第 4 講 茶芸の中の水の選択とその相性 姚国坤 (中国国際茶文化研究会 教授) 中国の茶人たちは、おいしい茶を入れるには、茶、水、火、器の融合“四合 其美”を追求しなければならない、と考えている。茶を入れる技術があるだけ では足らない。おいしい水、いい茶器、沸騰水のちょうど良い加減、いずれも 欠けてはならない。明代、許次紓が『茶疏』につぎのように記述した。 「茶滋于水、水借乎器、湯成于水、四者相須、缺一則廢」 「(茶葉は水より出て、水は器に借り、湯は火から成し、4つは互いに必要で、 1 つが欠ければ、意味がない)」 まさに彼が言っているとおりである。特に水と茶器の選択を重視しなければ ならない。茶人たちの間には、「水は茶の父」「茶器は茶の母」という言い方さ えある。 一、 水への造詣とその選択 飲茶の習慣が、庶民の生活に入りこんでから、人々は水の選択に関して、さ らに深い知識と、高い要求を持つようになった。明代、許次紓は『茶疏』で、 「精茗蘊香、借水而発、無水不可論茶也」 (「良い茶は香りを含み、水を借りてこれを発する。水がないと茶を論じる ことができない」) と、述べている。 清代の張大復は『梅花草堂筆談』で、 「茶性必発于水、八分之茶、遇十分之水、茶亦十分矣。八分之水、試十分 之茶、茶只八分耳」 「(茶の性質は必ず水より生まれ、八分の茶が十分の茶に遇えば、茶は十分 で、八分の水が、十分の茶を試しても、茶は八分に過ぎない」 と述べている。 明らかに、茶と水の関係は非常に深い。昔から人々は、茶を論議する場合、 水について話すことを忘れなかった。 1、水を鑑定 飲茶史上、唐以前、江南地域だけでも、飲茶はすでに普遍的なものになって いた。しかしその時の飲茶は、かなり荒っぽく、水にまでは茶人の関心も向い ていなかった。唐代になって、飲茶は隆盛になり、非常に流行した。特に唐代 の陸羽の茶に関する卓越した貢献及び巧みな茶芸、芸達者な愛飲家たちが、飲 茶文化を灼熱にまで燃え上がらせた。「比屋皆飲」(「誰もが飲む」)飲茶黄金時 代が始まった。飲みつつ楽しむ飲茶文化の始まりとともに、茶を飲み、のどの 乾きを潤すことがある種の芸術になった。そうして、人々は、水を汲んで、茶 を煮て味わう過程で、水に対し特別に注文をつけるようになった。最も早く水 を鑑定して茶を試したのは、唐代の劉伯芻である。彼は「親挹而比之」(「自ら 味見して水を比較する)」ことで、水を7つの等級に分けた。それは以下の通り。 第一 第二 第三 第四 第五 第六 第七 揚子江南零水 無錫恵山寺石水 蘇州虎丘寺石水 丹陽県観音寺水 揚州大明寺水 呉淞江水 淮水 また劉伯芻と同時代の陸羽は、実践に基づき、 「楚水第一、晋水最下。並把天下宜茶水品,評点爲二十等」 (「楚の水が第一、晋の水が最下である。かつ天下で茶に適した水は、20 の位に 評価できる」) として、 「廬山康王谷水、第一」 と断定した。 清の乾隆帝は、一生をかけて至る所を回った。杭州では、龍井茶を味わい、 蒙山(四川省)に登ったときには、蒙頂茶を味わった。福建に赴いたときには、 鉄観音を必ず飲んだ。茶に通じた専門家である彼は、茶にふさわしい水にも造 詣があった。記述によれば、乾隆帝は巡業に出る度に、銀の秤を持参し、各地 の泉水を鑑定して、真剣に重さを量り、比重の軽いものを良いと考え、水の比 重ごとに優劣をつけた。 2.古人の水に対する認識 古代の茶人は、良い茶をいれる水にたいする記述が多く、その説明はほとん ど異なるが、以下のような論点にまとめられる。 (1)「源」 まず先に「水源」から選ぶことを強調 例えば、唐代、陸羽は『茶経』の中で、 「其水、用山水上、江水中、井水下」 (「その水、山水が上、川の水が中、井の水が下」) と述べており、明代の陳眉公は、『試茶』の詩の中で、 「泉従石出情更洌,茶自峰生味更圓」 (「泉は、石から出るのが、濁りがない、茶は嶺の頂上のものがよい」) 両者共に、茶をいれるには、水源の水が最高だと認識していた。 (2)「活」 活水であることを強調 ・北宋の蘇東坡『汲江水煎茶』 「活水還須活火烹,自臨釣石汲深情」 (「活水は必ず火にかけなければならず、自ら岩から汲み取ると趣きがあ る」) ・宋代の唐庚『闘茶記』、 「水不問江井,要之貴活」 (「水は、川か井戸かは問わない、これで活水であることを貴ぶ」) ・南宋の胡仔『苕溪漁隱叢話』、 「茶非活水,則不能発其鮮馥」 (「茶で活水でないものは、その香りを発揮できない」) ・明代の顧元慶は、『茶譜』の中で、 「山水乳泉漫流者爲上」 (「山水は泉からゆっくり流れるものを上とする」) 以上のように、全て茶水が「活」であることを尊んでいる。しかし、古人 は「活」水は、「瀑」(瀑布)にはあたらない、つまり流れの涌き立つような勢 いの水は、まろやかさ、芳醇さに欠けており、茶には「適さない」と認識して いた。 (3)「甘」 甘さを強調 宋代、蔡襄は『茶録』の中で、 「水泉不甘、能損茶味」 (「泉の水が甘くなけれ ば、茶の味を損なう」)、明代、田芸蘅は『煮泉小品』の中で、「味美物曰甘泉, 気芬者曰香泉」(「味が良いのは、甘い泉の水で、香りがたつのは香る泉の水」) と述べており、茶にふさわしい水は、甘いもので、それだけが味を出せると説 明している。 (4)「清」 きれいなことを強調 唐代、陸羽は『茶経・四之器』の中で触れられる「漉水囊」は、水こしに使 用されるもので、目的は煎茶の水をきれいにすることにあった。宋代の闘茶の 流行は、白い茶湯を尊ぶことを強調しており、このような水への要求は、更に きれいであることに重視させた。水の選択時、 「山の泉できれいなもの」が重点 となった。 明代、熊明偶は、 「養水須置石子于甕,不惟益水,而白石清泉,会心亦不在遠」 (「水を養うには、必ず、石を水瓶の中に入れる。水に良いだけでなく、白い石 と清い水は、会心も近くなる」) と述べている。これは、茶にふさわしい水は、 「清」であることが望まれること を示している。実際に、これは古代、現代の茶人が茶を入れる際に用いる水に 対する最も基本的な要求でもある。 (5)「軽」 軽いことを強調 清代、乾隆帝は、清の乾隆帝は、一生をかけて至る所を回った。杭州では、 龍井茶を味わい、蒙山(四川省)に登ったときには、蒙頂茶を味わった。福建 に赴いたときには、鉄観音を必ず飲んだ。乾隆帝は、一生茶を愛し、茶の専門 家であった、といえる。茶に相応しい水に対して、彼もかなり研究している。 清代、陸以湉の『冷廬雑識』には、乾隆帝が毎回地方巡りをする度に、よくで きた銀の秤を持参し、各地の泉水を鑑定して、真剣に重さを量り、比重の軽い ものを良いと考え、水の比重ごとに優劣をつけたことが書かれている。かつ、 自ら『御制玉泉山天下第一泉記』を書き、北京の玉泉を、 「天下第一泉」とさだ め、宮廷の「御用水」とした。 以上のように、様々な人間が、茶にふさわしい水にたいして論述しており、 どれも一定の科学的な道理があるといえる。しかし、偏向的なものが多い。比 較的全面的に評論しているのは、宋代、徽宗皇帝(趙佶)と清代の梁章鉅であ る。趙佶は、政治に関しては、愚昧であったが、書画に長け、百芸に通じてお り、評茶や水の鑑定にも精を出していた。このため、彼は自ら『大観茶論』を 書き、中国の歴史上皇帝が本を書く先例となった。