「 ま だ ま だ や り 残 し … 」

前述した「どなたでしたっ です。 よほど太っ腹で寛 バーとの別れのほか、 高
り合うことができ、同窓 け」と言う出会いが増え 容な心の持主であれば上 齢になれば、他界という
ですが、どうして 登山クラブ、アマチュア演 いで、さまざまの人と語
も名前が浮かばな 劇の仲間とも多くの出会
手く付き合うのでしょう 別れが生じていきます。
す。あながち記憶力の違 が、私のようにあまり心 このことは世の常 と言い
いことが 多いので いと付き合いがありまし 生・職場のOBと言う限 てしまったものと思いま
す。 記 憶 力 が 衰 た。 しかし、家族を除い られた環境の出会いの場
ん今日は」 とにこやかに ましく思っています。
声をかけられることがた ☆出会いと付き合い
この世に出て、人との
びたびありますが、よく
知っている方なら、「やあ 出 会いはいろいろあ り ま
○○さん」 と言葉を返せ す。 まずこの世に生まれ
ければなりません。 まず て、穏やかな心持で、他
出会いと付き合いの後 き 合いをしていますが、
は、いずれ別れを迎えな これまでの反省を踏まえ
でも、私は定年退職後 き合いは、私に多くの糧 ☆付き合いの仕方
ます。そんな繰り返しで も あって、わずかに一つの
の熟 年になってから多 く をいただくことができま
一般的に市民団体を含 今日に至っています。
町なかボランティアスタッ
☆別れ
フとして、出 会いとお付
付き合いそして別れ
西山 光正
方法論や感情のもつれな すでに両親とは早くに別 と協調して楽しく安らか
平成の津のまち移り変わり写真展
町の変貌を追う西山光正さん
30
ることが あ り ま す。 俗 子とはまだ別れを迎えて たいと願っています。
めだらだら食べをしない」 ▽2位=紀平とよ
べない」「食べる時間を決 ル】▽1位=宮﨑修
真珠(東観中3)▽入賞
= 山 本 拓 実( 東 橋 内 中
歳▽ 〈 幼 稚 園 図 画の部 〉▽1
歳 【図画ポスターコンクール】
、
白川陽暉(朝陽中3)
のコツや「 就 寝 前には食 【8020よい歯コンクー 3)
入賞者は次の通り(敬
布」があり、親子連れで
大にぎわい。ブラッシング 称略)
とか思い出 そ うとするの るまでの若いころには、 しての出会いとお付き合 らの出 会った方が多 く、 い」 付き合いと言うこと 前 述のような組 織のメン 写真愛好家)
稲垣明子さん遥香ちゃん3歳が1位
8020は宮﨑修さん 歳
いい歯をめざし「歯の健康展」
聖 子・寧々3歳▽3位 津
橋美帆・映未良4歳
位 = 矢 田 結 子( 栗 葉 小
美小2)▽3位津歯科医
腔がん検診には当日参加 と説明を受け、参加者は 歯 科 医 師 会 長 賞 = 母 西 3)▽2位=岡田侑波(成
きるほどのにぎわい。 口 組み合わせるのが効果的
遥香3歳▽2位=母山口 〈 小 学 校 図 画の部 〉▽1
(桃園幼)
き 剤とフッ素 洗口、専 門 ル】▽1位=母稲垣明子・ 長賞=松永華歩
関 する多 彩なイベントが 栄養相談、血液サラサラ 素は、フッ素 入 り 歯みが 【 親と子のよい歯コンクー 幼)▽3位津歯科医師会
6月4日は「むし歯予 市西丸之内の津リージョン た。 1階の保 健センター など指導。むし歯予防に 3位 津 歯 科 医 師 会 長 賞 位=河野百華(村主幼)
防の日 」。 歯 と口の健 康 プラザで開かれた。 歯に 会場では歯の健康相談、 効 果があるとされるフッ =川本知佐子 歳
▽2位=鈴木咲耶(上野
週間(4日〜 日)にあ
わせて5日(日)
、「 歯の あり、多くの家族連れで チェックが あ り、 歯 科 技
育委員会、津歯科医師会
健康展〜健康も楽しい食 にぎわった。 津 市、同 教 工士コーナーは行 列がで 家によるフッ素塗の3つを
事もいい歯から〜」 が津
(前田和賢会長)
などでつくる歯と を含め 人が検診を受け 熱心に聞いていた。
▽2位=巻田沙知(高茶
校ポスターの部 〉▽1位 れた。 販 売は8月
ち移り変わり
写真展」 を開
いた。
同 展では三
重 会 館の建て
替え前後、
ジャ
た百五銀行本
スコ跡地に建っ
部 ビル、 伊 勢
街道が走ってい
た上 浜 町一帯、
中 勢バイパス
建 設 前 後の様
子、架け替え
をとらえたも
が進む江戸橋
のな ど 新 旧の
様子を比較で
まわりと山」 は祝 じ場所にあった景色を思
来 場 者の中には、 新 旧
日 に 加 わった 「 山 い出せないことは多い。
の日(8月 日)
」
をイメージして、ヒ の写 真に見 入 り、 道が
