製品、アイデアの販売企画

ソシュール の構造主義
歴史ではなく、共時的な構造を取り扱う。
 「言葉と意味、あるいは表現と内容(シニフ
ィアンとシニフィエ)の関係は恣意的である
」と定式化し、両者の関係のありかた、す
なわち恣意的な関係性を「シーニュ」と呼
んだ。
 一冊の著作も残さなかったが、弟子たちの
ノートが一般言語学として出版される。

ソシュールとラカンの創造的誤読
1.記号の恣意性
2.言語と発話の
相互関係
音と絵との分裂=事物表象と
言語表象との分割
差異の体系として認識=
言葉(音)から見た絵
-A
Thing in itself
A/noA
Parole
A
langage
lalangue
nonA
-A
「ランガージュは、人類を他の動物
から弁別するしるしであり、人間学
的なあるいは社会学的といっても
よい性格を持つ能力である」。
レヴィーストロース
限定交換と一般交換
交叉イトコ婚における一般交換
限定交換と一般交換の違い
→一般交換とは、女性を項として親族構
造である。
 一般交換:交換のための交換
言語のように構造化されている=群を形
成する

象徴界の優先性
言語は子供以前に存在している。
暗黙のうちに、無意識に存在している構
造が、認識に選考しているという理解
→現代の記号論の基本
 象徴的な参入は、存在することの基本で
あり、それは感覚や想像のあり方を決定
するという認識論

シェーマL
It(S)
私
a’
母
a
A
シェーマR
i
φ
M
S
a
I
R
m
S
a’
I
A
P
治療論
無意識は他者のディスクールである
「意識して言葉にしても、たいていは全体的な状
況を把握しているわけではなく、意外と多くのこと
は人から影響を受けながら作り上げている仮の
世界、思い込みであることは多いので、もう少し
無意識の世界=知らないことに目や耳を向け
る」
 無意識は言語のように構造化されている
「言葉に出さないことは、たいてい流動的で、はっ
きりとしておらず、あいまいだから、あらゆる主観
的な出来事は事後的にでも言葉にして整理した
ほうが良い」

特殊な臨床的技法

短時間セッション 言
葉のアポストロフィー
効果
ラカン(1901-1981)

1901年4月13日 ジャック=マリー=エミー
ル・ラカン、父チャールズ=マリー=アルフ
レッド・ラカンとエミール=フィリピーヌ=マ
リー・ボードリーの長子として生まれる。父
親は食酢製造業のパリ販売責任者で、ヴ
ールバール・ドゥ・バーマルシェで暮らすが、
ジャックの中等学校進学のためにモンパ
ルナスに引っ越した。学童の頃、ラカンは
宗教とラテン語に秀でて、10代で哲学に没
頭、スピノザに傾倒する。
1920年 医学、その後精神医学に進み、近
隣にいたシュールリアリズムの画家や作家
たちと交流し始めた。アンドレ・ブルトン、サ
ルバドール・ダリと親交があり、ピカソのプ
ライベートな精神科医になった。30年代の
はじめには、シュールリアリズムの雑誌に
寄稿するようになった。
 1926年にサンタンヌ病院、28年にパリ警視
庁付属病院でインターンをした。クレランボ
ーに傾倒して、パラノイアに関心を持った。

ナルシシズムから想像的なもの、そしてイメー
ジ→パラノイアにはすべてが含まれている。
1932年「人格との関係から見たパラノイア精神病」
ダリはこれをシュールリアリズムの雑誌で取り
上げて、エリュアールはその中に登場するエメ
の詩を賞賛した。」
【症例エメ】
自分が書いた小説の主人公にちなんでつけた
名前、この女性は有名なパリの女優ユジェット・
ドュフローに切りかかった。「自罰パラノイア」と
いう女優に切りつけることで、自分を切りつけて
いる。
(エメはアンジューの母)

