55 チャルチュアパ遺跡(エル・サルバドル共和国)の 先古典期後期に関する一考察 伊 藤 伸 幸・柴 田 潮 音・南 博 史 はじめに チャルチュアパ遺跡はメソアメリカの南東端に位置し、エル ・ サルバドル共和国の西部地域に ある(図 1)。チャルチュアパ遺跡カサ・ブランカ地区は同遺跡タスマル地区と同様に、国立公 園として保護されており、面積は 63,000㎡ある。しかし、現在、チャルチュアパ市の拡大に伴い、 周りは住居に囲まれるようになっている。また、1998 年にはパンアメリカンハイウェイのバイ パス建設が開始され、現在カサ・ブランカ遺跡公園の前に幹線道路が走っている(図 2)。カサ・ ブランカ遺跡公園には 1.5 m~ 11 mの高さを持つ 6 基のマウンドがある。これらのマウンドは 図 1 エル・サルバドルの主要な遺跡とチャルチュアパ 1.カラ・スシア、2.サンタ・レティシア、3.チャルチュアパ、4.サン・アンドレス、5.ホヤ・デ・セレ ン、6.シワタン、7.ケレパ (1) 56 名古屋大学文学部研究論集(史学) 図 2 チャルチュアパ市街図とカサ・ブランカ地区(バイパス建設以前) (2) チャルチュアパ遺跡 ( エル・サルバドル共和国 ) の先古典期後期に関する一考察 57 南北約 240 m東西約 220 mの大きさをもつ人工的に造られた基壇の上に建てられている。4N ト レンチはこの基壇の端に設けられた。このトレンチは北部分が 8.5 × 6 mで南部分が 10 × 2 m である(図 3)。 この小論は、2000-2002 に実施したカサ・ブランカ地区 4N トレンチ発掘調査結果を基礎資料 として、古代メソアメリカにおける都市の形成過程を考察する。 図 3 カサ・ブランカ遺跡公園と 4N トレンチ 1.チャルチュアパ考古学調査とカサ・ブランカ地区 ここでは、チャルチュアパ遺跡における調査に触れつつ、カサ・ブランカ地区の調査史につい て説明する(Shibata, 2004)。 1942 年まで、チャルチュアパ遺跡では本格的な考古学調査が実施されていなかった。しかし、 20 世紀初頭にエル・サルバドル人地理学者ラルデは、エル・サルバドル国内の地理学的考古学的 調査を行った。チャルチュアパ遺跡についても、調査を行っている。カサ・ブランカ地区はエル・ トラピチェ地区と同様にマウンドが多く、土製であると報告されている(Lardé, 1926)。1941-1942 (3) 58 名古屋大学文学部研究論集(史学) 年には、ロングイヤーが、アメリカ合衆国のアンデス研究所の援助を受けて、チャルチュアパ遺 跡カサ・ブランカ、ラス・ビクトリアス、パンペ、タスマル、エル・トラピチェ地区で踏査を 行った。カサ・ブランカ地区はチャルチュアパ遺跡でもっとも大きく、16 基のマウンドがあった。 チャック・モール、様式化されたジャガーの頭部などの石彫がこの地区で出土したとされている。 1942 年に、チャルチュアパ遺跡で初めての発掘調査がタスマル地区で行われた(Longyear, 1944; Boggs, 1943a, b, 1944, 1945)。また、キダーはグァテマラ高地の主要遺跡カミナルフユ遺跡との関 係を調査するために、エル・トラピチェ地区と共にカサ・ブランカ地区の踏査を行った(Sharer, 1978)。ペンシルバニア大学博物館による踏査の後に、チャルチュアパ遺跡の総合的な考古学調査 が同博物館のシャラーによって始められた(Coe, 1955; Sharer, 1978)。カサ・ブランカ地区を始め とするチャルチュアパ遺跡の各地区を発掘調査した。この結果、トック期(紀元前 1200-900 年)、 コロス期(紀元前 900-650 年)、カル期(紀元前 650-400 年)、チュル期(紀元前 400-200 年)、カ イナック期(紀元前 200 年-紀元後 200 年)、ベック期(紀元後 200-400 年)、ショッコ期(紀元後 400-650 年)、パユ期(紀元後 650-900 年)、マタシン期(紀元後 900-1200 年)、アハル期(紀元後 1200-1524 年)に時期区分された(Sharer, 1978)。