4年を迎える大胆な金融緩和 の「光」と「影」

特 集
日本経済再興を探る
4年を迎える大胆な金融緩和
の「光」と「影」
~ 是 清を 超 え る 異次元の領域へ~
エコノミック・イ ン テ リ ジ ェ ン ス ・ チ ー ム 長 内 智 / 岡 本 佳 佑
要 約
現 在、 政 府 の 掲 げ る「 デ フ レ 脱 却 」 や 日 本 銀 行 の 2 % の イ ン フ レ 目 標 が
正念場を迎えている。本稿では、
「 大胆な金融緩和」の4年間の特徴を「光」
と「影」の両面から整理しつつ、今後の課題について分析した。
大 胆 な 金 融 緩 和 を 概 観 す る と、 全 て の 始 ま り は 2012 年 11 月 15 日、 自
民党の安倍晋三総裁による金融政策を巡る発言にまでさかのぼることがで
きる。その後、10 年国債利回りがマイナスを記録するなど大きな衝撃波と
なった。
4 年 間 の コ ア C P I の 動 向 を 総 括 す る と、 最 初 の 2 年 間 は イ ン フ レ 目標
の達成に向けて着実に進んでいたが、その後、風向きが急変してインフレ
目標から徐々に後退してしまったと整理できる。
国 債 の 保 有 額 や 購 入 割 合 と い う 観 点 か ら み る と、 日 本 銀 行 に よ る 大 量の
国債購入は、「実質的な直接引受け」のような状態だと言える。しかし、周
知の通り、現在、日本銀行は法律に従って国から国債を直接購入しておら
ず、直接引受けには該当しない。
今 後 の 金 融 政 策 の 優 先 課 題 と し て は、 ① 長 期 戦 に 向 け た 金 融 政 策 の 枠組
みの再構築、②サプライズから対話路線へのシフト、③大胆な金融緩和の
副作用に関する丁寧な説明――の3つが指摘できる。
はじめに
1章 大胆な金融緩和の衝撃波
2章 インフレ目標の成績表
3章 ヘリマネと高橋是清
4章 今後の3つの優先課題
4
大和総研調査季報 2016 年 秋季号 Vol.24
4年を迎える大胆な金融緩和の「光」と「影」
はじめに
現在、政府の掲げる「デフレ脱却」や日本銀
安倍総裁は都内の会合で、デフレ脱却や過度な
円高を是正するために、①インフレ目標、②無制
限の緩和などによる「大胆な金融緩和」の実施を
行の2%のインフレ目標が正念場を迎えている。 主張したのである。金利水準についても、ゼロ、
2016 年に入ってから、消費者物価の基調に弱さ
もしくはマイナスまで下げることに言及した。
が見られ、コアCPI(生鮮食品を除く総合)の
今となっては、これらは決して目新しい内容で
前年比は 2016 年3月から8月まで6カ月連続の
ないが、当時の日本銀行の金融政策運営スタンス
マイナスとなった。
に鑑みると、非現実的かつ革命的な政策方針で
振り返ってみると、現行の「大胆な金融緩和」 あった。そして、同年 12 月の衆議院総選挙で自
は今から約4年前に始まった。前半の2年間は、 民党が勝利し、第2次安倍政権が発足すると状況
デフレ状況から抜け出すなど着実に成果を挙げて
いた。しかし、後半の2年間は逆風が吹き荒れて、
再びデフレの影が忍び寄っている。そこで本稿
は急進展する。
日本銀行は、2013 年1月 22 日にインフレ目
標政策と無制限の資産買い入れ方式の導入を発表
では、
「大胆な金融緩和」の4年間の特徴を「光」 し、金融政策の枠組みを大きく転換させたのであ
と「影」の両面から整理しつつ、今後の課題につ
る。同日、政府と日本銀行は、デフレ脱却と持続
いて分析する。
的な経済成長の実現のために両者が協調して取り
まず、大胆な金融緩和について概観するととも
組むことを示した共同声明を公表した。
に、マイナス金利政策が各経済主体に及ぼした影
2013 年3月 20 日に黒田東彦氏が日本銀行総
響について検証する。また、コアCPIの要因分
裁に就任すると、4月4日には、
「異次元緩和」
解や物価関数の推計を通じて、インフレ目標が実
とも称される非常に大規模な「量的・質的金融緩
現できなかった背景を探る。さらに、最近関心が
和(QQE1)
」の導入が発表されることとなった。
高まっているヘリコプターマネーを巡る議論に
翌 2014 年 10 月 31 日には、
「量的・質的金融緩和」
ついて、
「高橋財政」を振り返りながら整理する。 の拡大(QQE2)を決定し、金融緩和を一段と
最後に、今後の金融政策の課題について論じる。
強化した。
このような積極的な金融緩和政策を背景に、短
1章 大胆な金融緩和の衝撃波
1.全ての始まりは 2012 年 11 月 15 日
期国債利回りは、徐々にマイナス圏まで低下する
ことになった(図表 1-2)
。まさに、
「マイナス金
利時代」の序幕が開かれたのである。
現行の大胆な金融政策は、一般に 2013 年4月
ここで、デフレの歴史を紐解いてみると、昭和
4日に導入された「量的・質的金融緩和」が起点
初期のデフレ不況からの脱却に成功した「高橋財
とされることが少なくない(図表 1-1)
。しかし、 政」は、1931 年 12 月 13 日の高橋是清大蔵大臣
全ての始まりは 2012 年 11 月 15 日、自民党(当
の就任および金輸出の再禁止を起点に始まった。
時は野党)の安倍晋三総裁による金融政策を巡る
大胆な金融緩和を理解する上で、いわゆる安倍発
発言にまでさかのぼることができる。 言が行われた 2012 年 11 月 15 日は、その日に
5
図表 1-1 2012 年末以降の主な金融政策関連の出来事
日付
主な出来事
安倍晋三自民党総裁が、金融政策に関して「大胆な金融緩和」の実施を主
2012 年 11 月 15 日
張(インフレ目標、無制限の緩和)
2012 年 12 月 26 日 第2次安倍晋三政権が発足
日本銀行がインフレ目標政策の導入(「物価安定の目標」を導入)、無期限
2013 年1月 22 日
の資産買い入れ方式の導入を決定
同日
政府と日本銀行が政策連携を強化することを示した共同声明を公表
2013 年3月 20 日 黒田東彦氏が日本銀行総裁に就任
