はじめに ほぼ40年にわたり続いた新自由主義とグローバル化の資本主義

Tanaka Soko
はじめに
ほぼ 40 年にわたり続いた新自由主義とグローバル化の資本主義が転換期を迎えている。
2016年米国のトランプ・サンダース現象により、米国の大衆が保護貿易主義、諸種の福祉政
策充実を求めていることが明らかになった。英国の欧州連合(EU)離脱選択(Brexit)も格差
問題に起因する。
EUは国家連合でもあり、格差問題の現われ方は特有で、加盟国内だけでなく国家間の格差
も問題になる。東欧諸国の新規加盟やリーマン危機(2008/09 年)・ユーロ危機(2010 ― 12 年)
によって単一市場・単一通貨制度の限界が示された。財政や政治の統合の必要性が明らかに
なる一方で、右翼政党やポピュリズム政党は国家主権の強化を求めている。
本稿では欧米の格差問題から出発して、EU経済統合との関係を議論し、さらにBrexitにか
かわる英国の格差問題を取り上げる。最後に、EUの格差問題の行方を考えたい。
1 新自由主義的資本主義への転換と所得格差の拡大
第 2 次世界大戦後、先進国は管理資本主義の下で米国技術の拡散や関税貿易一般協定
(GATT)貿易自由化の恩恵を受けて、ほぼ四半世紀にわたって高度成長を継続し、史上初め
て福祉国家を実現した。しかし、1970年代に入ると、インフレ激化や成長率低下により資本
主義の転換が始まり、インフレ抑制と市場万能を主張する新自由主義が主流となった。新自
由主義は政府(中央銀行を含める)がインフレを低位に抑えて余計な介入を慎めば、市場が経
済の成長と繁栄をもたらすと言う。それに依拠して、英国のサッチャー首相(1979年就任)と
米国レーガン大統領(1981年就任)が主導し、今日まで格差拡大の資本主義の時代が続いた。
トマ・ピケティは『21 世紀の資本』において、欧米 5 ヵ国の所得トップ 10 分位(所得の最
も高い 10 分の 1 の階層)が国民所得全体に占めるシェアの推移を示している。2 つの世界大戦
を経て、20世紀初頭の格差資本主義は、戦後、格差縮小の資本主義へと「革命的に」転換し
た(第1図)。しかし1980年から米英両国は急激な上昇に転じ、米国では2010年には上位10%
が国民所得の 48% を取得するという 20 世紀初頭より悪化した格差資本主義となっていた。
1789年革命前のフランスに匹敵するという。英国も2010年に40%を超えた。独仏両国は1990
年から上昇しているが、比較的緩やかである(フランスはとりわけ)。
ピケティは格差変動の主因を税制(とりわけ所得税と相続税)の変更にみている。英国と米
国際問題 No. 657(2016 年 12 月)● 24
EU の格差― リーマン危機後のトレンド転換と Brexit
第 1 図 欧米諸国の所得格差(1900―2010年)
―トップ10分位の所得が国民所得に占めるシェア
(%)
50
45
40
35
30
25
20
1900
10
20
30
40
50
60
70
80
90
2000
10 (年)
米国 ドイツ フランス 英国 スウェーデン
(出所)
ピケティ(2014)、336ページ。
第 2 図 欧米4ヵ国の最高所得税率(1900―2013年)
(%)
100
90
80
70
60
50
40
30
20
10
0
1900
10
20
30
40
50
60
70
80
90
2000
10(年)
米国 ドイツ フランス 英国
(出所)
ピケティ(2014)、521ページ。
国で戦後、資本所得(配当、利子、不動産レント、キャピタルゲイン)に適用された最高所得税
率は 90% 台ときわめて高かったが、サッチャー・レーガン時代に劇的に引き下げられた(第
。最高相続税率も両国で大きく引き下げられた(ピケティ 2014、図 14-2)。高額所得者と
2図)
中層以下との格差は拡大を続けた。
アングロサクソン両国の最高所得税率・相続税率の動きは大陸諸国に比べて極端である。
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EU の格差― リーマン危機後のトレンド転換と Brexit
英国は「ゆりかごから墓場まで」の徹底した福祉制度を構築したかと思えば、その反対の極
端へと動く。独仏両国は2000年代に最高所得税率を引き下げ、米英に接近したが、20年近く
遅れ、また米英ほど劇的ではなかった(第 2図)。
