一般財団法人中東協力センター

I S S N 0285−0923
2016
12
一般財団法人
中東協力センター
■目 次
中東情勢分析
・反政府派の議会選挙での躍進で注目されるクウェートの経済改革の行方……
……(一財)国際開発センター 研究顧問 畑中 美樹・1
・LNG 輸出大国カタールの最新動向と今後の期待される戦略……
……和光大学 教授 岩間 剛一・10
・トランプ次期政権の中東政策を予測する……
……(一社)現代イスラム研究センター 理事長 宮田 律・24
現地駐在員だより
・テヘランは,モスクの数より花屋の数のほうが多い……
……イラン住友商事会社 総務経理部長 万徳 秀樹・31
中東情勢分析 反政府派の議会選挙での躍進で注目される
クウェートの経済改革の行方
(一財)国際開発センター 研究顧問 畑中 美樹
国民の緊縮政策への反発が鮮明となった議会選挙
クウェートの選挙管理事務所は206年月27日,前日の26日に行われた国民議会(定
数50)選挙の結果を発表した。新たに当選した議員の内訳を見ると,国民の緊縮政策への
反発から反政府派が躍進している。因みに,同国紙アル・カッバスのウェブサイトは,予
想外に反政府派が躍進したことを示すように「驚き(Surprise)」との大見出しを掲げてい
た。
クウェートの国営テレビと通信社は,その約6週間前の0月6日,内閣総辞職と議会解
散を伝えた。関係閣僚が0月8日からの秋の通常国会でガソリンなどの価格の上昇に関す
る質問を受けることになっていた矢先での抜き打ち解散であった。クウェートはテロ事件
の発生やシリア,イエメンでのイランとサウジの対立などの政治面での課題のほか,経済
改革の一環として進めてきた補助金の削減でガソリン価格などが急騰し国民の不満が拡大
するという経済・社会上の問題も抱えている。今回の解散前のクウェート議会は前回選挙
時に反政府派のイスラム勢力やナショナリズム勢力などがボイコットしたため,リベラル
派を中心とする概ね親政府派の議員で占められていたことから政府にとっては比較的対応
し易いものであった。それでも最近では政府と議会との対決が鮮明化していた。
周知のようにクウェートでは政党の結成が禁止されていることから,国会議員も各種の
案件ごとに自らが政府を支持するかしないかを決めている。そのため今回の国民議会選挙
の当選者を見ても,誰が反政府派であるのかを明確に分類することは難しい。それでも敢
えて首長家であるサバーハ家との距離感で新たに当選した議員を政府派か反政府派である
のかを振り分ければ,50人中の最大25人が反政府派と言えそうだ。因みに,今回の議会選
挙では当初の立候補者数は455人に達したが,28人が事前に辞退したほか40人が審査に
より不適格とされたため最終的な候補者数は女性4人を含む287人となった。また有権者
は約48万3,000人であった。なお,今回の選挙結果の目立った特徴を列挙すれば次のよう
になる。
★ 投票率は約70%であった。
中東協力センターニュース 206・2
★ 当選議員50人中,再選者は20人に留まった。前議員の残る30人中,22人は落選し8
人は出馬しなかった。
★ 前閣僚のうち再選を果たしたのはイーサ・アル・カンダリ前通信相のみで,アリ・ア
ル・オマイル前公共事業相とヤクーブ・アル・セイン前司法イスラム相は落選した。
★ 当選者中の女性はリベラル派のサファア・アル・ハシェム女史のみなので,従って女
性議員は1人となった。
★ シーア派議員数は解散前の9人から6人に減少した。
★ ムスリム同胞団系のイスラム憲法運動(ICM)は6議席を獲得した。
★ サラフィ主義者は5議席を獲得した。
★ 反対派であるイスラム主義者,国粋主義者,リベラル主義者が5議席を獲得し,彼ら
と考えを同じくする者が7~0議席を獲得した。
★ ベドウィンの大部族勢力(アワージム,ムタイル,アジュマーン)は7議席に終わっ
た。
★ 新議員の3分の1は相対的に若く政治経歴も乏しい人物となった。
なお,アナリストたちの今回の選挙結果に関する論評,分析をまとめれば表1のように
なる。
表1 アナリストたちのクウェート国民議会選挙に関する論評ほか
氏 名
論 評 ・ 分 析 内 容
イブラヒム・アル・ハドバン氏
①選挙キャンペーンを見れば,ガソリン価格の引き上げなど
政府の政策が国民に不評であったことが明白になった。
②解散前の議員たちは,政府の補助金削減策などに反対しな
かった。
③私の見る限り彼らはそれが理由で非難され罰せられた。
(筆
者注:落選となったとの意味)
。
ムハンマド・アル・アジャミ氏
①反政府派の議員と次期政府との対決が起きるだろう。
②経済政策,市民権の剥奪等々,議論を生む多くの問題があ
る。
ダヘム・アル・カハタニ氏
①反政府派は印象的な結果を見せた。
②国民は緊縮政策を拒絶した。
③政府は停滞を避けるには反政府派との協調に動くべきであ
る。
④仮に政府がそうした動きに出れば,必要な政治バランスの
達成に成功し論争を回避できる。
⑤仮にそうした動きを取らなければ,
初日から対決となろう。
出所:各種報道より作成。
2
中東協力センターニュース 206・2
クウェート政府にとってはやや厳しい結果
となったものの再選を果たしたマルズーク・
アル・ガネム議長は「決定的に重要な段階に
ある経済成長を達成するには政治的安定が肝
要だ」「全ての政治陣営に指摘してきたよう
に,進歩や発展は政治安定という基礎が必要
になる」(ロイター通信 206年月28日)
と述べ,反政府派に対して,反対一辺倒では
なく国家の今後の持続的発展にとって何が重
要であるのかを考えて行動するよう早くも求
めている。
因みに,今回当選を果たした反政府派の議
員たちは選挙戦で有権者に次のような公約を
筆者紹介
慶應義塾大学経済学部卒業(974年3月),974
~980年富士銀行勤務後,980~983年㈶中東経
済研究所出向。983年富士銀行復職後(1月),同行
を退職(0月)。
㈶中東経済研究所・カイロ事務所長を経て,990
年同研究所退職。990年2月~2000年9月㈱国際
経済研究所勤務(主席研究員),2000年0月~2005
年3月㈶国際開発センター エネルギー・環境室長,
2005年4月よりエネルギー・環境室研究顧問。中東
や北アフリカ諸国の王族,政治家,政府関係者,ビジ
ネスマンに知己が多く,中東全域に豊富な人的ネット
ワークを有する。専門領域は中東経済論。
※著書『「イスラムマネー」がわかると経済の動き
が読めてくる!』(すばる舎,200年)『中東のクー
ル・ジャパニーズ』(同友館,2009年)『中東湾岸ビ
ジネス最新事情』(同友館,2009年)『南地中海の新
星リビア』(同友館,2009年)『今こそチャンスの中
東湾岸ビジネス』(同友館,2009年),
『オイルマネー』
(講談社現代新書,2008年),『石油地政学』(中公新
書ラクレ,2003年)
していた。
★ クウェート政府が国民に緊縮政策を押しつけることの防止
★ 意見の分かれる市民権はく奪問題の解決
★ DNA 鑑定法やインターネット管理法等のような法律の改正,或いは完全修正
明らかにされた2020年までの補助金の全撤廃計画
クウェートは6年間も財政黒字を続けてきたものの,205/6年度(205年4月1日
~206年3月3日)には46億ディナール(約5億ドル,約1兆6,60億円)もの赤字へ
と転落している。しかもクウェート政府は206年度(206年4月1日~207年3月3
日)予算では,2倍近い87億ディナール(約285億ドル(約3兆,350億円)もの財政赤
字を見込んでいる(表2)。
ここで205年度のクウェートの財政実績を簡単に振り返れば,財政赤字は国内総生産
(GDP)の3%に達した。因みに,それ以前の5年間では GDP の平均20%の財政黒字を
計上していた。クウェート有数の商業銀行であるナショナル・バンク・オブ・クウェート
(NBL)によれば,同国は206年度も GDP の約3%の財政赤字となる見込みだ。
クウェートが大幅な財政赤字に陥ったのは,同国の平均原油輸出価格が205年度には1
バレル当たり43ドルと前年度の8ドルから大きく低下したためである。205年度財政実
績で目を引くのは,財政赤字のなか資本支出が前年度比3%も増えていることである。こ
れはクウェート政府がプロジェクト支出などをできる限り予算通りに実施したためであ
る。因みに,実際の資本支出の予算に対する比率を見ると89%と過去0年で最高となって
3
中東協力センターニュース 206・2
表2 クウェートの2014・2015年度財政実績と2016年度予算
(単位:億 KD)
項 目
204年度決算
205年度決算
前年比(%)
206年度予算
歳入
249.3
36.0
▲45
02.0
石油
225.0
2.0
▲46
86.0
24.2
5.0
▲38
6.0
24.2
82.0
▲5
89.0
賃金・給与
53.0
54.6
+30
55.0
財・サービス
30.3
2.9
▲28
22.0
2.0
2.3
+4
4.0
6.6
8.7
+3
8.0
2.3
84.9
▲24
90.0
収支(将来世代準
備金拠出前)
35.
