百日紅96号

あり。
11
ねはんず
え
と
☆干支がひとめぐり
さ て、 涅 槃 会。 前 回 は
年 で し た。 早 い も の で、 あ
明けましておめでとうご
世 話 に な り ま し た。 今 年 も
れから干支がひとまわりし
ざ い ま す。 旧 年 中 は 大 変 お
よろしくお願いし ま す 。
たわけです。
前 回 は、 プ レ・ イ ベ ン ト
と 称 し て、 本 堂 で 影 絵 を 見
結 衆 の 行 事、
恒 例 のね鳴は門
ん え
今年は涅槃会の当番がま
わ っ て き ま し た。 去 年 の
ま し た。 ご 記 憶 に あ る 方 も
ふ さ つ え
当番は七月の布薩会でし
おられますね。
事 業 で は、 い く つ か
記こま念
ごま
の細々とした工事をしまし
た。 ご 存 知 で し た か ? 年
頭 に お 配 り し て い る「 鳴 門
結 衆 法 会 表 」、 せ め て 長 谷
た。 最 も 大 き な も の は、 旧
り
寺で行われる行事くらいは
く
年忌のご先祖さん以外の情
先んじて 年に行いました
す。 張 り 替 え 自 体 は 法 要 に
チ ェ ッ ク し て み て 下 さ い。 庫 裏 の 廊 下 の 張 り 替 え で
報も盛りだくさん で す 。
で は も う 見 ら れ な い、 珍 し
も ち ろ ん、 行 事 に も ぜ ひ
よ そ
ご 参 加 下 さ い。 他 所 の 地 域
もったいないことをしまし
ま す。 い ま 思 え ば、 ひ ど く
庫裏を改築することになり
たが、当時は庫裏の全面改
要でもあります。
の が 翌 年 で す か ら、 住 職
築など、全く念頭にありま
てんめい
としても初めての涅槃会と
師匠は、その大卒塔婆しんを
ゆう
書いてくれた宝珠寺の信裕 いうことになります。
せんでした。
'06
書を習い始めたのが、ささ
のですが、その書の稽古も、 さんたちの年忌の法要と違
くなったような気がしない
い、毎年やることになって
い ま す。 年 忌 だ っ た ら 回
染筆です。
だけ古いと御遠忌などと呼
忌くらいでしょうか。これ
ご お ん き
住職という立場を襲った
槃会の大卒塔婆の初めての
んの命日の供養は、ご先祖
やかな事件でした。お習字
年。うちの涅
始めてまる
の手習い」のきっ
が。 だ か ら「
りませんでした
だ、 住 職 で は あ
す。 も っ と も ま
反省したからで
かったろうかと
書くべきではな
住職自身の手で
さ ま に 頼 ら ず、
婆 く ら い は、 人
に建てる大卒塔
て、 せ め て 境 内
槃会を振り返っ
たくさんの方々の力を集
めて、賑やかに終わった涅
ことです。
教室なんて、小学生以来の
命 を 和尚。指導者は超一流なの ☆いまはのきわ
個 人 史 的 に は、 天
知 っ て(
「 歳 に な っ て 」 ですが、悲しいことに私は
しい名前
さて涅槃会。難
しょうつき
という意味です)間もない 書の才能にも恵まれていな ですが、釈迦の祥月命日の
う ま
春。この法要を終えてすぐ、 いみたいです。少しも上手 法事のことです。お釈迦さ
50
かけになった法
2500
2017(平成 29)年
1月1日
'09
12
96 号
が、 こ の 7 年 後 の 年 に は
'02
い行事も体験でき ま す 。
50
涅槃図の入院
-1-
2005
-2-
んだりします。
法 要 で は、 涅 槃 図 と 呼 ば
れる釈迦の臨終のシーンを
ご 自 身 の 親 御 さ ん の 法 空 海 の 御 影 は、 い ま わ の
事 を 想 像 し て み て 下 さ い。 きわのシーンではありませ
ん。
立 ち の、 四 天 王 像 の 調 査 を
仰 る。
「 由 緒 あ る 寺 に は、
ですねぇ」と、感慨深げに
おっしゃ
依 頼 し ま し た。 長 谷 寺 に お
わ す 数 あ る 仏 像 の 中 で も、 歴史的価値を有する物があ
しょう。どうやら長谷寺は、
ベ ッ ド の そ ば で、 亡 く な っ
こ の 際 修 復 す べ き か、 そ れ
と く に 傷 み が 激 し い の で、 るものだ」といった意味で
たばかりの遺体を囲んで家
涅槃会も、涅槃図はせめ
族 や 親 戚 が 悲 し ん で い る。 て釈迦像の傍らに添えるだ