転換の1980年代、米英経済は為替相場高騰、製造業の海外流出、労働組合との抗争などに
悩まされたが、1990 年代に経済は繁栄に向かう。米国は 120 ヵ月連続の好況、英国は 1992 年
秋から 16 年続く好況となり、失業率は継続的に低下した(第 3 図)。被雇用者 1 人当たりの実
質報酬は 1990 年代末から 2000 年代初めにかけて顕著に上昇した(年率 3 ― 4% 台)。労働者階
級にとって「許容できる格差拡大」の時期と言えよう。対照的に、独仏で失業率は上昇し
、実質報酬の上昇率はほとんどの年に 1%未満であった。
(第 3図)
レーガン・サッチャー路線は左派政党に引き継がれた。まず米民主党ビル・クリントン大
統領(1993年就任)が、次いで英労働党トニー・ブレア首相(1997年就任)が、従来の労働組
合依存の左派路線と決別し、広汎な市民層に支持基盤を移して中道左派となった。1990年代
後半から 2000年代まで「第 3 の道」が欧州の政治を席巻した。経済自由化・グローバル化の
下で、それらの政権は労働市場の柔軟化(雇用保護の低下、企業による解雇の自由度の増大)を
進めた。ドイツでは社会民主党シュレーダー政権が2003年から2005年まで徹底した労働市場
柔軟化を実施した(1)。
反共を旗印とする保守政治はソ連崩壊により力を失い、1990年代からのそれなりに好調な
経済が中道路線の支えであった。だが2005年、ドイツでのメルケル保守政権への転換が嚆矢
第 3 図 米英独仏ユーロ圏の失業率の推移(1991―2017年)
(%)
13
12
11
10
9
8
7
6
5
4
3
2
1
0
1991
93
95
97
99
2001
03
05
07
09
11
13
15
17(年)
フランス ユーロ圏12 米国 ドイツ 英国
(注)
2016、2017年は2016年春時点の予想値。ユーロ圏12は1999年ユーロのスタート時の加盟11ヵ
国とギリシャ。
European Commission, “Statistical Annex,” European Economic Forecast, Spring 2016 より
(出所)
筆者作成。
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EU の格差― リーマン危機後のトレンド転換と Brexit
となり、リーマン危機頃から西欧諸国の政治は「保守の時代」へと転換する。それはリーマ
ン危機後の格差拡大の一因となった。
リーマン危機により 1990 年代に始まった米英の失業率低下は終了し、急騰した(第 3 図)。
だが、比較的早く危機を乗り切り、2016 年にはドイツとほぼ同じ失業率へと引き下げた(2)。
ドイツは2006年から失業率を継続的に引き下げた。だが、ユーロ危機により南欧経済は落ち
込み、ユーロ圏の失業率は急騰した。
2 リーマン危機後の EU 統合と格差
(1) EU 統合の変質
20世紀EU(1993年11月スタート、その前は欧州共同体〔EC〕であるが、すべてEUと表示する)
は統合プロジェクトによって経済成長を高め、加盟国にその成果を行き渡らせることで正統
性を獲得してきた。統合は EU 各国の網の目のような規制を撤廃し、域内で企業の自由行動
を保証し、成長率を高めた。単一市場は一国内並みの経済自由度を EU 規模で保証し、人の
自由移動も実現した。GATT/WTO(世界貿易機関)による貿易自由化も単一市場統合以降大
きく進展し、経済効率を引き上げた。市場深化による成長であり、労働者も生産性上昇によ
る賃金上昇を果実として受け取ることができた。
ところが、1991 年のソ連崩壊により 1 億超の人口をもつ東欧が西欧資本の前に開け、企業
は市場深化ではなく、低賃金利用と市場の横への拡大に依存するかたちに転換していった。
労働者階級にとってEU統合は由々しき事態へと転化したのである。2004年東欧8ヵ国、2007
年東バルカン 2 ヵ国、2013 年クロアチアが EU に加盟し、現在の EU28 となった。国民 1 人当
たり国内総生産(GDP)はEU15平均に対して、2004年時点でブルガリア、ルーマニアはわず
か10%、ポーランド20%など、EUは未曾有の国家間所得格差に直面したのである。単一市場
による障壁のない自由化と非常に大きな賃金格差の下で、
「EU 域内グローバル化」が展開し
た。
リーマン危機以前は西欧の企業や大銀行が東欧へ進出し、雇用と生産を拡大し、あるいは