▲46.0
-
▲87.0
将来世代準備金
62.3
3.6
▲78
0.0
▲27.2
▲59.6
-
▲97.0
96.0
8.6
270万 B/D
8ドル/バレル
6.0
2.0
270万 B/D
43ドル/バレル
▲7
+3
±0
▲38ドル/バレル
67.0
22.0
280万 B/D
35ドル/バレル
非石油
歳出
運輸・設備
プロジェクト等
誤差・移転
収支(将来世代準
備金拠出後)
〈参考〉
経常支出
資本支出
産油量
油価
出所:クウェート財務省
注:1クウェート・ディナール(KD)=3.2803米ドル
いる。
他方,205年度の財政実績における経常支出は前年度比7%減となった。但し,クウ
ェート政府が国民の公的部門での就労者の多さに配慮してか賃金・給与は前年度比30%増
となっている。
国際通貨基金(IMF)はここに来てクウェート財政に関する次のような内容の報告書を
まとめ,同国政府に引き続き補助金削減を始めとする経済改革を推進することを呼びかけ
ている。
① クウェートは低油価による財政赤字を賄うために今後6年で,60億ドルが必要にな
る。
② クウェート政府は経済改革に乗り出したが,財政収支及び国際収支は悪化を続けてい
4
中東協力センターニュース 206・2
る。
③ IMF はクウェート政府に対して205/206年度予算で70億ドルと推計されるエネ
ルギー補助金の一層の削減を促したい。
④ また IMF はクウェート政府に対して歳出の25~30%を占める賃金・給与の抑制及び
非石油収入の拡大策を呼びかける。
クウェート政府は206年初の時点で,補助金改革,経済多角化,公的賃金管理を3本柱
とする経済改革案を打ち出した。だがクウェート政府は今見たようなIMFによる経済改革
のさらなる実施を求める圧力があることもあってか,国民にとっては一段と厳しい補助金
改革を考えているようだ。0月3日付の国内紙アル・カッバス紙が報じたところでは,財
務省が立ち上げた全ての補助金を見直す委員会の報告書では,補助金を徐々に撤廃して
2020年までに全てなくす計画であるという。
クウェートの補助金及び社会保障費用は現在30億ドル超と約600億ドルの歳出の5%
を占める。クウェートは昨年から補助金を削減し軽油と灯油の販売価格を引き上げてきて
いたが,本年9月にもガソリン価格の引き上げを実施した。冒頭で紹介した月下旬の国
民議会選挙は,このガソリン価格の引き上げが原因となって議会が解散したことを受けて
のものであった。
品質により上昇率が40~80%強と異なるガソリン価格の引き上げは,低水準の原油価格
により生じた大幅な財政赤字を穴埋めするための改革手段の一つで9月1日に実施され
た。品種別のガソリン価格は表3の通りである。またガソリン価格の引き上げ決定後に激
しくなった国民議会などの反対の動きをまとめれば表4のようになる。
表3 クウェートの主な品種別ガソリン価格
種 類
旧価格
新価格
値上げ率
オクタン9
60フィルス/リッター
(約22円/リッター)
85フィルス/リッター
(約3円/リッター)
58.3%
オクタン95
65フィルス/リッター
(約23円/リッター)
05フィルス/リッター
(約38円/リッター)
6.5%
ウルトラ・プレミアム
90フィルス/リッター
(約32円/リッター)
65フィルス/リッター
(約60円/リッター)
83.3%
注:
1)ガソリン価格の円建てへの換算は1米ドル=0円で行った。
2)引き上げ自体は206年8月1日の閣議により決められた。
3)ガソリン価格は今回の引き上げ後も GCC 諸国の中では最も低い。
5
中東協力センターニュース 206・2
表4 ガソリン価格の引き上げへの国民議会などの反対の動き
月 日
主 な 動 き
9月22日
★ 政府による引き上げに抗議する35人の議員が緊急会合の開催を求めた。
25日
★ 行政裁判所が,政府が引き上げを行うには最高石油評議会の事前承認が必要
であるとの理由で値上げは違法との判決を下した。
もっとも補助金の段階的な削減による各種料金の引き上げが国民に極めて不人気である
ことを熟知するクウェート政府は0月5日,議会と協議し,1)運転免許証を持つ国民一
人当たりに対して毎月75リッターを無料で付与する,2)価格は毎月見直す,との妥協案
を提示し導入をしてはいた。だが議員の多くはそれでも不満を持ち続けていたことが最終
的には議会の解散につながってしまった。
このほかクウェート政府は,解散直前に外国人居住者及び法人向けの電力料・水道料の
引き上げ案の承認も議会から得ている。この措置ではクウェート国民を対象外としたこと
で議会も承認に踏み切ったとされる。政府としては各種料金の引き上げは財政再建上やむ
を得ないので,可能な限り国民には配慮している姿勢を示せておけば何とか理解を得られ
るのではないかと考えていたようだ。
格付け会社も予測する今後の GCC 諸国の厳しい財政状況
格付け会社のスタンダード&プアーズ(S & P)は本年0月,低水準の油価で財政赤字
が拡大することからクウェートを含む GCC 諸国が205年から209年にかけて6ヵ国合
計で最大5,600億ドルもの資金が必要になるとの分析結果を発表している。同分析の主要
点を紹介すれば以下の通りである。
① GCC諸国の206年の名目財政赤字は,500億ドルと国内総生産(GDP)の2.8%に
達する。
② 206年から209年にかけての GCC 諸国の財政赤字の名目 GDP 比率を国別に見る
と,バーレーン,オマーン,クウェート,サウジアラビアが平均0%に達する一方,
アブダビ,カタールは平均4%に留まろう。
③ その結果,209年までのGCC諸国の財政赤字の必要ファイナンス額は,各国の炭化
水素資源への依存が高いこともあって巨額となり最大5,600億ドルに達しよう。
④ こうした財政赤字の不均衡は,過去8ヵ月間の中東の信用力の大幅な低下の中核をな
してきたものでもある。
⑤ GCC 諸国の大半の政府の貸借対照表(バランス・シート)は依然強力ではある。
⑥ だが外国からの資金流入が最も必要な時期に国際流動性が枯渇を始めており,国内銀
6
中東協力センターニュース 206・2
行の資金も減少しつつある。
⑦ こうした状態にあることから GCC 諸国がどのようにして財政赤字を賄うのかが不透
明となっている。
⑧ 財政赤字の補てんの必要性の大部分はサウジアラビアのものである。
⑨ また205年から209年にかけての各国の純債務状況を国別に見ると,バーレーンは
2倍になると思われる。
⑩ 205年から209年にかけてのオマーンの純債務状況はほぼゼロになろう。
⑪ 205年から209年にかけてのサウジアラビアとクウェートの純債務状況は,それぞ
れ約30%,約20%悪化しよう。
⑫ 205年から209年にかけてのアブダビ,カタールの純債務状況への影響は,もっと
穏やかなものになるだろう。
⑬ 但し,オマーンとバーレーンを除く GCC 諸国は,依然自由に使用できる巨額の準備
金を保有している。
相対的に堅調を維持する消費部門
クウェートでは財政面では厳しい状況が続いているものの,意外なことに消費部門は相
対的ではあるにせよ堅調に推移している。実際,クウェート国民の雇用が好調なことを反
映して消費者支出は依然わずかではあるが伸び続けている。クウェートの公的部門は205
年第1四半期から206年第1四半期までの4連続四半期で平均4,00人のクウェート人
を新規雇用している。因みに,204年までの四半期ごとの公的部門でのクウェート人の新
規雇用数は平均3,000人であったので4割弱も増えていることになる。特に公的部門の中
でも政府機関でのクウェート人の新規雇用は引き続き盛んで,205年第1四半期から
206年第1四半期までの4連続四半期で平均2,700人とそれまでのほぼ2倍となってい
る。
消費者信頼指数を見ても最新数値の分かる206年7月末時点で04と,過去6年で最も
低かった205年2月末の96から回復傾向にあることが分かる。但し,そうはいっても1
年前の205年7月末との比較では依然0ポイント近くも低いままではある。
IMF の勧告は勧告としてクウェート政府は公的部門の賃金・給与の削減には手を染めな
い意向であることもあり,同部門に就労するクウェート国民の消費は引き続き同国経済を
下支えし続けて行くものと思われる。実際206年度予算でも賃金・給与は55億ディナー
ルと前年度に比べて微増となっている。因みに,民間消費の実質成長率は203年度+4.9
%,204年+4.9%,205年+2.4%と何れの年も堅調に推移している。
7
中東協力センターニュース 206・2
結びに代えて
クウェートはその他の GCC 諸国に先駆けて国民が選挙で選出する議会を設置するなど
国民の政治参加が最も進んだ国家として知られる。クウェートでは本年9月以降のガソリ
ン価格の引き上げを巡る議会と政府の対立でも分かるように,政府の政策が必ずしもその
まま受け入れられるわけではない。また月下旬に行われたクウェートの国民議会選挙の
結果が如実に示しているように,国民の意思が一定程度反映される制度となっている。
そのクウェートでガソリン価格の引き上げなど補助金の削減に異を唱える候補者が大量
に当選した意味は大きい。要は,クウェート政府は財政の健全化や経済の多角化の観点な
どから補助金の削減による歳出抑制・歳入増加策を漸次強化することを考えているが,国
民はそうした政策に反対であることを明確に示しているからだ。
現在,GCC 諸国では,このクウェートのみならず,サウジアラビアでも,アラブ首長
国連邦でも,カタールでも,オマーンでも,バーレーンでも同様の政策を導入する方向に
ある。クウェートでは議会選挙があるので今回のように国民が自らの意思を示す機会が与
えられている。しかし,その他 GCC 諸国では国民の意思表明の機会が制限的であること
が少なくない。そうしたことを考えると,その他GCC諸国で207年以降,国民の不満が
どのような形で表明され,それを各国政府がどのように吸い上げて行くことになるのか。
しばらく注視して行く必要がありそうだ。
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中東協力センターニュース 206・2
〈参考〉
表5 クウェートの実質 GDP 成長率(2013~2015年)
(単位:%)
費 目
203年
204年
205年
.