1979 年にはボッグスにより、カサ・ブランカ地 区の C1-1 建造物の調査と修復・保存作業が行われた(López, 1979)。 1995 年には、京都外国語大学による考古学調査が開始された。1-3 号建造物(C1-1, C3-3, C3-6) と4N トレンチの一部が調査された。これらの建造物は古典期後期に属することが遺物などか ら明らかになったが、内部には先古典期後期の遺構もあることが遺物などから判明した(Ohi, 2000)。また、1998 年には公共事業省が計画したサンタ・アナ市とアティキサヤ市を結ぶバイパ スがチャルチュアパ市を通ることになった。このために、線路として使われていた部分が利用 されることになり、CONCULTURA が事前調査を行った。この結果、フラスコ状ピットがイロ パンゴ火山灰層の下から検出された。出土した炭化物から紀元前 333 ± 29 年(NUTA-1742)と いう年代を得た(Ito, ed., 2001)。2000 年にはカサ・ブランカ遺跡の藍染工房兼博物館の事前調 査が行われ、M1 試掘坑より畝状遺構が検出された(図 3)。また、名古屋大学による 4N トレ ンチでの調査も始まった(Shibata,et al., 2002; Ito, 2004)。一方、2001 年以降の調査をみると、 CONCULTURA 考古課によるヌエボ・タスマル(2001-2003 年)調査、CONCULTURA と JICA によるタスマル(2004-2005, 2006 年)調査や名古屋大学によるタスマル(2004-2006 年)調査が ある(Sibata, 2005; Ito y Shibata, 2007; Kato, et al., 2006; Shibata y Murano, 2008)。また、カサ・ ブランカ地区では、JICA と CONCULTURA による調査が 5 号建造物(Ichikawa, 2007)、6 号 建造物(Murano, 2008)で行われた。カサ・ブランカ遺跡公園の道路を挟んで南にあるラ・クチ ジャ地区では多数の埋葬が発掘された(Ichikawa, 2008)。クスカチャパ湖近辺やラス・ビクトリ アス近辺でも調査が行われ、住居址などが発掘されている(Erquicia, 2006)。 現在に至るまで、チャルチュアパ遺跡で中心となって調査されてきたのはマウンドを中心とす る建造物である。2000-2002 年の調査では建造物ではなくマウンドの無い平らな部分を調査した。 (4) チャルチュアパ遺跡 ( エル・サルバドル共和国 ) の先古典期後期に関する一考察 59 図 4 4N 区平面図と 4N トレンチ断面図 メソアメリカ古代都市の中心部分ではなく、その周辺部分を調査したのである。また、この発掘 調査の結果、先に発掘調査された畝状遺構との関連が見出され、カサ・ブランカ地区の都市とし ての機能の一部を明らかにした。以下では、2000-2002 年の発掘調査結果を説明し、次にカサ・ ブランカ地区の都市形成過程を検討する。 2.カサ ・ ブランカ地区 4 Nトレンチにおける発掘調査 チャルチュアパ遺跡カサ・ブランカ地区4N トレンチにおいては、2000 年 9 月に第一次調査 を実施した。また、2002 年 3 月までに 4 次にわたり発掘調査を行った。この調査の目的は京都 (5) 60 名古屋大学文学部研究論集(史学) 外国語大学による調査で貯蔵穴とした遺構の規模を確認することであった。この遺構は、京都外 国語大学による調査によって部分的に発掘されていた(Ohi, 2000)。 発掘期間中には擁壁、焼土片からなる層、石の階段状遺構と固い床面が検出できた(写真 1-6)。以下に上から順に各層を説明する。 (1)層位 第 12 層まで遺物が出土した。しかし、無遺物層を確認するために、第 13,14 層まで発掘を実 施した(図 4)。 第1層:黒色土層。表土。コーヒーの木を植えるための穴がみられる。 第2層:暗褐色土層。軟らかい。