金融を支配した。東欧からの移民は、加盟後 7 年間に限り受け入れ国の規制が認められてい
たが、2010年代にその期限が切れると、西欧・北欧への大量移民時代へ移行した。低所得か
つ大人口のポーランド(2004年、約3800万人)とルーマニア(同、約2100万人)からの移民が
とくに目立っている。
「域内グローバル化」を受けて西欧資本は国内でも低賃金労働の利用へ動いた。1996 年制
定の EU の「配属労働者指令(Posting of Workers Directive)」はそもそもは南欧新興国の労働者
保護も念頭に置いていたが、21 世紀に入ると EU の欧州司法裁判所(ECJ)の判決によって、
東欧でリクルートした労働者を西欧に移動させ、当該国の最低賃金で雇用できることになっ
た(3)。単一市場原則の新自由主義的解釈と言えよう。たとえば、英国企業がハンガリーで300
人の勤勉な労働者をリクルートし、英国工場に連れてきて最低賃金でサンドイッチを製造さ
せる(英国食品工業の被雇用者の30%は移民)。これでは西欧諸国の労働者の賃金や雇用に深刻
な影響を及ぼす。2015 年 9 月、英国労働党党首となったジェレミー・コービンは、
「EU は欧
国際問題 No. 657(2016 年 12 月)● 27
EU の格差― リーマン危機後のトレンド転換と Brexit
州全体の労働者階級や労働者の権利を破壊するフリーマーケットのように運営されている」
と批判したが、西欧諸国の労働組合の見解を代表したものと解釈できる。
ユーロ圏の安定を目指して設計された通貨ユーロは、西欧大銀行による「バブル&バスト」
の機構ともなった。ユーロによって為替リスクが消滅し、西欧の大銀行は南欧に巨額の与信
(貸し出し・投資など)を行ない、バブル膨張を助長し、リーマン危機以後逃げ出してバブル
破裂(bust)へと導き、ユーロ危機を引き起こして、南欧諸国を財政破綻と不況に追い込ん
だ。財政デフォルトはEU・ユーロ圏・国際通貨基金(IMF)(「トロイカ」)の財政資金援助で
防いだが、援助は南欧諸国政府の債務を膨張させた。バブルを膨張させたギリシャやスペイ
ンとその資金を提供した西欧大銀行の双方に責任があり、西欧・南欧同罪である。ところが、
西欧の債権国は危機の南欧債務国に過度の財政緊縮を要求して不況を激化・長期化させ、大
量失業と所得格差拡大を引き起こした。2015 年 7 月、国民投票を背景としたギリシャ政府の
反乱は叩き潰された(4)。この
末をみて、ユーロ圏の連帯性の欠如、ドイツの非情に憤慨し、
絶望した人は世界中に少なくなかった。Brexit にも影響した。
単一市場統合は「効率・安定・衡平(equity)」からなる「統合の 3 角形」をモデルとした。
単一市場統合の域内競争で劣位に立つ南欧新興国や後進地域の経済を後押しするために、EU
地域政策の資金規模を倍増し支援方式も見直すなど、効率を衡平がサポートした(5)。しかし
ユーロ圏では衡平は無視され、ドイツ流の秩序重視、財政均衡が優先された。
(2) リーマン危機後の格差拡大
20 世紀 EU 統合は西欧諸国の米国に対する経済成長力格差の原因を「規模の経済」にみて
おり、米国の巨大単一市場と単一通貨ドルへのキャッチアップを遠大な目標としていた。当
初は空想にみえたその目標は単一市場統合と通貨統合(単一通貨ユーロ)によって実現した。
だが、今日EUは「単一市場格差」
「ユーロ圏格差」に直面する。EUの新たな目標は「格差へ
の挑戦」でなければならない。その一端を EU 諸国の国民 1 人当たり GDP の推移で説明しよ
う(第4図)。
1990年代半ばからリーマン危機前まで、南欧諸国や東欧低所得諸国が西欧コア諸国にキャ
ッチアップする理想的な発展パターンだった(バブルによる経済成長を割り引く必要はあるもの
。リーマン危機後、トレンドは反転する(第 4 図)。図では 20 世紀の EU 加盟 15 ヵ国(西
の)
欧・北欧・南欧。先進国ベース)の国民 1 人当たり所得を 100 として、各国の 1 人当たり GDP
(所得)の水準をみている。グラフが水平移行なら15ヵ国平均なみの所得の成長、右肩上がり
はキャッチアップ(EU15 平均以上の GDP成長率)、右肩下がりは格差拡大を示す。
図から読みとれる格差動向の特徴として、第 1 に、ユーロ圏諸国の所得縮小トレンドは
2009 年に反転し、ドイツと南欧ユーロ圏諸国との所得格差が大きく開いた。1980 年代に EU
に加盟してキャッチアップを続けてきたスペインとギリシャはバブル破裂と押しつけられた
