特別寄稿 写真家 田沼 武能氏 一般社団法人 日本写真文化協会主催 新春企画 田沼武能写真展 「ふる里悠々 ― 武蔵野日記PartⅡ」 来年の1月6日(金)から18日(水)まで、 ポートレートギャラリーの 新春企画展、田沼武能写真展「ふる里悠々 ― 武蔵野日記PartⅡ」を 開催する。氏がライフワークとして1964年から撮り続けている旧武 蔵野の国の広大な風土、文化を高らかに謳うもので、浅草生まれの田 沼氏をして「まるでふる里に帰ったような安らぎを与えてくれる」と 言わしめる武蔵野の原風景は、 忘れかけた日本人のこころの原点と の再会、出逢いとなるだろう。田沼氏の米寿のお祝いとして、 そして ポートレートギャラリー開設15周年を記念する催しとしての開催 になる。そんな新春企画展を前にした田沼武能氏からの特別寄稿を 紹介する。 田沼武能氏 撮影 東松友一 半世紀にわたるライフワーク 武蔵野に生きる人々 そして自然 むさし野は 月に入るべき 嶺もなし 尾花が末に かかる しら雲 大納言源通方・建保3年(1215年) 輩出した野武士の文化です。 彼らによって自然と生活が密着した豊 かな風土が生み出されました。 浅草で生まれ育った私は、 そんな武蔵 ポートレートギャラリー新春企画展 田沼 武能写真展 「ふる里悠々―武蔵野日記 Part Ⅱ」 会期 2017年1月6日(金)∼18日(水) 10:00∼18:00 最終日15:00まで 会場 ポートレートギャラリー 主催 一般社団法人 日本写真文化協会 武蔵野をよんだ有名な歌です。 野に憧れ、半世紀にわたり撮影を続けて 奈良や平安の都人たちにとって武蔵野 います。 は広大な荒野や枯野を想像させる驚異と 私の考える武蔵野は、江戸東京を含む 憧憬と詩情が混在する風景であったよう 旧武蔵の国全域です。 私はそんな四季折々の武蔵野で生きる です。 近年よく通っている所沢市三芳町にあ 人々と暮らしを写真に納め続けていま 私が武蔵野をライフワークとして撮影 る三富 (さんとめ) 新田もその一つ、開発 す。 を始めたのは、1964年、 当時は京都や奈 が始まったのは元禄9年(1696年) です。 そこにはコンピューター万能の時代風 良の風景写真集が数多く出版されていた 開発にあたった川越の藩主柳沢吉保 潮から離れた昔ながらに連綿と続く人の 時代でした。 によって開拓され、 屋敷、耕地、 雑木林を こころのつながりがあります。 京都、奈良には宮廷や名刹、古社など画 セットに短冊状に区画され、雑木林から 厳しい農作業、そして収穫のあとの祭 になる文化がたくさんあり、うらやまし 燃料や肥料を調達し、農業を行ってきた りや祝い事など、私が訪れるたびに、ま く思っていました。 のです。 るで 「ふる里」 に帰る様な安らぎを与えて しかし、暫らく武蔵野に通い撮ってい しかし、燃料は灯油に、肥料は化学薬品 くれるのが武蔵野です。 るうちに、武蔵野にはいわゆる公家文化 に代わり、その役目を終え、次第に荒れ果 今 回の『ふる里悠々−武蔵野日記Part とは異なる独自の文化があると再認識し ててしまいました。 Ⅱ』は、ポートレートギャラリー開設15 協力 キヤノンマーケティングジャパン株式会社 それが近年になり、手入れを手伝うボラ 周年と私の米寿の二つを祝い企画された それは、ひよどり越えの逆落しや壇の ンティアも現れて、原風景は減ったもの もので、主にこの 3 年間に撮影した武蔵 浦の合戦で名をとどろかした武将、畠山 の、かたくなに江戸農法を継承している 野の写真約 70点を展示しております。 重忠や熊谷直実、新田義貞などの名将を 農家もあります。 ご高覧いただければ幸いと存じます。 ました。 写真文化 12 月号 4p 冬の朝 霧かすむ雑木林(狭山市) 沢井八雲神社の獅子舞(青梅市) 5p 写真文化 12 月号 早春の朝 多摩川を乱舞する鳥の群(昭島市) 冬の空 富士山を望む 三富大地(所沢市) 写真文化 12 月号 6p
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