0.5
.8
石 油
▲.8
▲2.
▲.7
原油・ガス
▲.8
▲.3
▲0.8
精製
▲.7
▲5.6
▲8.5
非石油
4.2
4.8
.3
2.5
7.4
3.0
金融・保険
.7
5.4
3.4
不動産等
0.0
▲2.6
▲.4
運輸・通信等
2.7
2.5
.
教育
5.0
2.5
0.3
小売・卸売
4.0
6.
2.3
▲0.9
▲0.7
0.4
保健・社会
4.
6.4
6.7
建設
2.0
0.5
8.4
.5
67.2
▲9.8
5.3
0.7
2.0
GDP
公共管理・国防
製造業
電力・ガス・水利
その他
出所:クウェート中央統計庁
*本稿の内容は執筆者の個人的見解であり,中東協力センターとしての見解でないことをお断りします。
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中東協力センターニュース 206・2
中東情勢分析 LNG 輸出大国カタールの最新動向と
今後の期待される戦略
和光大学経済経営学部教授 大学院研究科委員長 岩間 剛一
世界最大の LNG 輸出国カタール
カタールは,1974年に,ロイヤル・ダッチ・シェルによって発見された,世界最大級の
ノース・フィールド・天然ガス田を誇り,2016年12月時点において,年間輸出能力7,700
万トンを超える,世界最大のLNG(液化天然ガス)輸出国となっている。GIIGNL(国際
LNG 輸入者協会)の統計においても,2015年に7,840万トンと,世界の LNG 輸出量の
32%を占めている(図表1)。
カタールは,ペルシャ湾沖合いに広がる,世界最大級の天然ガス田であるノース・フィー
ルド・天然ガス田が,天然ガス生産の主力となっている。ノース・フィールド・天然ガス
田は,構造的に,イランのサウス・パルス・天然ガス田とつながっており,両方の天然ガ
ス田を合計すると,世界最大の天然ガス田を構成している。カタールは,21世紀に入って,
天然ガス生産量を急速に増加させている(図表2)。
豊富に生産される,カタールの天然ガスは,1990年代から,ロイヤル・ダッチ・シェ
ル,エクソンモービルをはじめとしたメジャー(国際石油資本)が手掛けた液化プラント
(図表1)国別 LNG 輸出量2015年(単位:万トン)
出所:国際 LNG 輸入者協会統計
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中東協力センターニュース 2016・12
(図表2)カタールの天然ガス生産量(単位:10億立方メートル)
出所:BP 統計2016年6月
によりLNGとして輸出されており,カタールにとって,最大の輸出品目となっている。カ
タールからの LNG 輸出量は,2015年において,世界の LNG 貿易量における3分の1を
占めている。
日本にとって極めて重要なカタールの LNG
東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故により,原子力発電所の稼働が停止し,
電力不足に陥っていた日本にとって,石炭火力と並ぶ重要なベース電源(24時間稼働し,
基幹となる電源)の役割を担っていた原子力発電を補う,重要な電源は,従来はミドル電
源(季節的,時間的な電力需要の変動を調整する中間的役割の電源)である LNG 火力発
電に求められた。そのため,日本のLNG輸入量は,東日本大震災以降に急速に増加し,東
日本大震災前よりも年間2,000万トンも増加し,2014年,2015年と,年間9,000万トン近
くに達している(図表3)。
ただし,2015年は,日本の LNG 輸入量が減少した。2015年以降に LNG 輸入量が減少
に転じた理由としては,①2015年の夏の気温が,予想よりも低く推移したこと。②九州電
力の川内原子力発電所が,再稼働したこと。③固定価格買取制度(FIT)の導入により,太
陽光発電が普及し,夏場の昼間の電力需要ピーク時に,太陽光発電の発電量は増加し,
LNG
火力の負担を軽減させたこと。等が挙げられる。
このように,日本にとって,重要な電源の一つであった原子力発電の動向は,安定的な
電力供給にとって,極めて大きな影響を与え,100万キロワット級の原子力発電所1基が
稼働しないことによって,年間100万トンもの LNG の消費量に影響を与える。現状にお
いては,東日本大震災前には,発電量の3割を占め,国産エネルギーとして,54基に達す
る原子力発電所を稼動させていた資源エネルギー小国日本にとって,2016年12月時点に
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中東協力センターニュース 2016・12
(図表3)日本の LNG 輸入量(単位:万トン)
出所:財務省貿易統計
(注)日本の LNG 輸入量は,財務省の統計と国際 LNG 輸入者協会の
統計では,熱量換算等により,若干の数値の相違がある。
おいて,九州電力の川内原子力発電所,四国電力の伊方電子力発電所の再稼働を実施した
ものの,それ以降の原子力発電所の再稼動,新設が不透明な状況において,2017年以降の
日本の電力供給における安定化に大きな役割を果たすものは,LNG火力発電であることは
間違いない。日本は,世界最大の LNG 輸入国であり,LNG 火力発電の確実な運用のため
には,まとまったロットの LNG が必要であり,安定的かつ十分なロットの LNG を供給
できる LNG 輸出国は,カタール,豪州以外にはない。東日本大震災以降に,日本が猛暑
の夏にも停電を起こさず,電力供給を安定化させ,国民生活に打撃を与えずにすんだこと
は,2016年時点においても,カタールに十分なLNG供給能力が存在し,カタールのLNG
(図表4)日本の国別 LNG 輸入量(単位:万トン)
出所:国際 LNG 輸入者協会統計
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中東協力センターニュース 2016・12
が日本経済の持続的繁栄に貢献したことが大きい。日本は,豪州に次いで,カタールから
の LNG 輸入に大きく依存している(図表4)。
ペルシャ湾の半島国家から発展したカタール
カタールは,サウジアラビアと接した,ペルシャ湾の半島国家であり,紀元前3000年頃
からの遺跡が残っており,ペルシャ湾の真珠採取の生産地として知られていた。18世紀頃
から,クウェートをはじめとしたアラビア半島の部族が移住し,クウェート王家サーニー
家が代々にわたってカタールを統治し,現在に至っている(図表5)。
カタールの人口は,統計により,いろいろな説があるものの,2015年時点において,人
(図表5)カタールの歴史
年
紀元前3000年
概 要
真珠採取の産地として知られる
18世紀
アラビア半島から部族が来訪
19世紀
現在のカタール王家のサーニー家がアラビア半島から移住
1876年
オスマン朝の名目的な支配下におかれる
1916年
英国の保護領となる
1939年
ドハーン油田発見
1971年9月3日
独立達成
1972年
在カタール日本大使館設置(在クウェート大使兼任)
1974年
在カタール日本大使館建物建設
1974年
ノース・フィールド・天然ガス田発見
1978年
福田総理大臣訪問
1984年
ハリファ首長来日
1999年
ハマド首長来日
2005年
ハマド首長来日
2006年
日本カタール合同経済委員会発足,以後毎年開催
2007年
安倍総理大臣訪問
2009年
タミーム皇太子来日
2010年
世界最大の LNG 輸出能力7,700万トン
2013年
ハマド首長退位,タミーム首長即位,サーニー家継承
2013年
安倍総理大臣訪問
出所:各種新聞報道
13
中東協力センターニュース 2016・12
(図表6)カタールの国家概況(2016年)
面 積
11,427平方キロ(秋田県よりやや狭い面積)
人 口
226万人,うち本国人は30万人
首 都
ドーハ
元 首
シェイク・タミーム・ビン・ハマド・アール・サーニ
議 会
首長が指名する35名の諮問評議会
外 交
中東和平を重視し,対米関係は親密
出所:外務省資料
口約226万人,そのうちカタール国籍の人口は13%に相当する30万人程度,残りの200万
人程度は,インド,フィリピン,ネパール,パキスタン,スリランカ,バングラデシュか
らの労働者が占めている(図表6)。カタールは,天然ガス生産が本格化するともに,人口
が急速に増加し,都市化が進展し,生活水準も向上している。
カタールの王家であるサーニー家による統治は,「アラブの春」以降も,安定している。
1981年に設立された,サウジアラビア,クウェート,UAE,バーレーン,オマーンとと
もに加盟する,穏健なスンニー派の湾岸協力会議(GCC)の一員として,中東和平への外
交に力を入れている。安全保障面においては,対米関係を重視し,米国軍が駐留し,ペル
