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体を支援し、生活に寄り添い、結果と
に中心を置き過ぎた医療から、健康全
考えてみると、従来、身体の疾病管理
広く心のケアを指します。このように
精 神 科 疾 患 を 意 味 す る こ と で は な く、
うに思えます。ここで言う精神的とは、
会的なことには関心を持たずにきたよ
境を変えていくことで一層医療の安心
います。市民自らが参加し、制度や環
をするかとても大切なことであると思
提供体制がどの様なシステムデザイン
れます。このことに対し医療や介護の
持続可能性は格段に高くなると考えら
いで延期することができれば社会保障
社会保障からの給付もその間受給しな
面を踏まえ、実態をつくり、それを表
こと、さらに、歴史的背景と社会的側
おもいやり
ということで終始一貫していると門人
して地域づくりに積極的に参加するこ
た。これは実態を考えれば当然のこと
恕と信頼
た ち に 説 い た の で す。
〝忠〟は 人 に 忠
と納得が高まります。
であると思います。 歳まで健康であ
る よ う に、
﹁未 来 か ら の 投 影﹂に よ っ
て 行 動 す べ き で あ り、そ の よ う な
3500万人程度と推定されています
∼
が、この150年間で1億2800万
人 へ と 増 加 し ま し た。明 治
31
︵1 8 9 1∼ ︶年 の 統 計 で は 男 性 の
24
平均寿命が ・8歳、女性が ・3歳
とは何かを考えると﹁私の健康を支え
オックスフォード英語辞典が201
表 し た 平 均 寿 命 は、男 性 が ・
でしたが、昨年7月に厚生労働省が公
歳、
てくれるのが医療である﹂と言えるで
女性が ・5歳で、ともに過去最高を
79
忠といい、己をおす、これを恕という﹂
ています。我が国の医療は従来から身
こそ、当協会の河北博文会長が常々仰
感じます。このような時局の中だから
政治家とも近視眼的な言動が目立つと
こ と を 目 指 し て い く 必 要 が あ り ま す。
き、自立した高齢者の方々が増加する
今後は﹁健康寿命の延伸﹂に重きを置
︵調 和 が 取 れ て い る︶
﹂と 謳 っ
being
well-
﹂を選
6年の言葉として﹁ Post-Truth
44
80
毎月 1 回 定価 200 円(会員購読料は会費含む)
第 237 号
TEL:03-5217-0896 / FAX:03-5217-0898 /URL:http://www.tmha.net / E-mail:[email protected]
2017 年(平成 29 年)1 月 30 日
発行所:一般社団法人東京都病院協会/発行人:河北博文 〒101-0062 千代田区神田駿河台2-5 東京都医師会館404号室
東京都病院協会 会長 河北 博文
実であることだけでなく己をつくすと
とが医療の役割だと思います。
きる社会、また同時に、高齢者ができ
思います。
現する
に広げて、信頼できる医療を実現する
今後も恕のある医療を社会に普遍的
いうことです。
〝恕〟は人の立場に立っ
日本老年学会が高齢者の定義を
から 歳に変更することを推奨しまし
歳
てものごとを考え行動することです。
るだけ自尊、自立して生活できる社会
る人たちは生産人口の一員として出来
副会長 年頭所感
storytellerであり続けたいと
る だ け 長 く 働 く こ と が 健 康 に も 良 く、
目指すことは困難であるので、地域住
を実現していく大きな要素の一つが医
民の参加はもちろんのこと、多様な異
療ならびに介護です。医療・介護とい
郎先生から言われた言葉です。
った時代、自らが学んだ知識を患者さ
誕生する子供が少なくなり、高齢者
﹂と で も 呼 ぶ べ き 社
Post-Post-Truth
会を目指す必要があると考えておりま
﹁
んや社会に提供することから考えれば
なった分野の人々と繋がることが大切
す。そのためには国民の意識改革が必
社会であると言えます。
このような定義になると思います。し
