幻影の魔狼と死の超越者 ID:107164

幻影の魔狼と死の超越
者
びろうど
︻注意事項︼
このPDFファイルは﹁ハーメルン﹂で掲載中の作品を自動的にPDF化したもので
す。
小説の作者、
﹁ハーメルン﹂の運営者に無断でPDFファイル及び作品を引用の範囲を
超える形で転載・改変・再配布・販売することを禁じます。
︻あらすじ︼
ユグドラシルの割と初期にひっそりと追加されていた隠し種族﹁幻狼︵ファントム・ウ
ルフ︶﹂。
その幻狼種族の幻術師リカントはユグドラシルのサービス終了後に異世界へと単独
で転移する。
その頃ほぼ同時に単独で転移したとあるプレイヤーがいるとも知らずに。
単独転移したモモンガ様とオリ主リカントが早い段階で出会います。ギルドやクラ
ンという拠り所のない二人のカンストプレイヤーが、異形種化による影響に折り合いを
つけながら、表や裏から異世界に影響を与えていく話です。
オリジナルの設定や解釈、展開などが多くなると思いますが、是非ともお付き合いく
ださい。
目 次 1.森と月 ││││││││││
2.一匹狼 ││││││││││
3.死公 │││││││││││
1
20
50
1.森と月
不意に頬を撫でる風で男は目を開けた。
顔を上げると視界に映るのは木だ。見渡す限りの木だ。鬱蒼と茂る木々に囲まれ、辺
りは夜の静けさに包まれている。虫のさざめきが周囲の静寂をより一層引き立ててい
る。
状況を把握できない鈍い頭を必死に働かせながら、辺り一面の木々を見渡す。ふと視
︶
界に映った自分の体を見下ろすと、目覚める前の最後の記憶と同じ衣装を身に纏ってい
る。
︵なんでこの姿のままなんだろう
しかし、ありえない事態が起きているのもまた事実。
多少驚きはしたが、それは別にいい。まだ許容範囲内だ。
?
動揺の原因に視線を戻し、口から漏れ出るままに呟く。
﹂
?
﹁ここは⋮⋮どこ⋮⋮だ
1.森と月
1
*
││数分前
ヘイムに存在する最近よく来る狩場だ。
年間の歴史に幕を下ろす。その最後の瞬間を独りで過ごすのは九つの世界の一つ、ヘル
G の代名詞と言われるまでになったゲーム││ユグドラシルも、あと数分で 12 2126 年にサービスを開始し、体感型オンラインゲームの花形、DMMO│RP
彼は唯一の趣味を失うことに深い喪失感と寂寥感を抱いていた。
不審者だと通報されそうだ。如何にも胡散臭いこの男の名は、リカント・ウルフヘジン。
陰気な雰囲気を放ちながら膝を抱えてぼそぼそつぶやいている様は、現実世界ならば
笑みを浮かべた口元くらいだろうか。
い。他の特徴と言えばフードから覗く鼻先まで伸びたウェーブがかった黒髪と、不敵な
い。ローブによって手足も含めた全身が覆い隠されているため、素肌はほとんど見えな
ブに身を包む男だ。フードを目深に被っているため、その顔を窺い知ることはできな
溜息交じりにそんな言葉を吐くのは、裾がボロボロに破けたみすぼらしい漆黒のロー
﹁明日からどうしよっかなー﹂
2
1.森と月
3
最終日ということもあって、あちこちにいるモンスターはその動きを止めている。こ
ちらから攻撃を仕掛けない限り襲ってこないようになっているようだ。今日は行きた
い場所があったが、結局そちらに行く決心はつかなかった。ここは周辺にプレイヤーも
ワーウルフ
いないようなので、安心して最後を迎えられるだろう。終わりの瞬間が近づくまで、リ
カントは今までの思い出に耽ることにする。
ローブの下は人間そのものの容姿をしているが、リカントが最初に選んだ種族は人 狼
と い う 異 業 種 で あ る。異 業 種 の 中 に は 形 態 を い く つ も 持 つ 種 族 が あ る。人 狼 も そ う
いった種族であり、3 種類の形態を持つ。
一つは人間形態。
一つは二足歩行する筋骨隆々な狼のような獣人形態。
一つは四足歩行の狼の姿をしている獣形態。
これらの複数の形態を持つ種族は、それぞれの形態時の外装を自分で設定することが
できる。制限はあるが、ある程度ならば自由に弄ることができるのだ。こういった製作
面の自由度と、ゲームのラスボスのように異なる外見に変身ができることなどから、複
数形態を持つ種族には根強い人気があった。人間形態時や半形態││人狼における獣
人形態││時にペナルティを受けることで、最も異形らしい外見をした最終形態時に
4
ボーナスを得られるようにしているプレイヤーは多かった。
リカントも例に漏れず、狼形態において最も強くなるように設定し、それ以外の形態
でペナルティを受けるようにしていた。こういった経緯から、リカントは人間形態をデ
フォルトの形態にしてある。対応できる範囲は人間形態で対応し、状況に応じて形態を
変化させるようにしていたのだ。
しかし前述の理由はユグドラシルで経験を積むうちに学んだことであり、最初に人狼
種族を選んだ理由は別にある。リカントがユグドラシルを始めるにあたって、人狼の
ロールプレイに重きを置いたドリームビルドを組むことにしたのだ。人狼と言えば人
に化けて人を襲う化け狼である。人に化けるというロールプレイのためには、人間形態
をデフォルトで使う必要があったのだ。
自身の思い浮かべる人狼像を再現するために色々な方針を検討した結果、リカントは
幻術を始めとした敵の目を欺く魔法を優先して習得することとなった。キャラクター
メイキングを進めるうちに、職業も幻術系統にボーナスが乗るものを選ぶこととなり、
人狼の幻術師の道を歩み出したのだ。
そうして初期から幻術に重点を置いてきたが、幻術を極めていくうちに問題に突き当
たることとなった。ユグドラシルというゲームにおいて幻術は微妙系魔法として認識
1.森と月
5
されているのだ。その理由としては、ある程度レベルの上がったプレイヤーにとってほ
とんどの幻術は対策可能であり、効果が薄いことが挙げられる。幻術を極めるよりも、
他の系統を極めた方がよっぽど強いキャラクターをつくることができるのだ。
そもそも人狼は、魔法詠唱のための精神力よりも筋力などの肉体能力に優れている種
族である。人狼種族を選んだ上で、わざわざ微妙系魔法職である幻術職に就く物好きは
皆無に等しかった。
それに加え、もともと幻術特化の職業の数が少ないという問題もある。そのため、幻
術関係だけで職業レベルを埋めることは難しかった。
そんな中ユグドラシルの制作元は、とあるアップデートの際に幻術への救済措置を密
狼 だ。リカントは幻術師としてのビルドを積んでいく
ファントム・ウルフ
かに用意した。それは幻術にボーナスのある新たな種族や職業の追加である。その際
に追加された種族の一つが 幻
うちに幻狼種族や幻術の新職業を見つけ、それらを習得することとなった。
幻狼種族を選択しているプレイヤーは、リカントを含め片手の指で数えられる程度
だった。幻狼になるための条件は、狼系の種族を初期種族として選び、幻術ボーナスの
ある特定の職業を 3 つ、最大レベルまで習得することだ。この条件を満たし、種族
変更のためのアイテムを使用することで、初めて幻狼になることができる。
この条件を満たしたキャラメイクをしようとしても大抵弱くなってしまうため、この
6
ような職業選択をするプレイヤーは少なかったのだ。人が絶対にやらないであろうビ
ルドをすることでしかなれない種族の追加とは、いかにも捻くれた糞製作らしいアップ
デート内容である。
こうして種族変更したリカントの新しい種族││幻狼は、巨大な体躯を持つ白い狼で
ある。その体は霊体のごとく実体を持たず、その顎は極寒の冷気を纏っている。
隠し種族として追加されただけあって、幻狼は相応の強さを誇る種族だ。実際リカン
トも戦術の幅が広がり、PVP の勝率も格段に上がった。
幻狼はこれといった魔法的な属性耐性も弱点属性もない種族ではある。しかし、幻狼
は実体を持たない││物理的な肉体を持たない││種族である。
その恩恵は様々であるが、主な特徴としては魔法的でない全ての物理攻撃を無効化で
きるというのが大きい。それに加え、実体を持つ相手からの攻撃は、たとえ魔法であっ
ても威力が半減できる。
物理的な行動阻害を受けず、制限はあるが物体を通り抜けることもできる。このよう
にあらゆる物理的な制限を受けることがない。肉体を持たないため、行動に音を伴わず
臭いも発さないことなどが挙げられる。
デメリットとしては、自身と同様の非実体の相手からは通常通り攻撃や効果を受けて
しまうことだ。他にも、魔法の矢などの純粋な魔力による攻撃魔法を受けても半減され
1.森と月
7
ずに通常のダメージを受け、純粋な魔力による防御手段を破ることもできない。
外皮や鎧による防御のボーナスを受けられないし、筋力の能力値が 0 であり物理
的な接触をすることもできないことなどが挙げられる。
これらの非実体の特徴以外にも、幻狼にはいくつかの特徴がある。敏捷力が非常に高
マジック・キャスター
く、所有する特殊技術も相まって回避能力に大きなボーナスがある。また感知能力も高
いので、索敵や探索にもある程度優れていると言える。
リカントは、このアップデートのおかげで職業を幻術で埋め、幻術特化の魔法詠唱者
となった。幻術は看破されれば真の効果を発揮できないものが多かったので、ほとんど
のプレイヤーに対して今までは効果が薄かった。しかし、種族や職業による幻術への
ボーナスの効果のおかげで看破されにくくなり、実用に耐えるレベルにまで大躍進を遂
げたのだ。
幻術が微妙な扱いを受けていたために必死に磨いたプレイヤースキルもあり、リカン
トは見違えるほどの強さを手に入れた。
そして、所属するクランでも活躍の機会が増えたのだ。あの輝かしい時代││今はリ
カント一人になってしまったクランの全盛期に思いを馳せ、終了時間目前まで静かに過
ごした。
﹁最後は花火でも見ながら過ごすか﹂
サービス終了が目前に迫った頃、買っていた花火を次々と空に打ち上げ始める。これ
はユグドラシルの製作元が安く販売していたものだ。ユグドラシルでは、すでに世界各
地で花火が空を彩り、様々な感情を込めた声とともに空へと消えていっていることだろ
う。
リカントは製作元や運営への罵声、かつてのクランメンバーへの想いなど、12 年
間の想いを花火に乗せて打ち上げる。
花火を全弾打ち上げ終えた後、割と近くにプレイヤーがやって来たようだが、ある程
パーフェクト・アンノウアブル
度距離が離れているので襲われても対処可能だろう。そもそもサービス終了時間まで
持続するように︿完全不可知化﹀の魔法を発動させているので、発見されることはまずな
いはずだ。花火を打った直後にも襲われなかったし、あの場所からも移動したので大丈
夫だろう。
もう残り時間は少ない。最後くらいは感謝の言葉を贈ろう。
ユグドラシルがよっぽど好きだったのだろう。
る。
明日のことを考えるでもなく、最後までゲームのことが頭から離れない自分に苦笑す
︵最後の最後まで他のプレイヤーを警戒するなんてな︶
8
﹁なんだかんだ言って楽しかったな。ありがとう、糞製作、糞運営﹂
﹂
虚無感が少し薄れ、心穏やかなまま時間が経過していく。
そして、0:00:00 ここはどこなんだ
誰かいないのか
終了時間になる瞬間に視界が白い光に包まれた。
*
ないようだ。
はなかったことだ。理由はわからないが、何か不測の事態に巻き込まれたことは間違い
それに、終了時間の間際に見た眩い白色光は何だったのか。いつものログアウト時に
またユグドラシルⅡでも始まったのか。
ぬ森になっていた。サーバーダウンが延期された後でバグによって転移したのか、はた
本来サーバーダウンにより強制排出されるはずだったが、いつの間にか周囲は見知ら
!?
││そして、今に至る。
﹁何が起こっている
!?
どれだけ待っても、返事は帰ってこなかった。
!?
﹁と、とにかく、まずは運営に連絡するべきか﹂
1.森と月
9
動揺を無理やり抑え込み、コンソールを開こうとした。が、肝心のコンソールは浮か
び上がらない。GM コールや強制終了などの、コンソールを使わない機能を試してみ
﹂
るも反応はない。まるでシステムから除外されたようだ。
﹁何がどうなってるんだ
﹂
?
成し得なかったのだ。
た。2120 年代の技術を以てしても、話すのに合わせて表情を変えるようなことは
いるようだ。ユグドラシル時代にはこのような表情変化はなく、固定されて動かなかっ
先程までは動揺していて気付かなかったが、言葉を紡ぐのに伴って口や表情が動いて
﹁はぁ、面倒なことになったな⋮⋮って何だこれ、動いているのか
への感謝は薄れ猛烈に罵声を浴びせたい衝動に駆られたが、やめておいた。
た暁には、製作や運営からの何かしらの賠償は期待しておこう。終了直前の製作や運営
だが、ユグドラシルをプレイしていて起こった事態なのだ。無事に現実の日本に帰れ
などないだろう。
るとは思えないし、そもそも犯罪という危険を冒してまで営利誘拐を強行するメリット
拐という犯罪行為と見做されている。会社という単位でそのような犯罪行為に加担す
能性が高い。相手の同意なく強制的にゲームに参加させることは、電脳法により営利誘
たとえここがまだユグドラシルの中であったとしても、運営の手からは離れている可
?
10
﹂
?
