動き出すNAFTA 再交渉とメキシコ

みずほインサイト
米 州
2017 年 2 月 10 日
動き出す NAFTA 再交渉とメキシコ
欧米調査部上席主任エコノミスト
生産・輸出拠点としての優位性維持へ正念場
03-3591-1310
西川珠子
[email protected]
○ トランプ大統領は選挙公約通りNAFTA見直しを宣言し、メキシコは正式に再交渉に向けた国内手続
きを開始した。正式な交渉開始は5月以降の見込みだが、両国の交渉姿勢の隔たりは大きい
○ 関税見直しは米国内にも慎重論があるが、交渉のカードとして自動車等について議論される可能性
がある。「Buy American」の観点からは原産地規則、政府調達が再交渉の主戦場となる可能性
○ メキシコの生産・輸出拠点としての優位性は、関税・原産地規則、労働・環境規制、為替相場、メ
キシコ政府の対応策と共に、米国の法人税改革の行方にも左右されることに
1.NAFTA 再交渉の行方
(1)参加国の基本方針:米・メキシコの交渉姿勢の隔たりは大きい
1月20日、米国でトランプ新政権が発足した。大統領選挙戦での公約に示された強硬な通商・移民政
策が見直されることはなかった。「米国第一主義」を掲げるトランプ大統領の就任演説は、「保護
(Protection)こそが、偉大な繁栄と強さをもたらす」と述べており、文字通り保護主義色の濃い内
容だった。トランプ大統領はすでに「TPP(環太平洋パートナーシップ)から永久に離脱」すると
した大統領令に署名し、NAFTA(北米自由貿易協定)の再交渉を宣言している。
NAFTAは1994年1月の発効からすでに20年以上が経過していることもあり、参加するメキシコ・
カナダは、いずれも再交渉には応じる方針だ。しかし、米国が既存の協定内容の広範な見直しを主張
する一方、メキシコは新規分野の追加を主眼に
図表 1 参加国の NAFTA 再交渉に関する基本方針
置く方針で、両国の交渉姿勢には隔たりが大き
NAFTA再交渉は最優先課題。あらゆる議題が再交渉の対象
い(図表1)。
米国
トランプ大統領は、通商問題を所管する議会
2015年TPA法に基づき、協定内容の変更について議会承認を
得る場合は、90日前に議会への書面通知が必要(未済)
関係者との会合(2月2日)で、「NAFTAは米国
通商と移民・安全保障問題を一体として議論
にとって大惨事(catastrophe)だ。NAFTAとい
う名前にはもう一つのF(fair)が必要であり、
再交渉の結果が米労働者にとって公正な取引とならなかった
場合には脱退の意図を通知
メキシコ
自由化(関税・輸入割当の撤廃)を維持。通信、エネルギー、電
子商取引などを含む現代に見合ったものにすべき
単に自由なだけでなく公正な貿易が必要だ」と
再交渉の結果が現状以下になるなら、とどまる意味はなく、脱
退の他に選択肢はない
指摘している。再交渉の対象分野について、
正式な手続き開始を宣言(2月1日)。90日間の国内企業との協
議を経て、5月に交渉入りする方針
NAFTA再交渉の司令塔となるロス商務長官 1 は
貿易交渉についての議論にオープンであることが重要
カナダ
上院での指名承認公聴会(1月18日)で、「あ
らゆる議題が対象になる」と発言している。ト
カナダは米国の最大の輸出相手である点を強調
(資料)報道等より、みずほ総合研究所作成
1
ランプ大統領は選挙戦での主張通り、再交渉の結果が米労働者にとって公正な取引とならなかった場
合には、脱退の意図を通知するという強硬路線を維持している。
メキシコのペニャニエト大統領は、NAFTAを「近代化(modernize)」する必要性を認め、移民問題
やテロ・麻薬対策等の安全保障問題と一体的にNAFTA再交渉を進める方針を示している。ペニャニエト
大統領が示した「対米交渉の10の目標」(1月23日)では自由貿易(関税・輸入割当の撤廃)を維持し
つつ、通信、エネルギー、電子商取引等、新分野を取り込んで交渉する方針が示されている。グアハ
ルド墨経済相は、再交渉が不調ならメキシコもNAFTAを脱退する可能性を示唆している。不法移民対策
のための米墨国境の壁建設と費用の負担問題で二国間の対立が強まり、NAFTA再交渉に関する初協議の
