186 - 愛知県板金工業組合

第186号
宮田金雄氏︵犬山支部︶
昭和例年5月創日、
した。
御本人の栄誉のみな
らず組合としても誠に
慶ばしいことと存じ、
ご挨拶
組合員の皆様には、
日々の御仕事に御精励
の事と御推察申し上げ
ます。
顧みますれば、戦後
はあらゆる分野にわた
板金工業組合
愛 知 県
名古屋市昭和区
北山町3−8−6
電話732-1226
発行広報委員会
I
宮田金雄氏
﹁勲六等単光旭日章﹂受賞
記念︵ハーティにて
ルが紹介された。
り宮田金雄氏のプロイ
理事長樽井神夫氏よ
山市﹁名鉄犬山ホテル﹂
梅雨に濡れた芝の緑
も色鮮やかに映える犬
日章﹂受賞祝賀パーティ
にて六月三十日宮田金
雄氏の﹁勲六等単光旭
が催された。
る。
宮田氏は、大正七年
犬山市に生れ昭和六年
父の経営する板金業に
携り以来、後継者とし
て厳しい修業をせられ
その手腕の輝きは父上
を勝る技能を発揮され
郷土犬山市をはじめ
県内の文化財に関する
修復工事又、銅張り屋
デルにして教訓とした。
えた事が今日の栄ある
賞を受けるに至りまし
た。父の許で修業中父
が﹁山下清画伯﹂をモ
も定評である。
後輩の指導には労を
根工事に至ってはその
技法の卓越さは業界で
惜しまず特に技能士の向
その才能を磨くことに
より、優れた作品とな
り身に付けた技は生涯
のすべてである。父の
言葉を私の信条として
貫いて来ました。又、
天皇陛下より温かいお
言葉を賜り感慨無量で
した。技能に頂上はな
し。よき人々に恵れま
した事を感謝する次第
であります臣とお礼の
各界並びに業界関係
者等知己約百数十名が
早速お祝に馳り盛大な
拍手で宮田氏を迎えた
当工業組合常務理事の
山田栄氏が発起人を代
表して挨拶、続いて副
続いて来賓の当組合
理事長、国会議員、愛
知県労働部長、犬山市
長、県会議員各位が次
言葉を述べられた。
それは、人間誰にでも得
意とした才能がある。
々と祝辞が述べられ、
﹁家宝として末代の、
御協力の賜物と心から
います。
盈蝿二咽、
り御言葉を戴きました。
これは一重に永年に
わたる皆様の御支援、
戴き、器に非らざる私
が叙勲の栄に浴し、皇
居に参内し天皇陛下よ
栄誉に輝き又業界に於
続いて祝賀会に入り
掛布静男氏の乾杯の音
頭で、和気合々に宮田
何卒今後も御支援を
戴きます様お願い申し
上げまして、御礼の御
挨拶とさせて戴きます。
れている。
ぃ茸要り伝統ある技能、
いても大変な名誉であ
る事等々、宮田氏の功
績を讃えた。最後に、
氏の功績を祝福した。
︵事務局︶藤原嘉津子
侭街佃
環j︲R・里い
︾︾︾や
リめざましい発展を遂
げて参りました。しか
し当時の我々の業界は
何等の進展がございま
せんでした。業界の発
展は和をもって話し合
上に多大な情熱を傾け
られた。温厚篤実な性
格は人望も厚く地域住
民の模範であり、多方
面に亘りその役職に在
り当工業組合の常務理
事として現在も活躍さ
現代建築にマッチする
技能、一日一日が研究
であり修業であると思
宮田氏は謝辞を述べら
れ、﹁大変良い先輩を
はじめ人々にめぐり逢
技能士会の御推薦を
の御協力により加年の
記念すべき時を迎え、
慶びにたえません。
この度、工業組合、
う場、すなわち組合を
設立する以外にないと
思い、発起人の一人と
なり先輩各位と謀り愛
北板金組合を設立致し
ました。これが私の組
合運営の第一歩でした
その後工業組合、技
能士会が設立され先輩
の御努力と組合員皆様
、
御礼申し上げます。
嶋§I
1
宮田金雄
り下さい。
心からの祝福をお送
ので御披露します。