財政緊縮政策により大きく落ち込んだ。ギリシャは 2008 年以降 8 年連続マイナス成長、GDP
は 25% 超縮小し、落ち込みがすさまじい。ギリシャとイタリアの EU15 平均との所得格差は
1995年より大きくなった。フランスも右下がりになった。格差の拡大によりユーロ圏は不安
定化している。
国際問題 No. 657(2016 年 12 月)● 28
EU の格差― リーマン危機後のトレンド転換と Brexit
(EU15=100)
第 4 図 国民1人当たりGDPの推移(市場価格ベース)
140
120
100
80
60
40
20
0
1995 2000
04
05
06
07
08
09
10
11
12
13
14
15
16
17(年)
ドイツ 英国 フランス イタリア スペイン
ギリシャ ハンガリー ポーランド ルーマニア
(注)
各年のEU15=100としたEU各国の国民1人当たりGDP。2016、2017年は2016年春時点の予想
値。
(出所)
第3図に同じ。
第 2 に、東欧諸国のキャッチアップが停止した。リーマン危機後、西欧などからの直接投
資(FDI)流入は減少し、経済成長率も下がった。欧州の「負け組」になったとの受け止めが
広がり、EUへの反発を引き起こしている。第4図でルーマニアはキャッチアップを続けてい
るが、人口は 2000 年の 2244 万人から 2015 年 1992 万人へ 11% 減少した。同様にキャッチアッ
プを続けるラトビアで 16%、リトアニアで 17% もの人口減少が起きている。国民 1 人当たり
GDPの右肩上がりは分母(人口)の縮小によって強められている。若者が大量に流出し、EU
諸国に職をみつけてはいるが、頭脳流出や国内産業への影響など懸念事項である。
このように、リーマン危機後、EUのさまざまな格差が拡大し、ドイツ以外は統合の成果を
実感できていない。EU やユーロ圏に対する求心力は衰え、遠心力が強まっているのである。
このような環境激変のなかで Brexit が起きた。
3 Brexit と英国の格差問題
(1)「許容できない格差」に財政緊縮が追い打ち
2016 年 6 月 23 日の国民投票による離脱選択(Brexit)は僅差だった(投票率 72.2%、EU 離脱
。Brexit は英国民の間に格差の断層線が幾
1741 万票 51.9%、残留 1614 万票 48.1%、約 127 万票差)
国際問題 No. 657(2016 年 12 月)● 29
EU の格差― リーマン危機後のトレンド転換と Brexit
重にも走っていることを明らかにした。所得格差、世代間格差、地方間格差、他の西欧諸国
と比較した福祉格差などである。
世代間格差は明瞭だった。55 歳以上層の投票率は 80% を超え、離脱支持は約 60% だった。
対照的に、18歳から24歳の若者の残留賛成は72%、圧倒的に親EUだが、投票率が低かった。
高齢者世代は高い投票率によって若者世代の希望を砕いた。
所得格差、福祉格差が最も深刻な問題であった。2010年までの格差拡大により、上位10分
位の国民所得シェアは40%超となった(第1図)。過去10年ほどの実質賃金の動きを経済協力
開発機構(OECD)統計でみると、2007 年をピークに 2014 年まで下落を続けている。先進国
で最悪、2007年を基準にとれば、下落率と下落期間の双方において、ユーロ危機に直撃され
たイタリアよりひどく、低成長のフランスのほうがまだましである(第 5 図)。米国の実質賃
金は上昇を続けているが、大卒以上層は上昇、高卒以下層は下落と格差拡大がはなはだしい。
民主党を離れた労働者層はナショナリズムの共和党支持へ動いた。リーマン危機後、米英両
国の労働者階級にとって「許容できない格差」が現実になっていたのである。
英国の福祉指標もきわめて悪い。ジニ係数の不平等度では2007 年英国は EU 最悪の 37、エ
ストニアと並ぶ(6)。失業手当(2012 年)をみると、2012 年失業率約 8% で総支給額は GDP 比
0.75% とチェコ並み、失業率 5%のドイツは 1.2%、同10% のフランスは2%弱であり、英国は
第 5 図 米欧主要国の実質賃金の推移(2005―15年、各国通貨表示)
(各国通貨の実質値)
60,000
55,000
50,000
45,000
40,000
35,000
30,000
25,000
20,000
2005
06