精神分析のほうへ
後にハルトマン、クリスらとともに自我心理学の
論客になるレーヴェンシュタインの分析を1933
年から1938年までの間受ける。不本意な結果
であったらしい。だがその意味は深い。
 1934年外科医の娘マリ=ルイズ・ブロンダンと
結婚、同年にカロリーヌ、39年にデュボー、40
年にシビュレが生まれる。
 1936年、マリエンバード会議で、有名な鏡像段
階の講演を行う。その講演は議長であったジョ
ーンズによって遮られたというエピソードをもつ。

鏡像段階
ワロンら多くの発達心理学者が関心を持ってきた現象としての
鏡像
 切断された身体
人間は、大脳が発達したせいで、常に未熟児の状態で生ま
れてくる。したがって、幼児は、神経系が未発達なので、統一
した自己の身体的イメージを持てない。
 鏡の中の他者
前エディプス期(6ヶ月~18ヶ月)において、鏡の中の像を「自
己」として認めることで自己の同一性が得られる。私とは(鏡
の中の、あの)他者である。
 承認と他者の欲望
これには母という他者の承認が必要である。
幼児は、母という他者の欲望を通じてしか、自分の欲望を満
たすことができない。欲望とは、本質的に、「他者の欲望」で
ある。
自己同一性から自我が疎外されている
擬態と同じく、人は集団的な人というイメー
ジと同一化することで、イメージの虜になる
という理解である。
 乳幼児は未熟なので、身体と神経のシステ
ムが不完全なので、自我は疎外的な自己
同一化によって形成される。そのため自我
はつねに想像的なものとして構成されてい
る。→想像的なもの(これはひとつではな
い。それは解離性同一性障害のような病
気について分かる。

自己は疎外されている
寸断された身体
想像的な同一化
自己
自我とは主体の在り処ではない。

自我は像でしかないし、それは寸断された
イメージを借り止めするような類のもので
ある。自我の統一と完全体というのは、偽
証であり、主体は疎外するイメージと寸断
された身体との間を行き来する。患者の自
我と同盟を持つ精神分析は決して、主体
を生み出さない。それは偽証であり、共謀
である。
人間の知識はパラノイア的だ
寸断された分割された身体という原始的な
イメージに対して、鏡像、観察と迫害、テレ
パシーによるコミュニケーション、これらパ
ラノイアの基本構造は自我を形成するた
めのプロセスのなかの構成要素である。
 過剰な空想としてのパラノイア、それは想
像的同一化である。

自我を超えた寸断された身体の発見から
第二次世界大戦へ
ラカンは戦争中、ナチの占領下で陸軍病
院に移動させられる。そこでバタイユの妻
(1933年以来別居中)と出会い、彼女がル
ノアールの映画「ピクニック」に出ていると
きにもそこに通いつめている。
 終戦後、45年にイギリスに研修旅行にビオ
ンやリックマンと出会い、ノースフィールド
での集団療法の話を聞き、それがイギリス
の不屈の精神の理由であると確信した。

フロイトのセミナー(1951年から)
週一回のセミナー
 これまでの想像的
同一化の問題は、
象徴的なもの、つ
まり語と症状との
関係性のなかへと
移行して行く。
1953年パリ精神分析学会(SPP)の脱会
とフランス精神分析学会の創設(SFP)、そ
してラカンの国際学会からの除名へといた
る経緯。
 自我心理学への反対:自我は特権的なイ
メージであり、分析の課題はそれを解除し
ていくことである。
 患者のわたしは信頼してはならない!
→精神分析の目標は、主体の再構成

1953年ローマ講演






話し言葉は行為であり、場所を与える。
言葉は子どもが生まれる前から、そこにあり、そのネット
ワークの中に、子どもはとらわれていくのである。子ども
は語と名によって自分のイメージと結び付けられる。
「お父さん似」「お母さんの遺伝だ」「おじいちゃんとそっく
り」など
構造言語学、人類学における親族の構造のなかに組み
込まれる。イメージは言語によって構造化される(無意識
は言語のように構造化されている)。
自我理想(象徴的な自我の場所)と理想自我(想像する自
我)の区別。
症状は身体に囚われた語である(器官言語)。
象徴界、想像界、そして現実界
症状とは、ラカン的には