皆様にお知らせします
なお、宮田氏から組
合員の皆様に受賞の御
挨拶が届いております
勲六等単光旭日章受賞さる
f
蕊I
皇居において勲六等単
光旭日章を受賞されま
板
愛
(1)昭和60年7月15日
常務理事会開く
㈲通常総代会と二十
鼠
鍵
鑓
静.減
;
§
:
面油
Ih
一
谷
就職され年季明けが戦時中のためトヨ
作である灯龍二ケを拝見しそのうち一
ケを県板に展示することを約束しお預
りし再会を約束して帰途についた。
鱗鍵#
ur
I.」
された。早速感謝状・表 彰 楯 を お 渡 し
した。大変嬉んでいただき 感 激 し た 。
氏は安城市に生まれ、杉浦銭力店に
名古屋板金連合会総会開催
周年式典の収支報告
愛板協会、技能士会
愛知県板金工業組合 害の再確認。
ロ組合事務局員に関
事業方針、ユ計画を決定した。
は6月迦日午后2時より ② 責 任 施 工 に 関 す る 打
する退職金について
前事務員山田さん送別会
会館3F会議室にて、
退職金共済年金を導
今回せについて
名古屋板金連合会定 谷川校長よりお話を聞
総代会後初の常務理事 ㈲保証事業発足にと
入する事に決定
去る六月七日午後六 話にな っ た お 礼 に 訓 練 時総会は五月二十八日 いてすべての議案審議
会を開催した。
時 よ り 笹 島 ﹁ ま い ず る ﹄ 協会羽柴会長より感謝 午后六時半より名古屋 を 終 了 し ま し た 。 こ の
もない一般説明講習 ④その他
㈲全板連青年部
冒頭、日比野理事長
に於て、技能会会長名 状と記念品が、名 古屋 柳橋の三井物産ビル二 あ と 出 席 者 全 員 に よ る
会を名古屋、知多、
創 立 十 周 年 記 念 事 業 古 屋 連 合 会 会 長 愛 板 協 連合会村上会長からも 階の社員クラブにて来 懇 親 会 を 開 い て 和 や か
は、﹁先の総代会、二
一宮の三会場で行っ
十周年記念式典が無事
特別拠出金について 会会長及び訓練校校長. 沢山の記念品が贈られ 賓県板日比野理事長始 なひとときを過し午后
た受講者は三百名。
終了したことを謝し、
二 回 目 の 説 明 講 習 ロ技能五輪国際大会 愛板協会役員全員が出 ました。また技能士会 め 訓 練 校 校 長 長 谷 川 氏 、 八 時 過 ぎ 散 会 し ま し た 。
六十年度の運動方針に
の寄付金について
席して、山田加奈江さ 二村会長からは花束と 亜鉛鉄板問屋会池田会
一、事業方針
会は指導委員会と協
︵一組合五千円寄付︶ んの送別会が盛大に催 記念品が贈られ長年の
もとずいて、本部役員
議の上行う予定。
長を迎え定刻名古屋各 愛 知 県 板 金 工 業 組 合 の
各位、益々の努力をさ ロ保証事業に関する 国名古屋の職人衆展 されました。合わせて 労をねぎらわれ、長
地区より出席して頂き 指導協力により会員相
れた﹂と挨拶。
参加について
愛板協会新事務員中川 川訓練校校長の音頭で ました二十五名が集ま 互の意志の疎通と連帯
PR活動をつよめる
議題は次の通り。
名古屋ブロックで さんの歓迎会が行われ 乾杯のあと懇親会に移 り開会されました。大 感の強化をめざし事業
県、市、地方自治体
①昭和六十年度運動方
人選等協議する。
ました。はじめに訓練 りなごやかに昔話に花 脇副会長の司会で、ま 活動の推進を図ります。
設計事務所、ゼネコ
針について
四高令者雇用事業所 校では大変お世話にな がさいたり山田さんを ず村上会長より決算報 二、事業計画
ン等へ申し入れ。
責任施工、共同購入