シャ湾の安全保障の拠点となっている。
カタールは石油輸出国としても重要
カタールといえば,日本にとっては,世界最大の LNG 輸出国として知られているもの
の,原油の安定供給先としても重要であることを忘れてはならない。カタールは,OPEC
(石油輸出国機構)の加盟国としては,原油(CrudeOil)の生産量が多いとはいえないも
のの,天然ガス生産に随伴するコンデンセート(粗製ガソリン)の生産量が多い。カター
ルの原油は,軽質で,低硫黄の品質が良い原油である。日本にとって,カタールは,サウ
ジアラビア,UAEに次ぐ,3番目の重要な原油輸入先であり,2015年には27万7,000b/d,
総輸入量の8.2%に相当する原油を輸入している(図表7)。
カタールは,1940年代に陸上油田が発見され,ドーハの南方40キロメートルに存在す
るドハーン油田は,API40度の軽質原油を生産する。陸上油田の原油は,カタール・ラン
ド原油とよばれ,カタール半島東側のメサイードから出荷される。沖合い油田にはアル・
シャヒーン油田等があり,カタール・マリン原油とよばれ,沖合いのハルル島から出荷さ
れている。カタールは,原油と並び,原油に随伴するコンデンセートが豊富に生産されて
おり,NGL(天然ガス液)を含めた原油生産量は,好調に推移している(図表8)。カター
14
中東協力センターニュース 2016・12
(図表7)日本の国別原油輸入割合(%)
出所:資源エネルギー庁統計
ルの原油生産量の増加は,天然ガス生産に随伴するコンデンセートの生産量の増加による
ところが大きい。
カタールは,カタール国営石油企業である QP の会長をつとめている,テクノクラート
の一人であるサダ・エネルギー産業大臣が,カタールの石油・天然ガス政策を指揮してい
る。サダ・エネルギー産業大臣は,2016年に OPEC(石油輸出国機構)議長をつとめ,
2016年9月と11月における OPEC の協調減産合意において重要な役割を果たしている。
OPEC は,2016年11月30日に開催された総会において,原油生産量を3,250万 b/d まで
減産することに合意している。OPEC は,これまで,米国のシェール・オイルとの消耗戦
を2年間にわたって続け,
「価格よりも市場シェアを重視」する石油戦略をとり,IEA(国
(図表8)カタールの原油生産量(単位:千 b/d)
出所:BP 統計2016年6月
15
中東協力センターニュース 2016・12
(図表9)OPEC の原油生産実績(単位:百万 b/d)
OPEC 原油生産実績 IEA2016年11月10日(単位:百万 b/d)
目標生産量
2016年9月
生産量
2016年10月
生産量
生産能力
余剰生産
能力
アルジェリア
1.20
1.12
1.12
1.12
0.00
アンゴラ
1.52
1.69
1.52
1.78
0.26
エクアドル
0.43
0.56
0.56
0.56
0.00
ガボン
0.21
0.20
0.22
0.02
インドネシア
0.74
0.74
0.74
0.00
3.68
3.72
3.75
0.03
4.49
4.59
4.60
0.01
加盟国
イラン
3.34
イラク
クウェート
2.22
2.90
2.93
2.93
0.00
リビア
1.47
0.36
0.51
0.60
0.09
ナイジェリア
1.67
1.39
1.57
1.70
0.13
カタール
0.73
0.62
0.62
0.67
0.05
サウジアラビア
8.05
10.61
10.55
12.20
1.65
UAE
2.32
3.10
3.08
3.10
0.02
ベネズエラ
2.15
2.13
2.12
2.20
0.08
OPEC 合計
30.00
33.60
33.83
36.17
2.34
出所:IEA オイル・マーケット・リポート2016年11月10日
際エネルギー機関)によれば,2016年10月時点において,3,383万 b/d という,過去最
高水準の原油生産を行っている(図表9)。
高度経済成長を達成したカタール
カタールは,もともとアラブ人の人口が少なく,国内における石油・天然ガス消費が限
られていることから,将来的な石油・天然ガスの輸出能力は,大きいものが期待されてい
る。また,カタールが輸出する LNG 価格は,原油価格に連動するものが,半分以上を占
めており,「アラブの春」以降における原油価格上昇により,石油輸出収入,LNG 輸出収
入は増加している。石油・天然ガス収入の増加と,カタールの本国人(National)の人口
が少ないことから,石油・天然ガス収入は,名目 GDP(国内総生産)の5割を超え,歳
入の7割~8割を占めている。カタールは,本国人が少ないうえに,石油・天然ガス収入
が潤沢であることから,一人当たりの名目 GDP は,IMF(国際通貨基金)によれば,9
万ドルを超える世界的に見ても,有数の豊かな国家である(図表10)。
16
中東協力センターニュース 2016・12
(図表10)カタールの経済概況(2016年)
名目 GDP
2,101億ドル
一人当たり GDP
97,000ドル
実質 GDP 成長率
4.70%
歳入額
597.40億ドル
歳出額
556.74億ドル
輸出額
1,270億ドル
輸入額
304億ドル
輸出品目
LNG,石油,石油化学製品
輸入品目
自動車,航空機部品等
出所:IMF 統計等
そのため,これまでの原油価格,LNG価格の上昇は,カタール経済と政府収入を成長さ
せ,カタール経済は,これまで年率10%を超える高度経済成長を達成している(図表11)
。
カタールは,好調な経済成長を梃子に,各種国際会議の主催を行い,数多くの国際交渉
における主役をつとめ,国際社会にいろいろな発信を行っている。中東産油国における有
力なテレビとして有名なアルジャジーラも,首都ドーハに拠点を持っている。21世紀の人
類的課題となっている地球温暖化対策についても,COP18(第18回国連気候変動枠組み
条約締約国会議)は,2012年にカタールの首都ドーハで開催されている。また,2022年
には,カタールで,サッカーのワールド・カップが開催されることが決定している。中東
における,記念すべき最初のワールド・カップ開催となった。サッカーのワールド・カッ
(図表11)カタールの実質 GDP 成長率(%)
出所:IMF 統計
17
中東協力センターニュース 2016・12
プ開催に向けて,都市整備が行われており,
首都ドーハにおいては,2019年開業を目指
し,総延長86キロの地下鉄建設事業を,日本
の三菱重工業,三菱商事,日立製作所,近畿
車輛が,事業総額3,800億円の受注に成功し
ている。カタールの地下鉄は,空港,市街地,
サッカー競技場を結び,ワールド・カップの
観客動員,カタールの経済成長のインフラス
トラクチャーとしての役割を担い,2016年5
月には,NEXI(日本貿易保険)が,自然災
害,テロに対する保険をつけることを決定し,
筆者紹介
1981年東京大学法学部卒業,東京銀行(現三菱東
京 UFJ 銀行)入行,東京銀行本店営業第2部部長代
理(エネルギー融資,経済産業省担当),東京三菱銀
行本店産業調査部部長代理(エネルギー調査担当)。
出向:石油公団(現石油天然ガス・金属鉱物資源機
構)企画調査部(資源エネルギー・チーフ・エコノミ
スト),日本格付研究所(チーフ・アナリスト:ソブ
リン,資源エネルギー担当)。2003年から和光大学経
済経営学部教授(資源エネルギー論,マクロ経済学,
ミクロ経済学)。東京大学工学部非常勤講師(金融工
学,資源開発プロジェクト・ファイナンス論),三菱
UFJリサーチ・コンサルティング客員主任研究員,石
油技術協会資源経済委員会委員長。
*著 書「資源開発プロジェクトの経済工学と環境問
題」,「「ガソリン」本当の値段」,「石油がわかれば
世界が読める」,その他,新聞,雑誌等への寄稿,
テレビ,ラジオ出演多数
政策的な支援を行っている。
昨今の原油価格の下落がカタール経済に及ぼす影響
現在のカタールにとって,最大の課題は,原油価格の下落と原油価格に連動する LNG
価格の低下である。2014年6月まで1バレル107ドルに達していた WTI(ウェスト・テ
キサス・インターミディエート)原油価格は,2016年2月には1バレル26ドルまで下落
(図表12)主要原油価格(単位:ドル/バレル)
出所:NYMEX
18
中東協力センターニュース 2016・12
(図表13)カタールの輸出額(単位:億ドル)
出所:IMF 統計
した(図表12)。LNG スポット(随時取引)価格も,2014年2月に百万 Btu(ブリティ
ッシュ熱量単位)当たり20.5ドルという史上最高値から,2016年4月には百万 Btu 当た
り5ドルまで下落している。その後,LNGスポット価格は,アジアにおける需給逼迫によ
