水との闘い(P.9,10) - 海津市

記憶に刻まれた自然の猛威
関連情報
宝暦治水工事に命を捧げた薩摩義士を祀る
ち すい じん じゃ
海津市海津町油島 TEL0584・54・5928
治水神社
P22
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千本松原の一角に社があり、宝暦治水に尽力した平田靱負を祭
神に地元有志によって創設された神社です。檜造りの荘厳な社
殿と清浄な境内には、悲しい史実に思いをはせる参拝者が後を
絶ちません。また、治水神社西には宝暦治水観音堂があります。
日本の砂防史を象徴する
きょ せき えん てい
巨石堰堤 海津市南濃町奥条
関連情報
P8
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オランダ人技師ヨハネス・デ・レーケの指導により、明治21年
に完成した土砂災害を防ぐ砂防ダムです。当時の石積み砂防ダ
ムとしては最大規模で、完成から100年余り経た今でもその
機能を十分発揮しています。
水から命を守る輪中特有の建築物
みず や
水 屋 海津市内
河川が氾濫したときの避難場所として、母屋に隣接して建てら
れたのが水屋。土盛りをして石垣を組み、高い場所に造られた
建物には食糧や生活用具が備えられ、水がひくまでの間の生活
の場となりました。
尾張徳川家の血を引く高須藩松平家の菩堤寺
ぎょう ぎ じ
行基寺 海津市南濃町上野河戸
せん ぼん まつ ばら
千本松原 海津市海津町油島
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1700年、松平義
行が高須に封ぜら
れ た 時 、行 基 創 建
といわれる寺院跡
に松平家の菩提寺
を建立し“行基寺”
と命 名しまし た 。
地元産の河戸石を
使った城郭造りで、
濃尾平野を見下ろ
せる山腹にありま
す。
関連情報
薩摩藩士が植えたと伝えられる松並木
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P22
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七夕に割腹した薩摩義士が眠る
円成寺 海津市南濃町太田
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境内にある墓石より一段高いところに薩摩義士13人の墓があ
り、周りを玉垣で囲み、手厚く葬っています。1940年、本堂近く
の竹やぶにあった墓を、現在のところに移しました。
9−KAIZU CITY GUIDE BOOK
助命壇 海津市海津町本阿弥新田
れき
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今も役目を果たす地域遺産
じょう えい じ
えん じょう じ
輪中の歴史や生活文化を紹介
じょ めい だん
村にあった洪水時の共同避難場所で、土盛りや高台を作って避
難場所にしていました。なかでも本阿弥新田助命壇は、地主が
水屋を持たない小作人のために造ったもので、近隣では唯一
現存する助命壇です。
揖斐、長良の背割堤1㎞余にわたって、日向松がうっそうと枝を
交えています。薩摩藩士が治水工事の完成直後千本の苗を植
えたものと伝えられ“千本松原”と呼ばれています。国の史跡
でもあります。
薩摩義士13人の墓石を大切に守る
洪水から逃れる村の共同避難場所
常栄寺 海津市平田町今尾
わ
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今尾城主竹腰氏の菩提寺であるとともに、薩摩義士の眠るお
寺として有名。相次ぐ幕府方役人の無理難題に耐えかね、7月
7日の七夕に願をかけて割腹したと伝えられる薩摩義士が葬ら
れています。
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輪中の歴史や生活文化を展示するほか、高須藩主松平氏の館
の一部を復元しています。高須輪中変遷劇場や能舞台、屋外に
は堀田や金廻四間門樋などがあり、地域の歴史についていろい
ろな角度から学ぶことができます。
水とともに生きた人々の知恵
じゅう てい
輪中堤 海津市内
し みん ぞく し りょう かん
歴史民俗資料館 海津市海津町萱野205-1
ほり た
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河川が氾濫したときに、水の侵入を防ぐため、村をぐるっと囲ん
だ輪中堤。水害から命と財産を守る防災堤の役割を果たして
きました。輪中文化のシンボルとして、その役目は今も続いて
います。
堀 田 海津市海津町萱野205-1
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堀田とは、湿地の一部を掘り、その土を積み上げて造った水田。
土を掘った部分は水路となり、田舟と呼ばれる舟を使い、田植
えなどの農作業を行っていました。復元された堀田を歴史民
俗資料館で見ることができます。
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