く自己完成のための殺人〉の発見と変容 一一『宮本武蔵』をめぐって一一 田 賞展 要 京佐 ヒー 日 本稿の目的は,近代日本の大衆文学のキャノンである吉川英治の小説「宮本武蔵』 (1 935-1939) を文化社会学的に考察することにある。まず吉川武蔵』に見られる 「 自己完成のための殺人」という 「 不毛な人格美学」に対する佐藤忠男による批判を 紹介し,吉川武蔵の説く「大衆自立思想」が軍国ファシズムによって歪められていた ことを見る。次に, 1990 年代以降の井上雄彦のマンガ『バガボンド」を取り上げ, この作品が吉川武蔵の大衆自立思想を踏まえつつも, <自己完成のための殺人〉に 「他者性・社会性・創造性」を補って現代的に変形している ことを見る。最後に,岩 明均のマンガ『剣の舞』を紹介し, この作品が〈自己完成のための殺人〉に対するア ンチテーゼとなっていることを見る。 キーワード 『宮本武蔵.!l /大衆自立思想/自己完成のための殺人/[1バガボンド.!l/ 『剣の舞』 1.はじめに一一吉川英治の『宮本武蔵』 本稿の目的は,近代日本の大衆文学のキャノンである吉川英治の小説『宮本武蔵』 (1935-1939) を文化社会学的に考察することにある。本稿では 豪・宮本武蔵(1 584? -1645) 歴史上に実在した剣 については一切扱わず,宮本武蔵を素材に吉川英治 (1 892-1962) が書いた大河小説『宮本武蔵.n (以下 rr 吉川武蔵』とも略記する)と,吉 川武蔵に影響を受けたその後の大衆小説・映画・ドラマ・マンガ・アニメだけを考察対 象とする。 吉川英治の小説『宮本武蔵』は,近代日本における大衆文学のキャノンのひとつであ る。文芸評論家の縄田一男は,今 (2010 年時点)もなお衰えぬ吉川武蔵の大衆人気に ついて,次のように説明している。 私は第一部で武蔵は,眼の前に何か困難な状況が横たわり,それに向って,大衆が 突き進まなければならない時,読まれ,或いは,読み変えられてきた, と書いた。そ ( 3 0 6 )4 7 人間文化第 25 号 の時とは,戦中,戦後,そして今である 。武蔵はその三つの時期において時代の精神 の象徴と成り得たのである。武蔵が,唯一,時代の象徴とならなかった時代はいつ か, といえば,それは高度経済成長期からバブル全盛期で、ある,ではその時期,時代 の象徴となり得た人物は誰か。それは て, 坂本龍馬であり 織田信長であった。そし この二人と武蔵の違いを記せば,それは一目瞭然一一一龍馬と信長は組織のリー ダー足り得るが,武蔵はなり得ない ということであろう。 (中略) そして,今,その管理社会ももはや遠く,バブル崩壊後の草木も生えぬ有様の中, 既成の価値観が崩壊し,暗中模索で歩を進めねばならぬ時代に 剣一筋で己の人生を 切り開く武蔵の生き方が「うらやましい J ,つまりは,一つの希望として復活してく るのは,決して不思議ではあるまい。今 求められているのは脆弱さを管理してくれ る組織ではない。あくまでも強靭な〈個〉だ。武蔵は,国家や組織に信が置けぬ時, 個は個としてあるということを強烈に問うキャラクターであり,武蔵が『バガボン ド.!I漂泊者として再生してくる意味もここにあるのだ(縄田 2010 (初出 2002) ;p p . 382-384) 。 吉川武蔵は,近代日本における大衆の自立思想を表現した作品だというのである。近 代日本における大衆自立思想は,映画評論家の佐藤忠男が指摘するように意地の美 学」と言い換えることもできるだろう。 意地とは,自分に引け目を感じていながら,その引け目でもって自分自身が ほんと うにダメになってしまわないよう,せいいっぱいの虚勢をはることだ, というふうに も定義し直せるかもしれない。 繰り返し映画化されてやまない吉川英治原作の『宮本武蔵』はとくに内田吐夢監 督,中村錦之助主演版の六 0 年代の五部作がじつに面白いと思うのだが,見ていて ふっと, しかし剣道の修行だといってやたらと人を殺すのはどういうわけだろう,ま るで殺人鬼ではないか,おまけにそれが精神の鍛錬にもなるとは,なんという非人間 的な思想だろう, と,そんな映画に興奮している自分自身にまで疑問をもつことがあ る。