描 い た 図 を 本 尊 と し て、 本
堂正面に掲げるというのが
そういう物があっても不思
どれくらいの時間と経費が
ところで、 世紀後半と
いえば、長谷寺の創建と同
だけの価値のあるものなの
か か る も の か を、 見 極 め て
じ時期です。その専門家氏
けにするとか、できないも
もらうためでした。
尊の十一面観音像は、鎌倉
そのスナップ写真を大きく
法要ですから、涅槃図は釈
れ た の は、 奈 良
調 べ てがく
んごうじ
にある元興寺文化財研究所
な ら わ し で す。 涅 槃 会 だ か
のです。
迦がどんなに慕われ敬われ
の ス タ ッ フ た ち。 こ こ は、 時代の作らしく、それが本
議ではない寺みたいです。
むろん仏教の法要ですか
ら、 釈 迦( を 含 め た 仏 菩 薩
ていたかを、偲ぶよすがに
当ならば、寺の歴史よりも
か。 も し 修 復 す る と し た ら
たち)を本尊にする以外に
はなります。しかも、そこ
民間の文化財研究所の草分
ずっと古い、まさに寺宝の
んかと思います。
は考えられません。檀
に描かれているのは、たし
け的存在で、かつて、
「十二
名に値するものですが、涅
延 ば し て、 法 事 の 祭 壇 に 安
家さんの年忌の法事
かに釈迦の死という、いと
天」の仏画を修復しても
槃図はそれに次ぐ寺宝とい
ら 涅 槃 図 を 掲 げ て 拝 む。 当
でも、祭壇に仏菩薩た
も悲劇的な場面ではありま
らったこともあります。
置 し、 そ れ を 拝 む よ う な も
ちを本尊として掲げ
すが、大画面に多くの弟子
然 の こ と に 思 え ま す が、 亡
く な る 時 の シ ー ン を、 祥 月
ます。ですから、釈迦
たちや動物たちが勢ぞろい
その四天王像の調査が一
段 落 し て、 他 に 拝 見 で き る
た だ、 な に し ろ 年 も 昔
いた
のもので、しかもひどく傷
迦の
むろんしの涅槃会は、釈
ささ
遺徳を偲び、感謝を捧げる
命日の法事の正面に掲げ
の命日の供養の本尊
し、森や川、月や雲などを
ものはありませんかと尋ね
んでいます。できるだけ早
4
うやま
が釈迦というあり方
配し、全体に華麗な彩色を
ら れ ま し た。 そ う い う こ と
く補修することを、強く勧
した
る な ん て、 考 え て み れ ば
もまあ、そうせざるを
施したもので、法要の本尊
な ら と、 今 回 の 行 事 に 使 う
4
得ないのは分かりま
として少しも不自然なもの
められました。
の鑑定によると、うちの本
えます。
ました。
い る お 釈 迦 さ ん に、
「そろ
過ぎています。横たわって
なんて、偶然にしては出来
500
4
ちょっと不気味で す よ ね 。
す。空海の命日の供養
涅槃図を押し入れから出し
く
ではありません。
え
も、 御 影 供 と い う 名
☆五〇〇歳
み
前の通り、
「御影」(い
て き ま し た。 文 化 財 専 門 の 涅槃会を前に、法要の本
ス タ ッ フ が、 ひ と 目 見 て、 尊の涅槃図の正体がわかる
みえい
まならさしずめポー
トレイト=肖像写真で
15
「 あ る 所 に は、 あ る も ん
世紀後半のものと鑑定し
ここでようやく、長谷寺
の涅槃図の話になります。
の 表 装 は、 作 品 の 周 囲 を 布 ( 裂 ) で 囲
通常
きれ
む「 裂 表 装 」 で す が、 こ れ は 表 装 の 布 の 模 様
か
に 見 え る 部 分 も、 同 じ 下 地 の 絹 に 描 か れ た 絵 す ) を 掲 げ て 供 養 す る
昨 春、 観 音 堂 で 本 尊 の
で、軸全体が一枚の絵なんです。「描き表装」
わ け で す か ら。 で も、 十一面観音さんの両脇にお
という、とても珍しい技 法 で す 。
15
-3-
そろ何とかしてほしいのだ
く と も こ こ 数 十 年 は、 本 堂
的な材料 ・技法を用いたもの
感覚の残存が濃厚な時期とし
代のごく初期、未だ中世的な
制作年代については、口
頭では 世紀後半と言われ
ましたが、文字にする場合
に則 って画 絹 に牡 丹 ・唐 草 の
貴重である。
表装」絵画の文化財としても
は、専門家は確実なことし
文様を表具裂部分に描く 「描
