竹内先生の理論2 - 自問教育の会

自問教育 長野県 竹内先生 がまん玉 発見玉
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竹内先生の理論2
日本教育新聞社に許可を得て掲載しています
◆自問教育
目
次
すいせんの言葉
1、実践の場こそ
2、紆余曲折を経て
3、自由とは迷惑をかけないこと
4、心をくむ気働き
5、創造と発見
6、感謝の心で
7、正直ということ
8、教師のあり方
9、理念の背景
実践の中で自らを高める
自問教育の手引き
新たな発想による清掃活動
人としての成長を願って
竹内隆夫著
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「今やいじめは」校数をはるかに超え
て発生しています.
傍観者も加害者であるとの認識に立
てば、もはや一都の子供への対処療
法では救えないでしょう.
従って,全校の子供を対象にしての
人数を守れる実践力を身につける
ことが、求められていると思うので
す。ここに、
現体制のもとで.子供に信頼をかけ
抜くことによって、確実に成果をあけ
ているプランのひとつ,「自問教育」の
理念とその方法を考案者の文によっ
て紹介させていただく。
日本教育新聞社発行
あとがき
file://E:¥hp¥takeuti_riron2.html
2003/10/23
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すいせんの言葉
『絶大な成果を得た自問教育』
三重大学教授 斎藤 昭
現代は二重の意味で転換期である。ひとつは21世紀が目捷となったこと、もうひとつは第二
次世界大戦から50年を経たことである。前者は人類の生存が根本的に問われる世紀末的不安
の現象であり、後者はわが国が半世紀の間、国是としてきた民主主義の存続の可否に関わると
ころである。我々は世界にある日本人として、今後とも生存して行こうとする限り、この二つ
の危機的状況を超克しなければならない。教育もその責務の一端を担う。このような時、竹内
隆夫先生によって創始され、絶大な成果を得た「自問教育」の手引きとして『新たな発想によ
る清掃活動』が日本教育新聞社のご厚志により、装を新たにして刊行されることは、時宜を得
たものとして高く評価し、教育界はもとより江湖にも広く推薦するものである。
わが国の教育は、いじめ、暴力、不登校等の現実をあげるまでもなく、整復不可能なほどに
病みかつ荒廃している。かつて林竹二はこれを 民族の死に至る病い と捉え、文部省の責任
を問い、真の人間教育の無い状況は 教育亡国に至ると警告した。竹内先生もまたご自身の教
育経験を踏まえて、指導要領改訂毎の子供無視の注入量のみの増加、選別機関と化した学園の
現実を訴えられ、これによって生ずる原因を別扶し、<宅つめこまれる苦しさから学ぶ楽しさ
へ≫の方途を「自問教育」において見出されたのである。前者が大学紛争の解決を契機とし、後
者が非行解消の教育的成果によってそれぞれ注目されるに至ったのであるが、両者は共に戦後
わが国の教育が抱えていた難問ないし病巣と対決し、人間教育の原点を開示したことにおいて
不朽の意義があると考える。というのは林が関わった学生たちを戦後教育史の中でみるならば、
正に道徳教育不在の中で、自己主張のみを美徳とする教育の中で育った世代であり、竹内先生
が直面した教育現実ははぼ彼らを親とする生徒集団であったからである。つまり先生が直面し
た現実はこれを構造的に把握し全体的に解決しなければ、一歩も先に進めない事態にあったの
である。そこに要請されるものは強靭な思索と不抜な実践の統合であるが、これが竹内先生に
おいては、学校教育の中でとかく軽視されがちな労働である<清掃>を通しての「自問教育」
であった。それが如何に革命的成果をもたらしたかは、本書開巻に記されている通りであるが、
単に過去の教育実践の記録ではなく、今日から明日への教育に確実に生きて行くものとしての
教育の指針である。授業の効果だけを狙うハウツウものを越えた普遍的な即ち世界に通ずる人
間教育の哲理があるのである。先生はこれを、「信じて待つ」という人間信頼を基調として生
徒と立ち向かい、①自由とは迷惑をかけないこと、②心を汲む気働き、③創造の発見、④感謝
の心で、⑤正直ということ、という5項目に要約し、他者の痛み、その存在の価値と差異性の
理解、そしてこの上に立っての人間理解の尺度を設定する人間像を示されたのである。しかも
単に徳目としてこれを教示するのではなく、不言実行の<清掃>を通して生徒一人ひとりに自
覚させるところに、この教育活動のすぐれた特色があると言えるであろう。
惟うに「自問」とは学校という共同の場で行われるのであるから対他の中で自らの在り方を
問うことであり、「活動」とは自他共同の活動である。かくて「自問教育」は個人と共同社会
の調和ある発展を目的とするのであるから、真実の民主教育の実現となる。私はこの教育こそ
わが国の民主主義を健全に発展させ、21世紀への人類生存の可能性を拓くものと信ずる。
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1 実践の場こそ
私が最後の勤務校となりましたK中学校は残念ながら着任の前年、県下最大の集団万
引き事件をひき起こしました。着任の前年は県教委で非行統計を扱っていましたので、
当校からの報告も受けていました。着任してみて、崩れるべくして崩れた理由も知る
ことができました。
着任直後、県下で大きな非行事件のあった学校長が家裁から召集され、懇談会が持
たれました。私も出席しました。まず学校別に刑法犯該当の生徒数がプリントで配ら
れました。この数は首謀者の数ですから万引き事件の場合多くても3、4名でした。
しかし、私の学校は2桁もありましたので、いぶかった校長さんから「ミスプリント
ではないですか」と質問されたほどでした。
その後生徒の精神性を高めようと苦慮しながら、先生方の協力を得て2年間、自問
活動を提唱し、取り組んでいただき一応の評価を得て退任しました。まわりからは泥
棒学校とか不良学校などと呼ばれていましたが、2年目には真面目学校と言われるま
でに変わりました。1年間で生徒を立ち直らせたということで、生徒指導の優良校と
され、1年目は県の内外から100名近い先生方の視察を受けたのです。
参観に見えた先生方の中には、明るい表情で黙々と働く生徒の姿を見て、「まるで
修行僧だ。
同じ中学生がなぜこうも変わるのでしょうか」
などと驚かれました。この間、先生方の苦労もたいへんでしたし、生徒達も汚名を挽
回しようと、一丸となって立ちあがってくれました。
2年たち、退任の直前には新聞やテレビで報道され、なぜ手の平をかえしたように
変えられたのかと話題にされました。退任後、県の社会福祉協議会から専門講師を任
命され、県下に体験の紹介をしてほしいと依頼され、講演活動で忙しくなりました。
さて、中学校での1年目は夢中で生徒に人間らしい生き方について説得しようとし
ましたが、生徒にじかに話せる時間は月曜日の全校朝会の中の、わずか10数分なの
です。そのための原稿作りには私なりに苦慮しました。後に新聞社から求められて連
載させていただき、また出版社からの依頼で「中学生への提言」として出版しました。
週に1回の講話では意のある所を浸透させにくいので、出張された先生の補欠授業
はなるべく引き受け、生徒に接する機会を多くしようとしました。そのほか先生方に
指導法の参考になればと思い、私流儀のとび入り公開授業もやりました。指定研究の
体育と理科以外はすべての教科に亘り、都合のつく先生に見てもらいました。思いの
ほか生徒からの受けもよく、先生方からも評価をいただきました。
また、休み時間もなるべく校庭で生徒と遊ぼうと思い、体育用のほかに、専用のサ
ッカーポールとはちまきを備え、教室から早く校庭へ出れるように校舎毎に下駄箱を
備え、昇降口をふやしました。
私の留守に新聞社から取材に見え、教頭に
「学校が変わった最大の原因は?」と尋ねられ、朝会のたびに校長が提案した自問清
掃でしょう、と答えたそうです。本来なら生徒に伝える前に
先生方に理解を得るべきものですが、あまりに従来の清掃とは発想が違うので、いき
なり全員のいる朝会で提案してしまいました。
清掃に立ち向かう心遣いも従来とは10カ所も発想が異なっています。それを段階を
追って次々に提示したのですが、そのたびに誰からも唐突に響いたようでした。この
案が軌道にのるにつれて、生徒からは共感がよせられ、やがて生活態度に成果が見え
てきました。先生方も次第に納得してくれました。こうしてそれまでの汚名が次第に
消えていきました。
次期生徒会長立候補の第1公約にも、「自問活動の推進」をかかげて当選するなど、
生徒側からこの伝統が受け継がれるようになり、以来10年間非行のない学校として評
価されました。その後、このプランをはき違える先生方が転入するようになり、私も
招かれることもなく、足並みは崩れてしまいました。
これにかわって、他の多くの学校が取り組まれるようになりました。全国非行統計
で本県は中学校だけ非行が少ないのは、自問活動の影響であろう、などと県教委の担
当から指摘されました。
「巧言令色すくなくし仁」
残念ながら今は年毎に非行は増加し、その7割はいわゆる万引きであります。どの
学校も対策に苦慮しているようですが、ほとんどは一時のがれの策です。今はすべて
の子供を対象として全校のモラルを高める画期的な方策が求められていると思うのです。
教育課程にはそのために「道徳」の時間も「生徒指導」の時間も置かれています。
しかし、いずれも深刻な現状を救うにははど遠いものです。現行の道徳はなぜ効果を
あげ得ないか。理由は実践活動と遊離しており、しかも取り扱い方が生活技術程度に
終わっているからで、心にとどく指導にはならないからです。例えば価値かっとうと
称し、親の手伝いと友達との約束の板ばさみになった時どうするかを話し合わせても、
身の処し方がつかめるだけで徳性には及びません。文学教材の「よたかの星」などを
読んでも、差別が許されないことを観念として理解できるだけで自らの実践に迫る力
はありません。
さらに問題なのは資料のほとんどが間接的で、自己を吟味にかける切実感がありま
せん。このような他人ごとの話し合いの中から生きる姿勢を築く力は育たないでしょ
う。誰しも盗みや暴力が許せるものでないことは知り尽くしています。問題は衝動や
出来心の感情を圧えるブレーキが欠けているのです。行為を律する意志力が育ってい
ないのです。それは体験の中でのみ獲得できるものです。どんなに口で討議させても、
理屈達者か偽善者になるだけです。
孔子も「巧言令色すくなくし仁」と言い、むしろ不言実行の徳を説きました。古来
すぐれた宗教家は例外なくすぐれた実践者でした。説教が如何にうまくても、行為が
伴わなければ説教師ではあっても宗教家とは言いません。そんな判断から、このプラ
ンは当初から実践の場を選びました。
もちろん教科の学習にも行為の場はあります。・体育・技術・音禁・美術・理科実
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験・調査活動はすべて行為の場ですから、そこでの心遣いが吟味されるならば、効果
をあげることは可能でしょう。古来芸道・茶道・禅の修行などはすべて「行」によっ
て人間性を高めましたから。
しかし教料は道徳性を高めようとする視点から見ると限界があります。教科にはそ
れぞれ教科独白の到達目標が定められているからです。教科のねらいを達成する速度
と、徳性の高まるスピードとは一致するものではありません。後者は個々の自覚の高
まりを待たなければなりません。清掃では進度と成果さえ問わなければ待ち続けるこ
とは可能です。そのために清掃の中でも発想の転換を必要としたのでした。
すでにギリシャのアリストテレスもこう言いました。「正しく行為することによっ
て正しい人が生まれ、節度ある態度をとることによって節度ある人になるのはたしか
なことである。
しかしながら、よき知見を持ちさえすればよい人になると考えている人が多いのは
驚くべきことである」と。
今私どもが行っている道徳の授業は、この驚くべきことをやっていると思うのです。
行為ができないのに、行為と理念を切り離し、概念をもてあそび、頑でっかちな子供
にしていると思うのです。私の美術の恩師石井鶴三先生も、常々「人間は机上学問で
は高まりません。歩きまわらなければ立体はつかめません」と教えられました。教室
の授業は、それが自問から発しても、「わかる子供」になるまでが限界であって、
「できる子供」までの保証は得られません。道徳的行為のできる生徒にするには、実
践の場をくぐらせることが絶対条件なのです。
私は授業を否定はしませんが、授業の中でわかったことを、その日の清掃活動へお
ろし、行為の吟味にかけることにしたのです。従って、活動こそ本番の授業となるこ
とから、自問活動と名づけました。
こうして、自分にできるかできないかのハードルを5つ用意しました。生徒はひとつ
のハードルを越すごとに実感として自らの成長が自覚できたのです。本来道徳は実践
の倫理ですから、
自らの実践力との対決が求められるということは、むしろ当然なことでしょう。
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2 紆余曲折を経て
私がこのプランに辿りついたのは、最後のクラス担任までの、20余年間の失敗を重ね
たあげくのことでした。良い紆余曲折のあげく、ようやく見いだすことのできた指導体
系です。
私は新卒で長野市のJ小学校に着任し、まず与えられた校務が清掃係でした。先輩から
引き継がれた指導の目標には「清掃活動をさせることによって勤労を愛好する精神を養
う」とありました。まずこれに疑問を抱きました。子供に清掃をさせることで、その心
に働くことを愛し好む気持ちを育てることができるだろうか、ということです。働く様
子を見ても、低学年は別ですが、高学年になるはど、好むようには見えないのです。今
もはとんどの学校はそんな状況でしょう。教育にそんな力があるでしょうか。
この課題が私の教師生活の最後までつきまとうことになりました。