り,若干上昇しているものの,2016年12月時点において,百万 Btu 当たり7ドル程度に
とどまる。
上述のように,石油・天然ガス収入は,国家歳入の7割~8割を占め,教育費をはじめ
とした国民への高度な社会保障の原資となっている。そのため,原油価格の下落は,国家
の財政への打撃,国民への社会保障の低下をもたらす。2014年秋以降の原油価格の下落と
LNG 輸出価格の低下は,カタールの輸出額の大きな減少をもたらしている(図表13)
。
2016年時点においては,カタールの財政は以前と比較して苦しい状況にあるものの,も
ともとアラブ人の人口が少なく,社会保障への負担が小さいことから,財政的には,人口
が多いサウジアラビア等と比較して余裕を持っている。しかし,カタールは,他の中東産
油国と同様に,石油モノカルチャー経済からの脱却をめざし,観光,研究開発拠点等,原
油価格の変動に左右されない経済構造の高度化を目指している。
カタールのインフラストラクチャー整備の今後
カタールは,2022年開催のサッカー・ワールドカップに向けて,インフラストラクチ
ャー整備を行っており,天然ガス火力発電所,海水淡水化プラント,地下鉄建設等に注力
している。カタールは,LNG輸出を原動力とした高度経済成長によって,アラブ人の人口
が急速に増加し,電力需要,淡水需要が増大している。日本企業も,LNG プラントの保
守,天然ガス火力発電所の建設をはじめとしたインフラストラクチャー整備事業に参画し
ている(図表14)。
19
中東協力センターニュース 2016・12
(図表14)日本企業によるカタールのインフラストラクチャー整備事業(2016年)
事 業 名
概 要
地下鉄建設
三菱重工業,日立製作所等が2019年開業を目指しドーハの地下鉄建設
天然ガス火力発電所
東京電力と三菱商事が,240万キロワットの天然ガス火力発電所を受注
LNG プラント保守
千代田化工が,カタール国営石油企業と LNG プラントの改修・保守業
務の契約
海水淡水化プラント制御
横河電機が海水淡水化プラントの制御システムを2016年1月に受注
海外発電事業
東京電力と中部電力の JERA が2016年11月にカタール国営企業と共同
海外発電事業
出所:各種新聞報道
カタールは,恒常的な電力需要の伸び,淡水需要の伸びに対応すべく,発電・海水淡水
化事業を行っている。カタールの首都ドーハから20キロメートル南にウム・アル・ホー
ル・パワー社を設立し,東京電力,三菱商事とカタール国営石油企業(QP),カタール発
電造水会社(QWEC),カタール財団とともに,発電能力240万キロワットの天然ガス火
力発電設備と,日量59万立方メートルの海水淡水化設備を2018年から稼働させる。総事
業費3,000億円に達する,日本企業による,高効率コンバインド・サイクル火力発電技術
を用いた,天然ガス火力発電・海水淡水化事業は,カタールのインフラストラクチャー整
備に貢献するとともに,LNG調達をカタールに大きく依存する日本にとって,両国の関係
強化に寄与する大きな意義をもっている。この事業には,国際協力銀行,三菱東京UFJ銀
行,みずほ銀行,三井住友銀行が,総額25億ドルの協調融資を行うことを2016年1月に
決定し,ファイナンス面からも,カタールの事業への日本による支援が行われている。
サッカーのワールド・カップをはじめとして,中東産油国においては,今後の経済発展
の基礎として,インフラストラクチャー整備プロジェクトが相次いで構想されており,鉄
道整備,水処理プラント,火力発電所をはじめとしたインフラストラクチャー投資が,一
部の専門家から,最大400兆円に達するという見方もある。カタールの地下鉄建設も,カ
タールの経済発展にとって重要なインフラストラクチャーであり,ドーハ・メトロは,カ
タールにとって最初の公共交通機関といえる。2018年~2019年にかけて3路線,総延長
86キロメートルの地下鉄を建設し,三菱重工業が事業全体を取りまとめ,三菱商事と近畿
車輌が車両設計と輸出を担当し,日立製作所が車両基地の機器を担当する。都市部におけ
る地下鉄建設により,国民生活の利便性を向上させるとともに,交通渋滞の解消にもつな
がることが期待されている。サッカーのワールド・カップ開催に大きく役立つプロジェク
トには,日本貿易保険が付保し,官民を挙げて,カタールのインフラストラクチャー整備
を支援している。日本企業は,UAE のドバイにおいて,ドバイ・メトロの建設実績があ
20
中東協力センターニュース 2016・12
り,ノウハウの蓄積により,外気温が50度を超える中東産油国における地下鉄建設プロジ
ェクトが,今後も拡大することが見込まれる。
今後も潜在的可能性をもつカタールの未来
カタールは,ノース・フィールド・天然ガス田という,世界最大級の天然ガス田をもち,
イラン,ロシアに次ぐ,世界第3位の天然ガス埋蔵量を誇っている(図表15)。
カタールの天然ガス埋蔵量は,866.2兆立方フィート,可採年数は135.2年に達する。カ
タールの天然ガスは,原油生産に随伴しない,非随伴ガスの割合が大きく,天然ガス生産
量が,原油生産量の変動の影響を受けにくい。そのため,需要の変化に応じた安定的な
LNG 生産が可能であり,今後も持続的かつ大量の LNG 輸出国としての地位を維持してい
くことが見込まれる。ノース・フィールド・天然ガス田は,天然ガス生産に随伴して,プ
ロパンをはじめとしたLPガス,工業ガスとして重要なヘリウムを生産する。特に,カター
ルのプロパンをはじめとした LP ガスは,日本にとって,サウジアラビアを上回る,最大
の調達先となっている(図表16)。
LPガスは,日本にとっては,都市ガスの燃料である天然ガスと並び,全国2,400万世帯
に供給されている。特に,LPガスは,国土に平野が少ない日本においては,都市ガス供給
面積は5%しかなく,残りの山間部,丘陵地帯等における調理,冷暖房等の重要なエネル
ギーとなっている。今後も,東南アジアにおける,石油に代わるエネルギーとして LP ガ
スは大きく期待されており,カタールの LP ガスは,米国のシェール・ガスに随伴する LP
ガスと同様に,重要なエネルギーと考えられる。
(図表15)国別天然ガス埋蔵量(単位:兆立方フィート)
出所:BP 統計2016年6月
21
中東協力センターニュース 2016・12
(図表16)日本の LP ガス国別輸入量(単位:千トン)
出所:日本 LP ガス協会統計
世界的には,21世紀は,「環境の世紀」として,天然ガスの時代とよばれている。天然
ガスは,燃焼時の炭酸ガス排出量が,石炭の半分程度,天然ガスを液化したLNGには,硫
黄分,窒素分がほとんど含まれていない。環境特性の優れたエネルギーであり,地球温暖
化対策の有力な切り札といえる。さらに,船舶の硫黄酸化物排出規制が強化されており,
北海を航行する船舶等も,LNGを燃料とする船が増加している。日本の造船企業も,LNG
燃料船の建造を行っている。世界の天然ガス消費量は,IEA の見通しによると,現在の年
間3兆立方メートル超から,2040年以降には6兆立方メートルへと増加することが見込ま
(図表17)世界の天然ガス消費量見通し(単位:兆立方メートル)
出所:IEA 統計
22
中東協力センターニュース 2016・12
れている(図表17)。
今後の天然ガス需要の増加に対して,安定的かつ十分なロットのLNG,生ガスを供給で
きる有力国の筆頭にカタールは挙げられる。特に,カタールは,政治的に安定しており,
親日的な国家であって,LNG供給の安定性が将来的にも強固である。カタールからのLNG
の安定的供給は,日本のエネルギー安全保障に寄与するだけではなく,天然ガス需要の伸
びが著しいアジア大洋州地域の安全保障にもつながる。この2年間における原油価格の低
迷により,石油収入,LNG収入が減少し,カタール経済と財政は,やや厳しい状況となっ
ている。しかし,短期的な原油価格と LNG 価格の乱高下に一喜一憂することなく,将来
的な LNG 需要の増加に備えた,LNG プラントの建設をはじめとして,カタールの産業構
造の高度化,国づくりに貢献することを通じて,来るべき「天然ガスの世紀」に,カター
ルが中心的な地位を維持するべく,日本も官民を挙げた協力が期待されるのである。
*本稿の内容は執筆者の個人的見解であり,中東協力センターとしての見解でないことをお断りします。
23
中東協力センターニュース 2016・12
中東情勢分析 トランプ次期政権の中東政策を予測する
(一社)現代イスラム研究センター 理事長 宮田 律
2016年11月8日に実施されたアメリカ大統領選挙では奇矯とも思える発言を繰り返し
ていたドナルド・トランプが勝利し,2017年から4年の任期の大統領を務めることになっ
た。トランプの中東政策については,彼はビジネスマンとして「取引」が好きだから大胆