07
08
09
10
11
12
13
米国 ドイツ フランス 英国 イタリア
(注)
経済全部門。各国通貨(ドル、ユーロ、ポンド)の2015年固定価格による実質値。
(出所)
OECD統計、Average Annual Wages より筆者作成。
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14
15 (年)
EU の格差― リーマン危機後のトレンド転換と Brexit
惨憺たる有様だった。失業者 1 人当たりの失業手当(1 人当たり GDP に占めるシェアで表示、
2012 年)は 1 人当たり GDP 水準がほぼ等しいアイルランドで 0.60%、同じくフランス 0.43%、
ドイツ 0.41% に対して英国はわずか 0.18%、東欧諸国並みの低さである(7)。
さらにオズボーン財務相は2012年、2020年財政均衡化を目指して「戦後最も厳しい」財政
緊縮に乗り出した。福祉(生活保護、失業手当、子供ケアなど)、住居、医療、教育(成人教育
や職業訓練を含む)などへの政府支出は大幅カットとなり、下層の貧困化、中流の没落などを
推し進め、勤労者層の反政府、反エリート意識を強めた(8)。それをみて、ロンドン市長で人
気の保守党議員ボリス・ジョンソンなどが離脱運動に転じ、反EUで大衆を煽った。EUでも
最悪の格差に直面し、現状を変えたい労働者層から離脱支持を引き出したと言える。
(2) 地域格差について
地域により離脱・残留がはっきりと分かれた。英国人口6500万人の84%を占めるイングラ
ンドの離脱53%が決定的だった。ロンドン都市圏では残留60%、大学都市を含めてロンドン
周辺のかなり広い地域でも残留が上回ったが、イングランド北部のほぼ全域で離脱が過半、
ウェールズは離脱 53%(西ウェールズは残留が過半)だった。スコットランドは残留 62%(全
、北アイルランドは残留 56% だが、人口シェアは 8% と3% にすぎない。
地域で残留)
所得の低い地方ほど離脱シェアが高いというわけではない。国立統計局(ONS)の家計可
(ポンド)
第 6 図 英国地方の実質家計可処分所得(1人当たり)の推移(2003―13年)
45,000
40,000
35,000
30,000
25,000
20,000
15,000
10,000
2003
04
05
06
07
08
09
10
11
12
13 (年)
インナーロンドン西 アウターロンドン西・西北 東スコットランド イングランド北東
西ウェールズ グレーター・マンチェスター 北アイルランド
(出所)
EurostatのNUTS2データ(2016年9月16日最終アップデート)より筆者作成。
国際問題 No. 657(2016 年 12 月)● 31
EU の格差― リーマン危機後のトレンド転換と Brexit
処分所得(1 人当たり換算/ 2014 年、本年 5 月発表)によれば、家計可処分所得の英国平均は
2014 年約 1 万8000 ポンド、最高水準の「インナーロンドン西」は 4 万ポンドと 2 倍を超える。
可処分所得のこれほど大きな地方間格差は他の EU 諸国ではみられない。消費者物価水準や
上昇率を考慮した家計実質可処分所得(1人当たり換算)の推移を7地方についてみると(9)、第
6 図のように、家計実質可処分所得は 2004 年から全国的に上昇したが、リーマン危機により
2011年まで3年続きで下落し、2004年水準に戻った(インナーロンドン西は例外)
。所得は2012
年ようやく回復に転じたが、2013年再び下落した。上述した財政緊縮政策による。折からユ
ーロ危機激化を受けてユーロ圏では 2012、2013 年マイナス成長、英国の EU 輸出も打撃を受
けた。保守党内では EU 批判や早期に中国・インドなどとの貿易協定へ乗り換えようと「EU
早逃げ論」が強まった。手を焼いたキャメロン首相が2013 年 1 月、国民投票を発表したので
ある。
地域所得はやはりインナーロンドン西が際立ち、その外周アウターロンドンの西・西北は
その約半分だが、他の地域と比べて高く(第 6 図)、残留票が上回る。しかし、1 万 5000 ポン
ド近傍の4地方のうち、イングランド北東(第6図で2013年第4位)は離脱多数である(日産工
、それより所得の低い西ウェールズ、グレイター・マンチ
場のあるサンダーランドは離脱61%)
ェスター、そして最下位の北アイルランドは残留が多数である。