続いて信州大学の附属中学校へ移りましたが、ここでも赴任早々清掃係を仰せつかり
ました。係会でも皆で智恵をしぼり合いましたが、ついに名案は浮かびませんでした。
その問県下の学校の指導方法も調べ、実験もしましたが、何ひとっよい結果は得られま
せんでした。
その後再び小学校へ移り、学年主任の立場で学級を担任しました。後は県の指導課と
管理職でしたから、クラス担任としてはここが最後でした。5年6年と担任している時に、
やっとこの構想がまとまり、自分のクラスで実施し、勤労愛好という仮説の実現を見た
のです。子供の口から、「先生、清掃の時間が待ち遠しいよ」との声を聞き、耳を疑う
ほどでした。
この間迷いの連続で勤労愛好の精神など、とうてい育つまいと思っていました。です
から、今ふりかえると、それまでの多くの教え子達には、おわびをしなければならない
思いなのです。 新卒当時はこちらに子供の自発性の育ちを待つなどという心のゆとりはありませんで
したから、生徒と共に汗を流すだけで精一ばいでした自分の声が子供達の集中力を殺ぐ
ことも気づかず、その日の気分で、平気で大声でほめたり叱ったりしていました。むし
ろ大声で督励し、命令することで生きがいを覚えていました。、低学年はそれでも喜々
として働きますが、学年が進むと不潔な場所はさけたがるし、服の汚れを気にして嫌う
生徒が目立ちました。中にはわざと遅れてきたり、楽な仕事をしようとしたりしました。
これを見のがすわけにいきませんから、次第に小世話や怒鳴り声が多くなりました。
ですから勤労の喜びどころかますます奴隷根性におちいり教師の目を避けたがります。
このように新卒時代は小世話ばかり焼きますので、「督励方式」と名づけてみました。
いつも同じ生徒が箒を使うようでは不公平なので、役割を均等にして、との要求がで
ます。そこで曜日ごとに水を汲む者、雑巾をしぼる者など作業を順に変える方式も、よ
く行われています。このような順番制にすると不公平はなくなります。しかしこのきま
りが無くなると再び争いが起こったりしますから根本解決にはなりません。そんなきま
りを設けなくても互いに仕事をゆずり合う関係はできないでしょうか。きまりを作れば
一見形は整いますが、人間関係がよくなったわけではありません。
これも多くの小学校で用いていますので、一応「役割り均等方式」とします。
高学年になり、分担区域が広くなると、担任だけでは目が届きにくくなります。そこで
皆から推せんされた者を班長として班の統率責任者とする方法がよく行われています。
皆から選ば れた班長ですからこれに従うたてまえですが、巾に怠け者が居てさぼった
りすると先生ほどにらみはきかなくなります。
結局責任感の強い班長はど小世話が多くなり、皆から「班長だからって威張るな」な
どと言われ、次第に気まずくなったりします。督励方式の欠陥が班の中に移るだけのこ
とで心の成長を保証する策とは言えないようです。これを「班長責任方式」と呼んでお
きます。
きまりも設けず、怠け者も無くするためには罰則を強化するはかはありません。そこ
で怠けたり時間に遅れたきた者に、もう一度放課後の居残り作業を命ずる先生もありま
す。居残り勉強をさせられる者もあります。
放課後生徒会などの清掃係りが校舎を見て回り、汚れているクラスをチェックし、放
送を通じて注意をうながすことも行われています。不名誉にも低い評価を受けると担任
は厳しく灸をすえ、クラス間の競争意識を煽ることになるでしょう。
罰として再び働かせたでは清掃に対するイメージはダウンするだけで、これを愛し好
むなどということは望むべくもありません。放送によるつるしあげも含めて「罰則方式」
と名づけました。
規則の強化も罰則も教育的でないので、やわらかに訴える方法として標語を掲げるこ
とを考えたりします。戦時中にもよく「大政翼賛」などと黒々と書かれたびらが貼られ
たあの方式で す。廊下などに「黙って静かに取り組もう」な どと書き、貼り出すこ
とも行われています。
このようなスローガンが多くなると、廊下を歩くたびに誰かに叱られている感じで圧
迫感を覚え、敏感な子供は息苦しくなるでしょう。スローガンで徹底させなければなら
ないということは、逆にまだよく実行できていないことを証明していることにもなりま
す。
これもほどはどにしないと、学園らしい落ちつきを失いかねません。校舎の廊下など
はあまり飾りたてないすっきりした環境が望ましいでしょう。これを「スローガン方式」
と呼んでおきます。
何とか自主的に自覚させる方法はないだろうかと考え、清掃終了直後に班ごとに反省
会を短時間行わせる学校もあります。班長の司会でその日の働きぶりについて話し合い
をさせるもので、これも広く行われています。「今日の掃除はどうでしたか」と尋ねる
と子供は正直に「○○君が怠けていました」という調子で、すぐ怠け者が非難攻撃され
ます。
反省会もマンネリ化し、いっも同じ子供がつるしあげられ、やがていじめの温床にも
なりかねません。ここで修正案が出て「これからは良所だけいうことにしよう」となり
ますから、反省会はきれいごとの会となり、見せかけの行為をそそのかしかねません。
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これを「反省会方式」と呼んでおきます。
昔はいわゆるガキ大将がいて弟妹達をつれて山野を遊びまわっていました。今は帰宅
してもあまり他の学年の子とは遊びません。低学年では大きな机などが運べないので学
年の枠を外した縦割り式で掃除をさせる学校も現れています。
しかし中には下級生を温かく導く力のない上級生もいます。下級生にきらわれて、逆
にトラブルを起こす所もあります。即ちこの方式を用いるには前提条件として、上級生
に下級生を導ける素地を養っておかなければなりません。先生でさえ働くことの好きな
子供にすることが難しいのに、この役を上級生に担わせても効果は期待できないでしょ
う。
「縦割り方式」の効果は、もっと楽しい遊びなどで取り入れる方がよさそうですが、
これも多くの学校で行っています。
次に役割り均等方式を改善し、さらに徹底させ、作業量まで均等になるよう工夫するこ
とも考えられます。誰もが怠けられないように個々の作業を細分化します。例えばAは水
汲み、机運び、床みがき、Bは箒、黒板ふき、床みがきというように全員が機械の歯車と
なって働くようにプログラム化し、それを順次交替させるという方法です。私がこの方
法を考案して教室の掃除で実施したところ、全く小世話も指示もいらなくなりました。
時間内に見事に掃除が終わるので「君のクラスは先生がいなくてもせっせとよく働くね」
などとほめられました。だがこれも心を育てる良策ではありませんでした。例えば皆が
一定時問各持ち場の床をみがくときに、「自分さえよければ」と、ごみを人の方へ押し
やるというエゴ意識が出てしまいました。外からはかいがいしく見えても、協調性が育
ったわけでは無かったのです。この案は「流れ作業方式」と呼んでおきます。
何百人もの全校生徒が1日中入り乱れて暮らすのですから、学校は下校時までには相
当汚れます。自分達が汚した所をきれいにするのは当然なのに、いざ掃除となると皆本
気に働くとは限りません。手を抜く者もあればせっせとよく働く者もあり、さまざまで
す。毎日小世話をやかなければはかどらないようではやりきれません。
そこで現場での注意はやめて、別に時間をかけて自覚をうながそうと考えます。ロン
グのホニムルームの時問か道徳の時間に、「なぜ皆が真面目に取り組めないか」を議題
に話し合わせることにします。怠けたくなるのはどんな時か、真面目に働いている人に
悪くないか自分の態度はどうかなど、メモをさせたり、長時間話し合いをさせたあげく、
つまり何が欠けていたかを考えます。
すると気のきいた生徒は手をあげて「わかりました。っまりみんなの自覚がたりない
ということだと思います」などと、うまい結論を出します。「そうだな、今日はきっと
世話をやかなくてもうまくできるな。しっかりやろう」ということで長い話し合いは終
わりました。
さて今日こそうまくいくものと思って見回りに行くと、さっき立派な結論を出してく
れたはずの子供が、たくみに怠けていたりするのです。かえって発言もできないでいた
子供が人のいやがる仕事をせっせとしていたりします。
子供の中にはこのように有言不実行の者もいますから、時問をかけて話し合ったから
といって実践に結びつく保証はありません。話しのできる子供と実践力のある子供とは
種類が違うようです。
しかし 一応「討議方式」と名づけておきます。
気働きない現代っ子
困った現象ですが、今家庭では子供にほとんど働かせていません。中学生と高校生
対象にどれほど家事の手伝いをさせているかを、アメリカと比較した調査があります。
アメリカでは92.6%も手伝っているのに、日本は49.2%です。ほとんど手伝わないという
数はアメリカが1.4%に対して日本は36.7%でした。
作業の中味を比べても、日本は買い物や水くれなど軽いものですが、アメリカでは薪
割りや炊事など重い労働でした。大戦で苦しんだ日本の親は、すっかりわが子を甘やか
しているようです。勉強部屋を与えている数も日本の方が多く、部屋にこもっていれば
安心している親も多いとのことです。
これでは学校での掃除をきらうはずで、先生を悩ませるのも当然でしょう。笛吹けど
踊らずで、いろいろ手立てを尽くしても、働こうとしない子供が多いのです。山本五十
六氏が、「してみせて、言ってきかせてさせてみて、ほめてやらねば人は動かじ」と言
われたように、指示することをあきらめた先生は、自ら率先働いて見せ、その後姿から
気づかせようとする、いわゆる率先垂範の道を選ぶことになります。
「それほどきらいなら、みんな働くのをやめて座って見ていなさい。先生がやりますか
ら」と皆に見させて先生がひとりで働きはじめました。
汗びっしょりで働く先生を見ているうちに申しわけないと思うであろうと期待したの
です。ところがなかなか気づきません。とうとう先生の方がダウンしてしまいました。
すると生徒曰わく、「先生、どうしてそんなに本気になるの?」
と言った笑えない実話でした。今おとなの働く姿を見てもその心が汲みとれないほど気
働きも衰えているようです。
山本五十六氏の時代とは違うようです。いくら待っても気づいてくれないので、たま
りかねて、ちらちらと子供の方をふり向いたりすると、中には、
「やっぱり先生も根気が続かないんだ」
と見破る者もいるという始末。このように範を示そうとする姿勢にも、教育意図がひそ
んでいてはだめなのです。
以上10例ほどの方式をあげましたが、そのたびに失望し、迷い続けました。いずれも
勤労愛好の精神などという美しい言葉とは、はるかにかけ離れたものでした。これらす
べての方式は今も全国のどこにも見られる例でしょう。私はこのすべてに見切りをつけ
、英断をもって切り捨てたのです。すべてを捨てて無になった時、ほのかな光明のよう
に頭に浮かんだのが、児童生徒を信じ抜くという「自問方式一でした。
学習指導と生徒指導とを混同していたことに気づいたのです。子供に対して何らかの
圧力をかけようとしているうちは、すべてが徒労であったのです。子供はすべて本来向
上しようとする願いは持っていたのです。教師はまずそれを信じ、自ら成長しようとす
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る気になるまで待ち続けるべきであったのです。
こちらに待ち抜こうとする意志が欠けていたのです。待ちさえすれば向上の意識が必
ず芽生え、それはほんのわずかずつではあるが、こちらの信頼に応えてくれるのでした。
そのためには、あるべき自分と、至り得ない自分との間を、ゆれ動く問のゆとりを与
えることが、何よりも必要なことでした。
たとえ仕事の途中でも、この自問にはいれるようにする方法は無いか。その解決から
発想の転換が始まりました。ゆれ動くゆとりを「自問」と呼びました。この1点を変える
ことによって、発想を変える必要が10カ所にも及びました。こうして向上に向けて順次
5つのハードルに構造化することができました。
精神性向上のための段階を、一歩一歩登るのには、常のその目標はひとつにしぼられ
ていなければなりません。20以上の目標を一時間毎に並べ立てて、万遍なく当たらせよ
うとする今のやり方では、一歩も進むことはできないでしょう。
また 子供の進度もめいめい違うのですから、一斉に歩調を揃えて進ませることもで
きません。
早いからよいとも言えないし、遅いから悪いのでもありません。もともと自問の熟し方
が違うのです。多くの子供がほぼ出揃うまでには、ひとつの段階で2,3ヵ月はかかるでし
ょう。
ひとりの子供が今どれほど向上しているかは、外からは見えません。人と比べてもわ
かりません。自分にもわからないのですから。自分もしてみなければわかりません。だ
が、してみた結果、それが心にしたがってできたとき、始めて向上を自覚し、「やった」
と叫びます。
このように全身で獲得しますから、後々までもその子の財となって生き続けるのです。
上の学校へ進んでも、生き続けますから、「おたくの学校から来た生徒は違います」な
どと言われるようになりました。
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3 自由とは迷惑をかけないこと
受賞のパーティーで高円(たカ)まど)の宮さんから、「どんな順に導入なさったんです
か」と尋ねられました。まず第1段階は人のじゃまをしないがまんを身につけようとしま
した。
先生方に学級経営上の悩みを尋ねますと、まず第1に、今の子供は依頼心が強く、よく
しゃべるが実践力が無くて困る、と言われます。過保護に育てられ、清掃中もよく人の世
話はやくが、苦労な仕事はさけたがる。とりかかりは遅いし手を汚すことはきらいで、や
る気のない子が目立つというわけです。提出物も期口には集まりにくく、宿題も言われた
ことしかやってきません。とにかく自発性に欠けていますから、やがて社会に出ても離転
職とか非行に走る者が多いのでしょう。
中学生の女子に、将来結婚してご主人の食事の用意をして、帰りが遅くても待っていま
すかと質問すると、皆できますと答えました。ところが、この夏休みに食事の手伝いをし
た者はわずかで、自分の下着さえほとんど洗っていません。言うこととすることはこれほ
