Newsletter Vol.7(2006.5.15 - GN21

Newsletter Vol.7
グローバル
ネットワーク
Global Network 21
2006.5.15
大勢の参加で盛り上がりました出版記念(講評会+懇親会)
GN21 新刊書『下からのグローバリゼーション:もうひとつの地球村は可能だ』(新評論)
2006 年 3 月 5 日(日)
於京都タワーホテル
GN21 から久しぶりに本が出た。出版記
と木村宏恒事務局長(名古屋大学)から、
念をやろうということになった。各方面か
新著で展開した主な論点、今後 GN21 で取
ら予想を上回る 43 名が集まり、にぎやかな
り組んでいく研究会やニューズレター、出
集いになった。学者だけではなく、企業関
版計画の説明があった。
係者、出版関係者、メディア関係者、日本
新著では、これまで言われていた「下か
ベトナム友好関係団体、ラオスで活躍する
らのグローバリゼーション」を日本ではじ
手織物専門家、大学院生など、まことに多
めて本の形でまとめ、3つの構成要素
様であった。料理もよかった。盛り上がっ
(NPO、地域おこし、文化)を提起した。
た。
それに関連する議論の交通整理を行ってい
ハノイのベトナム国家大学人文社会科学
くことを当面の GN21 の方向とした。これ
大学に客員教授として赴任し、一時帰国中
まで「下からのグローバリゼーション」は
の片岡幸彦代表がまず挨拶をした。そのあ
NGO/NPO 中心で理解されてきたが、
「地
域おこし」の中心性を前面に出した。その
ーバリゼーション」の矛盾=行き詰まりを
「地域おこし」は農村中心的なものにとど
理論化する作業、第二に地域おこしの新展
まらず、先進国の 8 割、途上国でも 20 年
開、とくに「地域開発の文化化」や、地域
もしないうちに 5 割を超えるであろう都市
の NPO 論、欧米の地域おこし(Sustainable
における「地域おこし」を前面に出した。
Community)と、それらの国際展開の可能
「ローカルなもの」の中心には文化がある
性を探る。第三に文学・思想研究者などを
という理解の下に、文化にも大きなページ
中心に、「文化」とは何か、「近代文明」と
を割いた。
は何かを考えていく「内からのグロ-バリ
これからの活動としては、
「下からのグロ
ゼーション」の方向。この3つで、研究会
ーバリゼーション」の3つの構成要素を理
と出版活動を展開する、というのが事務局
論的に深めていく。第一に「上からのグロ
長の議論であった。
小林誠氏(立命館大学)
森栗茂一氏(大阪外大)
古川哲史氏(黒人研究の会) 黒川美富子氏(文理閣社長)
国際政治学と文化人類学からの講評
二人が新著の講評に立った。新進気鋭の
た場合に国家や企業に市民社会が取り込ま
国際政治学者小林誠氏(立命館大学国際関
れる危険性や、ローカルな価値を無批判に
係学部)は、
「上からのグローバリゼーショ
賞賛する危険性、文化を強調しすぎて復古
ン」と「下からのグローバリゼーション」
主義に与する危険性などを指摘し、大胆な
を対抗関係として描くと、
「上から」の好ま
展望を出す姿勢を保ちながらも、もっと精
しくない面と「下から」の好ましい面が強
緻な分析が必要であるとした。そうした点
調され、
「上から」の好ましい面と「下から」
はわかってはいたのだが、今後意識的に、
の好ましくない面が軽視されることになる。
ではどうするのか、理論化していく必要が
「上から」の好ましい面は、人権、地球環
あると自覚させられた。
境、ネットワークなどに代表され、
「下から」
次に都市の文化人類学と神戸市の町おこ
の好ましくない面は、NGO-GO シナジー
しで大活躍中の森栗茂一氏が立った(大阪
(NPO と政府協働による相乗効果)と言っ
外国語大学。Google などで名前を入れて
2
Homepage を見てください)。いい生活を求
だ。伝統文化は努力して(再構築して)伝
めて多くの人が都市に集まってきたが、い
統文化として残るのだ。
「下からの」という
ま都市はやっていけなくなりつつある、行