マワリ 畑の向 う に 広 く なって 薄 れて 行 く
あった。
山 をのぞかせてあ 町の陰 影を惜しむ声も
る。
全国の販売予定
西山 光 正さんは「 津
枚 数 は2 億376 の風 景・風 物 記 録 写 真
1万 枚( 対 前 年1 愛 好 家 」 として、これ
日付
面掲載の
今年の「かもめ〜る」 【お詫びと訂正】
月
種と、切手部分と裏面 記 事で、吉田 真二支 店
日 採 用した裏が無 地の2 ブクリーンアップ活 動の
分から式 に「ひまわりと山」
「浜 長は古田真二支 店 長で
辺のカニ」 をあしらった した。 お詫びして訂 正
日 もの 3日に一度は通 院 をせね 稿用紙がおかれていた。
病 院の かに日々を送っていこう。 ペンが何本も出され、原
た。 さぁ明日からさわや のであろう。 机の上には
に大 切か、しんみり思っ かったが、娘は喜んでいた
物を紹介してきた。
0 3 %)。 東 海 管 までにも 市 内 各 所の風
区では3千 万 枚。
東海支社郵便物流
営業部の松島功治
部 長 は「ビジネス
ツールと し て、 ま
夏のお便 り 郵 便はが 典があり、津市中央保 た、ご家 庭で夏の風 情
育園園児が元気いっぱい を味わってほしい」 とP
小5)
▽2位=谷琉心(倭
小5)▽3位津歯科医師 き 「かもめ〜る」 の販
歌を披露し、テープカッ Rしていた。
会 長 賞 = 飯 田 蒼 空( 大 売 が6月1日から、 全
学級の部〉▽1位=比澤 り、津 市 中 央の津 中 央
表の切手部分に「か
遥 陽( 大 里 小2)▽2・ 郵便局(清水勲局長) は、
〈 図 画 特 別 支 援 国の郵 便 局などで始 ま トが行われた。
本以上ある人を対象にし 属 小 6)▽入 賞 = 佐 竹 三小6)
午後から、市内在住の 屋小6)▽3位津歯科医
師会長賞=宮崎倖多(附
歳以上で自分の歯が
作品を展示。
が並び、
「歯並び、噛(か) 集 した 図 画・ポスターの 松 下 彩 乃( 修 成 小 6) ▽1位=野田ひあの(倭
口の健 康 週 間 事 た。 歯の相 談コーナーに
3階ギャラリーでは、イ 【児童生徒よい歯コンクー 師会長賞=印南瑠乃(誠
業 実 行 委 員 会 主 は幼児を伴った家族連れ ベント開 催にあわせて募 ル】
〈 小 学 校 〉▽1位 = 之小2)
〈ポスターの部〉
回目。
科にいくべきか」「入れ歯
会 場 入 り口で み合わせが心配。 矯正歯
催。
は県 立 公 衆 衛 生
学院の生徒が「バ の具合が悪い」 などの相
談が相次いだ。
とイベントを案内
、仲
2階の健康教室では3 た「8020運動コンクー 梨々花( 黒 田 小6)
すると、ちびっ子 〜7 歳 児 を 対 象 に「 お ル」、3歳 〜 就 学 前の幼 山 侑 花( 誠 之 小6)
〈中
=伊藤慎一郎
(附属中3) (金)まで。
学校〉
▽1位=岡美佑(附 3位(該当者無)
〈中学 ではPRイベントが行わ き氷」 と 「すいか」 を 中 部 電 力・豆 電 球クラ
と子のよい歯のコンクール」 属中3)▽2位=川岸鈴
▽2・ 位(該当者無)
午前8時
クール」
の表彰式があった。 歯 科 医 師 会 長 賞 = 小
を 収 集し、分 配して仮
置 場へ搬 入した活 動 を
)
、同 副主幹の谷広 も熊本市から要請があ
当技能長の松見輝之さ 丸となって役立てるよう
幸せ
細心の注意を払ってごみ 2 種 の 計 4 種 類。「 ひ します。
「よい歯の児童・生徒コン ( 久 居 西 中3)▽3位 津
「まだまだやり残し…」
地震被災地の派遣職員報告
報告した。
日から たことも ある。 できれ
熊本地震 かけて派 遣した第1段
4人は「 精一杯やった
の被 災 地に に続 き、 第2段 として が、まだまだやり 残 し
派 遣 され、 職員を派遣。
る情 報の徹 底 を 教 訓と
業 を 行った 生 活ごみなどの収 集 運 備 え、ごみ廃 棄に関 す
津市職員が 搬業務にあたった。
戻 り、5月
派遣された環境部環 して持ち帰った。
日(月)
、 境事業課副主幹の木崎
前葉市長は労をねぎ
津市本庁舎 秀人さん( )
、同事業 らい、「適確に処理して
た。
動を報告し 喜さん( )
、同事業担 るかと思います。 職員一
津 市 長に活 (
で前 葉 泰 幸 担当技能長の松見守さん いただき ました。 今 後
48
52
5月4日 ん( )は、復 興 まま 心づも り していま す 」
から 日に ならない現地の様子と、 と述べた。
47
ルーンで遊ぼう」
「かもめ〜る」が発売開始!
