TZU CHI ツーチー

2016
● 12
慈済ボランティアは今年10月までに、彰化刑務所
の全ての区域で「大願堅志で人生を変える」と題し
た講座を10回行ってきた。受刑者が麻薬の誘惑に
TZU CHI ● ツーチー
打ち克ち自分の人生に希望を持てるようにと願う。
(撮影・黄筱哲)
N
O
2
4
0
今日の表紙
240
慈濟基金會
2016 年 12 月
慈濟基金會
表見返し●
文・證厳法師╱訳・済運╱撮影・李白士
福を集めて災いを消す
善と悪が綱引きしている時
衆生の善で導く
甘露の水滴が集まれば
清流と化す
己の能力を過小評価せず
奉仕を実行する
心の浄化は福を集め
災いを消す
2016・12
1
目 次
【社論】
愛の力で麻薬を撲滅する
【主題報道】
済運/訳
慈願/訳
❖好奇心が始まり
済運/訳
麻薬を拒絶する偉丈夫
❖刑務所から総統府まで
慈願/訳
慈願/訳
黒川由希/訳
黒川章子/訳
❖友の勧告を聴いて
❖薬物は薬にあらず無用な物
【人文風景】
僻地に愛を届ける動く城
【證厳法師のお諭し】
福を修め、日々米蔵に米を蓄えるようなもの
知恵を働かせば、小さな種も天地を内包している
【健康ボックス】
表見返し
翁俊彬/訳
心嫈/訳
済運/訳
痛 風 の 患 者 は 大 豆 製 品 を 食 べ ら れ ま す か ? 慈昶/訳
【ボランティアスケッチ】
慈善の家政婦
【衲履足跡】
強い意志で欲念を克服しよう
【法を聞く心得】
靴を失くして
済運/訳
裏見返し
済運/訳
福を集めて災いを消す
済運/訳
慈済大事記【十、十一月】
漫画・『清らかな知恵』
2
慈済ものがたり
2016・12
3
4
34 28 14 10
44
64
76
80
100
92
105
【社・論】
愛の力で麻薬を撲滅する
◎訳・慈願
あ る 中 年 男 性 が、 母 親 と 花 蓮 の 静 思 精 舎 へ ボ ラ ン テ ィ ア に や っ て 来 た。 朝
会 の 時、 證 厳 法 師 の 開 示 を 聴 い て い た こ の 男 性 は、 落 ち 着 か な い 様 子 で あ る。
し ば ら く す る と 彼 は 上 人 の 前 に 出 て 跪 き、 涙 を 流 し な が ら「 家 へ 帰 っ た ら 必
ず麻薬を断ちます」と懺悔していた。上人は彼の肩を軽くたたいて、「志を堅
く も っ て こ の 苦 し み が 通 り 過 ぎ た 時 に は、 新 た な 人 生 に 向 か っ て 再 出 発 で き
ますよ」と励まされた。
二 カ 月 後、 彼 は 再 び 精 舎 を 訪 れ、 上 人 の 前 で、 近 頃 ボ ラ ン テ ィ ア に 参 加 し
て い た 時 に 見 聞 き し て 心 得 た こ と を 話 し た。 上 人 は 彼 に 麻 薬 を し て い た 時 は
ど ん な 感 じ だ っ た か と 聞 か れ た。 彼 は 自 分 が 麻 薬 を 断 ち 切 れ る こ と を 実 証 し
て、現在呼びかけている麻薬撲滅キャンペーンの力になることを誓った。
十 三 年 前 の こ と で あ る。 彼 は も と も と 安 定 し た 職 に 就 い て い た が、 悪 い 友
人 と 付 き 合 い 始 め て か ら、 ア ン フ ェ タ ミ ン と い う 薬 物 に 手 を 染 め た。 ア ン フ
ェ タ ミ ン を 摂 取 す る と、 活 力 が 漲 り、 仕 事 の 刺 激 に な っ て 健 康 に も 良 い と 勧
め ら れ て 始 め た。 今 は 家 族 の 支 持 と 自 分 の 堅 い 決 心 に よ っ て、 終 に 立 ち 直 る
ことができたのだ。
一 九 九 ○ 年 代 か ら、 台 湾 で は 麻 薬 が 氾 濫 し、 そ れ に と も な う 犯 罪 が 社 会 問
題 化 し て い た。 ア ジ ア 太 平 洋 航 路 の 中 心 で あ る 台 湾 で は、 国 際 的 麻 薬 組 織 が
取 引 を 行 う よ う に な り、 麻 薬 が 滲 透 し て い っ た。 そ れ に 加 え て、 経 済 発 展 に
伴 っ て 高 度 な 競 争 社 会 と な り、 麻 薬 が プ レ ッ シ ャ ー か ら 逃 避 す る た め の 手 段
になっていた。
台 湾 の 町 は ず れ で 一 時、 電 線 窃 盗 案 件 が 頻 発 し た こ と が あ る。 三 年 の 中 に
4
慈済ものがたり
2016・12
5
盗 ま れ た 電 線 は 台 湾 を 二 周 す る ほ ど の 長 さ だ っ た。 当 時、 世 界 で 銅 の 価 格 が
上 昇 し て い た の で、 麻 薬 常 習 犯 は 高 圧 電 線 の 危 険 も 顧 み ず、 電 線 を 盗 ん で は
銅 を 切 り 取 っ て 金 に 換 え、 麻 薬 を 買 っ て い た。 警 察 が 窃 盗 犯 を 取 り 調 べ て い
た 時、 意 外 に も 麻 薬 の 汚 染 は 都 市 部 よ り も 田 舎 の 方 が 深 刻 で あ る こ と を 発 見
した。
人 影 の ま ば ら な 場 所 は 麻 薬 を 隠 す の に も っ て こ い の 場 所 で あ る。 と く に、
船 が 行 き 来 す る 辺 鄙 な 港 は 麻 薬 や 原 料 を 密 輸 す る 格 好 の 場 と な っ て い た。 現
地の住民は麻薬被害に対する認識と麻薬中毒と中毒からの更生に対する認識
が 低 か っ た。「 麻 薬 は ど こ に あ る?」 と 聞 け ば、「 こ こ に あ る よ 」 と 言 う 調 子
でたやすく手に入るため、麻薬常習者が増加していた。
麻 薬 関 連 の 犯 罪 者 で 台 湾 の 刑 務 所 は 満 員 に な り、 た と え 刑 務 所 を 出 て も、
正 常 な 社 会 生 活 に 戻 る の は 非 常 に 困 難 だ っ た。 肉 体 を 蝕 ん だ 中 毒 か ら 離 脱 す
る の は 難 し く、 そ れ に 加 え 社 会 で は 排 斥 さ れ る た め、 多 く の 者 は ま た 麻 薬 の
道に戻ってゆく。
麻 薬 常 習 者 は 家 族 を 傷 つ け、 家 庭 の 倫 理 を 壊 す。 二 ○ ○ 九 年、 衛 生 署 の 調
査 に よ る と 麻 薬 常 習 者 の 人 口 は 年 少 化 し、 学 校 内 に ま で 麻 薬 が 入 り 込 ん で い
る こ と が 分 か っ た。 家 庭 内 の 不 和 や 勉 強 と い っ た ス ト レ ス を 感 じ て い る 学 生
は、麻薬の危険にさらされていた。
ど の よ う に し て 麻 薬 常 習 者 を 更 生 さ せ る か、 誘 惑 を 拒 絶 で き る か は、 現 在、
台 湾 社 会 に と っ て 重 大 な 課 題 に な っ て い る、 法 務 省 は 七 年 前 か ら 慈 済 と 共 同
で「 麻 薬 に N O と 言 え る 私 」 と い う ス ロ ー ガ ン を 掲 げ て、 慈 済 教 師 連 合 会 が
麻 薬 防 止 ボ ラ ン テ ィ ア を 訓 練 し て い る。 こ の ボ ラ ン テ ィ ア の 中 に は 麻 薬 か ら
の更生に成功した者もいて、彼らは全身全霊で協力している。
6
慈済ものがたり
2016・12
7
慈済ボランティアは今年十月までに、彰化刑務所の全ての区
域で「大願堅志で人生を変える」と題した講座を十回行って
きた。受刑者が麻薬の誘惑に打ち克ち自分の人生に希望を持
てるようにと願って、一人でも多くの受刑者にこの講座に参
加するよう励ましてきた。
麻薬を拒絶する偉丈夫
銃 も 装 甲 車 も 必 要 な い。 わ ず か 数 グ ラ ム の 粉 末 に よ っ
て、家庭が崩壊したり人が死んでしまう。これが恐るべき麻薬の威力である。
被 害 者 は 麻 薬 中 毒 者 と そ の 家 庭 だ け で は な い。 台 湾 の 麻 薬 常 習 者 は 年 々 増 え、
若 年 化 し て い る。 禁 止 薬 物 使 用 罪 で 収 監 さ れ て い る 人 の 数 は 刑 務 所 で 最 多 を 占 め
て い る。 麻 薬 中 毒 の 禁 断 症 状 が 犯 罪 を 引 き 起 こ し、 社 会 に 戦 場 が 存 在 し て い る と
言 え る。「 毒 」 と い う 字 は「 無 」 と「 主 」 を 組 み 合 わ せ た も の で、 毒 に 触 れ る と
制御が効かなくなり、自分を見失ってしまう。
慈 済 ボ ラ ン テ ィ ア は 長 年 未 然 に 防 ご う と 麻 薬 撲 滅 を 宣 伝 し て き て い る。 麻 薬 を
拒絶してこそ偉丈夫なのである。
8
慈済ものがたり
2016・12
9
好奇心が始まり
◎文・李委煌 訳・済運 撮影・黄筱哲
中学生の時、人と違うことをしたくて変
わ っ た タ バ コ を 吸 っ て み た。 タ バ コ を 吸
う 習 慣 が 麻 薬 中 毒 の 前 兆 だ と は、 当 時 は
思ってもみなかった。
● 高 肇 良 は 麻 薬 に 手 を 出 し た た め に 学 校 を 中 退 し、
服 役 し た が、 彼 は 過 去 の 負 の 人 生 を 現 在 の 資 産 に
転化し、積極的に麻薬防止活動に力を入れている。
中 学 生 の 時、 好 奇 心 か ら ア ン フ ェ タ ミ
ン(覚醒剤)を使用した。
青春時代に人と違ったことをしたいと
思 い、 普 通 の 人 が 吸 う タ バ コ で は 面 白 く
な い。 同 級 生 が ア ン フ ェ タ ミ ン を 混 ぜ た
タ バ コ を 持 っ て き た の で 吸 っ て み た ら、
と て も ハ イ な 気 分 に な っ た。 初 め の う ち
は 同 級 生 が た だ で く れ た が、 や が て 買 う
こ と に な り、 値 段 は 安 か っ た。 そ の 当 時
はタバコを吸う習慣が麻薬中毒の前兆に
なるとは思ってもみなかった。
先生が授業をしている時に教科書を机
に 立 て、 ラ イ タ ー で ア ル ミ 箔 に 乗 せ た 粉
に 火 を つ け る と 煙 が 上 が っ た。 初 め は タ
バ コ の よ う に 吸 っ て い た が、 や が て 鼻 か
ら吸うようになった。
ア ン フ ェ タ ミ ン を 吸 い 始 め て か ら、 眠
れなくなると同時に幻覚が生じるように
な っ た。 そ の 症 状 を 抑 え る た め に、 十 八
歳からヘロインを注射するようになっ
た。その年、初めて薬物所持で逮捕され、
四 カ 月 の 刑 が 下 さ れ た。 そ れ か ら 十 数 年
間、刑務所を出たり入ったりした。
両 親 は 共 に 純 朴 な 農 民 で、 自 分 が 友 人
か ら「 ジ ャ ン キ ー」 と 呼 ば れ て い る こ と
10
慈済ものがたり
2016・12
11
が 信 じ ら れ な か っ た。 そ し て、 更 生 施 設
ンフェタミン中毒者が食べてしまう。
下 痢 を 繰 り 返 す。 食 事 を 差 し 入 れ て も ア
双方の中毒者は自然に部屋を二分して
の中で自分が何の価値もない生き物であ
ることに気づき、狼狽した。
者と二級危険薬物であるアンフェタミン
た。 一 級 危 険 薬 物 で あ る ヘ ロ イ ン の 常 習
し て 苦 痛 が 和 ら ぐ。 そ の 時、 ア ン フ ェ タ
だ っ た。 冷 水 を 浴 び る と 毛 細 血 管 が 収 縮
らげてくれるのは冷たい水を浴びること
ご ろ 寝 す る。 少 し で も 私 た ち の 苦 痛 を 和
の常習者である。更生(離脱)過程では、
ミ ン 中 毒 者 は 私 た ち を 思 い や り、 先 に 冷
同じ監房には二種類の人が入ってい
アンフェタミン中毒者は眠ってばかりい
水を浴びさせてくれた。
楽 に な る が、 中 に は 気 を 失 っ た り シ ョ ッ
に は、 五 日 間 か ら 七 日 間 持 ち こ た え れ ば
そ う い う 強 烈 な「 禁 断 症 状 」 は 一 般 的
て、 目 が 覚 め る と 食 べ、 食 べ 終 わ る と ま
た、 熟 睡 す る。 収 監 さ れ て 十 日 ほ ど で 数
キロ体重が増える。
一 方、 ヘ ロ イ ン 中 毒 者 は 最 初 の 一 週 間
しかし、これほどの苦痛を味わっても、
ク状態に陥る人もいた。
が 痛 ん で 鳥 肌 が 立 ち、 時 を 選 ば ず 嘔 吐 と
麻 薬 を 繰 り 返 し、 何 度 も 刑 務 所 に 入 っ
程 は 眠 れ ず、 食 欲 も な い。 そ し て、 体 中
薬物が欲しいという考えが脳裏から離れ
た。 父 に 勘 当 さ れ て 路 頭 に 迷 っ て も、 麻
え る た め の 欲 望 は と て も 強 く、 親 を 裏 切
られないのだ。
目先の苦痛を和らげるために
っ て で も 手 に 入 れ た い ほ ど 強 烈 だ っ た。
薬 を 追 い 求 め た。 一 時 的 に 禁 断 症 状 を 抑
人格まで失う
そ し て、 例 え、 ど ぶ の 水 を 使 っ て で も ヘ
ロ イ ン を 注 射 で き る な ら そ れ で も よ く、
麻薬中毒でどんなにみっともなくても
何 度 目 か に 出 所 し た 時、 母 は 家 に 鉄 格
と し た こ と が あ っ た。 当 時、 私 は 幻 覚 と
構 わ な か っ た。 肉 体 的 中 毒 は 断 ち 切 れ て
早急に禁断症状から抜け出ることが最重
幻 聴 に 悩 ま さ れ、 体 重 は 四 十 キ ロ ほ ど に
も、 精 神 的 に 断 ち 切 る の が 難 し か っ た。
子 の 扉 を 取 り 付 け て、 私 が 外 の 世 界 と 関
ま で 落 ち、 鉄 格 子 の 隙 間 か ら 抜 け 出 て 麻
家 や 刑 務 所 に 閉 じ 込 め ら れ て も、 心 の 牢
要課題だった。
薬 を 探 し 求 め こ と も あ る が、 そ こ か ら 中
屋ほど辛いものはなかった。
わりを断つことで薬物と縁を切らせよう
に入ろうとした時は入れなかった。
12
慈済ものがたり
2016・12
13
刑務所から総統府まで
厳しい面持ちの彰化刑務所の刑務官に
高 肇 良 は 刑 務 所 を 出 た 後、 時 々 悪 夢 に
う な さ れ て 目 覚 め る。 自 分 が ま た 刑 務 所
け、 第 七 工 場 の 大 教 室 に 着 い た。 鉄 格 子
錠された鉄格子の扉を幾度もくぐり抜
◎文・李委煌 訳・済運 撮影・黄筱哲
行きの車に乗せられた夢である。
彼 ら を「 保 護 」 す る や む を 得 な い も の で
連 れ ら れ て、 彰 化 慈 済 ボ ラ ン テ ィ ア は 施
ほ ん の 一 時 薬 に 手 を 染 め た た め に、 一
生 更 生 し 続 け な け れ ば な ら な い。 麻 薬 拒
あ る と 同 時 に、 彼 ら を 社 会 か ら 隔 離 す る
百人余りの受刑者はみな同じ白いTシ
鉄格子の中に閉じ込められた感じだ。
も の で も あ る。 人 と し て の 尊 厳 と 自 由 も
が入った窓や扉は麻薬中毒者にとっては
絶の講座は毎回が彼自身に対する警告で
ある。
昨 年、 総 統 自 ら が「 旭 青 賞 」 を 授 け て
く れ た。 彼 は 今 で も 気 を 引 き 締 め 続 け て
座 り、 静 か に ボ ラ ン テ ィ ア が 来 る の を 待
ターだけの鉄格子扉で施錠された教室に
ているほかはスローガンが書かれたポス
所 内 の 十 二 の 工 場 を 回 っ て 講 演 し、 刑 務
ア と 共 に 再 び こ の 刑 務 所 を 訪 れ た。 刑 務
数 年 間、 彼 は 異 な っ た 身 分 で ボ ラ ン テ ィ
所 か ら 出 所 し た。 三 十 四 歳 だ っ た。 こ の
ャ ツ に 紺 の 短 パ ン 姿 で、 扇 風 機 が 置 か れ
っ て い た。 彰 化 刑 務 所 に は 二 千 五 百 人 を
所 と 受 刑 者 か ら「 高 先 生 」 と 呼 ば れ る よ
いる。
超 す 受 刑 者 が 服 役 し て い る が、 そ の 半 数
うになった。
ち な ど を 話 し た。 聴 衆 の 受 刑 者 た ち は 珍
ち で 止 ま る こ と が で き た。 高 肇 良 は 自 分
人 生 が 脇 道 に 逸 れ た が、 幸 い に 崖 っ ぷ
高先生は家路を急ぎ菓子を売る
以上が麻薬危害防止条例に違反した者で
ある。
壇上で慈済ボランティアの高肇良が自
し く 静 か に 聞 き 入 っ て い る。 講 演 し て い
の 不 甲 斐 な さ を 曝 け 出 す こ と で 精 進 し、
分 の 麻 薬 中 毒 と 服 役 の 経 歴、 家 族 の 気 持
る 人 が「 自 分 を 理 解 し て く れ て い る 」 と
講 演 を 続 け た。 か つ て 服 役 し て い た 雲 林
刑務所、台中刑務所、南投刑務所、そして、
感じたからだ。
二 〇 〇 九 年 の 初 夏、 高 肇 良 は こ の 刑 務
14
慈済ものがたり
2016・12
15
● 刑 務 所 や 少 年 院 に 入 る と、 高 肇 良 は 心 が 痛
む と 同 時 に 願 が 頭 に 浮 か ぶ。 痛 む の は 若 く し
て世間知らずだった過去の人生への後悔か
ら。 今、 新 た な 人 生 を 大 切 に し、 感 謝 の 気 持
ち で あ る。 彼 は 自 分 の 人 生 の 話 を 聞 い た 受 刑
者 が 戒 め と し、 再 び 麻 薬 に 溺 れ て 人 生 を 台 無
しにしないよう励ましている。
薬物に手を染め始めた時に通ってい
た母校の中学校にまで足を伸ばして
講 演 し た。「 私 を 見 て、 自 分 に も で
きるのだと信じて欲しい」と励まし
てきた。
講演の対象が刑に服している受刑
者 で あ れ、 学 校 に 通 う 学 生 で あ れ、