場とされていた両国の首脳会談(1月31日)は中止された。
カナダは、トルドー首相が「貿易交渉についての議論にオープンであることが重要」と発言してお
り、再交渉には応じる方針だ。米墨両国がNAFTAを脱退するような事態になった場合でも、米国・カナ
ダ間では1989年に発効した米加FTAが復活する可能性が高い。カナダ政府としては事を荒立てない
ことを重視しているとみられ、米国にとってカナダは最大の輸出相手であることを繰り返しアピール
している。
(2)再交渉の正式開始:5 月以降の可能性
NAFTA再交渉の正式開始は、5月以降となる可能性がある。メキシコ側では、正式にNAFTA再交渉に向
けた国内手続きが開始され(2月1日)、産業界との90日間の協議に入っている。ペニャニエト大統領
は5月にも正式に再交渉を開始する方針を示し、議会関係者は米墨議会間での正式会合が6月上旬に開
催されるとの見通しを示している。
米国側の手続き開始時期は、現時点では必ずしも明確でない。トランプ大統領はすでにNAFTA再交渉
を宣言(1月22日、ホワイトハウス幹部の宣誓式での発言)しているが、正式な交渉手続きは開始され
ていない。米国では、「2015年超党派議会貿易優先事項及び説明責任法」(2015年TPA法)により、
大統領の貿易交渉力を高めるために迅速な議会・行政府の手続きが定められている。2015年TPA法
は、大統領に少なくとも90日前に交渉開始の意図を議会に書面通知する義務を定めている。このため、
「TPAの枠組みを適用して議会承認を得ることを前提に再交渉」するのであれば、議会への通知か
ら90日後に交渉が開始されることになる。トランプ大統領は、議会関係者との会合(2月2日)で「再
交渉の加速」を指示し、議会手続きを短縮したい意向を示したが、下院歳入委員会筆頭理事のニール
議員(民主党)は、手続きの短縮はできないとの認識を示している。本稿執筆時点では、議会への書
面通知は発出されていない。そもそも、NAFTA再交渉について、議会承認の要否は関連法の規定では必
ずしも明確ではなく2、TPAの枠組みを適用するか否か自体が現時点では不透明だ。
(3)再交渉の対象分野:原産地規制と政府調達が主戦場になる可能性
再交渉に要する期間は、対象分野次第で大きく変わってくる。NAFTAは、1991年6月の交渉開始(第1
回NAFTA閣僚レベル会議開催)から1年2カ月後の1992年8月に基本合意、1992年12月の正式署名を経て
1994年1月に発効(2008年に関税撤廃)している。メキシコが主張するように、関税・輸入割当等を見
直さず、新規分野のなかでも、電子商取引等のTPP交渉で合意された内容を追加する形であれば、
数ヶ月での短期決着もありうる。他方、関税を含め、論争的な対象分野が広範に議論されることにな
れば、再交渉は長期化する可能性が高い。
2
対象分野については、上述の通り米国側は「あらゆる議題が対象になる」としており、現時点では
不透明な点が多い。トランプ政権が実現を目指す「Buy American, Hire American」の観点からは、自
動車・同部品等を中心とした関税・原産地規則、政府調達が再交渉の主戦場となる可能性がある。
関税については、米国内にも引き上げには慎重論がある。ロス商務長官は指名承認公聴会で、「関
税は交渉の手段であり、必要ならルールに従わない違反者を罰する役割を担う」と発言している。ロ
ス商務長官は、20,000品目以上の関税引き上げを定めた1930年の「スムート・ホーリー法が貿易全般、
特に米国にもたらした影響は重々認識している」と述べている。
広範な関税引き上げには慎重論があるものの、対メキシコ貿易赤字の主因である自動車・同部品に
ついて、交渉のカードとしてNAFTA特恵(無関税)の見直しを米国側が主張する可能性は否定できない。
特恵停止となり、米国が世界貿易機関(WTO)加盟国に適用する最恵国待遇(MFN)税率となる
場合、乗用車は2.5%、トラック(ピックアップトラックやSUV等)は25%の関税率が適用される。
その一方で、メキシコ側は、米国にとってダメージの大きい農産品の特恵停止を交渉のカードに使
う可能性がある。米国にとってメキシコは第3位の農産品輸出市場であり、トウモロコシ、大豆、乳製