日本銀行の金融政策決定会合で「量的・質的金融緩和」の導入、資産買入
2013 年4月4日
等の基金の廃止を決定
バーナンキFRB議長(当時)が、資産購入ペース縮小の可能性について
2013 年5月 22 日
言及(いわゆる「Tapering 発言」)
イングランド銀行(英国中央銀行)が「フォーワード・ガイダンス」の導
2013 年8月7日
入を公表、決定は8月1日
2013 年 12 月 18 日 Fed(米国連邦準備制度)がQE3(量的緩和第3弾)の縮小を決定
政府の 2013 年 12 月の月例経済報告において「デフレ」の文言がなくなる
2013 年 12 月 24 日
(2009 年 10 月以来、4年2カ月ぶり)
2014 年6月5日 ECB(欧州中央銀行)がマイナス金利政策を導入
2014 年 10 月 29 日 FedがQE3の終了を決定
2014 年 10 月 31 日 日本銀行が「量的・質的金融緩和」の拡大を決定
2014 年 12 月 18 日 スイス国立銀行(中央銀行)がマイナス金利政策の導入を決定
ECBが国債購入型の量的金融緩和の導入を決定、対象はユーロ圏諸国の
2015 年1月 22 日
国債と欧州連合関連機関のユーロ建て債
2015 年2月 12 日 スウェーデン国立銀行(中央銀行)がマイナス金利の導入を決定
2015 年 12 月 16 日 Fedが利上げを決定
2015 年 12 月 18 日 日本銀行が「量的・質的金融緩和」を補完するための諸措置の導入を決定
2016 年1月 29 日 日本銀行が「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」の導入を決定
日本の 10 年国債利回りが史上初めてマイナスを記録、長期金利がマイナス
2016 年2月9日
を記録したのはスイスに次ぐ2カ国目
日本銀行がETFの買い入れ額の増額、企業・金融機関の外貨資金調達環
2016 年7月 29 日
境の支援措置を決定
日本銀行が金融政策の「総括的な検証」を実施・公表、
「長短金利操作付き
2016 年9月 21 日
量的・質的金融緩和」の導入
(出所)日本銀行、内閣府、Fed、ECB、イングランド銀行、スイス国立銀行、スウェーデン国立銀行、
各種報道から大和総研作成
相当するものと位置付けることができるだろう。
2.長期金利が初めてマイナスを記録
日本銀行は、2016 年に入って消費者物価に弱
さが見られる中で、1月 29 日に「マイナス金利
付き量的・質的金融緩和」の導入を発表した。
黒田総裁は、マイナス金利政策の導入が決定さ
6
大和総研調査季報 2016 年 秋季号 Vol.24
れる1週間ほど前の参院決算委員会で、明確にマ
イナス金利政策の導入を否定していた。そのため、
1月の金融政策決定会合でマイナス金利政策が導
入されると予想する市場参加者は非常に少なく、
大きなサプライズとして受け止められた。
国債市場では、マイナス金利政策の導入で長期
金利が大きく押し下げられ、2月9日に 10 年国
4年を迎える大胆な金融緩和の「光」と「影」
図表1-2 金融政策と国債利回り
(%)
3.0
QQE1
物価安定の目途
2.5
QQE2の
補完措置
QQE2
バーナンキFRB議長(当時)
のTapering発言
物価安定の目標
金融緩和
の強化
マイナス金利
付きQQE
2.0
1.5
1.0
0.5
0.0
-0.5
12/1
12/7
13/1
2年
13/7
5年
14/1
10年
14/7
20年
15/1
30年
15/7
16/1
40年
16/7
(年/月)
(出所)Bloombergから大和総研作成
債利回りが史上初めてマイナスを記録した。その
後も、マイナス圏での推移が続き、日本はしばら
くマイナス金利時代が継続したのである。
す影響を検討する(図表 1-3)
。
第一に、マイナスの影響が大きい経済主体は、
銀行であり、直接的な効果(①)で企業収益が
大規模な金融緩和が始まる以前は、長期金利が
656 億円程度押し下げられる。加えて、企業向け
マイナス圏にまで沈み、それが数カ月以上も継続
貸出金利や個人向け住宅ローン金利が下がること
すると考える人は、ほとんどいなかったであろう。 (③、④)もマイナス要因となる。銀行にとって
マイナス金利政策は、その固定観念を根底から覆
の調達コストに相当する預金金利の低下(②)は
すほどの衝撃波となったのである。
プラスに作用するものの、貸出金利の低下による
世界を見渡せば、マイナス金利政策を導入した
のは日本銀行が初めてのことではない。世界的な
マイナス効果に比べると、その規模はかなり小さ
い。
金融危機や欧州債務危機を経て、デンマーク、ユー
なお、銀行は、マイナス金利政策によって価格
ロ圏、スウェーデン、スイスの中央銀行が既にマ
が上昇した国債を売却することで利益を上げるこ
イナス金利政策を導入しており、それらの国に日
とができる(⑥)
。国債の売却額を増やせば、マ
本が仲間入りを果たした格好である。
イナスの影響を相殺することも可能である。ただ
3.マイナス金利政策の経済主体別影響
し、国債売却による収益押し上げ効果は一度限り
のものであり、さらに担保目的のために国債を一
それでは、マイナス金利政策は、経済主体に対
定程度保有する必要があることを考慮すると、国
してどのような影響を及ぼすのだろうか。ここで
債売却益は持続的な収益源とならない点に留意し
は、日本銀行のマイナス金利政策が、6つの経路
たい。
を通じて、
「銀行」
「企業」
「家計」
「政府」に及ぼ
第二に、企業と家計は全体としてみるとプラス
7
図表1-3 マイナス金利政策が主な経済主体に与える影響
(億円)
30,000
25,408
20,000
10,000
3,513
7,659
7,063
0
▲1,480
-10,000
-20,000
▲13,847
▲25,408
-30,000
銀行
企業
家計
日本銀行
①政策金利残高に対するマイナス金利付利の影響
③貸出金利低下の影響
⑤国債利回り低下の国債利子収入への影響
