「大人の見守りと後押し」 2017年 1月 25日 園長 大谷 典子 時に自分がこのままで乳幼児の教育にかかわる仕事をし続けていることが、不思議に思うことがあり ます。私の幼い頃の思い出というのは、楽しいものが少なく“母の病気”という日々の生活そのものが 大変つらいものでした。私の誕生とともに症状が重くなり、五歳の時に腎臓病で三十八歳の若さで息を 引き取りました。母親の記憶がほとんどなく、父親は人生に疲れてしまい、祖母や兄姉との生活は心に 大きな穴をあけたまま、幼児期を過ごしたように思います。 その後、泣き虫のあかんたれだった私(いわゆるいじめられっこで登校拒否)に変化があったのは、 新しい母親の出現であろうかと思います。一言でいうなら「おおらかで面白い」という母親です。家族 内のいざこざも絶えませんでしたが、母親の口癖で「まじめに生きていればどうにでもなる」という潔 く生きる精神は、徐々に心に落ちて行ったように感じています。 そして、昭和三十年代という、近所の人も家族同様に心配をしてくれ、学校の先生との信頼関係も深 められた古き良き時代でもありました。寂しい思い出と言いながら、よく考えてみると実は親以外の多 くの大人が一人の子どもの安否や成長を心配してくれたという思い出は山ほど出てくるのです。 晩ご飯が作れないというと、隣のおばあちゃんが食べさせてくれたり、怖いおっちゃんがいつも子ど もの悪さに目を光らせていたり、親は先生に「先生の好きなようにいくらでもしかってやってください」 と懇願しに行ったりと、大人の優しさと厳しさを同時に教えてもらったように思います。 また、大人になってからも、同僚とけんかを繰り返しながらも仲良く仕事をし、そして上司や先輩に 反発をしていながら結局は最後まで面倒を見てもらい、育ててもらったと思います。失敗や疲れた時、 もう辞めてしまいたいと思った時に、乗り越えられることができ現在まで仕事を続けてこれたのも、そ の「大人の後押し」があったおかげであるのは間違いありません。 人と人とのかかわりでしか生まれない“基本的信頼感”を感じないで「人間として生まれてきた幸せ はない」といっても言い過ぎではないと思っています。このことは、乳幼児保育の基本中の基本でもあ ります。この世に生まれてきて良かったと思うこと、人間っていいなぁと思うこと、そして自分が大好 きという肯定間を持つことにほかならないのですね。 人はいろいろな生い立ちや環境に生まれるわけですが、どのような道を選ぶのか迷った時や岐路に立 った時にこそ大人が指標を示して、背中を押してあげればいいのではないかと思います。 こうして自分の生い立ちを振り返ってみると、この年になっても毎日元気な子どもたちに囲まれ、そ してたくさんの娘や息子のような先生たちと仕事ができることは不思議でもあり、感謝せねばならない ことだと思っている今日このこのごろです。
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