の知事表彰候補のす った、加藤先生から山 囲んで記念写真をとつ 告 の 説 明 が あ り 、 つ づ ①愛知県板金総合職業
新聞広告等も計画。
いせんについて
に 関 す る 事 業 、 共 同 請 ⑧有資格事業所用に
田さんにねぎらいの挨 たりで時のたつのを忘 いて余語監事病欠の為
訓練協会との連携に
負事業、教育情報提供
五 十 五 才 以 上 で 五 拶がありつづいて能力 れ て し ま う 楽 し い
監査報告を大脇副会長
カンバン作製。
よる訓練生の確保
名以上雇用している 開発協会の土屋様から を過し平 野 県 板 総 務 部 が 読 み あ げ 承 認 を 求 め ②愛知県板金総合職業
に関する事業、福利厚
形状、費用等は保証
事業所は事務局迄申 お礼のお言葉があり、
生に関する事業等、総
長の音頭で手締めのあ た所、大多数の拍手を
蒼貝会で協議していく
訓練協会の主催する
し出されたい。
代 会 で 承 認 さ れ た 計 画 ③総務委員会より
長年訓練校の為にお世 と 九 時 頃 散 会 し ま し た 。 もって可決されました。
事業の協賛
つづいて事業計画案 ③福利厚生事業として
郎氏
氏穿
を訪一
ねた
てて 岡 崎 ・ 清 水 功
刈谷市の伊藤三郎
収
支
予
算
案
を
説
明
し
た
会員の親睦を図る為
所異議なく承認可決さ
次の事業を行う
タ車体に入社、係長までやられ昭和別
県板加周年記念式典に際し、理事長
れました。続いて今迄
④年一回ボーリング
より組合功労者として感 謝 状 が 贈 ら れ
年現在地で開業、いち早く指導員、一
は会計幹事を村上会長
大
会を行う
級技能士の資格を取得され、後進の指
た刈谷支部・伊藤三郎氏 に 感 謝 状 と 表
が兼務しておりました
。
連
合会主催のゴル
彰楯をお渡しするため、 か ね て 打 合 せ
導に尽力され今日までに多くの弟子を
から、専任の会計とし
フを年二回春秋に
養成され数名の方が近郊で独立、同業
していた外山常務理事と共に刈谷市山
て中川港支部の棚橋氏
行う
池町の自宅をお訪ねした。刈谷駅に下
者の若い職人の多くも氏の指導を受け
を指名しました所承認
⑧随時会員による懇
車し大きな工場群の谷間を通り㈲伊藤
て在職されている由、氏の人柄が偲ば
可決されましたので、
親会を行う
れる。現在従業員数名で板金と鉄工を
板金工作所に到着した。
今後同氏が会計幹事と
以上
兼ねた多角経営で安定した経営をされ
社長をはじめご家族のお出迎えを受
なりました。続いて来 新役員
ている。県板、支部に対しても理解あ
け叩か恐縮した。広い敷地、整理整頓
期よりの会費の増額を
会長長村上章
る助言、要望もあり種々とはずむ話に
の行き届いた工場内を通り居間に案内
提案審議をはかった所
副
会
長大脇園和
時間の過るのも忘れた。最近氏の代表
期末迄保留のかたちと
″加藤友三
なりました。又訓練校
会計幹事棚橋敏光
の運営に関しまして長
監査余語友吉
昭和60年7月15日(2)
蝉:啓劣髭
灘
瞳貞頭虞
;
板
愛
第186号
時
江南支部
マジックショー
カラオケ大会
ら国道訂号線を走り、
カラオケ出始め手拍子
が出る頃、敦賀ICか
と御礼の言葉があり、
楽しくお酒を酌交し、
蕊識灘鵜総識蕊織識群
江南支部では、日頃
仕事に追われ、忙がし
い毎日から解放され今
年も親睦をかね、去る
6月焔日Ⅳ日と一泊二
日で山代温泉及び永平
寺参拝へ組合員多数、
江南駅前を8時出発、
梅雨の季節とは思えな
い晴天にめぐまれ、一
宮ICから北陸自動車
道路敦賀ICへと向う
バスの中では、支部長
後藤求仁磨氏の挨拶と