しかし考えてみると,宮本武蔵という男は,少年のときに関ヶ原の合戦に参加し て敗残兵となっていらい,もう,いくら武術を磨いても実際の役には立たない戦争の ない時代にほおり出されてしまっているのである。しかし彼は,自分には武術しか取 り柄がないと思、っている。武術を捨てたら自分はゼロだと思っているらしく,遮二無 二,修行に励む。そして,実用にはならなくても武術は精神修養の役にも立つ, とい う武術の新しい用法を生み出すのだ。そう思うと,宮本武蔵という男のすさまじい闘 志も,実は自分は無用の存在ではないかという不安感や引け目をふりはらい,っきぬ 4 8(305) 〈自己完成のための殺人〉の発見と変容(熊 けるための,がむしやらさ, 田) として理解できる(佐藤 2009 ;p p .69-70) 。 精神科医の中井久夫が指摘するように意地」には自己中心性」と「視野狭窄」 が伴う。「意地」とは本来「非常事態を強行突破するための構え」であり本来無冠の 弱者にのみ許される」ものである(中井・佐竹(編) 1987, p .2 8 6 )(1)0 1990 年代以降, パフゃル崩壊後の経済状況にあって,社会的弱者たる若者たちは生き延びる」ために は「意地」を張る,つまり「自分という存在の正しさ」を証明する必要があったのだろ つ。 2. 佐藤忠男の〈自己完成のための殺人〉批判 大衆の自立思想、を描いた吉川武蔵に対しては,同時に「自己完成のための殺人」を繰 り返す「不毛な人格美学」を説いているという佐藤忠男の痛烈な批判がある。 (前略)ただ,納得できないのは,ひとりの侍の武者修行のためには,たくさんの 人聞が片っ端から殺されてもそれは当たり前だ, こでも批判されたり という思想が, この小説の中ではど 検討されたりはしていないことである。(中略) 出世という)強烈な野心にとり濃かれた男の悲劇的な半生, (熊田註;立身 ということであれば,こ れは,今日の人間にとっても納得のいく物語であり得る。(中略)しかし武蔵は, 分の野心を修業によって抑えて, しだいに,人間完成,自己完成, 自 という観念に置き 換えていってしまう。しかし自己完成のための殺人とは何か 。(中略)吉川英治の庶 民的な人格主義とは,そもそもどういう質のものか 。 (前略)自己完成とはなにかということを作品のなかから読み取ろうとしても ,せ いぜい, どんな危機にのぞんでも動揺せず,泰然自若としていられること , どんな種 類の攻撃にぶつかっても臨機応変に自分の持つ技量をフルに発揮で、きること, のものでしかない 。あと ,禁欲生活に耐えられること , に動かされないこと,などの美徳も含まれているが, ぐらい とか,たやすく個人的な感情 いずれにせよ,その程度のこと である。(中略)武蔵が営々と人を殺しながら築きあげた美徳とは,誰のためにもほ とんど役に立たず,ただひたすらなる自己満足のためでしかない 。へンな美徳だ。 (前略)確かに宮本武蔵」を軍国主義的な作品 だと言ったら言いすぎになるだろ うが, この土台にある自己完成ということの内容が,軍国主義イデオロギーの土台に あった人格主義美学の内容とほとんど一致するものであったことも確かである 。(中 略)イデオロギーとしての軍国主義は挫折しても,この種の人格美学は,そ う簡単に 否定されずに,いまもなお,強い郷愁となって日本人の中に生きているのである。三 島事件に,やくざ映画に,スポーツ根性もののドラマに(佐藤 1987 ;p p .183-185) 。 ( 3 0 4 )4 9 人間文化第 25 号 佐藤忠男に筆者が付け加えるならば ラマだけではなく 三島事件・やくざ映画・スポーツ根性もののド 劇画『ゴルゴ 13 J1やオウム真理教事件にも,佐藤のいう「不毛な 人格美学」は影響を与えているように思われる。