が増加する成熟社会に移行するからこ
安藤高朗
夢は、物ではないので形がありませ
かし、1980年代に入り、医療の主
永生病院 理事長
ん。我々が社会に提供する夢とは、医
体は患者さんであるという社会的合意
だと考えています。それが成熟社会に
療の価値観です。恕のある医療、信頼
更新しており、第1回統計時のほぼ2
おける医・食・住です。
できる医療をつくっていくことで、医
があり、患者さんの立場に立って医療
びました。イギリスのEU離脱やアメ
倍となっています。
そ、社会に夢を届けなければならない
療の質、安全を確保することに繋がり、
リ カ 大 統 領 選 挙 の 結 果 な ど、
﹁客 観 的
わが国では、先人の並々ならぬ努力
と考えています。世の中に〝恕〟と〝信
要であり、教育がとても重要であると
医療の価値が高まると考えています。
しょう。自分の健康は自分が責任を持
な事実が重視されず、感情的な訴えに
で﹁長寿社会﹂を実現してきましたが、
痛感します。
論語によると、孔子が
﹁参か、
吾が道
つことが原則ですが、それを支えるも
よって動く社会﹂を意味するのだそう
﹁医 療 は 医 学 の 社 会 的 適 用﹂と 言 わ
は一似て之を貫く﹂と言われたのに対
のが医療です。それでは、健康とはど
ですが、最近わが国においても国民・
れてきました。医師が医療の中心であ
し、門人が曽子にこれはどういう意味
の よ う な こ と で し ょ う。
WHOの 憲 章
明 治 の 初 期 に は わ が 国 の 人 口 は
かと尋ねました。曽子がそれに﹁夫子
は﹁身体的、精神的、社会的に
98
42
体的なことに重きを置き、精神的、社
87
と解釈しています。
曽子は、
孔子が忠恕
忠恕のみ。朱子は
﹁己をつくす、
これを
之道、忠恕而己矣︵夫子の道は忠恕の
頼〟が満ちていることは時を超え、い
75
み︶﹂と 答 え て い ま す。あ の 方 の 道 は
ずれの地域・国においても夢を持てる
阿佐ヶ谷出身でありわが国での西洋
75
﹁夢のない社会に子供は生まれない﹂
河北博文
文化史研究第一人者であった木村尚三
年頭所感
う分野が単独で夢のある社会の実現を
子供を安心して産み育てることので
65
安藤高朗
第237号
東京都病院協会 会報
(1)2017年(平成29年)1月30日(月)
いかないことは誰もが思っているとこ
られるべきであり、将来の責任を持て
ろです。河北会長の示すところの﹁未
る若い世代に当事者として上記課題を
トとしては早期にトップが入れ替わる
理由はそこにあります。でも4年で何
り、これらの解消は、病院の実に9割
ができるかというと、今度は大きな変
乗り越える覚悟を持って対応してもら
重要です。東京都の高い地価や建築費、
も必要です。これらのことを東京都医
うことがいいように思います。
河北会長が仰っているように、﹁健康﹂
師会とも連携し、引続き要望していき
革 も 望 め な い と い う こ と も あ り ま す。
現在私は東京都病院協会では副会長
来からの投影﹂を意識した施策が進め
等の規制緩和や地域格差を埋めるため
リスクを避ければハイリターンもない
ことも一つの方法と言えます。私が自
を重視していくことが大切で、具体的
の報酬体系、すなわち河北会長が以前
たいと考えています。
ということです。要するに、才能のあ
分の組織の代替わりを早めに行いたい
には、がん予防としてのタバコ対策や、
提唱した﹁東京都入院基本料﹂のよう
今年は酉年ですが、酉年は飛翔の年
以上が民間経営である東京都にあっ
フレイル予防に対する取り組みが必要
な発想も必要です。現在都立病院に多
て、地域医療を堅持していく観点から
です。河北会長は、昨年末に東京都医
額の運営費補助金が交付されています
人件費、物価等を考慮すると、建築基
治夫会長と合同記者会見を
準法上の容積率や医療法上の施設基準
師会の尾
を支えるのが医療です。医療も、予防
行 い、た ば こ 対 策 の 重 要 性 等 を 訴 え、
は、それを自覚し、次の才能を見つけ
病院協会の立場を踏まえて、外に向か