ユグドラシルとの相違点の確認を行うことにした。
ようやく少し落ち着きを取り戻してきたリカントは、現状をしっかり認識するために
などと陰謀論を考えていても時間の無駄だ。
トに巻き込まれでもしたのか。黒幕がいるならば一体どのような思惑があるのだろう、
ここがゲーム内である可能性は限りなく低い。まさか異世界転移などというオカル
実世界よりも鋭敏に感じられるくらいだ。
ば、嗅覚と味覚、そして一部の触覚は電脳法により遮断されているはずなのだ。今は現
これらの感覚はゲームで再現できる範疇を明らかに超えている。ゲームであるなら
のがソレだろう。
りが漂っている。﹁空気がおいしい﹂という表現が書物に書いてあったが、今感じている
おまけに、これまでの人生で感じたことのない心地の良い香り││おそらく森林の香
を肌で感じている。
触をしっかりと感じる。あまりにもリアルな感覚なのだ。そもそも目覚めたときに風
体を動かしたときに気づいていたことではあるが、衣擦れの感触や手に触れる草の感
愚痴はこの程度で止めておき、再度現状を確認する。
﹁何が何やら⋮⋮。どうしてこんなことに巻き込まれてるの、俺
1.森と月
11
ス
キ
ル
まずは魔法や特殊技術が使用可能かどうか試してみることにする。リカントは現在、
見知らぬ森の中で一人無防備を晒している。まずは安全の確保が優先だ。しばらくは
声を出すのも控えた方がいいだろう。この世界でゲームのように魔法が発動できると
センス・エネミー
は限らないが、物は試しだ。
最初は︿敵感知﹀を発動させることにする。魔法を発動させるにはどうすればいいか
を考えていると、手に取るように発動方法が伝わってきた。
ス
キ
ル
パラノーマル・イントゥイション
センサーブースト
次は特殊技術の確認だ。鬱蒼とした森の中、問題なく周囲を見渡せているのは、リカ
法を発動させ、ひとまず魔法の確認に区切りをつけた。
その後︿上位全能力強化﹀、︿超 常 直 感﹀
、
︿感知増幅﹀など、バフを中心に次々と魔
グレーターフルポテンシャル
把握できた。
それと同時に魔法の効果範囲や、次に魔法を発動させるまでの冷却時間などが完璧に
だ。
よって発動していたが、この世界では手足を動かすように自在に操ることができるよう
る で 自 身 の 感 覚 に 直 接 働 き か け て く る よ う だ。ゲ ー ム の と き は コ ン ソ ー ル の 操 作 に
詠唱すると共に魔法が発動し、効果範囲内に敵対者がいないことが伝わってくる。ま
︿敵感知﹀
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視﹀によるものだろうか。これを解除すれば辺
ダークヴィジョン
ントの持つ種族的特殊技術である︿闇
りは闇に包まれるはずだ。︿闇視﹀の特殊技術に意識を向けると、魔法と同様に手に取る
ように解除方法がわかった。解除と同時に視界が数メートル先も見通せぬ暗闇に変わ
る。
︶
!
技術の確認を終える。
キ
ル
界はやはりユグドラシルではないという実感の後押しとなった。
キ
ル
だったものが、文字通り幻術として機能していたのだ。ゲーム時代との違いが、この世
術 な ど が そ の 最 た る も の だ ろ う。ゲ ー ム 時 代 は コ ン ソ ー ル を ご ま か し た り す る だ け
しかしながら、中にはゲーム時代とは明らかに仕様変更されているものがあった。幻
問題なく発動できている。アイテムも確認してみたが特段問題はなかった。
えるようだ。コンソールなどが無い代わりに幾分現実寄りになっているようだが、現状
ユグドラシルではないにも拘らず、この世界ではユグドラシルの魔法や特殊技術が使
ス
が分かった。発動させるべき特殊技術と解除しておくべき特殊技術を取捨選択し、特殊
は急いで︿闇視﹀を再び発動させる。これで特殊技術の切り替えも問題なく行えること
ス
頭上の木の葉の隙間から漏れる幽かな月明かりだけでは心許ない暗さだ。リカント
︵暗っ
1.森と月
13
この世界はユグドラシルと何かしら関係があるようだが、圧倒的に情報不足だ。自分
と同じように、この世界に飛ばされたプレイヤーもいるのかもしれない。同じ状況に
陥っている人がいるならば、できれば協力関係を築きたい。
相手が余程の人格破綻者や危険思考の持ち主なら関わり合いになりたくない。しか
し、まともな相手ならば友好的に接した方が良いだろう。プレイヤーに出会ったときの
対応を考え、心のメモに書き込んだ。
ス
キ
ル
落ち着いて余裕が出てきたリカントは、ふぅと一息吐く。視線は自然と頭上を見上げ
るように動く。月が綺麗だ。
︶
上げ、童心に返ったように星空を眺める。大気汚染の進んだ現実世界では決して見られ
夜空は澄み渡り、月や星々が燦然と輝いている。リカントは声にならない感嘆の声を
﹁⋮⋮っ⋮⋮﹂
と舞い上がる。
と近くで見てみたいという衝動に駆られ、
︿飛行﹀の魔法で木々の間をすり抜けて上空へ
フライ
我夢中で、月が出ているという異常に関しては気にも留めていなかった。あの空をもっ
木々の隙間から覗く空に確かに月が見えている。先程は魔法と特殊技術の確認に無
︵月⋮⋮だと
?
14
ない美しい夜空に息を呑む。大小様々な星が夜空一面を彩る様は、今まで見たどんな芸
術作品よりも美しく感じられた。初めて五感で感じる森や星々の生命の煌めきは、リカ
ントの心に深く感動を刻みこんだ。
真ん丸い満月をずっと見続けていると、いつの間にか人狼について考えていた。リカ
ントはユグドラシル初期の段階では人狼のロールプレイをしていたのだ。月から人狼
を連想してしまうのは無理もない。
人狼の設定が復活することもあるかもしれない。今までの常識が通じないであろう異
には積極的に人を襲うようなことは書かれていなかった。だが、この世界に来たことで
族変更したことで、すでに人狼ではなくなっているはずだ。幻狼のフレーバーテキスト
どちらにせよ、人を襲う存在なのだ。では、今の自分はどうなのだろうか。幻狼に種
を食料としているわけではない。
われている。ユグドラシルにおいても人に化けて人に紛れ人を襲う設定があるが、人間
人狼ゲームという TRPG における人狼は、人に化け人を捕食する存在として扱
た。
においてはどうであったかを思い出そうとした。しかし、結局思い出すことはなかっ
人狼もしくは狼男の伝承や神話などには月との関連について諸説あり、ユグドラシル
︵確か⋮⋮満月の夜に獣人に変身するんだっけ︶
1.森と月
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世界ならば、突拍子もないことが起こっても不思議ではない。
杞憂で終わってくれればいいが、人を見た途端に悪感情が湧き出たりする可能性もな
いとは言い切れない。最悪この手にかけることも││。
そこまで考えて、リカントの心はざわつく。とは言っても、細波が立つ程度である。
自分の意志に反して殺人を犯してしまうかもしれないというのに、心は軽く動揺を抱い
ただけである。
異世界に来たことで、心まで怪物に成り果ててしまったかのようだ。自身が思い浮か
べた悍ましい想像に人間として当然の忌避感や嫌悪感を抱いていない。そのことが何
よりも恐ろしかった。
日の出まで眺めていたかったが、これ以上見ていたら先程の想像が頭から離れなくな
りそうだ。キラキラ光る美しいはずの夜空が、自分の心を飲みこみ怪物に変えようとす
る恐ろしさを孕んでいるように見えた。
余計なことを考えるなと自分に言い聞かせながら心を落ち着ける。
深呼吸を繰り返していると、平常心とは言えないまでも落ち着きを取り戻す。
から︶
︵空が明るんできたら日の出を見に行こう。その頃には月は見えなくなっているはずだ
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フライ
︿飛行﹀の魔法によってゆっくりと下降し、目覚めた地点に舞い降りた。
自分の身体を見てみても、獣人形態に変化していたりはしなかった。心はまだ少しざ
わついているが、悪い考えを頭から追い払うためにも行動を開始することにした。
ひとまずは知的生命体との接触を目標とし、周囲の確認のために探知魔法を発動す
リモート・ビューイング
る。
飛ばした感覚器官の目を操作し、森の中を進ませる。元々の視界に重なるように感覚
︿遠 隔 視﹀
ク リ ス タ ル・モ ニ タ ー
器官の視界が映るが、どちらも鮮明に認識できている。不思議な感覚だ。
だが、慣れない感覚なので途中から
︿水晶の画面﹀での観察に切り替えた。目の前に浮
かび上がった画面を見やりながら、これからのことを考える。
*
若干の不安を抱えながら、探索へと乗り出した。
︵友好的に接してくれそうなのが居ればいいんだが︶
1.森と月
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18
ス
キ
ル
この世界に転移してから、リカントは相手のだいたいの強さを感じ取れるようになっ
た。種族的特殊技術のおかげなのか、はたまた狼の獣的な超感覚を得たのかわからない
が、出会う相手の強さがある程度わかるようになったのだ。その力を使って目が覚めた
地点の周囲を一定範囲内探してみたが、見つけたモンスターはどれも非常に弱く感じら
れ た。具 体 的 に は レ ベ ル 1 0 に も 満 た な い の で は な い だ ろ う か。こ こ は 駆 け 出 し
のプレイヤー専用の狩場かな、などとゲーム脳で考えてしまう。
一度に広範囲を調べるのは手間なため、ある程度で区切りをつけた。調べた範囲には
特筆すべき生物は見当たらなかったが、他と比較して頭一つ抜けて強く感じられるモン
スターがいた。とは言っても、リカントからすれば雑魚のように感じられるのだが。
だからと言って油断することはできない。まだユグドラシルの由来の力が信用でき
る保証はないのだ。リカントの感覚で弱いと感じられても、実際の戦闘では強いのかも
しれない。嘗めてかかっていては思わぬ失敗に繋がる可能性もある。この世界ならで
はの魔法や技術、アイテムなどがあれば、それにも警戒すべきだ。
さて、まずは対話を試みるとしよう。強いモンスターならば有益な情報を持っている
可能性もあるだろう。
方針を固めたリカントは、確認した地点に向かってゆっくりと歩いていく。転移など
の移動手段を用いないのは、初めて感じる地面の感触や風に吹かれながら歩く気持ちよ
1.森と月
19
さを享受しながら道中を楽しみたいからだ。
物語や映像作品による知識はあったが、直接肌で自然を感じるのは今日が初めてだ。
冒険心とも言うべきわくわくした感情の赴くままに、ありのままの大自然を享受してい
る。そのことがリカントの足取りを軽くさせていた。
何度かモンスターに襲われながらも悠然と森を進む。この分なら警戒心を解いても
いいかと思ったが、流石に考え直した。どうやら気が緩みすぎているようだ。あと少し
歩けば目的地に着く頃合いか。
しばし歩いた後、探知魔法で発見したモンスターが視認できた。アレがこの周辺で一
番の強者か。
目線の先、 50 メートルほどの位置に、目的のモンスターの長い尾が揺れていた。
ち切ったのだが。
じゅうおうむじん
は言っても早い段階でメンバーは固定化し、ある時期からは新たなメンバーの募集を打
ければならなかったが、それもこのクランの一つの個性として受け入れられていた。と
種族でも受け入れ、ビルドも各々が好きにしていた。クラン加入時には獣の姿を見せな
ン長の選別眼に任せて加入者を募っていた。種族は獣要素が入っていればどのような
も参加できた。問題を起こしそうなプレイヤーの加入は蹴っていたが、基本的にはクラ
獣人や四足獣の姿の者に限らず、条件を満たせば常用の外見が人間と変わらない者で
で構成されたクランだった。
リカントはクラン﹁獣王武陣﹂に所属していた。獣王武陣は獣をベースとした異業種
かつての栄光を思い浮かべる。
験を活かすとしよう。
な状況は想定しておくべきだ。戦闘になった場合は、ユグドラシル時代に培った戦闘経
探知魔法で見つけたモンスターが目前に迫った状況で、リカントは考える。常に最悪
2.一匹狼
20
2.一匹狼
21
獣王武陣の目的はただ一つ、﹁冒険﹂である。
世界を旅しながら、未探索のダンジョンを見つけること。
ダンジョンに挑み、質の良い戦利品を獲得すること。
獲得したデータクリスタルを使ってより良い武器、防具、装飾品を作り上げること。
強化した装備をもって、より難関のダンジョンに挑むこと。
そうやって世界各地を縦横無尽に旅し続けることが、このクランのあり方だった。
職業構成上戦闘には向かない者であっても対人戦闘やボス戦を想定し、ある程度は戦
闘能力を重視していた。そのようなメンバーもプレイヤースキルでステータス上の弱
さをカバーできる者が多く、連携も取れていた。
対人戦に関しては、決してこちらからは仕掛けずに、降りかかる火の粉を払うのみ
だった。獣王武陣が重視するのは、ギルドやクランを追い落とすことではなく、あくま
でも冒険である。旅路の邪魔をするものには容赦しないだけであり、積極的に対人戦を
仕掛けるわけではなかった。
ユグドラシルの比較的初期に集まった 30 人のクランメンバーは、全員ログイン
頻度が高く、世界各地で冒険を重ねてきた。ルールとして定めたものではなく、ログイ
ンしないことで咎められることもなかったが、外せない用事があるとき以外はできるだ
け皆が参加していた。クラン獣王武陣への帰属意識が高く、一体感を楽しんでいたのだ
22
ゴッ
ズ
と思う。クラン獣王武陣は必要なときには遠慮せず休み、ログイン時には大いに盛り上
がる。そんなクランだった。
装備にこだわり抜いた獣王武陣のメンバーは、比較的早い段階で全員が全身を神器級
じゅうおうむじん
の装備で固めるほどの廃人プレイヤー達だった。
獣王武陣がチームに分かれて行動する際には、メンバー各々が自分の役割を理解して