吉川武蔵に見られる佐藤のいう 「不毛 な人格美学」を,本稿ではく自己完成のための殺人〉と命名する。 3 . (自己完成のための殺人〉の発見 〈自己完成のための殺人〉は,近代日本における大衆の自立思想が,吉川武蔵が書か れた当時の軍国ファシズムに歪められたものと見ることができる。〈自己完成のための 殺人〉の背景には,吉川英治が私淑していた右翼思想家・安岡正篤 (1893-1983 )の影 響がある。安岡正篤を研究したジャーナリストの神渡は,安岡正篤の吉川武蔵に対する 影響について,次のように述べている。 吉川英治研究家の松本昭(昭和女子大学教授)は『吉川英治一人と作品一』のなか で,この青年運動といい,農村巡回講演会といい,そのモデルとなっているのは安岡 ではないかと指摘する。またw'宮本武蔵』のなかで「鍬も剣なり」といって伊織と 耕地を耕す場面は 安岡が日本農士学校の教育で意図した農本主義をドラマ化したも のではなかったか, という。 事実,吉川の安岡への傾倒はひとかたならぬものがあり,吉川は安岡の折々の随筆 や詩歌を集め,これほど豪華な本はないといわれるほど立派な装丁をみずから施し てw'童心残筆』として新英社から出版した。口絵には, 日本画家の新井洞巌のもの を採用している 。 (中略) 宮本武蔵は吉川英治が描くように 確かに求道的な名人だったのか。直木三十五が 主張するようにそれほどの名人ではなかったのか。ふたりが昭和七年九月二十八日号 の読売新聞主宰の座談会で熱い論戦を演じる以前の昭和六年六月 安岡は宮本武蔵を 高く評価して『日本武道と宮本武蔵 JI (金鶏学院刊)を書いており,中谷武世が安岡 を知るきっかけとなったのも東洋思、想研究 J (大正十二年十号)に掲載された「二 天宮本武蔵心法と剣道」だった 。 前書は吉川の蔵書のなかにも入っており,安岡が述 べた宮本武蔵の生涯や伊織との出会い 独行道十九カ条や『五輪書』の解説は吉川に 少なからぬ影響を与えている 。 詳しいことは松本昭の研究に譲るとして,武蔵の人間 的成長を見つめる沢庵和尚という設定には,多分に安岡という存在を参考にしたので はないかと思う(神渡 1991 ;p p .193-195) 。 国文学者の松本昭は,吉川武蔵に直接に影響を与えた安岡の著作はw'日本武道と宮 本武蔵 JI (安岡 193 1)ではないか, 5 0( 3 0 3 ) と推定している。 〈自己完成のための殺人〉の発見と変容(熊 田) 時代が,武蔵を招いたというのである。つまり,今日最も欠けているのは,強固な 自 己を持って希望を失わずに力強く生きてゆくという信念だ, 川英治は, というのだ。だから吉 こうした信念をもった理想的人物として宮本武蔵を書いたというのであ る。 ところで, この英治の主張に, 正篤の姿が浮かんでくる 。 もう一歩,踏み込んでみると, どうもそこには安岡 というのは,英治の蔵書の中にある安岡正篤の『日本武道 と宮本武蔵 JJ (昭和六年六月三十日刊,金鶏学院)という小冊子である。その冒頭で 安岡は,王陽明の「自家の無尽蔵を地却して,門に沿ひ鉢をもって貧児に倣ふ 」 との 金言を引き,こう述べる 。 誠に自己の失ひ易ひものは生命でもない 。 財産でもない。実に自己である。真己 である。我れが真実の我を失う処に,あらゆる不安一焦燥-模索が始まる。現代も 亦其の困惑の底に陥った時で、 ある 。 現代人は自己自身を失ったばかりでなく,日本 人として日本そのものがわからなくなっている。 これは前述の吉川英治の武蔵を書く理由と同じ論法ではないか。当時のふたりの交 友を考えると,この一致は単なる偶然ではなく , 恐らくは手をとり合って同感した程 の 一致ではなかったろうか 。 さらには安岡が, この小冊子で述べている宮本武蔵の生 涯を始め,伊織との出会い,独行道十九箇条や五輪書の話をみると,英治はこれから ヒントをえて武蔵に取組んだに違いないと思われるのである(松本昭 2000 (初出 1 9 8 2 ) ;p p .146- 147) 。 