品、豚肉、牛肉が主要輸出品目となっている。メキシコの農産品に対するMFN税率は25.1%(2014
年貿易量加重平均)と高く、特恵が停止した場合、米国の農畜産業界に打撃を与えることになる(図
表2)。
関税率の見直しが「交渉のカード」であると考えられる一方、無関税の適用条件を定めた原産地規
則の強化については、米国側は実現を目指す可能性が高い。特に、自動車・同部品については、原産
品と認められるためのNAFTA域内での現地調達比率(15人乗り以下車両の場合62.5%)の引き上げや、
厳格化の議論が俎上に上る可能性がある。
その他の非関税障壁についても、広範に議論される可能性がある。主に米国側で議論されているの
は、政府調達、労働・環境規制、紛争解決制度の見直し、知的財産権保護、為替操作に対する規制・
制裁3、自動的な再交渉条項の導入等である(図表3)。なかでも政府調達については、ロス商務長官
は再交渉を「確約」している。トランプ政権がインフラ投資の拡大を掲げる状況下、メキシコやカナ
ダは入札機会の拡大を求める可能性が高い一方、米国側では国民の税金で行われるプロジェクトに関
し、現行のNAFTAでメキシコやカナダに与えら
図表 2 米・メキシコの最恵国待遇税率
れている内国民待遇への批判が根強い。ロス商
対象
務長官は指名承認公聴会で、政府調達規定の削
除を求める議員に対し、再交渉において政府調
最恵国待遇(MNF)税率(%)
米国
メキシコ
達条項の議論は「必ず取り上げられる」と発言
輸入全体
2.3
5.3
し、最終的な協定に含まれるかを語るのは時期
農産品
5.2
25.1
尚早としつつ、Buy Americaを重視する大統領
非農産品
2.1
2.9
乗用車
2.5
20.0
トラック
25.0
20.0
の姿勢を認識していると回答している。
また、労働・環境規制も取り上げられる可能
性が高い。米国側では、労働・環境規制の執行
(注)MFN税率は 2014 年時点。両国間の貿易量加重平均。
(資料)WTO等より、みずほ総合研究所作成
強化によりメキシコの生産コストが上昇すれ
3
ば、米国の競争条件が改善するとして、現協定の見直しを求める声が強い。NAFTAにおいては、労働・
環境規制は協定本文ではなく補完協定として扱われているが、TPPにおいては協定本文で扱われて
いる。NAFTAの「近代化」という文脈からも、米国側は協定本文への格上げや、執行強化を求める可能
性がある。
(4)NAFTA 脱退:脱退通知から 1 年半後に関税引き上げ
NAFTA脱退については、あくまで交渉を有利に進めるためのカードであり、実際に米国が脱退する可
能性は高くないとの見方が多い。しかし、トランプ大統領が「二国間交渉」に固執した場合、脱退を
選択してメキシコとの二国間交渉に移行する可能性は完全には排除できない。NAFTA脱退の判断時期に
ついて、2016年11月に米政権移行チームが明らかにした「200日プラン」では、再交渉が不調なら政権
発足200日目(2017年8月中旬)に脱退を通知する可能性が示唆されていた。
NAFTA2205条は、「参加国(Party)は書面による脱退の通知を出した場合は、その6カ月後に協定か
ら脱退することができる。協定は残った当事国の間で有効」と規定している4。このため、米国が脱退
しても、メキシコとカナダが個別に脱退を通知しない限り、メキシコ・カナダ間ではNAFTAは存続し、
米国・カナダ間では1989年発効の米加FTAが復活することになる。
米国がNAFTAを脱退した場合でも、関税率が引き上げられるのは、脱退から1年後(脱退通知から1
年半後)となる。1974年通商法第125条では、通商協定に基づく関税・輸入制限は協定の終結・脱退か
ら1年間は有効とされているためだ。脱退後に適用される関税率は、WTO協定を遵守するのであれば
MFN税率となり、メキシコに対する米国の関税率は貿易量加重平均2.3% (農産品5.2%、非農産品
2.1%)となる(図表2)。
ただし、関税引き上げのタイミング・幅については不透明さはぬぐえない。脱退後の関税引き上げ
時期については、「協定がない場合の水準に戻すとの大統領の布告がない限り」との条件が付されて
いるため、大統領の権限で関税引き上げを前倒しすることがありうる。関税率の引き上げ幅について