る と 医 者 に 言 わ れ た が、 彼 は 気 力 で 以 て
講 演 を 依 頼 さ れ れ ば、 彼 は ボ ラ ン テ
ィアと共にできる限り時間を作って行く
その宣告をひっくり返したからだ。
高肇良と妻の謝舒亜は故郷の彰化県の
こ と に し て い る。 こ こ 数 年 来、 刑 務 所 や
少 年 院、 学 校、 地 域 社 会 な ど で 三 百 回 を
永靖街でリュックサックを売る店を開い
て、 砂 糖 を 炒 め て お く。 次 の 日、 講 演 が
超 え る 講 演 を し て き た。 今 年 の 一 月 か ら
学 校 が 夏 休 み に 入 る 前 の 五 月 だ け で、
終 わ る と 急 い で 帰 り、 店 を 開 く た め で あ
た。 愛 玉 子 ゼ リ ー や 菜 食 の 菓 子 類 も 一 緒
彼 は 二 十 五 日 間 講 演 し た。 以 前、 薬 物 を
る。 麻 薬 中 毒 者 が 社 会 に 復 帰 し て 仕 事 を
九 月 ま で だ け で も 百 回 を 超 え、 彰 化 の ボ
使 っ て 恍 惚 状 態 で 交 通 事 故 を 起 こ し、 喉
得るのは容易でないことを彼はよく知っ
に 売 っ て い る。 彼 は 講 演 前 夜 に は 講 演 の
の 気 管 が 破 れ た た め、 今 で も 講 演 が 続 く
て い る。 彼 は お 菓 子 類 を 売 っ て、 利 益 の
ランティアは事前の宣伝に延べ三千人余
と 声 が か す れ る。 し か し、 彼 は 講 演 で き
一部を更生者を支援する基金に寄付して
準 備 を す る だ け で な く、 愛 玉 子 を 洗 っ
る 縁 を と て も 大 切 に し て い る。 そ れ は 当
いる。
りを動員した。
時、 一 生、 経 鼻 胃 管 を 使 用 し た 生 活 に な
16
慈済ものがたり
2016・12
17
● 高 肇 良 は 出 所 後、 積 極 的 に ボ ラ ン テ ィ ア 活 動 に
打 ち 込 ん だ。 謝 舒 亜 は 彼 の 努 力 と 前 向 き な 姿 勢 を
見 て 彼 と の 結 婚 を 決 め た。 そ し て 一 緒 に 慈 済 ボ ラ
ン テ ィ ア に な っ た。 こ の 日、 彰 化 刑 務 所 で 講 演 す
るために2人は朝早くから家を出た。
だった慈済ボランティアの蔡天勝に感化
され、正しい道を歩み出すことができた。
こ の 数 年 間、 彼 は 蔡 天 勝 の 手 法 に 習 い、
各 地 で 講 演 す る 以 外 に、 数 多 く の 受 刑 者
と文通して彼らを励まし続けてきた。
高 肇 良 の 手 元 に は 七、八 百 通 の 手 紙 が
あ る が、 そ れ ら は 花 蓮 刑 務 所 や 彰 化 刑 務
所、 台 中 刑 務 所 か ら 送 ら れ て き た も の で
あ る。 月 に 二、三 十 通 来 る が、 彼 は ほ と
ん ど 自 筆 で 返 事 を 書 い て い る。「 全 て の
●高肇良と謝舒亜はボランティアの仕事が終わる
と、 す ぐ に 家 に 帰 っ て 店 を 開 く。 店 に や っ て 来 る
学 生 が「 僕 は 麻 薬 撲 滅 隊 員!」 と 言 え ば、 冷 た い
愛玉子ゼリーをご馳走する。
麻薬に手を出すことは
親を最も悲しませること
高肇良は講演が終わると必ず聴衆の一
人 ひ と り と 握 手 す る。 握 手 す る こ と で 手
の 温 か み を 通 し て、「 途 絶 え る こ と の な
い 関 心 と 祝 福 」 を 伝 え た い の だ。 そ の 温
かみが変化をもたらすきっかけになるか
もしれないと彼は思う。 更正するなら刑に服している今から始
め る べ き で あ り、 出 所 す る ま で 待 つ 必 要
は な い。 刑 務 所 も 小 さ な 社 会 な の だ か
ら、 と 高 肇 良 は 受 刑 者 を 励 ま す。 彼 自 身
も 出 所 す る 前、 や は り 麻 薬 中 毒 の 更 生 者
18
慈済ものがたり
2016・12
19
に、 彼 は ど の 手 紙 も 重 く 受 け 止 め、 じ っ
の 最 後 の 思 い で も あ る の で す 」。 そ れ 故
り、 更 生 し て 欲 し い と い う 子 供 へ の 家 族
手紙は出所後の新たな人生を意味してお
員 に 通 報 し、 実 情 に 合 っ た 補 助 を 提 供 し
場 合、 積 極 的 に 慈 済 基 金 会 の 社 会 福 祉 人
っ て い る の を 発 見 す る こ と も あ る。 そ の
経 済 的 に 困 難 状 態 に あ っ た り、 病 気 に な
見 る と、 彼 は ボ ラ ン テ ィ ア と 個 別 に そ の
話する人がいない高齢の親を思う文面を
の 中 で、 親 に 顔 向 け で き な か っ た り、 世
こ と に 関 心 を 持 っ て い て く れ る 」。 手 紙
が よ く 分 か る。「 い ま だ に 誰 か が 自 分 の
は、 受 刑 者 が 手 紙 を 受 け 取 る 時 の 気 持 ち
毒で何度も刑務所を出入りした高肇良に
華やかな青春時代の十数年間を麻薬中
「出所したら二度と戻って来てはならな
来、親孝行するよう伝える。そして、必ず、
信 を 書 く。 彼 ら に、 安 心 し て 服 役 し、 将
要 望 を 達 成 し て か ら、 す ぐ に 受 刑 者 に 返
い高肇良は彼らの家庭状況を確認したり
家 族 の 生 活 が 困 難 な 状 況 に 陥 る。 心 優 し
務 所 に 入 る と、 直 接 的 あ る い は 間 接 的 に
肇 良 は た く さ ん 見 て き た。 そ の 多 く は 刑
麻薬が貧困や病を引き起こす事例を高
たり家庭訪問を行っている。
家 庭 を 訪 問 す る。 時 に は 受 刑 者 の 家 庭 が
だ。 そ の 多 く が 親 で あ る。 あ る 夫 婦 は 高
くり考えて返事を書いている。
い!」と老婆心で付け加える。
彼 が 最 も 心 を 痛 め る の は、 麻 薬 常 習 者
肇 良 の 講 演 を 聞 い た こ と が あ り、 わ ざ わ
は 黙 っ て い た。 台 北 で 働 い て い る 子 供 が
麻 薬 に 手 を 染 め た。 彼 ら は 麻 薬 を 見 た こ
と も な く、 ど う や っ て 子 供 を 更 正 さ せ た
らいいのか分らなかった。
両 親 は 愛 で 以 て 付 き 添 っ て き た が、 子
供はいつもお金を盗んでは麻薬を買っ
た。 麻 薬 が 常 習 に な っ て 何 年 に も な る な
ら 法 に 裁 か れ る こ と を、 高 肇 良 は 提 案 し
た。 さ も な け れ ば、 苦 痛 は 際 限 な く 繰 り
返されるだろう。
20
慈済ものがたり
2016・12
21
ざ や っ て 来 た。 母 親 は 泣 き 通 し で、 父 親
1、規則正しい生活 2、正しい感情を抑える方法の習得 3、悪い場所に近づかない 4、知らない人から飲み物やタバコ
をもらわない
5、覚醒やダイエットは薬物に頼ら
ない
6、絶対に好奇心で麻薬に手を出さ
ない
の家族が彼の店まで支援を請いに来る時
麻薬防止六カ条
同級生はいるだろうか?
高 肇 良 が 刑 務 所 で 講 演 し た 時、 小 学 校
題 に 遭 遇 し て い る、 と 高 肇 良 は 言 う。 お
金 が な い た め に 家 族 を 殺 め た り、「 果 て
は 中 毒 者 や 親 が、 耐 え ら れ ず に 自 殺 に 追
い。「 家 が ど ん な に 金 持 ち で も、 い つ か
り 借 金 す る が、 借 金 し て も 返 す 当 て は な
る。 麻 薬 を 買 う た め に 盗 み や 強 盗 を し た
なく人々を陥れていることが見て取れ
は 十 人 を 下 ら な い。 そ こ か ら 麻 薬 が 際 限
知 り 合 っ た 友 人 に 偶 然 出 会 っ た。 そ の 数
は 受 刑 者 と 長 年 に 渡 っ て 文 通 し、 出 所 し
よ く 付 き 添 っ て い く し か な い の だ。 時 に
る わ け で は な く、 励 ま し と 包 容 力 で 根 気
良 は 言 う。 種 を 蒔 い た ら そ の 成 果 が 見 え
で植物を育てるようなものです」と高肇
者 に 付 き 添 う こ と は、「 干 上 が っ た 土 地
長 期 間、 仮 釈 放 さ れ た 麻 薬 中 毒 の 更 生
い込まれるのです」と話す。
は麻薬で何もかもなくしてしまいます」。
た 後 は 引 っ 越 し や 職 探 し、 社 会 に 復 帰 す
や 中 学 校 の 同 級 生 や、 服 役 し て い た 時 に
麻薬中毒は個人の健康を害するだけでな
るための日常生活を取り戻す手伝いをす
る が、「 し ば ら く す る と ま た 元 の 木 阿 弥
22
慈済ものがたり
2016・12
23
く、社会問題にまで発展する。
麻薬常習者の八割の家庭はそういう問
●肩を叩き、背中をさすり、相手を理解して抱擁をしてあげる。高肇良
の腕の中にいる少年院の子供は彼の踏み誤った過去を思い出させた。耳
元で「真面目に務めなさい。出たら二度と戻って来てはいけない」と囁
いた。
を 取 り 直 し、 自 分 を 信 じ る よ う に し て い
る 講 師 に 招 か れ て い る ほ か、 普 段 か ら 彰
高肇良は彰化県麻薬危害防止を宣伝す
薬撲滅の宣伝を行っている。
る。「 簡 単 に 打 ち 負 か さ れ て い た ら、 次
化県社会福祉課の職員と麻薬更生者を訪
で す 」 と 言 う。 高 肇 良 は 心 が 痛 む が、 気
の人に付き添って行くことはできませ
問 し て い る。 ま た、 彰 化 更 生 保 護 協 会 は
無 利 息 で ロ ー ン を 提 供 し て お り、 心 底 か
ん」
こ の 三 年 間、 彰 化 地 方 検 察 庁 は 毎 月、
近 年、 麻 薬 は 以 前 よ り も 氾 濫 し て お
ら更生しようとしている人が高肇良に見
テ ィ ア 活 動 に 参 加 さ せ て い る。 中 に は 刑
り、 高 肇 良 は 心 が 重 い。 彼 が 中 学 生 の 時
刑期満了を迎える仮釈放の受刑者数十人
期 が 終 了 し て も、 引 き 続 き ボ ラ ン テ ィ ア
はアンフェタミンは刑罰に値しない三級
習って愛玉子ゼリーの店を出す手助けを
と し て 通 っ て い る 人 も い る。 現 地 の 慈 済
危 険 薬 物 に 指 定 さ れ て い た が、 後 に 二 級
を定期的に慈済のリサイクルセンターに
ボランティアは彰化県教育署の同意を得
危 険 薬 物 に 改 正 さ れ た。 今、 学 生 の 間 で
している。
て、 県 内 の 二 百 十 五 カ 所 の 小 中 学 校 で 麻
す の は 勇 気 と 願 力 が 必 要 で あ る。 高 肇 良
来 さ せ、 資 源 の 回 収 や 分 類 な ど の ボ ラ ン
流行っている三級危険薬物のケタミンが
はそれを機に他人に警告を発すると同時
長 年、 福 音 厚 生 の 旭 光 会 を 主 催 し て き
将 来、 二 級 危 険 薬 物 に 指 定 さ れ た ら、 も
科を残すことになる。彼はそうなる前に、
た 劉 民 和 牧 師 が 言 っ て い る よ う に、 麻 薬
に自分をも戒めている。
一 時 の 好 奇 心 か ら 健 康 を 害 し た り、 法 に
は「 全 人( そ の 人 の 全 て )」 を 破 壊 し て
っ と 多 く の 若 者 が 刑 事 責 任 を 問 わ れ、 前
触 れ る こ と が な い よ う に な れ ば、 と 思 っ
し ま い、 時 間 と 愛 と 忍 耐 が あ っ て 初 め て
のは容易なことではない。
更 生 に 成 功 す る の で あ る。 そ の 道 を 歩 む
ている。
全ての講演は自分に言い聞かせる
ま た、「 道 を 急 ぐ 雁 」 と い う 全 人 ケ ア
経 験 の あ る 人 は い つ も「 一 時、 麻 薬 に
続 け て 二 十 年 や 三 十 年 に な る 人 は、 更 生
き 添 っ て い る 劉 昊 牧 師 も、「 麻 薬 を 使 い
もの
手を染めたら、更正するのに一生かかる」
にも十年や二十年かけて初めて成功する
セ ン タ ー を 創 設 し、 出 所 し た 更 生 人 に 付
と 言 う。 大 衆 に 向 か っ て 自 分 の こ と を 話
24
慈済ものがたり
2016・12
25
● 約 7 年 前、 高 肇 良( 後 列 中 央 ) は
彰 化 二 林 刑 務 所 を 出 所 し た。 今 は 慈
済ボランティアたちと定期的にこの
刑 務 所 で 講 演 し、「 高 先 生 」 と 呼 ば
れている。
と 言 え ま す が、 完 全 に 更 生 し
たと言えるのは死んだ時で
す」
高肇良は最後に出所した後
も 時 々、 悪 夢 に う な さ れ て 目
覚 め た。 夢 の 中 で 警 察 の 車 に
座 っ て い た。 か つ て 母 親 が 鉄
格 子 の 扉 を 作 り、 家 に 閉 じ 込
めて更生させようとしたこと
が あ る。 そ の 期 間、 禁 断 症 状 の た め に 大
小 便 を 失 禁 し、 母 親 が そ れ を 始 末 し て く
れ た。 高 肇 良 は 両 親 が 彼 を 見 捨 て な か っ
た か ら、 新 た な 人 生 を 歩 む こ と が で き た
と 感 謝 し て い る。 昨 年、 彼 は 麻 薬 更 生 者
と し て 麻 薬 防 止 活 動 に 参 加 し、 総 統 直 々
にから「旭青賞」を受け取った。
高肇良は自分が歩んで来た道を大切に
す る と 共 に、 自 分 の 責 任 と 使 命 を 弁 え て
い る。「 私 が 活 動 を や め る こ と は 大 勢 の
人 を 傷 つ け る こ と で あ り、 全 て の 人 が 自
信 を 失 う で し ょ う 」。 今、 麻 薬 防 止 活 動
26
慈済ものがたり
2016・12
27
を し て い て も、 彼 は 常 に 気 を 引 き 締 め て
自分に言い聞かせている。
麻薬離脱したい
全国自治体麻薬防止センター 更生ホットライン:0800 − 770 − 885(台湾)
または、衛生福祉部指定の薬物中毒治療医療機
関の薬物中毒更生科もしくは精神内科での診察
を勧める。
友の勧告を聴いて
◎ 文・李 委 煌 訳・慈 願 撮 影・黃 筱 哲
麻薬を売って稼いだ金で母に孝行した
母 は「 汚 れ た 金 な ん か い ら な い 」 と 突 っ
返した。その言葉を聞いて苦しかった。
家の暮らしをよくしようと思っていた
が、 そ れ が 多 く の 家 庭 に 危 害 を 及 ぼ し た
ことを知らなかった。
今 は 誰 も 私 を 信 じ て く れ な い が、 私 を
愛する人を失望させないと決めた。
● 高 肇 良 と 受 刑 者 が 交 わ し た 手 紙。 常 に 5 0 人 以
上 と 文 通 し て い る。 激 励 や 勧 告、 證 厳 法 師 の 開 示
に よ っ て 啓 発 し て い る。 更 生 を 決 意 し た 人 は 善 に
向 か い、 彼 も そ の 一 人 だ っ た。 彼 は 刑 務 所 を 出 る
と 実 家 へ は 帰 ら ず、 彰 化 に 向 か い、 高 肇 良 の 支 持
と 協 力 に よ っ て、 徹 底 的 に 麻 薬 と 悪 友 の 誘 惑 か ら
逃れた。
私 は 台 南 明 徳 外 監 役( 刑 務 所 ) に 設 置
された麻薬患者更生収容所で高肇良さん
と 知 り 合 っ て 以 来、 三 年 に わ た っ て 文 通
を 続 け て い ま し た。 今 年 の 六 月 に 三、四
日 の 仮 保 釈 が あ っ た の で、 急 遽 彰 化 へ 高
肇 良 さ ん に 会 い に 行 き ま し た。 屏 東 の 実
家 を 離 れ た 時 は、 周 り の 人 た ち の 目 を 気
に は し て い な か っ た が、 ま た 麻 薬 の 道 に
後戻りするかもしれないと恐れていまし
た。
これまで刑務所を出たり入ったりしま
し た。 釈 放 さ れ て 家 に 帰 っ て く る 度 に 悪
友 が 訪 ね て き て、 麻 薬 を く れ た り、 麻 薬
販売に誘いました。誘いを断れない度に、
「あと何回かやってお金が貯まったらや
め よ う 」 と 思 い ま し た が、 結 局 や め ら れ
ませんでした。
こ の 環 境 と 悪 友 か ら 逃 れ よ う と 桃 園、
中 壢、 新 北 市 の 中 和、 土 城 な ど で 働 き ま
し た が、 ま た 見 つ か っ て し ま い ま し た。
一、二 度 断 っ て も 再 び 元 の 木 阿 弥 で す。
そして台湾を遠く離れたベトナムで事業
を 起 こ し、 悪 友 か ら き っ ぱ り 離 れ よ う と
思 っ て 行 き ま し た が、 外 国 で も こ の 深 い
罠に飛び込むことになるとは思いもより
ま せ ん で し た。 こ の 道 に 踏 み 込 ん だ 後、
事 業 を ほ っ た ら か し て、 カ ン ボ ジ ア か ら
麻 薬 を ベ ト ナ ム に 運 び、 ま た も や 麻 薬 売
28
慈済ものがたり
2016・12
29
買の暴利を貪るようになってしまいまし
人たちを失望させてはならないと思いま
再 生 の 道 に 踏 み 出 し、 自 分 を 愛 し て い る
自分に再生の機会をあたえて
した。
た。
そ の 後、 六 人 の 運 び 屋 が 逮 捕 さ れ た の
に シ ョ ッ ク を 受 け て 目 が 覚 め、 こ れ 以 上
や っ て は い け な い と 思 い ま し た。 中 で も
