626号 - 日本歯科大学 生命歯学部

名が巣立つ
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本学のシンボルマーク
卒業生代表に学位記が手渡される(3月13日・新潟)
第
回大学院修了式を併催
が代表して、中原泉学長 状等が授与された。
して第五学年の久代洋貴 道を歩んでいくが、この 学科卒業生五十七名に、 が 糖 尿 病 や 心 疾 患、 が
君が先輩を送る送辞を述 学校で学んだ三年間、二 又賀泉学長から短期大学 ん、認知症などの病態に
べ、卒業生を代表して服 年間はきっと一生の思い 士(歯科衛生学)の学位 大きく関わっていること
の健康を維持することで、
部陽一君、大学院修了生 出になるだろう。これか 記が授与され、各賞受賞 が明らかになった。口腔
を代表して五十嵐健輔君 らも困ったときには、仲 者が表彰された。
う。それを忘れずに歩ん 短大准教授)より学術優 ニーズは急激に高まって
ち を 助 け て く れ る だ ろ 会の三富純子会長(新潟 衛 生 士 に 対 す る 社 会 の
何よりも先生たちが君た 状が、新潟県歯科衛生士 ると言われている。歯科
が答辞を述べた。おわり 間や先輩たち後輩たちが
次に公益社団法人日本 これらの疾患を予防し症
に祝電が披露され、全員 手を差し伸べてくれる。 歯科衛生士会からの表彰 状を軽減することができ
で校歌を斉唱した。
東京短期大学
ケーション能力が求めら
東京短期大学の卒業式 でもらいたい」と述べた。 秀 者 に 手 渡 さ れ た。 第 おり、チーム医療の一員
は、印出光宏短大事務長
つづいて三代冬彦病院 三十回卒業にあたり、卒 として医療に携わるには
の司会で、三月十日午前 長は「みなさんには、医 業生から新潟短期大学に 高 度 の 知 識 と コ ミ ュ ニ
十時より、生命歯学部富 療人としての研鑽義務が 記念品が贈呈された。
士見ホールにおいて挙行 仕 事 を し て い く 限 り 続
ついで専攻科歯科衛生 れ る。 み な さ ん も 高 い
く。 今 ま で は 教 え て も 学専攻修了生五名、専攻 ハードルをエネルギーに
された。
に、研究の成果を証する して学士(歯学)の学位 が授与された。
学長告辞に聞き入る第104回卒業生たち(3月11日・東京)
れた。専攻科歯科衛生学 とを祈念する」と祝辞を
医療職員
(看護師)
林 裕子
小
辞 令
専攻修了生に対し、独立 述べた。
行政法人大学評価・学位
授与機構から授与された
学士(口腔保健学)の学
位記が、又賀学長から手
長の司会で、三月十二日 渡された。
ついで第六回専攻科歯 午前十時三十分より、新
ここで又賀学長が告辞 新潟病院看護科看護師長
て学術優秀賞六名、精勤 科衛生学専攻修了生十名 潟生命歯学部講堂で挙行 (別掲)を述べ、来賓の を命ずる
博士(歯学)の学位記が 記を授与された。つづけ
授与された。
平成27年度 日本歯科大学歯学会大会
メインテーマ:健康寿命と歯科医療
日時:6月6日(土) 11:00~16:30
会場:新潟生命歯学部講堂・アイヴイホール
○公開シンポジウム
*基調講演
高森 等 先生(附属病院口腔インプラント診療科)
「健康寿命に対するインプラント治療の役割」
*シンポジウム
廣安一彦 先生(新潟病院口腔インプラント科)
「インプラント治療の長期安定性を得るために」
菅原佳広 先生(新潟病院総合診療科)
「若さと美しさのために歯科治療でできること」
中原 賢 先生(新潟生命歯学部先端研究センター)
「噛むことの大切さ-口の中の健康寿命とは?-」
○学術研究奨励賞受賞講演
○研究発表 : ポスター展示
関本恒夫新潟生命歯学部 平成二十七年一月一日
つぎに中原学長、羽村 賞 三 名、 学 術 奨 励 賞 八 と 専 攻 科 口 腔 リ ハ ビ リ された。
本 学
まず第三十回歯科衛生 長が「近年、口腔の健康
章生命歯学部長、八重垣 名、臨床実習優秀賞一名 テーション学専攻修了生
健大学院生命歯学研究科 の受賞者に対し賞状等が 二名、第四十四回専攻科
歯科技工学専攻修了生六
(解剖学第2講座・TEL 025-211-8113)
長が告辞(別掲)を述べた。 授与された。
つづいて在学生を代表
ついで大学院新潟生命 名、第二回専攻科総合技
して第五学年の岡本裕介 歯学研究科委員の土持眞 工学専攻修了生八名に修
君が先輩を送る送辞を述 教授より、新潟生命歯学 了証が、各賞の受賞者に
べ、卒業生を代表して大 研究科博士課程修了生六 表彰状が授与された。
そして専攻科歯科衛生
山豪君、修了生を代表し 名 の 氏 名 が 呼 び あ げ ら
て金澤卓也君が答辞を述 れ、修了生一人ひとりに、 学専攻修了生と専攻科歯
べた。終わりに祝電が披 研究の成果を証する博士 科技工学専攻修了生は、
山口晴香さんに贈られた。(口腔保健学)の学位を取
され、研究優秀発表賞が 学 位 授 与 機 構 よ り 学 士
露され、全員で校歌を斉 (歯学)の学位記が授与 独立行政法人大学評価・
唱した。
新潟生命歯学部
つぎに中原学長、関本 得したことが報告された。
つぎに小口学長が告辞
新 潟 生 命 歯 学 部 の 部 恒夫新潟生命歯学部長、
は、三月十三日に新潟生 宮川行男研究科長が告辞 (別掲)を述べ、来賓の
羽村章生命歯学部長が
つづいて在学生を代表 「みなさんはそれぞれの
命歯学部講堂において、 (別掲)を述べた。
大学院第五十二回修了式
大会長 吉江紀夫(新潟生命歯学部解剖学第2講座)
