No.212 平成27年4月

第212号
発 行 埼 玉 県 神 社 庁
編 集 庁 報 室
印 刷 ㈱アサヒコミュニケーションズ
杜の味めぐり(十三)…
…………………………………
庁務日誌抄………………………………………………
「神主さんと神社を学ぼう!」報告 …
…………………
10
9
神道婦人会活動報告……………………………………8
埼玉県神道青年会会長就任挨拶………………………8
教育関係神職協議会事業報告…………………………7
一都七県神社庁連合会総会報告………………………7
トーリー募集企画報告 …
……………………………6
ス
『わたしの・我が家の神だな物語 』
平成二十六年度教養研修会……………………………4
戦後七十年にあたって思うこと………………………2
目 次
さいたま市大宮区高鼻町1-407
電話048(643)3542
11
(平成27年₄月30日)
埼 玉 県 神 社 庁 報
1 №212
( )
「神主さんと神社を学ぼう!」
埼玉県の神社紹介 ₃月28日
埼玉県神社庁ホームページ:http://www.saitama-jinjacho.or.jp/
2 №212 ( )
埼 玉 県 神 社 庁 報
(平成27年₄月30日)
笹 幸 恵
合った戦争経験者の方から話を伺い、自分の
皮膚感覚として戦史を理解していくことだっ
た。
今年は日本が敗戦を迎えてから七十年にな
る。当時を語ることのできる人も少なくなっ
てしまった。十年後、すなわち「戦後八十年」
になったとき、大東亜戦争を戦った人は一人
も残っていないかもしれない。本当は、今こ
そ「あの戦争は何だったのか」を考えなけれ
ば な ら な い。 時 す で に 遅 し、 の 感 が あ る が、
それでも何もやらないまま時が過ぎるよりは
マシである。
日本はこ れまで、「臭いものに蓋 」とばか
りに、あの戦争から目をそらしてきたように
思えてならない。他の世代の方々はどうかわ
からないが、少なくとも私は近現代史を学ぶ
ことなく社会へと出た。とりわけ若い世代は、
まるで戦争が無かったかのように日常を営ん
でいる。今が平和であることの何よりもの証
なのかもしれないが、大学生に聞いてみると、
戦争とはヒロシマ・ナガサキ、またはオキナ
ワであって、それ以外のことは全く知らない。
戦争が話題にならないわけではない。しか
し、それは絶対悪として批判する場合がほと
んどで、それ自体が検証の対象になることは
なかった。戦後生まれの私達は、それゆえに
大東亜戦争を見つめ直す何らの視点も持ち合
戦後七十年にあたって思うこと
戦後三十年も経ってからこの世に生を享け
た若輩だが、私は祖父母の世代が戦った大東
亜戦争に関心を抱き、この十数年、かつての
戦地をあちこち巡っては戦史をひもとき、ま
た戦争経験者へのインタビューを繰り返して
きた。
訪 れ た か つ て の 戦 地 は、 十 数 か 所 に の ぼ
る。対米戦の転換点となったガダルカナルを
はじめとするソロモン諸島、パプアニューギ
ニアのブナやココダ、海軍陸戦隊が全滅した
ギルバート諸島のタラワ、現在では米軍基地
になっているマーシャル諸島クエゼリン、海
軍最大の泊地だったトラック環礁、そしてサ
イ パ ン や テ ニ ア ン、 ペ リ リ ュ ー、 硫 黄 島 …。
なぜこれほどまでに戦跡地を訪れたかと言え
ば、私自身、史料を読むだけでは知識が全く
頭に入らなかったからだ。
なぜ国家存亡の危機に陥るような戦争が
あったのか。学校の授業ではその理由がわか
ら な か っ た。 そ れ ど こ ろ か、「 君 た ち の お じ
いちゃんの世代は悪いことをしたんだよ」と
先生から教わり、なぜ私の祖父を知らないは
ずの先生がそう断定できるのか不思議だっ
た。社会人になってからようやく戦史を手に
取るようになったものの、軍隊 用語や組織、
戦闘地域の地名はちんぷんかんぷん。苦肉の
策として編み出したのが、戦跡を巡り、知り
わせていない。結局、よくわからないという
理由で、目をそむけ続けているのである。
芥川賞作家の野呂邦暢は、著書『失われた
兵士たち』の中で次のように述べている。
「 敗北はにがい、敗北は屈辱である。敗北は
きたなく、苦痛と恥辱に満ちている。できる
ことならそれから目をそむけ、さっさと忘れ
るにこしたことはない。しかし、そこにとど
まっているかぎり敗北者は永久に卑小な敗北
者に過ぎない。
我々は愚行をおかし、錯誤と悪行もかずか
ぎりなく繰り返したゆえに戦いに破れたので
ある。過去のあやまちを直視するには勇気が
いるかもしれないが、我々がもしかしたら偉
大になる機会があるとすれば、かつての愚行
とあやまちをたじろがぬ目で直視することの
中にしかあるまい」
そしてこうも綴っている。
「 反省とは戦後、連合国が日本に要求したよ
うな侵略者としての日本を自認することでは
なくて、戦争のなかにおける自己の客観化で
ある」
戦後日本は、それこそ連合国が要求した「侵
略者としての日本」を自認し、言われるまま
に謝罪を繰り返す卑小な敗北者だった。自分
を安全の高見に置いておきながら、戦争を絶
対悪として批判すれば、世の中ではインテリ
と呼ばれる風潮さえあった。それはもしかし
たら、日本人が敗戦という恥辱から目をそら
すための手っ取り早い方法であったかもしれ
ない。
しかし七十年が経過した今、それとは全く
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( )
逆の現象が起きているように私には感じられ
る。竹島問題や尖閣諸島問題をはじめ、日本
を取り巻く周辺環境が変わってきたことは誰
もが実感しているだろう。そのことで、国防
や安全保障体制に目を向ける人が多くなって
きた。それ自体は健全だと思う。問題なのは、
