さっている金 先 生 でした。空 港 まで来 てくださり様 々 な な気持ちを払拭してくださったのが韓国語を教えてくだ 「行きたくない」という気持ちになってしまいました。 そん フライトだったのですが、 心 配 のあまり空 港 に着 くなり など様々な感情が沸いてきていました。 羽田空港からの 私は渡韓前に、 初の海外ということで、 不安、 緊張、 恐怖 流を図り自分の視野を広げることを掲げました。 目指すこと。 また海外の多彩な友達を作ることで国際交 しては、 現地で韓国語を学ぶことにより語学力の向上を 日まで) 交換留学をさせていただきました。 留学の目的と 今回、 私は韓国の金剛大学校( Geumgang Univ. ) にお いて、 一 か月 間( 平 成 二八 年 八 月二 七 日から一〇 月二 文化コース三年 髙橋 瞳 身延山大 学仏教 学部 仏 教 学 科 けました。 これが文 化 の違 いなのかと感 じる最 初 の出 来 でした。 また子どもが平気で走っていたことにも衝撃を受 かにしなくてもそれほど気にする人がいないというところ は無料で入れ、 自 由に写 真を撮ることが出来、 あまり静 博 物館 で驚 いたことは、 日本 とは違 って、 韓 国の博 物館 で、 韓国語の勉強を頑張らなければと思いました。 あったのですが、 それは大きいパネルに限られていましたの 表記されている言語は、 韓国語、 英語、 日本語、 中国語と 物をはじめ、 国宝 も多 く展 示 されていました。 案 内板 に してくださいました。 そこには、 百済第二五代武寧王の遺 二日目は、 朝からヒジェさんが公州市の博 物館を案 内 出来るところでした。 と自然の中にあり、 都会とは違う雰囲気を味わうことが ろすことが出 来 ました。 金剛大 学 校 は周 囲 が山や田 畑 設備などを教えてくたさいましたので、 無事に荷物を下 しながら、 入寮の手続きをはじめ、 金剛大学校の施設や た平成二五年度の交換留学生キム・ ヒジェさんが通訳を しかし、 仁 川空 港 から大 学 まで私 を連 れていてくださっ 朝教室に入ると Hi! Hitomi!! Good morning!!! といつ も笑顔でみんなが迎えてくれたので、 とても安心するとと れの言葉に訳して教えてくれました。 授 業 でどうしてもわからない言 葉 が出 てくると、 それぞ スメートのなかにはバイリンガルやトライリンガルがいて、 が汲み取ってくれたので、 会話が成り立っていました。 クラ 会話をしましたが、 私の片言の韓国語と英語でもみんな 同様に行われました。 クラスメートとは韓国語と英語で ャー も交 えながら授 業 が進 められ、 学 生 からの質 問 も した。 基本 的 に韓国 語 でしたが、 英語 と、 全 力のジェスチ 授業は、 朝の八時三〇分から昼の一二時三〇分までで アドルからの留学生がいました。 インドネシア、 マレーシア、 ブラジル、 中 国、 フィリピン、 エク カ、 南米出身者もいました。 私のクラスには、 ロシア、 台湾、 界各地から来ていて、 ヨーロッパ、 アジア、 さらには、 アフリ をすべて合 わせると四 〇 人 ほどの留 学 生 がいました。 世 になりました。 私のクラスは一三人でしたが、 ほかのクラス した。 授業を受ける語学院で、 私は初級クラスに入ること 三日目、 この時 まで私 には学 校 の予 定 が知 らされてお とが出 来 なくて、 申 し訳 ないという気 持 ちもありました 交 わしました。 最 初 は韓 国 語 も英 語 も少 ししか話 すこ て、 とにかくありとあらゆるジャンルの話題について言葉を Edit by Kim Byungkon 韓国での短期交換留学を終えて そのおかげでこれから一か月間頑張ろうという気合が入 お話を交わして、 私の心を落ち着かせてくださいました。 らず、 それを知 ったヒジェさんが確 認 をしてくださり、 丁 が、 互いが理解 し合うためにも、 もっと学ぼうという意 識 もに、 今日 も一 日 頑張 れそうな気 になりました。 みんな 指定した日に入寮することが出来ず、 遅れて入寮するこ 寧に教えてくださったので、 本 当に感謝の気持 ちでいっぱ が芽生えてきて、 自然とクラスに一体感が出来、 さらにみ 事でした。 それはともかく多 くの重要 文化 財、 国宝など とになりました。 この時、 私はまだ韓国語を話すことも聞 いになりました。 んなが仲良くなっていったと思います。 りました。 いて理 解 することもままならず、 簡 単な言葉 でしかそれ いよいよ学校が始まりましたが、 私はほとんど何も知ら とたくさん質問をし合ったり、 また日本語を教えたりし を行うことが出来 ませんでした。 入寮の時、 金剛大 学校 ずに飛び込んでいったので、 簡単な会話しか出来ませんで をみることが出来、 とても感銘を受けました。 の事務の方は、 私が来 る日を把握していなかったようで、 私は今回、 京都 での博物 館 実習のため、 金剛大 学校が 日本語が通じる人がいないという問題が起きていました。 2016/9 交換留学体験記 MINOBUSAN UNIVERSITY INTERNATIONAL EXCHANGE COMMITTEE NEWSLETTER 2016 #5 て送られてくるので、 解読 には時間がかかりますが、 そこ こと、 その他諸 々のことがカカオトークでメッセー ジとし やり取りが行なわれていました。 