は、「大統領は、必要または適切とみなした範囲および期間、関税引き上げ・その他の輸入制限措置
を布告できる」とされており、WTO協定違反の高関税を適用する可能性は排除できない5。
図表3
NAFTA再交渉の対象になる可能性がある分野
交渉分野
関税
原産地規則
政府調達
主な論点
交渉のカードとして自動車等の特恵関税見直しが議論される可能性
自動車・同部品分野における現地調達率の厳格化
カナダ・メキシコに内国民待遇を与える規定の見直し(削除)
労働・環境規制
労働・環境に関する補完協定の見直し、原協定への追加、確実な執行
紛争解決制度
投資家と国との間の紛争解決(ISDS)制度、二国間パネルの見直し等
電子商取引
為替操作
NAFTA発効時には含まれず、TPPの合意内容をNAFTAにも反映
通貨安誘導を監視する条項の導入、為替操作に対する拘束力のある規制、制裁賦課
知的財産権
知的財産権保護規定のアップグレード、知的財産権侵害の「徹底排除」
再交渉条項
貿易の恩恵が公平に分配されない場合や、発効から一定期間後に自動的に再交渉する条項の導入
(資料)報道等より、みずほ総合研究所作成
4
2.米国の法人税改革と輸入課税強化を巡る議論
NAFTAを再交渉・脱退しない場合でも、大統領には広範な権限が認められており、関税引き上げのタ
イミングがいつ、どのような形で実施されるかは予断を許さない。また、トランプ政権下では、通商
法の執行を強化し、WTO協定で認められたアンチ・ダンピング関税措置や補助金相殺関税措置、セ
ーフガード措置等の貿易救済措置の発動や、紛争解決制度への申し立てが従来以上に積極的に活用さ
れる可能性もある。加えて、米国が検討している法人税改革の一環としての輸入への課税強化に対す
る懸念もくすぶる(図表4)。
トランプ大統領は、選挙戦から「メキシコ等に生産移転する企業からの輸入品に35%課税する」と
主張し、自動車メーカーなどを標的に「高い国境税(border tax)」を課すと警告してきた。他方で
米議会の下院共和党は、法人税改革の一環として輸出の課税を免除する一方、輸入の費用控除を廃止
する「国境調整(border adjustment)」案を検討している。トランプ大統領の「国境税」は、特定企
業に対する関税の活用を企図しているものとみられる一方、下院共和党案の「国境調整」は輸入全般
を対象としている。現在提案されている法人税率引き下げ(35%→20%)と国境調整がともに実現す
れば、輸入には20%の法人税が課税されることになる(税率引き下げなしで国境調整のみ導入されれ
ば35%)。
トランプ大統領は、米墨国境の壁建設費用(120~150億ドル)を米予算で手当てした後、メキシコ
に返済させる姿勢で、その手段として国境調整を活用する案が浮上している。スパイサー大統領報道
官は「メキシコからの輸入に対する20%課税」に言及したが、国境調整はメキシコのみを標的とする
制度設計ではなく、メキシコに対する課税分6で壁建設費用を概念上は賄えるとの考え方だ。
国境調整は、付加価値税(VAT)採用国では広く実施されているが、連邦ベースのVATを採用
していない米国での導入には課題が多い。VAT採用国では、輸出入の二重課税を避けるため、輸出
国では免税(仕入にかかった税を還付)する一方、輸入国で課税する(仕向地原則)。輸出免税は、
VAT等の間接税については認められているが、法人税等の直接税の免税はWTOで禁止されている
輸出補助金に該当する可能性がある。また、輸入に対する課税強化は、WTOの内国民待遇原則に違
反する可能性がある。米共和党内では、下院が積極的に国境調整を含む法人税改革を推進する一方、
図表4 トランプ政権下で実行されうる措置
項目
内容
NAFTA再交渉
NAFTA脱退
脱退の場合、1年後に関税引き上げ
最恵国待遇(MFN)税率適用の場合:貿易加重量平均2.3%
関税
その他通商法に
基づく措置
国境税【案】
法人税
特恵(無関税)の見直し
国境調整【案】
貿易救済措置等
輸入による安全保障上の悪影響排除に必要な関税・輸入割当
相手国による不公正措置に対する関税・数量制限等の報復措置
米国から生産移転した企業の逆輸入に35%課税
法人税率を引き下げ(35%→20%)。輸出の課税免除、輸入の費用控除廃止。