後古典期に相当する遺物が出土した。 第3層:明褐色土層。固い。遺物の量は少ない。 第4層:火山灰層。4つの薄層に分かれる。4a は二次堆積で、小砂利を含む明褐色土層であ る。4b も二次堆積で淡黄褐色土層である。4c も二次堆積で黄褐色土層である。4d は一次堆積で 白色火山灰層で、イロパンゴ火山噴火による降下火山灰層(TBJ)である。 第5層:明褐色土層。傾斜壁の充填材。部分的に擁壁の一部が観察できる(写真 1)。発掘区 の断面では、畦の一部が観察できる。 第6層:褐色土層。この層の上に焼土片の集中部分が観察できた。 第7層:明褐色土層。第 8,9 層と同じで、段状部分南側の充填材である。この層は、北側部 分でも観察できる。この段状部分を作る際には、石の階段を作った(図 5、写真 4)。比較的大き な土器片が多く出土しており、儀礼を行って石段を埋めた可能性がある(写真 5)。土壁の仕上 げ部分の破片が出土している(写真 2)。 第8層:黒色土層。炭化物を含む。北側にはなく、南側の段状部分のみの層である。この層で は数点の供物が出土した。また、多量の炭化物が検出された(図 6、写真 3)。 第9層:暗褐色土層。上面は固く、床面となっていた。この層上部は下部よりも粘土分が多い。 下部に行くほど石が多く観察できる。 第 10 層:黄色土層。上面は固く、床面となっていた。3 層に分かれている可能性がある。一 番上の部分は、土器、土偶、黒曜石など遺物が多く出土した。中ほどの部分は上や下の部分より 土の量が多い。一番下の部分は石が多い。また、この層を掘り込んで方形状の土壙の一部と思わ れる部分が4N トレンチ北西部分から検出できた。しかし、発掘区の外にその遺構が伸びている ために、その全容は確認できなかった(図 7)。 第 11 層:褐色土層。遺物量が減少した。第 10 層よりも軟らかい層である。数か所で、土壙、 石列や骨が検出された(図 8、9、写真 6)。 第 12 層:明褐色土層。この層まで、少量であるが遺物が出土した。この層より下では、遺物 が出土しなかった。 第 13 層:砂利混褐色砂質土層。砂や砂利が多く、遺物が全く出土しなかった。 (6) チャルチュアパ遺跡 ( エル・サルバドル共和国 ) の先古典期後期に関する一考察 61 図 5 階段状遺構平面図・断面図 第 14 層:黒色土層。非常に固く締まっている。有機質の物質が観察できたが、遺物は全く出 土しなかった。 (2)土器資料 ここではトレンチ4N で出土した土器を古い方から新しい方へとみていく。また、層位と土器 の特徴から以下のように層を分けることができる。 11 層→ 10 層→ 7-9 層→ 5,6 層→ 1-4 層。 (7) 62 名古屋大学文学部研究論集(史学) 図 6 遺物出土状況図(第 8 層上面) 図 7 方形遺構出土状態図(第 10 層上面) (8) チャルチュアパ遺跡 ( エル・サルバドル共和国 ) の先古典期後期に関する一考察 図 8 遺物出土状況図 1(第 11 層) 図 9 遺物出土状況図 2(第 11 層) (9) 63 64 名古屋大学文学部研究論集(史学) 本稿では、各層における特徴的な土器の変化をみていく。 全体的な特徴として挙げられるのは、オレンジ色土器若しくはウスルタン式土器が多いこと である。また、1,2 条の凹線文が口唇部、口縁下などに施される(図 10.8,10、図 11.5,6,8)。赤 色土器では、壺形土器の肩部やや上の頸部に水平に刻線文が回る(図 10.9)。また、壺形土器の 口縁から肩部にかけて人面が装飾されることも多い(図 11.1)。装飾については、鎖状突帯(図 10.4)やカボチャ形象などもみられる。 第 11 層:図 10.1-4 第 11 層では、下に向かって土器の出土量が減る。そして、第 12 層以降、出土する土器はな かった。この層では、幅広の突帯・凹線文(図 10.1,2)と鎖状突帯(図 10.4)、口縁下の把手の痕 跡のような突帯(図 10.3)を持つ土器が出土している。凹線文の窪んだ部分に黒鉛状の黒色顔料 を施す赤色土器がみられる。