な政策を行うだろうという見方もある。だが,中東イスラム世界には多くの問題が横たわ
り,シリアでは出口が見えない戦争が続き,イエメンでも内戦とサウジアラビアなどの空
爆がある。それに加えて,ISやアルカイダなどの過激な集団の活動が継続し,その抑制へ
の道筋がなかなか見えてこない。
アラブ諸国の指導者たちは,オバマ政権のシリアへの介入が手ぬるいことやイランに対
する融和政策にストレスを感じてきた。シリアの反政府勢力の指導者たちは,6年の内戦
を経ても,アサド政権が倒れないことや,さらにアサド政権の打倒という目標がアメリカ
の政策の優先順位から下がっていると感じている。
以下ではタカ派の人事を進めるトランプ次期政権の下でアメリカの中東政策がどのよう
に変容するのかを展望してみたい。
「狂犬」の理性と懸念
トランプ次期大統領は12月1日,大統領選での支援に感謝するオハイオ州シンシナティ
の集会で,新政権の国防長官に,アフガニスタンやイラクなどで米軍を指揮し米中央軍司
令官も務めたジェームズ・マティス元海兵隊大将を指名すると発表した。「国防長官には
『マッド・ドッグ(狂犬)』ことマティスを指名する。彼は最高だ。今のアメリカで(第2
次世界大戦で活躍した)ジョージ・パットン将軍に最も近い人物だと,皆も評している」
と述べた。(「AFP」の記事)
マティスは,湾岸戦争,アフガン戦争,イラク戦争に関わり,民間人の犠牲者を多数出
して評判が悪かったファルージャ攻略作戦でもその立案を行った。マティスの指名はISな
ど「テロとの戦い」を念頭に置いたものだろう。
マティスは2005年2月にサンディエゴの討論会で次のように述べている。
24
中東協力センターニュース 2016・12
「アフガニスタンへ行けば,ヴェールをつけ
ていないからと5年間も女性たちを殴りつけ
てきた連中がいる。男の風上にもおけない奴
らでしょう? そういう人間を的にするのは
死ぬほど愉快でしたね。実際,戦うというの
はとにかく楽しいものです。いや,面白すぎ
るといってもいい。誰かを銃の的にするとい
うのは楽しい。はっきり言えば,私は喧嘩が
筆者紹介
1955年山梨県甲府市生まれ。慶應義塾大学大学院
文学研究科,カリフォルニア大学ロスアンゼルス校
(University of California, Los Angeles)大学院修
了。現代中東論,現代イスラーム研究専攻。一般社団
法人現代イスラム研究センター理事長。著書に『中東
危機のなかの日本外交』(NHK ブックス),
『紛争の
世界地図』(日経プレミア),『南アジア 世界暴力の
震源地』(光文社新書),『イスラム世界 おもしろ見
聞録』(朝日新聞出版社),『中東イスラーム民族史』
(中公新書),
『現代イスラムの潮流』(集英社新書)な
ど。
好きなんだな」(訳はウィキより)
しかし他方で,2013年6月にコロラド州アスペン研究所で行った講演では,ケリー国務
長官の調停が失敗すれば,イスラエルが「一国家二民族になるか,あるいはアパルトヘイ
ト体制になるかだ」と発言している。「かりに500人のイスラエルの入植者を東エルサレム
に送れば,そこには1万人のアラブ人がいて,アラブ人を含めた地域に国境線を引き,参
政権を与えなければ,それはアパルトヘイトだろう。(中略)私が中央軍司令官としての任
務を果たすのは,アメリカがイスラエルを偏って支持していると見られているからで,パ
レスチナ人に敬意を示すことがないために,穏健なアラブ人も我々を支持することはない」
とも話している。
マティスのパレスチナ認識には正当性があるが,しかし他方で,イラクで無辜の市民を
殺害し,またアフガニスタンのタリバンを撃つことは死ぬほど愉快と語るような感情も,
反米テロの要因となっている。
1998年2月23日付のオサマ・ビンラディンの声明は次のように述べている。
「湾岸戦争などアメリカのイスラム世界への介入の目的の背後には,経済的,宗教的要因
のほかに,ユダヤ人の「小さな国家」の利益に奉仕することがあり,エルサレムの占領や,
パレスチナ人の殺害から目をそらす目的がある。それを最もよく証明しているのが,イラ
クを破壊しようとしていることであり(1990年代のイラクへの経済制裁など),イラク,
サウジアラビア,エジプト,スーダンを無力な弱小国家にしようとし,その不一致や非力
さをイスラエルの生存のために利用し,野蛮な十字軍的なアラビア半島への占領を継続し
ようとしている」
パレスチナ和平進展の必要性
この声明にあるように,パレスチナ和平の進展は世界的な暴力を減らすためにも必要だ
が,11月20日,イスラエルの民生局高等計画委員会はイスラエルが占領地であるヨルダン
25
中東協力センターニュース 2016・12
川西岸に数千にも及ぶ新たな住宅を建設することを発表した。その理由は「ドナルド・ト
ランプ氏が次期大統領になったことを受けて,オバマ政権と衝突することを恐れて凍結さ
れていた計画を解除する」というものである。
大統領選挙期間中,トランプ候補は入植地拡大を支持することを明らかにしていた。ト
ランプのイスラエル問題に関するアドバイザーであるジェイソン・グリーンブラットは,
「トランプはヨルダン川西岸におけるイスラエルの入植地が和平への障害と見ていない」
と
述べた。
他方,ジミー・カーター元大統領は,11月29日の「ニューヨーク・タイムズ」のオバマ
大統領に宛てたオピニオン記事でアメリカがパレスチナ国家を承認することを求めた。
さらに彼はオバマ大統領が国連安保理でイスラエルがヨルダン川西岸に入植地をつくる
ことが国際法に照らして不法という決議案を提出することを要求している。現在,ヨルダ
ン川西岸に60万人のイスラエル人が不当に暮らしていることをカーター氏は指摘してい
るが,こうしたオピニオン記事を書いたのは,トランプ政権の成立によって,国際社会が
後押ししてきたイスラエル・パレスチナの二国家共存という枠組みが崩れるという懸念を
背景にしている。
アメリカ政府も二国家共存による中東和平の実現を後押しし,その仲介でイスラエルと
パレスチナの会談も行われてきた。しかし,米国の仲介にもかかわらず,イスラエルのタ
カ派政権は西岸における入植地を拡大し続け,アメリカはイスラエルの非妥協的な姿勢,
既成事実の積み重ねに屈してきた。
パレスチナ問題が解決すれば,反米テロも減じることはいうまでもない。イスラム世界
にある過激な潮流は,イスラエルを偏って擁護するアメリカの姿勢を背景にしているから
だ。
カーター元大統領が仲介した1978年のキャンプ・デービッド合意は,イスラエルとエジ
プトの和平と,将来におけるパレスチナ国家の樹立という2つの目標があったが,トラン
プ政権の下でイスラエルの事実上の「アパルトヘイト統治」が追認されれば,結局一つの
目標しか達成されなかったということになり,カーター元大統領の理念とはほど遠いもの
になる。
オバマ政権が残された任期中にパレスチナ国家承認に前向きになれば,他の常任理事国
も追随することは間違いなく,イスラエルの入植地建設にも非難決議を出すだろう。イス
ラエル非難決議に拒否権を行使してきたのはアメリカ一国だからだ。二国家承認を求めて
オバマ大統領に否定的な影響があるとすれば,ステファン・ウォルトやジョン・ミアシャ
イマーが
『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策 The Israel Lobby and U.S. Foreign Policy 』で民主党の大統領選挙の資金の3分の1が親イスラエル・ロビーから出ていると
述べているように,今後の民主党への政治献金が減額されることぐらいだ。1,200万人の
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パレスチナ人の将来はイスラエルに圧力をかけられるアメリカ政府の姿勢次第だと言って
も過言ではない。
国連加盟国の193ヵ国のうち136ヵ国,つまり70%以上の国々がパレスチナ国家を承認
している。
アメリカの政治空白をつくロシア・アサド政権によるアレッポ空爆強化
トランプは,ロシアのシリア政策や「イスラム国(IS)」への方針を支持してきた。「ロ
シアと我々は共通の目標をもってきた。ロシアとシリア・アサド政権は IS を殺してきた」
と選挙期間中に述べた。
しかし,ロシアとシリア政府軍が攻撃してきたのは IS だけではない。2016年9月末ま
での時点でロシアの空爆の犠牲になったのは,9,000人以上,市民4,000人近くが亡くなっ
ている。(『アルジャズィーラ』の記事)武装集団もISだけでなく,安田純平さんを拘束し
ているとされる「征服戦線(ヌスラ戦線)」や,アメリカが支援してきた「自由シリア軍」
もロシアやシリア政府軍は攻撃し続けてきた。トランプが,嫌いだが,ISを殺していると