麻 薬 売 買 は 無 期 懲 役 か 死 刑 で す か ら、 再
私は十五歳の時に少年院に入って以
く れ た 借 家 に 入 っ て、 彼 の 運 転 で 仕 事 を
郷 へ 行 き ま し た。 高 肇 良 さ ん が 見 つ け て
母 と 姉 に 付 き 添 わ れ て、 彰 化 県 の 永 靖
来、 銃 刀 法 違 反、 傷 害、 麻 薬 な ど の 罪 で
探 し に 行 き ま し た。 鉄 工、 は ん だ 付 け、
び台湾へ帰りました。
刑 務 所 を 出 た り 入 っ た り し ま し た。 こ の
この間はどんなに忙しくて遅く寝て
園 芸 農 家 の 運 搬 係 り な ど を 回 っ て、 最 後
た こ と で、 家 族 全 員 を 苦 し め て い た の で
も、早朝七時半には必ず目が覚めるのは、
期間を数えてみたら十年以上になってい
す。ですから高肇良さんの経験に頼って、
危 な い 橋 を 渡 っ て 儲 け た お 金 な の に と、
に看板屋でやっと採用されました。
過去の四年間身についていた刑務所生活
恨みに思いました。
ま し た。 私 一 人 が 麻 薬 と い う 犯 罪 を 犯 し
の 習 慣 で し た。 自 分 の 労 力 に よ っ て 得 た
か に 思 い も 及 ば ず に い た の で す。 今 は 更
こ れ が 当 時 の 無 知 な 私 の 考 え 方 で、 た
生 し た 新 た な 人 生 の 中 で、 麻 薬 常 習 者 を
お 金 は 少 な く て も 喜 び が あ り、 安 心 し て
以前儲けた大金を好き勝手に使ってい
感 化 し よ う と 決 心 し ま し た。 一 人 を 感 化
だ金儲けをすればいいと思っていたので
た 時 は、 か っ こ い い と 思 っ て い ま し た。
できれば一つの家庭が救われるのだか
使 え、 後 ろ め た さ が あ り ま せ ん。 今 の 私
しかしそのお金で孝行しようと母に渡し
ら。
す。 そ の 背 後 で ど れ だ け の 家 庭 に 危 害 を
た 時、「 こ ん な 汚 い 金 を ど う し て 使 え る
台 湾 の 法 律 は、 た だ 処 罰 だ け に 重 き を
は 三 十 歳 で、 ま だ 若 く、 再 生 の 機 会 が 残
の? こ れ は 多 く の 人 を 陥 れ た お 金 で し
ょ う 」 と 言 わ れ、 心 が 痛 み ま し た。 普 通
お い て い る た め、 刑 務 所 は い つ も 満 員 で
与 え て い た か、 そ し て 幸 せ を 奪 っ て い た
の 人 と 同 じ よ う に 儲 け た お 金 で、 家 族 が
す。 な ぜ 犯 罪 率 が こ ん な に も 高 く、 更 生
っているはずだと思いました。
少 し で も 楽 に な る と 思 っ た の に。 し か も
30
慈済ものがたり
2016・12
31
で す が、 心 か ら 手 を 差 し 伸 べ る 人 は い る
習者は更生したいと切実に望んでいるの
率 が 低 い の で し ょ う か。 そ の 実、 麻 薬 常
同室で同じく仮保釈の人に出会いまし
な り ま せ ん。 前 回 に 帰 っ た 時、 刑 務 所 の
所へ行って保護責任者と面談しなければ
ま た 仮 保 釈 中 は、 毎 月 屏 東 の 地 方 裁 判
た。 彼 は 私 の 耳 元 で、「 ま だ 少 し だ が こ
でしょうか。
たとえ手を差し伸べる人があったとし
ん で し た。 日 中 は 出 勤 し て 仕 事 に 励 み、
た だ け で な く、 思 い 出 し た く も あ り ま せ
回、 刑 務 所 を 出 て 麻 薬 に 興 味 が な く な っ
く し、 人 目 を 気 に し て い る か ら で す。 今
ら、 刑 務 所 に 入 っ て い た こ と で 自 信 を な
で も 彰 化 に 来 な さ い。 歓 迎 す る か ら 」 と
し も き っ ぱ り 麻 薬 か ら 離 れ る な ら、 い つ
後 悔 し て も 取 り 返 し が つ か な い か ら。 も
所 を 出 た り 入 っ た り し て い た ら、 最 後 に
ら は 絶 対 麻 薬 に 触 る な。 こ の 人 生 で 刑 務
私 は「 同 房 の よ し み で 言 う が、 こ れ か
っそりやっているよ」と言いました。
休日は高肇良さんやボランティアたちと
言いました。
て も、 そ の 手 を 受 け 止 め ら れ な い と し た
学校や刑務所に行って麻薬撲滅を訴えて
います。
やっと探した仕事も続けることができな
今 年 の 九 月、 彼 は 彰 化 の 員 林 で 重 大 な
ず、 体 の 傷 が 癒 え た ら ま た 社 会 に 戻 っ て
大きな試練に遭っても彼は不運だと思わ
再度の試練
自 動 車 事 故 に 遭 い ま し た。 肋 骨 が 六 本 骨
頑張ると言いました。
く な り ま し た。 社 会 に 出 た ば か り で こ の
折 し、 鎖 骨 は 粉 砕 性 骨 折 し、 救 急 セ ン タ
彼 の 鎖 骨 に は 鋼 が は め 込 ま れ、 肋 骨 は
着 い て 療 養 に 専 念 し、 健 康 に な っ た ら ま
ー に 送 ら れ、 痛 み に 耐 え な が ら、 高 肇 良
母 と 姉 が 駆 け つ け る 前 に、 慈 済 ボ ラ ン
た彰化へ行って仕事とボランティアをす
大 分 よ く な っ て い ま す が、 日 常 生 活 は 家
テ ィ ア は 家 族 の よ う に 付 き 添 い、 高 肇 良
る の だ と 意 気 込 み、 高 肇 良 と ボ ラ ン テ ィ
さんと慈済ボランティアに連絡してくれ
さんは更生人関心基金会に援助の申請を
アたちも一日も早くその日のくるのを待
族 の 手 を 借 り な く て は な り ま せ ん。 落 ち
し て く れ ま し た。 二 週 間 入 院 し た 後、 屏
っています。
るように頼みました。
東の実家へ帰って療養しなければならな
いので、やむなく彰化の借家を引き払い、
32
慈済ものがたり
2016・12
33
薬物は薬にあらず無用な物
年 目 を 迎 え た 。 法 務 部 、教 育 部 、衛 生
◎文・李委煌/訳・黒川章子/撮影・黃筱哲
「 麻 薬 に N O と 言 え る 私 」 と い う ス ロ
ー ガ ン を 掲 げ、 慈 済 は 薬 物 乱 用 防 止 活 動
福祉部などの政府機関と協力し、台湾
慈済の薬物乱用防止活動は今年で七
を こ の 七 年 間 で 七 千 回 行 っ て き た。 ま る
全土のボランティアと更生した人達
優に七千回を越える。
動に参加したりしてきた。その回数は
たり、ほかのさまざまな団体の宣伝活
リ施設へ赴いてキャンペーンを行っ
は 軍 の 基 地 や 学 校 、地 域 社 会 、リ ハ ビ
で 予 防 接 種 の よ う に、 青 少 年 に 誘 惑 を 断
ち切る勇気を投与してきたのであった。
●慈済の薬物乱用防止指導員が映像、道具
を使い、物語を交えて説明している。児童
は集中して聞いている。
九月の新学年スタートシーズンに合
わせ、慈済の教師連合会のボランティ
アが台北から雲林県まで南下しなが
ら、各県合計四十五カ所の小学校でキ
ャンペーンを実施する。子供達に薬物
が与える危害について指導し、都市の
近くであろうと離れていようと場所
を選ばずその危険が及んでいること
を知らせるのだ。
「純朴な人々にこそ、早いうちに『予
防接種』的なキャンペーンを行う必要
があります」と華南小学校学生部主務
の呉承樺は強調する。地方の子供達は
純粋であるが故に誘惑に乗りやすい
そうだ。このような活動はまさに「薬
34
慈済ものがたり
2016・12
35
●慈済ボランティアが学校内で薬物乱用防止キャ
ン ペ ー ン を 行 っ て い る。 小 学 生 に 1 0 分 ご と に ト
イ レ に い く 不 便 さ を 体 験 さ せ、 こ れ が「 他 命 」
の 及 ぼ す 危 害 だ と 理 解 さ せ、 み ん な で 薬 物 に 立 ち
向かおうと励ましている。
だ。 ま ず 自 分 が し っ か り す る こ と。 自 分
落ち着きを取り戻そう。
ず だ。 一 緒 に 健 全 な 家 庭 を 築 き、 社 会 に
新 統 計 資 料 で は、 こ こ 十 年 間 で 青 少 年 の
麻 痺 さ せ る も の で あ る。 警 察 行 政 署 の 最
タ ミ ン 」 な ど が あ る。 四 級 は 中 枢 神 経 を
呼ばれ、三級には「フルニトラゼパム」
「ケ
「アンフェタミン」「MDMA」は二級と
ン、モルヒネ、コカインは一級に属する。
段 階 に 分 け ら れ る。 注 射 器 を 使 う ヘ ロ イ
薬 物 危 害 防 止 条 例 に 依 れ ば、 薬 物 は 四
薬物一粒で一生紙おむつ
を見失ってはならないことが大事だ。
「麻
の場を通じて支援を始めることにしたの
心 を 持 つ 人 は 少 な い。 そ こ で 慈 済 は 教 育
者を支援したり資金協力をすることに感
自 得 だ と み な し、 更 生 し た い と 思 う 中 毒
が 取 ら れ て い な い。 人 々 は 中 毒 者 の 自 業
し、 誤 ち を 乗 り 越 え る か に つ い て は 対 策
誰 で も 知 っ て い る が、 ど の よ う に 拒 否
薬物には手を出してはいけないことは
える。
物乱用予防接種の第一回目」であるとい
K
三級薬物被害者が十五倍にも増えている
36
慈済ものがたり
2016・12
37
薬にNOと言える私」と呼びかけている。
1. 友人から誘われ断りきれなかっ たから
2. 好奇心から 3. ストレス解消のため
4. 挫折を味わったため
5. 家庭が温かくないから
誰でも薬物が及ぼす危害を知っているは
青少年が薬物を
使用する理由
● 最 近 の 薬 物。 飴 や コ ー ヒ ー ス テ ィ ッ ク を 装 っ て
偽 装 包 装 さ れ て い る。 警 察 の 摘 発 を 逃 れ、 包 装 を
変 え て 子 供 に 近 づ き 誘 惑 す る の だ。 ボ ラ ン テ ィ ア
と 児 童 た ち は、 劇 を 通 じ て 見 知 ら ぬ 人 か ら 飴 を ど
うぞと渡された時にどうしたらいいかを学習して
いる。
ことが明らかになった。
児童福祉連盟が今年十月に発表した調
査 結 果 で は、 約 十 六 % の 子 供 が 三 級、 四
級の薬物をどのように手に入れたらいい
か 知 っ て い る。 さ ら に 四 分 の 一 以 上 の 子
供 が、 も し 使 う と し て も 量 を 自 分 で 考 え
て 使 え る と 答 え た の だ っ た。 一 方、 そ れ
ら の 薬 物 に 手 を 出 し た 理 由 に は、「 挫 折
を感じたから」「家庭が温かくないから」
「ストレス解消のため」「好奇心」などが
あ っ た。 こ れ ら の 結 果 に は、 薬 物 を 求 め
るときには生理的要素よりも心理的要素
の方が大きく関係していることが表れて
いる。
38
慈済ものがたり
2016・12
39
●アルミホイルを丸め、元に戻すことがどれほど難しいか体験する子供
たち。ボランティアは一度中毒者になると人生がすべて狂ってしまうこ
とを伝えようとしている。
で周囲からどう見られているかが気にな
中 学 生 く ら い の 時 期 は、 好 奇 心 が 旺 盛
もある。正に「薬物一粒で一生紙おむつ」
こ と も あ り、 膀 胱 切 除 が 必 要 に な る 場 合
Cにまで減少して頻尿状態を引き起こす
法 務 部 の 統 計 で は、 未 成 年 者 が 初 め て
る も の で、 ま た、 衝 動 的 に 行 動 し た り、
い 価 値 観 を 持 つ 大 人 の 導 き が な い と、 後
中毒になる年齢で最も多いのは十二歳半
なのである。
先を考えずに薬物の誘惑に手を染めるこ
で あ っ た。 こ れ は 驚 く べ き 結 果 だ。 台 湾
誰 か の 真 似 を し た が る こ と が 多 い。 正 し
とにもなりかねない。
家 庭 で あ っ て も、 仕 事 が 忙 し い 両 親 が 子
受 け 取 り に 行 か せ る こ と が 多 い。 普 通 の
親 も 薬 物 中 毒 者 の 場 合、 子 供 を 薬 物 の
を背負っていることを知ったのだった。
の 受 刑 者 の 八、九 割 が 薬 物 に 関 係 す る 罪
膀 胱 壁 が 薄 く な り、 膀 胱 の 容 量 が 五 十 C
の障害は永久に治らないそうだ。同時に、
を 引 き 起 こ し て 急 死 す る 場 合 も あ る。 そ
退 し、 急 性 精 神 障 害、 ひ い て は 血 管 障 害
ても元の光沢のある平面に戻すことはで
ホ イ ル を 一 度 丸 め た ら、 ど の う よ う に し
り に 拡 げ て く だ さ い 」 と 言 っ た。 平 た い
人 を 呼 ん で、「 ホ イ ル を 丸 め て か ら 元 通
ア が 二 枚 の ア ル ミ ホ イ ル を 敷 き、 児 童 二
教 壇 の 上 に、 慈 済 教 連 会 の ボ ラ ン テ ィ
し て き た。 そ の 中 で こ の よ う に 次 の 世 代
少年院で保護観察下にある子供達を訪問
長期的に龍潭女子刑務所の受刑者と桃園
桃園市の慈済ボランティア・許玉姫は、
薬 物 乱 用 調 査 の 報 告 書 に よ る と、 手 に 入
供に申し訳ないという気持ちから法外な
き な い。 ボ ラ ン テ ィ ア は 子 供 達 に 呼 び か
最 近 世 間 を 騒 が せ て い る「 ケ タ ミ ン 」
金 額 の お 小 遣 い を 与 え た り す る と、 子 供
け た の だ。 中 毒 に な っ た 体 は こ の ア ル ミ
れた薬物の半分以上は同級生や友人から
は悪い友達に目をつけられて暴力団など
ホ イ ル と 同 じ な の だ と。 一 粒 ぐ ら い 試 し
を 例 に と る と、 こ の 薬 物 は 長 期 的 に 摂 取
に 利 用 さ れ、 罪 を 背 負 わ さ れ る こ と も あ
て も い い だ ろ う と い う 軽 い 気 持 ち で も、
渡されたという。
る。 両 親 が 気 づ い た 時 は す で に 後 の 祭 り
絶 対 に 試 し て は い け な い。 中 毒 に な る の
す る と 脳 が 萎 縮 し、 記 憶 力 と 思 考 力 が 減
なのだ。
姿を変える薬物
のだ。
の だ。 そ の 上 後 遺 症 に 一 生 苦 し め ら れ る
は 簡 単 だ が、 や め る こ と は 容 易 で は な い
警戒を怠らないように
40
慈済ものがたり
2016・12
41
あ り が と う ご ざ い ま し た。」 と 結 ん だ の
国 連 が 発 表 し た 昨 年 の 統 計 で は、 地 球
ある子供を持つ親からボランティアに
味をもったことがあると話していた息子
の全人口のうち二億人以上が薬物を使用
だ っ た。 こ の よ う な 思 い 出 が 慈 済 ボ ラ ン
が、 今 回 慈 済 ボ ラ ン テ ィ ア の キ ャ ン ペ ー
し て お り、 毎 年 平 均 少 な く と も 八 億 人 が
報 告 が 寄 せ ら れ た。「 す ご く い い 気 持 ち
ンに参加して薬物の恐ろしさがはっきり
薬 物 に よ り 亡 く な っ て い る そ う だ。 国 際
テ ィ ア を 励 ま し、 活 動 を 続 け る 力 に な っ
と 分 か っ た と 言 っ て く れ た そ う だ。「 や
貿 易 に お い て も、 貿 易 額 の 最 も 大 き な 三
に な れ る 」「 魂 だ け 宙 に 浮 い て い る み た
る べ き こ と を や る。 そ れ が 智 慧 で あ り、
大 商 品 は、 石 油、 武 器、 そ し て 薬 物 で あ
ていく。
で き な い の は 愚 か さ ゆ え で あ る 」。 こ の
るというのは真にやるせない現実であ
い」という麻薬常習者の言葉にとても興
静思語の言葉を息子は何度も繰り返して
も 使 用 す る の も 全 て 人 間 が 引 き 起 こ し、
る。 製 造 は も と よ り、 運 送、 販 売 す る の
そしてこの保護者はボランティアに
公共衛生にとって大きな問題を生み出し
いたそうである。
「 お か げ で 私 た ち 家 族 は 救 わ れ ま し た。
ているのだから。
最 近 は 新 し い 薬 物 が 続 々 と 出 て い る。
外 見 の 包 装 を 見 た だ け で は、 チ ョ コ レ ー
ト か 飴 か、 あ る い は テ ィ バ
— ッグかコー
ヒ ー ス テ ィ ッ ク、 そ れ と も 煙 草 だ ろ う か
と 見 間 違 っ て し ま う ほ ど 巧 み な の だ。 薬
物乱用防止の教育は学校だけにとどまら
ず、 家 庭 で も 警 戒 心 を 持 っ て 話 題 に す る
必 要 が あ る だ ろ う。 そ こ で 慈 済 教 連 会 の
ボ ラ ン テ ィ ア は、 キ ャ ン ペ ー ン 以 外 に 教
材 の 出 版 に も 着 手 し た の だ。 こ れ か ら も
要らないから要らない、とはっきり言葉や態度で表すこと。
自分のことは自分で決めるという道徳観を持っているからと
言う。
きまり悪そうに、体の調子が悪いから両親にとめられている、
と言う。
自分は気が小さいからそんなことはできないタイプだと言う
話題を変えて、相手の興味のありそうなほかの話をする。
逃げるが勝ち、悪いけど用事があるから先に帰ると言う。
42
慈済ものがたり
2016・12
43
指 導 員 を 要 請 す る な ど、 活 動 の 場 所 を 広
げ、力を注いでいく所存である。
友達から誘われた場合
どうしたらいいか?
