昭和21年12月24日 青年学校令に基づく「下伊那郡上郷村立上郷農工技術

沿 革(学校要覧より)
昭和21年12月24日 青年学校令に基づく「下伊那郡上郷村立上郷農工技術学校」(上郷村飯沼3065)創立
昼間職業課程(工業・農業・家庭 選択)修業年限 3年
校長 白鳥宗司(上郷中学校長兼任)
昭和23年 4月30日 各種学校令(学制改革)により「上郷村立農工技術学校」設置認可
昭和25年 3月20日 上郷村立農工技術学校独立校舎竣工
昭和25年 4月 1日 「長野県飯田長姫高等学校上郷分校」設置認可
昼間定時制普通課程(工業・農業・家庭 選択)修業年限 4年
校長 市村喜一
上郷農工技術学校 校舎正面 昭和 25 年(1950)
上郷農工技術学校 実習棟 昭和 21 年(1946)
飯田市上郷 奥は上郷小のグラウンドと校舎
昭和28年 9月28日 飯田工業高等学校組合設立認可(1市20町村)
組合長 高田茂(飯田市長)
昭和29年 4月 1日 「長野県岡谷工業高等学校飯田分校」設置認可
飯田長姫高等学校上郷分校内に併置
校長 増沢俊介
昭和31年 1月27日 組合立飯田工業高等学校設置認可申請書県知事提出
組合長 松井卓治(飯田市長)
昭和31年 2月 1日 「組合立長野県飯田工業高等学校」設置認可
昭和31年 4月 1日 昼間定時制課程機械科(修業年限 4年)として発足
校長事務取扱 矢沢喜義
昭和31年12月 4日 校旗、校歌、校章制定
昭和32年 4月 1日 折井一 初代飯田工業高等学校長に補される
昭和32年10月14日 城山校舎(飯田市丸山町4丁目5500の5)落成 移転完了
城山校舎 (現在のかざこし子どもの森公園)
初代校長 折井 一 先生
OIDE精神を謳い、未来を拓く工業技術人として
ふさわしい態度、考え方、及び知識・技能を修
得させることを目標とした
陸上競技大会 昭和 34 年(1959)
クラスマッチとして行われ、生徒はクラ
ス旗をかざしている
檀上は初代校長 折井 一 先生
城山校舎のおいで松 昭和 35 年(1960)
城山校舎 校門 昭和 35 年(1960)
校門をくぐると左に機械工場、体育館、管理棟と電気
実習棟、教室棟と段々校舎になっていた
校章のモチーフ:「構図的に
云うならば、山を三角形に結
んであるのは安定の象徴で、
動かない姿勢、谷間の白雪
は端的に『工』の字を画き、
波状とともに、飛躍を意味す
る。結果的に、工業を象徴す
る歯車ともなっている。」
校章
三浦 晁古 作
体育館や機械工場の間を抜け、生徒昇降
口や、電気棟に至る中央通路
毎日の通学にほとんどの生徒が利用した
春の桜は見事であった
校歌
作詞 林 柳波 作曲 井上 武士
昭和34年 3月10日
昭和34年 4月 1日
昭和35年 4月 1日
昭和35年12月 1日
昭和36年 4月 1日
昭和37年 5月31日
昭和37年11月10日
昭和41年 5月22日
昭和51年10月31日
体育館兼講堂竣工
県立移管(定時制を全日制に切替)、「長野県飯田工業高等学校」となる
電気科設置認可
電気科教室棟竣工
定時制(夜間)課程機械科併設認可
電気科実習棟竣工
学生会館竣工
独立10周年記念式典挙行
創立30周年記念式典挙行
独立 10 周年記念式典 昭和 41 年(1966)
創立 30 周年記念式典 昭和 51 年(1976)
昭和53年10月 6日 格技室竣工
昭和54年 2月 2日 電子計算組織(コンピュータ)一式設置
昭和57年 1月30日 ATC付数値制御フライス盤(マシニングセンター)設置
電気科の実習風景
模擬送電線路の特性実験
「キュウポラ」による鋳鉄の溶解
1200℃以上の(溶けた鉄)湯が流れ出ている
本校で最初のコンピュータ組織
FUCOM U-MATE
当時主流の言語は FORTRAN
主に、マークカードによりプログラミ
ングを行った
(昭和 53 年度導入)
飯工祭でのフォークダンス
公開日の 2 日間、夕方暗くなる
まで行われ、一番心ときめく時で
あった様だ
飯工祭の歓迎アーチ
第 23 回 昭和 54 年(1979)
飯工祭の「後夜祭」における
ファイヤーストームと同時に催す
恒例の土手焼き
第 30 回 昭和 61 年(1986)