実現すれば輸入全般に20%課税
アンチ・ダンピング関税措置、補助金相殺関税措置、セーフガード措置等の発
動、WTO紛争解決制度への申し立て
(資料)みずほフィナンシャルグループ(2017)等より、みずほ総合研究所作成
5
上院は慎重な姿勢を示している。米小売業界は、生活必需品の大幅な価格上昇につながるとして、国
境調整に反対する声明を発表している。
ロス商務長官と通商政策を統括する国家通商会議のナバロ委員長は、以前からVATの国境調整を
問題視し、対応の必要性を訴えている。選挙戦中にトランプ陣営の経済政策を評価した共同論文
(Navarro and Ross(2016))では、VATの国境調整は「貿易相手国に対する15~25%の不公正な
税制優遇」に相当するとしている。メキシコはNAFTA署名後にVATを引き上げ、輸入に対して16%の
VATを課していることが、米国の輸出を抑制し、メキシコへの生産移転を加速する要因になったと
指摘している。
国境調整は、全世界からの輸入に課税されるため、メキシコだけが他の貿易相手国に対して不利に
なるわけではないが、輸入代替で米国内生産シフトがすすんだ場合の対米輸出の悪化は避けられない。
また、保護主義的な措置ではないが、トランプ政権による法人税率引き下げ(35%→20%)が実現す
れば米国のコスト優位性を高める要因となるため(メキシコの法人税率は30%)、国境調整の有無に
かかわらず、米国の法人税改革を全体として注視する必要がある。
米国側の関税引き上げや輸入課税強化を巡る議論に対して、メキシコも防戦一方ではない。グアハ
ルド墨経済相は、米国側の輸入課税強化には対抗措置を実施する可能性を示唆している。具体的には、
メキシコからの輸出奨励策や輸入抑制につながる税制措置を検討すると共に、安全保障面での協力体
制等、経済以外の交渉カードも活用する方針を示している。
3.保護主義的な通商政策が自動車業界・メキシコ経済に与える影響
(1)自動車業界への影響:メキシコ生産のみならず米国内生産にも悪影響
米国の対メキシコ貿易赤字の最大の要因は自動車・同部品であり、それらはNAFTA再交渉においても
主要議題になるとみられる。米国がメキシコからの輸入抑制を意図した関税等の引き上げや、トラン
プ大統領の口先介入によるメキシコへの生産移転阻止等、保護主義的措置を発動する場合、メキシコ
に進出する米系メーカーのみならず米国内の自動車生産にも大きな影響を与えることになる。また、
近年メキシコへの進出を加速させている日本企業も、北米戦略の見直しを迫られる可能性がある。
米系完成車メーカーはメキシコの輸出拠点としてのメリットを積極的に活用しており、その分保護
主義的措置の悪影響は大きい。メキシコからの北米向け自動車輸出(台数ベース、2016年実績)は、
米系(GM、FCA、フォード)が約130万台(全体の54.5%)と日系(日産、ホンダ、トヨタ、マツ
ダ)の75万台(同31.7%)を大きく上回る。北米向け輸出が輸出全体に占める比率という点でも、米
系は95.5%と日系の76.8%より高い。さらに、生産台数に占める輸出比率も米系が87.6%と日系
(70.6%)より高いため、結果として北米輸出依存度(北米輸出/生産)は米系が83.6%と日系(54.2%)
を大幅に上回る(図表5)。
また、輸出車種の点から見ても、米系の方が総じてダメージが大きい。関税がMFN税率に引き上
げられる場合、乗用車2.5%に対し、トラックには25%の高関税が課される。北米向け輸出に占めるト
ラック比率は、米系(67.4%)が日系(36.0%)を大幅に上回っており、関税引き上げによる影響が
より大きい。日系メーカーについては、全体としてみると米系に比べて相対的に打撃は小さい。ただ
し、日系メーカーの北米輸出依存度や車種構成は、ばらつきが大きい点には留意が必要だ。
6
関税引き上げやトランプ大統領の口先介入による海外生産移転阻止は、米国内の生産コスト増大に
もつながり、輸入車のみならず国産車も価格上昇圧力に直面することになりかねない。米国の自動車
部品輸入におけるメキシコへの依存度は34%(2016年)と乗用車(14%)を上回り、過去10年間で急