【人文風景】
林君英
色鮮やかな車が僻地に愛を届ける
僻地に愛を届ける動く城
おもちゃで喜びを届け続ける
一家四人が力を合わせ
子供のほか、高齢者や社会的弱者にも
◎文・葉奕緯/訳・黒川由希/撮影・顔松柏
林君英
僻地に愛を届ける動く城
慈済ものがたり
44
遊
び は 子 供 の 権 利 で す。 夢 は 遊 び か
ば な い か と 呼 び か け て い る。 こ の「 夢 想
つ つ、 一 方 で 子 供 た ち に モ ノ ポ リ ー で 遊
か ら 聞 こ え て く る。 左 側 で は お と な し め
集 ま っ て い る。 は し ゃ ぎ 声 の 多 く は こ こ
線が右側の大きなビニール製の滑り台に
う。 窓 か ら の ぞ き 込 む と、 子 供 た ち の 視
する現代的な玩具を携えて先住民の村に
最 初 は、 漢 人 文 化 を 象 徴 し、 伝 統 と 衝 突
製 の 玩 具 を 子 供 た ち に 贈 っ た。 し か し、
し て 僻 地 の 集 落 を 訪 れ、 各 国 の 玩 具 や 手
十 年 前、 彼 は 台 湾 で 初 め て バ ン を 運 転
移動玩具車で僻地集落へ
遊園地」の創設者、林君英さんだ。
ら始まります」
陽 光 が 窓 の 一 隅 に 降 り 注 ぐ。 は し ゃ ぎ
声 が 教 室 中 に 広 が る。 い や、 教 室 と い う
よ り む し ろ「 遊 び の 楽 園 」 と い う 言 葉 の
の 子 供 た ち が ブ ロ ッ ク を 囲 ん で お り、 そ
入 っ た こ と が、 当 然 な が ら 意 見 の 相 違 を
ほ う が、 こ の 場 の 状 況 に ふ さ わ し い だ ろ
れ ぞ れ 両 親 が 付 き 添 っ て い る。 中 央 に は
引き起こした。
林さんがおもちゃを持って僻地を訪れ
「夢想遊園地」の文字入りのシャツを着
た 男 性。 保 護 者 に 中 古 玩 具 の 寄 付 を 募 り
も ち ゃ を 作 る も の で す。 た と え ば、 消 し
「 実 際、 子 供 な ら 誰 で も 自 分 だ け の お
介すると、長老たちの考えは変わった。
れ て 行 き、 各 国 の 独 創 的 な お も ち ゃ を 紹
林さんが長老たちを移動玩具車の前に連
対して興味を失うのを危惧した。しかし、
新 し さ に 惹 か れ、 手 づ く り の お も ち ゃ に
た。
国外などの子供たちに中古の玩具を届け
ループを組織して、僻地や先住民の集落、
ッ ク 」 活 動 に も 協 力 し、 ボ ラ ン テ ィ ア グ
し て い る。 そ の 後、 彼 は「 愛 の バ ッ ク パ
を 除 け ば、 台 湾 中 の 僻 地 に そ の 足 跡 を 残
移 動 玩 具 車 は、 金 門、 馬 祖 な ど の 離 島
林さんは誇らしげに言った。
とが分かったんです」
ゴ ム で サ イ コ ロ を 作 っ た り ね。 遊 び は 人
「 我 々 は、 二 年 前 に 香 港 の 映 画 俳 優 の
る た び、 村 の 長 老 た ち は、 子 供 た ち が 目
の 天 性 で す。 制 限 さ れ、 押 さ え つ け ら れ
動 玩 具 車 に 乗 り 込 み ま し た。 車 体 に 描 か
舒淇さんから夢想遊園地に寄贈された移
に各国のおもちゃの仕組みを紹介しまし
れ た、 鮮 や か な 緑 色 と 青 色 の ほ ほ え む 地
て い る だ け な ん で す。 僕 は 村 の 長 老 た ち
た。 そ れ で 彼 ら も 僕 の 持 っ て き た お も ち
球 は、 絵 本 作 家 の 幾 米 さ ん が デ ザ イ ン し
ジミー
ゃ が、 子 供 の 創 造 力 を 喚 起 す る と い う こ
46
慈済ものがたり
林君英
僻地に愛を届ける動く城
「
す る ロ ゴ と な っ て い る。 車 中、 林 さ ん は
た も の で す 」。 今 で は 夢 想 遊 園 地 を 代 表
す向かいの二号倉庫の建具はすべて木と
子 供 が 踏 む フ ロ ア マ ッ ト な ど が あ る。 は
場 で 私 た ち に 手 編 み の セ パ タ ク ロ ー( 籐
釘 で 作 ら れ て い る。 こ れ は お 父 さ ん の 林
の事務所は台北青年公園の隣にある軍営
球 ) の 作 り 方 を 教 え て く れ た。 時 間 が あ
始 終 笑 顔 で、「 僕 た ち は ゲ リ ラ な ん だ 」
の 跡 地 で、 地 区 の 里 長 が 彼 に 貸 し た も の
る 時 は、 さ ま ざ ま な 場 に 出 向 い て 教 え て
文 忠 さ ん の 手 づ く り で、 文 忠 さ ん は そ の
だ が、 台 北 市 は そ こ を 公 営 住 宅 に す る つ
い る。 高 齢 の 文 忠 さ ん も 実 際 の 行 動 で 子
と 言 う。 と い う の は、 現 在 の 夢 想 遊 園 地
も り で、 そ の う ち 立 ち 退 き を 求 め ら れ る
供たちの理想を支えている。
林さんは自治体の設置した親子館とも
古いおもちゃに新しい生命を
可能性が高いのだ。
車を事務所の脇に着け、荷物を下ろす。
左側の一号倉庫は他の団体と共有する十
お も ち ゃ で い っ ぱ い だ。 三 万 元( 一 元 は
協 働 し て い る。 彼 は 私 た ち に 親 子 館 の 中
坪 の ス ペ ー ス で、 中 は 僻 地 に 持 っ て 行 く
約三・五円)もするトランポリンが十台、
中古玩具に新舞台
●( 上 図 ) 林 さ ん は 台 北 市 内 の 東 区 地 下 街 に 青 と 緑 の マ
ットを敷いて、親子の遊び場を作った。
●( 下 図 ) 青 年 公 園 横 の 軍 営 跡 地 が 林 さ ん の 事 務 所 だ。
屋外には恐竜のボックスを置いて中古玩具を寄贈しても
ら っ て い る。 2 7 項 目 に 分 類 し た お も ち ゃ を 透 明 な ペ ン
ケ ー ス に 詰 め、 バ ー コ ー ド を 付 け て、 僻 地 の 学 校 に 行 っ
た時、子供たちに貸し出ししている。
48
慈済ものがたり
を 案 内 し て く れ た。 壁 に は 世 界 各 国 の 国
ご と 遊 び に 使 う 小 部 屋 な ど も あ る。 緑 色
あ り、 子 供 が 上 に 立 っ た り、 想 像 上 の 建
のラベルは中古の玩具であることを示し
ケ ー ス に は、 林 さ ん が 各 国 か ら 収 集 し た
物 を 作 っ た り す る こ と が で き る。 彼 が 大
旗 や 景 勝 地 の 写 真 が あ っ て、 子 供 た ち が
お も ち ゃ が 置 か れ て い る。 マ レ ー シ ア の
好 き な お も ち ゃ の 一 つ だ。 傍 ら の 棚 に は
て い る。 壁 の そ ば に は、 林 さ ん が 特 別 に
マ ン カ ラ( ゲ ー ム )、 香 港 の 虎 頭 帽、 日
クリーニング済の透明のペンケースが詰
写 真 を 撮 れ る。 傍 ら に は そ れ ぞ れ の 国 の
本のでんでん太鼓、韓国のめんこなどだ。
ま っ て い る。 こ れ は ナ ン バ リ ン グ し て バ
抜 型 工 場 で デ ザ イ ン し た「 紙 れ ん が 」 が
そのそばの床には八の字型のボールプー
ー コ ー ド を 付 け て 使 う。 移 動 玩 具 車 が 僻
伝 統 衣 装 が 飾 ら れ て い る。 壁 際 の ガ ラ ス
ル。 池 か ら ボ ー ル が 溢 れ な い よ う な 設 計
地 の 学 校 で 活 動 を 行 っ た 際 に、 家 で も 遊
べるようにおもちゃを貸し出しているの
になっている。
プ レ イ ホ ー ル に 入 る と、 床 に は パ ズ ル
が、 現 在 で は 二 十 七 項 目 に な っ て い る。
ちゃは当初十六項目に分類されていたの
い 玩 具 が 所 狭 し と 並 べ ら れ て い る。 お も
れ て い る。 プ ラ ス チ ッ ク の 滑 り 台、 ま ま
い た 李 昇 両 さ ん は、 こ こ で お も ち ゃ の お
レ イ 棚 に 変 身 だ。 以 前 は 機 械 修 理 を し て
枚 か 増 や し、 標 本 瓶 を 置 け ば、 デ ィ ス プ
る。 古 い 洋 服 ダ ン ス の 中 に ベ ニ ヤ 板 を 何
保 管 室 に 入 る と、 ま だ 分 類 さ れ て い な
だ。
おもちゃのクリーニングのやり方も決ま
医 者 さ ん を し て い る。「 お 客 さ ん の 多 く
マ ッ ト。 青 と 緑 が 入 れ 違 い に 敷 き 詰 め ら
っ て い て、 水 に 浸 し て 刷 毛 で 洗 っ た ら 自
る わ け で は な く、 大 切 な 思 い 出 を 残 し た
は、 お も ち ゃ そ の も の の 価 値 を 求 め て 来
こ の ほ か、「 お も ち ゃ の お 医 者 さ ん 」
いといって古いおもちゃを直しに来るん
然乾燥し、乾いたら分類してしまう。
(
です」と話す。
)団体と連携している。「おもち
Dr.Toy
ゃ の お 医 者 さ ん 」 は 毎 週 火 曜 日、 木 曜 日
林 さ ん も 笑 っ て 言 う。「 私 は シ ス テ ム
私はよく元の部品を探してきて組み立て
に親子館でおもちゃを修理してくれるほ
物 を 大 切 に す る 気 持 ち を 育 て て い る。 た
る わ け で す が、 お も ち ゃ の 医 者 は 他 に は
派 で お も ち ゃ の 医 者 は 実 務 派 な ん で す。
とえば自家製の天然蜜蝋ワックスを木の
な い 代 替 品 を 作 る の で、 最 後 は 使 う の が
か、その他の時間は新泰小学校に行って、
器 具 に 塗 る の は、 衛 生 と 保 護 の 効 果 が あ
50
慈済ものがたり
林君英
僻地に愛を届ける動く城
●学校だけでなく僻地や被災地にもはるばる足を
運ぶ。対象はお年寄りにも広がっている
もったいなくなってしまうんです」
心のこもった玩具で
病気の子供やお年寄りに寄り添う
移動玩具車が赴く先は学校だけではな
い。末期癌の子供が入院する病院もある。
林 さ ん は、 い ろ い ろ な 色 の プ ラ ス チ ッ ク
の 椅 子 を 並 べ、 床 に 電 車 の レ ー ル を 置 い
て、 病 室 を お も ち ゃ の 部 屋 に 様 変 わ り さ
覚障害児のためのケーキ」を作ろうと考
せ て し ま う。 全 身 に 点 滴 の 管 を 付 け、 顔
全 体 を マ ス ク で 覆 っ て は い て も、 遊 び た
だ。 林 さ ん は 触 感 の あ る ケ ー キ を 作 ろ う
え て い る。 視 覚 障 害 の 子 供 は ケ ー キ の 匂
林さんはまた骨肉腫の患者のために
と ア イ デ ィ ア を 巡 ら せ て い る。 夢 想 遊 園
いと思う生まれつき備わっている心は変
「 骨 細 胞 」 人 形 も デ ザ イ ン し た。 分 か り
地のボランティアたちもそれぞれ特技を
い を か い だ り、 味 わ う こ と は で き る が、
やすい説明と癌細胞をかたどった人形
持 っ て い る。 曽 鑠 鑠 さ ん は、 ベ ビ ー シ ッ
わ る こ と は な い。 小 さ な 瞳 が き ら き ら 輝
で、 自 分 た ち が 入 院 し て い る 原 因 や 自 分
タ ー の 試 験 の 際 に 林 さ ん と 知 り 合 い、 協
ケーキに触ってもとろけてしまうだけ
の身体の状況を理解できるようになって
会 の 理 事 と な っ た。 時 間 が あ る と 壊 れ た
く。
いる。現在「手脚の切断人形」を開発中で、
お も ち ゃ を 縫 い 直 し た り、 外 で の 展 示 の
際に使うディスプレイ器具などを準備し
ス ォス ォ
義手や義足を使用している子供に贈る予
定 だ。 こ う し た 人 形 の 教 育 的 意 義 は 大 き
た り し て い る。 邱 育 溱 さ ん は 以 前 は 北 投
親 子 館 の 館 長 を し て お り、 両 親 と 子 供 を
い。
さ ら に、 手 づ く り の 布 の 裁 断 機 で「 視
52
慈済ものがたり
林君英
僻地に愛を届ける動く城
● 林 さ ん の 父 親 は タ イ の セ パ タ ク ロ ー を 改 良 し て、
作りやすい編み方を考えた。
連 れ て 僻 地 へ の 活 動 を 行 っ て い る。 彼 女
は手脚の動作をコントロールできない脳
性 麻 痺 の 子 供 に 会 っ た こ と が あ る。 ト ラ
ンポリンを見て興奮して意志の力でトラ
ンポリンによじ登って遊んでいたこと
に、 心 を 打 た れ た。 一 緒 に 来 た 子 供 も ボ
ラ ン テ ィ ア と い う 意 識 は な く、 た だ 友 達
と一緒に遊んでいるという感覚だ。
こ こ 数 年、 林 さ ん は 子 供 の た め の 新 し
い お も ち ゃ を 研 究 開 発 し た り、 視 察 し た
を 入 れ て い る。 た と え ば、 お 年 寄 り を 対
緒に国際シルバーゲーム大会に参加して
後 は 香 港 の お 年 寄 り を 台 湾 に 招 い て、 一
り す る 以 外 に、 大 人 用 玩 具 の 改 善 に も 力
象 と し た シ ル バ ー ゲ ー ム 大 会 を 開 催 し、
林さんがお年寄りのためのゲームを作
もらいたいと考えている。
ん で も ら っ た。 知 育 ゲ ー ム の ク イ ズ や 説
る の に は わ け が あ る。「 台 湾 で は 多 く の
四 色 牌、 ラ ミ ー、 マ ー ジ ャ ン な ど を 楽 し
明 書 は 拡 大 し、 ラ ミ ー の ル ー ル は 簡 略 化
人が年をとるとマージャンをするかテレ
ビ を 見 る か し か あ り ま せ ん。 記 憶 が 衰 え
て く る と、 マ ー ジ ャ ン の 打 ち 方 も 忘 れ て
し ま っ て、 毎 日 テ レ ビ を 見 て い る だ け に
な り ま す。 だ か ら、 お 年 寄 り に も 面 白 い
ゲ ー ム を た く さ ん 覚 え て も ら う こ と で、
記憶力が衰えてもできる遊びがあるよう
に し た い ん で す。 そ れ に よ っ て 家 族 と の
感情的なつながりも保ってもらいたいと
54
慈済ものがたり
林君英
僻地に愛を届ける動く城
し て、 お 年 寄 り に も 遊 び や す く し た。 今
●骨肉腫患者のために作った骨細
胞人形。
思っています」
二○○九年八月に台湾南部水害が発生
し た 時 も 林 さ ん の 姿 が あ っ た。 当 時、 南
一家四人が被災地を行く
ケ ア ス ペ ー ス を 設 置 し た。 子 供 玩 具 車 を
あ き ら め ず に 避 難 所 に た ど り 着 き、 幼 児
濫 す る な ど の 困 難 に 見 舞 わ れ た が、 彼 は
中、 高 速 道 路 が 渋 滞 し、 高 雄 の 愛 河 が 氾
っ た 彼 は、 す ぐ に 現 場 に 駆 け つ け た。 途
申 し 出 た が、 初 め は 日 本 の 自 治 体 職 員 は
のケア」の経験を仙台市でも行いたいと
を 取 り、 台 湾 南 部 水 害 に お け る「 被 災 児
一 人 で 被 災 地 へ 行 き、 自 治 体 職 員 と 連 絡
巨 大 津 波 が 発 生 し た。 そ の 後、 林 さ ん は
でマグニチュード九・〇の大地震が起き、
二 ○ 一 一 年、 日 本 の 宮 城 県 沖 の 太 平 洋