問合せ:準備委員長 辻村麻衣子
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併催して挙行された。
ついで大学院生命歯学 主任の葛城啓彰教授によ 名が呼びあげられ、小口 分たちで頑張っていただ
より、栄えある卒業の証
生命歯学部
定刻午前十時、司会の として学士(歯学)の学 研究科委員の新井一仁教 り、平成二十六年度卒業 春久学長から栄えある卒 きたい」と祝辞を述べた。
授より、大学院生命歯学 生六十八名の氏名が呼び 業の証として、各学科の
生命歯学部の部は、三 高橋孝幸庶務部長が開式 位記を授与された。
新潟短期大学
つ づ い て 学 術 優 秀 賞 研 究 科 博 士 課 程 修 了 生 あげられた。服部陽一君 代表に短期大学士(歯科
月十一日に生命歯学部富 を宣した。まずクラス主
新潟短期大学の卒業式
士見ホールにおいて、大 任 の 代 居 敬 教 授 よ り、 十一名、六ヵ年皆勤賞八 十二名の氏名が呼びあげ が代表して、中原学長よ 衛 生 学) と 短 期 大 学 士
学院第五十二回修了式を 平 成 二 十 六 年 度 卒 業 生 名、五ヵ年皆勤賞二名、 られ、修了生一人ひとり り、栄えある卒業の証と (歯科技工学)の学位記 は、須貝将紀短大事務部
が開式を宣した。クラス 学科卒業生三十五名の氏 にも積極的に参加し、自 一名に修了証書が授与さ して大きく成長されるこ
京短期大学と新潟短期大学の卒業式も挙行された。
まず第四十二回歯科衛 らっていたが、これから 科在宅歯科医療学専攻修 変えて前進してほしい。
精
勤
賞
十
八
名
、
学
術
奨
励
を
併催して挙行された。
一〇五名の氏名が呼びあ 賞十名、臨床実習優秀賞
定刻午前十時三十分、 生 学 科 卒 業 生 七 十 六 名 は自分で読み、聞いて勉 了生一名、専攻科がん関 歯科医師とともにチーム
げられ、花谷佳菜子さん 三名の受賞者に対して賞 司会の羽下憲善事務部長 と、第四十六回歯科技工 強していく、講習会など 連口腔ケア学専攻修了生 医療を担う歯科衛生士と
れ、十八名に博士(歯学)の学位記が授与された。また、東
した。あわせて日本歯科大学大学院第五十二回修了式が催さ
旬両学部において挙行し、一七三名の学士(歯学)を送り出
日本歯科大学第一〇四回卒業式(学位記授与式)は、三月中
卒業証書番号№二〇六九三号に
両学部
卒業式を挙行
第104回
第626号
日 本 歯 科 大 学 新 聞
2015年(平成27年)3月30日
(1)
中 原 泉 学長 卒業告辞
(2)
栄養傾向の人は
低栄養傾向は
パーセ も高齢化していき、次々 る。歯科医院の外の患者 てしまい、それから先に ければ、取り残されて落 歯科医師の認知症対応力 する職種であると言われ
現 在、 最 も 国 民 や メ れは歯科医師等による口 の臨床の現場において、
・5パー 在宅、老健施設、病院で ケアや訪問歯科を専門視 と、 自 分 が や ら な い こ ディアの関心と注目を集 腔機能の管理を通じて専 こうした認知症患者を診
べることができない人の のが現状だろう。つまり の患者さんなのだ。口腔 にして自分の知らないこ
ントだったが、噛んで食 に来院患者が減っている さんも、紛れもなく歯科 進まない。私どもは往々 伍していくだけである。 の向上をあげている。こ ている。諸君もこれから
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のない変化である。
②疾病や障害をもつ高齢 わりつつある。この流れ 療報酬上の評価は最も重 とは、今日には変化する この一月に認知症に対す 期の認知症患者が増えて 波に乗り出していく卒業
研 究 科 長 告辞
歯学会発行の
(3月 ・
は言うまでもない。
日)
Odontology努力の賜物である。しか
一流の国際誌、すなわち げたことはみなさん方の
全国の歯科大学・歯学部
大学院入学時からこの
の中で唯一、本学のみが 四年間で大きな成果をあ
思う。
を研究科長として誇りに も有用なものであること
果を示されたみなさん方 非常に大切であり、とて
間でこのような立派な成 である歯科医師にとって
四年間という限られた期 サーチマインドは専門家
るものと確信している。 た知識や技術、さらにリ
ルの高い雑誌に掲載され かし大学院生時代に培っ
れた学位論文は必ずレベ も少なくないと思う。し
本審査を経てさらに磨か の研究活動から離れる方
会での厳格な予備審査、 た大学院修了後には実際
者が二名いる。インパク 大 学 博 士(歯 学) で あ い。しかし本研究科委員 ることを願っている。ま
を 僅 か 三 年 で 修 了 し た 特筆されるべき日本歯科 論 文 が あ る か も し れ な さんの中から生まれてく
速度的に進むと予想され と、そこで議論が止まっ 変化に対応する能力がな その施策の一つとして、 りも早く認知症患者に接
者も急増している、と警 は否応もなく、今後も加 要 だ が、 そ う 言 わ れ る と思うべきなのだ。その る国家戦略を策定した。 いる。歯科医師は、誰よ 生諸君の健闘を祈る。
鐘を乱打している。
米山先生は、もはや歯
科医師が目を背けてはい
ト フ ァ ク タ ー が 2・5 か り、自らの可能性を大き
題として、老年歯周病学
論文規程をつくるべきか ら 3・6 と い う ハ イ レ ベ くした。
の観点から次の五つを指
生命歯学研究科長
大学院では真の学問を