形容したアサド政権には,2011年の内戦ぼっ発以来30万人が犠牲になり,全人口のおよ
そ5分の1の400万人が難民化した混迷に対する道義的責任がある。
アメリカが政権の移行期となって,ロシアやシリアのアサド政権は,アメリカのシリア
政策に「空白」ができるにつれて,軍事行動を強化するようになった。トランプ次期大統
領は,シリアについてはISの制圧を最優先しているように見え,こうしたトランプの意図
を察知してアサド政権とロシアはアレッポ東部の制圧に積極的に乗り出すようになった。
シリアでは,11月9日,シリア政府軍の包囲網を破ろうとした反政府武装集団の兵士たち
2,000人が政府軍のアレッポ東部に対する包囲を突破しようとしたが,しかし地中海から
放たれたロシア軍の潜水艦の巡航ミサイルや空爆に遭うことになった。巡航ミサイルによ
る攻撃は,反政府武装勢力に対するより有効な手段であるとロシア政府関係者は主張する
ようになり,またアレッポへの執拗な空爆は,あたかもプーチンがチェチェン紛争で多用
した攻撃形態のようだ。
トランプは,アレッポ全体はおおよそ「過激派」から解放されたと述べたが,反政府武
装勢力の拠点であった東アレッポもシリア政府軍の支配下に置かれようとしている。シリ
アのアレッポは分断状態にあり,現在,西アレッポには60万人から100万人の住民たちが
住むと見られ,その生活状態は東アレッポの住民たちより良好だ。他方,東アレッポの住
民たちの生活状態は従来から劣悪で,2011年の「アラブの春」の政治変動の主体となり,
その改善を政府に求めた。アレッポ東部には,およそ4,000人から5,000人の武装集団が市
民25万人の中に紛れている。その武装集団は,アルカイダと関連をもつものか,あるいは
反政府武装集団の「自由シリア軍」の残存勢力だ。
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シリア政府軍は,特にアレッポ東部のハナーノ地区に対する攻撃を強化している。かり
にアサド政権がアレッポ全体を制圧すれば,6年半に及ぶ内戦の勝利に向けて大きく前進
することになる。アレッポ東部では,病院まで攻撃の対象となり,さらに住民たちには食
料不足という問題が発生している。
11月15日,シリアのバッシャール・アサド大統領は,ポルトガルのテレビ局とのインタ
ビューで,トランプが選挙期間中に,シリアに対するアメリカの関与はテロリストとの戦
いに限定されると言ったことを歓迎し,トランプ政権がテロリストと戦うのであれば,ロ
シアやシリアと同様にアサド大統領の同盟勢力となり得ると発言した。
政権のタカ派的人材による中東イスラム・シフト
トランプ次期大統領は,大統領首席補佐官にラインス・プリーバス共和党全国委員長を
指名し,スティーブ・バノンを首席戦略官兼上級顧問に指名した。プリーバス委員長は11
月13日,「あらゆる人のためになる経済を創造し,国境警備を強化し,オバマ大統領の医
療保険制度改革を廃止し,イスラム過激派のテロを根絶する。トランプ氏は全ての米国人
のための偉大な大統領になる」と述べた。
バノンは,
「アメリカで最も危険な選挙参謀」と形容されてトランプ陣営の選挙戦をおよ
そ1年間リードした。超保守系ニュースサイト「ブライトバート・ニュース」の最高経営
責任者(CEO)だった人物で,オバマ大統領が「敵意を抱くイスラム教徒を輸入した」と
非難した。バノンは,トランプの選挙キャンペーン中,ムスリムに対するヘイトを煽り続
けたが,そうした反・嫌イスラム的傾向にトランプは目をつけたのかもしれない。トラン
プがバノンを選挙参謀とする1年近く前からブライトバート・ニュースの「シリウスXM」
と題するラジオ・ショーでイスラムに対するヘイトが煽られていた。
この番組の中でトランプの側近の一人のロジャー・ストーンは,将来アメリカの狂った
ムスリムたちがレイプをし,殺害,略奪,公共の噴水で排便を行い,さらにアメリカ市民
にハラスメント行為をするとも語っている。
このロジャー・ストーンをバノンは,アメリカで最高の政治思想家,戦略家ともち上げ
た。ヒラリー・クリントンのアドバイザーのヒューマ・アベディンは,インド・パキスタ
ン系のアメリカ人で,サウジアラビアで育ったが,その彼女をとらえて,バノンはクリン
トン政権になれば,サウジアラビアにアメリカの機密情報が筒抜けになり,イスラムのテ
ロリズムが政府の中枢にまで浸透するとまで述べた。
バノンの「ブライトバート・ニュース」は,フランスの国民戦線,オランダの自由党,
イギリス独立党,ドイツのAFDなどに影響力を持ち始め,トランプの当選はこれらのヨー
ロッパの右翼勢力の活動にも弾みをつけている。11月12日にイギリス独立党のナイジェ
ル・ファラージ党首がトランプ次期大統領に直接会って祝意を表した。「ブライトバート・
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ニュース」は,ロンドン,エルサレムに支局をもち,さらにその活動をフランスやドイツ
に拡大しようとしている。
トランプ次期大統領の支持者で,作家のカール・ヒグビー(元海軍特殊部隊兵士)は,
11月16日フォックス・ニュースでアメリカ国内に居住するムスリムを登録制度にすべきで
あると述べた。彼は,第二次世界大戦に日系人が登録された前例があることを指摘して,
その措置の正当性を主張した。
日系人は1941年12月8日に日本軍がハワイを奇襲すると,スパイ行為や破壊活動など
を行う恐れがあるとされ,12万人余りの日系人たちが強制収容所に送られたが,それが多
分に人種差別的な措置であったことは,ドイツ系とイタリア系のアメリカ人たちには集団
収容がなかったことでもうかがい知ることができる。この日系人の強制収容については,
レーガン政権時代「1988年市民の自由法(通称,日系アメリカ人補償法)」で,重大な基
本的人権の侵害であったと認め,一人につきおよそ40,000ドルの補償が行われている。
ヒグビーの発言は,ムスリム系アメリカ人を差別し,彼らに疎外感を与え,また中東イ
スラム世界におけるアメリカのイメージを大きく損なうものである。ヒグビーの提案は,
アメリカ国内でムスリムへの偏見をいっそう煽り,ムスリムへのヘイト的な暴力的事件を
もたらす可能性もある。いずれにせよ,このような措置が実現されれば,アメリカとイス
ラムとの関係に大きな楔(くさび)を打ち込むことになるかもしれない。
国防長官に指名されたステファン・マティスや国家安全保障を担当する大統領補佐官に
指名されたマイケル・フリン元国防情報局長官は,イスラムに対する嫌悪を口にしている。
マティスは,IS などの過激主義と穏健なイスラム政治運動(「イスラム原理主義」とも日
本では言われているが)との区別ができない。イスラムを政治イデオロギーのようにとら
えている。
トランプ政権の中枢に入る人々はかつて共産主義に対してもったようなヒステリーをイ
スラム政治運動に対して抱くようになり,イスラムは共産主義のようなイデオロギーと信
じ込むようになった。
トランプ政権の中東政策の見通し
アフガニスタンでは2016年までの15年間で米兵の死者2,400人近く,アフガニスタンの
民間人の犠牲者は25,000人余り(国連アフガニスタン支援団[UNAMA]による)
,また
数兆ドルの予算をかけながら,タリバンが2001年の政権崩壊の際に喪失した支配地域を取
り戻しつつある。オバマ大統領は,イラク戦争は本来の「対テロ戦争」の主戦場であるア
フガニスタンでの戦争から逸脱したものであると説いた。アメリカはアフガニスタン政府
の安全保障費のほぼ全額を負担し,政府支出の80%から90%をまかなっているが,アフガ
ニスタンでの戦争でアメリカが得た利益には特筆すべきものがほとんど見られない。トラ
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ンプ次期政権にはこのアフガニスタンの将来をどう方向づけるべきかという課題もある。
シリア問題については,トランプ次期大統領は,その狂気を終わらさなければならない
と述べている。彼は,2016年初めに「アサドが善良な男だと思わないが,しかし重大な問
題はアサドではなく,ISだ」と語り,オバマ政権が支援してきた反アサド政府の武装勢力
については「彼らが誰だかわからない」とも話した。トランプ次期大統領がこれまで中東
イスラム世界の現状について知識を蓄積してきたとはとうてい思えない。シリア問題につ
いて彼が協力しようとしているロシアは,ISではなく,オバマ政権が一部を支援してきた
反政府武装勢力の制圧に力を注いできた。また,共和党の重鎮ジョン・マケイン上院議員
は,ロシアとシリア政府軍の空爆を「野蛮」と評してきて,アメリカ議会がシリア問題で
ロシアとの協力を容認するかどうかは疑問である。
シリア問題の複雑さは,アメリカの NATO の同盟国であるトルコがアサド政権と犬猿