今井久由氏の技能士会
連絡及び青年部長石田
弘之氏からは、ソフト
ボールの練習の報告に
つづき、相談役坪内正
夫氏の挨拶で六月をも
って引退しますとのお
言葉で、永年建築板金
業に従事し江南支部組
合が発足いらい、組合
員の手となり足となり
色々と協力、後指導し
ていただき本当にご苦
労さまでした。心から
御礼を申し上げ、今後
共に組合発展のためよ
きアドバイスがあれば
御指導下さる様お願い
致し、このあと、第訂
回全国板金業者大会で
組合功労章受賞の相談
役松ケ崎久夫氏の感謝
な海岸線も眺められ、
三方五湖、レインボー
ラインへと天候もよく
久々子湖、日向湖、菅
湖、水月湖、三方湖の
五湖が集まり、波静か
な風景は美しく山頂に
立てば、若狭湾の複雑
水面の美しさが印象で
●。⑥
した。加賀ICを出、
た。
目的地山代温泉こまや
に、予定通り四時三十
分到着、六時からは中
広間で、新鮮な海の料
理を前に会計今井文夫
氏から会計報告に続き
坪内正夫氏の音頭で宴
会が始まり、全員で乾
杯しカラオケ大会や坪
内氏の見事なマジック
ショーも披露され、心
ゆくまで楽しいひと時
を過し最後に松ケ崎久
夫氏の音頭で組合員の
健康とご活躍を祈念し
て万才三唱で幕を閉じ
Ⅳ日は﹁こまや﹂を9
時出発、石川県の名産
九谷焼や輪島塗を見学
し、今から約七四○年
前、開創されたという
由緒ある永平寺を参拝
勝山から国道唖号線を
人造湖が大きく広がっ
た美しい九頭竜ダムを
見下し、美濃太田を経
て江南駅に予定の五時
無事到着、解散しまし
広報委員
石井輝憲
埴
ここ廷廷ご造ご廷ご︾ご迂迂ごこ︾こここ﹂
里
午後6時鋤分より高
った。
柳氏の司会で始まり、
森表彰者のことば琴
申し上げます。
此の度、愛知県知事
賞という大きな賞を頂
き、心より厚く御礼を
この賞は、私の生涯
の結晶であり、子々孫
々に私の足跡を伝える
思い起こせば、昭和
ことと思います。
二十三年頃は材料が、
思ように無く、古い浪
トタンを、叩き伸ばし
て役所、学校の樋工事
しながら論旨に入った。
知多支部
日頃帳簿等を奥さん
任せの部員が多く2時
だより
間余りで一度に頭に入
れる事は非常に大変な
ことであったが税に対 社会に貢献
心より御礼申し上げま
す。
て、仕事量も増してき
を致しました。
一本の樋にも非常に、 ました。
手間をかけたものです。
又、私の勤める所も
岡崎高柳義親
軽三輪と活動範囲も広
オート三輪︵ダイハツ︶
拍子木、刀刃等は、毎
日、私の手を厚く、大
閉じる。
知多沼津
小企業相談所長の足立 する認識をさらに深め
愛の献血活動
先生の岡崎商工会議所 る絶好の機会でもあっ
の利用法及び市況の報 た。このあと質疑応答 〃献血は人と人とを結
告、資金融資等の話し があり、活発な討議が
ぶ愛のかけはし〃
があり。
もたれた。なお、岡崎
当支部は年間の行事
本日の本題である。
支部では、当日特に関
の一環として去る六月
節税対策講師に税理 心の深かった相続税・
士の宮嶋先生をお招き 贈 与 税 に つ い て も 今 後 二 十 五 日 ㈹ 午 后 一 時 よ
し﹁建築板金業会の節 機 会 が あ れ ば ぜ ひ 講 習 り 半 田 市 内 の 問 屋 さ ん
税対策セミナー﹂をテキ 会を開いていく意向で
である武豊屋株式会社
の御好意により場所を
ストに併せて、昨今の
す。
提供して頂き予定通り
岡崎高柳
社会情勢と税とのかか
わりあいを事細かく示
終了。
尚当日は梅雨期でも
あり連日の雨、私達に
くなってきました。
でも現場に出れば、手 とっては無情の雨では