身体の罠にはめられた語である。
自分
私
私は自分を見る
症状と理想自我/自我理想
メルツァーを使ってみる。
 症状は、身体によって語られた言葉でありそれ
は、身体言語である。それは寸断され閉所に閉
じ込められた自我である。
 理想自我は、審美的な葛藤をナルシシズム=
美としてそれを解消してしまう理想自我の形成
である。
 それに対して、自我理想はあなたに場所を与え
、あなた自身の視点を与える象徴的な点である
。
想像界と象徴界の関係
理想自我はあなた自身が想定している自我
であり、自我理想はあなたに場所を与え、
あなた自身を見る視点を与えてくれる象徴
的な点である。
 欠如に対して、生み出されるのが対象aだと
すれば、私たちは欠如を空想で埋めている
、それが想像界だが、そこに主体が発生す
るには、象徴的な不連続性が必要である。

話すことの意味
能動と受動の逆転など無意識の言語構造が繰
り返されるときに、一つの反復や同一性が見え
てくる。
 話すことは、話し手と聞き手を前提にしている、
そのため人に場を与える。
 もともと語はそれを用いる人の意識やコントロ
ールを越えている。分析を続けることで、それら
のメッセージが患者に送り返される。
 言葉の海から言葉を切り取って持ってくる作業
は、不連続性によってまとまりを獲得する。

短時間(時間可変的)セッション
名づけることと句読点を入れること
時間を区切ること
抵抗の余地を与えないこと
そういった出来事が精神分析理論と同時に
重視されるようになった。
ツァイガルニク効果(ソビエトの心理学
者にちなんだ、記憶の中断効果)
症状とは、ラカン的には

身体の罠にはめられた語である。
自分
私
私は自分を見る
話すことは、自分自身に語っている内容
をフィードバックする。

語は話すことで、私と自分を離す。
私
自分
私は「―-
している」
自分を見る
ばらばらな発話は終えることで、まとまりを獲得する
話し言葉が象徴的なまとまりを持つ限り、
主体は象徴界のなかで再認される。
 大文字の他者の場が与えられることが、
構文化されるということだ。
 言葉が語られ、そして句読点を打たれるこ
とで、主体は象徴的な場を与えられる/象
徴的な点として主語になりえる。
(=能動、受動が決まる)

主体は欲望を言葉によって埋める
自我は想像界に、主体は象徴界に結び付
けられる。
 主体は基本的に分裂している(それは言葉
の構造=配置によって)。
 主体は自分の欲しいものを知らない。なぜ
なら、まとまりをもつことで、本当に欲してい
るものを空想や対象によって埋めてしまっ
ているから、である。

エディプス・コンプレックスの言語論
子供は象徴的な回路、ネットワークのなか
に入り込み(言葉をおぼえることで、分離を
導入し)、母親との直接的な関係から離れ
る。
 話すことは、放すことを通して、離すことに
なる。喪失がもたらされる。

→この喪失をどのように理解するか
喪失を埋めるものとしての幻想
a
喪失=欠如とエディプス
欠如=喪失/対象a=母親のファルス
子供が想像する同一性の次元
分離には欠如を何かで置き換える
 見る/見られる関係(主客)
 話すことで語に意味が埋まる
 欲望と要求(需要)/象徴的な次元でネット
ワークに参入すること=父の名、否定の導
入、主体の象徴的な点

シェーマL
It(S)
私
a’
母
a
A
シェーマR
i
φ
M
S
a
I
R
m
S
a’
I
A
P
精神分析の開始
精神分析をしたいのは誰か、それは精神
分析家であり、精神分析家の欲望である。
 初回面接において、精神分析について教
育的な立場をとる必要がある。
 注意深く傾聴して、患者にとって誰でもな
い特権的なA、そして対象(a)の場を与え
られる=転移
 再びパワン・ド・キャピトンの詳述化