ど違っているのです。
そこで自発性が出るまでは先生方に一切世話をやくことをやめてもらい、やる気になる
までは待ち続けることにしました。全校朝会の講話は次のようにしました。
「人と動物の違いは一]に言えばどこでしょうか」と考えさせ、
「動物の牛や馬は縄で引っぱられて働いていますね。人問には自発性があるから、ひと
りもそんな人はいない。この自発性があるから、人に言われたりしなくてもできるのです。
自発的行為こそ人問らしい行為なのです。人から命令されたり指示されなければ働けない
ようでは、人として恥ずかしいのです。
そこで今日からは先生や班長からの指示や命令を一切やめてもらうことにします。それ
は皆さんを人問として扱いたいからです。それで皆さんだけで掃除ができれば、皆さんは
人間ということになる。はじめは仕事が見えないでぶらぶらする人がいるかもしれない。
そういう人問らしい心遣いのできない人でも、きっと仕事が見えてくるはずですから、そ
れまで待ってあげることにします」
と、まず皆の前で提言しました。急に言われて先生方も戸惑いました。これまでの惰性で、
ついほめたり叱ったりしました。先生方の声が消えるのにも、およそ1ヵ月はかかりました。
うっかり先生が指示しますと、生徒も約東を忘れて、「先生、約束が違うよ」とか、「う
るさいよ」などと注意されたりもしました。清掃には進行役を務める人が居て、指示する
必要があると思う人も居ました。しかし皆が気働きさえよければ、中学年以上なら声を出
さなくてもスムーズに進むものです。そしてこの約東が守れるようになると、清掃の場は
静かになります。迷惑の声が消えるので、作業にも集中しやすくなるからです。
しかし、この約束だけでは話し声は消えません。うっかり世話をやく声もでます。作業
に打ちこめない者ほど人の世話をやくものです。そこでさらに人権意識の問題として、角
度を変えて説明しました。
民主主義を担う資格を「わが国は戦前は全体主義の国でした。戦後は民主主義の国とし
て生まれ変わったことは知っていますね。そして民主主義の基本は自由と平等であること
も社会科の教科書に書かれています。ところがなぜ自由と言うのか。本当のわけはよくわ
かっていないようです。民主主義でいう自由とはどういうことか。ふだん先生が『自由に
遊んでよろしい』と言う。その時の意味は好きなことをしていいという意味でしょう。し
かし、もし口本中、皆で好き勝手に何をしてもよいということになれば、あちこちでわが
ままが衝突し大混乱となるでしょう。
今の日本にはそのようにこの意味をはき違え、平気で人に迷惑をかける人が現れていま
す。アメリカの初代大統領が国をまとめるために、顔の色も言葉も違うけれど皆人問とし
て自由に生きる権利があるのだから、その自由を犯さないようにしよう、という意味で自
由宣言をしたのです。ですから本当の意味は自由を守り合うということで、人の自由のじ
ゃまをしないという意味が強いのです。
清掃中のことで言えば、真面目に働いている人のじゃまをするな、と言うことになりま
す。そういう世の中になれば、どんなに暮らしよくなるかしれません。きっと楽しい社会
になるはずです。
皆さんは、自由の意味を正しく理解し、日本を本物の民主主義の国にしてもらわなけれ
ばなりません。自分にその資格があるだろうか、頭でわかっただけではだめで、実際にそ
のようにできる人にならなければいけない。
清掃中、真面目に働いている人にとって迷惑なものは話し声です。それは口を結んで仕
事に専念した人にはよくわかることです。うっかりおしゃべりをしていた人には、自分が
じゃまをしていると思いませんからわかりません。掃除で迷惑をかけないがまんが身につ
けば、本当の自由がわかったことになるでしょう。
自問の清掃は民主主義を担う資格を身につけるための時間だったのです。
さて、清掃中に隣の教室から机を倒す音や戸をしめる音が聞こえてきます。このように物
と物がぶつかる音は、たとえ大きくても迷惑は感じません。隣でもよく働いているな、と
感ずるだけです。なぜならその音には意味が無いからです。ところが話し声はどんなに低
くささやいても、そこに意味があるから心を奪うのです。
たとえば私が床のよごれを除こうとしいてる時、友達が横から『おい、こんどの日曜日
に、サッカー選手が来るって』と言われたとします。好きな私はすぐ心を奪われて話した
くなるでしょう。手もとまってしまいます。また先生が回ってこられて、ある生徒を見て
『いい所に気がついたな』などとほめた場合でも、近くの人はそっちを見たくなるでしょ
う。つまり話し声は、中味がよくても悪くてもまわりまで集中力をにぶらせます。どうし
ても必要な連絡なら、その人だけに聞こえるように言ってほしい。ですから、この時問は、
自由を体でわかる人になるためのものなのです」
がまんの大切さ伝える一
またさらにもっと理解を深めるために、脳の研究からわかったことから、がまんの大切さ
を説明しました。
「この頃脳生理学という学問でわかったことですが」と、人間の脳には生まれながらに
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誰しも140億もの細胞が授かっていること。そしておでこにあたる前頭葉には人問だけが持
っている3つの働きの細胞がっまっていること。そのうちの創造力と情操については科学
や芸術を生んできたことから、誰にもわかりやすいこと。しかしもうひとつの意志力の大
切さはあまり気づかれていないこと。意志力というのはよくないことをがまんするのと、
よいことを進んでするやる気との両面があること。
また、皆が同じ数の細胞を持っていても、3歳頃までは細胞が離れていて、4歳頃から、
本人の努力で細胞の問につながりが生じ、それが多くできるか少ないかで個人差が生ずる
こと。最もよく発達する時期が小中学校の頃なので、皆さんの頃が最も大切なこと。など
を図解によって説明しました。
「だから清掃中がまんしたりやる気になることは皆さん員身にとって有益な時間と受け
とめてほしい」と説明しました。これは生徒達にとって耳新しく、しかも合理的なことか
ら、有効な手だてとなりました。
しかし、これまでは談笑しながら働くことに疑問も感じていないし、成人も黙って働い
ているとは限らないので、静かな作業のイメージは持っていませんでした。そこでまず清
掃開始のチャイムは身支度よりも口じたくと心得てもらい、最初の1分問だけでも迷惑をか
けないでがまんさせました。その後で「今日は1分間全校が静かでした。明日はもうちょっ
と長くがんばろう」と励ましました。私達はつい結果を急ぐあまり欠点の指摘が強くなり
がちだからです。
もし、「1分しかできないのか」と言うことになると、それは外から圧力をかけたこと
で、自発的行為でなくなります。あくまで子供自身、これを身につけやすいようにこんど
はステップを2つに分けることにして次の説明をしました。
「黙ってやろうと思って始めても、ついしゃべってしまい、集中しにくいようなので、黙
ることと働くことをべつべつに身につけることにしよう。掃除の時間なので、働くことの
方が大事だと思っている人が多いでしょうが、実は皆さんの将来のためにはがまんを身に
つける方が大事です。ですからこの時間、黙ることから先に身につけることにします。そ
こで、どうしても口を開いてしまう人には仕事をやめてもらい、皆のそばから離れてもら
うのです。うっかりしゃべっている人の肩を軽くたたいて合図をしますから、その人には
仕事をやめてもらい、ベランダの方へでも行って腰をおろしてもらうのです。人のじゃま
をしないで働けそうになったらもどることにします。仕事をやめることは、働いている人
に中しわけないことですが、まずがまんの修行にはいることなので許してあげましょう」
と提案し、私が肩を触れて歩くことにしたのです。意外な提案なのでけげんに思ったよう
でした。大勢仕事から離れたら掃除にならないと心配になったようです。そこでさらに
「とにかく終わりのチャイムが鳴ったら、未完成のままでも道具を始末して終わりとしま
しょう。多少の汚れはがまんしよう」と言いました。
一切指示命令はしないことでスタートしましたが、人への迷惑だけは許せませんので肩
をたたいて伝える方法だけは苦肉の策でした。こうして働く場所の声が消えたと思っても、
ふりむくとまた声が出るのです。やむを得ず肩をたたく係りは校舎ごとに増員しました。
働き手が少なくなったクラスは教室の汚れも目立ってきました。腰をおろしながら話を
してはいけないので1メートル離れることにしました。汚れのひどくなったクラスの担任が
相談に来ました。
「ひどい汚れです。見に来てください」と言われ、見に行きました。男子はほとんど休
んでいました。その中でわずかの者が働いているのです。休んでいる生徒を見ながら歩い
ていくと、生徒は悪びれたように顔をそむけます。私は「もっと胸を張って姿勢をよくし
て休みましょう。がまんを身につけようとして修行しているんですから」と、いちいち背
筋を伸ばさせました。堂々とした姿勢で働く友達を見ているうちに次々と立って働く側に
もどっていきました。こうして働く者が半数ほどになると仕事もはかどり、静かに働く雰
囲気が生まれました。
やる気は生活態度変える
店の品物を盗む万引きが流行するような地域では、まず影日なたを使い分けようとする
暗い態度を無くさなければなりません。授業中もひそひそと私語を交わし、指名しても笑
われまいと身構え、発言したがらないものです。仲問を作って陰口をささやく姿も目立ち
ます。
先生方に生徒の問題点をあげてもらうと、裏表を使い分ける暗さが誰からも指摘されま
した。そこで堂々と自己表現をする音楽や美術に力を人れました。私も全校合唱で範唱し、
タクトを振りました。また全校朝会の中へ生徒の自由発表を取り入れました。講話の後、
わずかの時問質問や意見のある人は発表しなさいと促しました。回を重ねるうちに1年生
から手があがりました。
意見の中に「雪の日に昇降口から帽子をかぶったまま教室へ行く人がいますが、廊下は
帽子をとる方がよいと思います。皆さんどう思いますか」というのがあり、「賛成の人」
と言うと7割ほど手をあげ、翌日から改まるというふうでした。また「渡り廊下に雪が吹
きこんですべってあぶないがよい工夫はありませんか」との発言があり、参列していた主
事さんが家から古材を運んできて雪よけを作ってくれました。このように生徒の発想で学
校が変わることも、ありがたいことでした。
「私はこんな落とし物をしましたが」と発表して本人にもどった例もありました。私は
全校に何でも言える家族のような学校にしたかったのです。
自問清掃について、こんなやりとりもありました。
「声を立てない清掃だと、やりにくいことがあります。必要なことは小声で連絡しても
いいですか」
「それはどんな場合ですか」
「大きな机はひとりで運べないから友達に頼むときです」
「でも私は声を出したくないですね」
「校長先生ならそんな時どうしますか」
「人を呼ぶ時のことを考えてみてください。私は机の端に手をかけていて友達を呼ぶ
ことになります。その瞬問、私は働いていません。友達は仕事を中断させられるのです。
働いていない人が働いている人に言いつけるのですから、あまりきれではないではないで
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しょう」
「そんならどうするんですか」
「私なら端に手をかけたまま誰か持ちに来てくれないかなあ、という顔をして待ってい
ます」と言うと、皆どっと笑いました。
「その方がきれいでしょう。そう急ぐことはありません。たぶん仕事の切れめのよい人
が気づいて持ちに来てくれるでしょう。誰も来てくれないかどうか、1週問ためしてみて
だめだったら考えよう」こう答えて次の週に尋ねると皆持ちに来てくれました、というこ
とで結局黙って働けるということになりました。
以前は庭の草をとる時など、数人ずつかたまって働いていました。めいめい仕事が見え
てくるにつれて、一人ひとりばらばらになり、遠くからもその違いがわかるのです。自分
で選んだ仕事に立ち向かうので、次第に孤独に耐えられるようになるのです。
このように依頼心が消え、集中カが増し、やる気が育つと、生活態度も変わります。帰
えるとすく おやっ、まんが本、テレビによりかかっていた子が・スイッチを切って学習
に取り組むなど・時間をコントロールするようにもなりました。
声のない静かな清掃
15分間声のない静かな清掃になるには、徐々に自分から変わろうとするので、早くて3
ヵ月、遅ければ半年はかかるでしょう。これが軌道に乗ると目に見えて耐性が育ちます。
授業中の私語も自然に消えてしまいました。秋の避難訓練の際に、はっきりと成果が現れ
ました。休憩時間に火災が発生したとの想定で駆け足で校庭の一隅に集合する指令を発し
ました。
全校600名の生徒が各校舎から走り出て2分50秒の後に一糸乱れず整列が終わり、報告が
完了したのでした。この問声を発する者はひとりも居ませんでした。前年には騒然とわめ
きながら最後まで注意されてやっと整列したのに、別人のように見事な変わり方なのです。
まず先生方が異口同音「驚いたねえ、変わりましたねえ」と喜び合いました。
すべて日々の実践のつみあげの中で、生徒自ら身につけてきたものでした。このがまん
とやる気、つまり意志力を身につける第1段階を体験した子供達は次のような感想を綴っ
ています。
「自問活動は自分の心を強くするためのものだということがわかってきた。宿題がなく
ても自分の心に問いかけてするようになってきた」(小5男)
「もう班長も清掃係もいらなくなった。みんなの心がひとつになり、一生懸命にやった
後は実にはればれした気持ちだ。この気構えを家の仕事にも、また授業にも取り入れてい
きたい」(中1男)
「私もはじめはペチャクチャしゃべっていました。他人への迷惑など考えてもみません
でした。でもこうして黙ってできるようになり、他人の立場になってみると、近くのおし
ゃべりがとても気になってきました。今まで平気で人に話しかけてしまったことを思うと、
とても迷惑だったんだなあ。なぜ話しかけていたんだろう。つくづく悪かったと思えてく
る」(中2女)
「最近はすごく掃除が楽しくなってきました。たぶんそれは私に意志力がついてきたか