書の中で、茶にふさわしい 水は、 「以清軽甘潔為美」 (「清く、軽く、甘く、清潔であるものを良しとする」) と述べており、これは宋代以前の歴代の茶人が水にたいして行った評論と経験 のまとめである。 清代の梁章鉅は、 『帰田鎖記』の中で、良い茶は、必ず良い水質とセットでな ければならない、と明確に述べている。彼は「山中之水,方能悟此消息」(「山 の中の水が、人を茶の品質の良さを感じさせる」)と認識している。このため、 彼は、山の中に身を進めて、甘い泉で茶を入れてのみ、 「香、清、甘、活」の茶 を味わえると認識していた。ゆえに、昔は「良質の茶との名を得るのは難しい、 泉の良いものを捜さなければならない」という言葉もあった。 3、茶を入れる際の水の選択 茶と水の関係は深く、中国の飲茶史で、数多くの文人、学者が、遠路はるば る良い水を求めていたことは言うまでもない。しかし美しい泉の水は、どこで も得られるというわけではない。そこで歴史上、多くの人々が水の加工方法を 生み出した。また水を汲むのは、有名な川や美しい泉である必要はない、と主 張するものもいた。ひいては、水を汲むのはどこでもいい、満足すればそれで いい、と言うものもいた。 (1)井戸水 地下水に属し浮遊物質の含有量がやや低く、透明度が比較的高い。しかしそ の多くが、浅い層の地下水で、とくに都市の井戸水の場合、汚染を受けやすく、 茶を入れると茶の味を損なう。 (2)川、潮水 多くが地下水で、不純物が多めで、かなり混濁している。しかし人家から離 れたところは、汚染物も少なく、川、潮水も茶を入れるのに適しているといえ る。陸羽『茶経・五之意』でも次のように述べられている。 「其江水、取去人遠者」 (「その川の水、人家から遠いところで取ればよい」) (3)雪水 昔の人は“天泉”と呼んだ。茶人はこれを高く評価している。 唐、白居易「融雪煎香茗茶」 (「雪解けて、煎じた茶の香りはすばらしい」)、 宋、辛棄疾「細写茶経煮香雪」(「茶は香雪で煮ると細かく書く」)、 元、謝宗可「夜掃寒英煮緑尘」(「夜、雪をはいで緑茶を煮る」)、 清、曹雪芹「掃将新雪及時烹」(「新雪を払い、すぐに煮る」) どの詩も雪水を称賛している。長い間蓄積された雪水で入れる茶を尊ぶこと は、もっとも趣深いこととして認識されていた。しかし近代は大気汚染の影響 を受けて、一概にそうとは言えなくなっている。 (4)雨水、“天落水”とも呼ぶ 歴代の茶人は経験で、次のように認識していた。 ・秋の雨水は、空が高くさわやかな気候で、空中のほこりも少ない。このた め水の味も清く冷たくて、上等。 ・梅雨時期の雨水は、うっとうしい天気で、長雨が続くため、味はなめらか さに欠け、見劣りがする。 ・夏の雨水は、雷雨が降り注ぎ、砂風で石が転がるほど大風が荒れ狂うので、 水質が良くない、茶の味も転がせてしまう。 現代の茶の科学では、使用する水に、軟水と硬水の 2 種類ある。水1リット ルに含まれるカルシウムとマグネシウムの量が、8gにもならない水を軟水と いい、8g以上のものを硬水という。ここから、自然水では、正常な状況下で、 おおまかに雪水と雨水、人工的に加工された純浄水と蒸留水だけが、軟水とい える。泉水、江水、池水、湖水、井戸水などは、どれも硬水である。軟水でい れた茶は、香高く芳醇で、自然な味である。しかし、一方で、雨水や雪水は、 土についていないけれど、大気汚染の影響を受け、ちりやその他溶解物を含ん でしまい、かえって湖や川の水に及ばないことがある。硬水でいれた茶は、茶 そのものの純粋な色を損なわせることがあるが、硬水の主な成分は、炭酸カル シウム、塩基性炭酸マグネシウムであり、高温で煮沸すると、すぐに分解、沈 殿し、軟水になる。このため軟水と同じように香り高いお茶を入れることがで きる。 