影響額(ネット)
政府
銀行
日本銀行
②預金金利低下の影響
④住宅ローン金利低下の影響
⑥銀行が日本銀行に国債を売却する場合の影響
(注1)当初一年間の影響についての試算値。なお、試算結果については相当の幅を持ってみる必要がある
(注2)②∼④は、2016年3月末時点の残高に対し、1月28日∼8月15日の各金利変化幅を掛けて算出。
・預金金利(うち企業向け…▲0.03%、うち家計向け…▲0.02%)、貸出金利
▲0.15%
住宅ローン金利:うち変動金利…▲0.79%、うち変動・固定ミックス…▲0.34%
(注3)⑤は、2016年3月末時点の各経済主体の国債保有残高に対し、1月28日∼8月15日の10年国債利回りの変化幅(▲0.33%)と、
国債実効利回りの10年国債利回りに対する弾性値を掛けて算出。図表中以外の経済主体が影響するため、合計してもゼロとならない
(注4)⑥は、マイナス金利政策が導入されなかったと仮定した場合と8月15日時点の価格変化および国債売却額の仮定(80兆円)を用いて算出
(出所)日本銀行統計等から大和総研作成
の恩恵を受ける。企業は、金融機関からの借入金
になり得ない。マイナス金利の短期的なプラス効
利が下がり、それによって支払利息が減少するこ
果に目がくらみ、財政再建に向けた取り組みが後
と(③)が増益要因となる。家計は、変動金利を
退するようなことはあってはならない。
中心に住宅ローン金利が低下すること(④)がプ
最後に、マイナス金利政策には、企業や家計に
ラスに作用する。こうした金利低下に伴う企業と 「ベネフィット(便益)
」が生じる一方で、銀行が
家計のプラス効果を、設備投資や消費の増加に結
ダメージを受けるという「コスト(費用)
」が発
びつけることが今後の重要課題だと言える。
生することも見逃してはならない。日本銀行には、
第三に、国債利回りが低下することで、政府の
利払い費が大幅に減少し、その分だけ政府債務の
その両面を十分に評価した上で、政策手段を適宜
調整することが求められる。
増加を抑制することができる。政府は経済再生の
ために、利払い費の圧縮分を補正予算の財源とし
て活用する方針を示している。
このように短期的に見ると、マイナス金利政策
2章 インフレ目標の成績表
1.デフレを抜けた後に風向きが急変
は日本の財政にとってプラスの効果があるように
日本銀行が 2013 年1月に導入した2%のイン
映る。しかし、長期的には、日本経済が回復軌道
フレ目標の到達度を、消費者物価の基調を示すコ
に戻る中で、いずれはマイナス金利政策も解除さ
アCPI(生鮮食品を除く総合)の要因分解など
れるため、利払い費の圧縮分は恒久的な安定財源
によって評価することにしよう。なお、現在のイ
8
大和総研調査季報 2016 年 秋季号 Vol.24
4年を迎える大胆な金融緩和の「光」と「影」
ンフレ目標は、生鮮食品を含むCPI(総合)で
目の比率と下落品目の比率の差を示すDIが上昇
設定されている。しかし、データの振れが大きく
傾向となり、品目別に見ても物価上昇の動きに広
なることから、一般には、コアCPIで基調を判
がりが出てきたことが確認できる。
こうした中、政府は、2013 年 12 月の「月例
断する。
あらかじめ4年間のコアCPIの動向を総括す
経済報告」において、消費者物価の基調判断から
ると、最初の2年間はインフレ目標の達成に向け 「デフレ」の文言を削除した。デフレの文言がな
て着実に進んでいたが、その後、風向きが急変し
くなったのは、2009 年 10 月以来、4年2カ月
てインフレ目標から徐々に後退してしまったと整
ぶりのことである。これによって、政府は、日本
理できる。
が持続的な物価下落という意味での「デフレ状態」
コアCPIの前年比は、2013 年春に下げ止ま
り、その後は緩やかな上昇に転じた(図表 2-1)
。
から抜け出したことを宣言したことになる。
実際のデータを見る限り、消費者物価が下落基
この主因は、円安の進行を背景に、エネルギー価
調でないことは明らかであり、この政府の判断は
格のプラス寄与が拡大し、耐久財のマイナス寄与
妥当であったと考える。
が縮小したことである。年後半には、サービス価
2014 年に入ってからも、食料品のプラス寄与
格のプラス寄与が拡大する中で、コアCPIの前
が拡大したことや耐久消費財の価格上昇もあっ
年比は1%を超える推移となった。
て、コアCPIの前年比は1%を超える推移が続
年末にかけては、現在日本銀行が参考にしてい
いた。しかし、夏頃から円安による物価の押し上
る生鮮食品とエネルギーを除く総合の前年比がプ
げ効果が縮小し始め、その上昇テンポは徐々に鈍
ラスに転じた(図表 2-2)
。さらに、物価上昇品
化した。
図表2-1 コアCPI(前年比)の主な内訳
図表2-2
(前年比、%、%pt)
(前年比、%)
2.0
1.5
インフレ
目標
QQE2
QQE1
3.0
マイナス金利
付きQQE
2.5
他のコア指標
(%pt)
インフレ
目標
QQE1
QQE2
2.0
1.0
60
マイナス金利
付きQQE
50
40
1.5
30
0.5
1.0
20
0.0
0.5
10
0.0
0
-0.5
-10
-1.0
-20
-0.5
-1.0
-1.5
12
13
14
サービス
食料品(除く生鮮)
15
その他財
耐久消費財
16 (年)
エネルギー
コアCPI
-1.5
12
13
14
15
-30
16 (年)
日銀参考指標(生鮮食品とエネルギーを除く総合):左軸
コアCPIのDI(上昇品目比率―下落品目比率):右軸
(注1)コアCPIは生鮮食品を除く総合
(注1)2015年以前は2010年基準、2016年以降は2015年基準
(注2)2015年以前は2010年基準、2016年以降は2015年基準
(注2)2014年4月の消費税率引き上げによる影響は日本銀行による調整値
(注3)消費税の影響は大和総研の試算値
(出所)日本銀行から大和総研作成
(出所)総務省から大和総研作成
9
さらに、原油価格が同年7月から下落基調に転