愛国心を声高に叫び、周辺諸国の人々や在日
外国人へのヘイトスピーチを行う者まで出現
していることだ。そして「保守」と呼ばれる
人々は、少し前までは反韓反中一辺倒で、最
近は朝日新聞叩きに熱中し、どんどん過激に
なり、もはやその言動はかつての左翼活動家
と何ら変わりがないように思える。
それが正しい日本の在り方だろうか。英霊
の望んだ日本の姿だろうか。
保守を自認するなら、今後の日本の行く末
をあやまらないためにも「戦争のなかにおけ
る自己の客観化」を始めなければならない。
それは間違っても自らを強者であるとアピー
ルすることではない。威勢の良 さが「保守」
の証であるかのように思っている人がいるな
らば、それは甚だしい勘違いというほかない。
では、「自己の客観化」とはどう いうこと
か。私は、見たいものしか見ない眼鏡を外し、
まずは虚心坦懐に歴史を学ぶことだと思って
いる。数少なくなった戦争経験者の体験に真
摯に耳を傾けることである。自分にとって都
合の良いことも悪いことも、いったんはすべ
て呑み込む(これは決して簡単ではないけれ
ど)。そのうえで、「自分だったらどうしてい
たか」と、我が身に引き付けて考えてみるこ
とである。またなぜそうなったのか、検証を
繰り返していくことである。そうして「愚行
とあやまち」を直視したならば、そこから教
訓も見えてくるはずだ。
一新聞を叩きまくったところで、日本は正
しい道を歩めるわけではない。むしろ未来に
言論弾圧の汚点を残すだけである。そもそも
新聞を読んで「この主張はおかしいぞ」と思
うだけの常識を国民一人ひとりが身につける
にはどうすればいいか、それを考えるほうが
先決ではないだろうか。
私は、戦後七十年の日本の歩みは、米国に
面倒を見てもらう「半人前国家」としての歩
みだったのではないかと思っている。敗戦直
後、日本が立ち直るには、まず経済を復興さ
せることが喫緊だった。そして米国との同盟
関係に守られ、今に至っている。しかしその
歩みの中で、日本人は自らの力で自らの国を
守るという気概を失ったように思えてならな
い。
ちなみに終戦の年から七十年前といえば、
明治八年であり、日本は近代国家として歩み
始めたばかりの頃だ。各地で内乱があり、の
ちに西南戦争が始まっている。その後、欧米
列強がひ しめく国際社会の中 で、日清戦争、
日露戦争、第一次大戦、支那事変…と立て続
けに戦争をしている。その経過を踏まえれば、
ここ七十 年もの間、「戦後」が続 いたのは驚
くべきことである。しかし戦後七十年間、戦
争 が な か っ た か ら と 言 っ て、 こ れ か ら 先 の
七十年、同じような状態が続くとは限らない。
日米同盟は永久不変ではない。それは歴史
をひもと いてみれば明らかだ。「 バスに乗り
遅れるな」を合言葉に三国同盟を結んだ結果、
日本はどうなったか。旗幟鮮明にしたことで
連合国との対立は決定的になった。しかしナ
チス・ドイツの勢いは永久ではなかった。た
とえば今後、米国の勢いがなくなり、凋落し
ていく可能性はゼロではない。日本は健気な
伴侶として米国と運命を共にするのだろう
か。
また、日本の敗北の前に、一方的に中立条
約を破棄して侵攻してきた国はどこだった
か。条約などいざとなれば反故にされるのだ
という危機感くらいはつねに持っていなくて
はならない。
いずれにせよ、日米同盟を盲信していたの
では自主独立の気概など夢のまた夢だ。そも
そもお人好しに過ぎやしないか。たった七十
年前、この同盟国は我が国に原子爆弾を落と
し、多くの都市を空襲で焼き払い、数十万人
にも及ぶ民間人を殺したのだ。隣国のように
いつまでも恨みつらみを言うべきではない
が、この事実は日本人として胸の奥にしっか
りと刻み付けておくべきだろう。
海軍兵学校六十七期、海軍大尉で終戦を迎
え、卒寿を超えた今もなお現役で戦史研究を
している市來俊男氏はこう述べている。
過去の歴史は現在を照らす 鏡であり、将
「
来の道への導灯である」
あの戦争とは何だったのか。日本に何をも
たらしたのか。そして命を賭して戦った先人
達は、どんな日本を守ろうとしたのか。それ
を考えることこそ、英霊に報いる唯一の方法
である。 (ジャーナリスト)
三月五日、川越氷川神社の氷川会館にて埼
玉県神社庁主催・同教化委員会 主管により、
教養研修会を開催しました。
主管である教化委員会の任期のテーマに沿
い、主題を『神葬祭について』としました。
在の神葬祭を含む葬儀全般を見渡すと、
現
近年は高齢化が進み、多くの人々が人生の終
わり方に深い関心を寄せていますが、葬儀に
関しては核家族・無縁社会の進行によるもの
か、伝統宗教の影響力が薄れ、昔からの葬儀
形式には拘らず、家族葬や無宗教の葬儀が選
択され、埋葬についても樹木葬や散骨といっ
た方法が現れています。人々の死生観が曖昧
なままにその形は大きく変化しており、また、
神葬祭はかねてより霊魂観の不統一や各地の
葬儀習俗の重視などから、主に地域差が際立
ち、一定の統一は見られるようになったもの
の課題は少なくありません。
今回の研修会ではこうした課題を明らかに
し、改めて事の本質である死生観・霊魂観に
ついて学ぶとともに、更に、本県神社庁各支
部では神葬祭を主題とした研修会は活発に行
われていますが、神社庁主催での研修は平成
十年を最後に開催されていないことから、こ
れ以降の神葬祭祭式について考究されてきた
成果についても研修企画を致しました。
当日は百四十二名の参加者のもと、研修内
容として、埼玉県神社庁研修所講師岡本一雄
先生、埼玉県神社庁祭式講師高梨佳樹・千島
直美両先生をお招きし、講演と神葬祭祭式の
平成二十六年度教養研修会
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埼 玉 県 神 社 庁 報