らだろうと思います。本を読むにも、前は集中カに欠けていて、すぐにあきてしまうこと
が多かった。けれども今は、いったん読み始めると最後まで読まなくては気がすまないま
でになりました」(中3女)
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4 心を汲む気働き
最近英国から帰った友人がその第一印象として、「わが国の青少年のモラルが西欧に
比べてあまりにも低く、このままでは日本は危ないです」と言いました。
先生方も生徒を旅行や見学に引率された際、車内のマナーの悪さに手を焼く例が多い
ようです。混雑する車内で、若者が席をゆずろうともしないで2人分も占有していたり、
老人が立たされたりしています。またおとなが読書をしているのに傍らで女子高校生達
が迷惑とも思わず、とんきょうな声で談笑しています。老人クラブで道路わきの溝掃除を
しているのに、そこへ遊びに行く若者の車からすいがらやあきかんが投げ捨てられる始末
です。外国から日本へ来ている留学生からも、日本の若者はなぜ長上を尊敬しないのかと、
その傍若無人ぶりが指摘されています。今、学校も家庭も、この公徳心の欠如になぜ取り
組めないのでしょうか。ひとつピントが狂っているように思うのです。
それは子供達の迷惑行為に対しては驚くほど寛大で、そうでないことに厳しいのです。
身じたくや忘れ物や記名の有無などについてはきわめて熱心に管理しようとすることです。
これらはさほど他人に迷惑をかけていることではなく、むしろ自損行為ですから、同情に
値することだと思うのです。
私のこのプランで、まず自分は人に迷惑をかけているのではないかと自問する場として
清掃を選びました。そこで当初は自問清掃と名づけました。ところが語呂が似ていたせい
か、無言清掃と読み変えられてしまいました。何でも黙らせさえすれば掃除の上手な子供
になるらしい…ときわめて浅薄な解釈が流行してしまいました。
先日も教育学部の学生に講義をした後で尋ねましたら、ほとんどの学生が、中学時代の
清掃時間にわけもなく無言を強いられたと聞いてがっかりさせられました。黙働などとい
う言葉も流行しているようです。今も県下には生半可な理解で一斉に無言を強制している
学校が多いのです。まともに理解している学校はほんの数校にすぎません。
教師の命令で黙らせようとすれば、1日で形は整うでしょう。このプランでは、生徒ひと
りひとりが人に迷惑をかけないように心がけ、自らを律する努力を重ねることで耐性を身
につけ、やがて静かに作業に集中できるようになるというものです。その問、教師も何ら
指示命令をしないで待ち続けるのですから、約半年は信頼をかけ続けなければならないの
です。
頭で理解できても直ちに迷惑行為が自制できるはずはありません。その上孤独に耐えて
作業に集中できるまでには相当な努力がいるのです。今日はできても明日は崩れるかもし
れません。じくざぐを重ねながら次第に意志力が身についていくのです。こうして皆が崩
れなくなったら、第1段階達成とみるのです。
こうして第1の段階がほぼ達成されますとまた新たな疑問が生じます。全く声を出さない
ように心がけると、不都合も見えてくるからです。それはひとつの作業から次の作業に移
ろうとする時、判断に迷うからです。以前は班長が頃合いを見て、「そろそろ机を運びま
しょう」とか「次は廊下へ移ってください」などと指示をし、スムーズに進みました。が、
このプランでは、それもやめようというのです。
この疑問に答える新しい根拠は何か。その説明がないと納得できないでしょう。これま
では、声を出さないことの主な理由は人に迷惑になるからということでした。第2段階の
動機づけは、もうひとつの理由を示すことにあるのです。
皆さんは、テストの成績のよい勉強のできる生徒をすぐれていると見るでしょう。お母
さん方も、「おたくのお子さんは優秀でいいですこと」などと言われますね。
しかし学業成績のよいことと、人問が立派なこととは必ずしも一致しないということも
知ってほしい。どんなに成績がよく、よい大学を出ても人問としてはさほど尊敬できない
という人がいます。反対に学歴はなくても人として立派な人がたくさん居るからです。
イギリスなどではその区別がはっきりしていますから、学習成績とは別に紳士と呼びこ
の方が尊敬されています。だから学業だけできても油断ができないと見るようです。なぜ
なら頭がよいと悪いことも考えつくかもしれないからです。
言葉より心で会話
有名な歴史学者トインビーさんは、キリスト、釈迦・孔子など世界の偉人といわれた
人々について、その共通点を調べました。その結果、これらの人々は共通して人の気持ち
を汲みとる気働きがある、ということでした。特に社会の底辺で働いている人達への思い
やりのある人が、皆から尊敬されている−−ということを発表されました。
アメリカの前の大統領が、小学生から「あなたは世界一の一番強い男になろうと考えて
いましたか」と質問された時、「いや反対で、弱い…人の味方になろうと思っているうち
に大統領にされていたのです」と答えています。私が教えた生徒の中にも、学校での成績
はさほどすぐれていなかったが、今は立派な社長さんになって多くの部下から慕われてい
る君がいます。
日本ではこの頃、社会的地位も高くなってから悪いことをして一生を台無しにしている
人がよく報道されるでしょう。結局人間の大事なねうちは人間らしい気働きなのです。そ
れには皆さんの頃から人の気持ちを汲みとるように心がけることによって養われるという
ことです。自問活動で話をしないことにしたわけはもうひとつ、気働きの育つ時間にする
という理由があったのです。
言葉で連絡しますと、人の気持を汲みとろうとする気働きは育たないものです。例えば
私が箒でごみをあつめてちりとりがほしくなり、「よしお君、たのむ」「はいよ」と答え
て持ってきてくれたとします。この場合、言葉で連絡してしまいますから、私の気持ちを
汲みとることはいらなくなります。
ところが、もし私が何も言わないのに、よしお君がちりとりを持ってきてくれたとした
らどうでしょう。よしお君はその前に私の気持ちを汲みとって動いたのです。
机の端に手をかけた時、これを見た友達が黙って持ちに来てくれた場合も、友達の気働
きが働いたのです。2人が同時に同じ箒を取ろうとした時、一人が黙ってどうぞと相手にゆ
ずった時も、相手の気持ちを汲みとったのです。このように口を使わないから、目で人の
気持ちが見えてきて美しい心が通い合うのです。
このようにクラスの皆さんが、次第に人の気持ちが汲みとれてくると、相手も気持ちよ
くなって仲のよいクラスに高まるでしょう。
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つまり声でやりとりをしない動作だから美しいのです。そういう意味で連絡したいこと
もあるでしょうが、なるべく心をよみとりながら働いてみようではありませんか。このよ
うな高尚な心の働きのことを情操と言って、前にお話ししたように人問だけが備えている
すぐれた才能なのです。
第1段階ではがまんとやる気という意志力を目標にしましたが、これからは、どれほど
人の心が汲みとれて働けるか一それを目標にして取り掛かることにしましょう、と説明し
ました。声を出さないで働く新しい意味が理解されたことによって皆の動きは二段と活発
になりました。頭ではわかりましたが、それができるかどうかが勝負どころです。やがて
あちこちに協力し合ったり、ゆずり合ったりする美しい姿が現れてきました。こうなると
作業も目に見えてはかどるようになり、さらに時間が短縮されることになりました。
実は私がこの学校に着任した時は、清掃時問を20分としてありました。それでも時間は
たりなかったそうです。ところがこの段階になると、どこでも時問が5分以上余ってしまう
というのです。そこで朝と放課後の清掃を5分ずつ短縮してみました。日課が10分も縮ま
ったので、電車通学の生徒は前の電車で帰れることになったのです。家庭の学習が1時問
近く浮いたのです。皆の心遣いが変わったために、こんな成果が得られたのです。生徒の
作文にこの感動が現れたのは申すまでもありません。
「皆が心をひとつにして働けばこんなに早く仕事が進むのか。何とすばらしい方法なん
だろう」「この清掃で私は協力ということの本当の意味がわかりました」「これをやりだ
してからは、組中の人の考えが変わりました。怒る人もなくなり落ちついてきました。こ
れをやればどんな学校でも不良なんてひとりも出なくなると思います」「この1年で明らか
に友達の悩みがくみとれるようになりましたし、人を思いやる心に成長したことがはっき
りわかります。僕にとって、中学校生活の中の最大の収穫でした」
こうして、にわかに友情が育っていきました。そしてこの気働きは友達だけにとどまら
ず、やがて来客や先生方との接し方の中にも及んでいきました。私は清掃中生徒と共に壁
のよごれなどをふきとることを楽しみにして働いていました。
校長室の廊下から見える距離に玄関があります。来客があると働いている生徒からよく
見えるのです。来客に気づくと、生徒はすぐに玄関へ走り、スリッパを揃えるのです。そ
の来客が私への要件だとわかると、生徒は私に近づき、黙って私の手から雑巾を受け取る
のです。「私がもみ出して始末します」という意味なのです。私が軽く礼をして手を洗っ
ていると私の上着を持ってきてくれるのです。「どうぞお客さんのお相手を」という意味
です。その後、私がお客さんのお相手をしていても生徒達は静かに作業を続けますから会
話の邪魔にはなりません。
学校行事の前日、一通りの準備を終えて先生方と休んでいると、生徒達が職員室へ「ま
だお手伝いすることがありますか」ときてくれるのでした。電車通学の生徒達がおとなに
席をゆずり、マナーがよくなったとの知らせも届きました。家庭からは急によく手伝って
くれる子供に変わりました一との報告もありました。
担任からは、学業のすぐれた生徒が高慢でなくなったとか、不振な生徒も悪びれずに質
問するようになったなどの知らせもはいりました。小学校からの遅れをかかえていた生徒
のために友情の朝学が始まり、その子を県立高校へ進学させたクラスも生まれました。
(著書で紹介)
もちろん、仲問外れやいじめ、不登校などが起こるはずもありません。こうして非行と
は無縁な学校が生まれたのでした。
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5.創造と発見
こうして仕事の効率があがると、15分でもまだ多少時間が余るのです。そこで余った時問
をどうするか・・・これが次の課題となります。つまり第3段階の動機づけにはいります。
たとえ残るわずか数分でも終了のチャイムまで清掃以外の仕事で何かためになる事がないか
見つけることにしました。これまでは早く終われば時問が余っていても片づけたのですが、
時間いっぱい静けさを保ちたいと考えました。そして新しく見つけようと努めるたびに創造
性の細胞を刺激し、それだけ創造力が発達するからです。講話では、
「ノーベル賞の第1回の受賞者をレントゲンさんと言いますが、この人は人体の中を透か
して通る光を発見して、体内の病気の発見に貢献したということで最初にこの栄誉ある賞を
授けられ、今もレントゲン写真と呼ばれ、その名をとどめています。 あなたこそ世界中の
人類の最大の恩人です''とほめられたとき、彼は答えました。 私はそんなにほめられる仕
事をしたつもりはなかったのです。ただ小さい時から新しいことを見つけることが好きだっ
たので偶然に見つかっただけなのです"と謙遜して答えています。
創造性という能力は人間だけに授けられたもので、人類が立派な文明を築くことのできた
原動力です。しかしこれに個人差が生ずるのは、後天的に本人の努力いかんで発達するもの
だからです。そして皆さんの頃に見つけようと努力することできまるのです。
皆さんは毎日先生から教えてもらうことが多いために、どうしても受け身になりやすく、
自分から進んで見つけようとして、頭を使うチャンスは少ないのです。これは残念なことで
す。そこでこの清掃の中で見つけようと努め、創造力が開発されるようにと考えました。
「これからは、もう仕事がすんだと思わないで、チャイムが鳴るまで何か見つけることにし
ようではありませんか」
と呼びかけたのです。この話から、また新たな目標が加わり、見つけ清掃などと呼ぶように
なりました。
働く喜びふくらむ
一通りの清掃がすんでも、書棚や机をまっすぐに並べ直す者、掲示物を見やすいように貼
りかえる者、箒のひもを取り替える者など、子供達の目は生き生きとかがやき、校舎の隅々
まで変化が見られるようになりました。あの君があんな汚れまで見つけている、と意外な生
徒の努力が認められ、またその子は、「僕もこのクラスにとって必要な存在なのだ」
と思うようになりました。こうして存在感も育ち、ふだんの学習に見られない新しい尺度で
友達が見直されもしたのです。
「させられる掃除」から、「する掃除」に変わり、働くことに喜びがふくらんだのも、この
段階からでした。
また、これまでは、清掃といえば、主に床の面にあるごみやほこりを除けばよいと思って
いたのに、壁や天井の方まで注意力が注がれ始めたのです。庭掃除も、地面のごみや石を除
くとか、草取りが主な仕事であったのに、繁りすぎた木の枝おろしや、根元の芝刈りから土
はこびまで、仕事が見えてきたのです。
その昔、ほとんどが木造校舎であった頃は、先生方も、床の面にのみ異常に神経が注がれ
ていました。「からぶき」と言って各クラスが競って廊下へへばりつき、せっせと廊下の板
などを光らせようとしました。隣のクラスとの境で足が鏡のようによくうつる方が、よく掃
除ができているとされました。
そのために家から「おから」や「ぬか袋」を持参させて、木目にこすりつけて光沢を競う
という異常さで、みんな、「床が光れば心も光る」などと言って汗を流しました。ぬかをこ
すりつけて光らせるのと、心が光るのとを混同させていました。私はこのような精神主義は
取りあげませんでした。
当時はこのように教室を清潔にするというねらいはうすれていましたから、汚れた雑巾の
まま腰板のさんを拭くために、壁のへりを黒くしてもさほど気にとめませんでした。この