第 10 層でもみられるが、頸部と肩部の境に刻線が回る壺形赤色土 器もみられる。 第 10 層:図 10.5-10 この層は固い床面を形成している。カサ・ブランカでは生活面として認識できる。赤色土器で は多種多様性がみられる。この層から細刻線文が出現する(図 10.5)。また、注口(筒形)土器 がみられる。突起、動物・人物形象部を持つ香炉がある(図 10.7)。赤彩若しくは彩色のない壺 形土器では、頸部下に刺突文が施された突帯がみられる。鎖状突帯、鍔状突帯(図 10.6)、凹線 文(図 10.8,10)、人物形象などの装飾がみられる。 第 7-9 層:図 11.1-6 層位は 3 層に分けられ、土器は若干異なる。 第 9 層:口縁部若しくは口唇部に赤彩がオレンジ色土器若しくはウスルタン式土器に施される (図 11.5)。赤彩はしばしば刻線によって範囲が定められる。刻文を持つ黒褐色土器(図 11.4)の 刻文部分に赤色顔料が施されることもある。この層で、初めて、漆喰装飾が出現する。化粧土を 持たない素焼きの土器の突起部分には 3 つの凹みがみられる。注口土器(筒形)もみられる(図 11.2)。 第 8 層:細刻線文がみられる(図 11.3)。また、数色の漆喰装飾がみられる。 第 7 層:オレンジ色土器では幅広の捲れた口縁部に凹線で動物文若しくは幾何学文が施される (図 11.6)。平型の注口がこの層からみられる。先端に 3 つの凹部が施される突起がある。オレン ジ色土器若しくはウスルタン式土器には数色の化粧漆喰が施されている。黒褐色土器には赤色顔 料が施された刻文がみられる。また、第 10 層からみられる壺形土器の頸部顔面装飾は赤彩が施 されることもある(図 11.1) 第 5,6 層:図 11.7-9 層位的には 5,6 層は分けることができる。6 層の上に乗るように焼土片の集中部分が観察で きた。しかし、5,6 層において遺物の相違点は見つからなかった。 (10) チャルチュアパ遺跡 ( エル・サルバドル共和国 ) の先古典期後期に関する一考察 図 10 第 10,11 層出土の土器 第 11 層:1,2.オレンジ色土器、3.黒褐色土器、4.赤色土器 第 10 層:5,6.黒褐色土器 、7.素地土器、8.ウスルタン式土器、9,10.赤色土器 (11) 65 66 名古屋大学文学部研究論集(史学) 図 11 第 5-9 層出土の土器 第 9 層:2.黒褐色土器、第 8 層:5.ウスルタン式土器、3.黒褐色土器、第 7 層:1.素地赤彩土器、4.黒 褐色土器、6.ウスルタン式土器 第 6 層:8.ウスルタン式土器、第 5 層:7,9.素地土器 (12) チャルチュアパ遺跡 ( エル・サルバドル共和国 ) の先古典期後期に関する一考察 67 第 6 層:数色の化粧漆喰がみられる。黒褐色土器では赤色顔料が施された刻文や細刻線文が みられる。また、オレンジ色土器若しくは黒褐色土器では、平型の注口と高くて中空の脚(図 11.7)がみられる。ウスルタン式土器には口唇部に幾何学文が刻文で表現され、赤彩が口縁部に 施されることもある(図 11.8) 第 5 層:二種類の注口(平型、筒型)がオレンジ色土器にみられる。また、黒褐色土器には、 平型の注口土器がある。人物形象香炉(図 11.9)もみられる。 第 1-3、4 層 今回の調査では 1-3 層は発掘調査を実施していない。第 4 層では、少量の遺物しか出土してな い。このために、本稿では扱わないこととした。イロパンゴ火山噴火の時期を考慮すると、第 1 層から第 4 層までは古典期前期以降に相当すると考えられる。 (3)各層の年代 ここでは土器資料と AMS 年代測定で得られた年代から各層の年代観をまとめる。古い順に説 明する。 1)第 11 層:固い床面の下 若干の遺物が出土している。浅くくぼんだ部分に土器や土偶が集中した部分がみられた。それ より下では、遺物の量が減り、無遺物層の第 12 層に到る。第 14 層でみられる有機物を AMS 年 代測定器にかけたところ、紀元前 8380 ± 40 年(BETA-1742)という年代が出た。 