Title ホルトルマン方集に記載された水銀剤処方と駆黴について Author(s

Title
ホルトルマン方集に記載された水銀剤処方と駆黴について
Author(s)
板垣, 英治
Citation
北陸医史, 39: 43-51
Issue Date
2017-01
Type
Journal Article
Text version
publisher
URL
http://hdl.handle.net/2297/46686
Right
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北陸医史第三十九号︵平成二十九年一月︶
’
1’
1
月
届
ホルトルマン方集に記載された
水銀剤処方と駆徽について
板垣英治︵金沢市︶
己切目四一日当たりの摂取量窒酌日中
使用水銀剤量岳P①昌呼l包当たりの量
では水銀化合物の含有濃度︵%︶を示したが、散剤で
*硝酸ビスマス、収數作用、止汚作用あり、
本稿では、これらの処方の内、水剤、膣内注射剤
は、同化合物の含量をミリグラム単位で表し、水銀軟
甘求3グレイン白糖l菱
右為6包朝夕l包宛
下痢症に効あり。
黄降求、赤隆求ェ、oおよび白降求、ジァンミン水銀
使用水銀剤量邑印画ョ頤l包当たりの量
膏、点眼剤は各々の水銀化合物量グラム単位で示した。
塩酸ェ史z津︶瞳口嘩である。この史料とツンベルグの
孟印日、一曰当たりの摂取量霊.①日中
使用された水銀化合物は、昇耒亜混一“︼甘求工鯉口唾ゞ
使用したスウィーテン氏水の水銀濃度との比較を試み
甘求4グレインヤーラッパ*16グレイ
ンコロンボ未**l美
右為16包一日四回l包
使用水銀剤量画望画ョPl包当たりの量
扇向日醇一日当たりの摂取量窒酌ョ叩
*言○日○①四三﹃窪の根部を使用、峻下剤、
利尿、殺虫作用あり。尿閉症に効あり︵8︶
**コロンボ末茜毎日三目○○盲白冨三一国扇
の根部の乾燥粉末、苦味健胃剤︵9︶。
甘求金硫黄*ヒョスエキス**各4グ
レイン甘草エキスー菱
右為12包毎二時l包宛
使用水銀剤量鴎P四日四l包当たりの量
−44−
一一一●
●
●
た。
Ⅱ今
単位叩lグレインⅡ窒酌日四lスクルプルⅡ
Fい①①、・
l美︵ドラム︶Ⅱ騨詫弓四1オンスⅡ壁・信.
各処方の初めの番号は、﹃ホルトルマン方集﹄︵6︶
に記 載 の 番 号 で あ る 。
水銀剤処方
処方の記載は水銀化合物の使用量の少ない順に示し
た。
散剤
七.甘求2グレイン阿片末2グレインビ
スミット*l菱糖l美
九
ノ、
▲
一
堕句冒叩一日当たりの摂取量届P①冒中
篭杢昌四一日当たりの摂取量]宝奄日中
使用水銀剤量銘、酌ョ⑭l包当たりの量
料
マグネ
*モスキュスⅡジャコウジカのムスコン?香
窒酌白四一日当たりの摂取量銘、節目叩
使用水銀剤量四認め白乎l包当たりの量
右為6包となし毎時1包宛
ン白糖l美
甘求6グレインモスキュス*4グレイ
室.①日四一日当たりの摂取量鱈﹂a日や
使用水銀剤量②認め日中l包当たりの量
右為8包毎二時l包宛
レイン硝石l美金硫黄6グレイン
糖l菱
甘耒6グレインシシネヤーラッパ6グ
*ニトリウムⅡ硝石??