運 転 し て、 里 加、 新 美、 甲 仙、 那 瑪 夏、
反 対 し た。 当 時、 各 国 の N G O は よ い 支
部の被災者の置かれている状況が気にな
獅 子 郷、 林 辺 な ど の 被 災 地 を 巡 り、 大 人
援 の 方 法 が 見 つ か ら な か っ た。 し か し、
メートに被災地への励ましのメッセージ
た ち が 緊 急 救 助 に 手 一 杯 の 間、 彼 は い つ
双 方 が 共 通 認 識 に 達 し た 後、 林 さ ん は
を 募 っ た。 ぎ こ ち な い 日 本 語 で 書 か れ た
林君英は自治体職員に英語で企画書を説
台 湾 に 戻 り、 仙 台 市 へ の ボ ラ ン テ ィ ア を
百 枚 の カ ー ド は、 彼 ら の 手 で 仙 台 に 届 け
も と 同 じ よ う に、 避 難 所 の 中 の 子 供 の 面
募 っ た。 し か し、 当 時、 原 発 の 放 射 能 漏
られ、被災地の子供たちを励ました。「言
明 し、 日 本 側 も こ の 前 代 未 聞 の 方 法 を 試
れにより発がんリスクが極めて高いとい
葉 は 通 じ な く て も、 お も ち ゃ で 遊 べ ば す
倒を見た。
う 噂 が 広 ま っ て お り、 参 加 の 意 志 を 持 っ
ぐ に 仲 良 く な れ た し、 日 本 人 と 台 湾 人 の
い た。 東 日 本 大 震 災 の 時、 彼 ら は ク ラ ス
たボランティアたちも家族の反対であき
違 い は 何 も 感 じ ま せ ん で し た。 遊 び が 大
してみることにした。
ら め、 最 後 は 林 さ ん 一 家 四 人 だ け に な っ
好 き っ て こ と は 同 じ で す か ら 」 と、 ジ ャ
ッキーが補足した。
てしまった。
二人の息子は林さんの影響で僻地や病
っ て い た。 ア ン デ ィ( 長 男 の 林 邦 沢 ) と
供 た ち と ビ ー ズ 遊 び を し た。 さ ま ざ ま な
ラ ン テ ィ ア の 助 け を 借 り て、 林 さ ん は 子
仙 台 市 在 住 の「 台 湾 婦 女 会 」 の 通 訳 ボ
ジ ャ ッ キ ー( 次 男 の 林 邦 鼎 ) は、 小 さ い
色のビーズをピンセットでつまんで型枠
院で奉仕することを誇りに思うようにな
頃から父親と僻地や病院で活動を行って
56
慈済ものがたり
林君英
僻地に愛を届ける動く城
● お も ち ゃ の お 医 者 さ ん、 李 昇 両 さ ん は お も ち ゃ
を修理し、物を大切にする気持ちを育てている。
に入れ、自分の好きなデザインに並べる。
断熱紙を敷いてアイロンで伸ばしたらビ
ー ズ 画 の で き あ が り だ。 そ れ か ら、「 感
情 発 散 」 式 の 遊 び も あ る。 バ ラ エ テ ィ 番
組でよく見られる大きなビニールの球に
空 気 を 入 れ、 そ の 中 に 人 が 入 る。 そ れ を
他の人が押して回してストレスを発散す
る の だ。 滞 在 期 間 中、 仙 台 市 に は 各 国 の
機 関 が 視 察 に 訪 れ て い た た め、 ホ テ ル は
ど こ も い っ ぱ い だ っ た。 林 さ ん 一 家 は 簡
日 本 側 が プ ロ セ ス 全 体 に 習 熟 し た 後、 帰
に身を寄せ合って夜を過ごした。そして、
らおうと自費の千元で現地におもちゃを
ん は 遊 び を 通 じ て、 寂 し さ を 癒 や し て も
て い る と い う。 こ の こ と を 聞 い て、 林 さ
素 な 旅 館 に 泊 ま る し か な く、 一 枚 の 布 団
国した。
の医療に対する考えが変化に対応できて
読 書 で き る 場 を 作 っ て い た。 そ し て、 村
ジアの地元に図書館を開いて子供たちが
ボ ジ ア 人 と 知 り 合 っ た。 こ の 人 は カ ン ボ
っ た。 彼 は 幼 い こ ろ か ら 知 ら ず 知 ら ず 奉
ために用意していました」と林さんは言
た。 毎 日 テ ー ブ ル を 二 つ、 こ の 人 た ち の
は生活に困って身を寄せる人がいまし
「 祖 父 は 思 い や り 深 い 人 で、 我 が 家 に
届けることを決めた。
お ら ず、 精 神 障 害 者 に 対 し て 恐 怖 や 無 理
仕の精神を心に刻み込んだのである。
林さんはあるフォーラムで一人のカン
解 か ら、 彼 ら を 部 屋 に 閉 じ 込 め る な ど、
い た。 そ の こ と で、 彼 ら が 行 動 で き る 空
の 時、 エ デ ン 基 金 会 で C E O の 秘 書 を 務
ス シ ス テ ム の 管 理 を 手 伝 っ た。 二 十 八 歳
二 十 四 歳 の 時、 熱 傷 病 棟 の デ ー タ ベ ー
間 が 足 り な い だ け で な く、 彼 ら が 一 生 の
め、 組 織 内 部 の 作 業 を 担 当 し た。 こ れ ら
手荒な扱いをしているということに気づ
中でより多くの活動を行う可能性を奪っ
58
慈済ものがたり
林君英
僻地に愛を届ける動く城
を 捨 て て 非 常 勤 講 師 に な り、 中 古 玩 具 の
わ る 彼 は、 輔 仁 大 学 の 教 員 に な る 可 能 性
生 か さ れ て い る。 第 一 線 で の 活 動 に こ だ
の過去の経験が玩具の片付けの仕事にも
炎 に か か っ て い る こ と が 分 か っ た。「 私
留 め た。 し か し、 三 十 七 歳 の 時、 C 型 肝
すぐに緊急治療室に移されて一命を取り
い に も 当 時 病 院 で の 検 査 中 だ っ た た め、
こ の ほ か、 林 さ ん は 子 供 の 時 か ら リ ュ
た ち 夫 婦 は、 悪 い 心 の 持 ち 主 な ん で す 」
妻の邱秀玲さんは彼の事業を支え続け
ウ マ チ を 患 い、 天 候 が 変 わ る と 手 や 足 が
募 集 と、 子 供 た ち の た め に さ ま ざ ま な 特
て い る。 彼 女 は 主 に 事 務 系 の 業 務 を 担 当
痛 む。 食 事 の 時 に、 彼 が 痛 み 止 め を 飲 む
と ユ ー モ ア た っ ぷ り に 話 す が、 そ の 言 葉
し て い る。 数 年 前 に 超 音 波 検 査 中 に 腫 瘍
の を 見 た こ と が あ る。 昨 年、 海 外 で 大 病
殊なおもちゃを設計することに全力を傾
が 見 つ か っ た が、 幸 い 良 性 で、 切 除 後 は
を 患 い、 帰 国 後 も 仕 事 を 続 け た た め、 一
には苦労がにじんでいる。
回 復 に 向 か っ て い る。 林 さ ん は 三 十 二 歳
時 的 に 聴 力 を 失 っ た。 二 カ 月 の 治 療 を 経
けている。
の 時 に、 突 如、 臨 床 上 致 死 率 が 九 割 と い
て よ う や く 徐 々 に 聴 覚 が 戻 っ て き た が、
60
慈済ものがたり
林君英
僻地に愛を届ける動く城
う 急 性 心 筋 梗 塞 の 発 作 を 起 こ し た が、 幸
●この10年、林さんは移動玩具車で台湾中の僻地を巡り、日本や香港
まで足を運んできた。中国で部品の流通ルートを探し、カンボジアで実
践した。夢想遊園地を作った初志を胸に、おもちゃによって子供の中に
元々備わっている創造力を引き出している。
今でも若干音の聞こえが悪い。
学 校 で の 活 動 中、 リ ュ ウ マ チ で 足 が 痛
遊びから夢と愛を
ン ポ リ ン が あ っ た け ど、 一 回 百 元 だ っ た
「 な い。 こ れ が 初 め て。 前 に 夜 市 に ト ラ
た。「トランポリンで遊んだことある?」
お も ち ゃ が 学 び の 教 材 な の だ。 子 供 ボ ラ
とを忘れているからだ。林さんにとって、
違 え ど「 遊 び 」 も 一 つ の 学 び だ と い う こ
る か も し れ な い。 そ う 思 う の は、 方 法 は
移動玩具車は子供と一緒に遊ぶだけ
の。 お 金 な い か ら で き な か っ た 」。 こ の
ン テ ィ ア を 訓 練 し、 ゲ ー ム で 遊 ぶ こ と
い た め 端 っ こ の 方 に 座 っ て い た ら、 花 蓮
話 を 聞 い て、 林 さ ん は 自 分 の し て い る こ
で、 仲 間 同 士 の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン を 促
で、 た い し た こ と で は な い と 思 う 人 も い
と は 意 義 が あ る と 思 っ た。 彼 は 立 ち 上 が
し、 世 界 各 地 の 創 意 工 夫 に 溢 れ た お も ち
の僻地の子供たちの会話が聞こえてき
っ た。 病 気 が あ っ て も こ の 事 業 は 続 け な
ゃ で、 想 像 力 を 刺 激 し、 視 野 を 広 げ て い
成功の定義はさまざまだ。財富、権力、
クル玩具を使うことで子供たちが資源を
る の で あ る。 そ れ だ け で は な く、 リ サ イ
ければならないと思った。
大 切 に す る こ と を 学 び、 二 酸 化 炭 素 の 削
ん だ。「 見 て く だ さ い。 こ れ が 私 た ち の
っ と 見 渡 し た 後、 彼 は 満 足 そ う に ほ ほ え
が の 遊 び 方 を 紹 介 し て く れ た。 教 室 を さ
活 動 当 日、 ジ ャ ッ キ ー が 親 切 に 紙 れ ん
の 人 が 彼 の 後 ろ に 立 っ て い る か、 助 け が
の 目 で 自 分 を 評 価 し な い。 ど れ だ け 無 私
目 を 輝 か せ て い る か だ。 林 さ ん は、 世 間
ル だ。 自 分 の 周 り に い る 人 の う ち 何 人 が
に と っ て、 幸 せ の 定 義 は い た っ て シ ン プ
名 声 も そ う だ ろ う。 し か し、 あ る 人 た ち
活 動 の 目 的 な ん で す。 今 ま で 百 回 も の 活
必 要 な 時、 手 を さ し の べ て く れ る か で、
減にも寄与している。
動 に 参 加 し て き ま し た が、 会 場 が 笑 声 で
自ずから明らかなのだ。
(経典雑誌219期より)
い っ ぱ い に な る た び、 や っ ぱ り 感 動 し ま
す。 父 は 新 し い お も ち ゃ を 買 う お 金 は な
か っ た け れ ど、 創 意 工 夫 が あ れ ば 簡 単 な
材料でもびっくりするような新しい遊び
方 が で き る ん で す 」。 一 家 全 員 が 人 の 笑
顔に満足を見いだしているのである。
62
慈済ものがたり
林君英
僻地に愛を届ける動く城
小さな種も大樹に成長する
どんな小さな力にも
無限の可能がある
ツーチー
再び年末祝福会と慈済委員と慈誠隊
訳・慈願 絵・林淑女
◎
【證厳法師のお諭し】
福を修め、
日々米蔵に米を蓄える
ようなもの
知恵を働かせば、
小さな種も天地を内包
している
家庭の主婦たちが日々五毛銭を貯蓄
し て い た「 竹 筒 歳 月 」 が 慈 済 の 慈 善 志
業 の 始 ま り で し た。 早 期 の「 慈 済 月 刊 」
を め く る と、 献 金 し た 人 の 名 前 と 五 元、
十元の金額がぎっしりと記載されてい
ま す。 こ の わ ず か な 浄 財 は 少 し も 漏 れ
なく貧苦と救難にいる人たちのために
時 と 駆 け 足 を し て い る よ う に、 い つ の
秒 一 秒 が つ も っ て 一 年 と な り、 毎 日 が
年 が 来 臨 し た こ と を 告 げ て い ま す。 一
そ れ は ま た 古 い 一 年 が 過 ぎ て、 新 し い
い ま し た が、 ど ん な に 苦 し く て も 堅 い
針仕事の収入で自力更生の生活をして
ずかな畑を借りて農業をするかたわら、
く、 普 明 寺 の 裏 に 仮 住 ま い を し て、 わ
功徳会創立当時は住む所も精舎もな
使っていました。
間にか五十年を過ぎが来年は五十一年
志を持って貧民救済の奉仕を担ってい
員の認証式の時が巡ってまいりました。
目に邁進します。
64
慈済ものがたり
2016・12
65
の 米 粒 の な ん と 貴 い こ と か と、 思 わ ず
そ れ は「 仏 教 克 難 慈 済 功 徳 会 」 時 代
ま し た。 毎 月 の 配 付 日 に は ケ ア 家 庭 の
昼には皆がおじやを食べて満腹して帰
の 私 が、 他 人 の 軒 下 に 身 を 寄 せ な が ら
心の中で感動していました。
る こ と を 願 っ て い ま し た。 そ ん な 中 で
も借金をして苦難の人たちを救済して
人 た ち が 救 済 米 を 受 け 取 り に 来 て、 お
常住尼僧の生活は苦しく常に米櫃の中
いた苦難の時代でした。
今まで歩いてきた艱難な慈済の救済
が 空 で ど う し よ う も な く な っ た 時 は、
普明寺からお米と食用油を借りてしの
その下に開けてある穴に薪をくべてお
し、 借 り て き た 米 を 洗 っ て 水 を 入 れ、
屋外にある鉄の桶を拾ってきて炉に
き く な り、 慈 善、 医 療、 教 育、 人 文 の
米 は 一 俵 に、 一 滴 の 水 は 川 の よ う に 大
同 じ く す る 会 員 が 増 え ま し た。 一 粒 の
よ う に な り、 花 蓮 か ら 台 湾 各 地 に 志 を
奉 仕 の 道 は、 次 第 に 人 々 に 認 め ら れ る
じ や を 作 り ま す。 人 数 が 多 い 時 は 水 を
四大志業が発祥地の台湾から世界の
んでいました。
足 し ま す。 鍋 の 中 に 映 る 青 い 空 と 白 い
国々へと向かって広がっています。
大愛をさらに遠くまで広げるだけでな
雲、 そ れ に 木 々 の 緑 を 見 た 時、 私 は そ
瞬く間に過ぎた五十年は数々の困難
慈 済 は 福 を 修 め る 道 場 で す。 自 分 一
く、 一 日 一 日 米 蔵 に 米 粒 を 蓄 え る よ う
で 満 た さ れ ま す。 困 難 に 遭 っ た 時 に は、
人の力など小さな力だと侮らないでく
に も 会 い ま し た が、 終 始 堅 い 道 心 を 忘
多くの発心した人たちが私たちの前に
だ さ い、 そ の 小 さ な 力 も 集 ま れ ば 無 限
に 福 を 修 め、 知 恵 を 持 つ 中 に 小 さ く と
立 っ て 導 き、 後 ろ 盾 に な っ て 愛 の 道 を
の 可 能 性 を 発 揮 で き る の で す。 慈 済 初
れ ず に 一 歩 一 歩 ん で ま い り ま し た。 当
敷 い て く れ ま し た。 世 界 百 九 十 七 カ 国
期の克難精神を持ち続けて行かねばな
も天地のあるよう願っています。
にある慈済の愛の足跡は九十ケース以
り ま せ ん。 た と え 自 分 が 食 べ る た め に
時 の 苦 労 を 振 り 返 る と、 感 謝 の 気 持 ち
上に上がりほとんど地球を半周してい
炊 く 米 が な く て も、 皆 で 一 滴 一 滴 に 愛
慈 済 は「 持 慧 」 の 道 場 で す。 大 樹 も
手伝いをしましょう。
を 寄 せ 集 め て、 苦 難 の 淵 に い る 人 の お
ます。
昨 年 の 歳 末 祝 賀 会 で、 私 は「 大 愛 を
世 界 に 広 げ て、 情 の 道 を 古 か ら 今 に 至
る ま で 」 と 皆 を 励 ま し ま し た。 今 年 は
66
慈済ものがたり
2016・12
67
心 を 以 て 人 々 の 中 で 知 恵 を 練 り、 衆 生