(平成27年₄月30日)
神 島 歩
実践、又、県内神職による神葬祭事例報告が
されました。
●「家庭祭祀における神葬祭の現状と課題 ~歴史を踏まえ実際の事例から考える」
岡本一雄先生
師岡本家の神葬
講
祭における歴史は古
く、既に文久年間に
は敬神崇祖の理念を
布教する神葬祭運動
を展開し、大正末期
には幽冥主宰大神を
祀る「惟神会」を結
成され、昭和四十九
年には北向神社宮司
家祖霊・惟神会会員
を祀る「惟神祖霊社」を創建されました。
先生は、大学卒業後、埼玉県教育局(文化
財保護行政)に入局の傍ら、北向神社宮司と
して神葬祭について研究されました。講演で
は、葬送意識の変遷や日本人の霊魂観を踏ま
え、神葬祭は仏葬の模倣ではないことを、具
体的な葬儀式や死生観を通して再確認し、神
葬祭の現状と課題を述べられました。
葬儀の歴史と神葬祭運動
葬儀については、すでに縄文時代には、死
霊による生者への災いを避ける為、死者の霊
を閉じ込める屈葬という形がみられる。その
後、弥生時代後期になると死者に対して蘇り
の期待とさまよう魂を鎮めるモガリが始ま
り、仏教伝来以降は、火葬の広まりや古墳か
らは銅椀などの副葬品から仏葬儀礼が確認さ
れる。
鳥時代には、天武天皇が崩御された際、
飛
初めて天皇の葬儀に仏教が関与して以来、明
治天皇が崩御されるまでの約一千二百年もの
間、皇室の葬儀に仏教が関与した。特に、江
戸時代、
二百五十年間にも及んだ寺請制度は、
仏教各宗の教義や仏式による葬儀を、広く国
民の生活に定着させた。
かし、近世後期に起った神葬祭運動は、
し
神官たちに古代からの死生観についての再考
を強くうながした。つまり寺請制度や仏教に
任せた葬祭について疑問を提起し、身体の清
浄を専らとする神職に対し、死の不浄、死穢
からの単なる盲目的逃避を諫めると理解すべ
きである。この神葬祭運動は仏教のみの葬祭
式からの解放を願う意識の高い国学思想の醸
成によるものと考える。
そこには、日本人が仏教以前から変わらず
持ち続けてきた霊魂観があり、それを本居宣
長・平田篤胤・岡熊臣・千家尊福・柳田國男
らの考え方を例に挙げた。
神職による神道宗門独立への運動は、近世
後期特に寛政から、天保の頃にかけて全国的
に活発となった。武蔵国では秩父郡、榛沢郡、
児玉郡などで実行された。
明治維新後に寺請制度は廃止され、神葬祭
が急に増加しながらも、明治十五年の内務省
達により神社は宗教に非ずとされ、官国幣社
の神官の葬儀関与が禁止となった。以来、終
戦時まで上級神職は関与せず、府県社以下の
神職が従前とおり執行した。戦後、漸くすべ
ての神職が神葬祭に関与出来るようになった。
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埼 玉 県 神 社 庁 報
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霊魂観と人生儀礼
本人の霊魂観では、母体に魂 が身籠り、
日
はじめて命が生じる。赤子が誕生すると様々
な魂を育むための産育儀礼が執り行われ、立
派な青年となり地域を支える成人となる。
こうして節目ごとに様々な人生儀礼を経な
がら、その後、歳を経るごとに魂は枯れてゆ
き、老いを迎え、あの世に向かう準備をする。
魂が離れると帰幽となり、葬送儀礼が行わ
れ、死者の霊魂を遺族がねんごろな年祭(供
養)をすることによって、この世の執着心を
和らげ、死霊から生々しい人間臭さが取り除
かれ、清い魂へと昇華してゆく。多くの人は
この安定した魂の状態を祖霊になったとか、
仏教では成仏したという。
本庄児玉地方の神葬祭の現状と課題について
葬 に つ い て、 昭 和 四 十 年 代 は 土 葬 が 多
埋
かったが、五十七年に火葬場が設営され、火
葬が一般的となり、現在、土葬は皆無となっ
た。また、通夜の翌日、葬儀の前に遺体を火
葬するのが一般的となっている。
神葬祭では通夜祭に遷霊を行うので問題は
無いが、仏葬では葬儀当日に、死者を仏道に
導くため引導を渡すため、遺体が火葬されて
いては問題があると思われる。しかし、僧侶
は葬儀前に火葬する事を問題にしていない。
その理由として、かつて本庄児玉地方では
火葬後に丁寧な葬列を組んで埋葬していた。
夕方に葬列を組んで埋葬することを重視する
あまり、午前中に火葬して葬儀告別式を執行
しても不思議に思わなくなったと思われる。
神葬祭は地域の慣例を重んじて執行されて
いるので、特に氏子(神徒)から異議が出ず、
神道の儀式をもって執り行えば問題は無いと
思われる。しかし、地域や神職によって大い
に差異があることを承知し、多種多様な情報
を収集しておく必要がある。
その他、課題は多数あると思われるが、神
職一同が各地域や各神職の意見を尊重し、成
したる事に理由が付き、神道的に大きな問題
がなければ許容範囲であるとすべきと思う。
●「神葬祭祭式の実践について」
高梨佳樹・千島直美両先生
教化委員会では、平成十年以降、神社庁主
催による神葬祭研修は開催されていなかっ
た。神葬祭における教学的な研究は多岐にわ
たるため、主に支部内で行われてきた。しか
し な が ら 祭 式 に つ い て は、 県 内 に 於 い て も
様々な葬儀習俗がある。
回 は、 平 成 十 年 当
今
時、教化委員会祭儀研究
部により発行された『神
葬祭(増補)~県内にお
け る 神 葬 祭 実 践 提 示 ~』
の冊子をテキストに、高
梨・ 千 島 両 先 生 の 指 導・
解説のもと、岩田勝宏祭
式助教・宮﨑博之・橋本
真人両助教補により、「遷
霊 祭 」「 葬 場 祭 」 の 実 演
に併せて、中啓と神依板
を使用した遷霊の作法を
行った。
に 遷 霊 に つ い て は、
特
葬儀習俗の違いからか関
