国立国会図書館所蔵の検閲原本・関係資料等について――特500資料群を中心に 20世紀メディア研究所 牧 義之 第66回研究会 (2012・4・28) (日本学術振興会特別研究員PD) 1、帝国図書館へ移管された禁止<副本> 国立国会図書館所蔵、請求記号「特500」資料群 : 戦前・戦中期に検閲のため内務省に納本され、 後に当時の帝国図書館へ移管された刊行物で、発売頒布禁止処分になった刊行物。 ▲「発行ノ日ヨリ到達スヘキ日数ヲ除キ三日前ニ 製本二部 ヲ添ヘ内務省ニ届出ベシ」(明治 26 年「出 版法」第 3 条) ▲内務省では、納本された 2 部の内、 1 部を検閲のための<正本>、1 部を <副本>として管理し、検閲 を経て問題ないとされたものに関しては、<副本>を旧帝国図書館へ交付。 「 内務省交付本」と称され、 帝国図書館収蔵の国内新刊蔵書の根幹をなし、一般の利用に供された。また、問題ないとされた <正 本>についても、関東大震災で被害を受けた駿河台図書館(現在の区立千代田図書館の前身)等の有 力図書館へ「 委託」され、利用に供された。 ▼一方、検閲の結果問題ありとされ、禁止処分を受けた刊行物については、<正本><副本>ともに内務 省警保局図書課内の書庫で管理され、帝国図書館へは交付されず、当然ながら一般の利用に供される ことはなかった。しかし、関東大震災により、内務省の書庫も被災し、保管していた発禁本の正副双 方を焼失したので、帝国図書館側から<副本>受け入れの打診が昭和12年になされる。 可 不 載 ■1月14日付(乙第5号)、松本喜一帝国図書館長から萱場軍蔵内務省警保局長宛の文書 「当館ハ内外古今ノ図書記録類ヲ蒐集シテ、普ク公衆ノ閲覧ニ供スルノミナラズ、明治五年創立以来 我国文化ノ保存機関トシテ、国内出版物ノ一部ヲ受領スル事ト相成居、随ツテ従来政府ニ於テ行政処 分ニヨリ其発売頒布ヲ禁止セラレタル図書ノ一部及ヒ当館独自ノ立場ヨリ閲覧ヲ禁止セルモノニ至ル マデ 、「禁閲図書」トシテ特別ノ方法ニヨリ厳重ニ保存致居候為メ、自ラ国家事務遂行上ニモ補助機 関トシテノ使命ヲ果シ来レル ハ御承知ノ通リニ有之候、就テハ今後貴省ニ於テ行政処分ニ付セラレタ ル図書並ニ雑誌類ノ一本ヲ、当館ニ移管相成候ハゞ厳重保管ノ上、何時ニテモ貴省出版警察事務遂行 上便宜相叶ヒ候様整理致置クベク( ・・・)図書ノ整理保存ヲ任トスル図書館ヲシテ管理セシムルハ、 絶対ニ其散逸ヲ防止セシムル事ヲ得ベク、至極適当ナル措置ニ可有之ト被存候 当館ニ於ケル禁閲図書ノ整理保管ニ就イテハ、苟モ行政処分ニ附セラレタルモノヲ以テ、其取扱ハ 極メテ厳重ニシテ、 当館職員ト雖モ絶対ニ閲読ヲ許サズ、館長室備付ノ特別書架ニ秘蔵シテ、館長自 ラ其保管ノ責ニ任シ居候次第 ニ有之候 茲ニ当館ノ一使命タル文化保存ノ重責ニ省ミ、行政処分ニ附セラレタル図書ノ移管方ニ関シ得貴意 度此段申進候也」 転 (大滝則忠・土屋恵司「帝国図書館文書にみる戦前期出版警察法制の一側面」『参考書誌研究』第12号、昭和51・3) □同年3月19日付で内務省警保局長名による返信:「 一、保管スベキ図書ノ目録ヲ作成スルコト」、 「二、 当局ノ要求アルトキハ直チニ提出スルコト」を条件として、禁止<副本>の移管 が決定された。 -1- ▲以前には、発行以前に処分が下されたものは当然交付せず、発行後に処分がなされたものについて は内務省に返戻されていたが、昭和 12 年以降は、「 移管」という形で、それ以前に処分が下されたも ので内務省に保管されているものも含めて、順次帝国図書館に移された。明治 31 年頃までは 「別括 物」 という扱いで交付され、処分の際に返戻を求めることがあったが、帝国図書館側では乙部図書に 含まれ、廃棄されることがあったので、以降、取締対象の図書は内務省が保管を行なっていた。 ▲移管決定後は 、「この往復文書は同時に、近代日本の出版警察体制のもとで、帝国図書館はその 体 制に奉仕する収蔵庫としての役割を果たす存在であらざるを得なかったということを端的に示してい る」と指摘がある通り(大滝「図書館と読む自由――近代日本の出版警察体制との関連を中心に」『知る自由の保障と図書館』 平成18・12所収)、帝国図書館は 内務省の<副>所蔵庫としての役割を出版警察面で担うことになった。 ・移管冊数:安寧関係(1,080 点)風俗関係( 359 点) ・昭和 12 年:安寧(禁安1)778 点、風俗(禁風1) 302 点、計 1,080 点 ・昭和 14 年:安寧(禁安4)53 点、風俗(禁風4) 24 点、計 77 点 ・昭和 15 年:安寧(禁安5)124 点、風俗(禁風5) 11 点、計 135 点 ・昭和 17 年:安寧(禁安7)125 点、風俗(禁風7) 22 点、計 147 点 合計 1,439点 可 (大滝が『発売禁止・閲覧制限図書函号目録』の「安寧ノ部」「風俗ノ部」から抜き出した数字) 2、移管本の戦後 不 ▲内務省内に残された検閲用 <正本>:終戦後、占領軍によって接収を受け、アメリカに移送。昭和51 年から原本の返還(正確には日本側でマイクロ化した上での交換)が行われ、『国立国会図書館所蔵 発禁図書目録:1945年以前』(国立国会図書館収集整理部編、昭和 55・ 3)としてリストが公開。返還 された<正本>には「 特501」、帝国図書館から国立国会図書館に引き継がれた分には「 特500」で始ま る番号が付され、整理が行われた。一般的には、「特500」は禁止<副本>であるという認識があるが、 実態は単純に判別できるものではない。 載 転 大塚奈奈絵「受入後に発禁となり閲覧制限された図書に関する調査―戦前の出版法制下の旧帝国図書館における例―」 (『参考書誌研究』第73号・平成22・11) -2- ▲戦後、禁止本の別置解除が国会図書館においてなされ 、「 禁函 」といわれる 閲覧禁止本 が原架に復 した。これは 「禁安」「禁風 」と整理された移管本とは別のもので、「ひとたび蔵書として受け入れ、 排架記号を与えた後に、内務大臣による処分を受けた図書の場合、当局からの通牒により、元の書架 上から引き抜いて別置したもの 」(大滝論)で、 255点 存在したことが近年の研究で明らかにされた (大 塚奈奈絵論)。 ▲「 禁函」本 が内務省に没収されなかった理由は、戦前に帝国図書館で事務を担当していた岡田温が、 <副本>の移管決定以前に「図書館から直接内務省に返却すべきことを理由に没収に応ぜず、密かに館 内館長室に厳重に保管 し 」、問題になることを予め避ける意味もあって、内務省と交渉し、それが< 副本>の移管に至ったという事情を明かしている(「旧上野図書館の収書方針とその蔵書」『図書館研究シリーズ』No. 5、昭和36・12)。岡田は 、「 「 安禁」は戦後原架に復したものの、「現在風禁だけが特別な保存がなされて いる筈である。しかしその数は決して多くはない 」と記している。また、大塚によれば 、「禁函」の 全てがすぐに原架に帰したわけではなく、半数ほどは昭和21年~23年頃に順次原架に、 一部は昭和26 年4月から昭和31年9月までの間に遡ってNDC6版により再整理され、さらにその後昭和40年代になって 一部が「特500」として再整理された ことを明らかにしている。これに「禁安 」「禁風」として引き 継がれた移管本が加わり 、「特500」群 を構成している(「 禁安 」「禁風」の一部も旧函架の甲・乙部 図書に繰り入れられている )。このような事情を踏まえると、戦後における「特 500」の整理は一括 ではなく順次に行われ 、「特 501」の返還・整理よりも若干先だって行われたのではないかと想像さ れる。 ▲アメリカからの「特 501」資料の返還に際して、国会図書館における未所蔵の発禁本が『禁止単行 本目録』等を用いて洗い出されたが、その際に所蔵確認に用いられたのが、特 500 及び原架に復した 図書であった。 可 不 載 3、現在の「特500」の実態 ▲時期的な事情等、何らかの理由で「特 500」に繰り入れられなかったものがあり、「特 500」が付さ れた図書であっても、それが正式な検閲<副本>であるとは限らない。 転 □『国立国会図書館蔵発禁図書目録』記載件数 ・特 501・・・940 件(NDL-OPAC では1,034(去年までは 945 件)) : 返還本 1,062 点 ・特 500・・・935 件(NDL-OPAC では958) ・それ以外・・・ 396 件 ■点数と冊数、請求記号での件数 ①『一代の宝開運之秘書』(高島易断所本部神宮館編、昭和 5.5-13.5) 子年の巻 丑年の巻 寅年の巻 卯年の巻 辰年の巻 巳年の巻 午年の巻 未年の巻 申年の巻 酉 年の巻 戍年の巻 亥年の巻 :12冊 特501-572 ②『社会科学講座』第 8-11、 14(松元竹二編、誠文堂、昭和 6.8-7.5) :5冊 特501-63 ③『コミンテルンプロトコール全集』第 1 冊(プロトコール全集刊行会訳、白揚社、昭和 6.6) :特500-154 『コミンテルンプロトコール全集』第 3 冊(プロトコール全集刊行会訳、白揚社、昭和 7.5) :特500-245 ④『愛慾行進曲』(浅原八郎著、大東書院) :特500-709イ・・・昭和 5.4:初版の発禁副本/特500-709ロ・・・昭和 5.5:改訂版の発禁正本 -3- ■件数の相違:『国立国会図書館所蔵発禁図書目録』が刊行された昭和 55 年以後にも、「特 500」資 料が追加されている。実際、刊行後に一般書架から禁止本 12 点が目録に追加されているが、それ以 外にも「特 500」資料が追加されていると考えられる。 □『国立国会図書館蔵発禁図書目録』追加リスト 特500-941 『皇国軍人に愬ふ』(遠藤友四郎著、錦旗会本部、昭 7) 特500-942 『国民思想浄化ニ関スル管見』(萱村庄右衛門著、私家版、昭 7) 特500-943 『三真一如日本国体観』(藤野修冊著、日本国体学研究会、昭 7) 特500-944 『社会主義と資本主義』(ヤ・ティーマン著、橋本弘毅訳、白揚社、昭 7) 特500-945 『社会民主主義と労働階級』(山本光一著、希望閣、昭 5) 特500-946 『一九一七年に於けるロシア農民運動』(ドウブロフスキイ著、潮昇訳、叢文閣、昭 5) 特500-947 『全国大衆党大会議案. 第 2 回』(全国大衆党中央執行委員会著、全国大衆党事業部、昭 5) 特500-948 『戦闘的無神論者. 1931 年 12 月号』(日本戦闘的無神論者同盟、昭 6) 特500-949 『争議団少年部読本』(全国農民組合雨竜支部三農場共同争議団青年部少年部係〔編〕、三農場共同争議団本部、昭 7) 特500-950 『南北朝経緯管見 : 魂の紛失朝権の韜晦 大日本歴史抜萃』(更始一心会、昭 7) 可 特500-951 『レーニンは何を教へるか?』(ケルジエンツエフ著、田村清吉,秋山憲夫共訳、マルクス書房、昭 5) 特500-952 『労農党第二回大会議案』(労農党本部著、石原美行、昭和 5) 「尚、上記図書12点は発禁図書目録刊行後に昭和期乙部資料群の中から発見したものである。/1988年8月/図書部 図書閲覧課」 →全て安寧禁止処分の刊行物 不 ▼「特 500」の中に、一部<正本>が含まれている。 