この地区ではこの時期以降に居住が始まった。また、土器、黒曜石、土偶が出土した浅い土壙 では、何らかの儀礼が行われた可能性がある。土器の特徴は、鎖状突帯若しくは幅広の張り出し 部を持つ鉢形土器、黒鉛状顔料が施された凹線が挙げられる。 2)第 10 層:固い床面 タルペタテと柔らかい土の層の上に、土、土器片、土偶の破片、黒曜石を混ぜた土で、固い面 を造った。この層の上に、床面の仕上げとして薄い層がある。この床面に関連する建造物、生活 の痕跡若しくは儀礼の痕跡はなく、床面があることのみが確認できた。第 10 層出土の炭化物を AMS 年代測定にかけたところ、紀元前 93 ~紀元後 19 年(NUTA2-6449, 6450)という年代が得 られた。土器資料は、最も古い時期の細刻線文が出土した。 3)第 10 層の改変:石段、段差、方形状遺構(トレンチ4N 北西隅) 固い床面が作られた後に、段差が作られた。石段を造り、上と下で行き来出来るようにした。 また、方形のくぼんだ部分を造った。その後、この段差の途中の高さまで埋められた。その後、 直ぐか少し時間が経ってからかは不明であるが、完全に埋められた。一方、南側の低い部分に埋 土(第 8 層)上面の高さ若しくは北部分の 2 番目の埋土層上面まで埋められたときに、石段が作 られた可能性がある。土器資料については、第 9 層で漆喰装飾と赤彩が初めて出現する。口唇部 若しくは口縁部の刻文には赤色顔料が施される。また、オレンジ色土器若しくはウスルタン式土 器に、赤彩が胴部に施されることがある。第 7 層では平型の注口が出現する。段差を造るときに、 (13) 68 名古屋大学文学部研究論集(史学) カミナルフユの土器と関連付けられる要素が現れる。 4)第 9 層:もう 1 つの床面 段差が機能しなくなった後に、この段差の一番低い部分に石が置かれ、他の床面を造るために 土が入れられ固められた。また、この床面の上に供物が置かれた。土器、土偶、黒曜石が階段の 前に置かれた(写真 2)。 この床面の上下で、時期が分かれる可能性がある。そして、この同じ時期に、この床面の上に 2m 程高く、大基壇が一度に傾斜壁の上面まで造られた可能性がある。この仮定が正しいとする ならば、集中して出土した焼土片は建設という行為に対して行われた儀礼の結果であった可能性 がある。 5)第 6 層直上:焼土片の集中 段差を埋めてしまった後、第 10 層上面(固い床面)の高さに至った。しかし、床面の高さま で埋めた時に何らかの活動があったかは不明であるが、2 つの可能性が考えられる。 ①ある程度の期間、床面として機能した。 ②単純に平らにして、傾斜壁や大基壇を造る準備をした。 そして、ある程度の量の土を入れ均した後に、焼土片を捨てた。これらの焼土片は神殿若しくは 住居の土壁のものの可能性がある。また、火災若しくは儀礼的に焼いた可能性がある。第 6 層から 出土した炭化物から、紀元後 1-64 年(NUTA2-1741)と紀元後 261-389 年(NUTA2-1740)という 年代が得られた。2 つの年代の差は大きいため、今後、検証する必要がある。イロパンゴ火山の噴 火した紀元後 260 ± 114 年若しくは紀元後 430 年(Dull, et al., 2001; Dull, 2004)を考慮に入れる必 要がある。また、焼土片の間から出土した土器は第 6 層と同じ特徴を持っている。 6)擁壁と傾斜壁(第 5 層) 床面の上にはいくつかの層と擁壁が観察できる。こうして傾斜壁が造られたが、これは人工的 に造られた大基壇の東縁にあたる。この基壇の上に 6 基の建造物が造られた。この大基壇の下の 低くなった部分には、部分的に畝が造られた。この後、イロパンゴ火山が噴火し、傾斜壁や畝の 上に火山灰が積もった。第 5 層の土器資料はこの層より下の層から出土した土器とあまり違いが 無く、第 5 層と第 6 層の土器は同じ時期の可能性が高い。 土器資料と AMS 年代測定の結果から、建設活動は先古典期後期に属すると考えられる。