「見つけ清掃」になるとそれも苦になって、壁のしみはべつな布でていねいに水洗いすると
か、ストーブの煙で汚れた壁のふきとりにも目が利くようになりました。その昔校舎建築を
してくれた棟梁さんが訪れて、「校舎を建てた時の美しさがもどってきましたよ」と喜んで
くれました。
子供の目が汚れに敏感になると、壁に残る鋲やビニールの後、ガラスの汚れ、天井のくも
の巣、植木鉢にあるわずかな泥にまで目がとどき、棚の上のほこりや裏側の汚れまで見つけ
るので、全く新たな清潔感がただようようになりました。さらに掲示物の配置や目の高さを
考えて貼り変えるまでになり、学期末に予定していた大掃除は特に置く必要もなくなったの
です。
庭の掃除にも変化が起きました。便所のまわりなど、人のいやがる所へひとりではいりこ
んで働く者、通路の石を整える者、植えこみの中に入りすぎた芝を除く者、根元の土をやわ
らかに掘りかえす者、うっかり踏みこめないように石を並べる者など、小さな造園作業にま
で発展するのでした。
ここまで目が利いてきますと、いくら時間があってもたりません。新しい仕事に気づいた
とたんに終わりのチャイムが鳴るということも珍しくないのです。
例えば花壇のへりに並んでいる石が曲がっていることに気づくと、縄を張って尺度とし、
並べ変えるために石を掘り出します。そこでチャイムが鳴ると、見苦しくころがり出したま
ま、作業は中断しなければなりません。その続きは翌日の清掃の後半となり、未完成のまま
何日も続くことになります。ですから日々の清掃は未完成でよいことにしました。
この場所は数日後には美しく生まれ変わります。生徒の中には先が楽しみで、休み時問に
とりかかったり、開始のチャイムが待ちきれなくてとりかかる姿も見られました。終わりだ
けは全校一斉に打ち切り、次の授業などにくいこまないことにしました。
この未完成清掃という発想も新しいもので、清掃係が後の様子を点検するようなことは、
無用としたのです。
中学生ともなると、創造のスケールも大きく、教師の及ばない発想が現れます。かつての
先輩が植えた記念の樹木も、中には教室の採光をさまたげます。枝おろし作業も始まります。
雨のたびに崩れる土手にはどこからか芝草が運ばれて植えられました。雑巾の水を捨てる場
所もを並べて改良されました。おろした太い枝を切りそろえて焼き、玄関わきに小意気な小
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花壇も生まれました。アイデアは泉のごとく湧き、壁を修理する道具、すのこ板のごみを掘
る道具などは・彼らが工夫して作ってくれました。校地のすべてが生徒の創造の教材と化し
たのでした。特に費用のかかるもののほかはなるべく生徒の発想を生かすようにしました。
給食センターから食缶を運ぶ運転手さんも、「くるたびに学校が生まれ変わるので、この
学校へくるのが楽しみです」と言われました。生徒の改善への意欲は校外にも及び、登下校
の道路わきの溝をきれいにするグループが現れました。日曜に集まって家庭力くら持ちよる
ごみの集積場所を修理するグループも現れました。電車通学の生徒は、無人駅のホームに小
花壇を設けました。地域ボランティアが自然に発生し、市長さんから感謝の手紙もいただき
ました。
家庭生活にも変化が現れ玄関の改良、勉強部屋の工夫などの報告もあり、クラスからはノ
ートの使い方の改善などの報告もありました。感想文にも現れました。
「この清掃をやるまでは、私はこんなにいろいろなことに気がつかなかった。ごみが無い
のではなく、いくらでもあったのです。ただ自分に見つける力がたりなかったからでした。
心さえしっかりさせてやれば、掃除はいつまでも続けてやれるものだと教えられました」
「こんな隅々の汚れまで気がついてきれいになっていくとは驚きだ。しみじみこのよさを感
じさせられた」「毎日の掃除の時間が待ち遠しい。働くってこんなにたのしいことだったの
か」などと述べています。
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6感謝の心で
指導要領では清掃を特別活動の中に位置づけています。そしてその目標には今も、「働ことの喜
びを」云々と示されています。皆が働くことを愛し好む国民になれたら、どんなに楽しいことでし
ょう。このように立派な目標を示すことは簡単です。
しかし 私達成人の働いている姿を見た時、その作業を愛し好んでいるように見えるでしょうか。
泥まみれになって農作業をしておられるお百姓さん、油にまみれて機械をあやつる工員さんなど、
その働いている顔に愛し好んでいるんだなあ一と思われる表情があるでしょうか。誰しも、「そりゃ
無理な話だよ」と思うでしょう。生活の糧のためか、家族を養うためか、そのほとんどが、苦しみ
にも耐えて働いておられるように見えるでしょう。働くことの喜びなどと簡単に言えるものなのか。
いったい勤労を愛好する姿とはどんな状況を言うつもりなのでしょうか。
筋肉を動かすから楽しいのでしょうか。それも長ければくたびれます。汗をかいた後さっぱりす
るからでしょうか。それも仕事そのものの楽しさではないらしい。幼児に始めて雑巾をかけさせる
と珍しがって喜びます。廊下でぶつかるとじゃんけんをして負けた方はよけたりして楽しそうです。
しかし あれは遊びの楽しさです。勤労の楽しさではないらしい。広い世の中のこと、どこかに
楽しそうに働くおとなが居るかもしれない。そう思っていた頃、ひとつだけ見つかりました。
それは 私が先輩に従って禅寺で座禅をした時です。掃除の時問になると僧侶の皆さんが実に明
るい表情でいそいそと働かれるのでした。「この人達は勤労を愛好していらっしゃる」と見たので
す。そして私もしばらく生活を共にしてわかりました。お坊さん達は自分が修行する僧堂に深い感
謝の気持ちを抱いて働いておられる−−ということでした。
もし 働くことの中に喜びを見いだすとしたら、まずその前に感謝の気持ちを持つことが前提条
件だとわかったのです。その心で働く時始めて心も清められ、精神性を高めることができると思い
ました。つまり働く前に心のありようを吟味することが順序なのです。
これまでの段階にはそんな考えは含まれていません。がまんもやる気も人の心を汲む気働き・も、
また新たな仕事の発見も、すべて目は外に向かっています。こんどは目を内に向けて感謝の気持ち
で働けるかを自問しなければなりません。自問と呼ぶにふさわしいのはこの第4段階からというこ
とです。僧堂への感謝というお坊さんと比べれば、私共は校舎や校庭に感謝の思いを抱いて働ける
か、と言うことになります。
生徒は毎日通う学校ですから、誇りにも思い愛校心を抱いているかもしれません。だが修行僧の
ような感謝の気持ちにはなりにくいでしょう。いったい今の日本の子供達に感謝などという気持ち
はどれほど育っているのでしょうか。残念ながらきわめて低いのです。
薄れる尊敬と感謝の心
総理府が世界6カ国の小学6年生を対象に、親や教師に対する感謝の心について比較調査をしたこと
があります。衣も食も最も恵まれて育っていながら、父親への感謝も母親への感謝も世界最低とい
う結果でした。先生に対する感謝はどの国と比べてもけた違いに低く、びっくりさせられたほどで
した。
どの国も親や祖先への尊敬と感謝の教育に力を注いでいたのに、戦後日本ではうっかり手を抜い
ていました。これが家庭内の秩序が乱れた原因と思われます。そして今もその反省は生かされては
いません。
親がわが子に向かって「私を尊敬しなさい」と言っても笑われてしまうでしょう。教師にもそれ
はできません。目上の人への感謝の教育は、別なおとなから説明されてはじめて気づかせることが
できることです。祖父母を敬う教育は両親の役目、親への感謝は教師の役目というようにすべきな
のに、それを怠っていたのです。
私がある中学校で生徒に、親のありがたさの講演をしました。数日後、生徒からこんな感想文が
届きました。
「私はふだん親に反発ばかりしていました。親の愛につつまれて、こんなにのびのびと育ったの
に、その母を悪く言ったこと、きらいだと思ったこと、母を泣かせたことなどを思い出しますと、
私は先生の顔を見ていられないほど恥ずかしい気持ちになりました」
「今日は反省することばかりでした。お話を聞きながら、私の顔は涙でいっぱいになり、先生の
顔がはっきり見えませんでした。中学生活をこのまま終わらせてはならないのだ。親孝行を実行に
移さなければ、それしか今の私にはないのだと思いました」
などと、どの手紙も親への感謝の欠けていたことを強く恥じていました。・このように親への思い
は教師が、教師への尊敬心は親のつとめなのです。この手紙を見ながら、感謝の教育の回復こそ急
務と思いました。そしてまずこのプランの中へ位置づけようと考えました。
よく働けた日は学校への感謝がそれだけ持続できたことであり、働けなかった日は、感謝が欠け
た日となります。つまり、働きの量によって、自分の感謝の心の育ちが測れることになるのです。
毎日お世話になっている机や腰掛けですから、きげんのよい日なら、「ありがとうよ」と感謝の気
持ちで働けるし、心も成長するでしょう。しかし中にはいやいやながら働いている友達もたくさん
います。雑巾をスリッパのように足につっかけて「いやだなあ」と廊下をこすって歩く者もいまし
た。雑巾をまるめて体育館の天井にひっかけた者もいましたし、箒を野球のバットがわりに遊ぶ者
もいました。そこでまずこう提案しました。
「皆さんは誰も学校に誇りを抱き、また毎日勉強させていただく校舎に感謝の気持ちを持ってい
るでしょう。そんな気持ちで働けば心も満たされるでしょう。けれども毎日健康ではないから、今
日はそんな気持ちになれないと言う人もいるでしょう。体育でたいへんつかれていて働けそうもな
い日もあるし、けがをして雑巾が使えない日もあるでしょう。いやいやながら働いては心の成長に
もなりません。そこでそういう日は、申しわけないが休ませてもらったらどうか。チャイムがなっ
たらまず自分に聞いて、学校をだいじに思う気持ちで働けそうなら仕事にかかる。そんな気持ちに
なれなかったら、心が整うまで休んでいてよいことにしたい。心が成長しないのに働いても価値が
ないからです」
と。この提案を子供達は不思議そうな顔で聞きましたが、心を見つめるきっかけとなりました。
このプランでは最初、おしゃべりをがまんする時も休ませました。再び感謝の心をたしかめるま
で仕事をしないでよいことにしたのです。やがて子供達の感想文に「これをやるようになって、自
分がふだん感謝の気持ちの欠けていたことがよくわかってきました」とか「はじめ、この話を聞い
た時は、何だろうと思っていたけれど、自分の問いかけ、心をこめていつも使わせてもらっている
校舎に恩返しをするつもりで働くということがわかってきました。この時問は自分にとってとても
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ためになりました」などの反応が現れました。しかし中には急に感謝などと言われてもぴんとこな
い生徒もいました。
先人の努カの結晶大切に
あるクラスの頭のいいK君は、毎日仕事をしなくなってしまいました。たまりかねた先生が後で
そっとたずねたところ、「父や母に感謝ということならわかりますが、机や腰掛けをいくら見てい
ても感謝の気持ちが出ないのです」との答えでした。なるほど一理あること。急に禅寺の坊さんの
ようにはなれません。そこで次の朝会にこんな講話をしました。「皆さんに校舎や机を見て愛校心
を持ちましょうと言っても無理だったようです。そこで皆さんに昔のことを考えてもらいたい。明
治の初めまでは日本にも学校はなかった。寺子屋でお坊さんが字を教えたりはしていましたが、本
当に学問をしたいと思ったら、東京や横浜にいる先生の所まで教えてもらいに行かなければならな
かった。長い旅をして先生の門を訪ねても、その先生の家で炊事などをさせてもらい、わずかの時
間に教えてもらえるだけでした。
それが今皆さんはどうか。学校へくるだけで専門の先生から教えてもらえるのです。しかも 先
生の中には、はるばる遠くから家族ともどもここまで越してきてくださっているのです。昔とは反
対です。なぜでしょう。明治の初めに、皆さんの祖先の方々が貧乏な中、金を集めて学校を建てて
くださったからです。国として方針はきめても金がなくて、それは無理だと言って方々で大げんか
もあったのです。皆さんが今勉強できるのは、そのご先祖のおかげなのです。こんなにたくさん学
校を建てた国はほとんどなかったのです。今も学校の無い国が多く学校にも行けず、ひもじい思い
の子供が地球上に2億2千万人もいるそうです。日本人の人口の倍です。皆さんは幸い日本に生まれ、
学校へくることはあたりまえと患っているでしょう。学校も空気のようにあたりまえだと思うから
そのありがたさに気づかないのです。そう考えると目の前の机や腰掛けにも遠い祖先からの、皆さ
んを思う心がこもっているのです」
と話しましたら、その日からK君はもちろん、多勢がいそいそと働き始めました。
それにしても全生徒が働く姿にはしたくなかったのです。誰しも生身(なまみ)の体ですから、感
謝の気持ちで働けそうもないという日がきっとあると思うのです。正直に心を見っめて休みたい日
は休むことにすれば、心にその子なりの尺度が築かれると考えました。
中にはずる休みをする人がいるかもしれません。その場合の解決策としては、次のように説明し
ました。
「休んでいる友達を見て ずる休みをしていてひどい''と疑ったとします。でもその友達の心は
見えません。それよりも、昨日まで仲よしだった友達に疑いを抱いて働くとしたら自分の心も汚れ
ているわけなので、まず自分の心を直すために一緒に座りましょう。僧んだ心が消えてから仕事に
もどるがよいでしょう。きっとどのクラスにも1人や2人は心が許さないで働けない人がいるはずで
す。皆が働いていることの方が不自然です。心が整わないでいる人を認めてあげるクラスの方が立
派だと思うのです。そして健康な人がカバーしてあげる広い心のクラスがすばらしいでしょう」
実践は成長のバロメーター
単一民族の日本がこれから国際性を身につけるには、自分と思想信条の異なる人達をどれほど受
容できるかが課題であろうと思います。床んでる人を許容できる度量が持てるかは働く側の人にと