【例】黒島伝治『武装せる市街』(昭和 5、日本評論社) ①「 特501-504」:改訂版 (初版が発禁になったために出されたが、禁止)の<副本> ②「 特500-105」:初版の <正本> 載 前者には特に書込みは無いが、後者には表紙に「昭和五年十一月十五日決裁」と手書きされ、「安寧 禁止」と内務省の印が 2 種類(丸印と長方形の印)捺されている。見返し右上には「函/文学/号 4861」 と「函/安寧/号 266」の永久保存印 2 つが捺され、前者はバツ印で消されている。標題紙には内務 省印の他に、 「昭和十二・六・十七・移管」と表示された帝国図書館の丸印と、上方に「禁安1-162」、 「特 500-105」と手書きされ 、「禁安」の方は棒線で消されている。本文を見ると、検閲官による傍 線、丸、二重丸、パーレンが所々にあり、筆記具には鉛筆、青・赤鉛筆と黒インクが用られている。 転 左から 表紙 見返し 表題紙 -4- ▼本来は内務省で保管され、帝国図書館には移管されないはずの<正本>が、どのような理由で移管さ れ、帝国図書館に入ったのだろうか 。「特 500」には他にも<正本>が含まれているのではないだろう か。 4、「特500」調査の途中経過報告 NDL-OPAC から「特 500」資料を年代順に抽出し、一冊一冊について表紙、標題紙や本文への書込み、 印の有無を調査。現在のところ、400 冊弱について調査を終えた。 □「追加リスト」の他に、発禁目録に記載の無いもの: ・ 特500-935『半男女考』(宮武外骨著、半狂堂、大正 11・5、整理前は「禁 55」、元「禁函」図書) ・特500-127『ロシヤ革命運動史第 5 輯 』(山内封介著、金星堂、大正 15) ・ 特500-897『性象徴に根ざす生命象徴 上巻 』(イ・イ・ゴウルドスミス著、益本蘇川訳、文芸資 料研究会編輯部、昭和 2) ・特500-721 『El ktab lois secretes de l'amour』(ポオル・ド・レグラ著、竹内道之助訳、風俗資料刊 行会、昭和 5.7) 風俗禁止 ・特500-902 『 結婚愛』 ( 改訂版、マリー・ストープス著、矢口達訳、アルス、昭 5) 禁閲(風俗) ・特500-953 『春宵情史』(山崎九華編、吟葉会出版部、昭 7) 風俗禁止 可 不 ▲「特 500-」以下の番号が 800 番台、 900 番台のもので、現在でも電子データ化されていないものが 含まれる。おそらくは、重複があったために整理が後回しにされ、近年になって「特 500」に含まれ たものと思われる。先の岡田が「風禁だけが特別な保存がなされている」と記していたが、戦後にな っても未公開のままにされた図書が、特に風俗関係で幾つか存在し、それが近年になってようやく整 理が完了し、電子データ化されつつあるのだろう。 載 転 △移管印・番号によって日付が判明:いつ・どのくらい移管されたか 昭和12年 では安寧で「 6月17日 」、「 6月22日 」、「 7月15日 」、「 7月17日 」、風俗で「 9月15日 」が見受け られた。いずれも数十冊以上の単位であるので、まとまった数が分散して移管されたことが分かる。 先の岡田温の記述によれば、問題なしとされ「交付」される図書については 、「私が担当者として事 務を行うようになった昭和 3 年以来終戦までは、毎週 1 回、日を定めて図書館側から自動車をもって 内務省警保局図書課に出向いて 1 週間分づつを受領した」とある。 1 日に数十冊以上を移管する移管 本の場合は、その量から推察して、日付を定めた上でトラックで輸送していたのではないだろうか。 △「特 500」以前の整理番号として、移管時に付与された「禁安」「禁風」:移管の冊数 「禁安 1-1」:林一郎『原始経』(上田屋書店、大正 15・ 6、特 500-1)は、「 6月17日 」の移管 「禁安 1-190」:本庄陸男『資本主義下の小学校』(自由社、昭和 5・10、特 500-123)まで同日の日付 「禁安 1-200」『 : プロレタリア歌曲集』(無産社、昭和 5・6、特 500-128)は「6月22日 」の移管 「禁風」では確認できる最も若い番号である「禁風 1-3」:佐藤紅霞『川柳変態性慾志』(温故書屋、 昭和 2・11、特 500-605)が「 9月15日」で、 「禁風 1-188」である南条照哉述『長生と異性 実話』 (長 生研究所、昭和 6・ 12、特 500-773)に至るまで同日の日付になっている。 ▽ここから、「禁安」を先にして、「禁風」とは日を分けて移管していたことが分かる。 -5- △「禁安 」「禁風」以前の、内務省警保局における整理記号である 「 安-○ 」、「 風-○ 」 から、内務省 内における整理の実態について考えることも可能。永久保存印の中にその記号が書かれており、一部 記載の無いものや、判読不明なものも含まれるが、多くはデータとして抽出が可能である。前後する 番号を見ると、書き込みの筆跡が同じであるケースが見受けられるので、検閲業務の実態解明への手 掛かりともなる。 5、今後の展望 ▲「特 501」資料群との関連性についても考える必要:正本が「特500」に含まれたケース 【例】『 ・ 無産者新聞論説集』(上野書店、昭和 3・ 7、特 500-59、遊び紙に「正本」印がある) ・浅原八郎『愛慾行進曲』(大東書院、昭和 5・5、特 500-709 ロ、遊び紙に「正本」印あり)改訂版 の禁止<正本>。発禁初版の<副本>も「特 500-709 イ」として資料群に含まれている。内務省内での整 理番号も、移管後の整理番号も、両者には開きがあるが、移管日は同じ「昭和 12 年 9 月 15 日」 ・渡辺麻吉『四方の海』(同朋舎出版部、昭和 6・1、特 500-129、表紙に「正本」印あり) ▼逆に 、「特 501」の中に<副本>が含まれていることとの関連性:正副の区別が、必ずしも厳格には 行なわれていなかった警保局図書課の実情。 可 「発禁の書庫は、明るく快適という訳にはいかない薄暗い部屋であつたが、書棚に発禁本が排列され ていたのは当然だが 、(・・・)大きい本も小さい本も自由に出し入れできたので、背後に板はなか つた。排列も覚えてないが、洋書と和書には分れていた 」。「発禁図書につけられたラベルなどは記 憶していない。たしか、印もラベルもあつたように記憶している」 不 載 太田真舟(「戦前の納本・検閲――内務省の発禁本について」『日本古書通信』第378号、昭和50・10) ▲移管以前の内務省にあった<副本>についてもラベルや整理番号が付されていたことが想像できる。 正副と区別をして排架していたのかは不明であるが、出版警察の業務処理や、後に移管されたことを 考えると、区別はされていたと考える方が自然。しかし、その区別が厳密でなかったために、正副が 混ざるケース があった。これは検閲業務の多忙さによる整理の不徹底も考えられるが、警保局内での 検閲以外での使用が、恐らく<副本>を用いて行なわれたことも起因していると思われる 。「特 500」 の<副本>には、表紙に「調査済」の印が捺され、本文に傍線が引かれているケースが多数見受けられ る。先に触れた、発禁目録に記載が無い 『一九一七年に於けるロシア農民運動』もその一つである。 これは「調査係」によって行なわれた、納本後の検閲とは別の内容調査で 、『出版警察報』での報告 のための素材にされたと思われる。このような中で正副の出し入れも行なわれ、本来の位置とは異な る場所に収められた図書もあったのだろう。 転 ▲禁止<副本>と一括りにすることはできない「特500」資料群:「特 501」との関連性も見極めること で、戦前の出版警察に関する実態研究に寄与する点が大きい資料。