国家の飲用水の標準規定硬度は 20 である。しかし鉄分を含む水で茶を入れる ことはできない。実験によると、鉄イオンはたとえ量が少なく、1000 万分の3 の量であっても、茶湯の中の茶ポリフェノールが鉄イオンと結合し、茶湯の色 を濃くしてしまうからだ。1 万分の 5 の時でも、茶湯を褐色に変えてしまう。ゆ えに、水道管の中でかなり長く存在している水は、茶を入れるのに適さない。 また酸性アルカリ度が 7 より大きい、ややアルカリ性、もしくはアルカリ性の 水も茶を入れるのには使えない。これはアルカリ性の水が、茶湯の中の茶黄素 を自動的に酸化させ、茶湯の色を暗くさせてしまうからだ。同時にアルカリ性 の水に含まれる塩素イオンは、茶湯の中の茶ポリフェノールと反応し、茶湯の 表面に、嫌な“金属臭”を発生させる。ゆえに、塩水や沼、沢の水は、言うま でもなく使うべきではない。 現代、人々は茶を入れる水を求めて、各地をまわり、何度も実験を行った。 正常な状況下で、各地の評茶師の科学的検査と感覚器官での審査結果に基づい て以下のようなことがいえる。 泉、清流の水→雪水、雨水、→川、湖畔の水→水→水道水 茶を入れる水は、選ぶ必要があり、もしくは適当な処理をした後に、茶を入 れるのに使用する。 (1)泉水、山水 良いがあまり良くとれない (2)雪水、雨水 量に限りがある (3)川、湖の水 最もよい選択の水源、農村から離れているのが良い (4)水道水 ただし濾過、消毒されているが、塩素を多く含んでいるため、先にかめに保 存し、一昼夜待って塩素を揮発させた後に、沸騰させて使うのがよい。もしく は、そのままでも沸騰時間を適度に延ばし、塩素を散らしてから、使用するの がよい。 (5)純浄水 きれいなので、茶を入れるのにもちろん適当である。しかし栄養分にかける ので、長くこれを飲用することはできない。 (6)沼の水 アルカリ性、鉄分物質を多く含む水なので、茶を入れるには適さない。 二、 茶具の発祥と発展 唐代、及びそれ以前の文献では、茶器と呼ばれている。普通、これは人々が 飲茶をする過程で、使用する各種器具のことを指す。茶具、酒具や食器と同じ ように、ゼロから始まって、共用から専門道具へ、粗末なものから、精緻なも のまで、という発祥と発展の過程をたどってきた。 1、茶器の発祥 茶が飲み物となって以来、飲茶の過程で必要な茶具はいつ使用され始めたの か?この問いは、未だに回答が難しい。 (1)茶具の出現 一般的に、茶具とは茶を煮る(入れる)のに使われる茶具と認識されている。 中国で最も古い飲茶道具は、酒具、食器と共用であった。しかし現存する史料 によると、中国で最も古く飲茶に使用する器に言及したのは前漢(紀元前 206 -8 年)、王褒『僮約』だとされている。その中では、次のように茶器について 触れられている。 「烹荼尽具、已爾蓋藏」 (「荼を煮る道具を洗い、片付ける」) 文中の“荼”が指すのは、 “茶”であり、 “尽”は“浄” (浄化)だと解釈され ている。 『僮約』は、元々契約書であり、文内には、家の妾たちが、茶を煮る前 に、先に器具を洗わなければならないという決まりが書かれている。 近年、浙江省上虞にで、後漢時代(25-220 年)の陶磁器が出土した。中は、 茶碗、茶杯、茶壺、茶盞等の器具があり、考古学者は、これを世界最古の飲茶 用茶具とした。しかし茶器が民間で普遍的に使用され、専用茶具一式ができる のには、ここからまだかなり長い時間を必要とした。 (2)茶具の確立 漢代初期の時点で、茶器の痕跡をたどることができるけれども、専用の茶具 としては、次第に変化していくことで生み出された。この変化と茶の改革、飲 茶週間の発展は密接に関係している。