こなし、細かいところは臨機応変に対応することで成り立っていた。ユグドラシルにお
ア
タッ
カー
ア
タッ
カー
タ
ン
ク
ヒー
ラー
シー
カー
ワ イ ル ド
け る チ ー ム は 6 人 一 組 で、最 大 5 組 ま で 組 む こ と が で き る。そ れ ぞ れ が
物理火力役、魔法火力役、防御役、回復役、探索役、特殊役の 6 人で組むのが最適
解 と い う 共 通 認 識 が あ っ た。3 0 人 の メ ン バ ー は こ の 6 役 に 綺 麗 に 割 り 振 る こ
とができる職業だったため、より一層一つの集団としてまとまった行動がとれていた。
ワ イ ル ド
リカントは幻術や情報系魔法、補助魔法などを重点的に習得した、サポート型の魔法
詠唱者だ。クラン内でチームを組む際には、特殊役││状況に応じて適切な魔法を使う
縁の下の力持ち││として貢献することが多かった。
シー
カー
メンバーの欠席により特定の役割が不足している際には、本職には劣るが他の役割を
担うこともあった。大抵は感知能力や魔法を用いた探索役の代わりであったが、さらに
特殊な役割を引き受けたこともある。
2.一匹狼
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リカントは魔法職でありながら接近戦が苦手というわけではない。それは幻狼の種
族的特徴である回避能力によるものが大きいが、他にも理由がある。リカントの現実世
界での運動能力の高さによるものだ。キャラクターのステータスなどが同等の者同士
ならば、近接物理職の強さは現実での運動能力に左右される。近接職を凌ぐほどの敏捷
力をもつリカントも、現実世界の運動能力の高さにより一層素早く正確な動きができて
いた。敵の行動を予測しながら、その一挙手一投足に目を配り、臨機応変に対応する動
体視力と判断力を持ち合わせていたのだ。
ダンジョン攻略時に純粋な盾役がいない際には、その判断力や動体視力、回避能力な
どを活かして回避盾として活躍したこともあった。流石にプレイヤー相手だとリスク
が高すぎるが、一般的なボスならばこれで何とか対応できていた。敵のヘイトを買いつ
つ、回避能力や非実体の能力によって攻撃を受け流し、味方への補助や敵への攻撃など
をこなすという無茶をやってのけていたのだ。ヘイトと言っても味方のヘイトを下げ
ることはできないため、自分が標的にされやすい行動を見極めていく作業の繰り返し
だった。ヘイト管理を考慮に入れた魔法発動の仕方を掴むのには骨が折れたが、ものに
できた時の喜びも一入だった。
リカントがガチビルドを組んでいたら恐ろしいことになっていたな、とはクランメン
バーの言である。
24
ユグドラシルにおいて、魔法職はコンソールに表示されたリングコマンドのショート
カットキーを如何に上手く使いこなせるかが、その強さに影響を及ぼす。数多の魔法を
リングコマンドに配置して暗記し、繊細な指遣いでリングを動かして臨機応変に魔法を
使いこなす様から、魔法職は演奏家に例えられることがある。
そのことから、敵の攻撃を掻い潜りながら魔法発動をするリカントは、戦場のピアニ
ストと揶揄されていた。それもいい思い出だ。
獣王武陣にはいざという時に別の役割をこなせる人物がリカント以外にも数人いて、
夜には誰かしらは必ずログインしているので、ダンジョン攻略などは積極的に行ってい
たのだ。
そんな冒険を続ける中で手に入れた一番の宝と言えば、ワールドアイテムである。そ
れ以降は探索にも熱が入り、狩りやダンジョン攻略の回数も増えた。運が良かったの
じゅうおうむじん
か、その効果故か、ワールドアイテムは一度も奪われずに死守することができた。
そうして着実に強いクランになっていった獣王武陣だが、ユグドラシルの人気がまだ
全盛期であった頃、唐突に終焉へと向かうこととなる。
引き金は、皆に慕われたクラン長﹁うさぴょん将軍﹂を含めたクランメンバー 4 名の引退である。うさぴょん将軍は、ふざけた名前とかわいらしいウサギの外見に反
2.一匹狼
25
し、渋い声で皆をまとめ上げるリーダー気質の強い男であった。豪快な兄貴肌で慕われ
る一方、数々のゲームをやり込み知識を溜め込んだ精緻を極める策略家の一面を持って
いた。彼が獣王武陣の屋台骨であり、旗頭であった。
うさぴょん将軍を含めた 4 名は、この問題が浮上するまで互いにプライベートを
知らなかったが、同じ会社の人間だったらしい。つまりリアルの会社事情で忙しい時期
に入ったため、引退を余儀なくされたようだ。詳しいことはわからないが、そのことを
語る口調に誰しも寂しさは浮かんでいた。しかし、絶望を抱いているというほどではな
いように思えた。倒産などという致命的な事態には陥っていないだろうが、色々と厳し
い時期に入ったであろうことは窺えた。
それからは一人また一人と辞めていき、ついにはリカント一人となってしまった。ユ
グドラシルの最初期より一つのチームとして一丸となって活動してきたクランは、一か
所ヒビが入るだけで容易く瓦解してしまった。ゲームへの熱を奪われたメンバーの引
退に次ぐ引退には歯止めが効かなかった。去っていくメンバーの申し訳なさそうな声
音が今でも頭をよぎる。
そんな事情がありながらもリカントがユグドラシルを続けてきたのは、意地のような
ものだ。キャラクター消去をせずにログインを止めた者もいたが、半数以上は残ったク
26
ランメンバーに所持品を託して引退していった。引退時に残されたアイテムは現在リ
カントの手に渡っている。これはメンバーから託された形見と言えるだろう。誰かが
受け継いでいかないといけないものだ。それは最後まで残った自分の役目だろうとリ
じゅうおうむじん
カントは考えている。
クラン獣王武陣は、世界中を旅するというコンセプトのため決まった拠点はなく、冒
険の度に仮の拠点を変えていた。そのため、仮の拠点内にはほとんどアイテムを置いて
いなかった。ギルドとして拠点を持ってしまうと維持費が馬鹿にならないという理由
もあって、クランのまま活動を続けてきたのだ。なにより、獣王武陣のコンセプトには
クランの方が合っていたと言える。ギルド武器などが無い以上、獣王武陣を証明するも
のはもはや受け継いだアイテムと自分自身だけだ。
それ以来、今日までほぼソロで活動してきた。他のプレイヤーと協力することも稀に
あったが、アイテムを奪われる危険性や異業種狩りに遭う危険性を避けるため、協力す
る相手は慎重に選んでいた。
何度かクランやギルドからの勧誘はあったが、リカントは現在まで一度も新しいクラ
ンやギルドには参加していない。リカントはどこまで行っても獣王武陣のメンバーな
のだ。
2.一匹狼
27
リカントはソロプレイを始めてから何度も PK に狙われた。理由は火を見るよ
りも明らかだが、たった一人でワールドアイテムを持ち歩いている者など恰好の的だっ
たのだ。一度の失態を除き、狙われる度にリカントは逃げ果せてきた。特殊技術や魔
法、アイテムなどをフル活用することで、敵の魔の手から逃れてきたのだ。
もちろん、そのような無茶が通ったのは、受け継いだワールドアイテムの恩恵に因る
ものが大きかった。状況が厳しければ、幻狼としての本来の姿に戻り本来の能力に頼ら
ざるを得ないことも多々あった。PVP に関しては全プレイヤーのうち上の中辺り
の実力だろうが、逃げ延びることに関しては上の上である自負があるのだ。いつしかこ
の逃亡の日々が、ユグドラシルを続ける理由の一つになっていた。
カンストプレイヤー複数相手に逃げ延びてきたリカントにとって、自身より弱い相手
と対峙することなどお遊びのようなものだ。実際、眼前の存在からは脅威は感じない。
しかし、油断してはいけない。この世界で死ぬとどうなるのかわからないし試したくも
ない。予想以上に相手が強く逃げざるを得なくなったとしても、感知能力が鋭敏になっ
た今の自分ならば相手の力量を見極めることは可能だろう。感知の結果通りの強さな
らば問題はない。話しかけよう。
*
﹁すみません、少々よろしいでしょうか
﹂
︶
!?
﹂
?
か、自動的に翻訳されているようだった。このことに動揺はしたものの、それを悟られ
はズレが生じているようだ。何らかのアイテムによる効果か、この世界特有のものなの
短い日本語の返答であったが、ナーガの口の動きとリカントの耳に聞こえてくる声に
﹁おぬしは何者じゃ
驚愕し、透明化を解除して誰何する。
かった。それにも拘わらず、悟られずに自分に接近した上に透明化を看破した声の主に
人間が自分の縄張りの辺りに来るのは稀であり、ましてや透明化を見破る者などいな
︵この者はわしの透明化を看破しておるのか
だと思いつつも、声の主の視線が自身の目を見つめていることに気づく。
声を掛けられたナーガは声の主を訝しげに見つめる。どう見てもただの人間のよう
い尾を持つ蛇の体だ。
グドラシルにもいたモンスターである。胸から上は人間の老人の体で、その下からは長
問い掛けた。それを聞いて驚いた表情を浮かべたのはナーガというモンスターだ。ユ
ユグドラシル初期にしていた人狼ロールプレイ時の慇懃無礼な物言いでリカントは
?
28
ないように会話を続けた。
﹂
﹁おっと、これは失礼。私はリカント・ウルフヘジンと申します。貴方のお名前をお聞き
しても
﹂
?
﹂
﹁この周辺に関して疎いものですから、情報を提供して頂けないかと思いまして﹂
﹁して、わしに何用じゃ
﹁申し訳ない、ここはインダルンさんの縄張りでしたか﹂
スからすれば自分は侵入者になるのかと思い至り、リカントは謝罪の言葉を述べる。
中の人が日本人であるリカントからすれば、えらく長い名前に感じる。リュラリュー
フヘジンよ﹂
﹁わしはリュラリュース・スペニア・アイ・インダルンじゃよ。侵入者、リカント・ウル
?
!
受けている今でも容易く対応できる程度に見える。
い敏捷力と鋭敏な感知能力を持つリカントからすれば、人間形態によってペナルティを
リュラリュースは己の意思に従い長い尾でリカントを締め上げるべく接近する。高
ならば次の行動は一つ。実力行使だ。
のだろう。だがリュラリュースから見て、この人間は強くは見えない。
透明化を見破ったときのことを考えれば、リカントとやらは感知や隠密に長けている
﹁人間に教える情報などないわ
2.一匹狼
29
︵はぁ⋮⋮交渉する前に決裂か︶
まずは自分の分身に相手させてみることにする。リュラリュースの尾が届く直前に
ミスリード
幻術を発動させる。
︿誤 導﹀
魔法の発動と同時にリカントに重なるようにして分身が現れ、リカント本人は不可視
化する。これは不可視化まで含めて一つの魔法である。魔法発動の直後にリカントは
安全な木の上に移動し、分身とリュラリュースの戦闘を見守ることにする。
分身は攻撃を放つことはできないが、自由に移動し話をさせることもできる。分身は
リカント自身が動かしているが、コントローラーでゲームの自キャラを操るような感覚
と言えばわかりやすいかもしれない。分身は虚像であるためリュラリュースに触れら
れれば偽物だとバレるだろうが、回避するように動かしているので大丈夫だろう。
﹂
そろそろ分身を消して、自分で相手をすることにする。ただ元の場所に戻るだけで
まった。
なのだろう。分身を動かすのは集中力がいるため、自身で動くよりも精神的に疲れてし
攻撃を見た限りリュラリュースはやはり弱いようだ。リカントの感知した通りの強さ
分身とリュラリュースの戦闘が始まってから時間はあまり経っていないが、今までの
﹁なっ、何者なのだ、本当に。わしの攻撃が⋮⋮、攻撃が当たらない⋮⋮じゃと
?
30
2.一匹狼
31
は、リュラリュースからしても変化がなく状況が分かりづらいだろう。
色々考えた結果、リカントは自身を狼形態へと変化させることにする。動物的な面の
多いモンスターには、狼の姿を見せてどちらが上かを示した方が、話が早いだろうと考
えたからだ。
分身を消すと同時に形態を変化させる。
そこに現れたのは体高 2 m ほどの体躯を持つ巨大な狼だ。
全身を包む黒色の体毛は月明かりを受けて輝いている。
装備品は装備者の体型に合わせて大きさが調整されるので、今も外れてはいない。し
かし、全身をすっぽりと覆うボロボロのローブを纏った巨大狼などあまりにも滑稽であ
る。そのためユグドラシル時代に外装を弄って、狼形態時は外からは装備品が見えない
ようにしていたのだ。
リカントは四本足で地を踏む感触に経験上違和感を抱いたが、同時にその感覚が自然
なことのようにも感じる。ユグドラシルの頃とは違う感覚なのにしっくりくるのは、や
はり自分が根本から人間ではなくなったことの証明なのだろう。この世界に来てから
は驚かされることばかりだ。
そんなことを考えているリカントよりも何倍も驚いている存在が目の前にいた。突
然現れた狼に驚愕を隠せないリュラリュースだ。
﹁これで人間じゃないとわかっていただけたかな
﹂
︿畏怖のオーラ﹀を解除して人間形態に戻ったリカントは、腰を屈めてできるだけ優し
﹁これは失敬。もう大丈夫なはずだよ﹂
ら初めてできるようになったことの一つだ。
慌して逃げられていただろう。こういったオーラの放出量の調節も、この世界に来てか
ていただけだったので少々恐怖を抱かせるだけで済んだが、最大出力で放っていれば恐
オーラに当てられ、リュラリュースたちはただただ震えるばかりである。弱く発動させ
うフレーバーテキストに基づいた特殊技術だ。怖気立ち、心胆を寒からしめるような
いう周囲に恐怖の状態異常を振りまく特殊技術だ。幻狼は畏怖すべき存在であるとい
少々の威圧を込めて放っているのは、幻狼の種族的特殊技術である︿畏怖のオーラ﹀と
たかのように身体を震わせて総毛立ち、肌をびっしょりと汗で濡らした。
陰から姿を現していたリュラリュースの部下たちも同様に震えている。彼らは痙攣し
リカントの放つオーラを受け、リュラリュースは震え上がった。いつの間にか周囲の
﹁ひっ﹂
?