じると、エネルギー価格のプラス寄与の縮小が加
2.物価関数によるコアCPIの構造分析
速し、秋以降、コアCPIの伸びは急速に低下し
ここでは、コアCPIの変動要因を物価関数に
た。また、4月の消費税増税後に日本経済が大幅
よって推計し、2014 年後半以降、消費者物価が
なマイナス成長に転じ、マクロの需給バランスが
2%インフレ目標から徐々に後退した背景を分析
悪化したこともコアCPIの押し下げ要因になっ
する。具体的には、コアCPIの前年比を、①G
たと考えられる。
DPギャップ、②期待インフレ(家計)
、③企業
消費者物価の基調が大きく変わる中、日本銀行
物価・国内需要財価格、④定期給与――の4つの
は、2014 年 10 月 31 日に「量的・質的金融緩和」 説明変数で推計する。
の拡大を決定した。コアCPIの前年比に関して
まず、消費者物価の基調が大きく変わり始めた
は、原油価格が年末にかけて一段と下落したため、 2014 年半ば以降の動向を見ると、所得環境の改
日本銀行の追加緩和のかいもなくゼロ近傍まで低
善を背景に定期給与要因が押し上げに作用した一
下した。
方、原油価格の下落などで企業物価・国内需要財
他方、追加緩和後に円安が加速したことなどを
要因がマイナス寄与に転じたほか、消費税増税後
背景に、2015 年に食料品や日用品の値上げが広
の反動減でGDPギャップ要因のマイナス寄与が
がったため、生鮮食品とエネルギーを除く総合や
拡大し、これらがコアCPIを下押しした(図表
DIは再びプラス幅を拡大させることになった。 2-3)
。
エネルギー価格という外生的な要因を除くと、日
企業物価・国内需要財要因の内訳を確認してお
本銀行の追加緩和の効果は着実に出ていたと評価
くと、円安が一服したことで輸入品(為替変動)
できる。
要因のプラス寄与が縮小したほか、原油安を受け
2015 年末以降の円高や原油価格の下落によっ
て輸入品(現地価格)要因、さらには国内品要因
て、物価下押し圧力が高まる中、日本銀行は、 までもがマイナス寄与に転換して、全体を大きく
2016 年1月 29 日に「マイナス金利付き量的・
押し下げたことが分かる(図表 2-4)
。
質的金融緩和」の導入を決定する。しかし、その
次 に、 コ ア C P I が マ イ ナ ス 基 調 に 転 じ た
政策効果は明確に観測することはできず、コアC
2016 年以降について整理しよう。この局面では、
PIの前年比はマイナス圏へと転じ、生鮮食品と
円高や原油安などを背景に、企業物価・国内需要
エネルギーを除く総合やDIも低下傾向が続いて
財要因と期待インフレ要因が押し下げに作用し
いる。
た。企業物価・国内需要財要因の内訳を見ると、
2016 年以降の消費者物価の基調は明らかに弱
2014 年末以降の円高を受けて、輸入品(為替変
く、
政府の掲げる「デフレ脱却」や日本銀行の2%
動)要因がマイナス寄与に転じたことが注目され
のインフレ目標は、まさに正念場を迎えたと言え
る。また、期待インフレ要因の動向からは、再び
る。
家計にデフレマインドの影が忍び寄ってきた可能
性が示唆される。
最後に、これまでの結果から得られるインプリ
10
大和総研調査季報 2016 年 秋季号 Vol.24
4年を迎える大胆な金融緩和の「光」と「影」
図表2-3
コアCPI関数
図表2-4
(前年比、%、%pt)
企業物価・国内需要財要因の内訳
(%pt)
2.5
2.0
1.5
1.0
0.5
0.0
-0.5
-1.0
-1.5
-2.0
-2.5
-3.0
1.5
1.0
0.5
0.0
-0.5
-1.0
00
02
04
06
定期給与要因
期待インフレ要因
コアCPI
08
10
12
14
16 (年)
企業物価・国内需要財要因
GDPギャップ要因
推計値
-1.5
-2.0
00
(注1)コアCPIの前年比の推計式は、以下の通り。
コアCPIの前年比(t)=α×GDPギャップ(t-2)+β×期待インフレ率(t-1)
+γ×企業物価・国内需要財(t)+δ×定期給与のトレンド(t)
いずれも1%有意。検定はNewey-West HAC標準誤差を利用
(注2)コアCPIは生鮮食品を除く総合、定期給与のトレンドはHPフィルター
により算出
(注3)2014年4月の消費税率引き上げの影響は調整済み
(出所)総務省、内閣府、日本銀行から大和総研作成
02
04
06
08
10
12
14
16(年)
輸入品(為替変動)要因
輸入品(現地価格)要因
国内品要因
企業物価・国内需要財要因
(注)計算上の誤差により内訳の合計は企業物価・国内需要財要因と
必ずしも一致しない
(出所)日本銀行から大和総研作成
ケーションとして、以下の3点が指摘できる。第
きる。他国の動向を見ると、達成時期を示す国も
一に、外生的な要因である原油価格の急落は、追
一部に存在するが、多くの国は「中長期的」のよ
加緩和によって対処することは困難であり、必要
うに、達成時期に柔軟性を確保した目標となって
に応じてエネルギー価格を除く指標などで消費者
いる。
物価の基調を判断する必要があると考える。
第二に、為替レートの影響は大きく、2016 年
2013 年4月に日本銀行が
「量的・質的金融緩和」
を導入した際には、家計や企業に定着していたデ
に入ってから消費者物価が弱含んだ際の主因は円
フレマインドを抜本的に転換させるため、
「2年」
高であった。このため、為替レートがファンダメ
で達成するという強いメッセージを示すことに一
ンタルズ(基礎的条件)から乖離して変動する場
定の妥当性があったと考えられる。
合には、為替安定化策などが重要な政策課題とな
る。
しかし、結果として、
「2年」という達成時期
は5回も後ずれしている(図表 2-5)
。これによ
第三に、原油安と円高によって、家計の期待イ
りインフレ目標に対する信認が低下すれば、期待
ンフレが低下し、再びデフレマインドが定着して
を通じた金融政策の波及効果に悪影響を及ぼしか
しまうリスクについて、引き続き注視する必要が
ねない。
ある。
3.
