あり。 11 ねはんず え と ☆干支がひとめぐり さ て、 涅 槃 会。 前 回 は 年 で し た。 早 い も の で、 あ 明けましておめでとうご 世 話 に な り ま し た。 今 年 も れから干支がひとまわりし ざ い ま す。 旧 年 中 は 大 変 お よろしくお願いし ま す 。 たわけです。 前 回 は、 プ レ・ イ ベ ン ト と 称 し て、 本 堂 で 影 絵 を 見 結 衆 の 行 事、 恒 例 のね鳴は門 ん え 今年は涅槃会の当番がま わ っ て き ま し た。 去 年 の ま し た。 ご 記 憶 に あ る 方 も ふ さ つ え 当番は七月の布薩会でし おられますね。 事 業 で は、 い く つ か 記こま念 ごま の細々とした工事をしまし た。 ご 存 知 で し た か ? 年 頭 に お 配 り し て い る「 鳴 門 結 衆 法 会 表 」、 せ め て 長 谷 た。 最 も 大 き な も の は、 旧 り 寺で行われる行事くらいは く 年忌のご先祖さん以外の情 先んじて 年に行いました す。 張 り 替 え 自 体 は 法 要 に チ ェ ッ ク し て み て 下 さ い。 庫 裏 の 廊 下 の 張 り 替 え で 報も盛りだくさん で す 。 で は も う 見 ら れ な い、 珍 し も ち ろ ん、 行 事 に も ぜ ひ よ そ ご 参 加 下 さ い。 他 所 の 地 域 もったいないことをしまし ま す。 い ま 思 え ば、 ひ ど く 庫裏を改築することになり たが、当時は庫裏の全面改 要でもあります。 の が 翌 年 で す か ら、 住 職 築など、全く念頭にありま てんめい としても初めての涅槃会と 師匠は、その大卒塔婆しんを ゆう 書いてくれた宝珠寺の信裕 いうことになります。 せんでした。 '06 書を習い始めたのが、ささ のですが、その書の稽古も、 さんたちの年忌の法要と違 くなったような気がしない い、毎年やることになって い ま す。 年 忌 だ っ た ら 回 染筆です。 だけ古いと御遠忌などと呼 忌くらいでしょうか。これ ご お ん き 住職という立場を襲った 槃会の大卒塔婆の初めての んの命日の供養は、ご先祖 やかな事件でした。お習字 年。うちの涅 始めてまる の手習い」のきっ が。 だ か ら「 りませんでした だ、 住 職 で は あ す。 も っ と も ま 反省したからで かったろうかと 書くべきではな 住職自身の手で さ ま に 頼 ら ず、 婆 く ら い は、 人 に建てる大卒塔 て、 せ め て 境 内 槃会を振り返っ たくさんの方々の力を集 めて、賑やかに終わった涅 ことです。 教室なんて、小学生以来の 命 を 和尚。指導者は超一流なの ☆いまはのきわ 個 人 史 的 に は、 天 知 っ て( 「 歳 に な っ て 」 ですが、悲しいことに私は しい名前 さて涅槃会。難 しょうつき という意味です)間もない 書の才能にも恵まれていな ですが、釈迦の祥月命日の う ま 春。この法要を終えてすぐ、 いみたいです。少しも上手 法事のことです。お釈迦さ 50 かけになった法 2500 2017(平成 29)年 1月1日 '09 12 96 号 が、 こ の 7 年 後 の 年 に は '02 い行事も体験でき ま す 。 50 涅槃図の入院 -1- 2005 -2- んだりします。 法 要 で は、 涅 槃 図 と 呼 ば れる釈迦の臨終のシーンを ご 自 身 の 親 御 さ ん の 法 空 海 の 御 影 は、 い ま わ の 事 を 想 像 し て み て 下 さ い。 きわのシーンではありませ ん。 立 ち の、 四 天 王 像 の 調 査 を 仰 る。 「 由 緒 あ る 寺 に は、 ですねぇ」と、感慨深げに おっしゃ 依 頼 し ま し た。 長 谷 寺 に お わ す 数 あ る 仏 像 の 中 で も、 歴史的価値を有する物があ しょう。どうやら長谷寺は、 ベ ッ ド の そ ば で、 亡 く な っ こ の 際 修 復 す べ き か、 そ れ と く に 傷 み が 激 し い の で、 るものだ」といった意味で たばかりの遺体を囲んで家 涅槃会も、涅槃図はせめ 族 や 親 戚 が 悲 し ん で い る。 