加工が、まだまだ必要 な い だ ろ う か 、 そ ん な
きくごつごつとしたも で す 。 特 に 神 社 仏 閣 も 中 で の 会 員 の 御 協 力 大
のに、変えてきました。 数 え き れ な い 程 、 や っ 勢の参集を頂き尚且つ
そ ん な 、 古 い 浪 ト タ ン てきましたが、今、現 役 員 さ ん の 方 の 御 配 慮
でさえ手に入れるには 在でも、みのこ、はま もあって献血終了者に
大変な時代でした。
ぐ り 等 は 、 私 の 出 番 で ははずれなしの﹁福引
その後、新しい材料 す。今後、この手加工 く じ ﹂ 大 小 の 景 品 、 笑
がだんだん手に入り安 の技能を、青年達に伝 いが絶えない・
当支部の献血活動は
くなり、私達も、仕事 え、又、新材料等では
がやりやすくなってき そ の 青 年 達 に 負 け な い 十 年 前 に さ か の ぼ り 、
ました。
様、仕事に励みたいと 今回で十一回目を数え
る。春には永年献血に
又、手加工ばかりで 思 い ま す 。
最後になりましたが、 貢 献 さ れ た 方 々 の 表 彰
なく、板金加工の、機
械も、色々そろってき 役 員 の 皆 様 に は 、 種 々 者をも生み出し理解度
を深めた。今後は皆ん
お世話になりまして、
なの力で愛のきずなを
硬く結び事を誓い筆を
あいさつ、ひき続き中
六月十五日節税対策、 岡崎支部の斉藤部長の
雲
資金融資セミナー開催
板金業界は長い不振が
続き色々な面での見直
しをせまられる時期に
その一つとして、この
経営講習会を開催。岡
崎支部初の試みで、色
々準備のため役員の人
たち各方面さがした結
果、岡崎商工会議所経
営相談を知り開催に至
、
、
、
第186号
板
愛
(3)昭和60年7月15日
の重要なものにしぼり
込み対策をたて、さら
に重点実施項目を決め
るのが一般的な方法で
す。次に実際を訓練用
シートを紹介しよう。
ね、八の眼に入る。
征例する.
する。
状況
o脚立の上に乗って電気
ドリルで穴を開け作業
一コメント
Iわずかばかりの作蕊だ
をしている
研らである。‐ルイラス
トのようなイ;涙金作案を
﹁みんなで芯早く正し
く﹂行うことが肝心で
す。安全週間に因み一
度皆さんで試めして見
ては如何ですか。
、
知多沼津啓二
問屋親睦会シリーズ
ずし、、糖する。
総会旅行を行った。
遠距離のため前夜、
二十三、二十四の両日
科学万博見学をかねた
一
武豊屋株式会
社社三友会
武豊屋KK︵半田市
青木一三社長︶の親睦
団体である﹁三友会、
榊原正一会長﹂は四月
から」と胸u山Ⅱのi丁重
は、1UP縦J安秘に行われ
ません。毎日のミーテ
ィングなどで短時間に
、ドリルがIMIってくい込み、
慨れてパランスを失し転落
事と思います。
ります。
、ドリルのけずり肝が飛びは
れている方々は承知の
危険のポイント(シート鵬58)
①胸江上のAは、略面がせ室
いため、体のバランスをく
寺全国安全週間実施される牛
作業の状態を表わす
イラストを使い、ある
いは現場で、どんな危
険が潜んでいるかを出
し合い、それを一、二
表わしている
スローガン
みんなで考え、
みんなで築こう、
危険のポイント
そして、それを実践
するための、チームの
行動目標を決め、指差
唱和し、タッチ。アン
ド。コールでしめくく
①、②、③、4
重要なポイントの4項目
しかし○印は特に危険を
ただし、たとえば月
一回行うだけでは現場
の変化にはついていけ
みんなで考シ【よ
4通i『人がコード1こつ良ずき
災害ゼロの明るい
職場を!