に若い役員の育成が急務です。東京都
た世代がいいと思いますが、そのため
の任を負っていますが、このポジショ
支障なきようバトンタッチを行う。こ
って発言するには、理事になり理事会
ンも早く次の若い世代に引き継げたら
れが世代交代の要に感じます。
に出席し、当会の立ち位置を理解する
るものには長期の政権を渡すとともに
ところで、東京都病院協会には直面
必要があります。私が立場上目指して
覚悟を決めてもらい、同時に次世代へ
齢者入りまではたった5年。次世代へ
する大きな課題が二つあります。一つ
いるのは、東京都医師会と東京都病院
会に向けた初年となることを願うとと
バトンタッチしなければならない年齢
は既に構想区域ごとに行われている
協会が協働するための調整を図り、都
もに会員病院様のますますの発展に向
に来ていると考えてしまいます。
〝地域調整会議〟とその全体的なバラ
に要望し実現に向けて働きかけていく
が、本来それだけなければ東京都では
病院経営において私は創業者であり
ンスを検討する〝東京都地域医療構想
こ と で す。言 う は 易 し、行 う は 難 し。
病院が運営できないという証左でもあ
ますので、結構自由にやってきました。
調整部会〟の運営にうまくかかわるこ
浅学菲才な私にとって、日々修行と後
当協会として受動喫煙防止に関する決
傍から見れば無茶と思われる事業が何
とです。調整会議においては従前より
悔の連続です。リスクマネジメントと
議を採択したことも報告されました。
とかやってこられたのは、一緒に戦っ
懸念していたことですが、構想区域ご
して、私に代わる若い役員の台頭を望
と思います。将来に対する覚悟を持っ
てきてくれた仲間がいたからです。私
との完結性が重視され、東京都全体で
みます。今のままでは東京都病院協会
の継承の準備も進める。そうでない者
た ち は い い 軍 団 で あ っ た と 思 い ま す。
問題を解決する視点に欠けてしまう場
は時代にあった変革に対応する態勢に
けて、活動していきたいと思います。
次世代が私たち以上の業績を上げるた
面を見受けます。地域医療構想調整部
あるとは言い切れません。稀代な才の
ります。東京都において、地域格差と
域医療構想﹂と﹁地域包括ケアシステ
めには、次世代にも同様な体制が必要
会で対応策をよく検討せねばなりませ
河北会長の下で、若い力が自由闊達に
もちろん、傷病を治す医療も大切で
ム﹂は重要で、現在の医療・介護分野
本年の干支は丁酉︵ひのととり︶で、
で、単に経営者を引き継ぐだけではな
ん。も う 一 つ は 本 年 中 に 策 定 さ れ る
公私格差は実は密接不可分のものであ
における二大施策となっています。
1957年生まれの私の年でありま
く、組織全体の新陳代謝とともに世代
2018年度から施行される〝東京都
密着したサービス提供、すなわち﹁地
療提供体制と患者︵利用者︶の生活に
応じた機能分化された切れ目のない医
医療構想策定部会の集中的な検討によ
す。同じ年生まれの有名人に女優の大
交代が行われなければなりません。創
猪口正孝先生︵東京都病院協会副会
長、東京都医師会副会長︶が座長をさ
れ、ま た 当 協 会 役 員 の 山 口 武 兼 先 生、
伊藤雅史先生、竹川勝治先生、進藤晃
先生とともに私も出席した東京都地域
理事長 猪口 正孝
り、昨年7月には東京都においても地
業時から考えると私だけではなく、仲
平成立石病院
域医療構想が策定されました。本年か
年前私の通っていた都立両国高校
竹しのぶさんがおられます。今から約
次医療計画、第7期介護保険事業計画、
診療報酬改定、介護報酬改定、第7
ばなりません。
ができ、すぐに帰ってしまったのを覚
かなり人気も出ていたため、人だかり
ラマや映画﹁青春の門﹂の主演などで
られましたが、既にNHK朝の連続ド
女が、普通の女子高生として見学に来
は、なかなか大事のように感じますが、
代わりの軍団を作り出すということ
なって来ています。大きな軍団が抜け、
次の身の置き所を考えることが必要に
つあります。私とともにおやじ軍団は
大黒柱であると同時に、重石になりつ