「2年」から「中長期的」への転換
また、主要先進国・地域の消費者物価の前年比
を見ると、2014 年半ば以降の原油安などを背景
に、2%を超える国はない(図表 2-6)
。こうし
日本銀行のインフレ目標の特徴として、
「2年」 た中、
「2年」に強くこだわる必然性は小さいと
という具体的な達成時期を明示したことが指摘で
みられる。
11
図表 2-5 インフレ目標の達成時期の変遷
日付
2013 年4月 26 日
2013 年7月 11 日
2013 年 10 月 31 日
2014 年1月 22 日
2014 年4月 30 日
2014 年7月 15 日
2014 年 10 月 31 日
2015 年1月 21 日
2015 年4月 30 日
2015 年7月 15 日
2015 年 10 月 30 日
2016 年1月 29 日
2016 年4月 28 日
2016 年7月 29 日
達成時期
2014 年度~ 2015 年度
2015 年度を中心とする期間
2016 年度前半頃
2016 年度後半頃
2017 年度前半頃
2017 年度中
-
時期変更
実質後ずれ
後ずれ
後ずれ
後ずれ
実質後ずれ
-
金融政策
追加緩和
追加緩和
追加緩和
(注 1)2014 年7月以前の時期は、日本銀行資料から大和総研が判断
(注 2)2015 年以前は、「経済・物価情勢の展望」の中間評価を含む
(出所)日本銀行から大和総研作成
図表2-6 主要先進国・地域のCPI(前年比)
(%)
日本
英国
6
5
米国
ユーロ圏
3章 ヘリマネと高橋是清
1.ヘリコプターマネーの可能性
近年、中央銀行の金融政策を巡って「ヘリコプ
4
ターマネー」の議論が活発化している。ヘリコプ
3
ターマネーとは、政府と中央銀行が一体となって、
2
1
大量の貨幣をヘリコプターからばらまくように、
0
人々に資金を供給する政策のことである。米国の
-1
11
12
13
14
15
16 (年)
(注1)日本はコアCPI、その他は総合
(注2)日本の2014年4月の消費税率引き上げによる影響は日本銀行
による調整値
(出所)総務省、日本銀行、Haver Analyticsから大和総研作成
経済学者ミルトン・フリードマンが提唱したもの
で、その後、バーナンキ前FRB議長などが有効
性を主張したことで、注目されるようになった。
また、リーマン・ショック以降、各国の中央銀
行が資産購入など大規模で非伝統的な金融政策を
将来的には、市場との適切なコミュニケーショ
導入したものの、経済の回復ペースや物価上昇率
ンを通じ、インフレ目標の達成時期を「中長期的」 が思ったほど高まってこないとの焦りから、ヘリ
へと転換していくことが重要な課題だと考える。
コプターマネーが「切り札」として浮上した面も
ある。
ヘリコプターマネーは、財政規律の崩壊、中央
12
大和総研調査季報 2016 年 秋季号 Vol.24
4年を迎える大胆な金融緩和の「光」と「影」
銀行の独立性の喪失、ハイパーインフレーション
日本では、戦後のハイパーインフレーションを
の発生など、非常に危険なリスクを伴う政策であ
教訓に、財政法第5条で「すべて、公債の発行に
る。そのため、実際には、純粋な意味でのヘリコ
ついては、日本銀行にこれを引き受けさせ、又、
プターマネーが実施されることはないだろう。
借入金の借入については、日本銀行からこれを借
それにもかかわらず、この議論が繰り返し浮上
り入れてはならない」と記されているように、直
するのは、ヘリコプターマネーが様々な類型とし
接引受けが禁止されている。現行法で禁じられて
て定義され、通常のポリシーミックスですら、そ
いることから、法律が改正されない限り、日本銀
の一形態として位置付けられるためだと考える。 行の直接引受けは行われないということが当然の
実際、現行の大胆な金融緩和と政府の財政政策
も、ヘリコプターマネーの一種と捉えることがで
きる。
帰結である。
他方、財政法第5条のただし書きでは、
「特別
の事由がある場合において、国会の議決を経た金
ヘリコプターマネーの分類方法は様々に存在す
額の範囲内では、この限りでない」とあり、実際、
るが、ここでは資金調達手段別に分類することに
日本銀行が保有する国債のうち償還期限が到来し
しよう(図表 3-1)
。現在、日本に関しては、図
た分の乗り換えは、このただし書きを根拠に、国
表の一番上の段の「日銀直接引受けの有無」が議
会の議決を経て直接引き受けている。さらに、日
論の焦点になっている。日本銀行による国債の直
本銀行法第 34 条では、政府短期証券に財政法第
接引受けがないという意味で、現行の大規模な金
5条は適用されず、直接引き受けることができる
融・財政政策はここに該当する。そして、もし日
とされている。
本銀行が直接引受けを行うのであれば、昭和初期
の「高橋財政」が当てはまる。
このような例外規定の存在をもって、日本銀行
が直接引受けを行っても問題はないという意見も
図表 3-1 資金調達手段別のヘリコプターマネーの分類
国債
発行
利子
有
有
無
資金調達手段
期限付き国債発行
永久債発行
期限付き国債発行
無
増加
永久債発行
有 / 無 既発債と永久債の交換
無
政府
日銀直接
債務残高 引受け
政府紙幣の発行
有 / 無 中銀による貸付
不変
増加
特徴
通常の国債発行による資金調達
【日銀引受け有りケース:高橋財政】
返済期限がない国債であり、償還時の増税
の心配がない
有/無
償還時に借換えすれば、無利子永久債と実
質的に同じ
利払いも返済期限もない国債であり、償還
時の増税の心配がない
返済期限がない国債に切り替わるため、償
還時の増税の心配がなくなる
無利子で返済期限がない。日銀を唯一の発
-
券銀行とする日銀法に反する
資産の裏付けのない貨幣供給 (出所)各種資料から大和総研作成
13
あり得る。しかし、日本銀行の国債乗換えは流通
度の国債等(=国庫短期証券+国債・財投債)の
の円滑化が目的であって、マネーを増やすことも
増加額が、26.1 兆円、42.4 兆円、37.0 兆円であ
ない。政府短期証券の引受けについても、あくま
るのに対し、日本銀行が保有する国債等の増加額
で臨時的な措置が必要な場合に限られ、短期間で
は、73.2 兆円、73.5 兆円、89.8 兆円であった。
償還を行うなどの明確な「歯止め」が設けられて
つまり、日本銀行は、ネット国債発行額(または
いる。
国債残高増加額)を大きく上回るペースで国債等
以上のことから、日本銀行の直接引受けは、政
を購入していたことになる。
治家が財政法を改正しない限り、実施されないと
次に、
「高橋財政」
(1931 ~ 36 年)の局面と
いう結論になる。さらに、ひとたび法律を改正し
現行の大胆な金融緩和の局面において、日本銀行
てしまうと、結果として政府による財政の膨張が
の国債等の保有比率を比較しよう
(図表 3-2)
。
「高
進み、ハイパーインフレーションを引き起こすリ
橋財政」の局面は、日本銀行の直接引受けなどに
スクがあることを決して忘れてはならないだろう。 よって、日本銀行の保有比率が 1932 年(8.6%)
と 1933 年(8.8%)に上昇したものの、10%を
2.実質的な国債引受けか?
