊をすすめていま れないことを印象づけ
米 出 身の画 家だと知り、 大学の農学部水産学科 んだと言われています。 の強い意 志 を 読み取る ない孤 高の画 家 だった は親族によって建立され す。労働者の賃金水準 られた一冊です。
前川 貴嗣
興 味 は一層 強 く な り ま を首 席で卒 業しました。 帰 国 後、久 留 米や八女 ことができます。 ただ、 ことがうかがわれます。 た野 十 郎の墓 碑があり は 低 下 し、平 均 年 収 は
︵親仁会本部 事
1999年の461万
した。
最 優 秀 者に与 えられる で 絵 を 描いていた 時 期 晩 年になると作 風は大 存 命 中には時 代の寵 児 ます。
・ 務︶
29
19
35
なの
みん
ひろば
筑後の歴史散歩(第13回)
クイズ正解者の中から5人の方に図書カードをさしあげます。2月号の応募締切りは2月28日㈮まで、発表は3月号に掲載いたします。応募は、メール([email protected])またはFax(092-483-0435)
県連事務局・武井まで 応募の際、今月号で印象に残った記事の感想、日常の身のまわりの出来事などお便り下さい。みんなのひろばに掲載します。