く 初 期、
・・ お よ そ 寛 永 年
Ⅱ 画 面 の上 下 ・左 右 に は、 て、およそ寛永年間を降らな
ひょう ぐ ぎ れ
通例の表具裂を用いず、古式 いころのものかとみられ、「描
き 表 装 」 といわ れ るも のであ
ま た、 画 面 の中 央 に楕 円 形
に一 定 間 隔 で修 補 の痕 跡 があ
ころのもの」という書き方
まずは涅槃図の補修から手
ら、 長 く 護 り 伝 え て き た も
国時代末から江戸時代のご
間( ~ 年 ) を 降 ら な い
重ねながらも大切にその法会
しょう。 かさ
る。その費用も裂仕立てより
に用 いら れ てき た 証 しでも あ
☆ピンチヒッター
をしているのはそのためで
て少ない。
り、制作当時には費用の嵩ん
ふう た い
風 帯 は付 けな い。 材 料 同 様
に伝統的な表装形式をもちい
だ絹 本 としたことで、 全 体 的
二百年といわれる表具の寿命
ものと思われる。
Ⅲの最後の略した部分に
は、細かな図像学上の説明
があります。いくつかはこ
の紙面で、写真とともに紹
介しています。
横たわったお馴染みの涅槃
ので、画面の中央に釈迦が
槃図」と呼ばれる特殊なも
も の で す。 た だ、
「八相涅
は っそ う
べると時代は比較的新しい
こちらは問題の涅槃図に比
というわけで今回は、別
の 涅 槃 図 を 本 尊 と し ま す。
たのだと、ご理解下さい。
られるほど傷みが激しかっ
堂に掲げることさえはばか
うわけにはいきません。本
涅槃会の本尊になってもら
で、残念なことに、今回の
く だん
ている。
件の涅槃図は、すでに補
修に取り掛かっているの
には着彩の残存も良く現在ま
で涅 槃 会 本 尊 として用 いられ
た続けたものと想像される。
各部の描法などから絵師の技
が尽きて全解体修理の時期を
ので、戦国時代末から江戸時
よりも一段古様とみられるも
れた紙本の定形化した涅槃図
ついては、 江 戸 時 代 に多 作 さ
Ⅳ 以 上 の よ う な 諸 観 点 か
ら、結論的に本図制作年代に
略)
(
以下に列記したい。
し 量 か る こと が でき る ので、 迎 えている こと を 示 している
量や本図の制作年代なども推
は本 図 にいく つかの特 徴 的 な
しかしな がら、 現 状 みる 傷
図 容 を 指 摘 す る こと が でき、 みのほどは、 お よそ百 年 から
れ た も のではな いが、 細 部 で
き ま し た。 専 門 用 語 が 散 Ⅲ 涅 槃 図 の図 像 形 式 として
りばめられていますから、 は、通例のものから大きく外
ちょっと読みにくいかも
知 れ ま せ ん が、 一 部 割 愛
の 上、 ほ ぼ 原 文 の ま ま 掲
載します。参考までに。
長谷寺所蔵涅槃図の所見
Ⅰ 横 方 向 には 幅 一 尺 を 超
える 絹 を 四 副 連 ね、 縦 には
六 尺 余 り の大 画 面 とす る も
ので、 絹 地 は 当 時 中 国 か ら
か 記 さ な い も の で す。
「戦
も 嵩 む も ので、「描 き 表 装 」 ることは、 永 らく続 けられ て
の で す。 そ う い う 仕 事 が、 の事 例 は裂 表 装 のも のに比 べ きた涅槃会本尊として修理を
か
掛 け る こ と に し て、 こ れ を
また巡ってきたわけです。
ないがし
くだ
である。
ば か り に 目 を 奪 わ れ て、 肝
や 庫 裏 な ど、 建 物 の 手 入 れ
気がしました。
蔑 ろ に し て き ま し た。 し
が ね 」 と、 言 わ れ た よ う な
と い う わ け で、 当 初 の 補
修対象候補だった四天王さ
か し 仏 像 や 仏 画 も、 代 々 の
今回の涅槃会の記念事業と
☆所見
ら そうじゅ
の輸入品であり、岩絵具 顔
(
ふさい
料 を
) 賦彩している。
け んぽ ん
絹 本 仕 立 てといい、 顔 料 の
着彩といい、伝統的かつ本格
'44
待 ち い た だ く こ と に し て、 住 職 た ち が 手 当 て を し な が
することにしまし た 。
その涅槃図に関する所見
が、 文 化 財 研 究 所 か ら 届
心の仏さんたちをずっと
んたちにはいましばらくお
15
こ れ ま で う ち で は、 少 な