城山校舎での応援練習の様子 昭和 58 年(1983)
この頃の城山校舎 昭和 58 年(1983)
昭和62年 3月31日
昭和62年12月25日
昭和63年 1月18日
昭和63年 3月29日
昭和63年12月20日
平成元年 8月21日
平成元年10月20日
ロボット搬送ライン設置
CADシステム設置
機械実習棟一部焼失
プレハブ機械実習棟竣工
新校舎体育館竣工(飯田市座光寺)
新校舎落成(飯田市座光寺)
城山校舎閉校式
この頃の城山校門 昭和 58 年(1983)
平成元年10月28日
平成元年11月14日
平成 2年 4月 1日
平成 2年 6月30日
平成 2年10月10日
新校舎(飯田市座光寺3349番地の1)へ移転完了
座光寺新校舎開校式
電子機械科設置(機械科の1学級を転科)
プール竣工
新学生会館「爽風会館」竣工
旧学生会館は爽風寮とも
呼ばれ、昭和 40 年代まで
遠地の生徒達が寮として
使用していた
新学生会館は、 生徒の合
宿、学校・PTA・同窓生の
諸会議に大いに利用されて
いる
爽風会館、同窓会館とも呼
ばれる
平成
平成
平成
平成
平成
2年10月28日
3年 2月22日
3年10月30日
6年 3月 8日
8年10月19日
校舎全面移転改築落成記念式典挙行
弓道場竣工
屋外環境整備事業植栽工事竣工
特別教室棟(家庭科・電子機械科)竣工
創立50周年記念式典挙行
座光寺校舎 全景
創立 50 周年記念式典 平成 8 年(1996)
平成18年10月28日 創立60周年記念式典挙行
第 56 回飯工祭
全校参加企画
「人文字」
平成 24 年(2012)
7 月 9 日 撮影
第 56 回飯工祭にて全校生徒で着た生徒会Tシャツ
のデザイン
おいで松と校池に泳ぐ鯉をモチーフにしている
平成25年 3月 1日 閉校式
誇
り
に
み
ち
て
今
日
も
ゆ
く
文
化
の
炬
火
を
打
ち
か
ざ
し
科
学
の
奥
を
極
め
ん
と
機
械
に
い
ど
み
技
を
競
い
四
、
わ
れ
ら
栄
え
あ
る
エ
ン
ジ
ニ
ア
幾
年
学
ぶ
こ
の
校
舎
互
い
の
胸
に
彫
り
と
め
て
そ
の
天
然
の
思
い
出
を
秋
立
つ
野
辺
の
虫
の
声
三
、
春
は
桜
の
花
の
雲
あ
あ
こ
の
雄
姿
君
見
ず
や
流
れ
て
つ
き
ぬ
天
竜
河
山
脈
は
る
か
つ
づ
く
と
こ
日
毎
に
仰
ぐ
赤
石
の
二
、
窓
は
明
る
く
松
古
り
て
わ
が
学
び
舎
は
こ
こ
に
建
つ
気
高
く
開
く
花
一
輪
松
籟
さ
や
に
鳴
る
と
こ
ろ
麓
に
近
き
丘
の
上
一
、
み
ど
り
い
や
濃
き
風
越
の
校
歌
作作
曲詞
井林
上
武柳
士波
おいで精神
Originality ・・・ 独創
Imagination ・・・ 想像
Device
・・・ 工夫
Effort
・・・ 努力
「おいで精神」の由来
おいで松
旧校舎のあった城山には、校舎建設以前より、地域の人々から「おいで松」と呼ばれ親しまれてきた
老松大樹がその敷地傍らにあった。
城山校舎開設後、新しく初代校長として着任した折井一先生はこの老松を見て、次のように第一
声をはなち、非常に新鮮な感動を与えた。
「諸君、窓の外を見よ。おいで松がある。 これは、おいでおいでをしているから言うのではない。
ローマ字で書けば『OIDE』。『O』は Originality 独創のO。『I』は Imagination 想像力のI。『D』は Device
工夫のD。『E』は Effort 努力のE である。技術屋は、新しいものをつくり出す人間である。人まねをして
はいけない。そして出来上がるだろう所の理想像を常に頭にえがき、工夫しなければならない。それには、
ねばり強い努力が必要である。独創、想像、工夫、努力。これは技術屋にとって、必要欠くべからざる
資質である。こういう資質を身につけた技術屋を養成する学校を、このおいで松は、何百年来おいでお
いでをして待っていたのである。諸君、しっかり勉強したまえ。」
以来、「おいで精神」は飯田工業高等学校に学ぶ生徒の心のよりどころとなっている。