どうか、どうか命だけは││﹂
く問い掛ける。それはそれで怖がっていたが、
︿畏怖のオーラ﹀を解除したためなんとか
会話は繋がる。
﹁しっ、質問には全てお答えいたします
!
32
い情報はないし、魔樹は封印されているらしい。これらは頭の片隅に留めておくとしよ
たが、不確定要素が多いため現時点では重要度は低いだろう。闇妖精の行方に確度の高
闇妖精や、その闇妖精たちを住処から追いやった魔樹の存在などの興味深い内容もあっ
ダークエルフ
聞 い た 話 は い ず れ も 聞 き 覚 え の な い 情 報 だ っ た。こ の 森 を か つ て 支 配 し て い た
と呼ばれて恐れられているらしい。
いるようだ。知性を持つモンスターからはそれぞれ、西の魔蛇、東の巨人、南の大魔獣
リュースが治めており、同格の存在が東と南をそれぞれ拠点とすることで均衡を保って
現在地点は王国寄りの場所で、トブの大森林の西側に当たる。この周辺一帯はリュラ
得られただけでもよしとする。
呼ばれる国がある。これらの国の正式名称まではわからなかったが、位置関係の情報を
アゼルリシア山脈を隔てるようにして王国と帝国という人間の国があり、他にも法国と
ルリシア山脈の南端の麓に広がるトブの大森林と呼ばれる森林地帯のようだ。そして
森の中で、冒険者を名乗る人間の会話を盗み聞きした情報らしいが、この場所はアゼ
ぞれに自分の知るすべての知識を以て答える。
リカントは周辺の地理や強者の情報、その他様々な質問をし、リュラリュースはそれ
﹁よかった、よかった。それでは││﹂
2.一匹狼
33
う。
他にも興味深い情報やらたいしたことのない情報やらがあったが、今は東の巨人と南
﹂
の大魔獣に話を聞いてみるのが先決だろう。リュラリュースの知らない情報を持って
いるかもしれない。
﹁南の大魔獣と東の巨人、それぞれの縄張りは知っていますか
﹂
?
リカントが転移のために魔法を発動しようしていると、リュラリュースは訝しげに首
﹁では、さっそく行くとしようか﹂
であるリカントにとっては雑魚にすぎない。
リュラリュースとあまり変わらない程度に見える。どちらにせよ、カンストプレイヤー
水 晶 の 画 面 に 映 し 出 さ れ た 映 像 を 確 認 し な が ら リ ュ ラ リ ュ ー ス が 答 え た。強 さ は
﹁は、はい、奥にいる筋骨隆々なトロールが東の巨人と呼ばれる者です﹂
﹁ここであっているか
印をもとに探知魔法を発動する。
東の巨人の住処について詳しい話を聞いたリカントは、リュラリュースから聞いた目
東の巨人については存じております﹂
﹁はっ、ウルフヘジン様。南の大魔獣に関しましては曖昧な情報しか存じ上げませぬが、
?
34
を傾けた。
﹁今から⋮⋮ですか
きたいからな﹂
﹂
﹁ですが、ここからですと相当な日数が掛かると思われます﹂
﹁いや、別に歩いて行こうとは言ってない。魔法だよ、魔法﹂
﹁魔法⋮⋮ですか。そのような方法が⋮⋮﹂
﹁ふむ、リュラリュースは先程のトロールと面識があったりするのか
お前に同行しても
?
?
﹁ええ。僅かですが顔を合わせたことがあります﹂
らった方が、話が早そうだからな﹂
﹁それでは、リュラリュース。一緒に来てもらってもいいだろうか
﹂
﹁すでに準備は整っている。情報を知っていそうな存在には、すぐにでも話を聞いてお
?
二つ返事で了承したリュラリュースを伴って移動するため、リカントは魔法を発動す
る。
︿転移門﹀
﹂
!?
﹁さて、行こうか﹂
いきなり現れた半球状の黒い球体にリュラリュースは愕然としているようだ。
﹁なっ
2.一匹狼
35
リカントが平然と転移門に入って行く様を見て唖然としながらも、リュラリュースは
一呼吸置いて付いて来る。
相手を無駄に警戒させないために、東の巨人の住処から少し離れた場所に︿転移門﹀を
開いた。
*
﹁うっ﹂
︿転移門﹀から出たリカントは異常な臭気を感じ取り、顔を顰めた。臭いの発生源は東
腐敗臭
︶
の巨人の住処がある方向のようだ。
︵何だ、これは
﹂
?
住処に悪臭が漂っていても気にしないとは不潔極まりないことだ。それとも悪臭だ
くなるというものであったが、その効果で嗅覚が鋭くなっているのだろうか。
れは聴覚や嗅覚などの感覚にボーナスが得られる、つまり感知の範囲が広がり効果が強
見当たらないのだが。リカントの種族的特殊技術に︿鋭敏感覚﹀というものがある。こ
リュラリュースの問いかけに答える余裕もない臭いだ。臭気の発生源らしきものは
﹁どうかされましたか
?
?
36
と思っていないのか。どちらにせよ、知性が低く価値観が違う存在だというのは明白
だ。先程探知によって覗き見たトロールの周囲も決して清潔とは言えない雑然とした
空間だった。リカントは不快感を露わにし、早くもここに来たことを後悔していた。
これから異臭の発生源に乗り込むのは躊躇われる。だがリュラリュースにもわざわ
ざ付いて来てもらったのだ。未だに漂うこの臭いには、
︿鋭敏感覚﹀を解除することで対
﹂
応する他ないのかもしれない。
﹁だ、大丈夫ですか
﹁あ、ああ、すまない。少し臭いな、と思っただけだ﹂
?
問題なく出入りできるだろう。地面には大きな足跡が多数ついていた。
なっており、奥に行くとそれなりの広さがあるようだ。天井は高いため、トロールでも
少し歩くと、大地にぽっかりと穴が開いた洞窟が見えた。中はなだらかな下り道に
たい。先に進むとしよう。
悪臭による拭いきれない不快感はあるものの、わざわざ出向いたからには成果を出し
感知できない程度の臭さのようだ。
リュラリュースの問いかけに誤魔化しながら答える。リュラリュースの鼻にはまだ
﹁は、はぁ⋮⋮﹂
2.一匹狼
37
﹁くっ、まさかウルフヘジン様が仰っていたのはこの臭いですか
﹁すみませーん、どなたかいらっしゃいますか
﹂
なったリカントは︿鋭敏感覚﹀を解除して先を進む。
﹂
洞窟に入ると悪臭がより一層強くなり、吐き気を催すほどだ。流石に耐えられなく
だ慣れないようだ。
リュラリュースの嗅覚はリカントに比べて数段劣っているが、それでもこの臭気にはま
あれほど離れた位置から臭いを感じ取ったリカントに、リュラリュースは驚嘆する。
﹁まさしく、この臭い、だな﹂
?
引に肉を引き裂く食べ方に、改めて知性の低さを実感した。
?
げながら駆け寄ってくる。
リカントが問い掛けると、リカントとリュラリュースを目に映したオーガが咆哮を上
﹁お食事中に申し訳ない、貴方たちのボスに会わせてくれませんか
﹂
人間なのだろうか。それを見ても、感じるのは僅かばかりの不快感だけだ。ただ力で強
オーガが口に運ぶズタズタの肉塊は、辺りに散らばる衣服などの残骸から推測するに
て 2 体モンスターの存在を感知していたリカントには驚きはない。
く。傾 斜 を 下 り き る と 2 体 の オ ー ガ が お 食 事 中 の よ う だ っ た。鋭 敏 な 聴 覚 に よ っ
返事がないようなので洞窟の傾斜を下って奥に進み、リュラリュースも無言で後に続
?
38
﹁ニンゲン
エサ
ヘビ、サシイレ
!
﹂
?
﹁あ、ああ。おぬしらのボスに会いに来たのじゃ。案内してくれぬか
﹂
リカントはリュラリュースに話を合わすように促し、リュラリュースが話を進めた。
の巨人に媚を売る為だとでも思っているのだろう。
どうやら餌である人間をリュラリュースが差し入れに来たと勘違いしたらしい。東
!
?
ロールだ。2 体のオーガが進み出て進言する。
ロールが座していた。魔法の探知によって確認した、筋骨隆々なレベル 30 強のト
る。真ん中には洞窟の岩石を不恰好に削ってつくられた椅子のようなものに一体のト
やがて大きく開けた場所に辿り着いた。広場にはトロールやオーガたちが屯してい
こともあったのだろう。
違ったが、特に反応を示さなかった。森に入った人間を連れ去って東の巨人に献上する
挟んで逃げ場をなくすという発想はないようだ。途中何度かオーガやトロールとすれ
オーガ 2 体が先導し、リュラリュース、リカントと続く。逃亡を考えて前後から
発展する可能性が高いだろう。まあ、そのときはそのときだ。
行けそうだ。ただ、オーガたちの反応からして話が通じる相手ではなさそうだ。戦闘に
なんとか勘違いしてくれたようだ。この方が余計な労力を使わず東の巨人に会いに
﹁ボス、コッチ、ツイテクル﹂
2.一匹狼
39
くははは、この地の王、グ、の偉大さを今更思い知ったようだな
﹂
!
﹁コノヘビ、ニンゲン、エサ、モッテキタ﹂
﹂
俺の下につけてやる
﹁よくやった、蛇よ
﹁⋮⋮グ
!
う。
?
﹁くっ、ふっふっふふぁーはっはっは、やはり臆病者の名前だ﹂
﹁私はリカント・ウルフヘジンと申します﹂
周りのトロールたちは今からの一連の流れを想像し、笑いを堪えきれない様子だ。
﹁くっくっく、そうか。人間、お前には名乗ることを許そう﹂
来たと言ったことがツボに入ったのか、静かに笑いながら問いかける。
グはリカントの言葉に合点がいかず沈黙で返す。しかし、餌たる人間が自分に会いに
もらっただけです﹂
﹁申し訳ありません。貴方に会いに来たのはこの私です。このナーガには道案内をして
だと思い至ったリカントは、正直に打ち明ける。
グは不快感を露わにし、リカントを睨みつける。そこでようやく東の巨人の名前がグ
﹁俺が、このグ様が話していいと言ったか、人間
﹂
リカントは東の巨人が何を言っているのかわからず、思わずおうむ返しをしてしま
?
!
40
グの発言に合わせ、トロールたちが耳障りな哄笑が響く。僅かながら不快感が増した
リカントは、リュラリュースにどういうことなのかと問い掛ける。リュラリュースなら
トロールたちが笑う理由に関して何か知っているのかもしれない。
﹁こ奴らは長い名前こそ臆病者の証、逆に短い名前ほど勇敢な証と考えておるようです﹂
俺に食われにでも来たのか
お前はここで食われるんだ
﹂
﹂
リュラリュースが小声で返す。なるほど、種族的な慣習から来るものなのだろう。
﹁それで臆病者の人間が何の用だ
グの言葉に反応したトロールたちの嘲笑は止まらない。
!
?
食糧に情報なんかくれてやるわけないだろーが
﹁いえ、この周辺の情報を教えていただきたいのですが﹂
﹁馬鹿が
ここでミンチにしてやろう
!!
!
!
リカントは右手を上げ、目にも留まらぬ速度で振り下ろした。
碌に手入れされていない可能性が高い︶
︵攻撃を受けて実力差を見せつけようか。⋮⋮いや不潔な地に住むトロールの武器だ。
てくる。
やはり話は通じないらしい。グが 3 メートルに及ぶグレートソードを掲げ迫っ
!
﹁ぎゃあああああ﹂
2.一匹狼
41
それと同時に剣を持つグの右手が両断されて後方に飛んでいく。グもそれに合わせ
て後方に吹き飛ばされた。
リカントの漆黒のローブに包まれた右手の先にはうっすらと血に塗れた 4 本の
刃物が見えている。獣の爪のように鋭く尖り、親指以外の指に合わせて四つ叉に分かれ
た鉤爪だ。
これはリカントが主にソロ活動をするときに装備している神器級の武器だ。生粋の
魔法職であるためリカントの装備できる武器は杖と短剣だけだが、この鉤爪は短剣の外
ノッ ク バッ ク
装 を 弄 っ て つ く っ た も の だ。詰 め 込 ま れ た デ ー タ ク リ ス タ ル の 主 た る も の は、
ノッ ク バッ ク
吹き飛ばす効果と多段攻撃である。敵に距離を詰められたときに、敵の攻撃範囲から逃
れるために使用していたものだ。
グやその右手が吹き飛ばされたのは、この吹き飛ばす効果によるものだろう。
早くこいつを殺せ
﹂
!!!
﹁おやおや、勇敢なグ様らしからぬ行動だ。それで何か私に対して提供できる情報は思
しかし、事態に付いて行けないグの配下たちの動きは鈍い。
﹁お前たち
!