っての課題となるでしょう。またもしずる休みをしたとしても友達の働く姿を見ている問に恐らく
自ら反省し、気づくに違いありません。
一人の先生が軽い脳の病気をされた後、復帰してくださったので、その先生には働かずに職員室
の小テーブルでお茶でも飲んでいてくださいとお願いしました。さてチャイムが鳴り、清掃の子供
が入ってきました。お茶を飲んでいる先生を見た1人の生徒がその横へ行って腰をおろしたのです。
すると次々に3人程また腰をおろしました。他の生徒は黙って仕事を始めました。そのうちにしば
らくして座っていた生徒も心が晴れたのかぼつりぼつり立って作業に加わっていきました。
この姿を見て、生徒指導に関しては、生徒も先生も区別する必要はないと思いました。こうして
座る者もどる者が入れかわりながら外からの指導など全く必要としないで、彼ら自身で、こ、をコ
ントロールしながら成長してくれました。生徒の感想は、
「前には自問という生き方を知らなかったから、友達を大切にできなかった。そして仲問外れに
したりされたりしていたが、今では仲問外れもなくなり、みんなどんな友達とも仲よくできるよう
になった。これをやると、心がだんだん大人になっていくのがよくわかります」
「これをやりぬくことによって、クラスのまとまりがよくなるだけでなく、皆自分自身を深く見
つめ直せるようになる。こんなすばらしい方法を、なぜもっと早くから始めなかったのか。もった
いなかった。これはぜひ続けるべきだ」
などというものでした。
15分の清掃中、5分しか働けなかったとしたり、その日は残念ながら3分の1しか学校を愛せ
なかったのです。15分働き続けて初めてその日は愛しぬいたのです。親孝行も、頭でわかってい
るつもりでも、それが行えないとしたらわかってはいないことになります。このように、生徒達は
日々自らを励ましながら、行為の中に心のあかしを求め続けました。やがて実践にこそ心の成長の
バロメーターがあるということに気づく生徒になりました。
世界人権宣言の意味を
なぜ清掃中に一部の生徒を休んでよいとするのか。この疑問に答えるために中学校では次の補説
をしました。
「さきに民主主義の基本は自由と平等とお話しました。今日は平等の意味を考えてみましょう。
平等はたいらにひとしいと書く。いったい人問は平等でしょうか。男女も違うし、よい人も悪い人
も金持ちも貧乏人もいます。それなのになぜ平等を目標にしたのでしょうか。皆平等にするなら入
学試験も無くしてもよさそうです。また社長さんの給料も新入社員のも同じにしてもよさそうです。
実は世界人権宣言の第1条に すべての人問は生まれながらにして自由であり、かつ尊厳と権利
とについて平等である とあります。この最後の権利についてという但しがきを見落とすと意味が
わからなくなるのです。子供には子供としての権利、年よりには年よりとしての権利というように、
人はすべて人問らしく生きる権利があると言ったのです。ですから障害を持っ人に、健康な人と同
じに働きなさいと言ったのではないのです。老人についても同じです。それぞれ人問らしさという
意味では等しいと言ったもので、むしろ、それぞれの違いを大事にしましょうと言ったのです。だ
から画一という言葉にしないで平等という言葉を選んだのです。 この考えを清掃の時問にあては
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めるとどうなるか。病気の人や心の準備のできない人にまで無理に働かせるのではなく、それぞれ
の違いを認めてあげよう、ということになります。皆一斉に働きなさいという考えは画一です。弱
い人を休ませてあげ、元気な人がその分をカバーしてあげる、というのが平等が願う姿ということ
になります。このように人間を大切にした思いやりのある集団を理想としたのが、民主主義のねら
いであったのです。ですから、掃除でも一部の人をいたわりながら働けるようになった時、民主主
義の目ざす社会になれたというわけです。休んでいる人をカバーしながら働けるまでになれば、民
主主義を担う資格が身にっいたことになるわけです」
教育基本法が示すように、皆の違い、それぞれの個性を認め合い、感謝しながら働けるかどうか
を吟味するのが第4段階のねらいとしたのです。別な言い方をすれば、一人ひとり他に引きずられ
ないで、胸に自分なりの判断尺度を抱いて進む自主的な人になってほしい一ということです。
やがて参観の方から「修業僧のよう」と見られるまでになったのでした。
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7 正直ということ
かつて日本文化会議が「日本に教育はあるか」。と題し、当時の、著名人による提言と討議
を収録した本を出版した。その中で何人かが個人主義の行き過ぎや精神の荒廃を問題にしてい
たことがある。あれから20年、私は今、「日本に倫理はあるか」と問いたい思いです。なぜな
ら今の日本では一番偉くなると次は刑務所へ、というコースがおきまりだからです。総理大臣、
県知事、市長、NTT、政界、財界、官界のトップに座るとそこから手錠が待っています。国
会も何のために存在しているのかわかりません。議員さん達は多額の金を使いながら、次は誰
を引きおろそうかと待ちかまえて、一人ひとり喚問台に乗せながら「いじめ」の実態を示して
くれています。極楽から地獄へ落ちる様子を現したモニュメントがロダンの手で作られ、上野
の美術館前にそびえているが、まさに日本のシンボルのようではありませんか。
西欧では幼児期から教会に通い、宗教教育がバックボーンとなっていて神に誓い不正ができ
ないと言われます。日本は教育計画の中でその役割を担わなければならないように思うのです。
「道徳」の時問は特設されたものの、理屈をこねまわすだけで、正直な人問が育てられてはい
ません。私はこのプランの到達段階で、正直に生きることのよさを体で味わわせようと考えま
した。
姿を消した正直
小学生に向かって「皆さんの中に、掃除の時、先生が見にこられた時はまじめに働き、先生
がいなくなると怠けたことのある人は手をあげてください」と言うと、大勢が、「は−い」と
手をあげます。子供とはなぜこうも正直なのだろう、と思い、太古の人類は正直であったから
であろうなどと想像させられます。続けて子供達に「そういう生き方について皆さんはどう思
いますか」と聞くと、また大きな声で「やばいで一す」と答えます。「そうだね。裏表を使い
分けるような生き方はやばいですね。もっと正直に生きた方がいいね」と話します。
ところが中学生になると、もう正直に答えなくなり、反対に見事に裏表を使い分けます。店
員が見ていなければ店の品物にも手を出します。現行犯でつかまると、後で友達から、「どぢ
ったのか、ばか」と笑われます。うまく使い分けた者がりこうでへたなのがばかなのです。
昔は「壁に耳あり障子に目あり」とか「神様がみているよ」などと教えたものですが、今の
子供に神様はいなくなり、恐れるものは無くなってしまいました。
先日もある中学校で生徒達が数人箒を持って庭掃除をしていました。中程に担任の先生が庭
木の手人れをしでいました。ふしぎな光景なので見ていました。というのは、先生に見える側
の生徒はせっせと箒を動かしているが、先生の背後の生徒はほとんど動きません。手を休めた
り箒をバットのようにふりまわしています。どの子も半身に構えて、先生の体がどちらを向く
かはそれとなく見ているのです。そのうちに先生がくるりと向きを変えました。とたんに生徒
の動きは逆転し、先生の視線の側はいそいそと箒きはじめ、同時に裏側の生徒はやおら手を休
めて遊びはじめました。どちらの生徒も見事に先生の動きからは目を離しません。決して油断
はしないのです。あたかも先生からのサーチライトに照らされるように視線の側だけが生きか
えるのでした。
恐らくその先生からは、みんなよく働いているものと映るでしょうが、横から見ていると、
狐にばかされている狸先生に見えるのです。先生は庭木の手入れをしながら、実は看視に来て
いることまで生徒に見抜かれていたようです。 どうやら、私達は敗戦によってヤミ値ヤミ米
をくぐって命をつなぐ間に、「心に正直に生きる」という徳を見失ってきたのでしょう。要領
よく裏表を使い分けることを当たり前と思うようになったようです。その証拠に、先日退職校
長会が、全国の退任された校長達に、「どんな子供にしたいか」という問いで集めたアンケー
トの結果を見ても多い順に20も並んで書かれた徳目の中に、「正直」はありません。
古人は日本人の心を「朝日ににおう山桜花」に例えましたが、大戦を境によごれた山桜にな
ったようです。
競争はあるが教育はない
中谷宇吉郎博士が、アメリカの大学に招かれて、家族ぐるみで渡米され、お子さんをアメリ
カの小学校へ転校させた時のことです。校長室で、「この子は日本語しか話せませんが、あず
かっていただけますか」とお願いし、ついでに、「校長先生の学校経営のご方針をお聞かせく
ださい」と尋ねますと、即座に「裏表のない正直な子供にしたいのです」と答えられたそうで
す。 小学校は知識をつめこもうとする所ではない。まさに人問教育の場なのだ、と共感され、
「日本にこの見識があるだろうか」と語っておられました。
かつてOECDの教育勧告団から、恥ずかしながら、「日本には競争はあるが教育はない」と
まで言われました。すでに義務教育の目的が土台から狂っていることを指摘されたのに、改め
ようとする気配もありません。私のこのプランの最終段階に、切り札として、裏表なく正直に
生きることのさわやかさを体験させ、その徳の回復を願うことにしました。
全校朝会の講話では、
「すでに皆さんは前の段階で自分の心に尋ね、感謝の心で働けるかを自問できるまでになり
ました。そこで最後に、皆さんを信じて、今日は働くか働かないかまで含め、一切自分自身の
心を尺度にして正直に過ごす時間にしたいと思います。ですから先生が見えておられようがお
られまいが、よいと判断したら遠慮しないで、悪びれずに堂々と休んでよいことにしたい。ど
んな理由であれ、それは問わない事にします。この時間どう過ごすのかの判断はめいめいの心
で決めるのです。昔、中国に孔子という人がいて、『己れに従って則(のり)を越えず』と言わ
れました。自分の判断で何をしてもま違うことがなくなった、と言われたのです。この時間は
そういう自主的判断にしたいのです」
と全幅の信頼をかけることにしました。
信頼関係で汚名返上
前年まで最大の万引き事件を引き起こしていた学校でしたが、信頼をかけ抜くことによって、
彼らの生活態度は180度変わりました。だらしのない髪も、皆理髪店へ行って中学生らしいスポ
ーティーな髪型に変わりました。女生徒も肩にかかる長髪はすべて消えました。そしてこの時
問は一人や二人の生徒が休んでいても、堂々と胸を張っているのです。他の生徒はそれを認め
て作業に取り組むのでした。
小学生も、この段階になると、すばらしい感想を綴りました。
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「前にはしかたなしに、いやいやながら働いていたから、自分の本当の心ではなかったので
す。この自問ではやる気が出なかったり、仕事が見つからない日は、邪魔にならないように座
っていていい。やる気になったらどんどん仕事を見つけて働きます。自分の意志で働ける。や
るのも休むのも自分の心に問いかけて自分できめるから自由です。自分の本心なのです。自分
の心を見つめ、美しい心がわいてくるのを待って、その心に従って働くので気持ちがいいので
す。一生懸命やる気でやればやるほど自分の長所がたくさん見つかってくるので、清掃がうん
と楽しくなった」
また、「自問の清掃をやっていると、心がだんだん大人になっていくのがよくわかります。
悪いことをした人だって、かならずよい心、澄んだ心になるに違いありません」
中学生の感想に、
「私はどうしてもいやだという時は休ませてもらいます。そんな時に掃除をしても、いやい
やながらやっているので、かえってその場を汚してしまうと思うからです」「今は休ませても
らうのは、体の調子の悪い時だけです。掃除をしていない時もあるが、それは自問、すなわち
心の掃除をしているのです」
また中学3年間これに取り組んだ生徒がこう綴っています。
「3年間の中学校での自問活動の中で、自らに問うことの意味とその大切さがわかるように
なった。授業態度の向上も生活態度がよくなるのも、いつもこの清掃態度がかかわっていたの
です。授業が悪くなる時は清掃も乱れ、自問がよくなると授業もよくなるという調子でした。
授業中に私語をしたいと思った時、自らに問う心構えがあれば、きっとその気持ちを抑えるこ
とができるだろう。この心構えが弱ければ、他人に迷惑をかけていることにさえ気づかないだ
ろう。私は3年問で、自問清掃によって自分自身を見直すよさがわかってきました。そしてそ
れによって感謝の心も欲望を抑えることもでき、また今していることが他人に迷惑がかかって
いるかを考えるようにもなりました。自分の心を自分で鍛えることができるのです。これから
は、自問清掃をする機会はないかもしれないが、この自問の心構えだけは一生失わないように
したいと思っています」
先日、県の中学校長会が、K郡の高原であって先生方が同じ大型バスに乗りこまれました。
すると、たまたまそのバスガイドさんが、私が校長をしていた時の卒業生でした。
「校長先生方、ご苦労さまです。私は中学生の頃竹内校長先生から自問清掃の教育を受けま
した。今も感謝し、誇りに思っております」とあいさつをしたそうです。同乗された校長さん
から、そんな報告もいただきました。
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8 教師のあり方
バーナード・ショーは、「できる人問はする。できぬ人問は教えたがる」と言われましたが、
今の学校には、何もかも教えたがる先生が多いように思います。教科書の内容は、誰にもわ
かるように、もっとていねいに教えてほしいが、生活指導では教えたがらないでほしいと思
います。おとなは子供に教えるほど立派な生活をしているわけではないからです。それが今
は教科の指導と生活の指導とがあべこべになっています。
学習では教科書に難しい言葉がでてきても、「自分で考えなさい」とか「自分で調べなさ