て釈迦像の傍らに添えるだ 描 い た 図 を 本 尊 と し て、 本 堂正面に掲げるというのが そういう物があっても不思 どれくらいの時間と経費が ところで、 世紀後半と いえば、長谷寺の創建と同 だけの価値のあるものなの か か る も の か を、 見 極 め て じ時期です。その専門家氏 けにするとか、できないも もらうためでした。 尊の十一面観音像は、鎌倉 そのスナップ写真を大きく 法要ですから、涅槃図は釈 れ た の は、 奈 良 調 べ てがく んごうじ にある元興寺文化財研究所 な ら わ し で す。 涅 槃 会 だ か のです。 迦がどんなに慕われ敬われ の ス タ ッ フ た ち。 こ こ は、 時代の作らしく、それが本 議ではない寺みたいです。 むろん仏教の法要ですか ら、 釈 迦( を 含 め た 仏 菩 薩 ていたかを、偲ぶよすがに 当ならば、寺の歴史よりも か。 も し 修 復 す る と し た ら たち)を本尊にする以外に はなります。しかも、そこ 民間の文化財研究所の草分 ずっと古い、まさに寺宝の んかと思います。 は考えられません。檀 に描かれているのは、たし け的存在で、かつて、 「十二 名に値するものですが、涅 延 ば し て、 法 事 の 祭 壇 に 安 家さんの年忌の法事 かに釈迦の死という、いと 天」の仏画を修復しても 槃図はそれに次ぐ寺宝とい ら 涅 槃 図 を 掲 げ て 拝 む。 当 でも、祭壇に仏菩薩た も悲劇的な場面ではありま らったこともあります。 置 し、 そ れ を 拝 む よ う な も ちを本尊として掲げ すが、大画面に多くの弟子 然 の こ と に 思 え ま す が、 亡 く な る 時 の シ ー ン を、 祥 月 ます。ですから、釈迦 たちや動物たちが勢ぞろい その四天王像の調査が一 段 落 し て、 他 に 拝 見 で き る た だ、 な に し ろ 年 も 昔 いた のもので、しかもひどく傷 迦の むろんしの涅槃会は、釈 ささ 遺徳を偲び、感謝を捧げる 命日の法事の正面に掲げ の命日の供養の本尊 し、森や川、月や雲などを ものはありませんかと尋ね んでいます。できるだけ早 4 うやま が釈迦というあり方 配し、全体に華麗な彩色を ら れ ま し た。 そ う い う こ と く補修することを、強く勧 した る な ん て、 考 え て み れ ば もまあ、そうせざるを 施したもので、法要の本尊 な ら と、 今 回 の 行 事 に 使 う 4 得ないのは分かりま として少しも不自然なもの められました。 の鑑定によると、うちの本 えます。 ました。 い る お 釈 迦 さ ん に、 「そろ 過ぎています。横たわって なんて、偶然にしては出来 500 4 ちょっと不気味で す よ ね 。 す。空海の命日の供養 涅槃図を押し入れから出し く ではありません。 え も、 御 影 供 と い う 名 ☆五〇〇歳 み 前の通り、 「御影」(い て き ま し た。 文 化 財 専 門 の 涅槃会を前に、法要の本 ス タ ッ フ が、 ひ と 目 見 て、 尊の涅槃図の正体がわかる みえい まならさしずめポー トレイト=肖像写真で 15 「 あ る 所 に は、 あ る も ん 世紀後半のものと鑑定し ここでようやく、長谷寺 の涅槃図の話になります。 の 表 装 は、 作 品 の 周 囲 を 布 ( 裂 ) で 囲 通常 きれ む「 裂 表 装 」 で す が、 こ れ は 表 装 の 布 の 模 様 か に 見 え る 部 分 も、 同 じ 下 地 の 絹 に 描 か れ た 絵 す ) を 掲 げ て 供 養 す る 昨 春、 観 音 堂 で 本 尊 の で、軸全体が一枚の絵なんです。「描き表装」 わ け で す か ら。 で も、 十一面観音さんの両脇にお という、とても珍しい技 法 で す 。 15 -3- そろ何とかしてほしいのだ く と も こ こ 数 十 年 は、 本 堂 的な材料 ・技法を用いたもの 感覚の残存が濃厚な時期とし 代のごく初期、未だ中世的な 制作年代については、口 頭では 世紀後半と言われ ましたが、文字にする場合 に則 って画 絹 に牡 丹 ・唐 草 の 貴重である。 