超えることはなかった。他方、2016 年 1 ~ 3 月
現在、日本銀行が大量の国債を購入しているこ
期の日本銀行の国債等保有比率は 33.9%と、
「高
とをもって、
「実質的な国債の直接引受け」が行
橋財政」の局面の3倍以上の水準である。日本銀
われているという意見もある。そこで、この論点
行の直接引受けが行われていた「高橋財政」の局
について、具体的なデータに基づいて検討しよう。 面より国債等の保有比率が上昇している点には留
まず、資金循環統計によると、2013 ~ 15 年
図表3-2
意が必要だろう。
国債等の保有比率
【1925∼1940年】
(%)
100
(%)
100
90
90
80
80
70
70
60
60
50
50
40
40
30
30
20
20
10
10
0
25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40
(年)
日本銀行
市中金融
財投
民間
海外
0
10
【2010∼2016年1∼3月期】
11
日本銀行
民間非金融
12
13
金融機関(除く日本銀行)
海外
(注)国債等=内国債+外国債
(注)国債等=国庫短期証券+国債・財投債
(出所)藤野、寺西(2000)から大和総研作成
(出所)日本銀行から大和総研作成
14
大和総研調査季報 2016 年 秋季号 Vol.24
14
15
16
(年)
一般政府
4年を迎える大胆な金融緩和の「光」と「影」
最後に、フローの動向についても確認しよう。 橋財政」の経験が指摘できる。
日本銀行は、2016 年中のグロスベースでの国債
1929 年以降、デフレ不況に苦しんでいた日本
買い入れ額を約 120 兆円と見込んでいる。これ
経済は、1931 年 12 月 13 日に就任した高橋是
に対し、政府の見通しによると、2016 年度の国
清大蔵大臣の下で、デフレ脱却を実現した(図表
債発行額は 162 兆円(借換債が 109 兆円、それ
3-3)
。
「高橋財政」の象徴的な政策として、1932
以外が 53 兆円)である。その結果、日本銀行の
年 11 月に始まった日本銀行の直接引受けが挙げ
フローでの購入割合は 74%程度に達すると見込
られる。
この国債引受けは、戦後のハイパーインフレー
まれる。
以上のような国債の保有額や購入割合という観
ションの原因になるわけだが、直ちにインフレが
点からみると、現在の日本銀行による大量の国債
昂進することがなかったのも史実である。その結
購入は、
「実質的な直接引受け」のような状態だ
果、デフレから脱却するためには、臨時の政策手
と言える。しかし、周知の通り、現在、日本銀行
段として、国債引受けのような過激な金融緩和が
は法律に従って国から国債を直接購入しておら
効果的という考えが生まれた可能性がある。
ただし、過去を振り返ると、昭和のデフレ不況
ず、直接引受けには該当しない。
3.高橋財政とデフレ不況脱却の経験
から脱却した主因は、1931 年 12 月 13 日の金
輸出の再禁止であったと考える。これにより、為
日本銀行の直接引受けは法律で禁止され、その
替市場で円安が急速に進み、輸入物価や卸売物価
実施には多大なリスクが潜んでいるにもかかわら
の上昇などを通じて、東京小売物価の前年比もプ
ず、金融緩和を巡る議論で繰り返し取り上げられ
ラス圏に転じたのである。現行の大胆な金融緩和
るのはなぜだろうか。考え得る一つの背景として
に置き換えれば、2012 年 11 月 15 日、自民党
は、昭和初期のデフレからの脱却に成功した「高
の安倍晋三総裁による「大胆な金融緩和」の発言
図表3-3
為替と東京小売物価(1926∼1936年)
(100円当たりのドル)
(前年比、%)
10
60
↑
高橋是清氏が大蔵大臣に就任
円安
15
50
金輸出を再禁止(1931年12月)
20
40
図表3-4
(円/ドル)
150
120
30
20
110
35
10
100
40
0
90
45
-10
80
-20
70
-30
60
55
↓
26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36
為替レート(逆目盛):左軸
東京小売物価(うち燃料燈火):右軸
東京小売物価:右軸
(出所)日本銀行から大和総研作成
(年)
円安
130
30
円高
(前年比、%)
↑
140
25
50
為替と消費者物価(2009年∼)
安倍自民党総裁が
「大胆な金融政策」の
実施を主張(2012年11月)
円高
09
↓
10
11
12
13
14
15
16
8
7
6
5
4
3
2
1
0
-1
-2
-3
-4
(年)
為替レート:左軸
消費者物価(うちエネルギー):右軸
消費者物価(除く生鮮食品):右軸
(出所)日本銀行から大和総研作成
15
を起点として、デフレ状況から抜け出したことに
第一に、
「高橋財政」は、
「国債の直接引受け=
放漫財政」という構図で捉えられがちである。し
近いと考える(図表 3-4)
。
現在、2%インフレ目標から後退している背景
かし、高橋是清自身は直接引受けを「一時の便法」
を「高橋財政」の局面との比較を通じて検討する
と考えており、デフレ不況から脱した後は財政健
と、①エネルギー価格の下落、②円高基調の継続
全化を重視した。しかし、二・二六事件で暗殺さ
――という2点が重要である。
れた後、戦時資金の捻出に直接引受けが都合よく
原油安を背景に、2015 年以降、消費者物価の
エネルギー価格がマイナス圏で推移しており、こ
れが消費者物価の下押し圧力となっている。他方、
利用され、ハイパーインフレーションに突入した
のである。
第二に、当時の直接引受けは、今日議論される
「高橋財政」の局面を見ると、東京小売物価の燃
マネーの拡大という目的と同時に、日本銀行を介
料燈火価格は振れを伴いつつも、マイナス基調に
して国債を円滑に流通させるという役割が相対的
大きく落ち込むことはなかった。また、1933 年
に強かった。確かに、1932 年 11 月に直接引受
に入ってから円高が進行したものの、燃料燈火価
けが始まってから、日本銀行の直接引受け額が大
格の上昇が物価を下支えしたほか、1934 年以降、 幅に増加しており、長期国債の発行額の大部分
為替レートは横ばい圏で安定的に推移したことが
を占めている(図表 3-5)
。しかし、日本銀行は、
確認できる。
直接引受けを実施すると同時に、買い入れた国債
4.是清の国債引受けに対する誤解
ここでは、
「高橋財政」における国債の直接引
受けに対する誤解を取り上げることにしたい。