い」と言って教えようとしません。だから勉強ぎらいや落ちこぼれがふえるのです。反対に
人に迷惑をかけてもいない忘れ物や身じたくなど生活面では、うるさく教えたがります。
「遅刻すると門をしめるぞ」と、まるで動物扱いまでしたがります。よくわかる授業をして
くれれば楽しくて遅刻などしなくなります。
ある牧師さんが布教のために家族連れで日本へきました。そしてお子さんを日本の幼稚園
へ入れました。この子は大柄で食欲も旺盛でしたから、「がまんができなかったら食べるよ
うに」とパンをひときれ持たせました。10時頃おなかが空きましたので、そっと廊下に出て
それを食べました。それを園の先生に叱られたのでした。帰宅するとお父さんに「今日はぼ
く、誰にも迷惑をかけなかったのに、どうして叱られたかわからない」と言いました。お父
さんは、「そうだね。お前は正しかったんだよ」と言われたそうです。
私どもは、とかく人への迷惑行為は見のがしながら、揃って行動ができないと叱るという
管理意識が強く指導の合理性が弱いようです。いじめが多くなり、人権問題が思う程進まな
いのは、私共が迷惑行為に鈍感なせいではないでしょうか。ですから、このプランでは、先
生方に迷惑行為以外は一切の指示命令をやめてもらったのです。生徒に向かっては、「皆さ
んは牛や馬と違い、自発性を備えているんですから人間扱いをしたいのです」と言いました。
多くの先生方は生徒の作業の指示をしたり、督励したりすることに何ら疑問を抱かなかっ
たようです。「それでは私達は何もしないでよいのですか」とか、「怠ける生徒を注意して
もいけないのですか」とか、「まじめな生徒をほめてもいけないのですか」などと、疑問が
よせられ、ついに「そんなばかなこと」とおっしゃる先生もありました。特に小学校低学年
の、まだ用具の使い方をよく知らない時期の担任からは理解してもらえませんでした。
あらかじめ職員会で意識統一をはからないまま、いきなり全校朝会で提案したので、面く
らったようでした。私は何としてもこの15分間だけは迷惑な話し声のない、作業に集中でき
る場にしたかったのです。まじめに働こうとする生徒が居るのに、なぜその生徒を仕事がし
やすいように守ってあげようとしないのか、その方が疑問でした。
清掃中、先生も含めて、平気で大声を出している人は、迷惑をかけているのですから、早
く気づかせたいのです。そこで軽く肩をたたくことにしたのです。たたかれた人は仕事をや
めて黙るがまんをしてもらうことにしました。この点がこのプランで理解されにくい点でし
た。なぜなら、生徒を励まそうとして声をたてておられる先生も、必要な連絡で声を出す生
徒も、全くその事に罪意識を感じていないからでした。
マスコミの方からも、「なぜそんなお通夜のようなことを強制するんですか」とか、「な
んと管理意識の強い校長なんだろう」などと批判されました。生徒には何も強制はしていな
いのです。何ら罪意識を感じていないので、邪魔をしないがまんをしてもらおうとしただけ
なのです。この時問、話し声が消え、静かに働けるようになったのは3ヵ月たった頃でした。
日本に公徳心が育たないのは、この迷惑に対する感覚が身についていないからであろうと思
うのです。ですからまずこれだけは根気比べが必要だと思いました。そしてこれさえ乗り切
れれば、後は全く干渉しないで軌道に乗ることのできるプランだと思うのです。
この程度のがまんができないとすればブレーキの無い欠陥車と同じで、これからの国際社
会に生きていくことは難しいでしょう。中学生になっても世話がやけるようでは、依頼心か
ら抜け出せないでしょう。もし低学年で雑巾の扱い方を教える必要があるなら、この清掃時
間以外で扱ってもらうことにしました。
昔から日本では「ひとつ叱って3つほめ」などと言い、ほめたり叱ったりして導く事は当
然と思われています。が、これは幼児期のことであって、自覚ある子供にする段階では当た
らないことでしょう。先生にほめらられた時はうれしいでしょう。が、次にこの先生が見え
ればどうなるか。再びほめられようと意識したり、怠けまいとすると思うのです。また一度
叱られると次には叱られまいと構えるでしょう。このように教師を意識するようになればな
るほど人の顔色をうかがい消極的になるかもしれません。
先生はまわりの生徒にも知らせる意図で大きな声でほめるのでしょうが、教師の判断が生
徒とずれている場合も多いと思うのです。なるべく人を意識しないで、もうひとりの自分に
尋ねて自己決定がはかれるような自主的な態度を育てたいものです。他人よりも、もうひと
りの自分がよろこぶからうれしくなるという子供にしたい。教師はそれに共感を示す程度が
よいでしょう。
ほめ、叱ることは不要
またしばしば成績のよいクラスと比べて競争心をあおろうとします。お母さん方の中にも
「よし子さんを見習いなさい」などと人と比べて努力させようとします。このように比較を
用いた場合も尺度は外に移ってしまいます。もともと同じクラスにいても生まれは1年間の
開きがあるのですから、厳密に言えば同じテスト問題で競争させることも公平でないかもし
れません。ましてひとりひとり違う個性を持ち、独自な存在なのです。
発明王となったエジソンは小学校の先生から「頭がくさっている」と言われて3ヵ月で退
学していますし、アインシュタインも小学校の通信簿に、「将来みこみなし」と書かれてい
ます。早く進むからよいのでもなく、遅いからと言ってさほど気にすることではないでしょ
う。ましてこのプランは皆の自問を待って進むのですから、急がせることに意味はないので
す。
先生からの圧力が強ければ早く形は整います。が、個々の心が熟したとは言えません。道
徳や人生観のことで他のクラスと比べたり競争心をあおるなどは意味のないことでしょう。
そう考えると、自主的な生徒にするには、ほめることも、叱ることも、比べることも問題で
良策とは言えません。そこで先生方に、教科ではどの子にもわかるまで教え、生徒指導では
ほめるな叱るな比べるな、とお願いしました。
この面では子供の心が汲みとれずに見当違いにほめたり叱ったりしやすいものです。「ぼ
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くは仕事を見つけようとしていたのに、Y先生からぶらぶら遊んでいるんじゃないぞ、と叱
られてくやしかった」と不信感を抱いた例もあります。またえこひいきする先生に、「先生、
もっとよしお君にもていねいに教えてあげてください」とたしなめられた例もあります。ま
た休む者が多くてさぞたいへんだったろうと思うと、「今日はいつもよりたっぷり仕事が見
つけられてうれしかった」と感想を述べた生徒もいたのです。また、「ぼくはまさお君に比
べたらとてもだめだと思っていたのに、ほめられて気持ちが悪かった」というのもありまし
た。
範を示そうなどと肩を張るのはいただけません。もう2段階に進んだら、教えようとしな
いで、ただ校舎を愛し続ける方がよいでしょう。信ずることができないから監視しようとす
るのです。その上愛校心に欠ける底意までも見抜かれてしまうのでしょう。
生徒が、もし先生方の働く様子を批判するようになっては好ましくないと思い、こんなこ
とも話しました。
「先生方の中には夜も皆さんの作品を調べたり、指導の準備でつかれておられる日もあり
ます。ですからこの時間、時には休まれて、お体にさわらないようにお願いしています。私
もお客さんが見えたりして続けられない日もあるのです」
と。そして先生方には、
「もう生徒に任せてできるまでになりましたから、一切生徒を信じて任せましょう。反省文
を書かせることも生徒の負担にならないようにしましょう。生徒の気持ちを作文から見取る
必要も無いでしょう。生徒は十分に成長の喜びを感じていますから」
とお話ししました。事実、学年末の文集には自問活動の中からつかみ得た収穫を多くの生徒
が綴りました。
また新任の先生が終わりのチャイムで一斉にやめることに疑問を持たれました。小学校は
子供を担任が掌握していますから、「あと3分も延ばせば片づくから」と多少の延長はでき
るでしょう。中学校は後にクラブ活動が続いたりしますから迷惑が及ぶという理由もありま
す。
だが、子供の感想に、「見つけようとしてやれば仕事はいくらでも続くものであるという
ことがわかった」とあるように、刻々が完成であって、ここで完成という時は無いのだと考
えたのです。
人生に完成が無いように、常に未完成の連続であってもよいとしたのです。その日その日
の区切りをつけることも大切ですが、作業によっては15分は短かすぎてこま切れになる場合
も多いでしょう。そこで形よりも心の持続の方に目的を置くことにしました。
後に若い先生から、こんな提案も出されました。「もうどの分担区も生徒に任せられるよ
うになったので、来年からは私達職員が職員室に来て、ここを私達の分担区としようではあ
りませんか」と。
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9理念の背景
今は多くの県の小中学校で試みられていますが、私がこの案を学校ぐるみで取り組んだのは、
K中学校で校長の職にあった最後の2年間です。最大の万引き事件の直後で、学年末にはほと
んど授業にもなら1ない状況でしたから、父母にも先生方にも混迷の色はかくせませんでした。
それが1年で真面目学校に変わったことから、駈けつけた新聞記者の○さんから、「竹内さん、
生徒にどんな薬を飲ませたんです?」と尋ねられました。また当時の教育委員長のS先生からは
「竹内さんのやり方は一口で言えば生徒を絶対信頼するというプランですなあ」と申されまし
た。そう言われればたしかに的(まと)を射たお言葉でした。
後にこのプランに対して、読売新聞社から、生徒指導での最優秀賞という大きな賞をいただ
き、高円(たかまど)宮さんや、選考委員長の波多野先生から、身に余るおほめの言葉をいただ
きました。その後、多くの先生方から「どういうことから考えつかれたのか、その発想の原点
は何ですか」などと尋ねられるようになりました。
そこで最後に、この案が組み立っまでの過程をふりかえり、理念の背景となったものを大ま
かに述べさせてもらうことにします。
まず第1は敗戦のショックでしょうか。過去の国家体制が崩れ、与えられた民主主義という
ものへの疑問でした。抽象的には誰もが自由だ平等だ博愛だと騒いでいましたが、私にはなぜ
自由というのか、平等とは何のことか、その真意はつかみにくかったのです。これからの日本
が民主主義の国として生まれ変わらなければならないとしたら、そこにこれまで以上の理念が
無ければならないと思いました。
にもかかわらず、戦後の混乱期にはみるみる自由のはき違え、平等のはき違えが広がりまし
た。そしてこのままでは危いと思いました。もはや今の大人には民主主義などというものは担
う資格が無いのではないか。せめて次代を担う子供達にその真意を理解させなければ−と思っ
たのです。
そして子供達に今はまだ本物の民主主義でないこと。君たちこそ将来これを本物にして担っ
ていける力を身につけてほしいと訴え、自由と平等についての私なりの考えを説き、体で実践
できる子供にしようとしました。そのための方法として社会生活のミニ版である清掃活動を選
んだのです。このプランではそれを第1と第4の段階に位置づけました。
戦後の過保護が裏目
次に今の子供の生活態度を見て、気がかりなのは、意志力、即ちがまんとやる気が乏しいこ
とでした。困苦欠乏に耐えさせた戦時中とは逆になって過保護に育ち、依頼心が目立ちます。
まず意志力の重要性に気づかせなければなりません。たまたま脳生理学の時實先生からお手紙
でご指導をいただいた人と動物との違いからの説明がよかろうと思い、生徒に理解しやすく図
解して扱いました。
意志力は創造性や情操と共に人問だけに与えられた才能であること。14歳をピークに後天
的に本人の努力によって発達し、20歳を過ぎては手遅れなこと。3っのうち、意志力の大切さ
はあまり気づかれていないが、きわめて重要なことなどを朝会で7回に亘って説明しました。
それまで清掃は人からさせられるものと受けとめていたが、がまんもやる気も意志力を強め
る自分自身のためにするものだ−−と受けとめるようになったのです。
続いて情操の細胞を発達させるには、人の気持ちを汲みとる気働きや感謝の心で働くこと、
裏表のない正直な生き方が大切なことを理解させ、それぞれ清掃活動の中へ組み入れました。
情操は音楽や美術で育っと思われていますが、コンクールや作品主義が流行する中では、かえ
って利己主義になりやすいでしょう。むしろ清掃活動の中での心遣いで養われるものと考え、
それぞれの段階に位置づけました。
創造性もつめこみ勉強の中では育ちようがありません。進んで仕事をさがそうとする清掃活
動にすれば、はるかに期待が持てると考え、第3段階に位置づけました。
このように各段階で前頭葉を刺激するならば、
人問のよさが開発できると判断したのです。従ってこのプランの構造化には、時實博士のご指
導に負う所がきわめて大きいのです。
また現代っ子は主体性に欠け、流行に流されやすいことです。あこがれのスターが屋上から
とびおり自殺をとげると、数十人もの若者がこれを真似てしまうのです。今は自分の中にかけ
がえのないよさを見いだし、心に尺度を持った人間にすることが急務であろうと思うのです。
自分の中に生きるよりどころを見いだし、自らに問うことの楽しさがわかる子供にしなけれ
ばなりません。それによって生きる喜びが湧いてくるに違いないと思うのです。このような生
き方は、私が長くご指導をいただいた哲学会の会長をされた京都大学の井島勉先生のご教示に
よるものです。
ある日先生との会話の中で、「竹内君、美術の先生方の中には児童画を見てその心理的背景
を探ろうとする人が多いが、美術教育の理念を人生の生き方としてとらえるには、心理学は万
能じゃないんだよ」と申されました。今日教育界は心理学に依拠する風潮が強いが、生きるこ
との自覚を持たせるには、もっと前向きな発想が必要であろうと思うのです。私がこのプラン
を立てるにあたってその根拠を、美学及び脳生理学に求めた背景にはこのような事情がありま
した。
捨てる勇気が好結果
次の課題は今の日本の学校に競争あって教育なしと言われる状況にどう対処したらよいかと