心が高く、多くの質疑が
あった。
●県内神職による神葬祭事例報告
地域性も含め、①過去と現在での神葬祭の
違い②地域の現状③葬祭奉仕の時間④葬祭次
第⑤葬儀の特色などについて、須長宜久吉見
神社宮司(熊谷市)・甲田豊治秩父神社権禰
宜( 秩 父 市 )・ 土 屋 一 彦 氷 川 社 宮 司( さ い た
ま 市 )・ 小 林 威 朗 久 伊 豆 神 社 禰 宜( 越 谷 市 )
の四名の神職から事例報告がなされた。
まとめ
近年の葬儀形態をみると、主にセレモニー
ホールで執り行われることが多く、従前行わ
れてきた自宅葬と比較すると喪家や地域との
関わりが薄くなり、今後葬儀自体が軽視され
る危険性もあります。喪家や葬儀業者にも神
道に関する霊魂観や先祖を祀る意義を説き、
神葬祭について理解を深めていただくために
も、研修等を通し我々神職が神葬祭について
研鑽していかなければなりません。
なお、詳しい内容については、後日、ホー
ムページにて報告致しますので、ご覧下さい。
(教化委員会研修部班長)
教化事業部では、今期のテーマである「氏
神・産土神信仰と家庭祭祀の教化」の一環と
して、従来のホームページよりも二十代から
四十代の利用者が多いとされるフェイスブッ
クに、「感謝と祈りのある風景」 のページを
開設し、神棚や氏神様にまつわるストーリー
を、主に神職から集めて発信して参りました。
この事業を更に発展させるべく、今年度は、
平成二十六年十一月一日より本年二月二十八
日 ま で の 四 カ 月 間 に わ た り、『 わ た し の・ 我
が家の神だな物語』ストーリー大募集として、
一般の方々から神棚を設けたきっかけや、神
棚との関わりなどの物語を、神棚写真と共に
広く募集する企画を実施致しました。
神社庁ホームページやフェイスブックペー
ジ「感謝と祈りのある風景」、県 内神社への
ポスター掲示、月刊公募ガイドへの掲載等で
告知致しました。応募総数は三 十七件あり、
入賞者には、県内別表神社の御朱印帳を贈呈
致しました。
応募写真の中には、神職の家庭以上に立派
な神棚をお祀りされている方がいる一方で、
宮形も無く、カーテンレールの上に神札を並
べている方や、カラーボックスを神棚として
神札をお祀りしている方もありました。
また、親から自分へと受け継がれた神棚を、
子供や孫へと受け継いでいこうと努力されて
いる方や、神棚を設けてからとても幸せにな
られたという方など、心温まる物語や色々な
アイデアで神札を日々大切にお祀りされてい
る様子を伺うことができました。
神職である私達でも一般家庭の中の神棚を
目にする機会は少なく、今回の企画で、たと
え三十数点でも、その実態を目にする事が出
『わたしの・我が家の神だな物語 』
ストーリー募集企画報告
来た事は大きな収穫であると思います。是非
原
泰 明
とも、フェイスブックページの「感謝と祈り
のある風景」をご覧頂けると幸甚です。
また、入賞作品の内、十五点の写真と物語
をパネルにし、三月二十八日に武蔵一宮氷川 ご覧頂いた神職の中には、安易に神札をお
神社で開催した「神主さんと神社を学ぼう!」 祀りしていると思われる方もいらっしゃるで
で、入賞作品展を行い、多くの方にご覧頂く しょうが、今回、お祀りする形態は様々でも、
大切にしようとする心は変わらないという事
ことができました。
を改めて認識しました。
今回の企画が、一般の方、特に若い世帯に
おける、利用者として神棚に寄せる感覚や意 「安易」イコール「信仰心が薄い」ではなく、
識をありのまま取り上げることによって、ご 「経験が浅い」という事ではないでしょうか。
覧 に な ら れ る 神 棚 未 奉 斎 者 の 神 棚 に 対 す る 信仰心は、日々神々に手を合わせ、お祀りす
ハードルを下げることになり、神棚と共に生 るという経験によって培われるものであると
きている人たちの気持ちや、奉祀の方法を示 思います。多くの家庭で「安易な神棚」が普
すことが、少しでも神棚普及につながる事を 及しているのであれば、これを現実と受け止
め、これを足掛かりとして、寛容の心で家庭
願っています。
祭祀の普及を目指す事も必要であると思いま
す。 (教化事業部班長)
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埼 玉 県 神 社 庁 報
(平成27年₄月30日)
(平成27年₄月30日)
髙 橋 信 和
去る二月二十四日、群馬県伊香保温泉「ホテル木暮」を会場に、北
白川道久神社本庁統理、鷹司尚武神宮大宮司、大澤正明群馬県知事(代
理)、中曽根弘文参議院議員を来賓に迎え、一都七県神社庁連合会総
会が開催された。
開会式では、次期開催県の根津泰昇山梨県神社庁長が、榛名神社参
拝の報告をされ、その後、当番県の奥澤公慶群馬県神社庁長が挨拶を
された。
総会では、奥澤庁長の議事進行の元、三つの議案が承認され、その
後、宣言が決議された。
総会に引き続いて、茨城県・千葉県・栃木県・神奈川県の代表者が
意見発表を行った。
茨城県神社庁協議員の東俊二郎氏は、「式年御船祭雑記」
まず始めに、
と題し、鹿島神宮で十二年毎に行われる式年大祭御船祭の概要につい
て発表された。
に、千葉県神社庁教化委員会事業部会長の岡野大和氏は、「麻文
次
化継承の啓発に関する件」と題し、麻は神社神道に欠くことのできな
い神聖かつ重要な植物であると説き、国産麻の栽培は年々減少してい
るが、消失させてはならないものであり、斯界もその再興に向けた積
極的な活動を展開すべきであると訴えられた。
に、栃木県神社庁教化委員長の小林靖氏は、
次
「各神社の広報活動から見た神宮大麻増体の現状」
と題し、マスメディアを通じ、初詣や神宮大麻奉
斎の広報活動が活発に行われているが、神宮大麻