この 建設活動の規模は大きかったと考えられる。 3.チャルチュアパ遺跡における都市の形成 標高 700m より上の高さで建造物が立てられている。この高さまでの歴史を発掘調査の結果か ら検討する。 人為的な痕跡がないのは、第 12 層から下の層である。第 14 層の有機物の年代測定は紀元前 (14) チャルチュアパ遺跡 ( エル・サルバドル共和国 ) の先古典期後期に関する一考察 69 8380 ± 40 年である。これ以降に、カサ・ブランカ地区では人の活動がみられる。最初に何らか の活動が見られるのは 697.00m と 698.00m の間にあり、そのころには大きな建造物がない。居住 の痕跡が見られる第 11 層では炭化物が出土しなかった。このため AMS 年代測定から出された 年代はないが、土壙から出土した土器の特徴から見ると先古典期中期末若しくは先古典期後期初 頭が考えられる。次に、第 10 層をみる。この部分の年代測定をみると、紀元前 93-19 年である。 細刻線文土器があり、先古典期後期の可能性が高い。集落があった可能性が考えられる。この時 期には石段を作ったり、段差を作ったりしている。次に、697.50m では平らに地面を均している ことが考えられる。そして、次の段階では、一度に約 2m 高くして、大基壇を造っていた。年代 測定の結果である紀元後 1-389 年を考えると先古典期後期若しくは古典期前期となる。しかし、 土器の特徴を考慮すると、先古典期後期の可能性が高い。そして、それ以降に、少なくとも 6 基 の建造物を建造している。 以上のように考えると、カサ・ブランカ地区では先古典期中期末から後期初頭にかけて居住が 始まったと考えられる。このことは 1998 年にカサ・ブランカ遺跡公園南の道路建設工事の際に 排水溝を掘った時に出土したフラスコ状ピットの土器の年代や炭化物の年代からも裏付けられる (Shibata, 2004)。この時期には、エル・トラピチェ地区では既に大きな建造物が造られていた。 先古典期後期若しくは終末期に都市の拡大化がエル・トラピチェ地区から始まり、南に向かった 可能性がある。それ以前は、集落があった。しかし、この時期にはすでにエル・トラピチェ地区 では大きな建造物が造られていたことを考えると、エル・トラピチェ地区に属する集落があった と考えられる。そして、次の時期にはカサ・ブランカ地区に都市が拡大したことが考えられる。 おわりに 最後に、メソアメリカ南東部太平洋側やマヤ地域、そして、最初に都市がみられるメキシコ湾 岸の状況とカサ・ブランカ地区を比較する。 メソアメリカ南東部太平洋側をみると、カミナルフユが先古典期にこの地域の中心となり年を 形成した。カミナルフユでは、先古典期中期に都市化が進む。カミナルフユ遺跡では先古典期中 期に土製建造物が建設し始められる。そして、先古典期後期には 10 を越える土製建造物が造ら れていた。また、先古典期中期には水路も建設されていたとされる。カミナルフユ、チャルチュ アパ遺跡が属するメソアメリカ南東部太平洋側地域では先古典期前期から土製建造物が立てられ て集落を形成していた。タカリク・アバフでは 3 号テラスが先古典期後期に造られ、テラスの上 に建造物が建設された(Garcia, 1997)。イサパでは先古典期後期に B 群では大きな基壇が造成さ れ、その上に建造物が建てられた(Lowe, et al., 1982) メソアメリカ全域で見ると、メキシコ湾岸で最初に大きな造成工事が始まり、都市が造られ た。メキシコ湾岸地域ではサン・ロレンソ遺跡では先古典期前期より土製建造物が立てられてい (15) 70 名古屋大学文学部研究論集(史学) た(Coe & Diehl, 1980)。ラ・ベンタ遺跡では先古典期中期には計画的に建造物が配置され、土 製建造物が立ち並んでいた。マヤ低地ではエル・ミラドールでは先古典期後期には大きな基壇の 上にピラミッド神殿が建っていた(Hansen, 1990; Howell, et al., 1980)。 カサ・ブランカ地区の造成工事はこうした先古典期後期からの大造成工事の一つとして位置づ けられる。