*金硫黄硫化アンチモン︵害沈罰︶怯疾剤
︵10︶・
**なす科、ヒョスの葉のエキス、鎮痛、鎮
痙剤︵11︶。
甘求6グレイン金硫黄4グレインヤ
ラッパ末6グレイン白糖一美
右為12包となし毎l包宛、三才児グルー
●
多量の甘求を使用した処方
一一●
八
十.甘耒ヤーラッパ各24グレイン
シア*lスクリプル乳糖l美
右為12包一日三回l包宛
−45−
プに用ひる法なり。
使用水銀剤量②認め日中l包当たりの量
篭聖日叩一日当たりの摂取量ご今日中
甘求4グレイン金硫黄4グレイン
吐酒石*2グレイン糖l菱
右為8包毎二時l包宛
使用水銀剤量誤P画ョ四l包当たりの量
麓四杢
日
夢
一
画・心
門己
、画
一 日6包として、一日当たりの摂取
三里﹄①令国︺ぬ。
*吐酒石酒石酸加里アンチモン、嘔吐剤
右為12包毎時l包宛
十三.甘求6グレインニトリウム*l美ジキ
タリス末18グレイン糖l菱
十
使用水銀剤量孟囲い日叩l包当たりの量
届P①日中一日当たりの摂取量銘、配日中
*マグネシアⅡ酸化マグネシウム、制酸剤
昇耒を使用した処方
八七.昇耒十分の一グレイン水8オンス
右為毎二時l食上
使用水銀剤量①単、昌廻画全三.二C三あたり
の量蝉三四冒四﹂三三.濃度P三い室訳
十二.甘求12グレインヤーラパハルス−2
オンス糖l菱
一回当たりの摂取量約P震昌中
括20オンス
十九.昇耒5グレイン老利児水1オンス亜
右為6包毎二時l包宛
使用水銀剤量司式①日醇l包当たりの量
高P①日中一日当たりの摂取量司弓日中
右為膣内及び肛門内注射
老利児水Ⅱ月桂樹の精留液、尿器衰弱、
亜括Ⅱ水
十四.甘求ヤーラッパ各8グレイン糖半菱
右為4包一日四回l包宛
使用水銀剤量、房準日匹l包当たりの量
使用水銀剤量雷今日四①豐三.Sc三当たり
十七.甘求lスクルプル或いは半菱脂肪1
皮層塗布剤
濃度P四四%.
使用水銀剤量P①心持を水田三に加えた溶液、
右為一日三回患部に貼る
十三.昇耒lOグレイン亜括半オンス
の量認・鴎日中濃度PC認ま.
届P①日四一日当たりの摂取量望、単日中
四.甘求5グレイン糖適宜
右為l包頓服
使用水銀剤量四匿冒叩l包当たりの量鶴令日中
五.甘乘4菱阿片末4グレインゴム末
l菱
右為16包毎食后l包宛
使用水銀剤量扇・岳﹃.l包当たりの量
④ヨョ四一日当たりの摂取量邑圏冒叩
オンス
−46−
右為頭部瘡上に塗擦
四.赤隆求5grへリセリ子半オンス
葛粉半オンス赤隆求Ⅱ酸化第Ⅱ水銀︵西、○︶
十二.黄隆耒2grへリセリ子軟膏2菱
使用水銀剤量]・堅淫、の甘耒を脂肪望四と
提ねたもの。濃度と当日四m脂肪。
右眼瞼縁塗布すること−日二回
考察
酸化水銀約20%である。
軟膏。
酸化水銀2弩、グリセリン7∼8〃フを混ぜた
二.水銀軟膏1オンス沃陳丁幾2菱或4隻
右為混合して患部に塗擦
三四.水銀膏半オンス沃剥半菱沃陳2グレ
イ‘ン
右為混和一日二次患部塗布
二三.水銀膏1オンス
﹃ホルトルマン方集﹄中の水銀化合物の含有した処
方を取り上げ、水銀化合物の使用量を検討した。ホル
トルマンはこれらの処方について、如何なる疾病の治
水銀窓l詮%を含む軟膏︵旧︶。
注・水銀軟膏日本薬局方。明治二四年認旨.