「特 501」の返還、整理から 35 年 を経とうとしている今日、資料のデジタル化が急速に進む中で、端末の画面から読み取れる情報には 限度があり、禁止本のような資料の調査には、原本の確認を欠かすことはできない。デジタル化によ る簡易な検索がある反面、原本へのアクセスはより一層閉じられつつあるのが実情である(国会図書 館内の端末で見られる資料の場合、マイクロフィッシュの複製は不可になった )。戦後になって存在 こそ知られるようになったものの、詳細な研究には手を着けて来られなかった「特 500」資料群は、 以上に記してきたように、検閲研究の上で価値がある資料であるが、一方でその調査は、常に時間と の闘いになる。 -6- 6、内務省委託本(区立千代田図書館)との関連性 ・内務省からの移管/委託本である:禁止処分であるか否か ・内務省印の共通性:『「 内務省委託本」関連資料集』P.16、 ⑳「内務省正本」 楕円形の印は、大正期のみに見えるもの → 図版 は南部修太郎『若き入獄者の手記 』(大正 13・ 3、文興院) ・「 内務省委託本」印:「 昭和12年7月20日 付のものが多い 」「全体の半数 以上」 →禁止本の移管と同時進行? ▲新出資料 大滝・大塚論文で言及されている『発売禁止 閲覧制限 図書函号目録』『 ( 禁函目録』) :帝国図書館の事務目録 →平成 23 年 7 月 1 日から情報公開制度の運用により、閲覧可能に。 ・『出版物検閲通牒綴』20 冊(明治 43 年~大正 12、昭和 4、8 ~ 19 年) 処分の通知書が大半だが、これまで未発表の禁止目録も含まれる。 可 不 <参考画像> ①特500-751『エロ商売百物語』(早川雪男著、三興社、昭和 6.5) 正本 載 転 ①-1 ①-2 見返し( 永久保存印、内務省整理番号) 表紙(正本その他各印、検閲官書込み「禁止可然哉」「内地手配」) -7- ①-3 可 不 標題紙 (移管時の整理番号:禁風 1-165、国会図書館整理番号:特 500-751、移管印) 載 転 ①-4 検閲官の書き込み -8- ②特500-717『画譜一千一夜物語 』(マルドリュウス編、西条八十、矢野目源一解説、国際文献刊行 会、昭和4.10) 副本 可 不 載 ②-1 見返し 納本時不問→昭和 5 年 7 月禁止・内務省へ返戻後、12 年に移管。正本は山崎(属官) から上司へ提出。 転 ②-2 添付書類(内務省印、付箋) 「本郷区丸山橋山町一三、伊藤敬次郎が「画譜一千一夜物語」 ノ正誤表トシテ出版物ニ添付発送セルモノ(五枚)」) -9- ③特500-231『小作争議自由論』(工藤久米治著、北日本無産者筆耕局、昭和7.4) 副本? ③-1 表紙 警察部特別高等課→内務省へ 「九頁 満蒙政策は大衆に血税を強制する大衆犠 牲の政策とす 其他四〇頁五三頁は非合法小作争 議を示唆せるものと思料」「禁止可然哉」 ※「警保局」の印があるのは、現在までの調査で はこの一冊のみ。 可 不 載 ④特500-213『上海事変のその次の問題』(北村佳逸著、改善社、昭和7.4) 転 副本 ④-1 願書 (削除再発行のため、禁止箇所の開示 を求める) - 10 - ④-2 封筒(航空便) ④-3 内務省箋 「不穏箇所左記頁なる旨大阪府を通じて通達可 然哉」「仰裁」 「四月二十五日大阪(中條)電話済」 ※事務官は生悦住求馬(『 出版警察法概論』等) 可 不 ⑤特500-807『ダンサー』(国枝史郎著、春陽堂、昭和8.7、日本小説文庫313) 載 転 ⑤-2 ⑤-1 見返し 削除処分(7 月 22 日)→春陽堂は書 店に通知せず→未削除本を店頭で発 見→警視庁から取り締まりの徹底の ため、禁止処分の希望。 8 月 15 日改 めて処分。 書店向けに作られた削除依頼のハガキ (春陽堂) - 11 - 正本? 