エバラ時報 No.252 p.1 公共投資ジャーナル社 論説主幹 首都大学東京

〔巻頭言〕
人と技のオーケストレーション −随 想−
吉 葉 正 行
公 共 投 資 ジ ャ ー ナ ル 社 論 説 主 幹
首都大学東京大学院 理工学研究科 客員教授
歴史と格調の高さを誇るエバラ時報が 1952 年の創刊か
ず楽譜の音符を視認(センシングとプロセシング)する
ら今年で通算 250 号の節目を迎えた。その記念特集号の
のに 0.1 s 程度遅れ,さらに的確な運指(アクチュエー
巻頭言では,前田東一代表執行役社長が情報発信媒体と
ティング)までに 0.1 s の合計 0.2 s 近く遅れるため,八分
しての機能刷新を唱えられ,次いで 251 号では檜山浩國
音符などが並ぶアップテンポの曲には全くついていけ
技術・研究開発統括部長が率先して,ステークホルダー
ず,妙齢の女性講師によるレッスンの都度,
「年は取りた
に向け的確でフレンドリーな企業情報発信の具現化をリ
くない」と嘆く日々が続いている。音楽は,習熟過程に
ニューアル版として披露されている。エバラ時報は,学
より「音が苦」
,
「音学」
,
「音楽」
,そして「音嶽」の段
術論文にも匹敵する相当高レベルの技術情報が掲載され
階を踏むというのが持論であるが,現在ようやく「音学」
た企業誌として定評があり,筆者も折に触れて参照させ
にたどり着いたものの,
「音楽」のレベルには程遠く,ボ
ていただいてきたが,リニューアル後の巻頭言のトップ
ランティア演奏行の時機など,既に完全に逸してしまっ
バッターを今般仰せつかり,大変名誉に感ずると同時に,
ている。
このような記念すべき号において筆者に何が語れるの
さて,音楽の創造は主に二通りのアプローチから構成
か,
「役者不足」との思いしきりである。しかし,あま
される。一つは,曲想をイメージして楽譜に落とし込ん
り意気込んで専門性にこだわり「タコツボを掘る」こと
でいく「作曲」であり,もう一つは,その楽譜を読み込ん
だけは避けたいと思うので,筆者が最近情熱を傾けてい
で楽曲を奏でる「演奏」あるいは「歌唱」である。前者は,
る音楽との関係性において企業のガバナンスを中心とす
アナログ的な曲想を離散型の音符の有機的組織化により
る組織論について感ずるままを述べてみたい。
譜面上にデジタル処理していくのに対し,後者は個々の
東日本大震災発生の 2011 年の夏,還暦を迎えたのを機
音符(デジタル信号)をアナログ変換して連続体の楽曲
に,道楽の復活とボケ対策,さらにできれば被災地への
に紡いでいくプロセス処理といえる。このような特質は,
ボランティア演奏を目論んで,フルートを習い始めた。
「ものづくり」技術分野とも共通性が高く,
「作曲」を「設
筆者はこれまで,中学~大学まで吹奏楽と管弦楽の「部
計」
(概念設計と詳細設計から成る)
,
「演奏」や「歌唱」
活」に明け暮れ,常に学業との間で葛藤しながらも右脳
を「製造」と読み替えることができよう。すなわち,演
の活性化により感性を磨きながら左脳とのバランスを
奏家が作曲家と価値観や感性を共有化あるいは十分理解
保ってきた。楽器のキャリアも数種類の金管楽器とティ
して最高のパフォーマンスに仕上げられなければ,音楽
ムパニを中心とする打楽器,そして学生指揮者まで「下
愛好家たる耳の肥えた聴衆(顧客)を満足させることは
手の横好き」のレベルながら各レパートリーを経験して
できない。とくに大編成のオーケストラにおいては,作
きた。その結果,現在たどり着いた最大の難敵楽器がフ
曲者と演奏者との間に立ってインターフェース機能を果
ルートである。ところが,若き学生時代とは違って,先
たす「指揮者」が必要であり,ここでは単なるメッセン
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人と技のオーケストレーション −随 想−
ジャーの役割を越えて,カリスマ性に富んだ強いガバ
組織構築能力ならびにガバナンス力がともに重要であ
ナンス力が要求される。
る。これらが実践できて初めて,
絶妙なハーモニーをもっ
個々の演奏者に求められる能力は当然,楽器を自由自
たサウンド(作品)の提供が可能となる。
在に操って楽曲を柔軟に表現できる演奏スキルと磨かれ
ところが,筆者が現在深く関わっている廃棄物・バイ
た感性である。この個人技に優れていなければ,いかに
オマス処理におけるエネルギー回収技術分野では,確立
優れた指揮者がタクトを振ったとしても作品のレベルに
された設計手法が未だ存在せず,楽譜に頼ることのでき
は限界がある。一方,
例えばウィーン・フィル
(ハーモニー
ない Jazz のような世界が残っている。とりわけ,腐食や
管弦楽団)のように個人技において超一流の楽員で編成
磨耗などのように時間依存性が強く,ボディーブローの
されたオーケストラでは,新参者の指揮者では軽くあし
ように次第に効いてくる部材損傷問題の深淵性は,
「泥
らわれて,楽団とのバトルで全く歯が立たないそうであ
沼」を越えて「底無し沼」に近い様相を呈し,
メンテナン
り,結局のところ両者のバランスが取れた協調と競争が
ス部隊を中心とする現場技術者は常に「長期間にわたる
重要ということになる。
緊張」を強いられることになる。その状況と心情はまる
現代日本の製造業をはじめとする産業界は押し並べ
で,ピアニシモによるロングトーン演奏のようであり,
て,著名なメガカンパニーといえども技術や経営陣に欠
ここでは演奏者同士が絶えず他者の音に耳を傾け,相互
陥や油断があると直ちに信用やブランドの失墜に陥り,
に意識・補完し合いながら「阿吽の呼吸」により楽曲を
果ては企業買収や統廃合といった弱肉強食の時代を迎え
つくり上げていく,
「楽譜」に頼らずに「共鳴」する音
ている。このような危機的状況を乗り越えて,さらなる
楽の世界が存在する。果たして,このような状況下にお
発展を遂げるためには,個々の技術者のプロ意識の涵
いて「指揮者」はどのような役割を果たせばよいのであ
(かん)養に基づくスキルの磨き上げと,彼らの楽器を
ろうか?
自由奔放に奏でさせることのできる指揮者(経営陣)の
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