論議があり、本大学院研 ルな博士論文で、うち一
摘された。①不良な口腔
八重垣 健
究科は論文の質を高める 人は博士論文以外にも二 自らが学び、その結果大
衛生状態によって感染症 決断した。やはり期待し つ目の論文を公表してい きな可能性をもつ人間に
られない切羽つまった問
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私は昭和四十年代のむ
し歯の洪水に続く第二の
洪水と呼んでいる。平成
二十三年度の歯科疾患実
態調査では、八十歳での
歯の喪失状態が大きく改
善したことが明らかと
・2パー
なった。8020達成者
は、確定値で
セントにも達した。二十
年前に8020運動が始
を抱えている患者さんが
この調査報告は、キャ むせたりすることがある れている、⑤インプラン 法をかえ、本学ではこれ 博 士 論 文 を 公 表 し て い んは本学の歴史のなかで
まず臨床研修歯科医の
意識調査について話した リア向上のためにニーズ 者」、 こ の 人 た ち の 割 合 トケアは歯科以外の職種 を受けて学位論文基準を る。ただ残念ながら博士
なった。
11
その点、修了生諸君のも 学院生のレベルの高い研 た。これらの方々との間
とで価値が生じてくる。 取り組んでいることが大 ま で は 到 達 で き な か っ
するような研究者がみな 強く期待する。(3月 日)
に成長し、世界をリード 役割を果たされることを
インに立った。今後さら 会的立場において指導的
究者としてのスタートラ 面、臨床面、あるいは社
ター付雑誌に投稿されて さんはこれで一人前の研 糧 と し て 研 究 面、 教 育
で、しかも国際的影響力
博士号すなわちPh・ し、大学院で苦労の末に
の高いインパクトファク Dの学位を取得したみな 得たことを今後の人生の
で築いた人間関係を宝と
学術雑誌に掲載されるこ 授陣も真剣に研究指導に 力等がなかったら、ここ
論文はその分野の一流の レベルの環境の中で、教 の方々の指導や教え、助
い。平成二十四年度厚生 が見込める分野を早期に が減少している。
ではお手上げの状態であ 変更した。本日の大学院 論文が間に合わずこの場
新潟生命歯学研究科長
修了生はその最初の学位 に出席できない者が何名
労働科学研究費事業の調 見定めて、自分が進むべ
七十歳以上で、歯の本
る
。
宮川 行男
査報告によると、臨床研 き方向を決めることが重 数別の噛んで食べる時の
私が察するに米山先生 記取得者である。文科省 かいる。これが現実であ 修医が考える「今後の歯 要 な の に、 今 回 の 平 成 状況では、歯が二十本以 の言いたいことは、これ は省令で、リポジトリと り、博士となるのは容易
すとき、これは自分の博
の は す べ て が 英 文 論 文 究成果につながっている。
・ 1 パ ー セ ン ト するだけが、歯科医師の した。
科のニーズ」と「主に取 二 十 四 年 度 の 研 修 医 に 上ある人で、何でも噛ん までのように歯科医院に いうウェブサイトで学位 ではない。他人に博士と
について調査した。前者 歯科」や「摂食・嚥下」 人 は
簡単そうだがここで対 士論文を見せるのと一緒
の今後ニーズが増加する に取り組む意欲が見られ だった。それに対して、 務めではない時代になっ
・4 たということだろう。高 処を誤ると本学の学位論 である。自分の博士論文
分 野 と し て、 研 修 医 は ないと指摘している。七 歯がゼロ本の人は
46
昨年度、文部科学省に いる。
ト ッ プ 5(フ ァ イ ブ) 年前の平成十七年度の調 パーセントで、両者の差 齢化により歯科医院に来 文の質は大幅に落ちてし に一生自信をもって名刺
もちろんそれらの雑誌
に、①高齢者歯科、②在 査では、ニーズの増加の は歴然としている。また られない患者さんが洪水 まう。そこで文部科学省 を差し出さねばならない。 よって学位規則が改正さ
今回の修了式では修了 れ、博士論文は原則イン には厳しい査読があるの
宅歯科、③予防歯科、④ 上位に「インプラント」 何でも噛んで食べられる のように急増し、これま の意図を汲んで、生命歯
摂食・嚥下、⑤再生医療、 と「審美歯科」が位置づ と回答した人のうち、低 で通院していた患者さん 学研究科でも新たな学位 ま で 四 年 要 す る と こ ろ ターネット上で公表され で、中には受理されない
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り組みたい分野」の二つ は、ニーズの強い「在宅 で食べられると回答した 来院する患者さんを診療 論 文 を公表するよう指示 いう名のついた名刺を渡
ることとなったが、博士 を擁している。この高い し指導教授をはじめ周囲
11
40
成長する。大学院を不断
た如く、今日の新制度修 る。
まった時には、8020
急増している、②メンテ
了者十一名はこの急激な
本学大学院は修了生諸 の努力で修了した修了生
は達成不可能だと言われ
ナンスが歯科医院の中だ
変化を乗り切った。
君の不断の努力と本学か の み な さ ん、 二 十 年、
ていた。この予想外の達
け
で
終
わ
っ
て
し
ま
っ
て
い
このうちの九名が国際 ら の 絶 大 な る 援 助 に よ 三十年後、あなたたちに
成は大変喜ばしいことだ
る、③在宅医療を支える
学術誌それも優秀な証拠 り、急激に進歩した。こ は大きな未来が必ずある