魏晋以降、飲茶器具は、その他の飲用の 器からゆっくりと独立してできた。南朝時、 「盞托」はすでに最も多く使われて いた。唐代、茶具は、「南青北白」(南は青磁、北は白磁)の局面が出現してお り、越窯の青磁茶碗を最も素晴らしいと推奨したのは、茶聖・陸羽である。唐 代、唐代、陸羽は前人が飲茶に使用した各種器具をまとめたあと、 『茶経』の中 で、24(28)種類の茶器(具)の名称を並べ、かつその様式を絵に描き、構造を明 らかにして、用途を指摘した(『茶経・四之器』より)。それらの分類は以下の 通りである。 風炉、灰承、筥、炭檛、火筴、鍑、交床、夾、紙嚢、碾、 拂末、羅合、水方、則、漉水嚢、瓢、竹夾、熟盂、鹺簋掲、 碗、畚、札、滌方、滓方、巾、具列、都藍 三束の鼎、灰うけ、炭取、炭割、耳付きの釜、釜敷、はさみ、紙袋、薬硯、 羽箒、蓋物、水指、茶杓、水こし、柄杓、箸、湯冷まし、竹製塩入れ、 茶碗、碗籠、たわし、建水、茶殻入れ、茶巾、茶棚、竹籠 これは中国茶具発展史で、最も明確で、系統化された茶具の完全な記録であ る。これは、後世の人間に、唐代に中国茶具が完全に揃っていただけでなく、 形もほぼ完璧であったことをはっきりと示している。 陸羽が『茶経』の中で提示したのが、民間の飲茶器具だけだとすれば、陝西 省法門寺の地宮で出土した飲茶器具1セットは、人々に唐代の飲茶器具の物証 を提供した、といえる。 2、茶具の発展 専門の飲茶器具は、唐代に確立されて以後、新たな発展期に突入した。以後、 新茶種の創造と飲茶方法の変化にしたがって、飲茶器具も次第に変化していっ た。 (1)唐代の飲茶器具 飲茶器具: 唐代の人間は、越窯の青磁茶碗を勧めた。それが“氷”、“玉”のようだと考 え、茶を入れるのに相応しいと考えていた。唐代に飲んだのは餅茶で、茶を煮 た後の茶湯の色が「紅白」の間で、政治は茶湯の色を緑にみせたからだ。 唐代の茶具製造の窯: 南方で最も有名なのが、越窯である。窯の住所は、今の寧波慈渓と紹興の上 虞で、主に青磁茶器を生産している。北方で最も有名なのは、邢窯で、窯の所 在地は、今の河北省任丘である。そこで生産された白磁の茶具も大変有名であ る。 (2)宋代の飲茶器具 唐代から宋代にかけて、点茶法が主流となった。唐代と比べて、宋代の飲茶 器具はさらにこだわりがあり、見た目はさらに精巧になっている。 飲茶器具: 宋代は、建州窯の黒(磁)の釉薬が流行した。なぜなら、宋代では白が最高 級の茶湯の色だったからだ。黒磁を用いて、白茶を入れるように、白黒はっき りするのは、茶の優劣を評価する闘茶の条件にかなっていた。 宋代、飲茶の大流行は、陶磁器工業の発展を後押しした。その時代の 5 大有 名窯の都市で、茶具が生産された。それぞれ、浙江省杭州の官窯、浙江省龍 泉の哥窯、河南省臨汝の汝窯、河北省曲陽の定窯、河南省禹県の均窯。 (3)元代の飲茶器具 元代になると、茶の加工から飲茶の方法まで新しい変化が出現した。緊圧茶 が衰退しはじめ、条形散茶(芽茶と葉茶)が勃興し、餅茶を粉末状にして飲む 点茶の方法と茶を煮つめる方法に、直接散茶に沸騰水を注いで飲む方法がとっ てかわった。これに相応し、茶具によっては、使われなくなりものも出てきて、 新茶具が出現し始めた。したがって、飲茶器具の角度から言えば、元代は唐、 宋の後を植えて、明、清へと繋がる過渡期であったといえる。 (4)明代の飲茶器具 明代の茶具の種類については、初めて型が固まった、と言える。この時代の 飲茶器具で最も突出した特徴が、小壺の出現である。茶壺の様式も様々であっ た。茶壺は、注ぎ口の長短によって、長流壺、中流壺、短流壺、無流壺に区別 された。