表装」絵画の文化財としても は、専門家は確実なことし 文様を表具裂部分に描く 「描 く 初 期、 ・・ お よ そ 寛 永 年 Ⅱ 画 面 の上 下 ・左 右 に は、 て、およそ寛永年間を降らな ひょう ぐ ぎ れ 通例の表具裂を用いず、古式 いころのものかとみられ、「描 き 表 装 」 といわ れ るも のであ ま た、 画 面 の中 央 に楕 円 形 に一 定 間 隔 で修 補 の痕 跡 があ ころのもの」という書き方 まずは涅槃図の補修から手 ら、 長 く 護 り 伝 え て き た も 国時代末から江戸時代のご 間( ~ 年 ) を 降 ら な い 重ねながらも大切にその法会 しょう。 かさ る。その費用も裂仕立てより に用 いら れ てき た 証 しでも あ ☆ピンチヒッター をしているのはそのためで て少ない。 り、制作当時には費用の嵩ん ふう た い 風 帯 は付 けな い。 材 料 同 様 に伝統的な表装形式をもちい だ絹 本 としたことで、 全 体 的 二百年といわれる表具の寿命 ものと思われる。 Ⅲの最後の略した部分に は、細かな図像学上の説明 があります。いくつかはこ の紙面で、写真とともに紹 介しています。 横たわったお馴染みの涅槃 ので、画面の中央に釈迦が 槃図」と呼ばれる特殊なも も の で す。 た だ、 「八相涅 は っそ う べると時代は比較的新しい こちらは問題の涅槃図に比 というわけで今回は、別 の 涅 槃 図 を 本 尊 と し ま す。 たのだと、ご理解下さい。 られるほど傷みが激しかっ 堂に掲げることさえはばか うわけにはいきません。本 涅槃会の本尊になってもら で、残念なことに、今回の く だん ている。 件の涅槃図は、すでに補 修に取り掛かっているの には着彩の残存も良く現在ま で涅 槃 会 本 尊 として用 いられ た続けたものと想像される。 各部の描法などから絵師の技 が尽きて全解体修理の時期を ので、戦国時代末から江戸時 よりも一段古様とみられるも れた紙本の定形化した涅槃図 ついては、 江 戸 時 代 に多 作 さ Ⅳ 以 上 の よ う な 諸 観 点 か ら、結論的に本図制作年代に 略) ( 以下に列記したい。 し 量 か る こと が でき る ので、 迎 えている こと を 示 している 量や本図の制作年代なども推 は本 図 にいく つかの特 徴 的 な しかしな がら、 現 状 みる 傷 図 容 を 指 摘 す る こと が でき、 みのほどは、 お よそ百 年 から れ た も のではな いが、 細 部 で き ま し た。 専 門 用 語 が 散 Ⅲ 涅 槃 図 の図 像 形 式 として りばめられていますから、 は、通例のものから大きく外 ちょっと読みにくいかも 知 れ ま せ ん が、 一 部 割 愛 の 上、 ほ ぼ 原 文 の ま ま 掲 載します。参考までに。 長谷寺所蔵涅槃図の所見 Ⅰ 横 方 向 には 幅 一 尺 を 超 える 絹 を 四 副 連 ね、 縦 には 六 尺 余 り の大 画 面 とす る も ので、 絹 地 は 当 時 中 国 か ら か 記 さ な い も の で す。 「戦 も 嵩 む も ので、「描 き 表 装 」 ることは、 永 らく続 けられ て の で す。 そ う い う 仕 事 が、 の事 例 は裂 表 装 のも のに比 べ きた涅槃会本尊として修理を か 掛 け る こ と に し て、 こ れ を また巡ってきたわけです。 ないがし くだ である。 ば か り に 目 を 奪 わ れ て、 肝 や 庫 裏 な ど、 建 物 の 手 入 れ 気がしました。 蔑 ろ に し て き ま し た。 し が ね 」 と、 言 わ れ た よ う な と い う わ け で、 当 初 の 補 修対象候補だった四天王さ か し 仏 像 や 仏 画 も、 代 々 の 今回の涅槃会の記念事業と ☆所見 ら そうじゅ の輸入品であり、岩絵具 顔 ( ふさい 料 を ) 賦彩している。 け んぽ ん 絹 本 仕 立 てといい、 顔 料 の 着彩といい、伝統的かつ本格 '44 待 ち い た だ く こ と に し て、 住 職 た ち が 手 当 て を し な が することにしまし た 。 その涅槃図に関する所見 が、 文 化 財 研 究 所 か ら 届 心の仏さんたちをずっと んたちにはいましばらくお 15 こ れ ま で う ち で は、 少 な さ 羅双樹が悲しみ 釈 迦 の 涅 槃 に 際 し、 沙 の 色 の 花 を 咲 か せ た と い う の が、 経 典 の 説 く と こ ろ で す が、 こ の 図 で は 花 を 付 け ていません。 