数学教育史 11H078 西村 宗一郎 江戸時代初期 毛利重能・・・割算書 吉田光由・・・塵劫記⇒絵入り 問と答有 説明無 寺子屋・・・年齢学力関係なし 分からないところをそれを習った人に聞く つまり自主学習個別教育 体得的学習 1853 ペリー来航 西洋の軍事公開術が必要 しかし数学が必要 和算では都合が悪い⇒洋算 大坂 福田理軒 西算速知 江戸 柳河春三 洋算用法 1863 数学局 1872 学制 和算廃止 洋算専用 強制的実施 そろばん禁止 1873 筆算と珠算の併用を認める 1874 明治7年 珠算のみも可 明治13年 児童の就学率の敵かを理由に改正 教育令 復古思想も盛んに 10年代 国内平和に 11年 中学校800校近くへ⇒質の低下 ⇒県に一校のみ⇒48校に⇒入学試験が厳しく 13年 尾関正求 数学三千題 説明無し 理解や論理的思考は不要 求答主義 開発主義教授法 ペスタロッチ 寺尾寿 求答主義を批判⇒理論数学を提唱 菊池大麓 我が国最初の数学専門家 ⇒ 初等幾何学教科書+幾何学的講義 藤沢利喜太郎 求答主義・理論数学・直感主義 を批判⇒数え主義 算術科教則 日常計算の習熟 生活必須の知識 思考の精密化 代数的方法や図形の利用を反対 論理的厳正さを重んじた 黒表紙(37年 30年続く) 数学的訓練を強制⇒多くの数学嫌い ペリー(イギリス)の「数学の教育」 ①ユークリッドの形態からの脱却 ②実験幾何を高度に重んじる ③数学の実用的方面を高唱 ④立体幾何を重んじる ⑤実用的な諸種の測定を重んじる ⑥方眼紙の使用 ⑦微積分の思想 ⑧試験のための数学から脱却 直感性を重んじる。 近代化運動の幕開け 昭和10年 緑表紙 小学算術 塩野直道 「自称の中から数学的な観念・理法を自ら掴 む」 (VS 遠山啓 水道方式) 児童の自発的な活動 数理的思想 数理的訓練 数理的考え方 児 童の自発的な活動 昭和16年 カズノホン 18年 水色表紙 知識技能や数理的処理の習熟が目的 中等学教授要目 読んでも分からない教科書 極端なまでに自己開発的なもの 20年 墨ぬり教科書 戦時中の教科書塗り潰す 22年 アメリカ流 6・3制 中学数学 24年 教科用図書検定基準 33年 系統学習 48年 数学嫌い 落ちこぼ れ 55年 ゆとり教育 4年個性化指導要領14年 厳選指導要領 (PISAショック) 20年 脱ゆとり
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