のは簡単ではない。住民にはそんな力はな
政はもう対応できないと、氏は言う(財政
い。コーディネートがない。それが今の問
的に。また高齢化などで)。地域経営、都市
題だ、というのが氏の提起であった。
経営について、どうやって Coordinate(調
それで阪神大震災のとき、多くのボラン
整)していくのかが問われている。それが
ティアが駆けつけて日本の「ボランティア
今日の学問の新しい分野ではないかという
元年」と言われるようになったが、多くの
のである。国際関係を勉強している学生が
ボランティアを調整する役目の重要さを浮
地域の現場に入って、世界のなかの小さな
かび上がらせたことを思い出した。今後の
コミュニティについて考える。コーディネ
地域おこしや大学教育および研究に対する
ートできる学生を育てる。これからの大学
貴重な提言であった。
は現場に入る教育プロジェクトをもつべき
大谷保男氏(日ベト友好協会)深山嘉伸氏(和歌山ベトナム会)西堀わか子氏(奈良女大)
池田知隆氏(毎日新聞社)
各界からのご提言
躍してほしいと挨拶された。
北野栄三氏は、ジャーナリストとして活
躍したあと、毎日放送を経て現在は和歌山
立命館大学の総長代理として出席された
放送社長である。アメリカでの取材経験な
高杉巴彦(同常務理事)も若いときを振り
どを話された。1960 年代当時アメリカ社会
返り、
「学生時代、東京で国内版のグローバ
は、小さいことは良い事だという共通認識
リゼーションを経験し、京都に就職して地
があり、CBS がベトナム報道に積極的に取
方でもグローバルな議論をやっていること
り組み、また日本でもベ平連(ベトナムに
に新鮮な驚きを受けた」と、
「知識人が行動
平和を!市民連合)など、知識人が活動し
していた時代」を懐古し、
「学生が実践的に
ていた。今世界中に大きいことは良い事だ
参加し、勉強していく方向を増やしてほし
という風潮がはびこり、現状を批判出来る
い。」「上から」に対する「下からのグロー
メディアや知識人がどこかへ行ってしまっ
バリゼーション」も実践的につくりあげる
た。知識人はもっと批判的立場に立って活
必要があるのではないかと提起された。
3
れた。
嶋務氏は、兼松豪商の職員として欧州、
中東、東南アジアに滞在し、いまは羽衣国
その他、
「地上にはもともと道はない。人
際大学で教鞭をとられている。
「商売柄、独
が歩いて道ができる」という魯迅の言葉を
裁者にも近づいた。数の上でごく一部の人
紹介された宇野木洋氏(立命館大学)、アメ
が圧倒的な民衆を押さえ込んでいる世界と
リカの刑務所で社会の底辺の人たちに 3 年
いうのはどうなっているのか、下からのグ
間教えた経験が今の活動の原点になってい
ローバリゼーション議論で解明してほし
ると言われた古川哲史氏(黒人研究の会事
い。」「パキスタンで、貧しい人の目線でビ
務局長)、「一緒に行って現場でというのが
ジネスを考えてくれと言われて深く印象に
大事になっている」と最後の結びをされた
残った。
(性善説、性悪説と言うのはあるが)
池田知隆氏(毎日新聞大阪本社論説委員)
性弱説を視点にしてほしい」と問題提起さ
など、各方面からご提言があった。
主な祝辞・所感
・ 「ハノイではたいへんお世話になりました。私も早速『下からのグローバリゼーション』
を拝読し、勉強させていただいております。」
(古田元夫
東京大学副総長)
・ 「御著、さすがに時代を鋭く見ていられると感心しました。学生に勧めております。
」
(勝
俣誠
明治学院大学教授)
・ 「表紙を飾る『人類再生のグローバルネットワーク』『もう一つの地球村』などの言葉
に、今を憂う優しさと思いやり、未来を拓く勇気と英知を感じます。しっかり読ませて
いただきます。お元気で、ますますのご活躍をお祈りします。」
(田中義久
元岐阜県郡
上八幡産業振興公社専務理事。現郡上市秘書広報課長)
・ 「長久手の町づくりの勉強会で、お薦めの参考書として利用させて頂いております。時
代を反省する啓蒙の書として広く受け入れられますよう、お祈り申し上げます。
」
(渡辺