言い知れぬ恐怖に襲われたグは配下に命令を飛ばす。
何らかの手段で自分の腕を切り飛ばし、剣呑な雰囲気を放ちだしたリカントを見て、
﹁武器を持つ手を攻撃する私は確かに臆病者かもしれませんねぇ、勇敢なグ様よ﹂
42
いついたのかな
﹂
﹂
から逃れるため、配下に再度命令する。
はない。場当たり的な行動をとって、それが罷り通っていたからだ。グは目の前の脅威
小馬鹿にしたようなリカントの態度に、グは口を噤む。必死に考えるがたいしたもの
?
﹁リュラリュース、ご苦労だった。先に帰っていてくれ﹂
先に帰っていてもらおう。
一掃したいところだが、それにはリュラリュースを巻き込んでしまうかもしれない。
きたいくらいだ。
最早トロールたちに用はない。むしろ、鼻の曲がる悪臭を放っていた原因を排除してお
の配下は半数が行動を起こそうとし、半数は呆然と立ち尽くす。リカントにしてみれば
この場にいなかったグの部下たちも、何事かと思いながら方々から集まってきた。グ
﹁早くしろ
!!
リカントはグと部下たちを見据えて第十位階の幻術魔法を発動する。
う。今は不快な愚物を消し去る方が先決だ。
の縄張りに送ったのだ。リュラリュースや彼の部下は驚くだろうが、まあ仕方ないだろ
小さな呟きを残してリュラリュースの姿が瞬時に掻き消える。︿上位転移﹀により元
﹁えっ﹂
2.一匹狼
43
エ ン バ デ ィ・ テ ラ ー
︿具現化する恐怖﹀
トロールたちと同数の幻影が突如として現れ、獣の形を成して彼らに襲い掛かる。そ
のどれもが同じ形はしていない。それは彼ら一人ひとりの潜在意識が作り出した恐怖
の具現化であり、彼らの思い描く最大の恐怖の対象である。
リカントにはただ獣の輪郭を持った影にしか見えないが、フレーバーテキスト通りな
らトロールたちには悍ましい獣そのものの姿に見えているはずだ。
影の獣がトロールたちに爪や牙などで攻撃をすると、彼らの命は瞬時に絶たれた。周
辺にいた大きな影が一斉に地面に倒れ伏すと同時に、獣の影も消え失せた。圧倒的な再
生能力を有するトロールではあるが、精神攻撃による即死からは再生できない。万が
一、抵抗に成功していても朦朧状態になる追加効果を持つので、非常に使い勝手のいい
魔法だ。
ソロでの活動時に敵プレイヤーから逃げる際にも使っていた魔法なので思い入れも
ある、リカントのお気に入りの魔法でもある。
トロールたちの身体は傷一つ付いていない綺麗なものだ。周囲に撃ち漏らしもない
ようだ。だが、やはり周囲に漂う悪臭は消えていない。使う魔法を間違ったかなと思い
︶
つつ、臭いの元を絶つために次の魔法を放つことにする。
︵たしか﹃汚物は消毒だ﹄だったかな
?
44
イ
デ
ン
マ
ジッ
ク
ナパーム
クランメンバーに薦められた 100 年以上前の作品のセリフを思い出しながら、
ワ
魔法を発動する。
︿魔法効果範囲拡大・焼夷﹀
ピッチャー・オブ・エンドレス・ウォーター
地面から火柱が吹きあがり、トロールとオーガの死骸を残骸も残さずに消し去った。
グの右腕を切った際に付いた右手の武器の汚れを無 限 の 水 差 しで清めた後で、手
入れをする。
洞窟内をうろつきながら、トロールたちの犠牲となった人型の残骸も火葬して、探索
を終える。
腐敗臭が消えたことに満足したリカントは︿転移門﹀を発動し、軽い足取りで去って
行った。
*
﹁ふぅ、酷い目に合ったなー﹂
を漏らすリカントに対し、絶対に逆らってはならない存在だとリュラリュースは再度認
酷い目に合わされたトロールたちのことは棚に上げて自身の感じた不快感への不満
﹁は、はい。まったくその通りでございますな﹂
2.一匹狼
45
識を改める。自身を縄張りまで転移させた魔法も想像できないほど高位な魔法だと容
易に推測できるので、一層畏まった態度をとる他ないだろう。
東の巨人グの縄張りを彼らごと焼き払った後、リュラリュースの縄張りに戻ってきた
リカントを迎えたのは眩い朝の陽光だった。見たかった日の出は見逃してしまったよ
うだ。
﹁さて、次は南の大魔獣の所に行くとしますか﹂
あれだけのことを仕出かしたのにすでに次の行動に移ろうとしているリカントは、や
はり確実に化け物側の存在に近づいているのだろう。
南の大魔獣の詳しい居場所はわからないとのことだったので、森の南端から北上する
ように探していくことにする。
さっそく探知魔法によって俯瞰で見ていると、水晶の画面には森の近くの集落らしき
場所に向かって細々したナニカが入っていくのが見えた。映る光景を拡大してみると、
全身鎧で身を包む騎士風の装いで統一した人間の小隊が村と思しき集落に向けて武器
﹂
を持って進軍しているようだ。その光景にリカントは不快感を抱く。
近くで一緒に映像を見ていたリュラリュースが呟く。
﹁これは⋮⋮人間が人間の村を襲っておるのでしょうか
﹁そのようだ﹂
?
46
︵人が襲われているのを見て不快に思っているんだ。大丈夫、まだ心は人間のままだ︶
そのとき実際に感じていたのは現在の本心というよりは、人間の残滓からくる僅かば
かりの不快感であった。グの縄張りで見つけた人間はすでに息絶え、バラバラにされて
いた。だが、まだ生きている人間ならば救うことができるだろう。
今まで人間を探すのではなくモンスターにばかり情報を聞こうとしていたのは、頭の
︵⋮⋮そう、だな。村人を救おう︶
片隅に追い遣っていたあの月を見た時の悍ましい想像を呼び起こすのを避けていたか
らなのかもしれない。自分が暴走して人間を殺してしまう可能性を考えて、無意識に人
間との接触を避けていたのだろう。
だがこれはいい機会だ。逃げてばかりはいられない。
﹁私 は こ の 村 を 救 い に 行 く。私 か ら 連 絡 が あ る ま で お 前 は 今 ま で 通 り 自 分 の 縄 張 り を
守っていろ﹂
臣下の礼をとるリュラリュースに満足したリカントはさっそく魔法を発動する。
﹁仰せのままに﹂
現れた転移門に間髪をいれずに入る。
︿転移門﹀
2.一匹狼
47
転移門を抜けた先は広い草原地帯、剣を振り上げて村人に襲い掛かっている騎士たち
の後方である。不愉快な光景にいてもたってもいられなくなったリカントは、騎士たち
を行動不能にするために特殊技術によってモンスターを召喚する。
ち。
に手首足首の先から感覚がなくなり、その後に襲ってくる激痛に悲鳴を上げる騎士た
リカントの命令に従い、月光の狼たちが疾風迅雷の勢いで騎士に襲い掛かった。唐突
ム ー ン・ウ ル フ
﹁村人を襲う騎士風の者どもの四肢を噛み砕け﹂
命令を下す。
連続で 5 匹の月光の狼を召喚したリカントは、精神的なつながりを意識しながら
なのだろうと納得する。
召喚後すぐに狼との奇妙な精神的つながりを感じたが、これも異世界ならではの変化
応するだけだ。
強さは月光の狼より弱く感じるので、まあ大丈夫だろう。もしものときは自分自身で対
強さだが、移動速度の速さ故に奇襲要員として使用してきたモンスターだ。騎士たちの
見を持ち、仄かな銀光でその身を包む狼だ。その名は月光の狼。レベル 20 程度の
ム ー ン・ウ ル フ
召喚に応じて空中からにじみ出るように現れたのは、シベリアオオカミに酷似した外
︿下位怪物召喚﹀
48
2.一匹狼
49
彼らは混乱と焦燥の中で踊り狂う。姿を捉えられない程の速度で移動する月光の狼
に次々と四肢を砕かれた騎士たちは、やがて阿鼻叫喚の様相を見せ始めた。
村人たちは状況を把握できず、茫然と事の成り行きを眺めている。
デ ス ナ イ ト
直後、村の奥から男のものと思しき悲鳴が聞こえてきた。月光の狼はまだそちらの方
向には行っていない。何者の仕業だろうか。
その悲鳴の方向の物陰から姿を現したのは、一体の死の騎士だった。
3.死公
ム ー ン・ウ ル フ
リカントは突然現れたデスナイトに警戒しつつ月光の狼に指示を出す。
を引き連れている。
れる強者の雰囲気を放ちながら、物陰から人影が現れた。その人物は一体の巨大な魔獣
早く召喚者が現れてくれないかな、とリカントが考えていると自身に匹敵すると思わ
光の狼の存在に困惑しているのだろうか。どこか動きがぎこちない。
それにしても、デスナイトの動きにどこか違和感を覚える。命令された内容にない月
話ができるかもしれない。
トと同じく村に味方する者の可能性が高い。まだ油断はできないが、表面上は友好的に
している。デスナイトの召喚者は騎士に敵対的だと推測されるので、立ち位置はリカン
イトは家の中に侵入したりして、月光の狼が攻撃を加えていない騎士を探し出しては殺
容易だが、そうすれば近くにいるであろう召喚者と敵対することは明白だ。当のデスナ
指示を出したはいいが、正直デスナイトの対処に困っていた。デスナイトを殺すのは
狙い行動不能にしろ﹂
﹁こちらに危害を加えない限りデスナイトは無視していい。指示通り騎士たちの四肢を
50
﹂
!
想像できるだろう。
││嫉妬マスクを付けた人物が、隣に巨大なハムスターを引き連れて現れるなんて誰が
ユグドラシルプレイヤーであれば誰もが知っている恋人がいない象徴たるアイテム
彫刻によって描かれている。
である。そこには泣いているような、もしくは笑っているような、複雑な表情が精緻な
間に 2 時間以上ログインしていると強制的に送られてくる、ある種呪いのアイテム
の方に向き直る。嫉妬マスクとは、クリスマスイブの 19 時から 22 時までの
何だかわからないハムスターのことは一旦思考の隅に置き、嫉妬マスクを付けた人物
尻尾が変わっているが、それ以外はどこをどう見てもハムスターである。
そう、ハムスターである。
の人物の身長を優に超える体高を持つ巨大ハムスターである。
人物の方は嫉妬マスクを付けた魔法詠唱者風の装いをしており、横に控える魔獣は隣
マジック・キャスター
小刻みに震える体に瞬時に気合を入れ直し、ふぅと一息ついてから視線を戻した。
りにも面白い組み合わせだったからだ。
に背けることで何とか事なきを得た。吹き出しそうになった理由は単純で、彼らがあま
その姿を見た途端、リカントは思わず吹き出してそうになった。だが、瞬時に顔を横
﹁っ⋮⋮
3.死公
51
52
そんな異様な空間の中、ほぼプレイヤーだと確定した嫉妬マスクの人物はこちらに顔
を向けて固まっている。その後ろから、初めの個体と違う 2 体目のデスナイトに警
護されるようにして、村娘と思しき 1 人の少女が現れた。そちらも呆気に取られて
いるようだ。
少女がデスナイトに対して警戒が薄いところを見ると、嫉妬マスクの人物に助けられ
たのだろう。予想通り、この人物は村に味方する者のようだ。
騎士たちはすでに月光の狼たちと 1 体目のデスナイトによって制圧済みだ。嫉
妬マスクの人物は、その月光の狼の主であろうリカントを見て誰何しているのだろう
か。それとも一瞬顔を背けたことを不審に思っているのか。もしかして口元以外をボ
ロボロな漆黒のローブで包んだ如何にも不審者然としたリカントの姿を怪しんでいる
のだろうか。
相手がどのような対応に出るかはわからないが、まずはこちらもユグドラシルプレイ
ヤーである証拠を見せるべきだろう。正体を隠していて後からばれた時の危険を考え
れば、先に自分がプレイヤーだと明かしておくべきだろう。そう考えたリカントは懐に
手を伸ばす。手の先は異空間に消え、アイテムボックスから一つのアイテムを取り出し
た。そして取り出したアイテムを顔の前に翳す。そう、眼前の人物と同じ呪われしアイ
テム││嫉妬マスクである。
そして、できるだけ優しげに挨拶をする。
﹁こんにちは、私はこういう者です﹂
それを見た嫉妬マスクの人物││悪名高きギルド﹁アインズ・ウール・ゴウン﹂のギ
﹂
ルド長、モモンガは食い気味に尋ねる。
貴方もそう、なんですね
!
!?
か つ て 4 1 人 い た ギ ル ド メ ン バ ー の う ち 残 り の 3 7 人 は す で に モ モ ン ガ に
員ログアウトしてしまっている。
3人は、メールによる召集に応じてモモンガに会いに来てくれた。しかし、すでに全
未だにギルドメンバーに名を連ねる 4 人中、死の支配者││モモンガ││を除く
支配者の放つ重苦しい雰囲気によるものだ。
と荘厳さを有する幻想的で神秘的な空間││玉座の間、その玉座に鎮座する一人の死の
大墳墓、その地下十階層の玉座の間には陰鬱な空気が漂っていた。神殿のごとき静謐さ
ヘルヘイムの辺境であるグレンデラ沼地に存在するギルド拠点││ナザリック地下
││ユグドラシル最終日
*
﹁っ
3.死公
53
装備やアイテムなどを託し引退しているので、ゲームのサービス終了までの残り時間は
一人で過ごすことになるだろう。その最後の瞬間は玉座の間で過ごそうとモモンガは
決めていた。
せめて最後にログアウトしたヘロヘロにはサービス終了まで残っていてもらいたい
と思っていたが、現実世界での極度の疲労のため早めに去って行ってしまった。眠気を
押してまで来てくれたヘロヘロに無理強いはできなかったのだ。
それからの時間はギルドメンバーの旗を指差してそれぞれのメンバーの名前を呟い
たり、NPC の設定を閲覧したりして、思い出に浸りながら過ごした。
現在玉座の間には、モモンガの他に 8 体の NPC が控えている。そのうち プ
レ
ア
デ
ス
7 体は九階層からの階段を下りてすぐの広間から引き連れてきた NPC であり、
家令であるセバス・チャンとその配下の戦闘メイドたちである。
最後の 1 体はナザリック地下大墳墓に所属する全 NPC の頂点に立つ存在、
階層守護者統括たるサキュバス││アルベドだ。彼女の創造主であるギルドメンバー
││タブラ・スマラグディナ││の豊富な雑学知識を詰め込んだアルベドの膨大な量の
﹂
設定を斜め読みしていたモモンガは、その最後に奇妙な文字列を見つけてしまった。
⋮⋮⋮⋮なに⋮⋮これ
?