て 天 地 間 の 微 妙 な 法 理 を 体 得 し、 広 い
始 め は 一 粒 の 種 か ら 成 長 し ま す。 心 し
苦難の衆生に造福をしよう
菩薩の志願は堅く
立願発心を永久に
を利益するという真理の大道を歩くこ
慈済人が人々に奉仕することを立願
ン テ ィ ア ) が 誕 生 し て い ま す。 今 年 は
ン テ ィ ア 幹 部 ) と 慈 誠 隊 員( 男 性 ボ ラ
慈 済 の 大 家 庭 に は 毎 年、 委 員( ボ ラ
しているのは、内に「誠正真実」をこめ、
二十九カ国から二千人以上の海外慈済
とです。
外では慈悲喜捨を願い苦難の人に抜苦
人が台湾へ帰ってきて慈済委員と慈誠
古参ボランティアは長年にわたって
与楽と同時に法水で煩悩を洗い流すこ
め る こ と で す。 信 心 を 堅 く も っ て 菩 薩
細 心 に 新 人 を 導 き、 絶 え ず 愛 の 糧 を 与
隊員の認証を受けました。
道においても福慧双修を続けなくては
え て い ま し た。 彼 ら も 辛 抱 強 く 一 心 に
と で す。 奉 仕 は 造 福 で あ り ま た 慧 を 修
なりません。
見 習 い 訓 練 を 受 け て 実 り、 は る ば る 台
五 十 年 来、 慈 済 が 力 を 尽 く し て 世 界
る 国 々 か ら き て 言 語、 文 化 背 景 は 違 い
の 人 々 に 利 益 す る こ と で す。 皆 は 異 な
わ が 師、 印 順 導 師 の 志「 仏 教 の た め、
に 愛 と 善 の 種 を 蒔 い て い る の は、 一 人
ま す が、 同 心、 同 師、 同 志 の 心 の 言 語
湾 へ 認 証 を 受 け に 来 て、 菩 薩 道 を 歩 む
で も 仲 間 が 増 え る こ と に よ っ て、 さ ら
は 相 通 じ ま す。 で す か ら 心 を 一 つ に、
衆生のため」とは仏法を善用して天下
に苦難の衆生に造福することができる
和やかに愛をもて協力し合わなければ
ことを決意しています。
か ら で す。 今 で は、 一 粒 一 粒 の 種 が 芽
オ ー ス ト ラ リ ア か ら 来 た マ ン・ ア イ
なりません。
大 木 の 花 が 咲 い た 後 に 実 り、 種 が ま た
レンは台湾語を聞いて分かりませんが、
を 出 し 成 熟 し て 大 木 に 成 長 し ま し た。
蒔 か れ ま す。 こ れ が「 一 生 無 量 」 な の
そ れ で も 毎 朝 皆 と「 説 法 」 を 聞 き ま す。
そ し て、 そ の 後 や 読 書 会 で、 ボ ラ ン テ
です。
認 証 を 受 け た 慈 済 委 員 の 胸 に は「 仏
ィアたちが法を解説して聞かせてあげ、
法 を 吸 収 し て い ま し た。 こ れ は 単 に 法
の心師の志」と書いたリボンがつけら
れ て い ま す。 仏 の 心 と は 大 慈 悲 心 で、
68
慈済ものがたり
2016・12
69
ぶさに目で見て心に慈済の行動を焼き
を 耳 で 聴 い て い た の で は な く、 長 年 つ
し た。 そ こ で 慈 済 は 種 も み を 支 援 す る
か貧困から抜けられないことを知りま
に 返 済 を 繰 り 返 し て い た の で、 な か な
こ と を 計 画 し ま し た。 ウ・ テ ィ ン・ ト
つけて来たからでした。
ベトナムの市場で小さな商いをして
ンはその支援活動と静思語の影響を受
彼 は「 竹 筒 精 神 」 に な ら っ て、 一 日
い た 范 氏 貴 は、 自 動 車 事 故 に 遭 っ た 後
ミ ャ ン マ ー の ウ・ テ ィ ン・ ト ン は 二
五銭の代わりに一日に一握りの米を蓄
け て、 生 命 の 尊 重 を 実 行 に 移 し て、 農
○ ○ 八 年 の サ イ ク ロ ン・ ナ ル ギ ス 災 害
え、 隣 近 所 に も 米 貯 金 を 勧 め て 同 郷 の
慈 済 の 救 済 を 受 け ま し た。 そ の 後、 自
後 に 慈 済 と の 縁 が あ り ま し た。 慈 済 が
貧 し い 人 た ち を 助 け ま し た。 こ の 度、
薬や殺虫剤を使わず稲を育てたら豊作
現 地 で 支 援 活 動 を し て い た 時、 貧 し い
彼は認証を受けるために台湾へ来た時
分よりも貧しい人を助けようと立願し
農家が毎年種もみを借りて収穫した後
困難にも退かず
に な り、 種 も み を 借 り る 必 要 が な く な
に言いました。「もしも慈済が私に一千
さらに前進する
て 慈 済 委 員 に な り、 百 人 以 上 の 会 員 を
元援助していたらたちまち使い果たし
善に解釈してすべてを包容し
りました。
た で し ょ う。 し か し 慈 済 は 慈 悲 を く れ
逆境の試練に感謝する
集めました。
ま し た。 そ れ は 生 涯 使 い き れ な い 資 産
持 ち 続 け て い れ ば、 愛 の 力 は 循 環 す る
ま す。 彼 ら の ス ト ー リ ー は、 誠 の 心 を
は 一 変 し て、 逆 境 を 変 え る こ と が で き
が、 幸 い に し て 恩 人 に 巡 り 合 う と 心 境
生で困難に遭うことは免れられません
立 願 の 過 程 は ど れ も 感 動 的 で し た。 人
新しく誕生した彼ら菩薩たちの発心
一念の差によって無明が起きると是非
衆 生 に は み な 仏 性 が 具 わ っ て い る が、
わ れ ま し た。 仏 陀 が 示 さ れ た こ と と は、
らかにすることができないのだ」と言
ただし妄想にとらわれているために明
悉 く 如 来 の 知 恵 と 徳 相 を 具 え て い る、
思 議 だ 不 思 議 な こ と だ、 大 地 の 衆 生 は
仏陀が菩提樹の下で悟られた刹那「不
でした」と話しました。
ことを実証しています。
の 分 別 が わ き ま え ら れ ず、 欲 念 が 尽 き
70
慈済ものがたり
2016・12
71
ずに愛、恨み、情、仇に纏わりつかれる、
仏 陀 の 大 慈 悲 心 を 堅 持 し、 法 を 聞 い て
の 心 と す る 」 こ と が 必 要 で、 心 は 常 に
して自分を変えることです。
理 解 す る だ け で な く、 日 常 生 活 に 応 用
ということです。
ですから悪業は雪ダルマのように膨
れ 上 が っ て、 世 間 は 濁 気 に 満 ち て し ま
ね ば な り ま せ ん。 人 が 多 い と 雑 音 が 多
菩 薩 道 を 歩 く に は、 人 々 の 中 に 入 ら
ど う す れ ば 危 機 を 生 気 に 変 え て、 汚
く 堪 忍 が 必 要 で す。 も し も 耳 障 り な 声
うのです。
濁を清らかにすることができるのでし
取られていると、道心が退きます。
ことができる、仏法に深く入るには「法」
と は、 法 水 は 欲 望 の 塵 土 を 平 息 さ せ る
量 る こ と が で き ま せ ん。 仏 陀 は 修 行 し
た道の力がどれくらいのものなのかを
厳 し い 逆 風 が な け れ ば、 修 行 し て き
や嫌な顔色の人に出会ってそれに気を
ょ う か? 仏 法 は 世 を 救 う 妙 薬 で す。
無 量 義 経 に 曰 う「 微 渧 先 堕、 以 掩 欲 塵 」
に よ っ て、 煩 悩 を 治 さ な け れ ば な ら な
た過程でもさまざまな障害にあわれま
し た が、 恨 ま ず に 感 謝 の 気 持 ち で 克 服
いということです。
念仏は口先だけでなく、「仏の心を己
宇 宙 の 大 覚 者 仏 陀 は、 私 た ち に「 無
けても常に耐えます。
て お ら れ ま し た。 難 行 と 思 っ て も 退 か
常 観 」 を 持 つ こ と、 そ し て な お も「 生
さ れ、 優 し く 前 向 き に 忍 耐 の 心 を 持 っ
ず、 前 進 す れ ば 菩 薩 道 が 成 就 す る の で
導 い て い ま す。 皆 が 刹 那 を 把 握 し て 家
命の価値観」を打ち立てるべきと教え
菩 薩 を 志 す 慈 済 人 は、 必 ず 困 難 で あ
庭 の た め に 尽 く す 以 外 に、 社 会 の た め、
す。
っ て も 赴 き、 困 難 を も 可 能 に し ま す。
菩 薩 道 を 行 う 時 は「 聞、 思、 修 」 だ
ま た 自 分 の 人 生 の た め、 正 し い 道 を 進
神湯」(足るを知る、感謝、何事も善に
け で な く「 信、 願、 行 」 が 必 要 で す。
人々の中にいても周りの煩悩に同化せ
解 釈 す る、 受 け 入 れ る ) を 使 っ て 煩 悩
もしも発心立願に行いが伴わなかった
むことは重要です。
を な く し ま す。 付 き 合 う 時 は 心 を 合 わ
ら そ れ は 空 発 願 で す。「 願 」 と「 行 い 」
ず、「事」を以て「理」に、慈済の薬膳「四
せ て 仲 良 く し、 互 い に い と お し み 合 い、
は並行しています。
衆 生 の た め に 休 ま ず に、 法 を 聴 い て、
協 力 し 合 う と い う「 四 物 湯 」 を 用 い て
い ま す。 そ し て、 さ ま ざ ま な 試 み を 受
72
慈済ものがたり
2016・12
73
ら成仏に向かうことができます。
猛 で あ り、 勇 猛 精 進 で あ れ ば 菩 薩 道 か
を永久に少しも偏らずに歩むことは勇
法 を 伝 え る こ と が 精 進 で す。 菩 提 の 道
ました。
こ と が、 最 も 必 要 で あ る と お っ し ゃ い
悲と愛」の精神を以て人心を滋養する
天災人禍が絶えず、生態破壊の際に「慈
世に慈悲と関心を寄せ
慈悲と愛は人心の滋養
から正しい信仰はお互いに衝突しませ
私 の 愛 で 衆 生 に 尽 く す こ と で す。 で す
れ る こ と は で き ず、 宗 教 の 実 質 と は 無
す べ て の 宗 教 は「 慈 悲 と 愛 」 か ら 離
大愛に努め奉仕をしよう
ん。 異 な る 宗 教 間 で、 手 を 携 え て 苦 難
し ま し た。 十 一 月 三 日、 教 皇 は バ チ カ
一 六 年 を「 い つ く し み の 特 別 聖 年 」 と
幸せに福を知り感謝しなければなりま
発 揮 さ れ ま す。 平 安 な 国 で 生 活 で き る
愛のエネルギーは一人一人の心から
の世に愛の力量を発揮することです。
ン で 各 宗 教 団 体 代 表 と 対 談 さ れ、 慈 済
せ ん。 広 い 心 で 世 の 中 の 苦 難 の 淵 に い
フ ラ ン シ ス コ・ ロ ー マ 教 皇 は、 二 ○
も 招 待 を 受 け ま し た。 教 皇 は、 地 球 の
る人々に関心を寄せましょう。
極 端 な 気 候 変 化 に、 天 地 の 災 難 が 多
発 し て い る 現 在、 人 心 の 浄 化 を 強 化 し
な け れ ば な り ま せ ん。 人 々 が 慈 悲 の 心
を 培 い、 貪 婪 と 欲 念 を 抑 え る と、 天 下
の 災 難 か ら 離 脱 す る こ と が で き ま す。
皆さんの精進を願っています。
74
慈済ものがたり
2016・12
75
【健康ボックス】
痛風の患者は
◎口述・黄靖琇/文・黄小娟
訳・慈昶/撮影・邱如蓮
大豆製品を食べられますか? 大 豆 製 品 は ベ ジ タ リ ア ン に と っ て、 重 要 な 蛋 白 源 で す が、
痛風患者は大豆製品を控えるべきでしょうか?
尿酸値が高い痛風患者はベジタリアンに
なってもいいのでしょうか? 現代人の文明の病気とされる痛風は、遺伝子やほ
かの病気との合併症で起こったものです。プリン体
を多く含む食物をたくさん食べたからという理由だ
けではなく、体の「新陳代謝」がよくないために尿
ど の 食 物 を 一 緒 に 取 り す ぎ る と、 尿 酸 値
酸 値 が 増 加 し、 痛 風 の 症 状 に な っ た の で す。 痛 風
になるのは通常次の三つの原因によりま
が上がって痛風になります。
痛風になる食べ物としては鶏肉や海老
す。 ①体によくない食物
や 蟹 な ど の 海 鮮 類 が 上 げ ら れ、 ベ ジ タ リ
上、 ベ ジ タ リ ア ン は た く さ ん の 野 菜 を 取
ア ン が 取 ら な い 物 が ほ と ん ど で す。 そ の
痛風患者はトランス脂肪酸が多く含ま
る の で、 植 物 中 に 含 ま れ る フ ィ ト ケ ミ カ
②間違った調理法 れている動物性油や動物の内臓、バター、
ル と 抗 酸 化 の 栄 養 素 が 痛 風 を 予 防 し、 改
③食べ過ぎ
コ ー ヒ ー ク リ ー ム な ど や、 多 量 の 肉 や 海
善させます。
ア メ リ カ、 日 本、 シ ン ガ ポ ー ル が 共 同
鮮 類( と く に 甲 殻 類 )、 糖 分 の 高 い フ ル
ー ツ や ク リ ー ム コ ー ン な ど の 食 品、 多 量
そ の ほ か に、 で き れ ば 揚 げ 物 や 焼 き 物
と が 分 か り ま し た。 尿 酸 値 の 高 い 人 や 痛
物性のプリン体は痛風を悪化させないこ
で 行 っ た 大 規 模 な 研 究 結 果 に よ る と、 植
な ど 高 温 の 調 理 法 を 避 け る こ と。 ま た、
風 患 者 は 正 し い 調 理 法 で 料 理 し、 適 切 に
のお酒を控えなければなりません。
飲酒時に熱いスープや揚げたピーナツな
2016・12
77
Q
大豆製品を楽しみましょう。
痛風患者はベジタリアンになれるかど
う か? そ の 答 え は Y E S で す。 痛 風 患
者はもっとバランスがとれた健康的なベ
椎茸を毎日大きなお椀に一杯分も食べれ
ば 問 題 に な り ま す が、 バ ラ ン ス よ く 摂 取
すれば尿酸値の濃度は上がりません。
も う 一 つ、 水 は 尿 酸 値 の 代 謝 を よ く 助
に 体 外 に 排 出 さ れ ま す。 も し 水 を あ ま り
け ま す。 多 く 水 を 飲 め ば 尿 酸 が 尿 液 と 共
ベ ジ タ リ ア ン は 揚 げ 物 を 好 み ま す。 揚
飲 ま な い と、 尿 酸 が 体 に 絶 え ず 残 り、 し
ジタリアンに学ぶべきです。
げた大豆製品や大豆加工品を食べると痛
まいには関節に蓄積して関節が痛くなり
だから、飲食のバランスが鍵なのです。
風 に な り や す く な り ま す。 油 脂 は、 揚 げ
を起こす物質が体内に蓄積します。また、
バランスよく食べ、たくさんの水を飲み、
ます。
体によくない調理法と食べ物の選り好み
現代文明病にならないようにしましょ
る と 酸 化 し て 過 酸 化 物 質 を 発 生 し、 炎 症
も 痛 風 に な り ま す。 だ か ら、 痛 風 に な る
う。
凍 な ど 低 温 で 保 存 す る こ と が 重 要 で す。
のは野菜だけを食べるためではないので
す。プリン体の高い椎茸を例に上げると、
どのような大豆製品を選んだら
正 し く 保 存 す れ ば、 安 心 し て 食 べ ら れ ま
け れ ば、 包 装 の 表 示 か ら 判 断 す る こ と が
豆 を 選 び ま す。 も し 見 た 目 で 判 別 で き な
大豆製品は遺伝子組み換えではない大
に か け れ ば 豆 乳 に な り ま す し、 大 豆 ご 飯
加 え た り し ま す。 大 豆 を 蒸 し て ミ キ サ ー
豆や枝豆などをジュースにしたり料理に
な る べ く 天 然 の 豆 類 を 選 び、 大 豆 や 黒
よいですか?