聖司
元日商岩井職員。定年後は愛知県長久手町でまちおこしのボランティアグループ
「ワークショップ・ジョイ」を主催。)
・ 「まちづくりの参考書として、仲間と使わせて頂いております。」
(青木孝弘
山形県長
井まちづくり NPO センター事務局長、長井市観光協会専務理事)
・ 「孤立や分断ではなく、連帯と共生によって地球的課題を解決していくことにとって、
本書の御刊行は大きな意義を有していると考えます。」(家正治
姫路獨協大学教授)
・ 「資本による、また軍事的グローバリゼーションに対抗して、下からの市民、自治体、
そして国の、民主主義的な連帯のグローバル化をどのように形成するのか、その攻めぎ
合いのなかにあることを感じています。出版おめでとうございます。
」
(高橋進 龍谷大
学政治学教授。)
・ 「いま上からのグローバリゼーションが席巻している。対抗するのは『下からのグロー
バリゼーション』を措いてはないだろう。それだけにグローカリズムの視点が大事で、
この本はまさにグローカリズムを形に表した労作だ。」
(木津川計 『上方芸能』編集長)
4
GN21 の歴史
春秋季刊誌『グリオ』から学ぶもの:GN21 の前史
北島義信
80 年代後半期から世界は目ま
通じてこそ、われわれに根深く残っている
ぐるしく大きく変化し始め、ソ
「オリエンタリズム」的思考を打破し、未
ヴィエト連邦・東欧体制は崩壊
来への展望を考えることができるのではな
に向かった。崩壊に向かったのは、南アフ
いか、またそれを担える人材もかなり存在
リカの悪名高い「アパルトヘイト」体制に
しており、第三世界の文学を中心とした雑
ついても同様であった。戦後続いた「米ソ
誌の発刊も可能ではないか、という私の思
二大国時代」
・
「冷戦時代」
(このような世界
いを片岡先生に申し上げたことがあった。
の捉え方には、イスラーム世界の認識の欠
それは、私のみの思いではなく、
「第三世界」
如がみられるが)がようやく終わり、多元
の研究者の中にも、同じ思いの人々はかな
的多局的で平和な新しい時代が始まるかに
りいたのであろう。「現代世界と文化の会」
みえた。しかし、
「湾岸戦争」の勃発は、そ
(春秋季刊誌『グリオ』、代表・加藤周一氏
の「期待」を打ち砕いた。このような時代
/編集責任者・片岡幸彦氏、平凡社発行)
背景の中で、
『グリオ』は生まれた。
が 1991 年に誕生したのは、そのような研
19
究者の主体的連帯の反映である。
現代アフリカ文学を学んでいた私は、
1980 年代の後半に片岡幸彦先生からお誘
この雑誌は、西アフリカの職業的詩人兼
いを受け、
『アパルトヘイト-南アフリカの
音楽家を指す言葉である「グリオ」と名づ
現実』(1987 年)の執筆に加えていただい
けられた。西アフリカでは、グリオは危機
た。執筆にかかわって、南アフリカの文学
の時代においては自己の命をかけて警鐘を
やルポルタージュを読む中で、
「南ア黒人一
鳴らす役割を担っている。この雑誌の役割
般」ではなく、生身の固有名詞をもった個々
について、編集責任者片岡幸彦氏は次のよ
の人間がアパルトヘイトと闘う生きざまに
うに述べている。「(この雑誌の役割は)人
深い感銘を受けた。
類の遺産を受け継ぎながらも、既成の秩序
それは、私自身が学生時代にヒンディー
や価値観が大きく問い直されている現代と
文学を読んだ時の感銘と同じものであった。
いう時代を厳しく受け止めて、できればそ
不幸なことに、日本ではアジア、アフリカ、
れを克服しうるような新しいパラダイムや
中東、ラテンアメリカの民衆が具体的に何
オールタナティブの構築に有効な素材を地
と向かい合い、どのように生きているのか
球規模で集めて、みなさんに提供する、そ
を示してくれる文学作品を恒常的に読むこ
してわれわれ自身も大いに自由に論じるこ
とは、困難であり、多数の人々の目にはと
とにある」
(『グリオ』創刊号編集後記、1991
どかなかった。21 世紀に向けて、このよう
年4月)。この雑誌に参加した人達は、自ら
な、いわゆる「第三世界」の文学の紹介を
現代のグリオになろうとする人達であった。