の頒布数の減体に歯止めがきかないと実情を話さ
れ、視点を変えた施策が必要であると訴えられた。
後に、神奈川県神社庁教化委員長の志村幸男
最
氏 は、「 青 少 年 に 対 す る 教 化 育 成 事 業 に つ い て 」
と題し、神奈川県神社庁と自身の奉務神社で取り
組まれている教化育成活動について発表された。
見発表の後には、参加者が一堂に会して懇親
意
会が行われ、和やかな雰囲気の中お開きとなった。
(神社庁主事補)
一都七県神社庁連合会総会報告
埼 玉 県 神 社 庁 報
7 №212
( )
教育関係神職協議会事業報告
小 柴
清
平成二十六年三月末、皇太子殿下が全国育樹祭で前年十一月にご
来県された記念として、会員の各奉務神社に桜の苗木(神代曙)を
二本ずつ配布し、各社で記念植樹を行いました。それぞれの桜の木
に記念のプレートを取り付け、末永く育てていきたいと思います。
四月二十九日、深谷市の熊野大神社(栗原時雄宮司)で開催され
た、「お宮と親子の集い」に、会員と共に現地研修会を行いました。
親子がいっしょになって楽しみ、鎮守の杜と氏子の結びつきを実感
しました。
五月二十五日、当会の定期総会を、川口市の東沼神社(鯨井幸典
宮司)で開催しました。まず、境内の富士塚に参拝しました。議事
では、事業・決算の報告及び事業計画(案)・予算(案)が承認さ
れました。その後、当会顧問の島田道郎長井神社宮司を講師に、榊
の植樹について、懇切丁寧なご指導受けました。
十月四日計画しておりました「教員になるためセミナー」は、残
念ながら希望者がなく、取りやめになりました。今後も教育現場に
神職の子弟が奉職し、教育改革に寄与することを願っております。
全国教育関係神職協議会の関係行事として、現職教員研修会では
「道徳の教科化」、関東ブロック研修会では「教科書の検定・採択」
について研修致しました。
また、中央研修会では「日本人の誇り、日本の教育」について意
見を交換しました。大会では「我が国の伝統文化を受け継ぐ環境を
作っていく」との宣言が採択されました。
二十七年六月二十七日十時三十分より関東ブロック大会を大宮の
武蔵一宮氷川神社で開催します。茂木貞純國學院大學教授と持田倫
武深谷市立花園小学校長をお招きして教育と宗教について勉強会を
開く予定です。この研修は会員以外の神職も参加できます。
これからも、鎮守の杜と氏子の結びつきを大切にし、奉務神社の
護持運営について会員相互の研鑽を図っていきます。神社を通じた
埼玉の教育に貢献できるよう頑張る所存です。ご支援とご協力をお
願いします。 (教育関係神職協議会会長)
8 №212 ( )
東⻆井 真 臣
この度、嶋田久仁彦会長の後任として、第二十四
代会長を拝命致しました。私自身、元より浅学非才
の上経験乏しく、会の歴史や諸先輩方の功績を鑑み
ますと、会長としての職責の重さを痛感しておりま
したが、たっての御推挙黙し難く大役をお受けする事となりました。
先輩諸兄に御指導頂き、大過なくその責を果たせるよう、会の発展
の為、一層専心努力をして参る所存でございます。今後とも皆様方
に見守り頂き、御指導御鞭撻賜りますようお願いを申し上げます。
当会は研修部、事業企画部、事業発信部、時局対策室の四部門に
分かれております。事業企画部では御神田事業の御田植祭、抜穂祭
を通じての対外教化事業、研修部では禊錬成研修や各種勉強会の開
催、事業発信部では「渓流」や「神青ジャーナル」発刊、フェイス
ブックを通じての広報教化や活動報告、また時局対策室で英霊顕彰
慰霊事業を行う予定でございます。
殊に本年は大東亜戦争終戦より七十年の節目の年を迎えます。靖
國神社・護國神社の御祭神に感謝の誠を捧げ、御霊の平安を祈る事
は国民当然の責務であり、英霊の慰霊顕彰は青年会の活動の柱の一
つでありますので、今まで以上に活動に励んで参る所存です。時局
対策室が中心となり、埼玉県内にある忠魂碑等約七百基を調査、戦
争の足跡を纏め資料集を作成する予定でございます。その為には勿
論会員一人一人の御協力が必要となりますので、お力添え何卒宜敷
く御願い申し上げます。
我々、青年神職に課せられた責務は大であります。これからも青
年神職の自己研鑽の場であると共に、斯道の興隆、神徳の宣揚の為
に、挺身努力致す覚悟でありますので、今後も倍旧の御指導御鞭撻
賜りますよう重ねて御願いを申し上げまして、就任の御挨拶と致し
ます。 (武蔵一宮氷川神社権宮司)
埼玉県神道青年会会長就任挨拶
埼 玉 県 神 社 庁 報
(平成27年₄月30日)
神道婦人会活動報告
竹 本 多惠子
平成二十六年度の活動を御報告いたします。
ホテル椿山荘東京の茶室「残月」
(国登録有形文化財)
五月十九日、
において茶道体験をしました。これは、千利休の屋敷にあった「残
月亭」を模して造られたもので、神社と同様に悠久の時の流れを感
じさせて戴きました。
六月二十一日・二十二日の二日間、社叢学会が開催した「東日本
被災地の今」に五名で参加させて戴きました。宮城県多賀城市で、
貞観津波が及ばなかった地点を示す「末の松山」、「沖の石」などを
見学し、竹駒神社を正式参拝しました。翌日は同社にて津波被災地
社叢再生の研究発表を拝聴しました。
神社本庁に於いて開催された、全国女子神職協議会「教
七月三日、
養研修会」に七名で参加しました。
九月十八日、寳登山神社に於いて「祭祀舞研修会」を開催しまし
た。朝日舞十一名、豊栄舞十四名で熱心に行い、奉納舞で研修会を
修めました。
十一月二十八日、志摩郡磯部町鎮座の神宮別宮「伊雜宮」遷御に
二名で奉拝しました。当初は雨模様でしたが、遷御の時刻午後八時
には星空を仰ぐようになり、浄闇の中、お渡りになられ新宮にお鎮
まりになりました。
三月十七日、山梨県富士吉田市で開催された全女協関東地区研修