上昇している。MFN税率が適用される場合、自動車部品の多くには2.5%の関税が賦課され、米国内
での生産コストが増大する。また、メキシコの労働コストは米国に比べ、製造業で1/6以下、自動車産
業で1/5強(全米産業審議会データによる)と低いため、米国内雇用保護のために生産拠点の移転を阻
止すれば、労務面でもコスト上昇圧力に直面することになる。
メキシコが今後も自動車生産・輸出拠点としての優位性を維持できるかについては、①関税率・原
産地規則の変更、②労働・環境規制強化に伴う生産コストへの影響、③為替相場、④米国側の保護主
義的措置に対抗するメキシコ側の優遇措置の有無、⑤輸出市場拡大の余地(メキシコのFTA拡充7)、
⑥米国の法人税改革(税率引き下げと国境調整の有無)といった変数を注視していく必要がある。各
社の北米戦略の見直しの方向性は、現体制に応じ多様になるとみられるが、生産面では米現地生産の
拡大や現地調達率の引き上げ、需要面ではメキシコ国内市場開拓および欧州・アジア・南米への分散
化等を検討する必要が生じる可能性がある。
(2)メキシコ経済への影響:再交渉期間と関税引き上げ等の程度により影響度合いに差
トランプ政権の保護主義的な通商政策は、輸出依存度(GDP比35%、米国向け81%)が高い「輸
出立国」であるメキシコ経済にとって、自動車業界に限らず強い逆風となっている。
IMF(国際通貨基金)は、「対米関係の不確実性による逆風」等を理由に、メキシコの2017年の
実質GDP成長率予想を10月時点の2.3%から1月に1.7%に引き下げた。メキシコ中銀の調査によれば、
大統領選挙以降、2017年の成長率予想は急速に下方修正され、直近1月時点の調査では1.5%となって
いる。一方で、ペソ安の影響やガソリン値上げ等によりインフレ圧力は高まり、景気低迷と物価高騰
図表5 メキシコの自動車輸出・生産台数
米系
日系
GM
FCA
フォード
全体
日産
ホンダ
トヨタ
マツダ
輸出全体(千台)
1,360
540
443
377
982
500
206
135
140
2,768
北米向け輸出(千台)
1,298
506
430
363
754
398
159
130
66
2,380
企業別/北米向け輸出(%)
54.5
21.2
18.1
15.2
31.7
16.7
6.7
5.4
2.8
100.0
北米向け/輸出全体(%)
95.5
93.7
97.0
96.2
76.8
79.6
77.4
96.0
47.3
86.0
生産全体(千台)
1,553
703
459
391
1,391
848
254
139
149
3,466
輸出/生産(%)
87.6
76.7
96.6
96.5
70.6
59.0
81.0
96.9
94.1
79.9
北米輸出/生産(%)
83.6
71.9
93.7
92.8
54.2
47.0
62.6
93.0
44.5
68.7
【車種別・北米向け輸出】
米系
日系
GM
FCA
フォード
全体
日産
ホンダ
トヨタ
マツダ
乗用車(千台)【米MNF税率2.5%】
423
49
11
363
482
372
12
32
66
1,233
トラック(千台)【米MNF税率25.0%】
875
456
419
0
271
27
147
97
0
1,147
トラック比率(%)
67.4
90.3
97.4
0.0
36.0
6.8
92.5
75.1
0.0
48.2
(注)1.輸出・生産台数は、2016 年。大型バス・トラックを除く。
2.輸出全体に占める北米向け比率は 86.0%、米国のみでは 77.1%。
(資料)メキシコ自動車工業会(AMIA)より、みずほ総合研究所作成
7
が併存するスタグフレーションへの警戒感が強まっている(図表6)。インフレ圧力の高まりを受け金
融引き締め8が継続すれば、成長率の下押し圧力はさらに強まる。
NAFTA再交渉や輸入課税強化の着地点が見えない間は、予見可能性の低下が対メキシコ投資を慎重化
させ、金融・為替市場の波乱要因となる。NAFTA再交渉の経済への影響度合いは、交渉期間と関税引き
上げ等の程度により変わってくる。TPPで合意された内容の追加・修正などNAFTAの「近代化」で再
交渉が短期決着すれば、不透明感の後退によりペソ相場は反発し、対メキシコ投資は安定する。交渉