の仲であり,またトルコはアメリカがシリアでの同盟勢力であると考えるクルドの武装勢
力に対してもその進撃を阻み,まるで解のない方程式のような状態となっている。
シリア人権監視団は12月2日,東アレッポのさらに多くの区域がシリア政府軍,ヒズボ
ラ,イラク民兵組織の手に渡ったと述べた。東アレッポが陥落すれば,アメリカの一極支
配が終わり,世界は多極化になるという発言もロシアの研究者からは飛び出した。つまり
世界の地政学的観点からロシアの中東地域における重要性が高まるという考えである。ア
レッポの陥落は単にシリア内戦の転換点ということだけでなく,ロシアの世界における超
大国の地位の復活を意味するとロシアの研究者たちは語るようになり,アメリカが唯一の
超大国であった時代の終わりを意味するとも述べているが,こうした中東におけるロシア
の影響力の拡大ともトランプ政権は向き合わなければならない。
トランプ次期大統領は,娘婿で不動産業者のジャレッド・クシュナーがパレスチナ和平
を解決してくれると語っている。しかし,彼には政治キャリアもなく,イスラエルとのパ
イプはあっても,パレスチナ自治政府との関わりをもってこなかった。政権内部では反・
嫌イスラム的な発言が繰り返されるだろうし,トランプ大統領の思いつきと,強硬な姿勢
で中東情勢がいっそう混乱することが懸念される。
*本稿の内容は執筆者の個人的見解であり,中東協力センターとしての見解でないことをお断りします。
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現地駐在員だより テヘランは,モスクの数より花屋の数のほうが多い
イラン住友商事会社 総務経理部長 万徳 秀樹
イランがイスラム共和制になったのは1979年の革命以降のことである。ヴェラヤテ・フ
ァギーと呼ばれる,イスラム法学者による統治概念を重要な要素とし,共和制の最高指導
者は三権すべてのうえに立つ。体制移行から35年あまりが経過した現在,イスラムはイラ
ン人の生活一般に深く浸透している。
ところが,同国に暮らしていると,ほどなく,イラン人の生活基盤が必ずしもイスラム
の宗教実践ばかりではないことに気づくことになる。たとえばイラン新年。イラン暦の元
旦(西暦では3月21日に相当)から13日間,イラン人は新年を祝う。日本の師走にあたる
前月からは,ハフト・シーン(7つの S)と呼ばれる縁起物を飾る。緑から豊穣を意味す
るサブズ(Sabz)を軸に,セッケ(Sekke,コイン),シーブ(Sib,りんご)など。Sabz
については,13日間が明けると邪気払いと
してこれを川に流してしまう。日本人が正
月前に鏡餅を供え,1月11日には割って食
べてしまう鏡開きの風習と,よく似たもの
を感じる。このハフト・シーンの様子が筆
者には,イスラムの禁忌とされる偶像崇拝
と映ったため,あるイラン人にそう言った
ところ,
「何を言っているの,イラン新年は
イスラムとは何の関係もないんだよ」と笑
って返されてしまった。確かに言われてみ
れば,イラン暦そのものが,イスラム・ス
ンニ派諸国の多くで採用されているイスラ
ム暦(ヒジュラ暦)とは異なる。因みに,
筆者が本稿をまとめている西暦2016年12
月は,イラン暦では1395年,イスラム暦で
は1438年にあたる。
イラン新年の縁起物ハフト・シーン,
左下の緑の草がサブズ(筆者撮影)
豊穣を祝うことからもわかるように,同
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国は農産物が豊かで,季節の野菜や果物がとてもおいしい。果物のなかでは,ハルボゼを
紹介せぬわけにはいくまい。これにいちばん近い果物はおそらくメロンであろうが,メロ
ンよりしゃきしゃきした食感があり,甘さが絶妙である。おそらく傷みが早いためであろ
うか,国外には輸出されておらぬようなので,これをご賞味いただくには当地をご訪問い
ただくしかない。しかも夏季限定で。木の実の類も言うに及ばず,イラン産ピスタチオは,
かの米国が2016年の経済制裁解除にあたり,貿易解禁アイテムとして,絨毯やキャビアと
ともに含めたほど。街なかのナッツ販売店をのぞいてみると,ピスタチオだけで何種類も,
大きな樽に盛られ量り売りされている。これらを試食しながら好みのものを選ぶことがで
きる。他方,ナッツ店ではなく八百屋で売られているのが,写真の生ピスタチオ。これま
た夏の終わりから秋にかけての季節限定である。これも傷みが早いので,ハルボゼ同様
「ご
当地もの」である。最初はやや生臭い印象だが,病みつきになるのにさして時間はかから
ない。くるみもおいしい。日本で普通に売られているものとは異なりくるみの原型をとど
めているので,見た目にも美しい。そして花。花の種類もさまざまあり,町をそぞろ歩き
していると花屋の1軒や2軒を容易に見つけることができる。イラン人家庭にお呼ばれし
たときの手土産は,花束とケーキが定番である。街なかには公園も多く,週末ともなれば
思い思いにくつろぐイラン人の姿を見ることができる。散歩する人,ござを敷いてお茶す
る人,バドミントンに興じる親子やカップル。ほとんどの公園にはばら園がある。花屋と
公園の多い町が平和でないはずがないとの実感がわいてくる。
おいしい物ついでに,イラン人の典型的な朝食を紹介しよう。筆者も毎朝これである。
イラン人はパンも米も主食としているが,朝はパン。ナーンと呼ばれ,粉を練って薄く延
ばしたものを窯で焼く。街かどのベーカリーで焼きあがる頃合いには焼きたてを求める
人々の行列ができる。ナーンと一緒に食べるのは,トマト,きゅうり,そしてチーズ。チー
季節限定の生ピスタチオ(筆者撮影)
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テヘラン晩秋のある一日。
筆者が手にしているのはケーキの折詰(筆者撮影)
ズの種類も豊富で,マガゼと呼ばれるイラン流コンビニエンスストアで,小さなマガゼで
も数種類からチーズを選ぶことができる。基本はトマト,きゅうり,チーズだが,これら
に卵料理が加わるとなお良い。一緒に飲むフルーツジュースには,ざくろを選ぼう。ざく
ろもイラン名産である。ざくろの紫,トマトの赤,きゅうりの緑,チーズの白,卵の黄。
いろどりだけで朝から豊かな気持ちになれる。また,筆者のようなせっかちで早食いの手
合いには,ナーンのほど良いぱりぱり感が食べるペースをスローダウンさせてくれる。食
後にはヨーグルトにはちみつを添えて。これで20分から30分くらいの朝食になる。本当は
この後,イラン式の煮だした紅茶(チャーイ)を二杯くらいいきたいところなのだが,こ
れをやると会社に遅刻するので叶わない。
閑話休題。2016年1月,核開発問題に課されていたイランへの経済制裁は解除された。
経済制裁中の同国はどんな様子だったのか。われわれ外国人は,イランを制裁対象国と想
定して同国入りするわけだが,入国してみると,制裁で疲弊している印象がほとんど持て
ず驚くことになる。なぜなのだろうか。シルクロードの地図を紐解くまでもなく,イラン
国土のほとんどが交易路網のなかに組み込まれており,同国を孤立させることが地理的に
そもそも難しいのであろう。ただ,経済をじりじりと圧迫する側面は明らかにあり,であ
るからこそ一連の交渉のなかでイラン側も一定の譲歩をし,経済制裁解除に漕ぎ着ける流
れとなったのであろう。
経済制裁解除でイランは沸いているのだろうか。これの解は微妙である。モサデック首
相失脚事件は遠い過去(1953年)のことであり,「搾取する西側」を実体験として記憶す
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中東協力センターニュース 2016・12
るイラン人の数はかなり少ないに違いない。しかし,保守強硬派勢力が「核合意に益なし」
の主張を続けるなか,現実に米国による一次制裁がいきており米ドル取引は禁止のままで
あるなど,現状への不満がくすぶっているとみられる。去る11月の米国大統領選挙結果が
どう影響するのかを語るのは尚早だが,少なくとも政治面・外交面の不透明感が増してい
る。他方,あるイラン人はこう言い切った。「国際社会から途絶されることを是とするイラ
ン人はひとりもいない,だから途絶を是とするような政府はもう誰にも支持されない」と。
筆者はこの一言に,大国に翻弄される歴史を経てきたイラン人のタフさと底力の強さを感
じた。
平和な生活基盤に静かな熱望。そして生まれるものは何か,期待は尽きない。
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中東協力センターニュース 2016・12
中東協力センターニュース
第41巻 第9号
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