転移とは象徴A
のなかの欲望が
生み出す、$◇D
は要求Dとの関
係における欲動
であり、
S(A)のなかのA
が斜線を引かれ
る。
意味作用
S(A)
$◇D
象徴
分析家が分析的主体との関係=転移
最初分析を受ける人(分析的主体)は、分析家がす
べてを知っている、真実を知っている人だと思う。アド
バイスやよき導きの知識を期待する。
 だが分析家は意味はあいまいで、多元的であると思
っている。そして期待に応えることをしない。半分の真
理しか提供できない。
 そこで分析的主体は、さまざまな幻想を分析家に投
影して、それに対して、あれこれと連想していく。
 分析家は、それを神秘的な解釈で、句読点を入れて
いき、そして中断することで分析に切断を持ち込む。

去勢の新しい意味
疎外ー分離ー去勢という自我から性差の
あり方を連続的に捕らえるモデルを構築し
た。
 治療の中で分析的主体が精神分析を切断
として体験することの重要性を説いた。
 治療と転移、そして去勢とが一貫してモデ
ルとして組み立てられた。

幻想の定式化
父の名(否)によって生じる象徴機能から
 S◊aという主体と対象の結合によって生じる
幻想
 精神分析は知識を提供するのではなく、転
移の場で疎外と分離の往復運動をする。
 症状とは享楽(苦痛に満ちた快楽)である。

トポロジーの方へ
欲望、欲求、願望、そして欠如
それらは象徴的なものへの参入において
欲望を生み出し、その欠如において、転移
の中に幻想を生み出す。
 転移は対象aで生み出される。
 享楽から象徴のほうへ、不連続的なプロセ
スを続けることが精神分析である。

そこで身体とは何か
母親と子供の間のゲームで用いられる現
実的対象、乳房、糞便、声、まなざしなど
母親と自分との間に決定的な、存在と不
在との表すもの、身体の境界を示すもの
になる。
 それは身体境界をもたらすが、同時に分
離や喪失を助け、象徴的な世界に入るた
めの準備をする。

自由連想とは
主体は自由連想のなかで自分を失ってい
くが、それによって対象aに静かに包囲さ
れていく。それが転移のマイナス面、同時
に転移は知としても活用できる、それは対
象aに目を向ける。
→自由連想は、私たちの不自由さを明らか
にするが、それが自由をもたらす可能性を
開く。

身体と言語、そして想像の関係
想像的な同一化
 母親にとって自分は何なのか=幻想
 現実的な対象への依存=身体に語が欠
けている理由
 象徴的な関係が欠如、欲望、要求といった
事柄をネットワークに組み込んでいく。
 身体/言語/想像

国際学会からの離脱
 1963年、IPAから訓練分析の四角を
剥奪される。
 フランス精神分析学は(EFP)から
パリ・フロイト学派の形成へ
 パスという制度の創設と失敗
→解散への道
転移は疎外と分離の運動

享楽を苦痛として、そして想像界のなかに
現れるものとして表現している。
→享楽と言語活動の相互関係について
の考察を行っていく。
原言語Lalangue
去勢=享楽からの追放
パスという制度
パスした人による橋渡し(パッスール)によ
って、審査委員会に、そのパスを訴える。
 合格はパス(通路)であり、それを外に向
けて物語を語ることで、終わりなき分析に
一通りの区切りを入れる。
 物語はつねに精神分析にとって、ひとつの
まとまりでしかないが、その説明は分析的
な関係の外に向けて行われる。

トポロジー
ラカンのトポロジー
 RSIの等価性
 結び目
 サントームSinthome
Symptonから聖なるものに
三つの世界の構造全体が生み出すもの

ラカン派の解散へ
精神分析は、主体の言葉であり、それは
つねに分離を通して、実現する知である。
 精神分析の基本的な伝授は、対象aとの
関係であり、ラカン派の形成ではない。

→1980年 パリ・ラカン派の解散へ