さ
羅双樹が悲しみ
釈 迦 の 涅 槃 に 際 し、 沙
の 色 の 花 を 咲 か せ た と い う の が、 経 典 の
説 く と こ ろ で す が、 こ の 図 で は 花 を 付 け
ていません。
命 日 は 二 月 十 五 日。 釈 迦 た ち を 見 守 る
ように、十五夜の月が輝 い て い ま す 。
1624
-4-
お
書きたいことがなくなって
◆休筆報告
近いのかも知れません。
きました。筆を擱く時期が
なからずあり、残念ながら
もう少しだけは頑張って
みるつもりですが、今回が
今回は、世話人さんたち
が訪問できなかった家も少
まだ目標額には達していま
「 百 日 紅 」 は、 お
昨 秋、
休みをもらいました。理由
微妙なところです。
号。三桁に届くかどうか、
みけた
せん。すでに浄財をお寄せ
のひとつは、私が病に侵さ
れたためです。
やまい
下さった檀家さんも、そう
いうことならもうひと頑張
◆カンパと切手
究 所 の ス タ ッ フ に、 詳 し
図 を 本 堂 に 掲 げ て、 學 光 さ ん に は、 年 の 大
法会のイベントで、本堂で
す。 傷 の 癒 え た 涅 槃
手当てをしたわけで
し た 浄 財 で、 患 部 の
そ れ に し て も、 み
なさんからお預かり
しないで下さい。
で、 そ う い う 期 待 は
たが、すでに前世紀の話に
ば と 思 っ て い ま す。 落 語 を 二 席 お 願 い し ま し
凱旋報告会ができれ
なってしまいました。
にお願いしました。
びている、笑福亭學光さん
福祉士」の活動で注目を浴
す。今回は、最近「お笑い
なお、法要終了後は、お
話の時間がもうけてありま
です。
かけする場合もあるかと思
には、いろいろご迷惑をお
ますから、檀家のみなさん
先代住職も、高齢に加え
て、やはり病気を抱えてい
もないのですが。
な暮らしをしているわけで
ようもありません。不摂生
すが、こればかりはどうし
会を控えて悩ましいことで
険性のある病気です。涅槃
手術をしました。再発の危
りがとうございました。
んから切手が届きました。あ
明さん、木津野の前田義秋さ
橋千代子さん美祢市の高田徹
さんからカンパ。裾野市の高
えるようにきれいに
りと、追加の浄財をお願い
図 の 両 側 に、 釈 迦 の 入 滅 前
い話をしてもらうつもりで
お釈迦さんの命日に、寺
で落し噺を聞いて、本堂を
なって戻ってくるわ
昨春の検査で病気が見つ
かり、入院して患部の切除
後の八つの物語の場面が縦
す。
「 百 日 紅 」 は、 鳴 門 に 来
てすぐに作りはじめ、四半
できれば、大変ありがたい
に四つずつ配されていま
▽ △
お笑い福祉士の活動を中心
世紀を越えました。徒に数
そのときは文化財研
きしゃ
笑いに包むのも悪くはない
でしょうが、今回は、その
と存じます。
いまひとつは、記事にす
べき話題の枯渇です。
いたずら
だ け を 重 ね て き ま し た が、
辺健二さん、木津の米本茂雄
す。 と て も 珍 し い も の な の
檀 家 の み な さ ん に は、 涅
槃 図 の 補 修 と、 法 要 執 行 の
に、お話をいただけること
徳島市の福井幹代さん、田
で、 法 要 の 時 は ぜ ひ 見 逃 さ
ための浄財の喜捨をお願い
がいせ ん
ないようにして下 さ い 。
しました。
います。ご寛恕下さい。
▽ △
けではありませんの
釈 迦 の 枕 元 に 袋 包 み が 見 え ま す。 こ の 包 み 終 え て 帰 っ て 来 る の
は 沙 羅 樹 の 枝 に か か っ た 構 図 が 多 い で す が、
は、来春の予定です。
ここでは枕元に置かれ て い ま す 。
左 の、 玉 を 持 っ て 嘆 い て い る 赤 い 姿 は 、 阿
ただ今回施すのは、
修 羅。 有 名 な 興 福 寺 の も の と は ず い ぶ ん 雰 囲 現状の傷みがこれ以
気が違いますね。
釈 迦 は「 目 を 伏 せ な が ら も 優 し げ で 均 整 に 上 ひ ど く な ら な い た
優 れ た 面 相 」 と「 所 見 」 に あ り ま す 。 お 顔 や
め の 補 修 で す。 見 違
口元の傷が痛々しいで す 。
96
われらが涅槃図が補修を
1999