〈自己完成のための殺人 〉 は,軍国主義の時代における吉川英治 (1892-1962) と右翼 思想家・安岡正篤 (1893-1983) の合作と見てよい だ ろう 。 4 . Ii'パガボンド』と〈自己完成のための殺人〉の変容 佐藤忠男が痛烈に批判した〈自己完成のための殺人〉については , その後もさまざま な批判が提出されている 。 吉川武蔵をプロジェクト研究した成果をまとめた水野・棲 井・長谷川(編)Iií宮本武蔵」は生きつづけるか-現代世界と日本的修養一JJ (文員堂, 2001 年)は,吉川武蔵が描いている 〈修養 〉 に現代的可能性を認める が 会性・創造性」を補わなければど う しよ う もない, 他者性・社 と要約している 。 棲井良樹は,吉川武蔵と『バガボンド』について,以下のように評価している 。 その後,たしかに(熊田註;吉川英治の) IT'宮本武蔵』は読まれなくなった。では, それは修養主義を中心とする「武蔵イデオロギー」の衰えを意味するものであったの ( 3 0 2 )5 1 人間文化第 25 号 か。現代の大学生を対象とするアンケート結果からは,いちがいにそう言い切ること はできなさそうである。修養に関するいくつかの要素(たとえば自力主義や克己心) は衰えているものの,努力を重視するような精神主義的傾向は残っていた。また行動 は伴わないものの,修養を求める願望は高いことがわかった。 これに実際に読んでもらった学生の感想などを加えると IF 宮本武蔵』が生き残っ ていく可能性はあると言えそうである。井上雄彦が原作に共感して,自分なりの武蔵 像を劇画という新たな媒体で表現し始めたこと,そしてその作品が受け入れられたこ とも傍証となる。ただし,吉川版『宮本武蔵』がそのまま昔の形で、読みつがれていく 可能性は多くはないだろう。現代の学生たちは武蔵の孤独さに違和感を感じ,井上の 描く武蔵は他者への共感に満ちている。このように吉川の構築した武蔵像は,井上が 今まさに挑戦しているように,それぞれの時代の雰囲気に影響され,その姿を少しず つ変形させながら,残っていくのではないだろうか(棲井 2003; pp.212-213) 。 井上雄彦が吉川武蔵をマンガ化した現代の大ベストセラー漫画『バガボンド .n ( 1 9 9 9 - 続刊中)は,途中から「他者性・社会性・創造性」を補うことによって, <武蔵的人格 美学〉と一線を画している。 NHK の番組『トップランナー .n (2009 年 7 月 6 日・ 8 月 26 日)に出演した時に,井上雄彦は IF バガボンド』の連載途中で 1 年間長期休載した のは斬りまくる武蔵と〆切に追われる自分の姿が重なり 描けなくなったから」と 説明していた。この時期に,井上は〈自己完成のための殺人〉にはっきりと距離をおい たのではないだろうか。以下に引用する『バガボンド』のネームは この休載期間の後 に書かれたものである。 一一殺し合いの螺旋から/俺は降りる(井上雄彦『バガボンド .n 30 , 講談社, 2009 年) 「競う相手がいた / 己のすべてをぶつけさせてくれる相手がいた/だからここまで 来れた /俺はひとりで、 はなかった / (熊田註;天下無双という)陽炎を追うのではな く技の極みを/その極みのほかは何も望まない/天のカミさんよ/命を投げ出しぶつ かるしかない相手と / も う 一度命のやりとりを / もう一度だけ俺にくれ J (向上) 井上雄彦は, <自己完成のための殺人〉に「他者性・社会性・創造性」を補って,現 代的に変容させたと言えるだろう (2) 。 5. 岩明均と〈自己完成のための殺人〉の解体 井上雄彦の『バガボンド .n (1 999-) は, <自己完成のための殺人〉とは一線を画しつ つも,なお技の極み」を追う〈殺人剣の求道者・武蔵〉を描くものであった。 