た。私たちの病院はいいおやじたちが
歳一緒に年を取りまし
人口ボーナスを前提とする戦後の延長
な い 団 塊 の 世 代 が 後 期 高 齢 者 に な り、
いることを強く感じます。戦争を知ら
きな課題を眼前にして、時代の節目に
です。こうしたヘルスケアにおける大
を考えると、こちらも難易度の高い話
定までのプロセス上に存在するバリア
ができるかです。今までの歴史や、策
我々現場の意見をいかに反映すること
地 域 保 健 医 療 計 画〟の 改 定 に 際 し、
領が広島を訪れ、また暮れには、安倍
2016年は、現職のアメリカ大統
平川病院 いたします。
ことを祈念して私の年頭のあいさつと
院協会が邁進していく転換の年になる
す。2017年が、若い力で東京都病
継続的に会務にかかわることが必要で
ンに沿って、東京都民のための医療提
第3期医療費適正化計画、DPC調整
えています。同年生まれの政治家とし
仮に経営者が4年周期ぐらいごとに代
間もみんな
係数の廃止、 対1医療療養病床・介
ては岸田文雄外務大臣、石破茂氏がい
わるならば、これを支える体制も小幅
歳の彼
護療養病床の廃止が重なる﹁惑星直列﹂
ます。こうして同年齢を見比べて自分
︵旧 制 府 立 三 中︶の 文 化 祭 に
と呼ばれる2018年はもう来年に迫
自身を客観的に見てみますと、まだ引
晋三総理が真珠湾を訪問するなど、日
供体制を具体的に構築していかなけれ
っています。
線上で医療行政が行われても、うまく
院長 平川 淳一
東京都民のための医療提供体制を堅
な変革で済みます。リスクマネジメン
猪口正孝
退の年齢ではないとは思いますが、高
18
40
持していくためにはその財源の確保も
25
15
らは東京都地域医療構想のガイドライ
す。患者を主体に考え、患者の病状に
﹂社
で も あ り ま す。
﹁ Post-Post-Truth
第237号
東京都病院協会 会報
(2)2017年(平成29年)1月30日(月)
展、事業拡大、改善など、考えれば考
ていくことに変わりはありません。発
ー ン か ら、﹁右 肩 下 が り﹂社 会 に 入 っ
今までの﹁右肩上がり﹂の思考パタ
の兆しが見えます。
合子さんが当選し、こちらも何か変化
圧勝かと思われた都知事選挙も小池百
化だと思います。足元では、自民党の
領が選出されたという事実も大きな変
定するようなドナルド・トランプ大統
りました。また、グローバリズムを否
米関係が新たな段階に入った印象があ
調患者さんが町で生活されることも多
通院のみで入院経験の全くない統合失
とが増えました。また、最近では外来
がら、治療を継続しましょうというこ
あるため、少し家庭や地域で生活しな
ず、入院そのものが長期化する弊害も
ん。しかし、入院継続を必ずしも要せ
がなくなっているわけではありませ
院するということは、完全に精神症状
す。精神科に入院して2カ月程度で退
特に身体面の不安が大きいと思いま
になります。
守っていくかと考えると、非常に不安
この中で、どのようにして患者さんを
など、同時に多くの制度が変化します。
改革、障害者福祉計画、介護制度改革
のです。さらに、 年からの医療制度
て、時代の潮流の変化はたいへんなも
こ の よ う な 病 院 内 部 の 激 変 に 加 え
理はありません。
か﹂とご家族が目を丸くされるのも無
今後、いろいろな意味で、今まで以
います。
り受け止めなければならないと思って
いていますが、やはり精神科がしっか
般病院でも、多くの対応をしていただ
の患者さんが加わってきています。一
なることも増えました。これに認知症
気になり、これも一般病院でお世話に
筋梗塞、脳梗塞、癌などさまざまな病
併症問題があります。誤嚥性肺炎、心
いる患者の多くは高齢であり、身体合
ばかりでなく、入院し、長期になって
らに、地域で生活している精神障害者
当に、申し訳ないと思っています。さ
ば、たいへんなご迷惑と思います。本
般の救急病院で意味不明の言動があれ
ないのが現状です。そうは言っても一
のような患者さんへの対応は全くでき
りません。したがって、夜間休日はこ