会に十三名で参加し、北口本宮冨士浅間神社に正式参拝、ハイラン
ドホテルで、富士山信仰
の研修をしました。
様 の 御 協 力 を 戴 き、
皆
平成二十七年七月をも
ちまして設立四十周年
を迎えます。今後も御支
援賜りますよう、お願い
申し上げます。
(埼玉県神道婦人会会
長)
杜 の 味 め ぐ り (十三)
ますや
住 所 吉川市平沼一四八
-九八二 -〇〇二二
電 話 〇四八
営業時間 十一時から二十時三十分
休 日 不定
定
糀家(こうじや)
住 所 吉川市平沼一七三
-九八二 -〇〇〇九
電 話 〇四八
十一時五十分から二十一時三十分
営業時間 定 休 日 不定
前号に引き続き芳川神社周辺のお店を散策
しました。古くから水運で賑わい、数多くの
川魚料理のお店が軒を連ね、「吉川の食道楽」
と称されていました。それぞれのお店が競い
合うように腕を振るい、江戸川・中川の豊富
な恵みを楽しむことができます。
まずは、創業百八十年の「ますや」に伺い
ました。伝統の技と味を代々守り続けていま
すが、時代に合わせて新しい風を取り入れて
います。入口を入ると土間が広がり、車椅子
にも対応した店内
は、 テ ー ブ ル 席、
座敷があり、気軽
なランチから宴席
まで楽しむことが
できます。五代目
の横川則雄氏がお
勧めする「なまず
コース料理」を注
文しました。程な
くすると、なまずの刺
身・天ぷら・たたき揚
げ・なまずの南蛮漬が
運ばれてきました。ま
ず、なまずの刺身にお
目にかかるのが初めて
で、驚きと同時にわく
わく感で食欲を掻き立
ててくれます。桜の花
びらを思わせる薄いピンク色で、上品に盛り
付けられています。薬味のネギと紅葉おろし
と共にポン酢でいただきます。まったく泥臭
さを感じることなく歯ごたえがあり、噛むご
とに独特な甘みが広がり、お酒のつまみに丁
度良い一品になっています。次に「たたき揚
げ 」 で す、 中 落 ち・ 骨・ 頭・ 肝 を 包 丁 で 叩
き、味噌で味付けしたつみれを丸めて油で揚
げたお料理です。吉川を代表する郷土料理で
すが、作り手により、味も、形もまったく異
なり、お店の特色が表われるお料理です。こ
ちらは細長く一見なまずを思わせる形をして
います。骨の食感と程よい塩味が、さっぱり
として美味しく食べられます。そして、なま
ずの南蛮漬は、甘酢で身がしまり、あっさり
とした味わいです。天ぷらも丁寧に揚げられ
たサックサクの衣に包まれた食材をしつこく
なく楽しめます。
に、「ます や」より歩いて五分 ほどの所
次
に創業四百年の料亭「糀家」があります。こ
こは近藤勇や勝海舟、板垣退助をはじめ、歴
史に名を残す人たちが立ち寄ったお店です。
雪見燈籠や赤玉石、草履脱ぎ石など当時のま
まに残した庭園や安藤広重直筆の掛け軸から
現代作家までの貴重な美術作品が数多くあ
り、料理と共に作
品も楽しむことが
できます。ここも
川魚料理のほか
様々な料理が楽し
めますが、お土産
用の「うなぎの朴
葉巻き」を購入し
ました。じっくり
と蒸し、自慢のタ
レで焼き上げたう
なぎが、ご飯に挟
まれています。店主がお家でも美味しく召し
上がれるようにと一つ一つ丹精込めて作って
います。ご飯に適度にタレが染み込み、上品
な朴葉の香りと粒山椒が牛蒡の歯ごたえと共
に口に広がります。他にも糀家に代々受け継
がれてきた「厚焼き玉子」など もあります。
お取り寄せもできますので、注文の際はお問
い合わせ下さい。
(庁報編集室 小林 充)
うなぎの朴葉巻き
(平成27年₄月30日)
埼 玉 県 神 社 庁 報
9 №212
( )
なまずコース料理
神職身分二級上・二級伝達式 於 大 宮「清水園」
於 神社庁
3・ 事業部会(藤沼班)
3・ ~ 神社庁祭祀舞指導者養成研修会
於 國學院大學
青木受講
3・ 群馬県神社庁庁舎竣功祝賀会
山庁長・前原参事出席 於 高 崎ビューホテル
中
3・ 神社庁長懇話会 中山庁長出席
於 グランドプリンスH高輪
3・ 全国神社庁長会・皇室普及委員会
於 神社本庁
前原参事出席
研修部会(神島班)
於 神社庁
3・
一都七県神社庁事務職員研修会
3・ ~
前原・宮澤・武田・髙橋
(信)
・髙橋
(寛)出席
於 群馬・伊香保温泉「H木暮」
3・ 児玉支部神職総会 前原参事出向
於 本庄・金鑚神社
3・ 教化事業「神主さんと神社を学ぼう!」
於 大宮・氷川神社
三万人来場
4・6 総代会会計監査会・役員会・評議員会
於 大宮「清水園」
於 神社庁
4・ 庁報編集会議
4・ 埼玉県宗教連盟理事会 宮澤主事出席
於 埼佛会館
於 神 社庁
4・ 教化委員会正副委員長会・役員会
4・ 安倍総理主催「桜を見る会」
於 新宿御苑
中山庁長・前原参事出席
4・ 神社本庁評議員一都七県の会
中山庁長・竹本副庁長・前原参事出席
於 明治記念館
於 神 社庁
(秩 父)
設楽 庸一 兼 諏訪神社宮司
(南埼玉)
加藤 文義 本 身代神社他三社宮司
(入 間)
4・1 高麗奈美子 本 高麗神社禰宜
(入 間)
宮原 義正 兼 星宮神社他一社宮司
(秩 父)
上野頌太郎 新 三峯神社権禰宜
(秩 父)
設楽 庸一 兼 田村神社宮司
(児 玉)
中山 真樹 本 金鑚神社他四社宮司
(大 里)
茂木 治男 兼 愛宕神社禰宜
(大 里)
田所 常行 兼 久下神社禰宜
(大 里)
根岸奈央人 新 鹿島神社禰宜
(北葛飾)
相澤 光彦 新 鷲宮神社禰宜
(秩 父)
4・ 引間 利男 本 白鬚神社宮司代務者
名誉宮司称号授与
(児 玉)
4・ 中山 眞明 金鑚神社名誉宮司
本務替
(児 玉)
4・1 中山 眞明 新 阿夫利天神社宮司
(児 玉)
旧 金鑚神社宮司
転任
(大 里)
4・1 持田 長武 本 荒川神社権禰宜
寳登山神社より転任
転入
(入 間)
4・1 宮本 真臣 本 神明社権禰宜
青森県・八幡宮より転入
(入 間)