5 2( 3 01 ) 〈自己完成のための殺人〉の発見と変容(熊 田) 2009 年に劇場公開された押井守原作のアニメ『宮本武蔵一双剣に馳せる夢一』は, 「立身出世」して「兵法家」となり「関ヶ原の合戦に雪辱すること」を生涯の目標とし て生きた「徹底した 合理主義者」という宮本武蔵解釈を提出している(西久保 2010) 。 押井は,井上雄彦の大ヒット中のマンガ「バガボンド」が吉川武蔵から継承した求道者 的な宮本武蔵解釈に異を唱えたくて,この作品を世に問うたのだろう。 〈自己完成のための殺人〉に対するアンチテーゼを剣の求道者・武蔵」を描く『バ ガボンド』や「立身出世を追う武蔵」を描く押井のアニメよりもはるかに鮮明に打ち出 しているのは,岩明均の歴史マンガ『剣の舞j] (200 1)である。 『剣の舞』は,戦国時代末期の伝説的な剣豪にして兵法家・上泉信綱(上泉伊勢守) (15077-15887) の弟子(甥とも伝えられる)・疋田文五郎(疋田文五) ( 15277-16257) を主人公としている (3) 。歴史の中に埋もれていた剣豪に新たに光を当てているのである。 『剣の舞』 の粗筋は以下のようなものである。時は戦国の世。農家の娘ハルナは,戦 のどさくさでならず者の武士たちに家を襲われ 陵辱された上に家族を皆殺しにされて しまう。ハルナは武士から盗んだ碁石金を元手にして,天下一と名高い上泉伊勢守の道 場に弟子入りし,武士への復讐のために剣術を習おうとする。そこで伊勢守の門弟で あった疋田文五郎は 伊勢守が考案したばかりの携(しない,竹万)を手に,ハルナに 剣を指導することになった。再び戦が起こり,疋田文五郎は参戦する 。その聞に,ハル ナは復讐に成功するが,自分も命を落としてしま う。疋田文五郎が参加した軍勢 は破 れ,疋田は「城一つ,女一人守れない 」という「剣の限界」を痛感する 。以後疋田 は, 剣を捨て,以後は必ず擦を用いて人を殺さない試合をし,無敗の強さを見せる 。 以下のネームは,疋田が携で、ハルナに稽古をつけている最中に,ハルナと疋田の間で 交わされる会話である。 (ハ lレナ) r 文五郎さまは……なぜ戦うんです 7J (疋田) r 実戦に生かすためにわれらは剣の腕をみがく / そのための剣だろう」 (ハ lレナ) r つまり結局は『手段』ですよね……とすると文五郎さまの『目的』って何 で、しょう」 (疋田) r なに…… 7 / 目的……/目的か……/う""'''''''''''ん J (岩明 2001 , p . 2 2 0 ) この会話は,疋田文五郎という剣の名人が立身出世」はもちろんのこと, <自己完 成のための殺人〉をもすでに全否定していることを 示している。『バガボンド 』は, <自 己完成のための殺人 〉と一線を画しつつも,なお「技の極み」を追う〈殺人剣の求道 者・武蔵〉を描くものであった。それに対してIf'剣の舞』の主人公は剣によ って人 を殺すこと」自体の空しさに気づくのである 。『剣の舞』は, <自己完成のための殺人〉 の否定という点でIf'バガボンド』よりもはるかに徹底しているのである 。 ( 3 0 0 )5 3 人間文化第 25 号 6. おわりに一一これからの『宮本武蔵』 1990 年代以降,バフゃル経済崩壊と平成大不況の中で,社会的弱者である若者は生 き延びる 」 ために 「 意地を張る」という形で自己主張する ( 1 自分という存在の正しさ 」 を証明する)必要があった。そこに,吉川武蔵を原作としつつも, <自己完成のための 殺人〉とは一線を画したマンガ『バガボンド』が大ヒットした理由があった。しかし, ポストモダンとも第二の近代とも評される現代の時代状況の中で 「 総力戦 = システム 化社会」が生んだ〈武蔵的人格美学〉は,基本的には葬られつつあるように思われる。 岩明均の 『 剣の舞 』 は, (剣の名人という) 1 意地 」 は保ちつつも, <自己完成のため の殺人〉を全否定する作品であった。 1990 年代に大ベストセラーとなった秋月伸宏の 『るろうに剣心一明治剣客浪漫謹 l J (1994- 1998) もやはりまた殺人剣 」 を全否定し ているイ乍品である。 