絵が語りかけること

2017年1月号
第359号
bestopia.jp
パリ通信
第61号
絵が語りかけること
はじめに
今月も連載「高校生諸君」日本史B準拠「1941年」を書きあげることが
できません。自分が生まれた年と戦っているようですが、4月号には掲
載します。
昨年の暮れ倉敷の大原美術館にあるエルグレコの「受胎告知」の或こと
を確かめたくなり米子からの帰りに立ち寄りました。懐かしい町並みを
ゆっくりと散歩し、情緒たっぷりの川に幸せなカップルを乗せた舟が漂っ
て川面に空の青を雲が浮かんでいました。その舟の漂いに気をとられ入
り口を見失ってしまいぐるぐると回りながら目的の絵の前に立ちました。
大原美術館のこの絵は由来を含めて有名であり、大原美術館の象徴のよ
うな存在ですが、その説明は割愛し私の目的だけに焦点を絞ります。
一枚の絵画から考えたこと
もうだいぶ前になりますが、私はエル・グレコのもう一枚の「聖家族と
聖アンナ」を確認するためにブタペストの西洋美術館に足を運んだこと
があり、現地の人からロマンチックな旅ですねと言われました。それは
単なる私の無知のなせる旅にすぎなかったのですが無知のままではすま
せることができなかったほどに美しい絵画でした。無知は自分の中でミ
ステリーを構成してそれなりにインタレスティングなことですが、事実
確認も感性が要求します。
今回は受胎告知にあるグレコの変化があるかも知れないと旅の途中に気
がついたのです。
受胎告知は多くの画家によって描かれ、グレコも複数の同名の作品を残
しています。数年前にスペインのティッセン=ボルネミッサ美術館で見
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たグレコのもう一枚の「受胎告知」
(1576年作)と比較するのが今回
の目的でした。大原美術館の絵が
描かれた年代は1590年頃です。
構図の確認
2枚の絵の構図の共通点は天使が天
上から舞い降りて来て、マリアよ
り上の位置にあることです。
手の位置の確認
マリアの手の位置が違います。そし
て大原美術館の絵では右手がしっ
かりと天使の目線に応答しており
「覚悟」を受けとめている様子が
ハッキリと分かります。顔の表情、
腰の位置そして天使を見る目線が違
います。グレコはマリアの心の動きと感情を聖書に忠実に表しています。
「天使ガブリエルはナザレと
いうガリラヤの町に神から遣
わされた。ダビデ家のヨセフ
という人のいいなずけである
おとめのところに遣わされた
のである。そのおとめの名は
マリアといった。『おめでと
う、恵まれた方。主があなた
と共におられる』マリアはこ
の言葉に戸惑い、いったいこ
の挨拶は何のことかと考え込
んだ。すると、天使は言った。
『マリア、恐れることはない。
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あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、
その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方
の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は
永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない』マリアは天使
に言った「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男
の人を知りませんのに」天使は答えた。『聖霊があなたに降り、いと高
き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼
ばれる。あなたの親類エリサベトも、年をとっているが、男の子を身ご
もってる。不妊の女と言われていたのに、もう六ヶ月になっている。神
にできないことは何一つない』マリアはいった。「わたしは主のはした
めです。お言葉どおり、この身に成りますように」そこで、天使は去っ
て行った。(ルカによる福音者1章26 38節)
マリアが左手を置いているのは聖書(旧約)でイザヤ書7章14節「見よ、
おとめが身ごもって、男の子を産み,その名をインマヌエルと呼ぶ」の
箇所と言われています。インマヌエルとは新約聖書マタイによる福音書
1章23節に「神は我々の共におられる」と書かれています。
フラ・アンジェリコとの違い
「受胎告知」で
とりわけ有名な
のはフラ・アンジェ
リコの名画です。