学園祭のこと、 体育 祭の などはすべてカカオトークで行っていて、 韓国語と英語で に会話をしながら、 食堂まで行っていました。 学校の連絡 授業が終わってからはみんなで昼食を取りました。 一緒 ものでもあると感じたのです。 言 葉というのは違 うと厄 介なものだが、 ある意味 面 白い が絶えなかったなと今では懐かしく思っています。 そして、 く笑ってくれたことがあります。 私のクラスは本 当 に笑い にはその発音が なのか なのか、 はたまた日本 VISA PIZZA 語の膝なのか、 わからなくなると言 ったら、 みんながすご 最初の授業で先生が、 韓国人と外国人とでは VISAの 発音が違がって聞こえるという話をしていて、 日本人の私 た。 出来たわけではなく、 少しはわからないところもありまし 中で自動翻訳出来るようになりました。 ですが、 きちんと 私は大体 一 週 間と少 しで先 生の話している言 葉 が頭の るのに苦 労 しましたが、 慣 れればなんてことはないです。 話調で、 質問はその都度行います。 最初は本当に理解す です。 私の帰国前日にはみんながチキンを注文してくれ、 ら「本当にあっという間だね」と言われ、 とても切なかった う間に来てしまったなと感じました。 知り合ったみんなか 「帰るな、 帰 るな」と言ってくれ、 本 当 に帰 る日 があっとい 韓国にいたいと思うようになりした。 友達も毎日のように んと近づいて来ました。 一日 一日近づくたびにもう少 し チュソクが終わり、 授業が進むにつれ、 私の帰国もだんだ てしまいました。 にも怖くて、 職員の人だけでなく、 普通の人にも驚かされ イベントで、 ゾンビが出てくるという演出でしたが、 あまり とはロッテワー ルドに行 き、 その時 にちょうどハロウィンの るキティランドに行き、 キティのお部屋をみてきました。 あ お友達になることが出来ました。 ソウルタワーのなかにあ みたり、 そこで思いがけない出会いがあり、 マレーシア人と いるカカオショップを全制覇したり、 ソウルタワーに行って をしました。 韓国で人気なカカオのキャラクターを売って も多く、 椅子をみる時にはもみくちゃにされ、 大変な思い 宮 にも行 き、 王 様 の椅 子 をみてきました。 人 があまりに 心 の底 から救 ってくれそうだなと感 じました。 また景 福 ートル) をみた時は圧巻でした。 とても大きくてみた人を 金泥の法 華 経をみたり、 尚 州 北長 寺の掛 仏( 一 三. 三メ ムを食 べ、 韓 国 中 央 博 物 館 に行 き、 国 宝 をみたり、 紺紙 こから ( 日本でいう新幹線) に乗って揺られること一 KTX 時間弱でソウルに着きました。 明洞ではバラアイスクリー ていただきました。 スクールバスに乗り、 大田まで行き、 そ 韓国に行きたいと思っている人達に伝えたいです。 な国に行けて私は感動 しましたし、 この感 動をこれから せだと、 自分は恵まれているなと感じました。 こんな素敵 素敵なところなのだろう、 たくさんの友達に出会えて、 幸 学校の図書館の上からみた景色が本当にきれいでなんて を成長へと導いてくれたのではないかと思います。 金剛大 たねと言 われ、 韓 国 に行 って韓 国 で出 会 ったみんなが私 じています。 日本 に帰ってきて、 みんなからいい風に変わっ 自分がよりよくなるために成長出来たのではないかと感 して本当によかったなと、 日本に帰ってきて常々感じます。 たった一 か月 だけでしたが、 韓 国 の金 剛 大 学 校 に留 学 の気持ちでいっぱいです。 どの人々 、 その一 人一 人 に感 謝をしても足りないくらい ト、 ルームメイトのジュミさん) 、 日本人の留学 주미언니( 生、 日本語学科の人、 私に関わってくれた数え切れないほ オンニ・ 平成二八年 度の交換留学生) 、 ヒジェさん、 언니( ホソンさん、 金剛大学校の先生方、 職員の方、 クラスメー られました。 身 延 山 大 学の先生 方 をはじめ、 親、 ヨンジュ 今回の韓国での交換留学は本当にたくさんの方に助け 友達だなと感じました。 には本 当 に涙をこらえるのに必死 でした。 そして中 国人 国語プログラム終 了書授与式」を 行いました。 Edit by Kim Byungkon の友達が最後に中国式の茶道をしてくれ、 みんな素敵な は根気強く頑張ることが必要です。 パー ティー を開 いてくれました。 ケー キまで登 場 した時 の14時より、「韓 授 業 の内 容 としては、 ハングル文 字 の発 音 から始 まり、 私の留学期間中には、 韓国にお盆( チュソク) があ 추석 ・ り、 一 週 間 ほど学 校 がお休 みになったので、 平成二 六年 11月30日(水) 日 常 会話 で必 要 なことを習 います。 習 うこともすべて会 度の交換留学生ミョン・ ホソンさんにソウル市内を案内し 2016/9 交換留学体験記 MINOBUSAN UNIVERSITY INTERNATIONAL EXCHANGE COMMITTEE NEWSLETTER 2016 #5
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