保々 宗一 本 高麗神社権禰宜
群馬県・東照宮より転入
(南埼玉)
猿渡 諒 本 久伊豆神社権禰宜
京都府・石清水八幡宮より転入
転出
平野 貞祐 本 氷川神社権禰宜
(北足立)
3・
宮城県・八雲神社へ転出
(北足立)
濵中 貴文 本 調神社権禰宜
東京都・大鷲神社へ転出
(秩 父)
中山 貴裕 本 三峯神社権禰宜
富山県・新治神社へ転出
免
(北足立)
1・ 石山 源吾 本 氷川神社他一社宮司
(入 間)
2・ 栗原 昭人 本 北野天神社権禰宜
(入 間)
2・ 白石真由夏 本 氷川神社権禰宜
(秩 父)
栗原 誠 本 諏訪神社宮司代務者
浅賀 寿仁 本 高麗神社権禰宜
(入 間)
3・
(入 間)
中村香奈子 本 高麗神社権禰宜
(北足立)
3・ 宮本 呂哉 本 秋葉神社権禰宜
(秩 父)
3・ 設楽 義一 兼 田村神社宮司
(秩 父)
田丸 陽 本 今宮神社権禰宜
(児 玉)
中山 眞明 本 金鑚神社他四社宮司
(大 里)
香川 敏昭 本 瀧宮神社権禰宜
(大 里)
根岸 芳雄 本 鹿島神社禰宜
(秩 父)
4・9 引間 傳二 本 白鬚神社宮司
帰幽
(南埼玉)
加藤 武男 身代神社宮司
(一月二十四日 享年九十四歳)
(入 間)
栗原彌生子 北野天神社宮司
(三月十五日 享年八十九歳)
神社庁役員会・支部事務担当者会
平成二十六年度神社本庁功績表彰(敬称略)
和樂備神社宮司 赤尾 哲治 第三条第二号
秋葉神社宮司 宮本 和彦 第三条第二号
古宮神社禰宜 茂木 治男 第三条第二号
出雲祝神社総代 冨田 稔 第三条第三号
八幡社役員 加藤 忠迪 第三条第三号
八幡神社総代 齊藤 繁 第三条第三号
身分昇級(敬称略)
二級上 楡山神社宮司 柳瀬 嗣朗
菖蒲神社宮司 中村 邦彦
(三月十日付)
二 級 白髭神社宮司 宮本 孝雄
秩父神社権禰宜 甲田 豊治
金鑚神社禰宜 中山 真樹
島護産泰神社宮司 神島 歩
冨士浅間神社禰宜 江森 茂代
(三月一日付)
任免辞令
任
(北足立)
2・1 石山 薫 兼 氷川神社他一社宮司
(北足立)
2・4 嶋田土支彦 本 氷川神社禰宜
(比 企)
3・1 馬場 直也 兼 諏訪神社他二社宮司
4・
16
27
庁 務 日 誌 抄
1・ 事業部会(原班)
於 神社庁
1・ 神道婦人会新年会
於 パレスH大宮
髙橋主事補出席
於 神社庁
2・5 庁報編集会議
埼玉県宗教法人研修会
於 浦和「埼佛会館」
髙橋主事補出席
2・5~ 教化事業「神主さんと伊勢神宮へ行こう!」ツ
アー 武田主事補同行
於 神宮
於 神社庁
2・9 事業部会(東⻆井班)
於 神社庁
2・ 事業部会(甲田班)
2・ 建国記念の日「奉祝パレード」
田・髙橋
(信)
助勢 於 都 内・原宿表参道周辺
武
2・ 正副庁長会・神社庁役員会・新庁舎設計担当委
於 大宮・氷川神社
員会
於 川越「氷川会館」
研修部会(神島班)
2・ ~ 神政連皇居勤労奉仕・時局対策連絡会議
(壮)出席
於 皇 居・Hグランドパレス
木村
於 神社庁
2・ 事業部会(原班)
2・ ~ 一都七県神社庁連合会総会
中山庁長他十六名出席
於 群馬・伊香保温泉「H木暮」
2・ ~ 神社庁祭式講師研修会
・高麗受講
於 神社本庁
竹本(多)
2・ 大里支部・児玉支部合同神社実務研修会
於 高城神社
前原参事出向
北葛飾支部神社実務研修会
於 春 日部市民文化会館
武田主事補出向
3・2 一都七県中堅神職研修会開講式
於 明治神宮会館
中山庁長出席
3・2~ 神社振興対策モデル神社宮司研究会
於 神社本庁
宮﨑(博)出席
3・2~ 一都七県中堅神職研修会(乙)
・小髙・長田受講
於 明治神宮会館
青田
3・3~ 一都七県神政連本部長・幹事長・事務局長会
押田本部長・鈴木幹事長・前原事務局長出席
於 山梨・富士山温泉「H鐘山宛」
3・4~ 神宮大麻頒布終了祭他諸会議
於 神宮
中山庁長・前原参事参列
3・5 教養研修会 百四十二名受講
於 川越「氷川会館」
3・5~ 神宮大麻都市頒布向上計画研修会
於 神宮
東支部長出席
於 大宮・氷川神社
3・9 神政連県本部役員会
安倍首相靖國神社参拝訴訟第三回口頭弁論・同
報告集会 前原参事傍聴
於 東京地方裁判所・靖國神社
3・9~ 神社庁職員実務研修会
於 神社本庁
高橋(信)出席
3・ 神社庁協議員会・神政連県本部代議員会
10
15
31
28 15 31
15
31 16
14 12
17
18
19
26 24
27
28
15 14
18 17
22
6
27
6
4
5
6
10
24
28 26
11 10
23
25
13
24 24
28
3
26
27
11
10 №212 ( )
埼 玉 県 神 社 庁 報
(平成27年₄月30日)
(平成27年₄月30日)
三月二十八日、武蔵一宮氷川神社境内にお
いて、神社庁と氷川神社の共催で「神主さん
と神社を学ぼう!」を開催致しました。昨年
に続いての教化委員会事業で、助勢の神職は
白衣白袴に身を包み、奉務神社と鎮座地、氏
名を記した名札を付け、参拝者との交流を重
視して奉仕致しました。
ず、 社 務 所 一 階 で は、「 わ た し の 我 が 家
ま
の神だな物語」と題し、一般の方よりストー
リーを募集し、その入選作品を展示致しまし
た。各家庭での神棚にまつわる逸話を写真パ
ネルやモニターでご覧頂きました。
務 所 小 ホ ー ル で は、「 祓 詞 の 浄 書 体 験 」
社
を行いました。祓詞を薄く印刷した専用の奉
書に毛筆で浄書して頂き、併せて祓詞の意味
や奏上方法等を説明したリーフレットをお配
りしました。四百名近い方に参加頂きました。
務所大ホールでは、参拝や手水の作法・
社
祓 詞 等 を 学 ぶ「 神 道 入 門 講 座 」 や、「 埼 玉 県
内の神社の特色」についての講座、また寳登