いう問題でした。物を扱う経済界からの発言によって、しばしば競争原理の導入が当然のよう
に言われます。学校経営に競争が導入されることと、指導に競争を用いることとは厳しく区別
されなければなりません。
学ぶ喜びは人と競争する中から生まれるものではないからです。そのような考えから各教科
のどこに学ぶ喜びがあるかを見いだすことが、弘にとって長く懸案となっていました。そして
主徒指導における勤労の中に働く喜びを見いだすことは、最も至難な課題となったのです。そ
して勤労の中で子供がきらう苦痛の条件を次々に取り除く作業に長い年月を費やすことになり
ました。
こうして最終段階に至って、作業の中へ自問のゆとりを導入してみようという発想が浮かび
ました。私のプランに対して新潟県のN氏がジャコメッティ−の彫刻ですね」と言われました。
不要なものを一切除いた時、最後にはほっそりとのこったジャコメッティーの彫刻を見る姿に
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例えてくれました。ふりかえれば発想法の中の消去法でしょうが、それには何よりも捨てる勇
気が必要でした。
そうは言っても、このめざましい受験競争の中へ、生徒指導などを取りこもうとする学校は、
きわめて少ないのです。都会では学校から塾へ直行する孤独な戦士達が深夜の電車に殺到し、
テストの点さえよければ、人間性はどんなにいやしくても、すべてを許そうとするほどゆがん
でいます。
だが、この崩れは天災ではありません。教育という美名にかくれておとな達が生んだ就職競
争にほかなりません。あまりにも悲惨です。点数を競ういわゆる優等生の高慢な鼻を折らない
ことには、人の価値は見えてきません。そこでこのプランの第2段階で、人の心を汲む気働きを
学力より優位なものとして位置づけました。
これによって学習での劣等意識は減少し、優等生から優越感が消えたのです。やがて公徳心
や福祉の心へと望みをつなぐことができました。 指導要領も、勤労作業を特別活動の末席に
加えて置くのではなく、教科指導と対等に位置づけるほどの見識を示すべきでしょう。気働き
を育てるこの段階こそ、人間性回復の試金石なのです。
第4は、可能性を信じ、あくまで待ち続けることにした−−という問題です。
私どもは「教育は師弟の信頼によってなりたつ」と言います。たしかに親子の間も、父母と
教師の間の信頼も欠かすことはできません。
しかし、信頼していたっもりの生徒が信頼を裏切り、非行を犯した場合に、私どもは、どこ
まで信頼をかけ続けられるでしょうか。この頃は生徒が死を選んだりすると、例外なく学校側
は「あの子がそんなことIをするとは信じられません」と弁解します。殊に非行の多い昨今は、
信頼など崩れ放題ではないでしょうか。
ところがペスタロッチはこう言います。「もし教師の信頼を裏切り、非行に走る子供が現れ
たら、それを子供のせいにしてはいけない。その子へのこちらの信頼のかけ方がたりなかった
からであると思いなさい。教育における信頼とは裏切られた子供に、より厚く信頼をかけ続け
ることです」と。この教育哲学では絶対に責任をまぬがれることのできない親の愛に等しい−
−一種の賭けなのです。
もし賭け続け得ないようなら、軽々に信頼など口にする資格はない、というほど厳しいもの
です。このプランの成否の鍵も、実はその厳しさにあります。こちらから「一切の指示命令を
やめます」と宣言したのは、まず生徒に全幅の信頼をかけたことなのです。
中には、もう叱られることはないから、ずる休みができる、と考える者もいるでしょう。善
も悪もすべてを包みこもうとする発想の原点は、そのペスタロッチの思想にあやかって生まれ
たものです。ずる休みを続けたならば、その生徒こそ、これまでの接し方の問題の根深さを示
すものとして、自問のゆとりを与える必要があると思うのです。
第5は、いやいやながら働くのではなく、心の成長をはかるには、愛校心が伴わなければな
らないことに気づかせ、学校に対する感謝の思いをたしかめさせようとしました。古来、親や
教師への感謝の教育を指導計画に位置づけていない国はありません。たとえ道徳の時間が特設
されていない国でも、このことは重要に扱われています。ところが、わが国は戦後、道徳が特
設されるまでの間、むしろその扱いさえタブー視されていました。
今はそれが徳目のひとっとして加えられはしたものの、自らに問い、この有無を吟味にかけ
る扱いになっているとは思われません。これこそ戦後における教育の落とし穴ではなかったで
しょうか。この発想が加わることによって、生徒は明るい表情で働くようになりました。
私は僧堂での体験から、感謝の思いを第4の段階に自問のかなめとして位置づけることにし
ました。やがて自省しながら働くことによって、働くことの意味とその喜びが汲みとられるよ
うになりました。
漁村の父親が、わが子から、「お父さん、僕働く意味がわかったからお父さんの後を継ぐよ」
と言われて感動する事例も生まれたのでした。
裏表のない正直な心を
第6は、この案の到達目標である裏表のない正直な心の持ち主になることを目ざしました。
終戦直後、正直に生きぬこうとして、ついに栄養失調となり、命を落とした一人の判事さん
の死によって、日本からこの崇高な徳目は消え去ったのではないでしょうか。
皆がヤミ米を食ベヤミ値の生活が、むしろやむを得ないこととして、生きねばならなかった
からでしょう。数年前に全国の校長経験者から、「家庭で身につけてほしい資質はなにか」
という問のアンケートを求めました。それによると、多い項目の順に1が節約、2が礼儀、
3が情操、4が自制心、と10数項目をあげられていましたが、「正直」な子という願いは
ありませんでした。15番目に、人に対する「誠実」はありましたが、自分に対する「正直」
は無いのです。また文部省が示した20余の道徳の徳目にも、正直がまともには取り上げられ
ていません。これほど、自分の心を問う姿勢は気づかなくなっているようです。
私はこれこそ人問教育の集約点であろうと考え、胸に判断の尺度を置こうとしました。人
の生き方としてこの大切さを知ったのは私自身の美術の勉強に基づくものです。かつて内地
留学生として美術学校で絵を描き彫塑の勉強をさせてもらいました。絵では本物の色と違っ
た色で描いたりします。それは目で見える通りの色よりも、心に感じた色で描く方がより心
に正直だからです。
私が描く場合も時流を追わず、心に感じたままになるべく正直になろうと心がけます。幼
児がお母さんの絵を描くと、顔ばかり大きく描いて皆が笑います。けれどもこれも心に感じ
た通りの大きさで描くからであって、かえって心には正直な絵ということでしょう。人問は
このように心を持っていますから、心を尺度にすれば、その方が正しいと言えます。
中国の孔子も最高の生き方を心のままに歌う音楽だと答えています。つまり人問が人間らし
く生きるということは、自分の心を尺度に正直に生きるということに尽きるでしょう。殊に
西欧のようにバックボーンに神に誓って不正に組みしないキリストの教えがあるわけではあ
りません。しかし祖先は見事に朝日ににおう山桜花に例えていつわりのない心を現していま
す。人が見ていなければ怠けたり、悪いことをする人は、心の尺度を失っているからです。
清掃中、先生が見ておられればよく働き、見られなければ怠けるのも同じです。いつも自
分の心に尋ねながら正直に生きるようになれば、他人の目を気にせずに堂々とくらせましょ
う。
つまり芸術家のように心に素直に生きるさわやかさを実感させたいのです。そのために、
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先生の見ている前でも堂々と休んでよいことにしたのです。若い日に、この生きざまのさわ
やかさを味わったならば、恐らく3つ子の魂となって生き続けるでしょう。事実自分の心を
尺度とするこの段階に至って、非行はぬぐったように消えました。
こうして1年で真面目学校と言われるまでに生まれかわったのです。
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あとがき
わが国の教育の根本のま違いは、指導要領が改訂されるたびに、低学年からの注入量が多く
なったことでしょう。しかもこれに法的拘束力を持たせたため、子供達は学ぶ楽しさよりは、
つめこまされる苦しさの方が上まわってしまったことです。
このことは米国との比較調査でわかります。米国の子供は学年が進んでも教科への興味がさ
ほど減らないのに、日本の子供は学年毎に大幅に興味が衰えるのを見れば明らかです。こうし
て多くの学生達の学ぶ目的が学問でなく、入試突破の技術だけとなっています。こうして入試
から解放された大学生の多くは、レジャーやまんが本に走る異常さを生んでいます。
学生の理工系離れが問われていますが、理工に限らず全教科がすでに魅力を失っているので
す。このことはひとり学生の悲劇であるばかりでなく、文化の国を目ざそうとした国のビジョ
ンから見ても大きな損失でしょう。
このようになった理由のひとっは、指導要領改訂にあたって文教府が経済界や学会からの要
求だけを受け入れてきたからです。もっと子供に責任を負う現職の発言や教育学者の声に耳を
傾けるべきで、文教府の識見と責任が問われるべきでしょう。
生涯教育を言うならば、義務教育段階ではつめこまされる苦しさが学ぶ楽しさを越えてはな
らないと思います。
また、テストのほとんどは知識量をはかろうとしており、人を育てることなのに物を扱う経
済競争の原理を導入したため、学園は選別機関と化したのです。加えて改訂のたびに大切なイ
マジネーションや創造性を育てる情操教科を削減しました。
社会は実践力のある人を求めているのに、教室からは頭でっかちの口達者ばかりが育ってい
ます。道徳の授業がほとんど成果をあげ得ないのもそのためです。当然の結果として子供達は
孤独な戦士となり、友情は衰え排他的となり、いじめや不登校が急増したのです。
この現状を救い人間性を回復するためには、枠ぎめされた教科以外の清掃時間を選ばなけれ
ばなりませんでした。しかし、清掃という働きによって人問性を向上させることも、そう容易
ではありませんでした。長い曲折の末に辿り得た一里塚でした。
学校が子供達にとって楽しい学園となるためには、まだ幾多の課題が残されています。この
ささやかな試みに最後まで関心をよせられた読者の皆さんに心からお礼を申しあげ、むすびと
いたします。
平成6年7月
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すいせんの言葉
『絶大な成果を得た自問教育』
三重大学教授 斎藤 昭
現代は二重の意味で転換期である。ひとつは21世紀が目捷となったこと、もうひとつは第二
次世界大戦から50年を経たことである。前者は人類の生存が根本的に問われる世紀末的不安
の現象であり、後者はわが国が半世紀の間、国是としてきた民主主義の存続の可否に関わると
ころである。我々は世界にある日本人として、今後とも生存して行こうとする限り、この二つ
の危機的状況を超克しなければならない。教育もその責務の一端を担う。このような時、竹内
隆夫先生によって創始され、絶大な成果を得た「自問教育」の手引きとして『新たな発想によ
る清掃活動』が日本教育新聞社のご厚志により、装を新たにして刊行されることは、時宜を得
たものとして高く評価し、教育界はもとより江湖にも広く推薦するものである。
わが国の教育は、いじめ、暴力、不登校等の現実をあげるまでもなく、整復不可能なほどに
病みかつ荒廃している。かつて林竹二はこれを 民族の死に至る病い と捉え、文部省の責任
を問い、真の人間教育の無い状況は 教育亡国に至ると警告した。竹内先生もまたご自身の教
育経験を踏まえて、指導要領改訂毎の子供無視の注入量のみの増加、選別機関と化した学園の
現実を訴えられ、これによって生ずる原因を別扶し、<宅つめこまれる苦しさから学ぶ楽しさ
へ≫の方途を「自問教育」において見出されたのである。前者が大学紛争の解決を契機とし、後
者が非行解消の教育的成果によってそれぞれ注目されるに至ったのであるが、両者は共に戦後
わが国の教育が抱えていた難問ないし病巣と対決し、人間教育の原点を開示したことにおいて
不朽の意義があると考える。というのは林が関わった学生たちを戦後教育史の中でみるならば、
正に道徳教育不在の中で、自己主張のみを美徳とする教育の中で育った世代であり、竹内先生
が直面した教育現実ははぼ彼らを親とする生徒集団であったからである。つまり先生が直面し
た現実はこれを構造的に把握し全体的に解決しなければ、一歩も先に進めない事態にあったの
である。そこに要請されるものは強靭な思索と不抜な実践の統合であるが、これが竹内先生に
おいては、学校教育の中でとかく軽視されがちな労働である<清掃>を通しての「自問教育」
であった。それが如何に革命的成果をもたらしたかは、本書開巻に記されている通りであるが、
単に過去の教育実践の記録ではなく、今日から明日への教育に確実に生きて行くものとしての
教育の指針である。授業の効果だけを狙うハウツウものを越えた普遍的な即ち世界に通ずる人
間教育の哲理があるのである。先生はこれを、「信じて待つ」という人間信頼を基調として生
徒と立ち向かい、①自由とは迷惑をかけないこと、②心を汲む気働き、③創造の発見、④感謝
の心で、⑤正直ということ、という5項目に要約し、他者の痛み、その存在の価値と差異性の
理解、そしてこの上に立っての人間理解の尺度を設定する人間像を示されたのである。しかも
単に徳目としてこれを教示するのではなく、不言実行の<清掃>を通して生徒一人ひとりに自
覚させるところに、この教育活動のすぐれた特色があると言えるであろう。
惟うに「自問」とは学校という共同の場で行われるのであるから対他の中で自らの在り方を
問うことであり、「活動」とは自他共同の活動である。かくて「自問教育」は個人と共同社会
の調和ある発展を目的とするのであるから、真実の民主教育の実現となる。私はこの教育こそ
わが国の民主主義を健全に発展させ、21世紀への人類生存の可能性を拓くものと信ずる。
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