で き ま す。 現 在、 台 湾 の 食 品 表 示 に 関 す
に も で き ま す。 黒 豆 は 煮 込 ん だ り ジ ュ ー
す。
る 規 定 で は、 遺 伝 子 組 み 換 え か ど う か を
と 入 り 炒 め に し た り、 ピ ー ナ ッ ツ と 一 緒
ス に し ま す。 ナ ッ ツ 類 の パ ウ ダ ー を 加 え
大 豆 製 品 は 高 蛋 白 質 で、 製 造 過 程 で 抗
に 煮 込 ん だ り、 ま た、 枝 豆 と 賽 の 目 に 切
記 載 し な け れ ば な り ま せ ん。 購 入 す る 前
菌 剤 や 防 腐 剤 な ど を 入 れ ま す。 適 度 に 保
った高野豆腐の煮込みなども歯ごたえが
れ ば ナ ッ ツ ミ ル ク の 完 成 で す。 枝 豆 は 卵
温 し な い と 腐 り や す い か ら で す。 製 造 か
よく、満腹になりやすいです。
に注意してよく見てください。
ら 販 売 ま で の 製 品 管 理 に 加 え、 冷 蔵 や 冷
78
慈済ものがたり
2016・12
79
Q
慈善の家政婦
料 理、 掃 除、 雇 い 主 の 世 話 な ど の 家 政 婦 の 仕 事 を、 廖 秀 珠 は
五十年近くも続けてきた。
それよりも彼女が力を尽くしているのは弱者家庭の訪問ケア
活 動 で あ る。 そ の 過 程 で は い ろ い ろ な 困 難 に ぶ つ か る が、 相 手
によってケアの方法を変えることを知っている。
80
慈済ものがたり
2016・12
81
相 手 が 心 を 許 し て く れ な い 時 も、 彼 女 は 相 手 が 心 を 開 い て く
れるまで、忍耐強く付き添う。
◎文・呉珍香/訳・済運/撮影・徐啓衡 ●汐止に住む慈済のケア対象者である陳さ
んは病気が絶えないだけでなく、4人の子
供のうち3人が知的障害を持っており、家
の掃除もできず衛生状態のよくない家に住
んでいる。廖秀珠(左)はボランティアと
一緒に清掃、整理に行った。
(攝影/林宏謀)
に満ち、困難がないことを感じ取ってもらうこと。常に
善に解釈し、包容、感謝、足ることを知る「慈済の四神
薬膳」を使い分ければ、困難に出会っても乗り越えるこ
とができると信じている。
夜 中 の 三 時 過 ぎ、 廖 秀 珠 は 腹 部 に 激 し
い 痛 み を 覚 え 体 を 丸 め た。 救 急 外 来 の 医
師 か ら 卵 巣 腫 瘍 と 診 断 さ れ、 す ぐ に 手 術
するよう言われた。
「 手 術 台 の 上 で は 身 動 き で き ず、 な さ
れるがままに任すしかありませんでし
た。
気が気でなく、
怖い思いをしました」
。
廖 秀 珠 は、 慈 済 に 参 加 し て ボ ラ ン テ ィ
ア に な っ た ば か り な の に、「 天 は 私 を 連
れ 去 ろ う と で も い う の だ ろ う か?」 と 思
っ た 瞬 間、 彼 女 は 無 常 と は 何 か と い う こ
と と、「 人 生 は 使 用 権 が あ る の み で、 所
有権はない」という言葉の意味を悟った。
病 床 で の 自 分 に は 裁 量 権 が な い。 手 術 が
た。
廖 秀 珠 は「 人 間 に は 無 限 の 可 能 性 が あ
る 」 こ と を 悟 っ た。 や る 気 さ え あ れ ば、
何 に も 打 ち の め さ れ る こ と は な い。 台 北
廖 秀 珠 に、 真 剣 に 将 来 の 道 を 考 え さ せ
一 九 九 四 年、 突 然 や っ て き た 病 気 は
願いは叶えられ、「おばさん運転手菩薩」
の運転免許証を取る決心をした。その後、
乗 せ て ケ ア 対 象 家 庭 を 見 舞 う た め に、 車
に 戻 っ た 後、 彼 女 は 訪 問 ボ ラ ン テ ィ ア を
た。 手 術 後 の 休 養 期 間、 し ば ら く 仕 事 を
貧困と病は廖秀珠にとって無関係なも
というあだ名をもらった。
ア に な る 機 会 に 恵 ま れ、 経 験 豊 富 な 顔 恵
の で は な い。 十 二、三 歳 の 時 か ら 家 計 を
シ ージェ
美 師 姐 と 共 に 家 庭 訪 問 を 行 っ た。 あ る ケ
助 け る た め に、 小 学 校 を 卒 業 し た 後、 家
し な か っ た た め、 花 蓮 で 慈 済 ボ ラ ン テ ィ
恩人に出会う
台北で家政婦となり
に誓った。
使 っ て 歩 い て い た が、 口 腔 癌 を 患 っ て も
家族に奉仕する心構えで尽くし、ケア対象者に人生は愛
成 功 し、 健 康 が 回 復 し た 時 に は 全 身 全 霊
訪問時の秘訣:自分はあまりしゃべらず聞き手に徹する。
タクシーの運転手として一家を養ってい
訪問ボランティア歴:26年
で 菩 薩 道 に 精 進 し、 奉 仕 す る こ と を 敬 虔
1953年生れ、1997年慈済委員の認証取得
ア 対 象 者 は、 元 々、 行 動 が 不 自 由 で 杖 を
82
慈済ものがたり
2016・12
83
├訪問ボランティア 廖秀珠┤
● 廖 秀 珠 は 家 事 手 伝 い や 家 の 清 掃 の 仕 事 に 就 き、
夫の林富裕は工場で勤勉に働いて一家を養ってい
る。一家4人は貧しいなりに楽しく暮らしている。
● 廖 廖 秀 珠 は 花 蓮 に 向 う 汽 車 の 中 で、 大 衆 に 慈 済
を 紹 介 し、 自 分 の 経 験 談 を 話 し た。 1 9 9 0 年、
一 家 全 員 が 慈 済 ボ ラ ン テ ィ ア に な り、 家 庭 訪 問、
リ サ イ ク ル 活 動、 病 院 ボ ラ ン テ ィ ア な ど に 積 極 的
に参加している。
事 手 伝 い の 仕 事 に 就 き、 そ の 後、 故 郷 の
宜 蘭 県 羅 東 を 離 れ て 台 北 に 来 た。 雇 い 主
は 台 北 市 合 江 街 の 町 医 者 で、 彼 女 に と っ
て は 親 代 わ り と 同 じ だ っ た。 人 や 物 事 に
対 す る 処 世 術 を 教 え、 そ れ が 彼 女 の 人 生
に 大 き な 影 響 を 与 え た。 雇 い 主 の 韓 医 師
の 家 庭 は 裕 福 だ が、 生 活 は 倹 約 し た も の
で、 書 道 に 使 っ た 紙 を 裏 返 し て 使 う ほ ど
だ っ た。 こ の 時 に 教 え ら れ た「 衣 類 を 大
切 に す れ ば 着 る も の が あ り、 ご 飯 を 無 駄
にしなければ食べる物がある」という言
葉 は、 彼 女 の 一 生 で 役 に 立 つ も の に な っ
た。
一 九 八 九 年、 廖 秀 珠 の 姪 が 結 核 性 脳 膜
炎 を 患 っ た。 病 状 は 重 く、 昏 睡 状 態 で 台
湾 大 学 病 院 に 転 院 し た。 当 時 は ま だ 健 康
保 険 が な か っ た の で、 家 族 は 入 院 の 莫 大
な 費 用 に 悩 ん で い た。 し か し、 た ま た ま
慈済ボランティアが隣の病床を見舞いに
来 た 時 に、 彼 女 た ち の 苦 境 を 知 り、 二 万
元 の 支 援 金 を 提 供 し て く れ た。 そ し て、
政府の補助とキリスト教会の寄付を合わ
せて、この難関を乗り切った。
廖 秀 珠 と 弟 は、 慈 済 ボ ラ ン テ ィ ア と は
何 の 面 識 も な か っ た の に、 す ぐ に 支 援 し
て も ら っ た こ と で、 そ の 慈 悲 に 感 動 し、
自分も善行して人助けすることを誓っ
た。 廖 秀 珠 は 定 期 的 に 寄 付 し て《 慈 済 道
84
慈済ものがたり
2016・12
85
●2009年の台風被害で、経験豊富な廖秀珠(右)
は南部へ災害支援に行った。
侶 》 と い う 隔 週 発 行 の 新 聞 を 購 読 し、 慈
済 の ラ ジ オ 放 送 を 聞 い た。 ま た、 花 蓮 静
思精舎の常住師匠たちの「一日働かねば、
一 日 喰 わ ず 」 と い う 精 神 に 一 層 感 動 し、
これこそ参加に値する慈善団体であると
確信した。
二 〇 〇 三 年、 夫 の 林 富 裕 が 胃 が ん を 患
っ た。 二 度 目 の 難 関 の 訪 れ に よ っ て、 生
命 は 呼 吸 の 合 間 の 一 瞬 に あ り、 最 後 の 息
が吸えない時がこの世とのお別れなのだ
と 悟 っ た。 そ れ 故、 善 行 す る の も こ の 時
しかなく、待っていられないのである。
家庭訪問では
期の胃がんに罹り、大量に吐血した。
娘の治療のために家を担保に二百万元
中にはびっくりするような境遇の家庭が
ス が 多 い こ と を 目 の 当 た り に し て き た。
に 陥 っ た り、 貧 困 故 に 病 が 重 く な る ケ ー
の 経 験 が あ る。 こ の 間、 病 の た め に 貧 困
廖秀珠は二十数年の訪問ボランティア
亡 く な り、 長 女 も 病 に 打 ち 勝 つ こ と が で
病 が 再 発 し、 薬 を 大 量 に 服 用 し た こ と で
が、 幸 い に も 命 は 取 り 留 め た。 次 女 は 鬱
無常を悲観して薬で自殺しようとした
の ス ト レ ス に 耐 え 切 れ な く な り、 人 生 の
く、家は差し押さえられてしまった。諸々
いつも貧困と病の関係を目にする
あり、とても見捨てることができない。
き ず、 二 人 の 娘 が た っ た の 六 日 間 に こ の
借 金 し た が、 ロ ー ン を 返 済 す る 能 力 は な
中 枢 神 経 が ブ ロ ッ ク さ れ て、 い つ も 目
の 娘 が い て、 次 女 は 精 神 疾 患 を 患 っ て い
で 生 活 し て い る が、 運 命 の 神 様 は 難 題 を
李さんは知的障害のある末の娘と二人
世を去った。
る。 夫 が 鼻 腔 が ん で 亡 く な っ て か ら 十 年
出 し 続 け た。 そ の 娘 も 健 康 状 態 が よ く な
眩 を 覚 え る 李 さ ん は 五 十 一 歳 だ が、 三 人
余 り 後、 思 い も 寄 ら ず、 最 愛 の 長 女 が 末
86
慈済ものがたり
2016・12
87
●ケア対象者の李さんは病気のために生活が貧し
く な り、 長 女 は 胃 が ん 末 期 で 痩 せ 細 っ て 病 床 に 臥
し て い た。 廖 秀 珠( 左 か ら 2 人 目 ) は 他 の ボ ラ ン
ティアと共によく見舞いに行った。
く、 姉 が キ ー モ セ ラ ピ ー を 受 け て 苦 し ん
で い た の を 見 て、 西 洋 医 学 を 信 じ な く な
った。
慈 済 ボ ラ ン テ ィ ア が 訪 問 す る と、 李 さ
んは話を続けるうちに必ず泣き出してし
ま う。 し か し、 ボ ラ ン テ ィ ア は 彼 女 を 抱
い て 慰 め、 思 い 切 り 泣 い た 後、 彼 女 は 再
び 生 き て い く 勇 気 を 出 す よ う に な る。 慈
済ボランティアの訪問は彼女にとって最
テ ィ ア は、 家 庭 が 落 ち 着 き、 余 力 が で き
ら 返 す こ と が で き る か 分 ら な い。 ボ ラ ン
期に渡るケアと支援の恩はいつになった
支 援 を し ま す、 と 廖 秀 珠 が 言 っ た。 ボ ラ
て 目 で 確 か め る こ と が で き れ ば、 精 一 杯
慈 済 の 訪 問 ケ ア は 情 報 を 聞 き、 訪 問 し
を彼女は今でも忘れることができない。
も 心 温 ま る 拠 り 所 な の で あ る。 慈 済 の 長
た 時 に 世 の 中 に 恩 返 し す れ ば よ い、 と 彼
ン テ ィ ア は ケ ア 世 帯 の 拠 り 所 と な っ て、
人は自分の価値を決めることがで
ーがなくなることを願っている。
彼 ら が 苦 し み か ら 解 放 さ れ、 プ レ ッ シ ャ
女に安心するよう諭した。
長 女 は か つ て、 い つ か 母 親 が 他 の 人 の
た め に 奉 仕 し、 上 人 の 慈 悲 と 慈 済 ボ ラ ン
て い る、 と ボ ラ ン テ ィ ア に 話 し た こ と が
きる
ティアの愛に報いる日が来ることを願っ
あ る。 彼 女 が 亡 く な っ た 後、 遺 言 通 り に
年 に 始 ま り、 二 年 半 付 き 添 っ た 後 終 了 し
廖 秀 珠 に よ る と、 こ の 案 件 は 二 〇 〇 二
貧を見て足るを知る」ことである。
得 た 最 大 の 悟 り は「 苦 を 見 て 福 を 知 り、
廖 秀 珠 に よ る と、 慈 済 の 慈 善 活 動 か ら
遺体を医学部の研究に寄贈した。
た。 病 と 苦 難 に 苛 ま れ た そ の 一 家 の こ と
88
慈済ものがたり
2016・12
89
人 間 同 士 の わ だ か ま り を 取 り 除 き、 互 い
「 世 の 中 で 最 も 大 き な 力 は 愛 で あ り、
です」と廖秀珠が言った。
見 え ま す が、 一 番 多 く 得 る の は 自 分 な の
どんな人に対しても相手の身になっ
しみから立ち上がれない人にはより多く
の 距 離 を 縮 め る こ と が で き る 」。 二 十 六
案件の家庭はどこも苦しみに喘いでい
の 時 間 を 割 き、 忍 耐 強 く 付 き 添 っ て い か
て、 真 心 で 接 す る べ き で あ る。 と く に 悲
た。 縁 が あ っ て 支 援 す る 機 会 に 恵 ま れ た
な け れ ば な ら な い。 善 意 で 人 を 支 援 す る
年 間、 訪 問 ボ ラ ン テ ィ ア を し て き た が、
の で あ り、 奉 仕 で き る 機 会 を 与 え て く れ
だ。 互 い に 交 流 す る 時 も 上 人 の 法 と 静 思
時、 ま ず 相 手 を 尊 重 し、 要 求 を 理 解 し
この世の病の苦しみを見て手を差し伸
語 を 多 く 活 用 す べ き で あ る。「 言 葉 を 少
た こ と に 深 く 感 謝 す べ き だ、 と 廖 秀 珠 が
べ る こ と は 福 を 造 る こ と で あ る。 さ ま ざ
な く し、 良 い 言 葉 を 選 ぶ 」。 良 い 言 葉 を
て初めて有益に支援することができるの
まな人生を見て悟れば、智慧は成長する。
多く使い、聞き手に回ることである。
言った。
訪問ケアの仕事は福と慧の双方を修行す
「相手は私たちの一言で悲しみから抜
に 出 か け る 度 に、 必 ず 胸 い っ ぱ い の 喜 び
が 慈 善 活 動 を 続 け る 理 由 な の で す。 訪 問
見 せ る か も し れ ま せ ん。 こ れ が 長 年、 私
け 出 し、 人 生 が 変 わ っ て、 楽 し い 笑 顔 を
る も の で、「 外 見 は 奉 仕 し て い る よ う に
● 病 気 の 苦 し さ を 知 り、 無 常 を 体 験 し た 廖 秀 珠 は、
日 々 の 善 行 を 大 切 に し て い る。 病 院 ボ ラ ン テ ィ ア
に 関 す る 地 域 研 修 会 で は、 ボ ラ ン テ ィ ア 活 動 に 際
して注意すべき事柄について説明した。(攝影/宋
明章)
を持って帰ってきます」
哲 学 者 の サ ル ト ル は、「 私 た ち が 決 め
た こ と は、 私 た ち を 決 め る 」 と 言 っ て い
ま す。 即 ち、「 人 の 存 在 は 自 分 が 自 分 を
造 り 出 し て い る こ と 」 に あ り、 人 は 自 分
の 次 の 一 歩 を 決 め、 自 分 の 価 値 を 決 め る
こ と が で き る の で あ る。 廖 秀 珠 は 慈 善 に
投 入 し て 苦 の 中 か ら 真 の 意 義 を 求 め、 人
生に無私の奉仕をする価値を見出した。
(慈済月刊五九八期より)
90
慈済ものがたり
2016・12
91
強い意志で
◎文・釋徳 /訳・心嫈
欲念を調伏して生活を簡素化し、地球を
保護すれば、人々は安穏に暮らせる。
志気を以て欲念を克服しよう。
地球温暖化による極端な気候変化は大
き な 災 害 を 絶 え ず も た ら し て い ま す。 朝
会 の 時、 上 人 は、「 人 類 は こ の 地 球 の 資
源 に 頼 っ て 生 き て い ま す が、 一 方、 環 境
を破壊して大地を傷つけていることも事実なのです」と指摘さ
れました。
「 世 の 中 の す べ て の 形 あ る 物 は 有 限 の 資 源 で す。 い つ か こ れ ら
の 資 源 も 使 い 尽 く せ ば、 そ れ は 地 球 が 壊 滅 す る こ と に も 繋 が っ
て い く こ と で し ょ う。 そ れ な の に、 人 間 は 浪 費 に よ っ て 環 境 を
汚 染 し、 そ の 悪 影 響 が 拍 車 を か け て い る こ と は 目 に 見 え て い ま
す。 も し 平 穏 な 日 々 を 長 続 き さ せ た け れ ば、 人 々 は も っ と こ の
大地を愛し護るべきではないでしょうか」
「 菜 食 を し、 簡 素 な 生 活 を 心 が け て 実 行 す れ ば、 地 球 温 暖 化 を
緩和するのに効果がある」と科学者も立証しています。
で す が、 道 理 は 知 っ て い て も 決 意 を 堅 く 持 続 す る 人 が 少 な い
よ う で す。 マ レ ー シ ア に 住 む 五 歳 の 陳 宋 豪 ち ゃ ん は、 幼 稚 園 で
「野菜の国パスポート」という一カ月間の菜食活動に参加しまし
た。 と こ ろ が あ る 日、 ち ょ っ と し た 不 注 意 で お 肉 を 口 に し て し
92
慈済ものがたり
2016・12
93
欲念を克服しよう
納履足跡
納履足跡
ま い ま し た。 罪 の 意 識 を 感 じ て 悔 し い 思 い を し た の で、 そ の 日
の チ ェ ッ ク の マ ス に「 × 」 と 書 き ま し た。 そ し て 新 た に 願 を 立
て て、 活 動 が 終 わ っ て も 引 き 続 き 菜 食 に 努 め よ う と 決 心 し た の
です。家の人も宋豪ちゃんに合わせて菜食を今もしています。
「 五 歳 の 幼 児 で さ え 自 分 の 意 志 を 貫 い て い る の で す か ら、 大 人
は な お 志 気 を 高 め て 貪 欲 に 負 け な い よ う に と 願 っ て い ま す。 ご
馳 走 を 食 べ た い と 思 う 欲 望 を 抑 え、 生 活 習 慣 を 変 え れ ば、 大 地
を護って平穏無事な生活ができるようになるでしょう」
一念の初心を永遠に
花 蓮 慈 済 病 院 は 八 月 で 創 業 三 十 周 年 を 迎 え ま し た。 十 三 日 と
十 四 日 に「 愛 の 医 療 三 十 年 初 心 を 忘 れ な い 」 と「 心 の 故 郷 に
回帰しよう」をテーマとした祝賀活動や競技を行いました。
「 三 十 年 間 医 療 事 業 を 今 日 ま で 続 け て こ ら れ た の も、 当 時 あ の 一
念発起があったからでしょう。そして諸々の因縁が合わさって成し
遂げることができたのです」。上人は、土地探しから建設資金集め、
そして医療スタッフの招聘まで、病院の建設計画中に生じたさまざ