5
てきた読書人口の急速な減少による、出版
『グリオ』は、
「第三世界」
(「第三地域」)
を中心的に扱っていた。それはつまり、
「支
の「採算」問題であった。しかしながら、
配される側、見られる側、客体化される側
5年間の活動の中で築き上げられた研究者
の社会」であり、そこで扱われる「課題は
の連帯と課題の明確化は、その後も受け継
被支配者の内側への接近であり、見られる
がれることになった。
側から見ることであり、主体-客体関係の
『グリオ』の活動の中で明確となった課
主体-主体関係への転換である」と加藤周
題としてあげられるのは、
「グローバリゼー
一氏は、上記創刊号で述べている。
『グリオ』
ションとは、いかなるものか」、「欧米近代
は、「第三世界(第三地域)」の文学を紹介
の思想的・文化的問題点とはなにか」、「近
することを主要な目的としているが、その
代をどう把握すべきか」であった。1995 年
理由は加藤周一氏によれば、
「それらの地域
以降、旧『グリオ』の会員の間で、この課
とその文化を、外からだけではなく内から
題を深めるための研究会活動が開始され、
知りたい、とわれわれが願うからである。
そこには新たな研究者の参加もみられた。
(中略)われわれはそこに人それぞれの顔
この成果は『人類・開発・NGO』
(新評論、
を識別し、個別的な人間の喜びや悲しみに
1997 年)、
『地球村の行方』
(新評論、1999
共感し、つまるところ主体としての人間を
年)、訳書『オリエンタリズムを超えて』
(新
認めるだろう。(科学のように)対象化し、
評論、2001 年)となって現れている。
観察し、分析することを超えて、彼らとの
『グリオ』がかかげたパラダイムの課題
主体-主体関係へ向かう道がそこに開ける
も、「GN21」では、「下からのグローバ
ことをわれわれは期待する」からである。
リゼーション」の事例としての「地域おこ
われわれは「第三世界(第三地域)」の文
し・まちづくり」研究として進行している。
学紹介・研究を主たる切り口として、21 世
われわれの活動の中で、多岐にわたる多
紀に向かって、既成の秩序・価値観の問い
くの重要な課題が現れてきた。それらを「地
直しと新しいパラダイムの提起を目指した。
球村」の現実化へと再統合して行くことが
「現代世界と文化の会」は、当初 50 名の会
必要であり、そのためには、今一度、人々
員で出発し、最終的には 113 名にまで増加
の現実の姿、とりわけグローバリゼーショ
した。これらの会員の多くは、中東世界、
ン支配の下で苦しめられつつも、それを打
アジア、アフリカ、ラテンアメリカ世界を
ち破らんとするエネルギーを「第三世界」
研究対象としており、シンポジウム等を通
の人々から学ぶことが必要である。近年の
じて、学際的研究も大きく前進した。
『グリ
ノーベル文学賞の受賞作家の主流が「第三
オ』には毎号、吉田ルイ子氏を初め長倉洋
世界」の作家、及び「先進国」における「第
海氏、大石芳野氏などの新進気鋭のフォト
三世界的現実」の下にある作家、であるこ
ジャーナリストによる、
「第三世界」の現場
とをみてもその力強さは明らかである。課
からのフォトレポートも掲載されていた。
題の総合化をはかるためにも、その近道で
『グリオ』は 1991 年から 1995 年までの
ある「第三世界の文学」を学び、紹介する
5年間に、10 巻を発行してその使命を終え
という、
『グリオ』の出発点の思想に再度立
た。その主たる理由は、90 年代以降進行し
ち返ることが必要である。(四日市大教授)
6
GN21 研究会報告
「宗教観と世界観はどう関係しているのか」
(2005 年 11 月 12 日(土曜日)
日
於関西セミナーハウス)
本は世界にもまれな「無宗教」社
は儀礼体系であり宗教ではないと説明し、
会である(実態は宗教に対して無
今日の「無宗教」の基礎をつくった(安満
関心)。墓参りをする人は 68%と
利麿『日本人はなぜ無宗教なのか』
)。
高い(宗教生活がないことはない)が、日
戦後憲法は、報国の靖国神社=国家神道