分野が多岐にわたり長期化する場合は、不透明感の継続によりペソ安・投資低迷が長期化する。米国
がNAFTAを脱退する場合は、適用税率がMFN税率か、WTO協定違反の高関税となるかで、経済や金
融・為替市場への影響度合いは変わってくる。米国がWTO協定違反の高関税を主張する場合は、メ
キシコ側のWTO提訴や報復措置の発動により、大幅な貿易・投資の縮小、金融市場の混乱に波及す
る恐れがある(図表7)。なお、国連ラテンアメリカ・カリブ経済委員会(ECLAC)のバルセナ事務局
長は、NAFTA撤廃の場合、メキシコのGDPは約2.7%押し下げられ、景気後退に陥るとの試算を示し
ている9。
NAFTA再交渉の長期化はペソ安要因となるが、メキシコは1994年の通貨危機の反省に基づき、資金流
出に対する備えを強化している。現時点では、外貨準備(2016年末時点1,765億ドル)とIMFの弾力
的信用枠(FCL、870億ドル)により十分な流動性を保有していると評価される(図表8)。しかし
ながら、米国によるNAFTA脱退といった事態では、厳しいペソ安圧力にさらされ、外貨準備が急減する
リスクがあり、その際に米国の機動的な金融支援が得られるかは不安材料だ。
米国の通商政策について、「経済合理性から判断すれば、極端な政策変更は実現しない」という楽
観は許されない状況にある。大統領令による入国制限に伴う混乱等により、インフラ投資や減税など
の米経済成長にとってプラスになる政策の実現が遅れる場合、通商政策で強硬論に傾く可能性は否定
できない。また、米国の法人税改革における税率引き下げ・国境調整の実現可否も、生産・輸出拠点
としてのメキシコの優位性に影響を及ぼしうる要因だ。トランプ政権の政策動向を、通商政策に限ら
ず、幅広く慎重に見極める必要がある。
図表6 メキシコ実質GDP・インフレ率見通し
5.5
図表7
シナリオ
(前年比、%)
5.3
5.0
実質GDP(2017年)
実質GDP(2018年)
消費者物価(2017年)
消費者物価(2018年)
4.5
4.0
NAFTA再交渉のシナリオと影響
内容・影響
内容 TPPで合意された内容の追加・修正等により、数カ月で決着
短期決着
影響 不透明感の後退により、ペソ反発、対メキシコ投資も安定化
再交渉
内容 交渉分野が多岐にわたり、長期化
3.9
長期化
3.5
影響 不透明感の継続により、ペソ安、対メキシコ投資低迷が長期化
3.0
参加国への書面による通知から6カ月後に脱退
2.5
内容
2.2
2.0
脱退1年後に関税引き上げ
1.5
1.5
脱退
1.0
15/11
16/1
16/3
16/5
16/7
16/9
16/11
MNF税率適用の場合、対象品目の貿易・投資縮小
影響
17/1
(年/月)
高関税適用の場合は、WTO提訴や報復措置発動
より大幅な貿易・投資縮小、金融市場の混乱につながる恐れ
(資料)メキシコ中銀より、みずほ総合研究所作成
(資料)みずほ総合研究所作成
8
図表8 外貨準備と弾力的信用枠
9
(倍、カ月)
財輸入(カ月)
対外短期債務(倍)
8
8.2
FCL加算
7
6
5.5
5.1
5
4
FCL加算
3
3.4
2
0.9
1
0.2
0
1990
95
2000
05
10
15 (年)
(注)数値は、外貨準備/各指標。2016 年の短期対外債務は 9 月末
時点。財輸入比は 3 カ月、対外短期債務比は 1 倍が必要水準
の目安。FCL は IMF が優れた経済運営実績を持つ新興国に供与
する弾力的信用枠。メキシコは 2016 年 5 月に 870 億ドル相当
が承認されている(2 年間)
。
(資料)世界銀行、メキシコ中銀より、みずほ総合研究所作成
【参考文献】
Congressional Research Service(2016), “U.S. Withdrawal from Free Trade Agreements: Frequently
Asked Legal Questions, ” CRS Report, September 7
―――(2017), “Renegotiation of the North American Free Trade Agreement: What Actions Do Not