しかし、調査は大基壇の端のみであり、今後の調査が俟たれる。 参考文献 Boggs, Stanley H. 1943a “Observaciones respecto a la importancia de Tazumal en la prehistoria salvadoreña” Tzunpame III(1), pp.127-133. 1943b Tazumal en la Arqueología Salvadoreña. 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El acceso al elemento arquitectónico mencionado se realizaba a través de gradas de piedra. En una etapa constructiva posterior fue rellenada y sellada la excavación, para construir una plataforma grande que sirve de basamento de las estructuras que se mantenían sobre la misma, por lo que fue levantando 2 mts. de relleno con relación al nivel anterior durante el periodo Preclásico Tardío. En el área de Casa Blanca se pueden observar seis montículos cuyos tamaños fluctuan entre 1.5 mts. y 11 mts. de altura. Estos montículos están construidos sobre la plataforma artificial, la cual mide en total unos 240 mts. de norte-sur y unos 220 mts. de este-oeste. Comparando la arquitectura del mismo periodo o más temprano, observamos que existían importantes centros con construcciones grandes, como en San Lorenzo, La Venta, Izapa y Kaminaljuyu. Por esos componentes, consideramos que las construcciones grandes de Chalchuapa podrían ubicarse dentro de la tendencia arquitectónica Mesoamericana del periodo Preclásico. (19) 74 名古屋大学文学部研究論集(史学) 写真 1 4N トレンチ南断面(上)と擁壁の石列(下) (20) チャルチュアパ遺跡 ( エル・サルバドル共和国 ) の先古典期後期に関する一考察 写真 2 第 7,10 層上面における石段最上部検出状況(上)と供物出土状況(下) (21) 75 76 名古屋大学文学部研究論集(史学) 写真 3 第 8 層上面における供物出土状況 (22) チャルチュアパ遺跡 ( エル・サルバドル共和国 ) の先古典期後期に関する一考察 写真 4 石段状遺構 (23) 77 78 名古屋大学文学部研究論集(史学) 写真 5 石段前の土壙検出状況(上)と遺物出土状況(下) (24) チャルチュアパ遺跡 ( エル・サルバドル共和国 ) の先古典期後期に関する一考察 写真 6 第 11 層上面における土壙検出状況(上)・遺物出土状況(下) (25) 79
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