が、私どもは新しい難し
歯科医療者が全面的に足
平成二十五年に文部科 であるインパクトファク れだけの困難を乗り越え だろう。これからそれに
い課題に直面することに は、ギャップがあること 物や飲み物が飲み込みに りない、④一度つくられ
くく感じたり、食事中に た義歯はそのまま放置さ 学省は博士論文の公表方 ターをもつ国際誌八つで た今日の修了生のみなさ 挑み始めていただきたい。
(3月 日)
がわかる。
中原 泉 学長:これからは、待つ歯科医療から、出むく
歯科医療へと変わっていくだろう…
む ろ ん 歯 科 医 院 で も 一〇四回卒業生の永久背
は、かつて経験したこと ズが増える分野と、自分 食べることができる者」 義先生は、①高齢者の残 医院完結型歯科医療から 用はどうなるのか?」と 通用するとは思っていな 推計されている。政府は
が重点を置きたい分野に の 割 合 が 増 加 し、「食 べ 存歯数が急増している、 地域完結型歯科医療に変 茶々が入る。もちろん診 いだろう。昨日学んだこ 対応が急務であるして、 日々来院患者の中に、早 番号をつけて、社会の荒
構造が短期間の間に激変 の順だった。両者を比べ と比較してどの世代にお
こういう話をすると、 生諸君はまさか、在学中 人にのぼり、六十五歳以 適切に行うことを推進す 永久に変わることのない
医療から治し支える歯科
ケ
ア
の
パ
イ
オ
ニ
ア
で
あ
る
番号だ。日本歯科大学第
した。そのスピードと量 ると、研修医がいうニー い て も、「何 で も 噛 ん で 本学六十八回卒の米山武 医療」へ移行し、従来の 必ず「それでは保険の適 に学んだことだけで一生 上の五人に一人がなると るという施策だ。
である。歯科医療も疾病 有床義歯、⑤高齢者歯科 と、平成十六年の十年前 くだろう。けれども口腔 医 療」、 ま た「治 す 歯 科 慢のそしりを免れない。 展し変化していく。卒業 知症は最大で七百三十万 応じた口腔機能の管理を 数であり、諸君にとって
る。 団 塊 の 世 代 が 全 員 かかりつけ医と連携して 一 〇 四 回 卒 業 生 に 当 た
ゆる方面に大きな影響を 組 み た い 分 野 の ト ッ プ いる。
今後の超高齢社会にお る。 こ の 大 き な 問 題 に とする傾向がある。
増加している。この国民
けれども歯科医学・歯 七十五歳以上になる十年 対応するとともに、その る。この数字は本学の長
一方、平成二十五年国 健康・栄養調査のデータ け る 歯 科 医 療 は、「待 つ 真っ向から対応しなけれ
及 ぼ し て い る。 な か で 5は、①予防歯科、②歯
も最も深刻なのは医療界 周 病、 ③ 審 美 歯 科、 ④ 民健康・栄養調査による は、今後も改善されてい 歯科医療から出むく歯科 ば、歯科医師としての怠 科医療は、日々刻々と進 後の二〇二五年には、認 後も認知症の人の状況に い伝統に刻まれた卒業回
わが国の超高齢社会は この五つを挙げている。 けられていたが、両分野 セントにのぼり、噛めな 苦しんでいる歯科の患者 して敬遠し、患者さんを と、今までなかった新し めているのは、認知症で 門家が高齢者等に接する 療しなければならない。
これに対して、後者の はその後現在に至るまで
終 わ り に、 今 年 卒 業
人口の四分の一が高齢
放置することは、私ども い こ と を 敬 遠 し て 無 視 ある。高齢化に伴って認 なかで、認知症の疑いの
さ
ん
が
、
圧
倒
的
な
勢
い
で
い
食
べ
物
が
増
え
る
に
つ
れ
者 と な り、 社 会 の あ ら 研 修 医 が 主 体 的 に 取 り 広く普及したと評価して て、低栄養傾向の割合が 増えているのだ。
歯科医師の責任放棄にな し、ひいては否定しよう 知症高齢者が増加してい ある人に早期に気付き、 す る 諸 君 は、 本 学 の 第
第626号
日 本 歯 科 大 学 新 聞
2015年(平成27年)3月30日
この言葉を私たち医療 ばこそ多くの人に助けら 先生と呼 ばれるようにな もしれ ないので、その時 られる歯科医師の資質に
人にあてはめると、世の れ、そして多 くの人を助 る。人間的に優れている には初心に帰るよう促し こだわった。したがって
けられる敬 称であること 一〇四回 卒 業 生が歯 科 医 若 い 歯 科 医 師 は 国 民 に
ため人のために 精一杯 働 けることができることを からではなく、立 場でつ ていた だけれ ば幸いだ。 今社会に出る諸君たち、
れ ていた「八 重の 桜」で いて初 めて評 価 される、 忘れないでほしい。
歯学部長 告 辞
生命歯学部長
高いレベルにある。わが れ、責 任が 高 じてくるの
は韓国や中国に比べても 求めるものが 高まるにつ
又賀 泉
国では歯科衛生士の社 会 で、大 いに 頑 張っていた
新潟短期大学学長
又賀新潟短大学長の告辞に起立する卒業生たち
がってア ジアの 中 でも、 たが、これからは 本 当に
君が過剰な歯科医師では 学 大 学 が 日 本 歯 科 大 学 かれているという立場も 自 身に懸かってくる。本
らの生き方に関わってい
一昨 日、台 湾 に 行って いわゆるグローバルスタ 独 り 立ちになる。やるこ
る。本日卒業していく諸 きた。台 中にある中山医 ンダードの中に自分が置 と、言 うことが全て自 分
れるかは、諸君のこれか い出深い学生だ。
学を大いに活用し、不足 の時 から 卒 業 まで一緒 に 予防歯科の知識が求めら
