研究報告 - 先端芸術音楽創作学会 | JSSA

先端芸術音楽創作学会 会報 Vol.8 No.4 pp.17–21
研究報告
「イルカムにおける現代音楽学 DEA 講座」を振り返って
塩野 衛子
Eiko SHIONO
所属なし
概要
筆者が、学生として経験した、
「イルカムにおける現代
音楽学 DEA 講座」の紹介。フランスの複雑な教育のシ
ステムを簡単に解説した後で、1989 年から 1999 年ま
でフランス、イルカムで開講されていた現代音楽コー
スについて、紹介する。
In this presentation, I wish to explain the research program in music and musicology of the 20th century at Master 2EA degree level (previously labelled DEA in France)
at ICRAM (Institut de Recherche et Coordination Acoustique/ Musique). Created by Hugues Dufourt as early as
1989, this curriculum is intended not only for composers,
but for performers, singers and for musicologists as well,
all those who are interested in the contemporary developments of music.
The author was a student in this program during the
couple of years 1994-5. Unfortunately, this course was
terminated in 1998. However, it seems indeed that Japanese
researchers may benefit from knowing about it. It is thus
profitable to introduce it here in order to grasp its essence
and use in a smoothly way. In the following presentation, I will first explain shortly how the educational system
works in France, which is rather difficult to understand. In
a second part, I will display the contents of the abovesaid
very topical and highly representative curriculum in detail.
1. フランスの高等教育
メディア等でよく取り上げられるので周知ではある
が、しかし、フランスは、独特なシステムを持つので、
簡単に教育制度を説明する。
1.1. バカロレア
フランスでは高等学校終了証明は、全員、バカロレ
アという国家試験によって行なわれる。バカロレアに
は、
「普通」
、
「技術」
、
「職業」の3種類のカテゴリーが
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あり、一般に高等教育機関を目指すものは「普通」を受
験する。ここでは「普通」だけを取り上げる。「普通」
には人文系 (L)、科学系 (S)、社会系 (ES) の3つ分野に
分けられている。特徴としては、全て小論文、記述式
である。特に全分野に哲学が必須科目として課せられ
ており、与えられたテーマに大体4時間くらいの制限
時間で論文を完成させる。ここで問われるのは「書い
た内容の云々」ではなく、
「テーマを理解しそれに対し
てどのように論理を展開したか」という点である。バ
カロレアは 20 点満点で成績がつけられ、7 点以下は不
合格となる。
1.2. 大学
バカロレアを取得した者は、大学であれば専攻を問
わずどの学部でも1年次に自由に登録できるという建
前がある。しかし、実際のところ、バカロレアの点数
や、先行により暗黙の書類選考がなされているのが現
状である。
かつては、教養2年 (DEUG) プラス1年で、学士 (Licence)、修士 (Maîtrise) 1年、博士準備過程 (DESS,DEA)
1年、それ以降が博士課程であり、UV と呼ばれる単位制
度からなっていた。DESS(Diplôme d’études supérieures
spécialisées) とは、博士論文を書くのが目的ではないが、
実務に就く前に修士後さらに専門レベルに習熟するため
のコースであり、DEA (Diplôme d’études approfondies)
とは、後に博士課程に進学をする前提で準備をする過
程である。後に触れるイルカムプログラムは、その博
士準備過程1年目(DEA)に相当する。
しかし、2002 年頃から随時、ボローニャ規約に基
づき、EU 圏内諸国での共有化をはかり、また相互の
交流を図る目的で、LMD 制度が導入された。すなわ
ち、学士 (Licence) 3年、マスター (Master1, Master 2)2
年、博士課程 (Doctorat) 3年、という修業年限が定着し
た。単位は ECTS と呼ばれる European Credit Transfer
System で管理されている。
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ても、大学の授業に出席し、大学のディプロムを取得
している。
図 1. 緒外国の高等教育分野質保証システムの概要,p.18.
1.3. グラン・ゼコール
日本のメディアでも盛んに取り上げられているよう
に、大学とは別に、ある分野に特に優れたものに高い
レベルの教育を提供する、いわばエリート教育機関が
グラン・ゼコール (Grandes écoles) である。有名なもの
は、高等師範学校、ポリテクニークを上げることがで
きるが、パリ高等音楽院や、高度なレベルを持つ職業
人を育成するという観点では、筆者の意見ではオペラ
座バレエ学校などもその範疇に入れて良いのではない
かと考えている。厳しい選抜試験によって入学が許可
される。
図 2. Notice relative aux concours d’entrée/écoles normales supérieures,p.5.