ま困難を回顧なさいました。「幸いに、どのような難関に直面しても、
いつも助けてくれる人が現れて、乗り越えることができました」と
上人は感謝されました。
医療や建築分野の専門家たちに無償で協力してもらっただけでは
なく、また大勢の慈済ボランティアも病院の建設基金を集めに奔走
したのです。上人は、高愛さんの例を挙げられました。高愛さんは
経済的な余裕がないのに、野菜や果物を行商する傍ら、慈済病院の
建設費に寄付するため、早朝には「華中橋」という橋の清掃婦の仕
事を九年間も掛け持ちました。八十歳を過ぎた在今も、休むことな
く積極的に慈済の活動に参加しているのです。「まだまだ元気です。
94
慈済ものがたり
2016・12
95
納履足跡
微 力 な が ら も 尽 く し た い と 思 い ま す よ!」 と 高 愛 さ ん は 言 い ま
した。
大 勢 の 古 参 ボ ラ ン テ ィ ア は、 若 い 頃 か ら ず っ と 慈 済 志 業 の た
めに尽くしてきました。「たとえ路上で転んだとしても、立ち上
が っ た ら 身 に つ い た 砂 を 払 わ ず に、 病 院 建 設 の セ メ ン ト に 少 し
でも加えたい」と言っていました。「ですから慈済病院はセメン
ト だ け で は な く、 慈 済 人 の 心 血 を 注 い だ う え に 完 成 し た も の と
も言えるでしょう」
台湾には無数の愛と善があります。上人は、「このような愛が
満 ち た 病 院 を 大 切 に し、 そ し て 現 在 台 湾 に あ る 六 つ の 慈 済 病 院
が 心 を 一 つ に し て、 互 い に 協 力 し 合 っ て、 素 晴 ら し い 慈 済 志 業
を永続させましょう」と医療志業に携わる人達を励まされまし
た。
生と死は縁に任せる
あ る ボ ラ ン テ ィ ア は 働 き 盛 り の 息 子 を 病 気 で 亡 く し ま し た。
わ が 子 の 死 と い う 悲 運 に 打 ち の め さ れ て い た 母 親 を 導 く た め、
上人は、「すべては因縁であること」と仏典の物語を語られまし
た。
あ る 商 人 は 馬 車 に 荷 物 を 載 せ て 城 内 へ と 急 い で い ま し た。 と
こ ろ が あ と 三 里 の 道 程 と い う と こ ろ で 馬 が 足 を 止 め て し ま い、
前 へ 進 ま な い の で す。 途 方 に 暮 れ た 商 人 は、 別 の 馬 と 取 り 替 え
て 引 き 続 き 城 内 に 向 か っ て 行 き ま し た。 そ の 日 の 夜、 寝 て い た
商 人 は あ の 足 を 止 め た 馬 の 夢 を 見 ま し た。 夢 に 現 れ た 馬 は 次 の
ような話をしました。
「前世ではあなたは靴職人でした。ある日、
一足の靴が盗まれたことで怒りが抑えきれず、『あの靴を盗んだ
泥 棒 は、 来 世 に 百 里 の 道 程 を 私 に 返 さ な く て は な ら な い 』 と 罵
96
慈済ものがたり
2016・12
97
納履足跡
りました」。こういう訳で、当時の泥棒がその馬で、靴職人が商
人とのことでした。「私があなたに返すべきものはその百里の距
離だけで、足を止めたのも当然です」と馬はさらに言いました。
弁 済 は も ち ろ ん、 恩 返 し も 同 様 で す。 親 と 子 の 間 で、 も し 恩
に 報 い 終 え た ら、 母 子 の 縁 を 終 え な け れ ば な ら な い で し ょ う。
「 人 に は 皆 そ れ ぞ れ 因 縁 が あ り ま す。 生 と 死 と は 自 分 が 予 期 で き
る も の で は あ り ま せ ん。 息 子 さ ん は こ の 世 の 縁 が 尽 き た の だ か
ら、 あ な た が 煩 悩 を 断 っ て 初 め て、 息 子 さ ん も 安 心 し て 自 由 に
な っ て 行 く べ き 所 へ 行 っ て 楽 に な れ る で し ょ う。 こ れ こ そ が 真
の済度なのです」。母親が気持ちを切り替えて息子を祝福すれば、
亡 く な っ た 息 子 も 安 ら か に な り、 次 の 人 生 へ と 進 む こ と が で き、
人々に好かれる子に生まれ変わることでしょう。
「 人 間 は あ の 世 へ は 何 も 持 っ て 行 く こ と が で き ず、 た だ 今 世 で
の 果 報 が 身 に ま と わ り 着 い て い く の で す。 前 世 の 善 悪 の 行 為 に
よって報いを受けるために、現世で自分の思い通りにいかないこと
がしばしばあるのです。仏法を聞き、菩薩の修行の道を歩むと決意
し、努力しなければなりません。人々と良好な人間関係を築き、自
分なりの生き方をしっかりと守りましょう」
(慈済月刊五九八期より)
98
慈済ものがたり
2016・12
99
靴を失くして
◎文章
李
‧ 淑慧/訳
翁
‧ 俊彬
仏堂に入る前に、私は靴を置いた場所をしっかりと覚えておきました。
しかし、仏堂から出たら靴はなくなっていました。
私はすっかり食欲を失い、何回も何回も探してみました。
たかが一足の靴ですが、それがなくなったことで私の心を掻き乱されてしま
いました。
八 月 中 旬 、花 蓮 の 静 思 精 舍 に 帰 り 、三 日 間 医 療 ス テ ー シ ョ ン で ボ ラ ン テ ィ
ア を し ま し た。 二 日 目 の こ と で す。 早 朝 の お 勤 め と 上 人 の 説 法 を 聞 い た 後、
食事の時間を知らせる板を打つ音が鳴り響き、ボランティアは皆一緒に急い
で食堂に向かいました。朝食を済まし一日の活動を始まります。
下 駄 箱 へ 行 き 、皆 と 一 緒 に 行 動 し よ う と 靴 を 履 こ う と す る と 、靴 が 見 つ か
りません。シールを貼った靴を、名札をつけた靴袋に入れたのに、見つから
ないはずはないと、すっかり焦りました。仏堂に入る前に、靴袋を二本目の
柱の下に置いたのをしっかりと覚えておいたのに、その靴はどこかに行って
しまいました。
あ ち こ ち を 探 し に 走 り 回 り ま し た が、 ど う し て も 見 つ か ら な か っ た の で、
取りあえずスリッパを履き、急いで食堂に入りました。急いで戻って探さな
ま ん とう
ければと、靴のことにばかり気を取られて、朝食は何も味がしませんでした。
饅頭を一つ食べるとすぐに席を立ち、食堂を後にしました。
医療ステーションに戻ってみると、ボランティア朝会がすでに始まってい
て、證厳法師の説法がスピーカーから流れていました。私はやはり落ち着か
100
慈済ものがたり
2016・12
101
ず、もう一度下駄箱に戻りました。靴を間違えた方が戻してくれるだろうと
期待していましたが、何回繰り返しても無駄で、最後は絶望した気持ちにな
りました。
古い靴をあきらめて、この機会に新しいのを買おうかと思ってみたりもし
ましたが、私の大きなサイズの靴をいったい誰が気に入ってくれたのだろう
かと、と悩みは頭から離れませんでした。
午前十時を回ったころ、さすがに靴を間違えた人はもう返してくれただろ
うと思い、もう一度靴がなくなった場所に戻り、下駄箱を入念に探しましが、
やっぱりありませんでした。もしかして大殿の前はないだろうかと思いつき
ました。
コーナーにある知客室を回り、大殿に近づいて見ると、地面に靴袋が一つ、
名札を裏返しにして、寂しそうに置かれていたのを発見しました。しゃがん
でその名札を裏返してみると、やっぱり私の靴袋で、とても嬉しくなりまし
た。
靴 入 れ 袋 を 手 に 取 り、 ゆ っ く り と 医 療 ス テ ー シ ョ ン に 戻 っ て 歩 き ま し た。
不安で一杯だった心はやっと落ち着きました。
「 や っ ぱ り 自 分 は 凡 人 だ 」 と 自 分 に 言 い 聞 か せ ま し た。 た っ た 一 足 の 靴 な
のに、なぜこんなに混乱してしまったのでしょうか。
静思晨語で證厳法師がおっしゃった説法、「法空寂一切相」を思い出しま
した。全てを「空」にすることだという教えです。これによって心は明らか
になり仏性が見えてくるのです。仏性が見えなかったら、我々の心は煩悩に
煩わされ、絶えず外的な煩悩に縛られて、自由自在ではいられないどころか、
他人を救済することもできません。
この時点で私は理解した気がしました。たかが一足の靴に、私の心は捕ら
れてしまいました。命が終わろうとしている時に自在でいられるのは、全て
の「我執」を捨てている時です。あの日が遠くならないことを期待して、今
102
慈済ものがたり
2016・12
103
一刻一刻もそれを大切にして、生きていきたいものです。
❋注:二〇一六年八月の中旬、證厳法師が静思晨語の時間に《法華經.法師
品第十》の経文を解釈されました。「大慈悲を部屋にして住む、柔軟忍辱を
衣にして着る、諸法空性を席にして座る、此処にて説法する」。そして「慈
悲より全ての善が生まれる、柔らかい和気が全ての悪を防ぐ、諸法空性が全
てを静める」と語りました。日常生活の中で、「慈悲、忍辱、空性」の三つ
の法を用いて、自他に利益を持たすように励ましてくださいました。
どんな事に出会っても心には必ず「大慈悲」を抱き、どんな逆境に置かれ
ても「柔和忍辱」を身から離さないようにします。心を清らかにし、障碍を
な く し、 執 着 か ら 脱 け 出 し て 無 明 を 作 ら ず、 最 も 純 粋 な 真 理 ︱「 静 寂 清 澄 」
に帰りましょう。
訳・済運
ィ ケ ム リ ア ン 病 院 で 1 1 4 回 目 の 施 療 を 行 っ た。 タ ン ジ ュ ン バ ラ イ カ
◎慈済インドネシア支部は10月28日から30日までバタン島ブデ
慈済大事記十、十一月 …………………
10・28
リ ム ン と タ ン ジ ュ ン バ ト ゥ、 タ ン ジ ュ ン ピ ナ ン の 住 民 4 9 2 人 に 白 内
104
慈済ものがたり
2016・12
105
10・29
10・30
障、脱腸、腫瘍などの手術を行った。
◎ 静 思 書 軒 は 2 8 日 と 2 9 日、「 秋・ 心 の 灯 」 お 茶 会 イ ベ ン ト を 開 き、
茶 道 の 講 座 を 通 し て 静 思 人 文 を 広 め、 来 場 者 に 心 の 安 ら ぎ を 体 験 し て
もらった。
中国深圳の慈済ボランティアは深圳市の環境衛生事業で働く労働者を
対 象 に 冬 季 配 付 活 動 を 行 っ た。 宝 安、 南 山、 坪 山 新 区 な ど で、 住 民 の
生活状況を調査し、230世帯を訪問した。
◎北区と東区の慈済人医会から50人の医療人員が創世基金会台東支
部を訪れ、33人の寝たきり患者に口腔衛生ケアを提供した。
◎ 慈 済 マ レ ー シ ア・ ク ア ラ ル ン プ ー ル 支 部 と ア ビ 連 絡 事 務 所 は 合 同 で
サ バ 州 コ タ マ ル ド ゥ で 施 療 を 行 い、 サ ン バ リ タ 小 学 校 と サ ン バ リ タ ハ
イ、 ソ ニ ト ン ウ ル、 リ ン コ ン ボ ン ガ ン、 モ ン コ ウ、 パ ン ボ ン 2 村、 パ
ンボン3村などの山間部で往診し、延べ2426人を診察した。
◎ カ ナ ダ、 サ リ ー 市 の 慈 済 ボ ラ ン テ ィ ア は「 サ リ ー ホ ー ム レ ス の 家 」
で 冬 季 配 付 活 動 を 行 い、 1 2 6 枚 の ジ ャ ケ ッ ト と 1 3 2 人 分 の 日 用 品
パックを配付した。
◎慈済アメリカ総支部とラスベガス支部はラスベガスサルベーショ
ン ア ー ミ ー セ ン タ ー で 2 0 1 6 年 下 半 期 の 歯 科 の 施 療 活 動 を 行 っ た。
101人が診察を受け、無料散髪と衣類の配付も行われた。
◎ 中 国 江 蘇 省 塩 城 市 阜 寧 県 孔 蕩 村 は 今 年 6 月 に 竜 巻 に 見 舞 わ れ た。 慈
済 慈 善 事 業 基 金 会 は 現 地 自 治 体 と 協 力 し て、 3 0 日 に 慈 済 蘇 州 志 業 パ
ー ク で「 塩 城 阜 寧 孔 蕩 慈 済 大 愛 村 支 援 建 設 合 意 書 の 調 印 式 」 を 行 っ た。
慈 済 慈 善 事 業 基 金 会 の 副 総 執 行 長、 林 碧 玉 と 塩 城 市 阜 寧 県 県 議 員 常 務
106
慈済ものがたり
2016・12
107
11・01
11・02
11・03
11・05
11・06
委員会、政法委書記である丁政萬が出席して調印した。
「2016年慈済海外養成委員慈誠精神研修会」が1日から14日まで
3 回 に 分 け て 板 橋、 三 重、 新 店 及 び 台 中 静 思 堂 で 開 か れ、 2 9 の 国 と
地域から2500人以上のボランティアが参加した。
花蓮慈済病院と慈済ベトナム支部は国際医療衛生面での協力すること
に な っ た。 診 療、 人 員 の 訓 練、 学 術 研 究 の 交 流 な ど で 協 力 し、 こ の 日、
林欣栄院長と支部責任者の陳大瑜が板橋静思堂で合意書を取り交わし
た。
◎慈済フィリピン支部は3日から6日までダバオ市で第250回目の
施療を行った。フィリピン、マレーシア、台湾の人医会メンバーが外科、
眼科、漢方医科など6つの診療科目で延べ6440人を診察した。
◎ フ ィ リ ピ ン 慈 済 ボ ラ ン テ ィ ア は 現 地 の お 墓 参 り の 風 習 期 間 中( 1 0
月 3 0 日 ― 1 1 月 3 日 ) に ケ ソ ン、 マ ニ ラ、 サ ン マ テ オ な ど 6 都 市 の
1 0 カ 所 の 墓 地 で 7 回 目 の リ サ イ ク ル 活 動 を 行 っ て 環 境 保 護 を 訴 え た。
こ の 5 日 間 に 延 べ 1 5 0 0 人 の 住 民 が 日 雇 い 方 式 で 参 加 し、 3 2 ト ン
の物資を回収した。
慈 済 マ レ ー シ ア、 ム ー ア 支 部 は 5 日、 1 2 日、 1 3 日 に セ コ ラ 小 学 校、
ジ ョ ホ ー ル・ チ ミ ン 第 2 小 学 校、 マ コ バ キ リ 公 民 館、 バ ン タ ム ル ナ ン
タムタム小学校で581人の生徒に奨学金を授与した。
◎ 慈 済 ア メ リ カ・ ニ ュ ー ヨ ー ク 支 部 は 初 め て ブ ル ッ ク リ ン 区 役 所 と 合
同 で 地 域 社 会 健 康 の 日 活 動 を 催 し、 住 民 に 歯 科、 漢 方 医、 物 理 療 法 リ
108
慈済ものがたり
2016・12
109
11・12
11・20
ハビリなど多科目に渡る医療相談を行った。
◎慈済アメリカワシントン支部は赤十字社と合同でノースカロライナ
州ランバートンでハリケーンマシューの被災者252世帯にショッピ
ング用カードを配付した。
◎大林慈済病院は年に一回のターミナルケア病棟患者の家族ピクニッ
クを行った。腫瘍科、ターミナルケア病棟、がん患者ケアボランティア、
タ ー ミ ナ ル ケ ア 医 療 チ ー ム な ど 7 0 人 が、 景 観 地 で 青 竹 踏 み を し た り、
慈済雲林支部でストレスと悲しみを和らげる講座に参加した。
◎ 北 区 慈 済 人 医 会 は 新 北 市 三 峡 区 有 木 小 学 校 の 要 請 で、 初 め て 当 学 校
の開校記念日に施療を行い、山間部の住民に奉仕した。
◎ 台 中 慈 済 病 院 の 医 療 人 員 が 往 診 活 動 を 行 っ て「 医 師 の 日 」 を 祝 っ た。
慈 済 の 訪 問 ボ ラ ン テ ィ ア と 社 会 福 祉 人 員 が 5 組 に 別 れ て、 潭 子、 豊 原、
苗栗等で病人や弱者家庭を訪問した。
◎ 慈 済 ア メ リ カ 総 支 部 は「 大 愛 野 菜 果 物 カ ー」 計 画 を 始 動 し、 弱 者 家
庭の学生に野菜や果物などの生鮮食品を配付する活動を初めて南カリ
フォルニア・サンバナディーノインディアン学校で行った。
◎14日、ニュージーランド・サウスアイランドでマグニチュード7・
8 の 浅 層 地 震 が 発 生 し、 海 沿 い の 町 カ コ ー ラ が 大 き な 被 害 を 蒙 り、 住
民 と 観 光 客 は ス ペ ン サ ー 公 園 レ ジ ャ ー セ ン タ ー に 避 難 し た。 慈 済 ニ ュ
ー ジ ー ラ ン ド 支 部 の ボ ラ ン テ ィ ア は 2 0 日、 被 災 地 の 避 難 所 を 見 舞 い、
飲料水と毛布、食器を住民に提供した。
110
慈済ものがたり
2016・12
111
中華郵政台北誌字第909號執照登記為雜誌交寄
Printed In Taiwan
発行人
発行所
■
慈済基金会日本支部
〒 169-0072 東京都新宿区大久保 1-2-16
電 話 (03)3203-5651 ~ 5653
FAX
(03)3203-5674
E-mail: [email protected]
[email protected]
證厳法師のお言葉、委員や会員の体験談、慈済に関するニュー
ス等を日本の方々にお知らせする目的でこの小冊子を編集しま
した。日本文への翻訳は素人である私たちがしましたので、不
備な点や、つたないところがあると思います。ご感想やご教
示がいただけますれば幸いに存じます。(日文組編集同人)
い て、 目 は 経 文 を 追 っ て 口 は 経 文 を
の で す。 い つ も 確 か に お 経 を あ げ て
り、 念 仏 も 長 く 続 か ず 集 中 で き な い
わけか仏を拝むと別のことを考えた
り、それにつれて智慧が生まれます。
で、 も し 心 が 集 中 で き れ ば、 事 の 道 理 が 解 る よ う に な
た い か ら で す。 智 慧 は 落 ち 着 い て 初 め て 生 ま れ る も の
す る の は 聡 明 に な り た い か ら で は な く、 智 慧 を 習 得 し
て そ う な る の で し ょ う? 心 が 統 一 で き な い 為 に 智 慧
も 必 然 的 に 開 か れ な い わ け で す。 私 た ち が 仏 法 を 習 得
いのです。
できるようになります。
絵・蔡志忠/彩色・慮扶
訳・済運《清らかな智慧》より
そ れ 故、 仏 は 弟 子 た ち に 心 の 養 生 を 教 え ま し た。 心
を 一 つ に ま と め る こ と が で き れ ば、 心 を 静 め る こ と が
ものです。
ら 入 り、 心 で 道 理 を 理 解 し て 初 め て 本 当 の 智 慧 と い う
か ら 説 法 を 聞 い て い る が 如 く、 文 は 目 か ら、 声 は 耳 か
例 え ば、 念 仏 す る 時 は 仏 の 心 が 自 分 の 心 と な る ま
で、 そ し て、 お 経 を 読 む 時 は あ た か も 仏 の 前 で 仏 自 身
唱 え て い る の で す が、 心 が そ こ に な
こ う い う 問 題 は 誰 に で も あ る と 思 い ま す が、 ど う し
釋證厳
慈済基金会
〒 112 台湾台北市北投区立徳路 2 号
編 集 慈済日本語翻訳チーム
杜張瑤珍・張涵
校 閲 山田智美
電 話 (886)02-2898-9000
FAX
(886)02-2898-9920
E-mail: [email protected]
師 匠、 私 は 敬 虔 に 拝 仏 し た り、 念
仏 す る 気 が あ る の で す が、 ど う い う
2016年12月19日発行・240号