は]三三当たりい③田冒、の濃度S・二忠]ま︶であ
耒十分の一グレインで、これは①.全日唄い浅三で
であったと考えられる。例えば[八七]処方は、昇
右為四肢2塗布
三十.水銀膏1オンス莨菩エキス10グレイン
右為一日三回患部に塗布
療に使用するかについては全く触れていないが、梅
組成、水 銀 3 3 0 9 、 オ レ イ ン 酸 水 銀 2 0 g
る。これは所謂、ファン・スウィーテン水といわれる
毒患者の治療用、あるいは細菌感染症のための処方
脱水ラノリン、安息香豚脂、牛脂全量lOOOg。
C﹄三%昇耒水よりは希薄な水銀溶液であった︵3︶。
常に高濃度のものであった。昇乘の極量は1回に二十
一方、[十三]処方は、昇耒濃度が4.32%と異
梅毒治療 に 使 用
点眼剤酸化水銀室、o︶を使用。
−47−
は全く知らなかったと記述していた。この使用法は二
の使用法やその効果について、当時のわが国の医師達
雄耕牛翻訳︶、にこの時のことを記している︵2︶。そ
昇求を持ってきていた。彼は﹃江戸参府随行記﹄︵吉
ツンベルグが長崎出島の医官として来日した時に、
に高い値では一三○薯栃喧フから九七五言r唖フまである。甘
甘求は一包あたり三四言丁吃フから六五ミr岨フとあり、さら
が高いのものであり、駆梅薬として使用されていた。
まれていたことを示している︵旧︶。かなり水銀含量
しれない。水銀軟膏はその組成から、水銀が三三%含
か、また、水銀塩の体外への排泄を促進するためかも
虫作用があると云われている︵8︶。本剤及び砂糖の
価水銀の毒性のために難しかったのである。一方、ホ
求の多量を使用した処方は、急性患者に対しての処方
こげ〃フ、1日に六十ご吹埋フが極量とされていることから、
ルトルマンは甘求を使用した処方を多く記載してい
と考えられる。昇求は○・○○二%から○・○五二%で
添加は甘求末を経口投与し易くするために使用した
た。甘求は昇求に比べその毒性は弱く、潟下剤では一
あるが、四・三二%の例がある。
これは極度に多い量である︵旧︶。
回に大人で○・三’○・五〃フが極量とされていた。この
チフス、コレラの初期に小児の吐潟剤としての使用、
︵岨︶によれば、甘求は梅毒での潟下剤としての使用、
日胃呂凰房呂三日望扁︶を示したものであり、昇求
伝えられていた。ソッピルは呂三言四望︾︵ラテン語
られていた︵M︶また、藺耆ではソッピルの製法が
我が国では江戸時代に中国から昇求の製法が伝え
利尿薬として、心臓・肝臓病患者の水腫に使用の例が
の事である。昇求は、水銀、硝石、丹彗︵硫酸鉄︵Ⅱ︶︶、
場合、散剤としての使用が殆どであり、日本薬局方
記載されている。駆梅剤としての軟膏での使用例もあ
食塩を混ぜて加熱すると、硫酸鉄︵Ⅱ︶と硝石との反
塩化水銀︵Ⅱ︶となる反応によっていた︵M︶。とこ
る。また、外用として眼科では角膜の混濁に、眼中に
この処方にはヤーラッパを添加した処方が多くあ
ろが、この昇求の医学的使用法ついては記されていな
応により、硝酸が生じ、これが水銀を酸化反応して、
る。ヤーラッパは吾○日○①画ご﹃遅の根部を切断して
かった。
散布する使用例も記載されている︵旧︶。
乾燥・粉末として使用ものであり、峻下剤、利尿、殺
−48−
られていた︵旧︶。この事から以下に、金沢での梅毒
らに同十四年四月二十二日からも、この検査医に命じ
十三年六月四日に﹁徽毒検査医﹂を拝命していた。さ
﹃ホルトルマン方集﹄を筆記した、藤本純吉は明治
者278名、娼妓一日の平均数211名、死亡者、男
名、全受検人員7352名、真性患者87名、仮性患
年︶の資料によると、金沢区では、駆徽患者数162
年に高岡町に移転していた︵別︶。当時︵明治二十一
国では梅毒が大きな衛生問題であったことを示してい
12名、女9名と集計されている︵旧︶。当時、わが
明治九年四月五日に内務省は、梅毒の取締の通達
る。戦後、抗生物質ペニシリンの使用が始まり、梅毒
に対する 医 師 の 予 防 ・ 治 療 活 動 に つ い て 少 し 触 れ る 。
︵内務省達乙第四五号︶を出し、駆徽規則を布告し、
菌の駆除が容易となった。
を身につけるために設置された私塾であった。ここで
*﹁女紅場﹂は娼妓、芸妓の裁縫などを指導し教養
によこうぼ
患者は徽毒検査医の診察を受けた後、直ちに治療病院
に強制的に入院させることにした︵賂︶。これによっ
て各都道府県では公立病院の中に駆徽院が設けられ
た。
駆梅院︵上杉寛二医師、高岡町、下藪の内︶、および
医を務めた︵Ⅳ︶。金沢では金沢病院︵殿町︶、金沢假
を開始した。藤本は余沢病院医員を兼任してこの検査
東西新地の女工場︵*女紅場︶に於いて、娼妓の検徽
には明治一九年には、入院・外来併せて五一人の患者
事から、年齢的に考えると無理がある。柴田徽毒病院
生であり︵別︶、弁吉は明治三︵一八七○︶没である
たとの記載がある︵配︶が、柴田は嘉永二年︵一八五○︶
**柴田芯平医師が大野弁吉から梅毒治療法を習っ
梅毒検査が行われていた。
**柴田徽毒病院︵金石・通町、現金石西3丁目︶が
があったことが統計表に記録されていろ︵旧︶。
﹁石川県医学沿革記﹂によれば、明治十三年頃金沢.