1.5. フランスの教育制度の特徴、筆者所見
1.4. グラン・ゼコール準備級
筆者の意見ではグラン・ゼコールは多岐にわたり、
一概に評価もできないと思うが、コンセルバトワール
などの芸術分野を除き、一般的には、グラン・ゼコール
を目指す場合は、バカロレア取得後、高校の準備過程
に書類選抜を経て入学し2年間準備勉強をする。文化
系はカーニュ、イポカーニュと呼ばれ、理数系はトー
プ、イポトープと呼ばれる。その過程を終了し、さら
に選抜試験を経て、グラン・ゼコールに入学する。つ
まり入学当時、すでに Licence3 年目と同等の就学年限
計算になる。そして、例えば高等師範学校を例に上げ
ると、そこに合格したものは、ノルマリアンと呼ばれ、
3年間準国家公務員待遇として、俸給を受けながら勉
強する。
しかし、大学で単位を取りディプロムと取得するよ
うな一定のプログラムが課せられているわけではない。
チューターがつき、各個人が各々目的を掲げて、各個人
のプログラムで勉強する。生徒個人の自由選択で自身
の勉強計画を立てる。そのため、ノルマリアンであっ
1)試験について、いかなる専門も問わず、ある一
定の点数に達しないと合格できないものをエグザマン
(試験) とよび、選別し、順位で定員数を合格させる試
験をコンクールと区別している。
2)本来、フランスでは者を考え自分の意見を論理
的に述べる訓練を子供の頃から音なる伝統があるので、
ほとんどの試験は記述式である。そのため、例えば博
士課程に入ったときなど、議論や論文を書く上で、苦
労なく書き進めることができるように思う。しかし、
その分、評価が主観的に偏りやすい欠点がある。また、
日本の学生のように知識を詰め込みマークシートで選
択問題をこなすのは不得手である場合が多い。ちなみ
に大学医学部の1年目パセスと呼ばれるコースでは、
理数系の生徒に不可欠な多くの知識を学習させるため、
1年にわたって、大講堂で大人数の学生を相手に知識
を詰め込む授業が行われ、進級試験に選択問題方式が
取られている。大学の1年時には門戸は比較的広くと
も、2年時の定員は numerus clausus に基づき、その点
数のみで自動的に、進級落第が決まる。2年進級合格
率は役 10%から 15%とされている。グラン・ゼコール
生のプライドは大変高いが、大学でも現在では学部に
よりこのような厳しん選別が行われている。
3)授業料 教育は国家のもと行われるという意識
が強く私立学校は少ないため、授業料がほぼ無料もし
くは大変安価である。激しい競争が行われても、塾に
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行くという考えが少ない。しかし、その見返りとして、
出席しない学生や学習効果が上がらない場合など容赦
なく退学勧告ががくる。
4)グラン・ゼコールと大学という2極化が進み、
また飛び級などもさせるため、比較的低年齢層ですで
に将来の道や専門を決めなければならない傾向や生徒
の評価が定まってしまい危険性がある。エリート意識
を煽るなど、いわゆる専門馬鹿になる危険性が高い。
大器晩成型の学生には向かないのではないかと思う。
2. FORMATION DOCTRALE MUSIQUE ET
MUSICOLOGIE DU XXÈME SIÈCLE
2.1. 概要
Formation Doctrale Musique et Musicologie du XXème
siècle とは、20 世紀の音楽に特化した音楽学を学ぶ1
年間のコースで、作曲家、ユーグ・デュフール (Hugues
Dufourt 1943-) の提唱により、高等師範学校とイルカ
ムの助成金を得て国立社会高等学院に設置されていた
プログラムである。授業はイルカムで行われた。1989
年から 1999 まで行われ、その後は予算削減のため廃止
され、残っていた博士課程の学生はパ第4大学音楽学
過程に編入された。ユーグ・デュフールはアンサンブ
ル・イチネレールの創始者の1人であり、現在フラン
ス作曲界の重鎮で、仏国委嘱で曲を続けられる数少な
い作曲家の一人である。また哲学のアグレジェ(高等
教育資格)であり、国立科学研究所(CNRS)のディレ
クターを長年つとめていた。その下に、直接学生のア
ドヴァイスに載る教育スタッフがいて、その長はジャ
ン・バチスト・バリエールであった。
前述したように現在では廃止されたが、DEA として
設立されたもので、学生の認識は博士課程の1年目で
あった。つまり博士課程に繋がる準備期間として、それ
を視野に入れたテーマにそって各個人が課題に取り組
むという姿勢であった。当時、筆者が在籍した 1994-5
年時は、フランス人 4 名 (男性3名女性1名)、ポルトガ
ル人女性2名、そして筆者日本人1名が在籍した。ち