命 日 は 二 月 十 五 日。 釈 迦 た ち を 見 守 る ように、十五夜の月が輝 い て い ま す 。 1624 -4- お 書きたいことがなくなって ◆休筆報告 近いのかも知れません。 きました。筆を擱く時期が なからずあり、残念ながら もう少しだけは頑張って みるつもりですが、今回が 今回は、世話人さんたち が訪問できなかった家も少 まだ目標額には達していま 「 百 日 紅 」 は、 お 昨 秋、 休みをもらいました。理由 微妙なところです。 号。三桁に届くかどうか、 みけた せん。すでに浄財をお寄せ のひとつは、私が病に侵さ れたためです。 やまい 下さった檀家さんも、そう いうことならもうひと頑張 ◆カンパと切手 究 所 の ス タ ッ フ に、 詳 し 図 を 本 堂 に 掲 げ て、 學 光 さ ん に は、 年 の 大 法会のイベントで、本堂で す。 傷 の 癒 え た 涅 槃 手当てをしたわけで し た 浄 財 で、 患 部 の そ れ に し て も、 み なさんからお預かり しないで下さい。 で、 そ う い う 期 待 は たが、すでに前世紀の話に ば と 思 っ て い ま す。 落 語 を 二 席 お 願 い し ま し 凱旋報告会ができれ なってしまいました。 にお願いしました。 びている、笑福亭學光さん 福祉士」の活動で注目を浴 す。今回は、最近「お笑い なお、法要終了後は、お 話の時間がもうけてありま です。 かけする場合もあるかと思 には、いろいろご迷惑をお ますから、檀家のみなさん 先代住職も、高齢に加え て、やはり病気を抱えてい もないのですが。 な暮らしをしているわけで ようもありません。不摂生 すが、こればかりはどうし 会を控えて悩ましいことで 険性のある病気です。涅槃 手術をしました。再発の危 りがとうございました。 んから切手が届きました。あ 明さん、木津野の前田義秋さ 橋千代子さん美祢市の高田徹 さんからカンパ。裾野市の高 えるようにきれいに りと、追加の浄財をお願い 図 の 両 側 に、 釈 迦 の 入 滅 前 い話をしてもらうつもりで お釈迦さんの命日に、寺 で落し噺を聞いて、本堂を なって戻ってくるわ 昨春の検査で病気が見つ かり、入院して患部の切除 後の八つの物語の場面が縦 す。 「 百 日 紅 」 は、 鳴 門 に 来 てすぐに作りはじめ、四半 できれば、大変ありがたい に四つずつ配されていま ▽ △ お笑い福祉士の活動を中心 世紀を越えました。徒に数 そのときは文化財研 きしゃ 笑いに包むのも悪くはない でしょうが、今回は、その と存じます。 いまひとつは、記事にす べき話題の枯渇です。 いたずら だ け を 重 ね て き ま し た が、 辺健二さん、木津の米本茂雄 す。 と て も 珍 し い も の な の 檀 家 の み な さ ん に は、 涅 槃 図 の 補 修 と、 法 要 執 行 の に、お話をいただけること 徳島市の福井幹代さん、田 で、 法 要 の 時 は ぜ ひ 見 逃 さ ための浄財の喜捨をお願い がいせ ん ないようにして下 さ い 。 しました。 います。ご寛恕下さい。 ▽ △ けではありませんの 釈 迦 の 枕 元 に 袋 包 み が 見 え ま す。 こ の 包 み 終 え て 帰 っ て 来 る の は 沙 羅 樹 の 枝 に か か っ た 構 図 が 多 い で す が、 は、来春の予定です。 ここでは枕元に置かれ て い ま す 。 左 の、 玉 を 持 っ て 嘆 い て い る 赤 い 姿 は 、 阿 ただ今回施すのは、 修 羅。 有 名 な 興 福 寺 の も の と は ず い ぶ ん 雰 囲 現状の傷みがこれ以 気が違いますね。 釈 迦 は「 目 を 伏 せ な が ら も 優 し げ で 均 整 に 上 ひ ど く な ら な い た 優 れ た 面 相 」 と「 所 見 」 に あ り ま す 。 お 顔 や め の 補 修 で す。 見 違 口元の傷が痛々しいで す 。 96 われらが涅槃図が補修を 1999
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