これら低可処分所得地方の残留支持の共通の要因として、EU地域政策を指摘できる。繊維
産業の中心地だったマンチェスターが産業衰退により貧困地区となったが、EUはリバプール
と共に衰退産業地域活性化のモデル地区として 1980年代末以降復興に力を注ぎ、研究機関の
立地など第 3 次産業を中軸にようやく活性化の兆しが見え始めた。経済開発の遅れている西
ウェールズや北アイルランドにもEUの地域政策資金が集中的に投下されている。仮にEUの
地域政策資金が倍額あり、英国の貧困地域にもっと広く配布されていれば、Brexit は防げた
かもしれないのである。EUの福祉・連帯政策の重要性がわかる。
北アイルランドでは北部で離脱票が過半、南部と西部で残留シェアが高い。可処分所得水
準は南部と西部で北アイルランド平均より低いのだが、EU単一市場がアイルランド共和国と
の国境を取り払い、人の完全に自由な移動を保証し、アイルランドの繁栄に参画できる北ア
イルランド南部・西部の利益は大きい。英・アイルランド両国の農産物貿易の相互依存度も
高い。北アイルランド政府は離脱後も自由移動の維持を強く望んでいる。宗教的にはアルス
ターなど北部にプロテスタント、南部・西部にカトリック教徒が多く、アイルランド共和国
との親和性が高いとも考えられる。北アイルランドの一部住民はアイルランドとの統一を問
う住民投票を要求している。
(3) 移民流入について―受容と反発
英国内務省の調査によれば、2013年時点で英国人口の約 50%が「比較的高い移民流入を経
験」とされており、流入移民と頻繁に接触する人口シェアはかなり高いと考えられる。移民
は 12 ヵ月以上英国に居住するために流入する外国人であって、高スキルと低スキルの労働
者、学生(高い学費にもかかわらず大学生は約50万人)、難民(亡命)などのカテゴリーに分か
れる。
国際問題 No. 657(2016 年 12 月)● 32
EU の格差― リーマン危機後のトレンド転換と Brexit
英国の移民流出入は、1980年代まで流出超過、1990年代末にボスニア内戦による難民流入
などが急増、2000年には非EUからの純流入が20万人を突破した。その後2010年頃まで20万
人ペースの純流入となった。ブレア政権は約30年ぶりに移民規制を緩和し、コモンウェルス
(英連邦)からの移民流入が増加したが、東欧 8(ハンガリー、ポーランド、チェコ、スロバキ
、とりわけポーランドから、2004年のEU
ア、スロベニア、エストニア、ラトビア、リトアニア)
加盟以降急増した。専門家(医師、看護師、建築家など)を中心に積極的に EU 移民を受け入
れたのである。キャメロン保守党政権(2010 年成立)は種々の流入規制を導入したが、英国
企業の移民労働力への需要は強く、EU ・ EU 外双方から移民流入が続いた。2007 年 EU 加盟
の東欧 2(ブルガリア、ルーマニア)に対して英国は 7 年間規制を適用したが、2014 年以降流
入が急増した。ちなみに両国の国民 1 人当たり GDPはEU15 平均の約 5分の 1である。世界語
である英語と開放的な社会をもつ英国にはEU先進国(EU15)からも移民が流入し(大学生を
、2014 年 10 月から 2015 年 9 月までの 1 年間は過去最高の 36 万人の純流入、内訳は、非
含む)
EUから 19 万人、EU から17 万人(EU15 から 8万、東欧 8から 4万、東欧 2 から5 万)である(10)。
ロンドンには大量の移民が流入しているが、金融エンジニア、技術者、医者のようなハイ
スキルの移民、オフィスの掃除人のようなロースキルの移民の双方を受容している。他方、
ロンドンの北東に広がる東イングランドから東西ミッドランドへと至るイングランド中部地
方全域で離脱投票のシェアが最も高く、北海沿岸地域などで70%を超える。可処分所得水準
は英国平均並み、北部イングランドより高いが、この地方には EU(とくに東欧諸国)からの
移民が急増している。たとえば北海沿岸の小都市ボストンでは10年ほどの間にポーランド人
などEU移民の人口比が2%から10%に増えた。ポーランド人街ができ、英語のわからない小
学校児童が増え、病院など福祉施設で市民は長時間待たされるなど、移民が問題化した地区
がかなりある。東欧諸国には自国移民が英国で「2 級市民」扱いを受け差別されているとの
不満が根強いが、上述した「配属労働者」問題を含めて英国では移民の短期大量流入への反
発、不安が強まった。