山 神 社、 氷 川 神 社( 川 越 )、 箭 弓 稲 荷 神 社、
秩 父 神 社、 三 峯 神 社、 久 伊 豆 神 社( 岩 槻 )、
高麗神社の各々神職が奉務神社の歴史や由緒
をお話しする「埼玉県の神社紹介」を行いま
した。
神道入門講座」は、祓詞浄書 体験を受講
「
された方々に祓詞の意味や奏上方法、また神
社や神道の基本的な事について学んで頂く事
を目的に開催致しました。
埼玉県の神社紹介」では、県 内神社に多
「
しました。参加者は、本殿や拝殿・摂末社・
勅使斎館等、境内の建築物の説明や、参道や
神池の歴史を熱心に聞いておりました。
東⻆井 真 臣
拝殿西側の参集所では、氷川神社年中祭祀
の写真パネルと解説文を展示し、パネル展「氷
く足を運んで頂くべく、各神社の宮司や職員 川神社の四季のまつり」を行いました。三月
がプロジェクターを用いて、その魅力や歴史 二十一日から四月七日迄の期間で開催し、年
をわかりやすく説明し、由緒書きや社報等も 間を通じて、神社では、どの様な祭祀を奉仕
併せてお配りをしました。延べ千五百人以上 しているのか御覧頂きました。
三の鳥居前には、総合案内を設け、啓蒙活
の方に参加頂きました。
動として当日の案内や『むすひ』等の啓蒙リー
社務所二階ロビーでは、神社庁で例年発行
している「神話カレンダー」の原画展を開催 フレットを氷川神社のクリアファイルに入れ
しました。笠原正夫先生が描いた過去三年分 て配布を致しました。三千部準備しましたが、
二十四枚の原画を解説文付きで展示し、神話 開始二時間余りで全て配り終えました。また
来訪者の住所から地元の氏神様をお調べする
について分かりやすく触れて頂きました。
「氏神検索」を行い、約百二十名の方にご利
神楽殿では、神話の読み聞かせとして、デ
ジタル紙 芝居「スサノオ」、そし て石山信昭 用頂きました。氏神を調べるだけでなく御札
野火止氷川神社宮司による神話講談「天孫降 の祀り方や、神社・神道に関する様々な質問
臨」「国生 み物語」を行いまし た。普段あま をされる方も多く、改めて神職の対話の重要
り日本の神話に触れていない方々がデジタル 性を感じました。
紙芝居や講談といった親しみやすい方法で神 ま た 同 所 で は、 神 話 カ レ ン ダ ー や『 三 峯、
話を楽しんで頂き、その迫真の語りに場内か いのちの聖地』等の販売、また『神主さんの
らは歓声が上がっておりました。また同所で 日常』の作者、瀬上あきらさん が来場され、
は、國學院大學の神楽舞サークル「みすゞ会」 サイン会も行いました。他に家庭祭祀の教化
による神 楽舞、雅楽サークル「青 葉雅楽会」 の為、宮善商店による神棚祭具の販売や家庭
による雅楽演奏を行いました。神楽殿には延 での神棚の祀り方の例を展示しました。そし
て神社新報社や日本メディアミックスによ
べ千五百名以上の方に来訪頂きました。
る、 神 道 に 関 す る 書 籍 や 季 刊 誌『 皇 室 』、 神
また、天津神社前では、埼玉県警の交通安
全運動等の広報活動に併せ、県警音楽隊によ 社検定の指定参考書等が販売された他、神社
検定の広報も併せて行いました。
る演奏も行いました。
また、神社庁前では高島屋・清水園等、地
境内では、氷川神社神職による「氷川神社 の境内案内及び由緒説明」を行い、計五回約 元の企業や団体にお願いし、氷 川カレーや、
三百名に参加頂きました。社務所大ホールで うどん等軽食の販売、参道では東日本復興支
の作法入門等を受講された方々が、実際に手 援販売会や、県内名産の和菓子、秩父の物産
水や参拝を行い実践して頂く事を目的に開催 や高麗鍋の販売も行いました。そして、二の
「神主さんと神社を学ぼう!」報告
埼 玉 県 神 社 庁 報
11 №212
( )
12 №212 ( )
埼 玉 県 神 社 庁 報
(平成27年₄月30日)
鳥居から三の鳥居まで約五百メートルに亘り
市民団体による飲食や物産店も出店しました。
当日は天候に恵まれ、大宮公園での桜の見
頃も重なり、多くの方で賑わい、当日の教化
事業の来場者は約三万人を数えました。
今期の教化委員会の活動主題でもある「氏
神産土神信仰と家庭祭祀の教化」の実践の為
には、氏神様・御札の祀り方等、神社を知っ
て頂くのは勿論の事、家庭に神棚を祀る意義
を心から理解して頂く事が重要です。
実際に神職と対話・質疑応答をし、神道を
理解したい方は大勢いらっしゃいます。今回
の企画について来訪者にアンケートを実施し
た と こ ろ、「 神 様・ 神 社 を よ り 身 近 に 感 じ る
ことが出来て有難い」
、
「もっとこのような機
会を増やして欲しい」
「子供が参加できる事業
も開催してほしい」等、継続を望む意見が多
く寄せられました。神社を知って頂くための
アプローチとしては成功を収めたと思います。
ただこういった事業自体、来場者増を目的
に行えば良いわけでなく、その事業の効果を
考えて意義のある企画を練り、真摯に取り組
むべきです。参加型事業は神社に足をお運び
頂く事の効果はありますが、本当の神道教化
は、神職一人一人の対話以外他にありません。
我々も宗教者であるならば氏子崇敬者の幸せ
の為、日頃の神々への奉仕は勿論の事、氏子
と直接対話をして導く責任がある事を忘れて
はいけません。ただのイベントにせず、神職
と氏子の交流会話を重視し、参加者の心に響
く事業を模索していきたいと思います。
結びにこの場をお借り致しまして、当日御
助勢頂きました県内神職の皆様に感謝を申し
上げましてご報告と致します。
(教化委員会事業部班長)
「わたしの我が家の神だな物語」入選作品展
祓詞の浄書体験
神道入門講座
埼玉県の神社紹介
神話カレンダー原画展
神話紙芝居
神話講談
神楽舞
境内案内
「氷川神社の四季の祭り」パネル展
総合案内所
氏神検索