今 までは 大 学 という
している歯科医師と思わ 過 ごしたわけで、誠に思 れる時 代 となった。した 加 護のもとで生活してき
剰な歯科医師と思われる
私は三年前に学長に就 的 地 位 は 格 段 に 向 上 し だきたい。特に専 攻 科の
か、学んだ最新の歯科医 任 し、み な さん は一年 生 ており、特 に口腔 ケアや みなさんに期待している。
科医師の一人となる。過 かにみなさんは過剰な歯
とを行っていたら、明ら
しかし諸君が卒業後も
従来の歯科医療と同じこ
ろう。
大きなマイナスになるだ
ば、現在の社会にとって
医師たちを活用しなけれ
(3月 日) だ。そしてこの若い歯科
も 吉 田 松 陰 の「至 誠(し 一方で一生懸命働いても自
みなさん方は今後の人 は卒 業生は重々承知して 師としてひろく社 会に貢 とって大変重要な存在で
羽村 章
せい)にして動か ざる者 分のためだけに働いてい 生で時に悩み、時に迷う いると思 う。しかし時 に 献することを祈念する。 あることを意識するべき
11
※各回とも10:30受付 ,11:20開始 ,16:00 終了予定
6 /13 は浜浦祭との併催
も の は、未(い ま だ) 之 ると評 価 されない、と受 ことが あると思 う。その そのことを 忘れて、尊 大
という名言が出てくる。
していると考えられてい 認知症等の全身の病態に の在宅医療を充実させる
【新潟生命歯学部】
① 5 / 9(土)② 6 /13
(土)③ 8 / 6(木)④ 8 /22
(土)
⑤ 9 /19
(土)⑥11/14
(土)
三百人を越えていた。現 は避けて通れないが、訪 が四十五年前からは大き
問題点の二つ目は、歯
四十四年に日本歯科大学 ている。特に超高齢社会
に入学したが、同級生は となった現在、在宅医療 科医師養成のための教育
籍 し て い た。 私 は 昭 和 携わる医療は格段に増え は明らかなのだ。
東京
新潟
短期大学 学長告辞
(3月
日)
せて、実 を 結 ばせること しなけれ ばならない。枝 花や 大きな実をつくって
うで、日 本の衛 生士教 育 ければならない。社 会が だきたい。
取り組んできた。特に、 とで、社会の要請に応え を期待したい。(3月 日) 校が未 だ二つしかないそ 全身管理なども勉強しな になるよう成 長していた
学 部 に 多 く の 学 生 が 在 わってきた。歯科医師の だまだ不足していること るためのカリキュラムに 療実習を必修化させるこ 歯科医師に成長すること 台 湾 に は 歯 科 衛 生 士 学 れからは歯科医師同様に ので、いい意 味での大 人
た。当時は歯科大学・歯 大きく関わる医療へと変 ためには、歯科医師はま えられる歯科医師を育て 臨床実習では訪問歯科診 なく、国民から望まれる と 姉 妹 校 になっている。 理 解 してもらいたい。こ 当に試されるのは自分な
【生命歯学部】
① 6 /28
(日)② 7 /22
(水)③ 8 / 6(木)④ 8 /20
(木)
⑤ 9 /12
(土)⑥10/18
(日)⑦10/31
(土)⑧11/ 1(日)
6/28 は校友会共催, 7/22 は午後から多摩クリニック見学
8 / 6 , 8 /20 は,午前中に入試対策セミナー
9 /12 は,午前中に模擬授業
10/18 は,附属病院見学
10/31, 11/ 1 は,富士見祭との併催
(これ)有 ら ざる な り」 け取れる。昨 今の医 療事 ときには母 校がここにあ な 態 度 や 言 動 が あ る か
故報道などを見聞きする り、教職員や卒業生が集
ておいてほしい。
も と も と は 孟 子 の 言 につけ、関 わった 医 療 人 まった校 友 会がみなさん
葉 だが、この名 言のあと は誠 心 誠 意、人のために の力になれることも覚 え
には「誠 な ら ず して、未 働いたか疑問に思う。
社 会に旅 立っていく。社 と続 く。これは、誠 意を 書は、
「陰徳あれば必ず陽 父母による物心両面にわ
諸 君 が 本 日 卒 業の日
卒業生のみなさんは本 (い ま だ) 能(よ く) 動
また「淮 南 子(え なん
日を以てこの学 舎を離れ かす者は有らざるなり」 じ)」と い う 中 国 の 思 想 を迎 えられたことは、ご
会人として、そして医 療 尽くし相手に対して純真 報 あり」す なわち、よい たる援 助の賜 物なのだ。
心 を 動 か さ れ る、その一 返しがあるとも言ってい には、今 後は社 会人の先
人としての努力は今まで な心で働け ば、必 ず人は 行いをすれば必 ずよいお そしてご父母のみなさま
と少し異なっている。
懸命に誠実に生きていれ 今後は周りの人たちから
今 N H K で 放 送 さ れ 方で不 誠 実な行動では、 る。歯科医 師として職 業 輩として導いていた だき
ている 大 河 ドラマ「花 燃 人の心は動かないという 人として社 会人として、 たい。研 修 歯 科 医でも、
関本 恒夫
たり約三十五人で、不足 尿病、心疾患、あるいは い。すなわち今後の日本
ゆ」で、また以 前 放 送 さ 意味だ。
新潟生命歯学部長
3年間の学園生活に別れを告げる(3月12日)
12
東京短期大学は多くの 指導する立場となる。
需給問題が論議されてい 八 十・四 人 で あ り、 こ の
・6パーセントで、一 る。特に共用試験あるい
る。歯科医師は過剰であ 数値から歯科医師は過剰 診療所あたりの平均訪問 は歯科医師臨床研修が必 人たちに支 えられ、この