常的に祈りのある生活をする人は高齢者を
の反省から政教分離を厳密にした。今日日
中心に国民の 13%にすぎない(1998 年。
本人は、平家物語の書き出し「祇園精舎の
78 年は 17%。NHK 放送文化研究所『現代
鐘の聲、諸行無常の響きあり」を古文で習
日本人の意識行動』)。いまだに人口の 4 割
って知っているが、それが仏教思想の精髄
台が毎週教会に行き、Born Again Christian
であるということは知らない。奈良東大寺
派がブッシュ大統領再選の原動力となるア
の仏像は盧遮那仏であることは覚えさせら
メリカとは対極的である。では宗教観を欠
れるが、それは仏教の中でどういう仏であ
如させた知識人の世界観には、宗教的世界
り、仏陀や阿弥陀、大日如来、観音などと
の中で生きる他の国の知識人と比べてどう
どう関係するのか学ばない。また戦後の都
いう問題があるのか?あるいは問題はない
市化は、寺院の檀家組織という共同体を形
のか。
骸化させた。
江戸時代まで日本社会は神仏習合の宗教
第一報告、浄土真宗住職北島義信(四日
に満ちていた。300 戸余りの村(自然村)
市大学教授)が「日本仏教から見た宗教観
のなかに、寺院、神社、祠、路傍の石仏・
なき世界観」で主張したことは、今の日本
石塔などの宗教施設は 100 以上あった。明
の宗教状況のなかで知識人に必要なことは、
治政府は、天皇制国家の精神的基礎を樹立
「智慧(うちに向かって知る)の道」とし
するために神道国教化政策を取り、神仏分
ての仏教が一方にあり、他方に国家と結び
離と廃仏毀釈を全国的に展開した。頂点に
ついた宗教(鎮護・護国の仏教―神道。空
伊勢神宮を置き、各地に官・国弊社(神社)
海―本居宣長―明治国家に連なる)という
を認定して神職を神官(公務員)とし、末
2 つの道があることを理解することである
端の村に産土(うぶすな)社を置いて全国
という。日本の基層信仰には地域性の強い
階統制をつくり、それ以外の神々や御霊信
呪術的な共同体信仰があり、その共同体を
仰を邪教、迷信として大量廃棄したのであ
重層的に統合した大和政権も呪術的な共同
る(仏教界とは国の宗教政策に協力する限
体的国家であり、社会底辺の神祭りの性格
りにおいて妥協)
(安丸良夫『神々の明治維
に規定されていた。それを仏教徒として融
新』)。さらに明治憲法において、欧米先進
合させたのが空海で、仏教を国家宗教とし
国の政教分離制度に妥協して、
(国家)神道
たことによる。その反発が比叡山に結集し、
7
その一端から法然が生まれ、浄土宗、浄土
きた。自然は人間のためにつくられたもの
真宗という庶民の救いが生まれる。近代国
であるということは、自然破壊に抑制の効
民国家形成においては、伝統的宗教は否定
かなくなる力を人間に与えたということで
され、
「心の中」でのみ存在を限定され、国
ある。報告では、ホワイトらの批判にたい
家が「神的存在」
「絶対的存在」
(国家信仰・
する今日のキリスト教の厳しい自己反省、
国家神道)となる。信仰を持つ必要は必ず
自己検証、反論が紹介された。ローマや中
しもないが、国家神道を批判(相対化して
世の国家と結びついた歴史的キリスト教を
認識)する軸としての近代における宗教の
反省しつつ、キリスト教本来の姿を回復し
理解は必要であるというものであった。
ようとしている。その成果が、Stewardship
また、宗教観は教義と信心からなる。教
の思想(神の代理人としての責任ある保
義は読めばわかるが、信心はわかりにくい。
護・管理者思想)や「共なる世界 Mitwelt」・
親鸞は信心を体験(日常の言葉と行為)で
「共なる被造物」としての自然との連帯思
説明したという興味ある説明もあった。宗
想、などである。こうして自然の固有性(固
教には思索的宗教と共同体的な宗教があり、
有の価値)を認め、自然の生存権を認める
歴史を動かすのは共同体的な宗教ではない
という方向に、環境倫理学における自然中
かという重要な指摘も、参加者の高垣友海
心主義と人間中心主義の対立を解くヒント
氏から出された。