図表3-5
(%)
3,500
91.8
3,000
76.5
2,500
71.7
2,000
51.7
1,500
1,000
500
0
28.5
0.0
0.0
100
90
80
70
60
50
40
30
20
10
0
1930 1931 1932 1933 1934 1935 1936
(年)
長期国債発行額(除く日銀引受け、a):左軸
うち日銀の引受け額(b):左軸
b/(a+b) :右軸
(出所)日本銀行から大和総研作成
16
大和総研調査季報 2016 年 秋季号 Vol.24
の拡大のみを最優先させるのならば、それを縮小
させる大規模な市中売却が行われることはなかっ
たはずである。
図表3-6
長期国債発行額と日銀の国債引受け
(百万円)
の多くを市中に売却していた(図表 3-6)
。マネー
日銀の国債引受けと日銀の市中売却額
(百万円)
(%)
1,400
300
239.7
1,200
1,000
0
150
89.7
400
200
200
154.3
800
600
250
8.2
54.4
66.2
43.9
58.0
100
42.0
50
0
11∼ 上期 下期 上期 下期 上期 下期 上期 下期
12月
1932 1933年
年
1934年
日銀の引受け額(a):左軸
b/a:右軸
(出所)日本銀行から大和総研作成
1935年
1936年
対市中売却額(b):左軸
4年を迎える大胆な金融緩和の「光」と「影」
とである。具体的には、資産購入額の柔軟化など
4章 今後の3つの優先課題
が必要になると考える。
1.正念場を迎えた金融政策
「量」の緩和では、日本銀行は長期国債を大量
現行の大胆な金融緩和は、デフレ状況から抜け
に購入している。しかし、金融資産の購入には、
出すことに成功したという点で高く評価できる。 おのずと限界がくる。資金循環統計により経済主
しかし、その後2%のインフレ目標から徐々に後
体別の国債等保有額の推移を見ると、日本銀行は
退するなど、今まさに正念場を迎えている。
今の2倍以上の国債を購入することが可能である
。
こうした状況の下、日本銀行は 2016 年9月 (図表 4-1)
21 日に「総括的な検証」を発表した。そこでは、
しかし、これまでの経済主体別の動向を見ると、
2%のインフレ目標が実現できていない背景や、 日本銀行は国債の大部分を預金取扱機関から購入
マイナス金利政策の効果などが検証され、今後の
していることが分かる。このため預金取扱機関以
金融政策運営における課題も示された。
外が売却主体に転じない限り、早ければ 2017 年
そこで本稿の最後では、今後の日本銀行の金融
中にも国債購入に支障が出始めるだろう。
政策運営における3つの優先課題について検討し
政府が財政出動を通じて国債を大量に発行すれ
たい。なお、マイナス金利の深掘りなど具体的な
ば日本銀行の購入余地は拡大するが、厳しい財政
政策手法論については議論の対象外とした。
状況を考えると現実的ではない。また、地方債や
2.資産購入の限界を見据えた長期戦へ
第一の課題は、将来的な資産購入の限界を見据
えた上で、長期戦に向けた枠組みを再構築するこ
図表4-1
経済主体別の国債等保有額
(保有額、兆円)
(%)
政府関係機関債へと購入範囲を広げたとしても、
それらは国債に比べて市場規模が非常に小さく、
1年程度の延命措置にとどまるとみられる(図表
4-2)
。
図表4-2
1,400
60
1,200
1,200
50
1,000
40
800
30
600
20
400
1,000
800
600
400
10
200
0
10
11
12
13
14
日本銀行:左軸
保険・年金基金:左軸
海外:左軸
合計:左軸
15
16
17
18
19
0
主要金融資産と日本銀行の保有額
(兆円)
200
0
(%)
1,075
517
76 78
11
72
168
30 11 26 20
100
90
80
70
60
50
40
30
20
10
0
20
(年)
預金取扱機関:左軸
その他金融機関:左軸
その他:左軸
日銀の保有比率:右軸
(注1)国債等は、国庫短期証券+国債・財投債
(注2)先行きは、日本銀行の国債等保有額が年間80兆円、国債合計が
年間8兆円弱(直近5年の平均)で増加すると仮定
(出所)日本銀行から大和総研作成
日本銀行以外の保有額:左軸
日本銀行の保有比率:右軸
日本銀行の保有額:左軸
(注1)2016年3月末時点。図表中の数字は、資産総額
(注2)国債等=国庫短期証券+国債・財投債
(出所)日本銀行から大和総研作成
17
こうした中、日本銀行が 2016 年9月 21 日に
を考えると、恒久的な購入を行うことに対しては
導入した「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」 慎重であるべきだと考える。
において、金融政策の軸足を「量」から「金利」
最後に、資産購入の限界論だけに注目するので
へと移した点が注目される。この新たな枠組みの
はなく、現行の大胆な金融緩和が、国際的・歴史
下では、日本銀行が好ましいと考える長短金利の
的に見て非常に強力なものであることを確認して
水準が維持できてさえいれば、長期国債の購入額
おきたい。日本銀行のバランスシート(総資産)
を現在より減少させること(= Tapering)も許
対GDP比は、大規模な資産購入により、ECB
容されるのである。その場合には、結果的に「量」 とFedと比べて圧倒的に高い水準にある(図表
の政策の持続性が高まることになる。
4-3)
。さらに、日本の超長期のデータを見ても、
「質」の緩和についてはどうだろうか。国債よ
現在の日本銀行のバランスシートが「高橋財政」
り信用リスクの高い事業債やCP(コマーシャル・
や戦後のハイパーインフレーション時よりも膨ら
ペーパー)の購入が考えられる。ただし、後者は、 んでいることが分かる(図表 4-4)
。
市場規模が小さい点がボトルネックとなろう。こ
れらの資産購入は、信用不安などで金利が上昇し
ている場合には、
「信用緩和」という効果を期待
3.サプライズから対話路線へシフト
第二の課題は、市場とのコミュニケーションを
できる。しかし、信用不安がほとんど見られず、 重視する対話路線へとシフトすることである。
社債金利が歴史的な低水準にある中で、急いで切
るべき「緩和カード」だとは考えにくい。
まず、黒田総裁下での金融政策運営の大きな特
徴として、
「市場のサプライズ」を重視する手法
限界までの距離が長いのは、相対的にリスクの
であることが指摘できる。大胆な金融緩和が始ま