この一時期に、江西省景徳鎮の白磁茶具と青花磁茶具、江蘇省宜興の 紫砂茶具が大いに発展し、色彩と形だけでなく、種類、様式の面でも、至極精 巧な新時代に突入した。 (5)清代の飲茶器具 明末清初、茶の種類には大きな展開があった。緑茶以外に、紅茶、烏龍茶、 白茶、黒茶、黄茶が出現し、六大茶を形成した。しかしこれらの茶はやはり条 形散茶に属しているため、茶の種類にかかわらず、飲用時にはやはり明代の直 接湯を注ぐ方法をそのまま用いていた。したがって、用いる茶具は、どんな種 類や様式にかかわらず、基本的に明代に定められた規範を出ることはなかった。 しかし、明代と比べて、清代の茶具の製造と工芸技術はかえって充分なほど発 展し、清の人間が使用したもっとも基本的な茶具、 「茶盞」は最もすばらしいも のであった。清時代の茶盞、康煕、雍正、乾隆帝時代に好んで用いられた蓋碗 は、最も名声があった。蓋碗はふた、茶碗、取手の 3 部分により構成された。 蓋は皿の形をしており、蓋に高圏足(高台)があり、これが取手になった。茶 碗が大口で底の小さいものは、低圏足(低台)があった。中心がへこんだ浅い 皿は、その下のへこんだ部分がちょうど碗の底と口をつけるような形になって いる。 清代の茶盞、茶壺、は通常、陶器もしくは磁器で制作されており、康煕帝、 乾隆帝の時代に最も繁栄した。かつ「景瓷宜陶」、つまり景徳鎮の磁器、江蘇省 宜興の陶器が際だって優れていた。 このほか、清代から、福州の脱漆茶具、四川省の竹編茶具、海南省の生物(椰 子や貝殻など)茶具も登場しはじめた。他にはないこの独特な風格は、清代の 茶具に異彩を放ち、この時代の茶具の新しい特色を形成した。 (6)現代の茶具 現代の飲茶器具は、種類と、銘柄が多いだけでなく、質と形も多様化し、用 途によって、保存器具、沸騰器具、茶入れ具、補助具等に分けられる。質によ っては金属茶具、陶磁器茶具、紫砂茶器具、陶質茶器具、硝子茶器具、竹木茶 器具、漆器茶器具、紙質茶器具、生物茶器具等に分けられる。茶具の主な茶入 れ道具は、茶碗、壺、蓋碗、杯などに分けられる。使用時は、茶具の配置とセ ットを研究し、芸術的な美しさと実用性をすべて統一することで、最終的にお いしい茶を入れて、茶の愛好家たちをもてなすことができる。 「潮汕工夫茶四宝」の玉書碨、潮汕炉、孟臣罐、若琛瓯こそその一例である。 繊細な白色磁器の杯が「若琛瓯」であり、現在常用されているのが、潮州楓渓 産の薄い白色磁器の小さい杯で、卓球ボールの半分の大きさしかない。また別 に、白玉令という美しい名前を持っている。器は薄く、純白であることが求め られる。 「潮汕炉」は、広東省潮州、汕頭一体で紅泥を用いて作られる小さいか まどである。 この他、飲茶器具の手入れも重要である。ここでは、主に、紫砂壺の手入れ について語る。壺の手入れは、 「養壺」と呼ばれ、その目的は茶壺にさらに良く 香りを引き立たせる、さらに紫砂壺に輝くような光沢、つるつるとした潤いの ある手触りを出すことにある。具体的に言えば、 (A)先に、これがどの茶を入れるのか決める (B)使用前、1 週間ほど茶を入れる。新しい壺の泥っぽいにおいを取り除く (C)毎回茶をいれた後に、先に茶がらを出して、熱水で残り湯を洗い出し、清 潔を保つ (D)茶をいれる過程で、手入れ用の筆で、壺の表面をふきとり、壺本来の輝き を出す (E)表面を洗う時、手で、先に拭き洗いをする。洗った後は、最もきれいな茶 巾でふき、それから、乾燥して、風通しの良い無味無臭の場所に干す。 これを繰り返していけばよい。 3、茶具の選択と配置 茶具の選択と配置は、学問である。その最も基本的なことは、茶具そのもの の機能性と文化性以外に、最大限度茶の品質特徴を発揮させて、茶の物質と精 神、両方の特性を最大限に発揮させなければならないことである。