ければ、救急に対応するスタッフもお
分かりやすいと思います。救急室もな
病棟のような状態と思っていただくと
厳死、平穏死を考えるべき﹂といった
医療は止めてもいいのではないか﹂﹁尊
医療界では﹁食べられなくなったら、
していたことも話題になりました。
が、犯人が優生保護的な発言を繰り返
施設で傷ましい殺人事件が起きました
ています。日本でも昨年、障害者福祉
﹁弱 者 切 り 捨 て﹂の 傾 向 に 懸 念 を 抱 い
それ以上に私は、世界的に見られる
大きくなる一方です。
派遣・紹介会社へ支払う手数料負担は
生じかねません。それでなくても人材
入してくると、人材獲得の過当競争が
り、そこへ新病院が割り込むように参
費、土地代等に悩みながら運営してお
の病院は他の道府県に比べて高い人件
ば解決するわけではありません。大半
識されていますが、単に病床を増やせ
国的にも珍しい﹁病床不足地域﹂と認
整会議が始まっています。東京都は全
してもいいのではないでしょうか。
う一度、本当にあるべき医療を問い直
す。新大統領誕生を機に、私たちもも
日本にとっても他人事ではないはずで
ていましたが、彼が煽った問題意識は、
挙戦を通じてさまざまな議論を喚起し
トランプ氏が就任しました。同氏は選
今年はアメリカ大統領にドナルド・
いうのは、やはり問題です。
択を医師が決断しなければならないと
性はどうしても残ります。そうした選
も、結果的に﹁過少医療﹂になる可能
こそ﹁過剰医療を防ぐ﹂だったとして
でも﹁誘導﹂されてしまいます。建前
めつけられれば、現場の医師は否が応
けなければなりません。診療報酬で締
酬によって医師に選択を迫る事態は避
いくべきであり、それを抜きに診療報
全体で議論したうえで方向性を決めて
話が出てきています。この問題は国民
が増えてくると思います。東京都病院
上に精神科と一般科が接点をもつこと
の一人として﹁組織管理﹂を担当しま
ント力養成講座﹂が開かれ、私も講師
とっては大したことがない身体症状で
ことがあったり、また一般科の先生に
巧拙を問うことが主題ではなく、そこ
で敗れた、6つの局地戦です。戦術の
質をよく描いている同書を推薦図書と
き合う際の心得として、官僚組織の特
﹁副 院 長・院 長 養 成 の た め の マ ネ ジ メ
たちが、身体的な急性疾患になった場
協会の中で、円滑な連携ができるよう
院長 山口 武兼
年度にかけて東京都病院経営本部で
える程、今までの物差しや目標に戻っ
くなっています。このような患者さん
東京都保健医療公社豊島病院
てしまい、正直にいってどうしていい
合、救急車を呼んで一般病院で診てい
した。その際、東京都という組織と向
かわからない状態です。
ただくことになります。このため、精
にお仕事があればと思います。今年も
年前ま
では入院中心にやってきました。それ
神科医にとっては、大した精神症状と
よろしくお願いします。
特に、私ども精神科病院は
が、治療目標も﹁入院中心の隔離﹂か
は思われないものでも、一般科の先生
院日数も全国平均でも500日から
小池百合子都知事は新年のあいさつ
の で す か ら、﹁や っ と 入 院 し た の に、
たその当日に、我々が退院計画を示す
な葛藤、苦労を経て入院まで漕ぎつけ
家庭では対処不可能になり、さまざま
ら も 地 域 で 暮 ら す よ う に な り ま し た。
り、多くの患者さんが入退院をしなが
えば、回復期リハビリ病棟や医療療養
制のみとなっているため、一般科でい
なく、日勤帯以外は病棟勤務の職員体
さらに、精神科病院には救急体制が
が、救急現場では発生します。
場によって全く違う判断になること
間の新規入院患者数も
どうしてすぐに退院の話なのでしょう
10
昨年末より東京都は地域医療構想調
古畑 正
を取り上げました。2015年度から
たときに野中郁次郎氏の﹃失敗の本質﹄
のインタビューで、座右の書を問われ
す﹂と話されました。知事は就任直後
なかったような﹄都政を作っていきま
印 の も と で、
﹃こ れ ま で に 見 た こ と も
ず、骨格は生き延びてきました。東京