日までの7日間、2班 ば 居 残って 続 け た かっ
21
収集運搬作 4人 体 制で熊 本 市 内で た」 と語り、万一の時に
現 地でごみ
27
45
やっと 抜 の 階に居たことを思う ほしかったのだろう。 な
毎 日 から ばならないが、毎日病室 早く元気な姿にもどって
70
3
26
児と親を対象にした「親
11
2
20
さわやかに“夏のご挨拶”
40
90
78
たちの行列ができ 口の衛 生 指 導とフッ素 塗
27
90
86
10
は元気である事がいか している。 口には出さな とも明るい…。 (玲)
とが 心にしみた。 人 花が多いめに生き生きと 外は風が少しきついが何
頃 何 と も 思 わ ないこ あろう、白や黄色の菊の 幸せだとつくづく思った。
た く 心 に 響いた。 日 長女が生けてくれたので とが、なぜかたまらなく
出して手を洗った。 冷 うれしかった。 部屋には た。日頃は何でもないこ
なった。 なぜか水道を が頑 張っている。 明るく 今 日 私 は し み じ み 思っ
とてもうれしい心地に けた。 日 本 代 表の選 手 かに言 葉 を 交わそ う。
サンダルが目にとまり の窓を開 き、テレビをつ 人に出 会ったり、にこや
つも 履 き 慣 れ た 靴や いくのも心楽しい。 部屋 い文 章を書いていこう。
帰り玄関に入ると、い いが、薬をつけたりして た。さぁもっと明るい、い
こと がで き た。 家 に 後はまだ全快はしていな 生活に戻れたように思っ
け 出 せる と心がはずんだ。 手術の ぜかほっとして、自 分の
10
80
28
ナカノ歯科クリニック
5
80
30
10
なると、 少 し 前 まで同
新しくなった街の風景
こで出会った方なのかと何 仕 事一筋の働 き 盛りにな 志 を 同 じ く する仲 間 と このように熟年になってか に 言 え ば「 馬 が 合 わ な いません。 他人とでは、 ( 津 の 風 景・ 風 物 記 録 5日(日 ) まで、 津 市 した 津のま ちの様 子 を
大門の「あのつ画廊」で、 捉 えた「 平 成の津のま に慣 れ、 そ れが日 常に
うに振る舞っています。ど になってから職場以外に、 思想信条は異なっても、 人生の糧となりました。
記録写真家・西山光 平成時代に入り、 年 きるよう125点にまと
も相手をよく知っているよ り ま す。 ま た、 社 会 人 ました。 その出会いは、 対話ができて、これまた 付き合いから別れを迎え を迎えています。 幸い妻 かったという 別れを 迎 え
正 さんは1日( 水 ) 〜 と経たない短い間に変貌 めて展示した。
のは失 礼 と思い、こちら 偶者、子との出会いがあ して、多くの人と出会い 来場された方との会話、 ない人 もいて、 出 会いと でに五人中四人との別れ して行って、生きていて良
したっけ」 とお聞 き する 部下があり、結婚して配 ティアガイドのメンバーと 会いもそれ以上にあって、 どでどうしても気の合わ れ を 迎 え、 兄 姉 とは す な気持ちでお付き合いを
出てこなくて、「どなたで らの職場での同僚、上司、 民団体のメンバー、ボラン 来ていただいた人との出
があるものの、お名 前が の同 窓生、社会へ出てか した。 まずいくつかの市 の展示会を通して、観に は、志を同じくしても、 はつらいものです。 私は まり通し過ぎず、
メンバー
から、幾人かは顔に覚え まって、生徒、学生時代 の人との出会いがありま した。さらに趣味の写真 めた各 種 組 織のメンバー 肉親とのこの世との別れ 人には寛容で、自我をあ
るのですが、ここ数 年 前 て 親 と 兄 弟 姉 妹 から 始
人との出会いと
☆名前が浮かばない
えて来て、私 を 覚 えてい てはいずれも歳月を経る から、広くさまざまな人 いだけではなく、独り対 が広くない者では私心を な がら も 次 第 に 惜 別の
町の中、催し場などで てくださる方の記憶力を に従って、次 第に出 会わ 生観や考え、心を持って 複数の立場の違いかと思 殺してまで上手に付き合 念が高まっていきます。
出会った人から、「西山さ 感謝するとともにうらや なくなりました。
いる方々との出 会いと付 います。
えず、やがて別れを迎え 現 在 体 調 を 崩 し たせい
[ 2 ]
(第 3 種郵便物認可)
第 1489 号
三 重 タ イ ム ズ
平成 28 年(2016)6 月 10 日(金曜日)