Brexit の最大の原因は、リーマン危機後さらに顕著に悪化した所得格差、福祉格差が労働
者層に「現状変更」の強い意識を植えつけた点に求められよう。移民流入はそのトレンドを
強める面があり、イングランドの労働者階級の反発を招いた。またユーロ危機などによって
落ち込んだ EU を見限り、英国の将来を高成長の中国、インド、米国そして高齢者の心のふ
るさとコモンウェルスへと切り替えた離脱派の政治リーダーの世論誘導術は巧みで、多数の
労働者を離脱投票へと誘導することができた。だが、その方策は、実は経済と格差の現実か
ら遊離しており、やがて英国経済に大打撃を与えることになろう(後述)。
4 格差問題の行方
アングロサクソンは時代転換の前衛である。彼らは時代を創り、時代に最も深く没入し、
その限界に最も早く到達する。その時、時代は革命的に拒否されるのである。
EU先進国のなかで格差が最も大きく、また労働者階級へのしわ寄せの最もひどい国が英国
であった。新自由主義を過去40年間信奉してきた保守党の下で社会福祉状況は劣化し、リー
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EU の格差― リーマン危機後のトレンド転換と Brexit
マン危機後の財政緊縮によりさらに悪化した。Brexit をイングランド労働者階級の反乱とみ
るなら、ポスト Brexit 時代は格差修復の時期とならなければならないであろう。
メイ首相は2016年6月の就任演説で「貧困層対策」を強く訴え、10月初めバーミンガムで
開催された保守党大会では、
「資本主義をもっと公平にし、労働者の権利をよりよく守るため
に、政府が介入する」と宣言した。サッチャー以来の英国新自由主義に転換を迫ったこと、
それが初の EU離脱と並ぶ Brexit の歴史的意義であろう。
だが、皮肉なことに、Brexitはメイ政権の政策転換を阻む最大の要因ともなりうる。政権の
移民流入抑制優先の方針は、EU の人の自由移動原則と衝突する。英国が関税同盟と単一市
場、そして共通農業政策に残ることができなければ、40 年以上の EU 加盟により分かちがた
く結ばれた EU と英国の経済は無理矢理に切り離され、双方で血が流れ、英国経済は窮乏化
へと追い込まれかねない(11)。Brexit は多様な断層線を英国に残しており、経済が悪化すれば
政権運営も困難に直面するであろう。
EUは単一市場・単一通貨という連邦型の経済関係を統合によって創り出したが、福祉レベ
ルの連邦型統合(ユーロ圏の財政統合、政治統合)を行なわなかった。単一通貨に新興国を組
み入れれば、格差と危機に対応する財政・政治統合は必須である。だがドイツはユーロ危
機・ギリシャ危機の後も、ユーロ圏での財政移転制度を「移転同盟(Transfer Union)」と名付
け、拒否している。
ナチス政権が追い求めた「生存圏」をEU統合によって東欧に確保し、
「独り勝ち」の利益
を得ながら、その一部の還元すら行なわない。新興国の経済危機をそれらの国の失敗のせい
だと決めつけ、財政緊縮をEU法令に具体化して、EU(欧州委員会)にドイツの意図を代行さ
せる。北部欧州諸国はそれに追随する。連帯意識は失われ、EU・ユーロ批判が広がるのは理
の当然である。長引く低成長と加盟国間格差などにより、フランス、イタリア、オランダ、
オーストリアなどで右翼・ポピュリスト政党が伸びている。
Brexit が EU に与えたショックは大きかった。EU 官僚は反省を強め、たとえば、フランス
政権の強力な抗議を受けて欧州委員会は上述した「配属労働者指令」
(注 3 参照)の修正に乗
り出した。難民問題に対応するためにシェンゲン協定 26 ヵ国(EU22 ヵ国とスイス、ノルウェ
ーなど)は1500人規模の国境警備隊を10月早々にスタートさせた。ギリシャ、イタリア等難
民に対応しきれない最前線の国に支援に赴く。ユーロ圏による失業手当支給の議論も出始め
ている。ただし、2017年春にフランス大統領選挙、秋にドイツ総選挙が控えており、構想や
政策が動くとしても 2018 年からであろう。
英国はユーロ非加盟だったからBrexitを選択できたが、ユーロ加盟国の離脱は無理だろう。
EU諸国ではBrexit決定後の英国の迷走をみて世論調査のEU支持率が盛り返した(イタリアを
。英国に続いてEU離脱国が出るとも思えないが、格差緩和の政策がEUとユーロ圏双方
除く)
において避けられない。