『ろろうに剣心』はIí週刊少年ジャンフ。Jl (集英社)誌上において 1994 年 19 号から 1999 年 43 号まで連載され,単行本 はジャンプ・コミックスより全 28 巻が,また後に完 全版が全 22 巻で刊行された。全 28 巻の売り上げは 4700'""5000 万部を記録しているヒッ ト作で,海外でも高い支持を受けている。明治維新のために不本意ながら自分を押し殺 して人を斬り続け人斬り抜万斎」として恐れられた伝説の剣客緋村剣心がある出来 事から「不殺(ころさず) J を誓い 恋人の神谷薫との出会いや 同じ激動の時代を生 き抜いた宿敵たちとの戦いを通じて,新たな時代での生き方を模索していく, というス トーリーである。 緋村剣心は(元)下級武士とい う 設定であるが, いうよりも「侠気 J (1任侠 J) この作品のテーマは武士道」と と言った方が適切である。 困っている奴や /訳ありの奴を見ると /力にならずにいられない /流浪人(るろう に)としての性分さ //剣はめっぽう/強いくせして /人には減法弱いだろ/あいつ グ女子供には /特に(完全版,第 2 巻, 2006 年) “人殺しの/罪は死罰を / 以(も)って" // それも 一 つの/償い方だ、が/グ己が死 んだ所で/殺した人が/蘇る訳では/ござらん//それよりも/より一人でも/多く のために /剣を振るう事が/グ本当の /意味での /償いとなる/はず、/グ“人斬り抜万 粛"は / そうやって / 明治 ( いま)を生きて / いるでござるよ(完全版,第 4 巻, 2006 年) 時代の大きな流れは意地の美学 」 は保ちながらも,近代日本が生んだ 「 自己完成 のための殺人」を繰り返す「不毛な人格美学」から弱きを助け,強きを挫く J <侠 5 4( 2 9 9 ) 〈自己完成のための殺人〉の発見と変容(熊 田) 気〉へと移行しつつあるように思われる。 〈謝辞〉本稿を,草稿段階で東京大学の島薗進氏に読んでいただき,貴重なアドバイスを賜った。 記して深く感謝したい。 註 (1) 中井は,強者は「意地を張る」のではなく,本来は「粋」に振る舞うべきだとしてい る。「粋」は,古くに九鬼修造が論じているように 「 意地」が霊化されたものである。 (2) 井上雄彦はバガボンド』を 2010 年度中に完結させることを予告している。吉川武蔵 と『 バガボン ド』の本格的な比較研究は 『バガボンド』の完結を待たねばならない。 (3) 疋田文五郎はIrバガボンド』にも l コマだけ登場する。 参考文献 秋月伸宏「るろうに剣心一明治剣客浪漫謹一.!l 1-28 ,集英社, 1994年一 1999 年(完全版 1-22 , 2006年一2007 年) 井上雄彦『バガボンド.!l 1 -32 (続刊中) ,講談社, 1999年一 (続刊中) 岩明均『雪の峠・剣の舞』講談社, 2001 年 神渡良平 「安岡正篤の世界先賢の風を慕う一』同信社, 棲井良樹「宮本武蔵の読まれ方』吉川弘文館, 佐竹・中井(編)Iir意地」の心理』創元社, 佐藤忠男「日本映画と日本文化』未来社, 佐藤忠男『意地の美学 1991 年 2003 年 1987 年 1987 年 時代劇映画大全一』じゃこめてい出版, 縄田一男Iir宮本武蔵」とは何か』角川ソフィア文庫 西久保瑞穂(監督) Ir宮本武蔵一双剣に馳せる夢 2009 年 2009 年(初出 2002 年) l ! . (DVD),ポニーキャニオン, 2010 年 水野・樫井・長谷川(編)Iir宮本武蔵」は生きつづけるか一現代世界と日本的修養一』文員 堂, 2001 年 松本昭『人間 吉 川英治』学陽書房 2000 年(初出 1982 年) 安岡正篤『日本武道と宮本武蔵』金鶏学院 1931 年 ( 2 9 8 )5 5
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