京浜急行電鉄株式会社 横 須 賀 市 2016年11月7日 5月 17 日(土)開催 よこすか京急沿線ウォーク2014(第1回) 京浜急行電鉄株式会社(本社:東京都港区,社長:原田 一之, 以下 京急電鉄)と横須賀市 (市長:吉田 雄人)は,横須賀・三浦半島の魅力を発信し,集客・旅客誘致を促進するため, 「よこすか京急沿線ウォーク 2016」を開催しています。 このウォークは,駅をスタートし,三浦半島の見どころを巡りながらゴールまでのコースを楽 しむイベントであり,2016 年度も年間5回の開催を予定しています。 第3回目は,11 月 20 日(日)に『防衛大学校開校記念祭』記念ウォークと題して開催。京急 大津駅前の大津おりょうさん公園をスタートし,大津古墳群,矢ノ津坂,鴨居八幡神社,会津 藩士墓地を経由して,ゴール地点の馬堀小学校まで約 10 キロを歩きます。 また,ウォーク当日は,1年に1度の防衛大学校開校記念祭が開催されています。ゴール地点 からすぐの場所に学校がございます。見学が可能となっておりますので,こちらもお楽しみく ださい。 ゴールされた方には,参加記念品(ウォーク特製オリジナル缶バッチ)をプレゼント。 詳細は,別紙をご覧ください。 防衛大学校開校記念祭の様子 前回開催のウォークの様子 別 紙 ◇◇◇『防衛大学校開校記念祭』記念ウォーク開催について◇◇◇ 1.期 日 2016 年 11 月 20 日(日)※荒天中止 2.受付時間 9:00~11:00 3.集合場所 大津おりょうさん公園 ※京急線 京急大津駅下車徒歩1分 4.コ ー ス <全コース約 10 ㎞,所要時間約3時間半> 大津おりょうさん公園 (京急大津駅徒歩1分)⇒ 大津古墳群 ⇒ 矢ノ津坂 ⇒ 鴨居八幡神社 ⇒ 会津藩士墓地 ⇒ 馬堀小学校(ゴール受付)⇒ 徒歩で「防衛大学校開校記念祭」会場または,馬堀海岸駅へ ※今回は,ガイド付きコースもございます。(受付時間 9:00~10:00) 5.参加要綱 ・現地集合,参加無料(事前申込は不要です。受付後に各自で随時出発します) ・ゴール受付は 15:00 まで ・ゴールされた方に参加記念品(特製オリジナル缶バッチ)をプレゼントします。 ・ヒール,ベビーカーでのご参加はご遠慮ください。 ・携帯電話等を操作しながらの歩行は,大変危険ですので,ご遠慮ください。 ※ウォーク中の事故・負傷等については責任を負いかねますので,ご了承ください。 6.お客さまのお問い合わせ先 横須賀集客促進実行委員会(横須賀市観光企画課) TEL.046-822-8124(平日9:00~17:00) 7.当日の開催についてのお問い合わせ先 横須賀市コールセンター TEL.046-822-2500(当日7:00~) 8.2016 年度の予定 よこすか京急沿線ウォークは,2016 年度も年間5回の開催を予定しております。 日時 第4回 第5回 2017 年1月 21 日(土) ・スタート受付9:00~11:00 2017 年3月 25 日(土) ・スタート受付9:00~11:00 コースエリア 浦賀・久里浜エリア 大津・汐入エリア ※道路事情等により,急遽,コースエリアを変更する場合がございます。 また,タイトル,コース等の詳細につきましては,ニュースリリースまたは, 京急電鉄公式サイト「KEIKYU WEB」でお知らせいたします。 <参 考> 1.大津古墳群について 大津古墳群は,東京湾側に突出した屋根上に連なる3基 で構成された古墳群である。調査の結果,1号墳が 前方後円墳で6世紀後葉頃,3号墳が円墳で 6世紀後葉~末葉,最も新しい2号墳は 円墳で6世紀末葉~7世紀初頭頃の築造と判明しました。 こちらの古墳は,市内に現存する数少ない古墳である だけではなく,三浦半島の東京湾西岸で 確認された唯一の古墳です。 2.矢ノ津坂について 元々は、大変な急坂で雨が降ると膝まで埋まる悪路で 「馬子泣かせの道」といわれています。広重が描いた 「浦賀近辺山中の月」は矢の津坂の中腹で あろうといわれています。坂は明治から大正にかけて 地元有志が発起人になって改修工事を行い, 昭和 18 年頃には陸軍の要請で拡幅されて 現在のような状態になりました。 3.鴨居八幡神社について 治承4年源頼朝公鎌倉入りし,幕府の礎石を築くに当たり, 三浦義澄、義盛は軍功あって後に荒次郎義澄三浦介となり 当郡を領し義盛は侍所別当となり,三浦党の一族門葉最も 栄えた時です。その頃多々良四郎義春は当郷鴨居の領主 として武名も高く三浦家の柱石をなしていました。 当社は義春 が源家の命を受けて,養和元年(1181 年) 鎌倉鶴岡八幡宮を 勧請したと伝えられています。 新編相模風土記には「八幡社村の 鎮守なり祭礼8月 15 日 縁起に養和元年6月頼朝卿当縣 遊覧の折勧請ありし由記せり」とあります。 4.会津藩士墓地について 腰越墓地には会津藩士及び家族の墓 23 基が存在します。 会津藩士墓の歴史は文化7年(1810 年) 藩主松平容衆が幕府の命令を受けて,三浦半島の 海岸警備並びに台場構築の任務に当たったことにはじまります。 これは当時,漂流民の引渡と通商を求めて日本沿岸に 出没する外国船に対して,鎖国をしていた徳川幕府が 外敵からの江戸城を防衛するためでした。 この会津藩士墓地は開国という大きな歴史の流れの中で, 江戸湾及び三浦半島を守るために活躍した藩士と幕末の 横須賀を知る上で貴重な史跡です。
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