【優秀賞】NHK 旭川放送局長賞 戦争と人権 長岡 勇起 五月二十七日

【優秀賞】NHK 旭川放送局長賞
戦争と人権
長岡 勇起
五月二十七日、テレビで衝撃的な映像を目にしました。それは、アメリカのオバマ大統
領が、伊勢志摩サミットの最終日に、広島を訪問した時に、自らが原爆被爆者でありなが
らも、被爆した米兵捕虜の研究をしている森重昭さんと抱擁を交わした場面でした。
アメリカの大統領が被爆者と熱く抱擁するという事に対して今まで、あり得ない事だと
思っていたので、僕は複雑な気持ちになりました。自分の中の最初の感情は、アメリカは
原爆を投下した国なのだから少しでも謝罪してほしいという気持ちでした。
そして、ある新聞の記事を見つけました。被爆体験を伝えてきた中村キクヨさんです。
終戦から2年後に産んだ次男は白血病と闘い続け、二〇〇三年に亡くなりました。被爆で
放射線を含んだ母乳が原因ではないかと医者に言われて、悲しみや怒りを向ける場所が分
からなかったそうです。それでも、核兵器の存在を許すことだけはできず、廃絶を願う人
が一人でも増えると信じて被爆体験を伝え続けてきました。日米両政府が「核なき明日」
へどう行動するか、見届けたいと願っているそうです。
中村さんは、残虐な兵器を落とした米国が憎くてたまりませんでした。しかし、長い年
月が経ったせいなのでしょうか、考え方を見つめ直したのです。太平洋戦争が開戦した四
十一年十二月八日、旧日本軍の先制攻撃を受けて米戦艦が沈みました。その乗組員らを追
悼する記念館の壁に、千人を超す犠牲者の名前が刻まれていました。
「すみませんでした。
」
気付けば中村さんは黙とうしながら、おわびの言葉をつぶやいていたそうです。米国で原
爆の悲惨さを語った時には、「日本が戦争を仕掛けたんじゃないか。」と言い返されたこと
もありました。今となってはその思いも理解できるそうです。だからこそ大統領も、謝罪
の言葉を口にしなかったのかもしれません。戦争は、単純に加害と被害の線引きはできな
いと中村さんの気持ちの葛藤が書かれていました。
ぼくはそれを読んでから、謝罪を求めるばかりの姿勢では、これからの進歩はないかも
しれないと考えました。
日本原水爆被害者団体協議会代表委員の坪井直さんはオバマ大統領と握手をしながら、
通訳を交えて会話をした時、原爆投下について、
「米国を責めてないし、憎んでもいないで
す。これからが大事です。時々広島に来て下さい。
」と言うとオバマ氏の握手が強くなった
そうです。又、
「大統領退任後も広島へ来て下さい。核兵器のない世界に向けて、あなたと
ともにがんばりたいと思います。
」という素晴しい言葉を訴えました。僕は、
「ともに頑張
ろう」という考えが、一歩進んだ発想へとつながるような気がしました。それは、自分達
の事ばかりを考えるのではなく、相手の立場にも思いを寄せる、思いやりが根底にあるの
ではないかと思います。人権など無視された戦争という過ちを二度とくり返さないために、
人間が人間らしく生きるための、誰もがもっている人権を尊重して、未来は誰にでも平等
にあるということを忘れてはならないと思います。そして、世界中が、認め合い、許し合
い、ともに歩み寄れば、もっと笑顔が増えて戦争がなくなる唯一の道だと信じています。