・6回であ 修化されたここ十年間で 三年間で驚異的な発展を
る。この実施件数はすべ の教育の変化は大きく著 遂 げた。本学発展の原動
るとの声が聞かれるが、 になったと結論づけられ 診療回数は
そのベースになっている ている。
のは昭和四十四年六月に
しかしながらこの結論 ての要介護高齢者を対象 しく変わった。日本歯科 力 になったのは、実 は 笑
当時の厚生省が発表した には少なくとも二つの問 として月一回の在宅歯科 大学新潟生命歯学部は、 顔一杯 の君 た ち だった。
う。一つは約四十五年前 場 合、 僅 か 3・6 パ ー セ 視 さ れ る コ ミ ュ ニ ケ ー 上に多くの人たちに愛 情
「国民医療対策大綱」で 題点が存在していると思 医療サービスを想定した 医療従事者にとって重要 これからは、これまで以
ある。
その中に西欧先進諸国 の昭和四十四年と現在で ントの充足率にしかすぎ ション能力の養成に力を を注いで、立派 な医 療人
に準じ昭和六十年までに は歯科医療の内容は大き ない。また介護保険によ 注いできた。また全身を として大活躍されると信
人口十万人に対して、医 く変わっているというこ る 居 宅 療 養 管 理 指 導 で 支える歯科医療のために じている。
人間はみな目先の利益
師百五十人、歯科医師を とである。単に削って詰 は、 歯 科 医 師 に よ る 実 全身管理学、摂食嚥下機
五十人にすると記載され める、あるいは抜いて義 施 は 4・0 パ ー セ ン ト、 能関連や歯科医師にとっ や美しさ、名誉 だけを追
ている。その当時の歯科 歯を入れることの繰り返 歯科衛生士による実施は て必要な内科学を充実さ い求 めがち だ。そんなこ
医師数は人口十万人にあ しだった歯科医療は、糖 2・7 パ ー セ ン ト し か な せるなど、今の社会に応 とで本当に世の中がよく
一人ひとりに学位記が手渡される(3月10日)
卒業生たちに告辞を述べる小口東京短大学長
人を育て、人の花を咲か せるためには枝を丈夫に し、根を地中に深く這わ されるのはこれからなの
すことがとても大 切 だ。 だ。将 来 は 輝いており、
頑 張っても美しい花や 大 後の運は君たちに開く。
土壌がよくなければ幾ら 一生懸 命 努 力 すれ ばその
きな 実 にはならない。こ 努力する人には必ず夢が
れは地道な努力しかない。 ある。大きな夢を抱いて
東京短期大学では君た 進 んでいってほしい。今
ちが将来確実に成長する 後も絶えず身体を鍛え、
実践教育を長年にわたり 心を磨き、人の痛みや 社
行い、多 くの実 績を積ん 会の問題を敏感に感じと
は教育の基本となる土壌 切にし、周囲から尊 敬さ
できた。すでに君たちに らえるバランス感 覚を大
が 整っているは ず だ。こ れる立派な医療人として
(3月 日)
れからはみなさんがこの 活 躍 されることを祈る。
土壌を豊かにし、美しい
10
12
18
を支えるためには幹を丈 いく番だ。
私は教育の基本は農業
なるのであろうか。君 た
が
目
的
で
あ
り
、
農
業
の
目
在 の 歯 科 医 師 数 は 歯 科 問歯科診療の実施率をみ く変わった。当然私が学
東京短期大学学長
サイは投 げられた。あ
ちは卒業すると教わる立 と同じだと思う。唐 突に 的 と一致 する。立 派 な 花 夫にする必要がある。幹
みなさんご承知のよう 医 師 会 の デ ー タ に よ れ ると在宅医療を実施して 生時代だった時代の教育
小口 春久
場から患者さんや後輩を 農 業と言ったが、教 育は を咲かせ大きな実を結ば を支えるには枝を大きく とは努 力あるのみ、評 価
に、ここ数年歯科医師の ば、人口十万人に対して いる歯科診療所は全体の とは明らかに異なってい 13
第626号
日 本 歯 科 大 学 新 聞
2015年(平成27年)3月30日
(3)
歯科麻酔学
衛 生 学
口腔外科学
病 理 学
歯科矯正学
口腔外科学
五十嵐健輔
大 学
勝田康弘 神原優美
小出勝典
顎口腔全身関連治療学
村山和義 小林達也
笹川敦大
放射線定量診断学
山口晴香 鈴木彩那
辰徳
(甲第一一一二号まで) 関
近石信洋
中島 薫
根橋 渚
第 回卒業生
服部陽一
日 本 歯 科 大 学 第 一 〇 四 櫃ノ上満大
回卒業生〈新潟生命歯学 武者 亮太朗
部〉六十八名は次の通り。 吉井大貴
畔上貴光
大竹美歩
坂井 大
田中 全
中野絢香
浅田祐生
薄井成子
大滝梨菜
荻野 奈保子
川口 ひかり
北村侑平
小出 宗
小林 鷹
清水志保
須藤嵩文
竹内寿志
續 由生
西田洋平
幡谷 健
比嘉良邦
水野久子
結城 龍太郎
和田 真有子
薄葉 みのり
小堀雄二
佐久間達人
中根 隆
庭山 憲太郎
松井沙羅 松枝一成 中島 薫
元橋崇行 朝比奈伯明 ☆臨床実習優秀賞受賞者
石原紀彰 加藤光悠 須藤嵩文
金田 安理沙 郡山奏絵
関谷聡士 平嶋 崇 日 本 歯 科 大 学 一 〇 四 回
藤澤 ひとみ 星野弘敏 卒 業 生〈生 命 歯 学 部〉
倉橋慶多 河上 雄 一〇五名は次の通り。
新井貴洋 稲富安和 會田享平 青木香穂
佐藤佑樹 佐藤優子 青木智弥 秋山俊悟
松岡俊樹 村野俊行 安藤 佑一郎 井坂栄作
渡邊秀弥 川谷孝士 石塚貴士 井出太一
(第二〇五八八号まで) 伊藤英昭
伊藤裕之
☆学術優秀賞受賞者
猪子佳恵 岩﨑 美稚子
服部陽一 竹内寿志 岩野愛美 岩渕義之
小出勝典 須藤嵩文 岩間陽子 上原 めぐみ
續 由生 櫃ノ上満大 大出桜子 大山 豪