﹃ちなみにビッチである﹄
﹁⋮⋮へ
?
54
モモンガは思わず素っ頓狂な声を上げ、硬直してしまう。完全に不意打ちを食らっ
た。
タブラのギャップ萌えという性癖に思い当たったが、それにしてもこれは酷い。 N
PC の頂点がこれでは示しがつかないだろう。
本来はクリエイトツールでなければ設定は弄れないが、今のモモンガならばそれがで
﹁うーむ、変更するべきか﹂
きる。九階層の一室である円卓から持ち出したギルド武器││スタッフ・オブ・アイン
ズ・ウール・ゴウン││を用いたギルド長特権の濫用である。
いった経験の乏しい鈴木悟としてはその一日をウキウキと過ごせるほどの幸運だ。し
相も変わらず笑顔のままだ。これほどの美人に現実世界で微笑みを向けられれば、そう
腰かける玉座から隣を見続けているが、僅かな微笑を浮かべた美しいアルベドの顔は
し、別の存在に変えてしまうことと同義だろう。
部であるはずなのだ。それを変更することは、タブラのつくり上げたアルベドを否定
だけ最低で最悪なギャップだとしても、それはタブラの作り上げた大事なアルベドの一
い時間をかけて作り上げた NPC の設定に手を加えるのは躊躇われたのだ。どれ
束の間の逡巡の後、設定変更は行わないことにした。最後とはいっても、タブラが長
﹁いや、これもタブラさんが定めた大事な設定だ。やめておこう﹂
3.死公
55
かし、この状況ではその純粋な笑顔が余計にモモンガの罪悪感を倍増させる結果となっ
た。
?
いくのが感じられた。
︵本当に玉座で終わりを迎えるのが正解なのか
⋮⋮最後くらい、もっと派手に終わり
このまま玉座の間で過ごすのも一つの手だが、時間が経つごとに自分の心が摩耗して
バーが誰もいないという事実をまざまざと突きつけられているようだ。
見やる。メンバーがいないのに NPC だけがいる空間によって、却ってギルドメン
あっても埋め合わせてはくれない。側に侍らせたアルベドとセバス、プレアデスたちを
そんなギルドメンバーのいない空間の空虚さは、たとえナザリックの NPC で
のような大切な存在だった。
の栄光の時間を共に過ごしたギルドメンバーこそモモンガにとって家族のような友達
ンズ・ウール・ゴウンは人生そのものだった。これほどまでに嵌ったものはないし、そ
ユグドラシル以外のゲームをやったことのないモモンガもとい鈴木悟にとって、アイ
に感じられて羞恥心を覚えたこともあるが、ふと寂寥感を覚えたのだ。
モモンガは、湧き出る感情を溜息に乗せてを吐く。自分の行動が子供の人形遊びのよう
返事を返さない NPC を相手に魔王ロールプレイの口調でしばらく謝り倒した
﹁すまない、アルベド。私にはタブラさんの定めた設定を歪めることはできないのだ﹂
56
たい︶
おそらく今頃、外では無数の花火が上がっていることだろう。そう考えると同時に、
﹂
時間の流れるまま玉座に座していたモモンガの頭に、一つ忘れていたことが浮かんでき
こうしちゃいられない
!
!
た。
アレを用意していたんだ
!
モモンガは霧が立ち込めるグレンデラ沼地を悠然と進む。その途中、一つずつ打ち上
ためアイテムボックスに仕舞い込んでおく。
外へと飛び出した。手にしていたスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンは、念の
モモンガはそのまま︿飛行﹀の魔法を発動し、脇目も振らずナザリック地下大墳墓の
フライ
央霊廟である。ナザリック地下大墳墓の名に相応しく墳墓然とした空間だ。
んで転移する。着いたのは一階層と外界とを繋ぐ空間、ナザリックの玄関とも言える中
モモンガはさっそく指輪の力を使い、設定されていた転移先の中から目的の場所を選
前のついた部屋であり、一部を除きすべての場所に転移可能になるというものだ。
れば回数無制限に転移ができる。効果を発揮できるのはナザリック地下大墳墓内の名
ウール・ゴウンのギルドメンバー全員が所持していたアイテムであり、その力を行使す
左手を伸ばす。その指輪の名は、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン。アインズ・
忘却の彼方にあったとある計画を思い出したモモンガは、右手の薬指に嵌めた指輪に
﹁そうだ
3.死公
57
58
がる花火が見えた。こんな辺境の地にも未だにプレイヤーがいることには驚いたが、ギ
ルドメンバーではないはずなので、気にすることなく目的地を目指す。
動きを止めたモンスターの影を上から見下ろしながら進み、やがて辿り着いたのは沼
に浮かぶ島である。
そこには 5000 発の花火が所狭しと並べられていた。最終日に集まってくれ
たギルドメンバーと見るために買い集めていたものだが、使わないのはもったいないだ
ろう。
腕時計を見ると残り時間も 1 分を切ったところだ。サービス終了の数秒前に打
ち上げることにする。
モモンガはカウントダウンをしながら時間を潰し、頃合いを見計らって懐から取り出
フォー ル ン ダ ウ ン
したアイテムに付いたボタンを押す。それと同時に、密集していた花火が白い柱をつく
り な が ら 上 空 に 打 ち 上 げ ら れ た。超 位 魔 法︿失墜する天空﹀を 髣 髴 と さ せ る 大 爆 発 が 起
こり、目が眩むほどの白い閃光が辺り一帯に広がった。
眩い光に包まれながら、ユグドラシルのサービス終了時間が訪れた。
*
﹂
モモンガは閉じていた目を開く。
﹁なんだ⋮⋮これ
フライ
﹂
左腕につけた腕時計の時間は 0 時を少し過ぎたところだ。自分の体感時間と狂
のような環境は存在しないはずだ。
から聞いた、ユグドラシルの元ネタである北欧神話におけるヘルヘイムの話からも、こ
迎えたし、モモンガの知る限りヘルヘイムにはこのような森林地帯はない。タブラなど
しかしながら、眼前に広がる光景には理解が及ばない。ユグドラシルの最後は沼地で
使っていたのだから、別におかしいことではない。
空に静止しているのは︿飛行﹀の魔法によるものだろうか。終了時間の前に︿飛行﹀を
いる。
くの間その場で眺め続けた。夜空の下を見下ろすと広大な大地に森林地帯が広がって
のかもしれない。生まれてこの方見たことのない透き通った夜空に目を奪われ、しばら
の夜空と比べても遜色がない、いや、何故か現実的に感じられるこの夜空の方が美しい
そこは眩いばかりの星々が輝く幻想の世界だった。ナザリック地下大墳墓の六階層
?
サーバーダウンが延期された⋮⋮のか
?
いはない。
?
不測の事態の確認のため GM に連絡をしようとしてもコンソールは浮かび上が
﹁は
3.死公
59
ス
キ
ル
らなかった。その後︿飛行﹀の持続時間が切れたモモンガは、魔法や特殊技術、アイテ
ムの確認など、考え付く限りの手段で現状を把握しようと問題解決に努めた。
それが焦りや困惑、そして混乱などを経て、それらの感情が強制的に鎮静化されなが
﹁ユグドラシルじゃない⋮⋮よな、やっぱり﹂
パッ
シ
ブ
ス
キ
ル
ら 出 し た モ モ ン ガ の 答 え だ っ た。ゲ ー ム で は 表 現 し 得 な い 五 感 を 刺 激 す る 感 覚 や、
常時発動型特殊技術による影響、その他の様々な要因から総合的に考えた結果だ。
現状について色々と思案しながらモモンガは歩く。当然周囲への警戒は忘れていな
いが、今のところ異常は見られない。
骨だけなのに動いている自分の身体は、五感を通じて周囲の大自然を感じている。骨
彼にも見せて
だけの身体なので該当する感覚器官は無い。それにも拘らず実感しているのだ。この
世界はゲームではなく現実なのだと。
﹁ブルー・プラネットさんがこの世界を見たらどんな感想を持つのかな
あげたかったな﹂
を思い出し、彼の薀蓄に思いを馳せる。それと同時にアインズ・ウール・ゴウンのメン
現実世界では失われてしまった自然を愛し誰よりも熱く語っていたギルドメンバー
?
60
バーとの思い出が走馬灯のように脳内︵ ︶に浮かんでは消えていく。その記憶に手を
が、強制的に鎮静化される。この地に飛ばされてから幾度も味わった奇妙な感覚だ。
伸ばしてももう届かないという事実を再認識するとともに寂寥感が一気に襲ってきた
?
キ
ル
が木の後ろに戻っていくのが見えた。
られたらぷにっと萌えさんに怒られるなと思いながら振り向くと、長い尾のようなもの
たようだ。普段のモモンガなら絶対にしないであろうミスである。こんなところを見
訝 し む。
︿完全不可知化﹀が 切 れ て い た こ と に も 気 付 か な い ほ ど 思 考 の 渦 に 呑 ま れ て い
パーフェクト・アンノウアブル
物体がかなりの速さでぶつかったようだ。敵襲かと思いつつもダメージがないことを
振り返ろうとしたモモンガの背に衝撃が走った。痛みはないが、相当の質量を持った
耳はないのだが。
モモンガは、不意に背後で木々のざわめきを耳にする。
そんな変化に無理矢理折り合いをつけて随分と時間を掛けてゆっくりと歩いていた
の出ない自問をしてしまう。
無効の特殊技術によってすぐに治まってしまう自分はいったい何者なんだろうと、答え
ス
自虐的な笑みを︵心の中で︶浮かべ、苦笑する。泣きたくなるほどの情動も精神作用
﹁はははっ、もう俺は人間じゃないんだな⋮⋮﹂
3.死公
61
﹂
﹁むっ、それがしの初撃を受けて無事とは⋮⋮。侵入者よ、そなたなかなか⋮⋮ってアン
デッドでござるかぁ
やしている点を除けばそのまんまハムスターである。
?
モモンガはあまりの衝撃に数度動揺と鎮静化を繰り返しながら呟く。
しかも日本語をしゃべってる⋮⋮
﹂
﹁ジャンガリアンハムスター⋮⋮⋮⋮だと⋮⋮
﹂
ハムスターが少し後ずさりながら答えた。
﹁なっ、何のことでござるか
﹁⋮⋮お前の種族のことだが、知らないのか
﹂
ジャンガリアンハムスターだ。サイズが超巨大であり、蛇のような鱗を持つ長い尾を生
見 て も ハ ム ス タ ー に し か 見 え な い。ス ノ ー ホ ワ イ ト の 毛 並 み と 黒 く 円 ら な 瞳 を 持 つ
振り返ったモモンガを見て、そんな素っ頓狂な声を上げながら姿を現したのは、どう
!?
﹂
?
るのかもしれないと思い、ハムスターはおっかなびっくりしながらモモンガに問い掛け
う機会は訪れなかった。だが長生きしたアンデッドならばもしかしたら何か知ってい
アンデッドは寿命がないと言っても過言ではない。これまでの生涯で同種と巡り会
てそれがしの種族に詳しいのでござるか
﹁ぬぅ、それがしはずっと一人で暮らしてきて同族は知らぬのでござるよ。も、もしかし
?
?
?
62
た。
そのかつての仲間とやらは相当巨大だったのでござ
﹁詳しくはないが⋮私の仲間が昔お前に似た動物││ジャンガリアンハムスターを飼っ
ていたな﹂
﹁それがしの同族を飼育するとは
るな⋮⋮﹂
﹁それで、ここはお前の縄張りなのか
﹂
ぶつぶつと呟くハムスターに少し同情しながらも、モモンガは肝心の質問をする。
では無理でござるな⋮⋮﹂
﹁なんと⋮⋮それがしも種族を維持するため子を孕まねばならぬのに⋮⋮。そのサイズ
モモンガが自分の手でジェスチャーしながら大きさを表現する。
﹁いや、俺の知っているハムスターは大人でもこのくらい、手乗りサイズだな﹂
!
?
﹂
!
攻撃を受け続けても事態は変わらないし、ローブがバッサバッサ揺れて鬱陶しいこと
を感じたのだ。
がら物騒なことをのたまうハムスターの妙なギャップに、何だかわからないやるせなさ
急にやる気を出したハムスターに対し、モモンガはやる気が出ない。円らな瞳をしな
てやるでござる
﹁むっ、そうでござった。それがしの縄張りに侵入した不浄のアンデッドめ、粉々に砕い
3.死公
63
この上ない。早く攻撃を止めてもらいたいが、だからと言って殺すのはなんだか躊躇わ
ス
キ
ル
れたのだ。話した時間は短いが、なんだかんだハムスターに愛着の湧いたモモンガは
特殊技術に頼ることにした。
︿絶望のオーラⅠ﹀
モモンガを中心に周囲に恐怖をもたらす冷気が拡散された。その冷気を浴びたハム
殺さないでほしいでござるよ
﹂
スターは、全身の毛を逆立てて身を震わせて仰向けにひっくりかえった。犬などがする
服従のポーズだ。
﹁降伏でござるぅ
!!