り責任者は排除されたにもかかわら
を支えてきた官僚組織は、パージによ
日本帝国陸海軍は滅びましたが、日本
の欠如、リーダーシップの欠如でした。
に浮き出されてきた共通点は、大戦略
げられたのは、日本が第二次世界大戦
一致に驚きました。同書の中で取り上
してあげたところでしたので、偶然の
300日を切り、東京の精神科病院で
も精神科にとっては、とんでもないく
で、冒 頭 に﹁
﹃都 民 フ ァ ー ス ト﹄の 旗
院長 古畑 正
は270日と半減してきています。年
らい重症と感じてしまう状態もありま
山口武兼
す。このように同じ病態を診ても、立
25
倍以上にな
古畑病院
にとってはどうしていいかわからない
18
ら﹁早期退院そして地域生活支援﹂へ
16
平川淳一
と大きく見直され、ここ 年で平均在
30
第237号
東京都病院協会 会報
(3)2017年(平成29年)1月30日(月)
おり、これを抑え込み、あるべき方向
きな組織には同じような体質が潜んで
すい。民間の大企業を含め、日本の大
さがあり、コンセンサスに支配されや
り、定期的な異動による責任の不明確
都もやはり同じように官僚組織であ
で、注目したのは第 番目の﹁総合診
とになるでしょう。新専門医制度の中
いよいよ再来年度にはスタートするこ
年末に﹁整備指針﹂をまとめたことで、
が、日 本 専 門 医 機 構 が 理 事 を 刷 新 し、
新専門医制度も1年遅れとなります
びましたが、その位置づけが病院総合
総合診療科ができると聞いて大変喜
医師は自信が持てないようです。
やはり大学からローテートで来た若い
近 は そ こ ま で の こ と は あ り ま せ ん が、
頭を抱えたことがあります。幸い、最
日本病院会も共通のカリキュラムを作
うと準備をしています。それを受けて
推進機構︶も自ら総合診療医を育てよ
JCHO︵独立行政法人地域医療機能
医が必要です。日本赤十字社や済生会、
なりません。病院にとっても総合診療
行政が行われれば、﹁﹃これまでに見た
することにより、結果にコミットする
のだと思います。責任の所在を明確に
られるからこそ、冒頭の発現があった
ップが欠如していることに気付いてお
織に、本来あるべき明確なリーダーシ
国会議員の経験から、国や都の官僚組
ップと大戦略が必要です。小池知事は
に向かわせるには、強力なリーダーシ
でも当直時に臓器別が徹底しすぎるあ
くなってきたのが現実です。総合病院
が、こういうことのできる医師が少な
も素晴らしい言葉だと思っています
いう東京慈恵会医科大学の理念はとて
た。﹁病 気 を 診 ず し て 病 人 を 診 よ﹂と
的にみる観点が非常に弱くなりまし
臓器別の専門医が急増し、患者を総合
療科﹂です。高度な医療の進展に伴い、
また総合診療科ができても、一人前
科に続いて3位でした。
だ人の割合は
い診療科・分野﹂で総合診療科を選ん
れば、医学生のうち﹁将来専門にした
生のキャリア意識に関する調査﹂によ
合政策研究機構が
年間待たなければ
年に行った﹁医学
正直がっかりしました。日本医師会総
に 重 き が 置 か れ て い る こ と が わ か り、
医というより、家庭医療専門医のほう
も推定できるに違いありません。現在
しょう。その結果、必要な専門医の数
患ごとの患者数も推計が可能となるで
門医も魅力があります。
ころを持つ専門性を持っている総合専
く提示されていません。少し尖ったと
専門医から他科への転向については全
医への転向を希望する場合や総合診療
制度では他の専門医から総合診療専門
る方向で検討をしています。新専門医
年
・6%と、内科、小児
ともに唐澤医院の医師となった。地域
の 人 た ち や 医 師 会 の 先 輩 医 師 も﹁ お、
唐澤先生の跡取りが来たな﹂と歓迎し
の医学部卒業生の専攻科目の選択法
は、合理的ではなく、情緒的に決めて
いるように見えます。魅力的な教授・
先輩のいる医局に入局する例はよく見
られることです。社会が必要とする診
月
それに当時は多くの診療所が玄関先
に赤いランプを灯しており、文字通り
月まで続