☆精勤賞受賞者
岡部 佑妃子 小川 紗衣香
薄井成子 清水志保 小川 貴 興地麗子
長田紀恵
恩田裕香
金澤義弘
川嶋彩花
神部景子
小坂春菜
小澁亮介
後藤竜輔
小森太郎
才茂峻延
札川 新
佐藤丈允
篠田健太
島﨑篤士
清水千裕
新本祐貴
杉田浩一
須藤弘喜
落合柚香
加藤 万紀子
川上 大
川田俊弘
菊地翔太
越田清祐
後藤蔵光
木庭佳祐
齊藤 匠
佐々木 岳
佐藤和将
佐藤志興
柴﨑育美
清水太陽
辛 美輝
須川 祐里香
鈴木雄大
須永健一
介した。白菊会の活動に の 二 十 年 前 の 総 会 で は 卒)は、佐藤先生にはい 家庭での佐藤名誉教授の
取り組まれ、解剖実習が 二万五千人という最大の つも厳しく指導していた 人柄と、往年の健啖ぶり
始まるとき、本学に献体 参加者があり、メイン会 だいたが、何よりも人と を 語 り、「父 は 腰 椎 を 骨
さ れ た ご 遺 体 を 前 に、 場は帝国ホテル、デンタ して歯科医師として歩む 折し昨秋から入院してい
い状態で献体したいと願
「無言の教授として赴任 ルショーは東京ドームで べき道を示していただい たが、出来うるかぎりよ
された」と学生に必ず諭 開くという画期的な試み た、と述べた。
次 い で 柔 道 部 O B 会 い、 一 切 の 延 命 治 療 を
していたと述べ、生前の は佐藤準備委員長・副会
功績により正五位に叙さ 頭の手腕によるものだっ の 田 中 秀 明 専 務 理 事 断った。昭和五十一年に
れたことが報告された。 た」と述べ、佐藤名誉教 (六十五回卒)は柔道着 母校の解剖学教室に着任
ついで中原泉理事長・ 授の細やかな気配りや愛 姿で登場。本日の夕刻か し、退職後の平成十三年
ら飯田橋駅前の体育館で には学校法人の監事に就
学 長 は、「佐 藤 亨 先 生 が 妻家ぶりも披露した。
続いて、公益財団法人 佐藤先生を偲び、柔道の 任。そして本年一月、無
本学に赴任されたのは、
昭和五十一年で、そのこ 日本篤志献体協会の内野 演 武 会 が 開 か れ る と 告 言の教授として、三たび
ろ私は開設したばかりの 滋雄理事長(東京医科大 げ、練習開始と終了を合 日本歯科大学に赴任する
新潟歯学部にいたので、 学 名 誉 教 授) は、 昭 和 図 す る大太鼓を打ち鳴ら
お会いするする機会もあ 五十八年にいわゆる「献 した。
OB会の日高健二会長
まりなかった。ただ、新 体法」が策定されるにあ
潟で解剖実習のご遺体を たり、歯科医学教育でも (六十回卒)は、佐藤先
高橋尊史
武山真由
田中慈久
多村美希
角田尚之
寺沼樹里
冨岡孝成
中尾臣晶
中西吉明
野澤孝臣
服部 馨
花谷 佳菜子
林 香菜子
福田佳世
藤原由梨
堀 智尋
増山貴英
松永悟美
三代紗季
宮木玲奈
森信惇平
山本季美
飯嶌紳也
橋戸萌子
鴇田智里
六年=小森太郎
大山 豪
落合柚香
長谷川達也
井出太一
興地麗子
恩田裕香
加藤万紀子 花谷佳菜子
町田東子
田代夏乃
久代航佑
大島泰彦
堀 智尋 三代紗季
〈新潟生命歯学部〉
一年=福田 悠
姜 裕奈
佐藤遥香
長瀬かなで
丸山佳恋
深澤幹典
鈴木翔平
青柳晴也
加羽澤侑以
島 志津佳
旗手翔平
藤原昻夢
二年=野田裕太 穐保由衣
畔元研太郎 大竹 萌
工藤淳平 永井智士
西澤義樹 南 祥之
梁 由美 渡辺有理
三年=小林彩利 大竹汐里
大村里沙 下村里佳
外島寛朗 豊嶋啓汰
向井亮平 横井康乃
四年=山本雄大 阿久津里沙
奥山飛鳥
坪﨑健斗
沖 宜孝
白柏麻里
山中美由紀
椎名麻衣
佐藤大介
五年=城井友幸
平野萌香
齊藤香恵子 鈴木あすな
六年=竹内寿志
中嶋しおり
湯澤佳広
松岡 毅
五年=本多聡志
浅倉裕貴
竹谷朋人 古田彩夏 三代紗季
舘 晶彦 ☆臨床実習優秀賞受賞者
田中 希 井出太一 花谷 佳菜子
辻 恵利子 服部 馨 椿 陶子
学術奨励生
飛山 英里子
直江慎也 平 成 二 十 六 年 度 日 本 歯 科
大 学 学 術 奨 励 生(一 〇 九 名)
中谷 嶺
は、次の通り。
鍋田剛志 〈生命歯学部〉
萩野貴磨 一年=佐々木瑛美 梅原茉愛
蔵田麻莉沙 呉屋 龍
服部賢城
鈴木麻美 田賀里佳子
早川まい
高橋彩香 高宮麻里
平林 あさ子
古田賢太朗 南ひかる
藤野一隆 二年=別府大嘉繁 赤羽由紀子
古田彩夏
秋山 洋 一戸 遥
木村千鶴 齊藤美都子
前田祐貴
西巻和広 初芝美穂
町田 綜一郎
埴 太宥 廣神 健史
松本泰孝 三年=中 山竣太郎 井上真帆
翠川聖明
大村友希江 川瀬 剛
森竹宣之
菅あや奈 角掛 愛
遠山皓基 水沼詩葉
矢部愛子
山上 彩 横山美世子
和田祐季
四年=西巻麻由里 岩田良子
橋口賢人
(第二〇六九三号まで)
藤野一隆
猪子佳恵
小川 紗衣香
川田俊弘
小澁亮介
柴﨑育美
竹谷朋人
飛山 英里子
藤原由梨
今後は、現状の電子カ
た。
このシステムは、院内 ル テ シ ス テ ム を S S
で撮影された画像情報を MIX「厚生労働省電子
病院に先駆けて稼働させ 済的効果も期待できる。
を全国の医科歯科系大学 必要がなくなるなど、経
ターに保存する仕組み) 守切れに伴う買い替えの
く、 安 全 な デ ー タ セ ン 機購入が不要となり、保
を自分のパソコンではな ほか、院内でのサーバー
報のクラウド版(データ 報紛失リスクを軽減する
二十七年三月から画像情 害対策などによる患者情
東京の附属病院(三代 必要な時いつでも参照、
冬 彦 院 長) で は、 平 成 共有、利用でき、広域災
東京 他病院に先駆けて稼働中!