高い上場株式や投資信託受益証券の購入である。 る前の日本は、家計と企業にデフレマインドが定
しかし、市場機能を歪めるリスクが存在すること
図表4-3
図表4-4
中央銀行の総資産対名目GDP比率
70
100
QQE1
90
60
QQE2
50
80
40
70
30
60
20
50
10
40
0
30
-10
20
-20
10
1890 1900 1910 1920 1930 1940 1950 1960 1970 1980 1990 2000 2010
(年/年度)
07
08
09
10
ECB
11
12
Fed
13
14
15
16
(年)
日本銀行
(出所)ECB、Eurostat、FRB、日本銀行、米商務省、内閣府
から大和総研作成
18
デフレーターと日本銀行総資産の対GNP比率
(%)
(%)
0
着しており、
いわゆる「デフレ均衡」に陥っていた。
大和総研調査季報 2016 年 秋季号 Vol.24
デフレーター(前年比)
日本銀行総資産/GNP
(注)戦前(1887∼1944年)は暦年、戦後(1947年∼)は年度。
1979年度まではGNP、1980年度以降はGNI
(出所)内閣府、日本銀行、大川ほか(1974)『長期経済統計1国民所得』
(東洋経済新報社)、日本統計協会統計から大和総研作成
4年を迎える大胆な金融緩和の「光」と「影」
こうした家計と企業のマインドセットを抜本的に
ている。
転換させ、デフレ均衡から抜け出すために、市場
また、前述したように、将来的には、市場との
のサプライズを利用する戦術が奏功した面もある
適切なコミュニケーションを通じ、インフレ目標
だろう。
の達成時期を「中長期的」へと転換していくこと
しかし、結果論になるが、2013 年末にデフレ
状況から抜け出すことに成功した後は、サプライ
ズから徐々に対話路線へとシフトしてもよかった
と考える。サプライズが繰り返されると、その効
果は次第に小さくなるほか、経済主体の安定的な
期待形成にも影響を及ぼすことになるためであ
が重要な課題だと考える。
4.副作用に対する丁寧な説明
第三の課題は、大胆な金融緩和の副作用につい
て、丁寧な説明を行うことである。
金融緩和政策が強力かつ長期間にわたって実施
されるほど、その副作用も大きくなる。そのため、
る。
最近、黒田総裁は、2%のインフレ目標を実現
するためには、予想物価上昇率をアンカー(安定
化)させることが課題であると指摘している。こ
日本銀行には、政策の効果だけでなく、その副作
用についても十分な説明が求められる。
例えば、マイナス金利政策の導入を決定した後、
のためにも、日本銀行には、2%のインフレ目標
各種金利が低下するなど政策の効果が明確に観察
から徐々に後退する中で経済主体と辛抱強く対話
される(図表 4-5)
。しかし、歴史的な低金利を
を行い、安定的な期待形成を促すことが求められ
追い風に、不動産業向けの貸出が加速し、マンショ
図表4-5
各種金利
図表4-6
(%)
10
マイナス金利
付きQQE
3.5
6
2.5
4
2.0
2
1.5
0
1.0
-2
0.5
-4
0.0
-6
-0.5
12
13
14
15
16
-8
(年)
10年国債利回り
住宅ローン金利(住宅金融支援機構)
新規貸出約定平均金利
マイナス金利
付きQQE
8
3.0
11
図表4-7
住宅市場の動向
(%)
(%)
4.0
11
貸出残高の伸び
12
13
14
15
製造業
非製造業(除く不動産業)
うち不動産業
(2010年=100)
50
140
マイナス金利
付きQQE
45
130
40
120
35
110
30
100
25
90
20
16
11
(年)
80
12
13
14
15
16
(年)
住宅着工戸数(貸家):左軸
不動産価格指数(マンション):右軸
(出所)国土交通省、独立行政法人住宅金融支援機構、日本銀行、日本相互証券株式会社から大和総研作成
19
ン価格の上昇が続くなど、住宅・不動産市場に過
熱感(=副作用)が出始めている可能性を指摘で
きる(図表 4-6、図表 4-7)
。
さらに、マイナス金利政策が、金融機関の収益
の悪化を通じて金融システムに及ぼす影響や、企
業の退職給付債務の拡大という負の側面がある点
についても、一層丁寧な説明が必要だと考える。
20
大和総研調査季報 2016 年 秋季号 Vol.24
4年を迎える大胆な金融緩和の「光」と「影」
【参考文献】
・井手英策(2001)
「新規国債の日本銀行引受発行制度
をめぐる日本銀行・大蔵省の政策思想~管理通貨制度
への移行期における新たな政策体系~」
『金融研究』
、
第 20 巻第3号、pp.171-202、日本銀行金融研究所
・伊藤正直(2012)
「戦後ハイパー・インフレと中央銀行」
『金融研究』
、第 31 巻第1号、pp.181-226、日本銀行金
融研究所
・大川一司、高橋信清、山本有造(1974)
『長期経済統
計1 国民所得』東洋経済新報社
・長内智(2015)
「足踏みする消費者物価と追加緩和の
意味~市場の反応からは『為替レート』を通じた経路が
重要」経済分析レポート、大和総研
・鎮目雅人 (2001)「財政規律と中央銀行のバランスシー
ト―金本位制~国債の日本銀行引受実施へ・中央銀行
の対政府信用に関する歴史的考察―」
『金融研究』
、第
20 巻第3号、pp.213-257、日本銀行金融研究所
・内閣府(2013)
「平成 25 年度 年次経済財政報告」
・日本銀行(1983)
『日本銀行百年史 第3巻』
・日本銀行(1984)
『日本銀行百年史 第4巻』
・日本銀行(2015)
「2016 年1月以降の長期国債買入れ
の運営について」2015 年 12 月18 日
・藤野正三郎、寺西重郎(2000)
『日本金融の数量分析』
東洋経済新報社
・松元崇(2009)
『大恐慌を駆け抜けた男 高橋是清』
中央公論新社
・H am mon d , G . ( 2012) , “ S t a t e o f t h e art o f
inflat ion target ing - 2012”, CCBS Handbook,
H an d b ook N o 29.
[著者]
長内 智(おさない さとし)
エコノミック・インテリジェンス・チーム
シニアエコノミスト
担当は、日本経済
岡本 佳佑(おかもと けいすけ)
エコノミック・インテリジェンス・チーム
エコノミスト
担当は、日本経済
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