のではないでしょうか。
ず、まちのお医者さん﹂が、受療の第
年 月号︶4
方向に転換してもよい時期に来ている
社会に必要な医師を必要なだけ育てる
そろそろ、全体数で考えるのではなく、
偏在をもたらしている一因です。もう
療科に必要な数の医師が入局すること
﹁まちの拠りどころ﹂としての役割も
ず、
﹁ 診 療 時 間 ﹂ は 一 応、 掲 げ て い た
はありません。これが現在の診療科の
く、この灯を消してはいけないという
使命感もあった。
が守られない。夜中だろうが、休診日
だろうが、
﹁先生、先生﹂と戸を叩く。
救急車がすぐに駆けつけて病
院に搬送する体制はまだ整っ
東京都墨田区立川へ移転。祖父を継い
一歩だった。医師のほうは私生活も何
て お ら ず、
﹁何かあったらま
思いがあったために研修でも内科を選
だ兄の博光は私の千葉大学在学中に急
会報第236号︵平成
︻お詫びと訂正︼
んだので、私自身のなかでは﹁当然の
ページ目最下段
行目∼ 行目で﹁安
問 視 す る こ と も な か っ た し、
﹁地域医
いたします。 ︵編集部︶
は﹄﹂の 誤 り で し た。訂 正 し、お 詫 び
棟の算定要件に﹃500床以上の病院
るのは﹁安藤委員は﹁地域包括ケア病
件 に﹃2 0 0 床 以 上 の 病 院 は﹄
﹂と あ
藤委員は﹁地域包括ケア病棟の算定要
10
選択﹂だった。
療を担う﹂とはそういうものだと思っ
て い た。 映 画﹁ 本 日 休 診 ﹂
︵1952
大学での消化器外科研究も頭をよ
ぎ っ た が、 当 時 は 大 学 紛 争 が 激 し く、
とても腰を据えて打ち込める環境では
かわらずひっきりなしに患者が訪ねて
いたかった。
こうして私は﹁昼は同愛記念病院の
なかった。勤務医も考えなくはなかっ
研修医、夜は唐澤医院の若先生﹂とい
くる医師の生活を描いていたが、私の
日常も似たようなものだった。
年制作、渋谷実監督︶は休診日にもか
う二足のわらじを履き、戸籍も生家の
たが、当時の病院は一部を除きそれほ
ど立派な設備があるわけではなく、開
生が守ってくれていた。この恩にも報
もあったものではなかったが、特に疑
唐澤医院を引き継ぐ
てくれた。
地域医療構想の中で、それぞれの疾
こともなかったような﹄都政﹂に変わ
まり、呼吸器が専門の医師が当直する
の医師が育つには
から
の姿に畏敬の念を抱いたか
らだし、いずれは唐澤医院
15
10
死したが、その後を順天堂大学内科の
で患者さんを診たいという
40
医局員である柴山実先生と加藤千岳先
第5回
14
実際に診療所で診察を始めると、や
果たしていた。唐澤医院も例外ではな
はり大学や病院とは勝手が違った。ま
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月に母の実家で
けたが、この間の
年
うが魅力的だった。
と、腹 痛 は 断 る と い う こ と が 起 き て、
4
同愛記念病院での
研修は昭和 年
43
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ある唐澤医院を引き
継いだ。
4
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1
医師を志したのは﹁まちのお医者さ
当院は先々代の祖父・唐澤祐千が明
治 年に開設し、昭和 年に現在地の
ん﹂として地域住民に頼りにされる兄
唐澤祥人
﹁ 臼 井 ﹂ か ら﹁ 唐 澤 ﹂ に 転 籍 し、 名 実
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元日本医師会会長
業して自分のめざす医療を追求するほ
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11
私の医道
るのではないでしょうか?
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第237号
東京都病院協会 会報
(4)2017年(平成29年)1月30日(月)