駒津匡二 小松本 諭
萱場明日香 小出勝典
大山 豪
菅原規江 角 千博
笹川敦大 須藤嵩文
恩田裕香
田口美晴 竹ノ下茉奈美
續 由生 服部陽一
落合柚香
興地麗子
小川 紗衣香 大学病院初の画像情報クラウド版
☆学術優秀賞受賞者
花谷 佳菜子
三代紗季
小森太郎
川上 大
森竹宣之
堀 智尋
☆六ヵ年皆勤賞受賞者
伊藤英昭
上原 めぐみ
長田紀恵
越田清祐
佐藤丈允
島﨑篤士
多村美希
平林 あさ子
☆六年精勤賞受賞者
大山 豪
☆五ヵ年皆勤賞受賞者
ことになった」と挨拶し 岡部 佑妃子 辛 美輝
た。
角田尚之 服部 馨
指名献花に移り、ご遺 花谷 佳菜子 堀 智尋
族 は じ め、 中 原 理 事 長・ 前田祐貴 森竹宣之
準備するために、大変な 全身の解剖が必須である 生は樺太(サハリン)の 学長など本学関係者、一
ご 助 力 を い た だ い た 。 ことを佐藤名誉教授は強 豊原中学在学中に当時と 般の参会者の献花の列が
平成七年に開催された第 調された。法律名称や条 しては最年少で有段者と 続いた。
な想い出の写真が展示さ
おわりに喪主の佐藤全 れた。
解剖学研究会OBの栗
の佐藤巌教授が、佐藤名 初めは固辞されたが、お
誉教授の略歴と業績を紹 引き受けいただいた。こ 田 正 明 代 表(七 十 一 回 孝氏(七十四回卒)は、
命歯学部解剖学第一講座 任をお願いしたところ、 の功績について語った。 と述べた。
者一同で黙祷を捧げ、生 佐藤先生に準備委員長就 となったことの経緯やそ も指導していただいた、 れ、会場一杯にさまざま
一時より開会。まず参会 を務めることになった。 ための献体に関する法律」 受けてくださり、稽古で 辺を散策する写真が飾ら
献花台の正面には、晩
十八回日本歯科医学会総 文に「歯学」の二文字を なり、講道館柔道五段の
佐藤亨名誉教授(元学 会で、本学が幹事校にな 入れることを主張して、 段位を実力で獲得した、 年の佐藤名誉教授ご夫妻
長)のお別れ会は、午後 り、私が学長として会頭 「医学及び歯学の教育の 柔道部の顧問を快く引き が手をつないで館山の海
佐藤亨名誉教授のご遺体は、遺志により本学に
献体されたと感謝の言葉を述べる中原泉学長
機能性咬合治療学
歯周機能治療学
青柳晴也
丸山昂介 石田 昂
太田 信
歯周機能治療学
中島 大 岡嶋邦矩
萱場 明日香
機能性咬合治療学
〈新潟生命歯学研究科〉
(甲第一一〇六号まで)
町
田詩織
岡田実緒
宮
地正城
白子要一
栃
木啓佑
斉
藤沙耶
平成二十六年度卒業生
大 学 院
第 回修了生
大学院生命歯学研究科
修了生十二名、新潟生命
歯学研究科修了生六名は
次の通り。
〈生命歯学研究科〉
歯科補綴学Ⅰ田村響子
生 理 学
金澤卓也
解剖学Ⅰ
財前知典
歯科麻酔学 井出正俊
生 理 学
田宮旬子
森
本惠子
歯科麻酔学
東京 本館メモリアル ホール
一月十日に逝去された故佐藤亨名誉教授
のお別れ会が三月十五日、富士見の生命
歯学部本館一階メモリアルホールで行わ
れた。ご遺族ならびに本学、校友会関係
者、白菊会(篤志献体の方々)や解剖学
会関係者など二百五十余名が参列した。
ンターに保存するもの。 備を進めていく。
の二拠点にあるデータセ 業」に対応できるよう準
暗号化し、国内の東と西 的 診 療 情 報 交 換 推 進 事
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52
佐藤 亨 元学長 お別れ会
104
(4)
第626号
日 本 歯 科 大 学 新 聞
2015年(平成27年)3月30日