Require Congressional Approval?” CRS Reports & Analysis, Legal Sidebar, January 26
Marcus Noland et al. (2016)“Assessing Trade Agendas in the US Presidential Campaign,” PIIE
Briefing, Peterson Institute for International Economics, September
Navarro, Peter and Wilbur Ross(2016), “Scoring the Trump Economic Plan: Trade Regulatory, &
Energy Policy Impacts,” September 29
William Clinton et al.(2017), “Implications of the 2016 US Presidential Election for Trade
Policy,” 2nd Edition, White and Case, January
外務省「北米自由貿易協定(NAFTA)」概要
ジェトロ(日本貿易振興会)「NAFTAを読む」(1994年)
みずほフィナンシャルグループ(2017)「トランプ政権の誕生~米国は何をしようとしているのか
日本はどうすべきか~」(Oneシンクタンクレポート、MIZUHO Research & Analysis、1月23日)
1
本稿執筆時点では、議会承認が終了していない。
NAFTA 実施法により、関税(201 条)と原産地規制(202 条)については、大統領に修正権限が認められており、議会
との協議(consultation)は義務付けられているが、承認は必要とされていない。
3
米財務省の為替操作国認定の3基準(①対米貿易黒字 200 億ドル以上、②GDP比 3%超の経常黒字、③同 2%超の
年間為替介入)のうち、メキシコは対米貿易黒字(2016 年実績 632 億ドル)のみ該当し、為替操作国にはあたらない。
4
議会の承認なく大統領の権限で脱退が可能であるか否かについては、解釈により議論の余地がある。脱退を通知する
主体である「参加国」が具体的に何を指すのかは、NAFTA 実施法にも明確な規定はない。米合衆国憲法第 1 条第 8 節で
は、議会に外国との交易を規制する権限が付与されているため、大統領が独断で脱退を判断することに慎重な見方があ
るが、1974 年通商法第 125 条は大統領に通商協定の終結・脱退権限を認めており、大統領の権限で脱退を通知するこ
とが可能との見方が多い。
5
その場合の適用税率は、①1975 年 1 月 1 日時点の米国関税率表第 2 欄にある税率の 50%増、②1975 年 1 月 1 日時点
の米国関税率表第 2 欄にある税率の従価 20%ポイント増、のいずれか高い方を超えてはならない、とされている。米
国関税率表第 2 欄とは、米国が関税譲許等の交渉、協定締結等をしていない主として共産圏等の特定国に対する税率を
定めたもの。
2
9
6
スパイサー大統領報道官は、
「500 億ドルに対して 20%課税すれば年間 100 億ドルを徴税できる」と発言(1 月 26 日)。
後に、国境調整は提案ではなく、あくまで一つの選択肢であると指摘している。
7
メキシコは、TPP参加国のうちFTAを未締結のオーストラリア、ニュージーランド、マレーシア、シンガポール、
ベトナム、ブルネイとの二国間FTA締結や、EUとのFTA(2000 年 7 月発効、その後新規加盟国追加)のアップ
デート、トルコとの新たな二国間FTA締結を推進する意向。
8
メキシコ中銀は、2 月 9 日の政策決定会合で政策金利を 5.75%から 6.25%に引き上げ。利上げは、2015 年 12 月以降
7 回目で累計利上げ幅は 3.25%ポイントに達している。
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2016 年 12 月 14 日ロイター報道。
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