があるのでは、という観点が示唆された。
第2報告は、両角英郎(羽衣国際大学・
宗教はごく最近まで人間の世界観の基底
哲学)の「環境思想とキリスト教」であっ
を形成してきた。その精神構造と政治によ
た。近年盛んな環境倫理学の論争として人
る作為の構造を理解することは、現代人の
間中心主義と自然中心主義の対立がある。
発想構造を理解する不可欠の営みではない
1967 年に発表されたリン・ホワイトの有名
かということを教えられたのが、この研究
な論文「現代の生態学的危機の歴史的根源」
会の成果であった。
は、その後の環境論議に火付け役を果たし
(文責
たものだが、環境危機の根源をユダヤ・キ
リスト教的な人間中心主義(その最たるも
のは旧約聖書の「人間=神の像」・「地の支
配」説)にあるとし、キリスト教を断罪す
るものであった。
「被造物」というのは自然
を神の作為によるものとして非神聖化した
言葉である。被造物の中に神はいない(万
物・自然をダルマ=法・原理とする仏教、
ヒンドゥー教との差)。ユダヤ教徒とキリス
ト教の一致点は、自然は神聖なものではな
いということである。ロックの「自由な所
有権」(近代資本主義の礎石)の正当化は、
自然の蔑視、自然の搾取と硬く結びついて
8
木村宏恒)
GN21 講演会報告
いろひらてつろう
色平哲郎氏講演
「途上国を放浪して見えるようになった日本と、日本の農村医療に携わって
見えるようになった途上国:金持ちより心持ちー信州の地域医療の現場からー」
(2006 年 4 月 27 日(木)
於名古屋大学大学院国際開発研究科)
相木村)の診療所長になって現在に
色
至っている。
平哲郎医師は噂どおりの快男児、
「現代の赤ひげ」であった。東大
「高齢化社会の村では、医療は見取りだ
中退、世界と日本を放浪、アジア
(高齢者の死につきあう)。
」
「ここには『お
の村で「会った人たちは金持ちではないが
しん』の時代の村がある。日本の原像の話
心の豊かな人たち(心持ち)」であることを
を聞けるのが魅力だ。」佐久市で働く非合法
認識した。その間「いろいろな人と付き合
外国人労働者が医療を受けられないのを見
える」職を求めて医者になるべく、京大医
て関係するようになり、毎年タイから「開
学部を卒業した。
発僧」を呼んで心のケアもするようになっ
色平氏が佐久病院(長野県)に入るきっか
た(佐久地域国際連帯市民の会「アイザッ
けはバブさんとの出会いであった。バブさ
ク」事務局長)。
んはバングラデシュの仏教僧の家柄で、日
参加者に国際開発研究科の院生が多かっ
本の医学部に留学し、その高度技術とPHC
たこともあり、
「日本を知るためには途上国
の欠如に失望し(バングラデシュの人々に
(とくに山村)に行って昔の日本を見、途
は無縁だから)、フィリピン大学医学部付属
上国の人の対日観を見て日本人とのギャッ
レ イ テ 病 院 に 行 っ た 。「 PHC ( Primary
プを考えてほしい。」「地球上の1/4=16
Health Care)」とは、基礎医療とともに予
億人には電気がない。データを越えて現場
防を重視する「包括医療」の意味である。
を知ってほしい。そして地球のメディカ
「途上国の劣悪な医療環境下では、医師資
ル・ドクターになってほしい」とメッセー
格など持っていない医学生や保健師、看護
ジがあった。日本がおかれた医療体制の現
師たちも診療行為に携わる。」
「PHCはPHN
状についてもいろいろ話があったが、それ
(Public Health Nurse保健婦)によって担
については、山岡淳一郎氏との共著
われる。」「世界のほとんどの地域は無医地
に値段がつく日
帯である。」佐久病院は農協立病院であり、
ラクレ(05 年 6 月)に譲る。
農村医療や予防医学を重視する特異な病院
『命
所得格差医療』中公新書
色平哲郎氏のホームページは情報満載で
で、JICA(日本国際協力機構)の途上国医療
す。ぜひ見てください。
支援でも注目されている。レイテで色平氏
http://www.hinocatv.ne.jp/~micc/Iro/top.