20 世紀型統合を支えた「衡平と連帯」を念頭に、EU 統合を根本から考え直す時期が訪れ
ているのである。
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EU の格差― リーマン危機後のトレンド転換と Brexit
( 1 ) シュレーダー改革の概要は田中ほか(2014)第10章を参照。なお2006年以降のドイツ経済好調の
功績をシュレーダー改革に帰着させる論調がドイツなどで強い。しかし、ユーロ相場の下落、中国
などBRICs諸国への輸出急増にも支えられていた。
( 2 ) 米国では就業率低下(就業をあきらめて求職を停止)による失業率低下があり、英国には「ゼロ
時間雇用」
(雇用主の指示がないと1週間ゼロ労働でも失業者にカウントされない)や失業手当並み
の「職業訓練給付」など、失業率の数字引き下げを狙った制度もある。
( 3 )「配属労働者指令」には「域内越境派遣労働者指令」という意訳もある。この問題については、
Eurofound, Posted workers in the European Union, 2010および ETUC(欧州労働組合連合)の資料を参
照。なおキャメロン前英首相も EU 首脳会議常任議長宛の書簡(2015 年 11 月)で ECJ 判決を批判し
た。
( 4 ) ユーロ危機とギリシャ反乱の詳細は、田中(2016)を参照していただきたい。
( 5 )「統合の3角形」は、1987年、ドロール欧州委員会委員長(フランス社会党政権の蔵相から委員長
へ)に提出された「パドア・スキオッパ報告」に詳しい。ドロールは地域政策改革など、この 3 角
形に沿った統合の進展を図った。
( 6 ) ミラノヴィッチ(2012)
、161ページ。
( 7 ) Daniel Gros, The Stabilisation Properties of a European Unemployment Benefits Scheme, in CEPS Commentary
Series, 14 September 2016.
( 8 ) 英国保守党政権の財政緊縮政策が中下層に及ぼした影響については、ブレイディみかこ(2016)
の現地レポートが衝撃的である。
( 9 ) EU 統計局の NUTS2 地方から選出。NUTS2 は EU 地域政策の実施単位で、英国では 43 地方。2014
年の地方可処分所得データは ONS, Regional gross disposable household income(GDHI)
: 1997 to 2014,
May 2016 による。
(10) 移民についてはONS, Migration Statistics Quarterly Report: February 2016、Home Office(英国内務省)
,
Social and public service impacts of international migration at the local level, Home Office Research Report 72, July
2013などを参照。
(11) Brexit に関する筆者の見方は田中(2016 a, b, c)を参照。
■参考文献
トマ・ピケティ(2014)山形浩生・守岡桜・森本正史訳『21世紀の資本』
、みすず書房。
、みす
ブランコ・ミラノヴィッチ(2012)村上彩訳『不平等について―経済学と統計が語る 26 の話』
ず書房。
、岩波
ブレイディみかこ(2016)
『ヨーロッパ・コーリング―地べたからのポリティカル・レポート』
書店。
田中素香(2016)
『ユーロ危機とギリシャ反乱』
、岩波新書。
―(2016a)
「英国のEU離脱決定の行方と経済・企業への影響」
『商工ジャーナル』
、9 月号。
―(2016b)
「EU 統合とユーロの行方―英国の EU 離脱国民投票を踏まえて」日本経済研究センタ
ー、7月 20日(
「読むゼミ」
)
。
―(2016c)
「英国はEUを離脱できるのか」
『ECO-FORUM』
、統計研究会、November.
田中素香、長部重康、久保広正、岩田健治(2014)
『現代ヨーロッパ経済(第 4 版)
』
、有
閣。
たなか・そこう 中央大学経済研究所客員研究員/東北大学名誉教授
http://sokotanaka.com
[email protected]
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