︶
このハムスターには大それた名前に思えるが⋮⋮。いや、獣が人語を解す
!?
るというだけでも賢いということになる⋮⋮のか
?
︵森の賢王
﹁そっ、それがしに名前はないでござるよ。ただ、森の賢王と呼ばれているでござる﹂
も使うことにした。
今の自分にはその名を名乗る資格はないだろう。そう考えて、モモンガの名をこちらで
アインズ・ウール・ゴウンを名乗ることも考えたが、ナザリックから離れてしまった
﹁私の名前は⋮⋮、モモンガという。お前の名前を教えてほしい﹂
少しほほえましく思いながら、モモンガは問い掛ける。
絶望のオーラⅠを食らっただけで手の平もとい全身をひっくり返したハムスターを
!!!
64
﹁そうか。森の賢王よ、私は情報を欲しているのだ。協力してほしい﹂
ハムスターに情報を教えてもらうのは少々滑稽な感じもするが、知的生物ならばなに
かしら情報を持っているはずだ。モモンガの問いかけに森の賢王は即座に了承の意を
﹂
!
告げる。
この森の賢王、殿のために誠心誠意尽くす所存でござる
!
では誰がユグドラシルの魔法を伝えたのかというと、真っ先に思いつくのがプレイ
体は一切知らないようなのだ。
あった。つまりユグドラシル由来のものは伝わっているが、ユグドラシルという世界自
識について質問しても、知っているのは魔法などの体系面の知識が少々という程度で
しかし、森の賢王は NPC という単語も知らなかった。ユグドラシルの様々な知
魔法だ。
て培った魔法の力も見せてもらった。第四位階までであったが、確かにユグドラシルの
森の賢王は 200 年の長き時間を独りで過ごしてきたようだ。長い年月をかけ
縄張り周辺以外の知識は驚くほど少なかった。だが、少しの手掛かりは得られた。
張りを守ることしかしてこなかったので、情報を得る機会は少なかったのだ。必然的に
ほんの少し期待を込めて質問をしたのだが、結果は散々だった。森の賢王は一人で縄
﹁もちろんでござるよ
3.死公
65
ヤーだ。だがプレイヤーが皆モモンガと同時にこの世界に来ているならば、ここまで世
界に浸透しているはずはないのだ。プレイヤーでも NPC でもない者が、何の疑問
もなくユグドラシルの魔法を自分のものとして使えている。その事実から、モモンガよ
りずっと昔にユグドラシル関係者がこの地に何らかの影響を及ぼしたということが、あ
りありと伝わってくる。この推察は、幾度も強制鎮静化されるほどの衝撃をモモンガに
与えた。
⋮⋮ははは、まさかな。そんなことありえないだろう︶
?
知的生物との交流は叶ったモモンガであったが、やはりこの地に人間がいるのならば
このようなことを考えるようになるには、ちょっとしたきっかけがあった。
れからは自身がアンデッドであることは隠しておいた方が無難だろう、と結論付ける。
来られて実際にアンデッドの身となったモモンガにとって、これは他人事ではない。こ
ドの設定としてそのようなことが記載されていた気がする。しかしこの世界に連れて
生けるものの敵として認識されていることだった。確かにユグドラシルでもアンデッ
神的に疲れてしまった。何より衝撃的だったのは、アンデッドが生者を憎み、生きとし
色々と衝撃的な事実を知らされたモモンガは、精神作用が無効化されるはずなのに精
⋮⋮
︵まさか同時刻に終了したユグドラシルから別々の時代にプレイヤーが飛ばされたのか
66
人間と話した方がいい。現実世界では鈴木悟という一人の人間だったのだ。自らの常
識とこの世界の常識との相違点を知るためには、価値観が近いであろう人間との接触は
急務だと言える。
︵情報収集も早めにしておきたいしな︶
﹂
そういった思惑を込めて投げかけた、人間の住処に心当たりはあるかというモモンガ
の質問に対する森の賢王の返答が正体を隠す決め手となった。
﹁あるにはあるでござるが⋮⋮。殿、⋮⋮まさかそのまま行くつもりでござるか
ましだろう。
かりと隠すことも忘れない。この格好も充分に怪しいが、アンデッドだとバレるよりは
ルを取り出して装備する。骨が露出している部分を隠すためだ。ローブの胸元をしっ
モモンガはアイテムボックスから嫉妬マスクとガントレット││イルアン・グライベ
情報収集は行えないだろう。
せば、住民に要らぬ警戒心や恐怖などを与えることになる。そのような状態では十分な
確かにこのハムスターの言う通りである。生者を憎むとされるアンデッドが姿を現
?
バーたちとともにノリで装備するのみだった仮面だ。これ以外に有用な仮面を持たな
嫉妬マスクとは、ユグドラシル時代に配布された日とその翌日限定で、ギルドメン
︵これを装備することになるとはな⋮⋮︶
3.死公
67
いモモンガにとって、顔を隠す手段に選択肢はなかったのだ。それにしても、まさか本
当に顔を隠す目的で使用するとは思わなかった。
そんなこんなで変装を行ったモモンガは、森の賢王の案内のもと人間への接触を図る
ことと相成った。
*
道中、話題の尽きた一人と一匹は言葉を交わすことなく歩を進める。しばらく沈黙を
﹂
保ちつつ歩いていたのだが、不意に森の賢王が話を切り出した。
ああ、そうだな。そうなるか﹂
﹁殿、それがしは殿の臣下となったのでござろう
﹁ん
名前かぁ⋮⋮﹂
?
それは単純にネーミングセンスの問題だ。自分では上手く名付けたつもりでも、ギル
た。
た方が呼びやすいのも事実だ。それでも名付けることへの躊躇いがモモンガにはあっ
モモンガは正直面倒に感じた。ただ、いちいち森の賢王と呼ぶよりは何か呼称があっ
﹁名前
﹁なれば、臣下として殿に名前を賜りたいでござるよ﹂
?
?
68
ドメンバーの反応が芳しくないことが多かった。と言うか、実際に指摘されたことも
多々あった。そのことから自身のネーミングセンスの無さは重々承知しているのだ。
何か閃いた気がするぞ
﹂
それも違う。外見から
しかし、自分を殿と仰ぎ忠誠を尽くすと言ってくれた臣下の頼みなのだ。無下にはで
きまい。
入ってみるか⋮⋮。鏡餅、⋮⋮いや惜しいな。ん
﹁ふむ、そうだな⋮⋮。もこふわ、は違うな。ハム⋮⋮ベーコン
?
?
かう。
﹂
これよりそれがしの名はハム
それがしの威容を端的に表した素晴らしき響きでござるな
少し気を良くしたモモンガとハムスケは一路、人間の集落があるであろう方角へと向
を成し遂げた達成感が確かにあったのだ、⋮⋮たぶん、おそらく、きっと。
予想の斜め上をいく高評価に困惑しつつも、モモンガにはこの世界に来て初めて何か
!
!
選んでもらおう﹂
﹁私が悩みに悩んだ結果、候補は 2 つに絞られた。大福とハムスケだ。好きな方を
作揃いだったため難儀したが、あとは森の賢王自身に決めてもらうことにする。
そうして壊滅的なネーミングセンスの中から時間をかけて候補を選りすぐった。力
?
﹁そうでござるなー⋮⋮。うーむ、⋮⋮決めたでござる
スケでござる
!
﹁おっ、おう。喜んでもらえたならばなによりだ﹂
3.死公
69
辺りはすっかり日の光に照らされている。早朝といったところか。
森を抜けるとハムスケの予想通り、集落らしきものが見えてきた。そのまま歩を進
め、目的の集落が目と鼻の先になった頃、野生の勘を発揮したハムスケが異常事態を察
知する。
厄介事か⋮⋮。できれば関わりたくはないが﹂
!?
その光景はどこか既視感のあるものだった。そう、あれは異業種狩り連中に追い詰め
ろされようとしている。
そんなことを考えているうちに全身鎧の騎士の凶刃が少女に向けられ、今にも振り下
︵やっぱり、俺はもう完全にオーバーロードに成り果ててしまったんだな⋮⋮︶
ンガは自分の変化を嘆く。
じない。憐憫や憤怒といった、人間として当たり前の感情が一切浮かび上がらず、モモ
ングソードにはうっすらと血が滲んでいる。それを見ても虫同士の戯れ程度にしか感
らくる僅かばかりの不快感以外には、特に何も感じなかったのだ。見れば悪漢の持つロ
その姿を見たモモンガの心には、これといった感情が浮かばなかった。人間の残滓か
全身鎧の男だ。
そこまで言ったモモンガの視界に一人の少女が映る。その後ろから追っているのは
﹁何
﹁⋮⋮殿、血の匂いがするでござる﹂
70
られた時の││。その直後、モモンガの脳裏にギルドメンバーの言葉がよぎった。
││誰かが困っていたら助けるのは当たり前。
異業種狩りに遭っていたモモンガを救い、手を差し伸べてくれた聖騎士││後にワー
ルドチャンピオンとなった者の言葉だ。
﹁そう⋮⋮ですよね、たっち・みーさん﹂
小さな呟きは誰の耳にも届くことなく風に流れて消えた。
少女たちに意識を戻すと、剣の一閃を運よく避けたようだ。しかし、次の攻撃が地面
俺は先に行くぞ
﹂
に蹲る少女に向けられようとしている。
﹁よし、ハムスケ
﹂
グレーター・テレポーテーション
!
!
!
待ってほしいでござるよ∼
!
*
り出た。
モモンガはハムスケの懇願を無視して︿上 位 転 移﹀を発動し、騎士と少女の間に躍
﹁あっ、殿
3.死公
71
72
その日はいつもと変わらぬ夜明けを迎えた。リ・エスティーゼ王国の辺境であり、ト
ブの大森林の外れに位置する小さな村││カルネ村の朝が日の出とともに始まったの
だ。
人口 120 人、25 世帯からなるカルネ村では、すでにあちらこちらでは村民
たちが各自の日課をこなし始めている。トブの大森林による恵みと畑から取れる農作
物が主たる生産であるが、その生産には大人だけでなく子供たちも協力することで成り
立っている。
エモット家の長女││エンリ・エモットの朝も夜明けを告げる眩い陽光によって始
まった。寝惚け眼に活を入れたエンリは手短に顔を洗い、日課に取り掛かる。
16 歳であるエンリも、この村の生産を支える一員として充分に役割を果たしてい
る。朝一番のエンリの仕事は、家の近くにある井戸で水を汲むことだ。今日も手に小さ
な甕を持ち、家に置かれた大甕を満たすために井戸へと赴いた。この仕事が終われば、
母の用意した朝食を家族 4 人で囲む、ささやかな団欒が待っているのだ。期待を胸
にエンリは小さな甕に水を汲む。
しかし、その期待は無残にも崩れ去ることとなった。
小さな甕に水を汲み終え、軽く一息ついていた時、村の方が何やら騒がしくなったよ
うだ。何があったのか気にはなったものの、今は自分の仕事を全うしようと甕を持ち上
3.死公
73
げた。
その直後、違和感を抱く。何やら不穏な空気が周囲に渦巻いているのだ。
その正体はすぐにわかった。
カルネ村に凶報を告げる鐘の音だ。
打ち壊される家々の崩れ落ちる音や悲鳴などが村中から上がり、全身鎧に身を包みロ
ングソードを振り回す下手人が蔓延っている。
エンリは状況を理解できず、数瞬呆気にとられて立ちすくんだ。小さな甕はその手か
ら零れ落ち、中身をぶちまけた。
足に掛かった水によって徐々に脳に血が回ってきた。
次第に呼吸が荒くなり、その意識はエモット家に向けられ││。
すぐに眼前へと戻された。
本隊から離れた騎馬が向かってくるのが見えたからだ。騎士の全身鎧の胸元には隣
国であるバハルス帝国の紋章が刻まれていた。その手には血に塗れた凶刃が握られて
いる。何故バハルス帝国の騎士がこんな辺境にという疑問はあるが、今はそんなことを
考えている場合ではない。騎士の顔はほとんど見えないが、何故か醜悪な笑みを浮かべ
ているように見えた。
騎馬は速度を落とさずにエンリに迫っている。
︵村の人を一人たりとも逃さない気だ︶
それを見た男の顔には愉悦が浮かんでいるようだ。じわりじわりと追いつめるよう
﹁いっっ﹂
走った。
は、新鮮な赤い液体が滴っていた。それを見定めると同時に、エンリの背中に激痛が
見下ろし、感情の見えない瞳で見つめている。その手握られたロングソードの剣先に
体中が痛み、よろける体に力を入れて顔を上げた。馬から降りた騎士風の男が自分を
面に体を打ち付け、数回地面を転がった。
しかし、それが長続きするはずもなかった。エンリは背中に衝撃を感じるとともに地
る恐怖をそのままに、ただひたすらに足を動かすだけだ。
足の筋肉を気遣う余裕もなく、目から零れ落ちる水滴を拭う余裕もない。体を這い回
ね︶
︵どうか、どうか見つかりませんように⋮⋮。お父さん、お母さん、ネム⋮⋮無事でいて
戻っても家族を巻き込むだけなのだ。
村を離れるためにトブの大森林に向けてひた走る。敵の目標にされた今の自分が家に
エンリは必死に逃げ出した。家族の無事を祈りながら、騎馬を自分に引きつけながら
﹁ひっ﹂
74
に迫り来る。痛む体に鞭を打ちながら、エンリは必死に逃げる。剣を振われたものの、
足が縺れて転んだおかげで避けられたのだ。振り向くと、男の顔には苛立ちが窺えた。
エンリは迫り来る凶刃に絶望を抱きながら目を閉じた。
だが、その瞬間は訪れなかった。混乱の中で目を開けると、目の前には豪奢な漆黒の
ローブを纏う魔法詠唱者らしき人物の後ろ姿があった。
*
少女を庇い全身鎧の男と対峙したモモンガは、己の軽率さを笑う。こちらの世界に来
てからは自分らしくないことばかりしている気がする。たっち・みーを思い出したから
といって無謀にも程がある。持ち前の慎重さは見る影もなく、迂闊な行動をしてしまっ
﹂
ているようだ。本調子ではないようだが、今は迅速に対応するのみだ。
なっ、何者だ
!