はバブ氏に会い、佐久病院を教えられ、飛
htm
び込み、そのまま南佐久郡の山村(南
9
(文責 木村)
GN21 活動予定
グ
ローバリゼーションは、今後もし
ております。また、GN21 の前身である「現
ばらくは GN21 の出版、研究活
代世界と文化の会」が発行していた『グリ
動の大きなテーマとなると思わ
オ』という文芸雑誌の果たした役割の大き
れますが、7 月は「EU における地域おこし」、
さを思い起こしつつ、文学と社会、文学と
9 月は「国際経済と国際政治の立場から見
文化といったテーマにもさらに力を入れて
るグローバリゼーション」、そして秋には台
取り組む所存ですが、まずは「文化から見
湾より論客を迎えて、「オリエンタリズム」
た現代中国」
(6 月)をテーマに研究発表を
について迫る講演をそれぞれ予定していま
行う予定です。諸先生方のご出席とご協力
す。皆さまのふるってのご参加をお待ちし
をぜひともよろしくお願いいたします。
①
6 月 10 日午後 2 時~5 時半(大学コンソーシアム京都会場)
宇野木洋(立命館大学教授)「同時代中国の文学事情――急激な市場経済化の下で悩み思考する文学
者・知識人」
蔡明哲(羽衣国際大学教授)「中国進出日系企業の人材マネジメントに見る中国人の価値観」)
②
7 月 15 日(土)予定
テーマ:ヨーロッパの地域おこし
Luis Martino(羽衣国際大学教授)
「EUにおける国境を超えた地域間協力―EUにおける地域(地方)
の役割」(仮題)
③
9 月 30 日―10 月 1 日(土日)予定
シンポ「グローバリゼーションの争点と今後の展望:国際政治学者と国際経済学者の争点対話」
毛利良一、小林誠、木村宏恒など
④
秋に予定 Tehsing Shan(台湾中央研究所)「オリエンタリズムの今日」
(仮題)
編集後記
先日出版された『下か
らのグローバリゼー
グローバルネットワーク 21 ニューズレター
第7号
ション』の書評が 2006 年 5 月 6 日付の
発行年月日
2006 年 5 月 15 日
図書新聞に掲載されました。ぜひご一読く
編集・発行
グローバルネットワーク 21 編集部
ださい。ところで、先日、南紀の実家に帰
発行責任者
山本
った際、白浜の「南方熊楠記念館」に行っ
Eメール
[email protected]
てまいりました。何度訪れても、彼の勤勉
Website
http://homepage2.nifty.com/gn21/
さとその豪才にはほんとに毎度毎度度肝
TEL:0593-65-6599 / FAX:0593-65-6517
を抜かされます。私もやがて自分なりの曼
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荼羅が描けるように、熊楠にあやかってミ
四日市大学環境情報学部 北島研究室気付
クロからマクロへと一層の視野拡大をは
かりたいものです。(伸)
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伸
(やまもとしん)
四日市市萱生町 1200