『発売禁止 閲覧制限 図書函号目録』 ↑表紙 可 不 ↓安寧ノ部 P.1 ~ 2 載 転 - 12 - ↑禁函 P.1 資料 ■『読売新聞』 □大正 6・ 11・ 17 5 面 「『検閲済』に溜る埃/納本が七つの倉庫に一杯/内務省で利用の講究/堀 切図書課長語る」 ・堀切図書課長:「 十数年来本省に納本したものは 新聞雑誌が三棟の倉庫 に、 其他の書籍類が四棟の 倉庫 に一ぱいとなつて、冊数にすれば七十萬もあつて、今後益増加する一方であるから今迄通り永久 保存の方針を執るとすればまだ/\幾つも新しい倉庫を建増さなくてはならない 」。「納本になつた もの一部宛は内務省に在つて 時々参考のために引つ張り出して見る必要のある場合もあり、何から何 まですつかり外へ廻してしまふ事も考へものである」。 ・「 本省で保管してある分は皆検閲済の物だから、 中には諸処に朱線などを引いてあるのが少なくな いこんなものを図書館などに出すと云ふ事も考へなくてはならない」。 ・「 市の各簡易図書館に分配する事も考えてゐるが、簡易図書館などでは新刊物こそ欲しいだらうが、 十年も二十年も以前の出版物を沢山収容する程の必要もないと言ふだらう」。 ・「発売禁止になつたもの に対する方法も考究すべき問題であらうがこれは全体に比べると極めて数 が少ない今でも此等は別の取扱がしてある」。 可 □昭和 8・ 8・ 11 2 面 「思想対策に納本を活用/警保局で準備」 ・「 内務省警保局は思想対策の一部として現在同局に 納本されてゐる単行本及び新聞を活用 して思想 の動向及び不穏思想究明の資料たらしむべく過般の予算省議に資料室設置費を要求したが」通らなか った。 ・「 従来は一部を図書館に寄贈する外その儘倉庫内に埋蔵され 発売禁止処分を受けた出版物 を始め中 には思想対策上貴重な資料となるべきものあるに拘らずこれを再活用する途が無い」 不 載 ■『朝日新聞』 □大正 11・ 12・ 26 「蔵書を整理して警保局の図書館/思想物や文芸物まで/系統別に四萬のカー ド及び新聞雑誌記事の目録も完成」 ・「 書庫の裡に貯へて居る内外の書籍を基礎として図書課の中に近く図書館を完成する事になり目下 唐澤事務官が主任とな」る。 ・「 四萬枚のカード目録 」「 : 単に書物の索引と云ふのでなく或る思想、或る文学及び事件に関する書 目を系統的に列挙したもの 」。「小作争議に関する論議報道が新聞雑誌に現れた場合には、これを纏 めて切抜き更にこの論議この報道が其当時の社会にどんな風に開展し影響を与へたかとの結果にまで 調査の手を延ばさうとするのである」 ・石原図書課長:「 金の一切かゝらない小図書館を計画 」「書籍は集らなくとも系統的目録だけは四 萬冊許りのを作る筈だ」 転 □昭和 9・ 12・28 「発禁図書館の試みは如何?/中里図書課長と一問一答」 ・内務大臣に雑誌の傾向を訊ねられ 、「三四ヶ月前に問題にしてゐた 」「リアリズムでせう」と答え てしまい 、「答弁に窮した」エピソード:「 私の所はカツト専門で、傾向とか問題を調査する余裕が ない のです。」 ・「 時代のカレントを観測する意味で、出版物に現はれた傾向を、あるがまゝに観測し得る機関」の 必要性:「 さうした機関と一緒に、 発禁物は何でも一切の文献を保存して行く図書館を設立する必要 が絶対にあります。震災の時みたいに焼かれてしまつては困るから、東京と京都二ヶ所位欲しいです。 - 13 - 一昨年から提案してをるのですが、一昨年は省議で、昨年は局議でつぶされましたので、今年は提案 をよしました 。」「国内文化の傾向をあるがまゝに知り得る統一された調査機関のないのは如何にし ても残念です。」 ■『日本古書通信』 □昭和 12 年 3 月 1 日、第 714 号 「内務省納本を東京市立図書館へ配給」 日本全国で出版された図書は全部二冊宛内務省に納本され、その中一冊は上野図書館へ、一冊は内 務省に保存される事になつてゐるが、その内務省永久保存の一部も今度東京市立日比谷、駿河台、京 橋、深川の四大図書館へ配給 される事になつた。 数年前にも一度配給された事があるが今後は毎週配給される由。」 ■ 太田真舟「戦前の納本・検閲――内務省の発禁本について―― 」『 ( 日本古書通信』昭和50年10月1 5日、第378号) 「多少、事情を知つてると想像される某先輩」に聞く。 ママ 「余り発禁の対称にならない出版物、殊に官庁出版物の図書は納本の日が遅れても、事情を話して、 訂正し捺印して、受理して貰うことは容易であつたように聞いている。だから、現在、国会図書館の 書庫一階に所蔵されている旧上野図書館の内務省移管の図書(内交=内務省交付の意=の二字と受入 年月日が印で押されて、購入の図書と区別されてると大部前に聞いたが、内交なんて言葉は広辞苑に も載つていない)に納本の月日が訂正されていれば、それが正式に法定の納本の月日であるが、市販 された図書は訂正されていないらしい。」 「図書を持参して納本の場合は旧内務省(現在の人事院ビルで、人事院・自治省・警察庁が同居する 建物)の受付の係員(今の国家公務員と違つて、身分階級制度の厳しかつた昔では、雇員か傭人であ つたろうが、受付は実に威張つていた記憶がある)の後の壁に、五十センチ四方位の窓口があり、受 理すると奥付をすぐ調べるのである。それから先は、聞く処によると、検閲は内部で、図書と雑誌と 新聞の三部門に分れ、各分野の眼光紙背に徹する(今では用いられない言葉だが)担当者が、更に各 専門の分野を受持つていたとのこと。担当の実務官は首席属以下の判任官( 今の若い人は知らないが、 昔は判任官に任命されると=高文を通つたエリートコースは例外=赤飯で祝つたと言われるのも、任 官すると恩給の受給資格ができるので、判任官の下に、恩給を貰えない、雇員・傭員・嘱託・給仕・ 小使と別れており、今は正式に公務員になると、すぐ、共済年金の受給資格が生ずるのとは雲泥の差 である)で、朝早くから、夜遅くまで、残業手当もないのに、熱心に仕事をしていた。 私が行つたのは、内務の玄関を入つて、階段を数段上つて、直ぐ右に折れて(警視庁の方へ)廊下 を進み、つき当つた左側の図書課の一室で、そこの首席属は雑誌検閲のエキスパートで、いつ部屋に 入つても、鉛筆を片手に持つて、熱心に雑誌を読んで、印をつけていたのが心に残つている。該当の 箇所があると、各頁の余白殊に上部に詳細に記入して上司に廻していたらしい。これは恐らく内務省 に残すもので、上野図書館に移管になつた発禁図書に書いてあつたかは知らない。その精微なことは、 一二度内々に見せて貰つてびつくりしたほどである。なぜそんなことが出来たかと言うと、私が図書 課に行つたのは準公用である上に、学校時代の親友(召集戦死)がおり、便宜に取計つて呉れたから である。検閲の結果は、見返しに「×××××相成可然哉」と警保局長、課長、係長、検閲担当者の 印が押されて決裁されたが、 発禁の他に、削除、抹消、次版改訂、次版写真削除、発行者注意等色々 に分れていたようであるが、記憶も確かでないが、発禁の場合でも、余り関係者の捺印は多くなかつ たようである 。この決裁のある図書は、戦後の混乱期に、 神田の古書店で、無難に検閲をパスしたの を一二冊見かけただけで、問題のある図書は見かけなかつたので一般への流出はほとんどなかつたと 言つてよい。余白に書き入れた文章は担当者の意見は最後に書かれてあるが、参考事項などは詳細で、 びつくりして、博識振りに頭が下る思いがした。」 可 不 載 転 - 14 -
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