参考資料 村上允英山口大学名誉教授の研究業績について 昭和 20 年9

参考資料
村上允英山口大学名誉教授の研究業績について
昭和 20 年9月
昭和 21 年1月
昭和 23 年4月
昭和 25 年7月
昭和 26 年5月
昭和 30 年4月
昭和 41 年4月
昭和 50 年5月
昭和 53 年4月
昭和 57 年4月
昭和 62 年3月
昭和 62 年5月
平成 6年
平成 6年8月
九州帝国大学理学部地質学科卒業
福岡県立田川中学校教諭
福岡県立田川高等学校教諭
福岡県立福陵高等学校教諭
山口大学文理学部地学教室講師
山口大学文理学部助教授
山口大学教養部教授
山口大学学生部長(∼昭和 52 年4月)
山口大学評議員(∼昭和 57 年3月)
山口大学教養部長(∼昭和 61 年3月)
定年退職
山口大学名誉教授
逝去
勲三等旭日中綬賞 正四位
同人は、フィールド調査を基礎に専門とする地質学及び岩石学の分野において、多くの輝かし
い業績をあげ、百編以上におよぶ論文、著書を発表し、重要な足跡を残した。特にライフワーク
となった「西南日本の後期中生代から古第三紀酸性火成活動の研究」については、日本列島の形
成発達史の中でも特筆すべき重要な事柄の解明に大きく貢献したとして各方面から極めて高く評
価されている。また、この研究と関連して、花崗岩の閃長岩化作用に関する研究を精力的に行っ
たが、その過程で新鉱物の「杉石」と「片山石」を発見し、それにより、昭和 58 年6月8日櫻井
記念会から「櫻井賞」を受賞した。新鉱物の発見は、同人がこの研究を始めて以来、実に 20 年の
歳月を要したことから考えてみてもいかに大変な仕事であるかが想像される。また、長石の生成
条件に関する研究では、自らの研究成果を基に学会誌上で論争を展開し、この方面の問題点を適
格に指摘した。さらに、昭和 44 年には山陰地域に古第三紀の田万川カルデラを発見するとともに、
山口県から島根県にかけていくつかのカルデラの存在を推定したが、この推定は後の研究によっ
て立証され、関係者の高い評価を得るところとなった。同人は、また、日本列島の基盤に関する
研究、西南日本の地下構造の研究なども精力的に推進した。特に、日本、中国及びロシアの国際
協力による「300 万分の1アジア火山構造地質図」の刊行に当たっては、日本代表の主編集者と
して4年の永きにわたって尽力した。
同人は、学会活動にも積極的で、国内外における学会、討論会などに出席して講演、討論を行
い、学会の地質巡検では案内者としての労を執るなどもした。また、日本地質学会西日本支部長、
日本地質学会第 92 年総会・年会実行委員長、日本地質学会副会長等の要職を歴任するなど、学会
の充実・発展に大きく寄与した。
地質学は、自然災害、土木事業、資源探査など社会のつながりの多い学問分野であるが、同人
は、専門家として多くの調査事業に参加した。金属鉱業事業団による調査では、広域調査益田地
域調査班長・精密調査検討員、広域調査錦川地域検討員・精密調査検討員等を務め、動力炉・核
燃料開発事業団によるウラン調査では、動燃西部地域ウラン鉱床検討委員を務めた。また、中国
管内土木地質図作成委員会委員あるいは島根県地質図説明書編集委員として、
「中国地方土木地質
図」及び「20 万分の1島根県地質図」の編集作業に従事し、その他、山口県内の土地分類図、地
質図など各種図面の編集・出版に尽力した。このように学識経験者として地域社会の開発・発展
にも広く寄与し、その功績に対して昭和 62 年 11 月3日に中国新聞社から「中国文化賞」が授与
された。