あった︵肥、円、帥︶。
石川県では明治十八年六月に﹁甲第八十五号﹂で﹁今
般金沢区殿町二拾一番地に金沢娼妓假駆徽院を設置す
る﹂と記されているが︵肥︶、この病院は明治二十一
−49−
文献・ 史 料
1.s﹃一惠訂﹃弓言弓の﹃唄弓全︲屍毘︶・二言窟三四.
2.○.詞ツンベリー、高橋文訳︵ご宝︶、﹃江戸参
府随行記﹄東洋文庫謡い1861187頁.
●
●
●
●
︵平凡社︶。
3.高橋文、四二唾日本におけるファン・スウィ
テン水の受容。日本医史雑誌、四八巻、四号、
575頁。
4.宗田一、ご誤恥駆梅用水銀剤の製造をめぐる
認識と展開、実学史研究Ⅱ、31兇頁。
5.板垣英治、巴畠当スロイス方聚﹂とスロイス
の調剤処菱、北陸医史、三四、旧︲溺頁。亜弓.
シ﹄.スロイス方聚﹂、藤本純吉筆記、明治五年、
金沢市立玉川図書館・近世史料館蔵。
6.ホルトルマン講述、藤本純吉筆記﹃ホルトルマ
ン氏方集﹄明治八年、金沢市立玉川図書館・近
世史料館蔵。
7.板垣英治、四三胃史料紹介、﹁ホルトルマン氏
方集﹂︵薬剤処方集︶、北陸医史、三九、旧∼岨頁。
8.板垣英治、四三旨スロイス薬剤学に記載さ
れた生物由来の有効成分、北陸医史、三三、
俎︲岨頁。
8と同じ
8.羽頁
Ⅲと同じ
﹁第六改正・日本薬局方﹂、第七版、︵南江堂︶、
、認頁︵ご詔︶。
﹁改正日本薬局方随附・続﹂、樫村、伊藤編輯、
明治二十四年版、口窒こ、霊o頁。
宗田一解説ご雪筥升求丹製法秘決﹂、山陽・
中井厚澤著、﹃水銀系薬物製法書第九篇、江
戸科学古典叢書﹄妬頁︵恒和出版︶。
藤本純吉、﹁履歴書﹂、金沢市立玉川図書館・近
世史料館蔵。
﹁官許假名傍訓公布文写﹂、内務省達乙第妬
号、明治九年四月、住田文庫。
﹁石川県医学沿革記﹂、藤本純吉、洲頁、金沢市
立玉川図書館・近世史料館蔵。
﹁明治廿年石川県各種衛生一覧表﹂、近代デジ
タルライブラリー。
﹁明治廿一年石川県衛生一覧表﹂、近代デジタ
ルライブラリー。
−50−
l211109
l3
14
l5
16
●
●
●
●
●
●
l7
l8
l9
﹁石川県衛生第八次年報付録﹂、明治二六年、
躬頁。
﹁明治二二年、現行衛生規則﹂・石川県第二部、
第拾九項、検徽、石川県立図書館。
本康宏史、﹁からくり師大野弁吉とその時
代、技術文化と地域社会﹂岩田書院、東京、
二○○七年、874頁。
−51−
●
●
●
20
21
22