期日七月一日七月七
日本週間の実効を上げ
るため六月一日から六
月三○日までを準備期
間とする。
道具箱︵シール・ボ
ックス︶のそばつまり
職場の一隅で行う、親
方、棒心、職長などの
リーダーを中心とした
短時間の話し合いをシ
ールボックス・ミーテ
ィング︵TBM︶とい
います。作業を始める
前な一
どど
にに、、環
環境
境条
条件
件な
な
どに即応し、作業
に伴う危険をどう
取り除くかなどを
話し合うものです
次のような心が
まえで参加する。
ようという手法で大手
ゼネコンではすでに以
前から用いられ関連さ
﹁安全の先取り﹂をし
危険予知訓練︵KY
T︶という、TBMの
進め方としても有効な
ものがあります。作業
の中に潜んでいるいろ
いろな危険を皆んなで
考え、対策をたて、
は確実に守る。
+みんなで決めたこと
得がいくまで聞く。
+わからないことは納
では発言しない。
けさない。
っくり聞き、終るま
体験を隠さずに話す
+ほかの人の発言はじ
+﹁ヒャリ﹂﹁ハット﹂
学全国 安 全 週 間 尊 # 湯 鐘 寺 進 ん で 発 言 す る
我々板金業は不況の
中での生産性及高度な
技術の探究と低予算の
傘で苦しむも安全管理
体制の確立と安全活動
の一層の定着が望まれ
る今日、安全なくして
は受注の減少頭の痛い
ことである。各々の事
業所に於いてはあらゆ
る角度から視野を広げ
従業員一人/、の末端
まで周知教育すること
にあるのではないだろ
うか。そこで私は先づ
次の事について実行す
るならば必ずしや災害
は起き得ないと確信す
る。
守ろう﹂
﹁みんなで安全を
1iってし史う。
(
3
)
昭和60年7月15日(4)
板
愛
第186号
半田市の本社をバスで
出発。あいにくの風雨
の中を東名高速、東関
栄えるには心を一つに
つづいて榊原会長は
﹁共にうるおい、共に
と団結を説いた。
して進める事である﹂
かけた。
東自動車道を走って、
予定通り午前五時、成
田山へ到着。早朝の成
田山新勝寺へ参拝。朝
来賓祝辞、事業、会
計報告、祝電披露と型
通りの総会の後、岡戸
副会長の乾杯の音頭で
前夜らいの雨はますま
食の後、万博会場へ・
すひどくなる。
楽しくにぎやかな話
声、うた声、笑い声が
潮来の夜にいつまでも
宴に入った。
九時三十分の開門と
同時に入場、午后三時
迄パビリオンを精力的
に見て回った。しかし
人 人 人 で 大 変 つ か れ た ︲ 続けられた。
翌日は水郷潮来に別
れをつげ、東関東自動
車道、湾岸道路をのり
夕方今夜の泊りと総会
場である水郷潮来、富
士屋ホテルに入った。
浅草観音へおまいりし
たのち、中見世通の店
ついで東京都内へ。
此のホテルは刀根川畔
に建ち窓からの眺めは
水郷らしく一面水田が
がら帰路につく。
広 が り 旅 情 豊 か で あ る 。 をのぞきながら散策。
又近くには、霞ケ浦、
昼食の後、東京都内を
バスの中から見物しな
事到着、解散。副
編集後記
祭笛
︵多佳子︶
吹くとき男
佳かりけり
世の中一体どうなっ
てんだろう..⋮⋮.
ううつな毎日なのに、
それでなくても梅雨
末期の雨つづきで、ゆ
ばかり続いている。
此の所、気分の悪い事
TWA機ハイジャッ
ク事件、インド航空機
爆発墜落、成田空港爆
発事件、豊田商事のサ
ギ商法による被害者続
出、又会長刺殺事件、
など/、テロとペテン
の横行は、かぞえたら
きりがない。
するマスコミ各社。
かと思えばブリッコ
歌手の数億もかけた結
婚式。またそれをキチ
ガイみたいに取材合戦
朝から夜迄、十数時
間も独占放送とばかり
ナマ放送するテレビ局
イ。
六月二十八日③晴
起っている。
常識ではとうてい考
えられない事が次々と
さい。
午後五時終了③
委員七名出席
一八六号編集会議
8月喝。狸。妬。蝿
日は9時から岨時釦分
8月Ⅳ日全休
8月過日㈹からⅣ日
由までの組合事務局の
業務は左記のとおり行
ないますので御承知下
つ い て お 知 ら せ し ま す 。 アホラシイ、バカラシ
県板事務局の業務に
閲三回面面
灸f炎炎f炎炎f斜斜茶
夕刻、本社へ全員無
かれる。
筑葉山、借楽園、成田
山があり、五月、六月
には﹁アヤメ祭﹂が開
総会は六時三十分よ
り始められた。
三友会の総会には、
此の人がいないと成立
しないと言われる近藤
良一氏の司会で行われ
た。青木社長は挨拶の
中で﹁不況の中にも明
るさが見えつつあり、
より一そう英智をしぼ
り、合理化をはかりな
がら会員各位に喜んで
もらえる様努力してゆ
きたい﹂と協力をよび