なみに 1995-6 年時にはフランスで活躍する女性日本人
作曲家、鈴木理香も在籍していた。
2.2. プログラム
クラスは、一般的には、木曜日、金曜日に、内外か
ら招聘された講師が、全日、集中講義を行う形態で、そ
こでは講義中心で生徒は当たることもなく、受講する
という受け身の形で行われる。またこれに関して試験
も行われなかった。ここに 1995-6 年のプログラムを揚
げる。(図 3∼図 6)
それとは別に、個人のテーマで A4 で 60-100 枚の論
文と、現代音楽に関する外国の研究論文のフランス語
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図 3. プログラム 1
への翻訳が課せられ、その提出と年度末の口頭試験評
価により、ディプロム取得できる形であった。筆者は
セリアリスムの作曲家セルジュ・ニッグの作品分析と
船山隆氏の武満徹に関する研究論文の翻訳を提出した。
この論文作成に関しては、指導教授はユーグ・デュフー
ルであり、個人的に連絡をとって指導を受ける。それ
と並行してイルカムに在籍しているスタッフには常に
アドヴァイスを求め相談しながら進める。
2.3. 利点・問題点
授業は一週間に 1,2 回とまとめてあるので、スケ
ジュールが組みやすく、他の学校と並行して在籍して
いる学生もいた。また、講義は、常に多くの聴講生も
参加し盛況であった。また、講義内容が多岐にわたり、
文化系で音楽を専攻するものであっても、現代音楽を
勉強するに避けて通れない、コンピューター音楽、音
楽心理学などの理数系的な分野、また演奏家たちから
直接学ぶ楽器学、そして音楽哲学など多岐にわたり、
充実したものであったと思う。筆者が当時もう少し内
容をよく理解できる語学力があったならと悔やまれる。
問題点としては、単なる講義であり、ただ座っている
だけともなりかねなかった。しかし、フランス人の気
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図 4. プログラム 2
図 5. プログラム 3
質として、指名されなくても積極的に議論を展開する
学生が多く、時には生徒間で壮絶な議論になることも
あった。
論文作成に関しては、やはり日本人としてメンタリ
ティーの問題もあり、フランス人などは上手に適切な
教官とコンタクトをとって苦もなく執筆を進めていけ
るが、筆者は指導教授とのコンタクトすらままならな
いで大変苦痛であった。授業がイルカムで行われてい
たのは、大変有意義で、作曲家コース、科学コースの
学生と、自然に自由に意見交換でき、講演会、音楽会
も常に自由に聞くことができた。
4. 参考文献
[1] 緒 外 国 の 高 等 教 育 分 野 質 保 証 シ ス テ ム の 概
要 http://www.niad.ac.jp/n_kokusai/info/
france/overview_fr_j.pdf
[2] Notice relative aux concours d’entrée/ écoles
normales
supérieures
http://www.ens.fr/
IMG/file/concours/2017/ECOLE_NORMALE_
SUPERIEURE_Notice_2017.pdf
[3] 柏倉康夫 エリートの作り方—グランド・ゼコー
ルの社会学、筑摩書房((1999/01)
3. 終わりに
5. 著者プロフィール
筆者にとって、イルカムという場所で現代音楽とい
うテーマのもと、それにかかわるあらゆる分野の学習
に触れ、1年間集中できたことは、その後の自身の現
代音楽への道を開いてくれるものであった。本報告が、
現在、日本で教鞭をとるの先生方へ参考になれば幸甚
である。今後、このコースを風化させないために当時、
中心的教官メンバーであった、ユーグ・デュフール、マ
ルク・バチエ、現、パリ・ソルボンヌ大学名誉教授な
どにもインタビューを試みたいと思っている。
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塩野 衛子 (Eiko SHIONO)
武蔵野音楽大学院修士課程修了、ドビュッシー音楽
院、ピアノ、室内楽、金メダル、ブーローニュ音楽院
エクリチュールディプロム、パリ第4大学第5分野音
楽学博士、パリ第 10 大学ラテン語、ギリシャ語、上級
コース DU 取得、ピアノを福井直敬、クロード・エル
フェール、コンスタンティン・ガネフ、ジュリア・ガ
ネヴァに師事。
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図 6. プログラム 4
図 7. プラニング表
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