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 トランプ大統領への手紙
偉大な米国経済を取り戻すためには、保護主義の誘惑を断ち切ることが必要だ。製造
業の復権のみによる雇用の創出には限界があり、米国の強みでもあるイノベーション
による産業構造の高度化や融合を引き続き推し進めることこそが重要である。排他的
な移民政策は経済の活力をそぐものであり、
米国経済のためにはならない。
みずほ総合研究所 調査本部 本部長代理 長谷川克之
拝啓 ドナルド・トランプ殿
昨秋の大統領選挙で勝利を収めてから早4カ月。大
私がとりわけ注視しているのは以下の3点です。
統領就任からも1カ月以上がたちました。株式市場の
第一に、貿易赤字の是正策として米国第一主義の
時価総額は大統領選挙前から、米国では10%強、そし
名の下で保護主義的な政策を志向していることで
て世界全体で見ても、
10%弱上昇しています。皮肉な
す。米国は世界最大の貿易・経常赤字国ですが、言う
ことですが、
8年前に「チェンジ」を掲げた前大統領か
までもなく、貿易・経常収支の赤字と企業決算におけ
らのチェンジが好感されているようです。
る赤字は全く意味が違います。
選挙前には、世界経済は停滞感に覆われ「低成長、
釈迦に説法ではありますが、一国の経常収支はマ
低インフレ、低金利」の「3低」とも言える状況に直面
クロ的な貯蓄と投資の差額によって決まります。経
していました。選挙後は、大統領が掲げた米国版「成
常赤字が累積し、その持続性が問われるような場合
長戦略」、すなわち、大型減税、インフラ投資、規制緩
であれば話は別ですが、経常赤字そのものが問題で
和が米国経済、ひいては世界経済のゲームチェン
ある訳では決してありません。米国の内需が旺盛で
ジャーになることが期待されています。
あり、国内での貯蓄以上に投資がなされる結果とし
大統領は有能な経営者です。会社の倒産は経営者
て経常収支が赤字になり、その赤字を現状では強い
にとっては不名誉なことですが、6 度も倒産を経験
米国経済に魅せられた投資資金がファイナンスして
された大統領。銀行家泣かせではありますが、何があ
いるまでです。
ふ とう ふ くつ
ろうと這い上がってくる不撓不屈の精神には感服す
「輸出は善、輸入は悪」という単純な二分法は誤り
る次第です。フォーブス誌の億万長者ランキングに
です。輸出も、輸入もその背後には企業の、そして個
よれば全米第 113 位にランクインする大統領は大成
人の、生産や消費といった経済活動があります。大統
功を収めたビジネスマンといえます。
領と共和党は「輸出は免税、輸入は課税」する法人税
政治の世界にビジネス感覚を持ち込み、企業や国
の国境調整を検討しています。しかし、企業活動のグ
民の視点から変革を進めることには意味がありま
ローバル化が進み、世界最大の消費地・米国を中心と
す。一方で、政策運営と企業経営には違いも少なくあ
したグローバルなサプライチェーンがすでに構築さ
りません。大統領が掲げている政策にはエコノミス
れている中での国境調整の導入は相当な混乱を招く
トとしては首をかしげざるを得ない点もあります。
でしょう。影響はアパレルや小売りなどの一部業種に
1
とどまりません。業種、国籍を問わず、経済活動のネッ
世界の株式市場での時価総額ランキングではトッ
トワークが大きな影響を受けることになります。原材
プ10は現在、全て米国企業です。トップ50でも32社
料、中間財、製品などの輸入価格が上昇し、マクロ的に
は米国企業です。いずれもイノベーターとして、ま
も物価や個人消費に悪影響を及ぼすことも考えられ
た、トランスフォーマーとして世界的に高く評価さ
ます。もちろん、国境調整は輸出補助金あるいは輸入
れている、
「金の卵を産むニワトリ」です。
制裁金に当たり、世界貿易機関(WTO)の協定違反と
ちなみに時価総額世界第 1 位は米アップル社です
なる可能性が高いものです。
WTO 提訴の対象になり、
が、iPhone は日本も含めた各国の最新技術の粋を集
国際的な紛争に発展する恐れもあります。国境調整の
めた部品を元に主として中国で生産されています。
導入に際しては慎重に対処するべきです。
iPhone の iPhone たる所以は、そのデザインやソフト
ゆえん
ウェアにあり、ハードウェアにあるのではありませ
ん。iPhone の組み立て生産を米国で行うことは経済
合理性に合わないでしょう。企業にとって重要であ
第二に、米国の産業政策についてです。大統領戦で
るのは競争優位を確立することですが、経済にとっ
の勝因の一つに、中西部から北東部にかけてのいわ
て重要であるのは各国がその比較優位を生かし、貿
ゆる「ラストベルト(さびついた工業地帯)」での大統
易を通して世界全体での厚生を高めることです。
領への高い支持がありました。必ずしもラストベル
第三に、排他的な移民政策にも注意しなければい
トに限った話ではありませんが、大統領は雇用第一
けません。テロを防止するための水際での国境コン
主義も掲げています。製造業の復権を目指している
トロールの重要性に異論を挟むつもりはありません
ようにも見受けられます。
が、移民が米国経済の成長の、そして競争力の源泉で
匠の技による「モノづくり大国」を自負する日本と
もあることは事実です。
しては製造業の重要性は十二分に承知しているつも
移民は労働力人口としても貴重な存在です。米国
りですが、米国が製造業大国を今後目指すべきかと
での移民数は4,000万人強。人口に占める割合は14%
問われれば違和感が拭えません。米国での製造業雇
程度にも達し、米国は移民大国でもあります。年間の
用は歴史的に低下傾向にあり、1970 年代末に記録し
労働力人口の増加数がせいぜい 200 〜 300 万人にと
た 2,000 万人弱をピークとして、足元では 1,200 万人
どまる中で、移民の減少は成長の足かせになります。
強まで、4 割近くも減少しています。民間雇用全体に
労働の量だけでなく、質の面でも移民は米国経済
占める割合も1割程度にまで低下しています。
に多大な貢献をしてきました。シリコンバレー発祥
製造業での雇用減少を補って余りあるのが、サー
企業も含めて多くの代表的なベンチャー企業が移民
ビス業での雇用拡大です。雇用の質を高めていくこ
によって起業されてきました。上昇志向の強い優秀
とが課題として残っていますが、今や米国では完全
な移民を受け入れる多様性とダイナミズムが米国の
雇用に近い状態が実現されています。
強みだったはずです。今や世界の都市が競って、産官
米国が強化するべきは重厚長大型の、また旧来型
学一体となりベンチャーを誘致する時代です。事実
の製造業ではないはずです。広大な工場立地を必要
上の移民排斥につながるような政策は人財流出によ
とする産業は大統領が営まれた不動産業には魅力的
り、角を矯めて牛を殺すようなものです。
た
ひょうへん
かもしれませんが、時代が求めているのは、
IoT
(モノ
東洋には「君子 豹 変す」という故事があります。米
のインターネット)
、ビッグデータ、人工知能(AI)
、ロ
国が真にグレートな国になるためには、大統領が前
ボット、新エネルギー、新素材などであり、こうした
言にとらわれることなく、通商、産業、そして移民政
新技術を伝統的なビジネスと融合することによる新
策において大胆な軌道修正を行い、豹変することに
たな需要創造です。その際に必要とされるイノベー
期待しています。
ションの創出力やプラットフォームの構築力こそ米
国産業の競争力の源泉になっているものです。
2
敬具