私の知る限りで
すが、イタリア
のサンタ・マリア・
デレ・グラツィエ
修道院とプラド
美術館にありま
す。ここには手
元の絵はがきか
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ら後者を掲載しますがいずれも1430年∼32年の作です。構図がグレコ
とは異なり天使とマリアが対面で向かい合っています。レオナルド・ダ・
ヴィンチの同名の絵は1475 1485年とあり同様の構図です。
いずれもルターの宗教改革前のものです。
ルターの宗教改革から500年
ルターの宗教改革は1517年でした。この改革はローマカトリック教会
にも影響し、カトリック教会内でも改革がなされました。日本語訳が適
切ではないのでその呼び名を私は掲げませんがグレコはその宗教改革の
影響を受けて素直に描いたのがは1576年の作のようです。グレコの他
の多くの絵画を観ると内面の葛藤、苦悩を感じますが、カトリック教会
にとどまり改革を絵画で訴えた人だと私は考えています。それがグレコ
の構図(天使がマリアより上方に描かれている)に現れており、マリア
の人間としての覚悟がしっかりと描きだされたのではないかと思います。
「マリアの覚悟」という言葉は昨年12月29日に召天された渡辺和子さ
んから教わりました。
今年はルターの宗教改革から500年にあたります。
1543年にはコペルニクスの「地動説」(50年後にはガリレイ・ガリレオ
による確証的証言)が世に出る等大動乱時代でした。今年はどんな年に
なるのでしょうか?コペルニクスは1526年に「貨幣論」を現していま
すが、この500年間で最も進化したのは「貨幣の価値」論ではなかった
かと思います。忘れられようとするばかりでなく無視されるようなルター
の宗教改革が盛大な祝賀記念会になる事を私は願っています。
図画工作という授業
いつものことですがベストピアは気まぐれです。何かの思いつきでアッ
プルに向かい書き出すのですが話題がとんでもないところに飛んでしま
います。おおよそ論理的ではないのですが、今回もグレコの一枚の絵か
ら思いついたことを書いています。何か絵画の研究家のようですが、誤
解を防ぐために次のことを付け加えておかねばなりません。
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私には図画工作と音楽の授業がたまらなく辛かった思い出があります。
特に中学校に入ってから週一時間は音楽・図画工作の時間があって専門
の先生がこられて授業が行われました。これは今も同じでしょう。
図画工作ではデッサンがありましたが私は見たとおりにも描けませんで
した。悔しいくらいその通りに近いものも描けないのです。今もそうで
す。音楽は音痴で楽譜は今でも読めません。
図画工作の先生は、私がわざとふざけていると思ったらしく厳しく体罰
を何度もいただきましたが、最後は諦められて「好きのようにしなさい」
と言われ、私は読書をすることが許されたのです。あるとき「何でもい
いから丁寧に、何か描いてみないか」と勧められて○と△と楕円形の組
み合わせで境界線まで丁寧に色を塗りましたら、随分褒められ、「今回
は投げ出さず、丁寧に仕上げたね。ところでこれはどんな意味があるの
か?」と問いかけられました。何と答えたかは忘れましたが、適当に説
明をしたのでしょう。それが又褒められ、「3」をつけてくれました。
「2」があると高校受験に差し障りがあったと思います。
音楽も同様で前に出てピアノの伴奏で唱歌を歌う試験がありましたが、
音程が合わない、他人からはふざけているとしか見えなかったようです
が本人は必死で合わせようとするのですが、ずれるのです。先生も困っ
たのでしょう。あるときは「今日は有名な音楽を聴いて感想を書いても
らいます」といって蓄音機を持ち込んで数曲を聴かせてくださいました。
その中にベートヴェンの交響曲第5番があったのです。少しはまともな
文章を書いて出したのでしょう。「高校に入ったらロマン・ロランの作
にジャン・クリフトフという小説があるから読みたまえ」と言われ入試
発表の間に時間を忘れて読んだ思い出があります。
何故こんな話しをしたかと申しますと、そんな人間が語る絵画や音楽の
話しですから水準は問うに足りないものです。
第360号に向けて私の思いを終えた大きな喜ばしい課題を頂きました。
誠実に書きあげたい心から願っています。
追記「サピエンス全史」が面白いです。
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