このため、 茶の種類と色、茶具の質と様式、飲茶地域、人間によって、飲茶器具への要求 はそれぞれ違う。 (1)茶 “名優緑茶”はガラス杯を使っていれると、茶葉の形と色を良く観察できる。 したがって、西湖龍井茶は、普通透明なガラス杯を使っていれる。普通の緑茶 は、蓋つきの緑茶で入れる。 紅茶の場合、白磁の杯を使っていれると、茶湯の色をさらに鮮やかな赤にさ せることができる。工夫紅茶は双杯法(壺と杯)を組み合わせて入れるのがも っと良い。 花茶は、蓋碗、蓋つきの陶磁器の杯で入れることができる。北方地区は、 「双 杯法」(壺と杯)で入れる習慣がある。 烏龍茶、普洱茶を入れるのは、水温が高くなければならない。通常は、紫砂 壺を選んでいれる(潮汕地区は、蓋碗)。「壺泡法」(※瓶の中に茶葉を入れる) で烏龍茶、普洱茶を入れる場合、壺の大きさは、杯の量と、多少結びついてい なければならない。 (2)器具 ガラス製茶具の生産材料は、色つき半透明の鉱物で、一般的には純炭酸ソー ダと石英砂である。製造後に透明感があり、新しいきめ細かい茶葉をいれるの に最もよい。このガラス製茶具は 20 世紀になってから、広く用いられるように なったものである。 普通、緑茶を入れる場合、「老茶壺泡、嫩茶杯泡」(「古い茶は壺でいれ、新し い茶は杯に入れる」)という言い方があるが、この茶壺とは陶磁器の茶壺を指す。 紫砂茶具は、鉄分量が比較的高めの陶土を原料として製造されているので、 保温性にすぐれており、原料の比較的粗めな茶葉を入れるのに適している。紫 砂茶具は、茶を入れても味を散らすこともなく、腐らせにくいという特徴があ る。 蓋碗で花茶を入れるのは、香りを保つのに優れており、茶を開かせるのに適 しているからである。紅碎茶は、茶こしのついた茶具で入れるのがよい。 白磁茶具は「白如玉、明如鏡、薄如紙、声如馨」(「白色は玉の如く、明るさは 鏡の如く、薄さは紙の如く、音は馨子の如く」)と称えられており、特に紅茶を 入れるのにふさわしい。 漆器でできた茶具は、天然の漆の樹液を使っており、色を滲ませた後、さら に加工して作られている。酸、アルカリの耐性、温度、水への耐性に優れ、鑑 賞用としての価値もあれば、茶を入れるのにも使える。 台湾では、烏龍茶を入れるのは公道杯を用いる。目的は茶湯をむらなくさせ ることである。潮汕地区では烏龍茶を小茶壺で点茶する。その時は、上等な茶 杯を使うべきである。 (3)場所 烏龍茶と同じく、潮汕工夫茶は、白磁の蓋碗(深い茶碗)でいれる。その茶 碗はほとんどが玉白色なので、「白如玉、薄如紙」(「白さは玉の如く、薄さは紙 の如く」)という言い方がある。 閩南烏龍茶は、紫砂小茶壺で入れる。茶碗も紫砂の小杯であり、大きさは、 卓球球の半分しかない。 紅茶を入れるのと同じように、南方の人は白磁杯を好んで使用する。北方人 は、白磁の茶壺を好んで使用し、そこから白磁の小さい湯飲みに分けてつぎ、 一壺の茶を共に楽しむ。そうすることで、うち解けたことを表現する。 少数民族地区については、茶器具はさらに多種多様である。 (4)人間 例えば肉体労働者が茶を飲むのは、のどの渇きを潤すためで、杯は大きい方 がよい。それ以外の労働者は、精神面と物質面の双方で喜びを享受することに 重きをおくため、杯の品質と様式を研究している。男性と女性を比べれば、前 者は、茶具の趣を、後者はその美しさを重視する。 辺境民族の飲茶、茶具の様式はさらに特徴的で、見る物聞く物すべてを新鮮 な気持ちにさせる。
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