グ ラ ス プ・ ハ ー ト
をする。
突然現れたモモンガに騎士は焦るが、モモンガはそちらに手を向けて握りつぶす動作
﹁っ
!
モモンガの得意とする魔法が発動すると、手で柔らかいものを潰す感触とともに騎士
︿心臓掌握﹀
3.死公
75
は即死して崩れ落ちたようだった。抵抗されても朦朧の追加効果があるため、非常に便
利な魔法だ。
今回は自分でも対処可能なレベルで助かったが、他の騎士もそうであるとは限らな
い。保険の意味も兼ねてやむなく盾役であるデスナイトを作製したが、黒い靄が騎士の
死体を覆い大型のアンデッドが形成される様は異様であった。
アンデッドが生物に忌避されているのはわかっているが、敵の規模や力量がわからな
い現状では、使い慣れた盾があった方が緊急時に対処しやすいのだ。死霊を使役する者
は敬遠されることは言うまでもないだろうが、本人がアンデッドだとばれるよりはまし
だ。
﹂
デスナイトに村を襲っている騎士を殺せと命令を出し、少女へと向き直る。
﹁怪我をしているようだな。この治癒薬を飲むといい﹂
あ、はい。⋮⋮⋮⋮あ、あの、ありがとうございます⋮⋮
マイナー・ヒーリング・ポーション
?
﹂
!
﹂
うそ⋮⋮治って⋮⋮。あ、あの⋮⋮⋮⋮助けてくださってありがとうございます
!
﹁かまわないさ。それより何が起こっているんだ
?
﹁っ
癒薬であったが、少女の傷は完治したようだ。
少女は下 級 治 癒 薬を受け取ると、おそるおそる口につけて飲み干す。低位の治
﹁⋮⋮え
?
76
﹂
村が襲われているんです 図々しいとは思いますが、どうか、どうか助け
⋮⋮両親と妹が、まだ、まだ村に││
!
いたが、この世界の法則として心のメモに書き込んでおくことにした。
らデスナイトが生み出された。死体の有無で作製のされ方が違うことにモモンガは驚
めエンリの護衛としてデスナイトを作製した。だが今度は先程と違い、何もない空間か
村へと急ぐことにした。モモンガとハムスケが居れば必要ないかもしれないが、念のた
こんな場所で少女を一人にしておくわけにはいかなかったので、エンリを引き連れて
何か問題が起きたのかと訝しんだモモンガは、デスナイトの元に赴くことにした。
のだ。
の間に意識的なつながりがあり、それを通して困惑しているような意思が伝わってきた
しばらくして奇妙な感覚がモモンガに伝わってきた。どうやらモモンガとデスナイト
そうこうしていると、デスナイトに襲われたと思われる男の悲鳴が聞こえてきたが、
た。
ら訪れた恐ろしい魔獣を恐れていたが、モモンガの臣下だと知るとひとまず息を整え
その間に遅れてきたハムスケがやってきていた。少女││エンリ・エモットは背後か
!
﹁そ、そうだ
ていただけないでしょうか
?
!
﹁そうか、了解した。助けに行こう﹂
3.死公
77
*
マジック・キャスター
数分後、そこには嫉妬マスクを付けた魔法詠唱者 2 名が向かい合う異様な空間が
出来上がっていた。軽い挨拶は交わしたものの、このままでは話が進まない。どちらと
﹂
ネム
﹂
もなく、生きている騎士の捕縛と村人の治療を急ぐ方向で話が進められた。
﹁お姉ちゃん
!
!
も少しずつ治まってきていた。
いった者たちが優先的に治療され、ようやく治療が終わる頃には村人を苛む恐怖や混乱
皆泣き崩れ、生き残った者たちもまた涙で目を濡らした。重傷を負った者も居り、そう
しかし村全体で見れば死者が 0 というわけではない。家族を亡くした者たちは
だが、比較的早くに騎士たちが鎮圧されたため無事だったようだ。
に立てこもり、エンリが帰宅し次第、父親が囮となって家族を逃がす予定だったようだ。
は、エンリが帰って来ないため、行き違いになることを恐れて家で待っていた。一時的
皆 が 流 れ る 涙 を 隠 さ ず に、エ モ ッ ト 家 の 再 開 が 果 た さ れ た。エ モ ッ ト 家 の 3 人
!
お母さん
﹁お父さん
!
﹂﹂
﹁﹁エンリ
!
78
生き残った騎士たちは村外れの小屋に集められ、縄で腕や脚を縛られた後で治癒薬に
ス ク ワ イ ア・ ゾ ン ビ
より回復させておいた。生かしたのは、後で情報を聞き出すためだ。デスナイトに殺さ
れて従者の動死体となったものはモモンガが引き受け、処分することとなった。
ム ー ン・ウ ル フ
村人は複雑な感情を抱きながらも、亡くなった家族や隣人を弔うために葬儀の準備に
取り掛かり始めた。
ハムスケやデスナイト、月光の狼は周辺を警戒させている。
リカントとモモンガは一定の距離を保ちながら、人目に付かない村の奥を歩いてい
る。そこで漸く、二人の自己紹介が行われた。
﹂
?
そんな疑念を持つモモンガの返事を待たず、リカントが言葉を発した。
他にも恨まれるようなことはたくさんしてきた覚えがある。
い。目の前のプレイヤーもそういった手合いかもしれない。
を狩っていた関係で、アインズ・ウール・ゴウンを敵視している人間種プレイヤーは多
されて周知されている。相手のプレイヤーはその姿を見る限り人間種だ。異業種狩り
リカントのその問いかけにモモンガは口を噤んだ。確かにモモンガの情報は散々晒
ん⋮⋮ですよね
﹁その装備で薄々気付いてはいましたが、貴方はアインズ・ウール・ゴウンのギルド長さ
3.死公
79
じゅうおうむじん
﹁失 礼。ま だ 名 乗 っ て い ま せ ん で し た ね。私 は リ カ ン ト・ウ ル フ ヘ ジ ン。ク ラ ン
獣王武陣の最後の一人です﹂
その名前には聞き覚えがあった。アインズ・ウール・ゴウンに毎日来るのが自分一人
になり、情報収集を怠っていたモモンガでも曖昧ではあるが覚えている。ワールドアイ
テムを一人で持ち歩きながらも、一度も PK されていないプレイヤーだったはず。
アインズ・ウール・ゴウンでも話題に上がったが、PK に遭った経験を持つメンバー
がほとんどであり、ターゲットにはならなかった。むしろ勧誘の話も上がったが、ワー
ルドアイテム持ちが加入する場合、色々と扱いが難しいのだ。燃え上がる三眼の件も
あって、この話は頓挫することとなった。
それにクラン獣王武陣も有名だった。僅か 30 人の集団でありながら、九つの世
界を渡り歩き、数々のダンジョンを攻略していたクランだ。破竹の勢いで九つの世界を
席巻していったが、いつの頃からかその名を聞くことはなくなった。リカントの名が囁
かれ始めたのもその辺りだったか。
それに獣王武陣は獣系の異業種ギルドだった。このリカントという人物も異業種だ
ろう。だとすれば人狼や人熊といった種族だろうか。
リカントの物言いからは、確信を持っているように感じられた。モモンガが誤魔化そ
﹁⋮⋮お察しの通り、私はアインズ・ウール・ゴウンのギルド長、モモンガです﹂
80
うとしても、却って怪しさを増すだけだろう。そう考えて正直に答えることにした。
﹁やはりそうでしたか。⋮⋮実はですね、私は一度あなた方に助けられたことがあるん
です﹂
だ が、ワ ー ル ド ア イ テ ム 持 ち が 2 人 と な れ ば そ う は い か な い。そ の コ ン ビ ネ ー
れた一人の指示があっても、周りの対処が追い付かないことが多いからだ。
ントの持つワールドアイテムの効果を使って逃げることができていた。その効果を逃
は通じない。それが1 人だけならば、そのプレイヤー個人だけを警戒しながら、リカ
ム持ちだったのだ。ワールドアイテムの効果はワールドアイテムを持っている相手に
しかし、そうは問屋が卸さない。相手は 6 人、その内 2 人がワールドアイテ
た。
いない。ある時、いつもと同じように狙われ、いつもと同じように逃げる準備をしてい
た。逃げることに専念すれば大抵は一人で対処できていたが、やはりそれは無謀には違
リカントはソロ活動を始めてから、ワールドアイテム目当てで狙われることが多かっ
させてくれた。
ない。だが、その後で語られた内容はモモンガの心に募っていたわだかまりを少し解消
その言葉はモモンガにとってはかなりの衝撃だった。そんな話は一度も聞いてはい
﹁えっ﹂
3.死公
81
82
ションも洗練されており、複数視点からのリカントに関する情報は敵のチームの動きを
格段に良くしていた。追いつめられ、転移阻害の効果範囲から逃れることもできない。
そのため戦闘に応じる他なかった。
数は力である。同じ土俵に下ろされたリカントは、本来の力を解放して必死に対応し
た。回避力や耐性が高いため長時間生き残ることはできるが、サポート型の構成である
リカントでは決定力に欠けている。同数の勝負ならばなんとかなるが、多勢に無勢、リ
カントの不利は揺るがない。次第に HP が減っていき MP も尽きそうだ。
そんな瀬戸際に絶望を抱いたリカントの前に、赤いマントを翻しながら白銀の聖騎士
が舞い降りた。後ろを振り返れば、他に 5 体の異形が堂々と立ち並んでおり、同じ
ようにリカントの前へと進み出た。
その後の展開は圧巻だった。彼らに襲い掛かった敵たちは次々と白銀の聖騎士に切
り 伏 せ ら れ、聖 騎 士 の 仲 間 の 魔 法 や 武 器 な ど に よ っ て さ ら に 被 害 を 拡 大 さ せ て い く。
あっという間に形勢は逆転し、リカントも参戦したこともあって敵は呆気なく壊滅し
た。
この 6 人││アインズ・ウール・ゴウンの者たちには感謝してもしきれない。倒
し切った後にワールドチャンピオンでもある白銀の聖騎士││たっち・みー││がダサ
いながらもかっこよく思えてしまった正義降臨の文字エフェクトを背負いながら語っ
3.死公
83
た言葉は今でも覚えている。
││誰かが困っていたら助けるのは当たり前。
その言葉は染み入るようにリカントの心に入り、溶けていった。彼らの仲間になるこ
とも考えたが、燃え上がる三眼事件の余波が依然として残っているため各ギルドが新メ
ンバーの募集を躊躇していることも知っている。
それにリカントは獣王武陣の最後の一人として背負っているものもある。
アインズ・ウール・ゴウンとしても大々的に歓迎することはできない。ワールドアイ
テム持ちの新メンバーが加入する場合、その扱いは非常に難しいのだ。信用できない新
メンバーに元通り持っていてもらうか、ギルドのものとして扱うか。大抵は後者になる
だろうが、その意見は割れるだろう。
また、せっかく助けた相手からワールドアイテムを奪うような考えの者は、この場に
はいなかった。
この話はこの場に留め、7 人だけの秘密とすることになった。感謝を告げたリカン
トを残し、アインズ・ウール・ゴウンの 6 人は去って行った。
それから数か月後、アインズ・ウール・ゴウンから彼らが引退したことを知り、何と
も言えない虚無感を抱いたものだが、これは言わなくていいだろう。それ以来、ユグド
ラシルの過疎化も手伝ってリカントが狙われることはなくなっていった。
﹁っ
いえいえ
﹂
!
私もたっち・みーさんに救われた口です。あのときの感動は計り知れ
!
始末に向かいましょうか
﹂
﹁ははは、私たちは結構上手くやっていけそうですね。さて、昔話はこの辺にして村の後
ません﹂
!
てください。あのときは本当にありがとうございました
﹁彼らへの感謝は今でもこの胸に残っています。彼らの代わりにあなたに言葉を贈らせ
だ。
ていた。リカントは最終日、そういった事情もあってグレンデラ沼地に赴いていたの
なんだかんだ尻込みしつつも、何度かアインズ・ウール・ゴウンを訪ねることを考え
ましたから﹂
ない状態で訪ねてもややこしくなるでしょうし、仲間との再会を邪魔するのも気が引け
﹁実は最終日も実は貴方の元を訪ねようと思っていたんですよ。ですが、話が伝わって
ため信用することにした。
細に語られ、敵対者に対しては決して見せないモモンガの知る彼らの癖も含まれていた
モモンガは最初、取り入る為の作り話かとも勘繰ったが、彼ら 6 人についても詳
﹁そうだったんですか⋮⋮。たっち・みーさんが⋮⋮、あの人たちが⋮⋮。﹂
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!
﹂
!
少し打ち解けた二人は穏やかな雰囲気を保ちつつ、村の中心部へと向かっていった。
いたいですからね
﹁⋮⋮ええ、そうですね。せっかく助けたんですから、彼らにも頑張って前を向いてもら
3.死公
85