§Ⅰ 1925 ― 学 1930 ― プロローグ 年代記(CHRONICLE) 1925年3月12日誕生 大阪府河内郡高井田村(現大阪市)に在住 1929年8月 4歳の夏、若狭高浜(福井県)に逗留し海水浴を楽しんだことを覚えている 1930年10月 良い教育環境を求め、孟母三遷の教えではないが、京都市左京区吉田近衛町に転居 1930年12月 5歳のころ、モダンバレエの教習を受ける 第一錦林小学校に入学したが二学期より新設の第四錦林に移る、吃音に悩み始める 1931年4月 生 1935 ― 時 代 1940 ― 1945 ― 1950 ― 1937年3月 1937年4月 1938年4月 1941年12月 1942年4月 1944年9月 1945年3月 1945年8月 1947年9月 人生初の挫折、京都府立第一中学校の入学試験に不合格 兵庫県師範学校御影附属小学校の高等科に一年在学 同志社中学入学 真珠湾攻撃により大戦の幕が切って落とされる 第三高等学校入学 東京帝国大学理学部物理学科入学 東京大空襲 罹災者百万、死者十万、翌朝8時、田中務教授通常通りの授業を行う 敗戦を迎える 大学卒業 量子力学を活用した新デバイスを作る夢を抱き神戸工業入社 1950年頃より半導体ゲルマニウムの研究を本格化 1955 ― 1 1955 ― 1960 ― 1965 ― ア メ 1970 ― リ 1956年 1957年 1958年 1959年 1960年 1960年 1961年 1965年 1967年 1969年 1973年 1974年 東京通信工業(現ソニー)に移る エサキダイオード発見 ブリュッセル固体物理学国際会議にて研究発表、ショックレー博士の絶賛を受ける 仁科記念賞受賞 朝日賞、および東洋レーヨン科学技術賞受賞 渡米、ニューヨークIBM Watson研究所入所 米国IRE協会モーリス・リーブマン賞、フランクリン協会スチュアード・バレンタイン賞受賞 日本学士院賞受賞 IBMフェローに任命される 半導体超格子および共鳴トンネルダイオードの発明、続いてその先駆的研究開始 エサキダイオードの発見によりノーベル物理学賞受賞 文化勲章受章 1985年 超格子の発明に対し米国物理学会国際賞受賞 1975 ― カ 時 1980 ― 代 1985 ― 2 1985 ― 1990 ― 1995 ― 2000 ― 1991年6月 1992年4月 1998年4月 1998年4月 1998年11月 1999年11月 2000年3月 2000年4月 IEEE協会最高栄誉メダル アメリカより帰国、筑波大学学長の就任 人工超格子の発明により日本国際賞受賞 茨城県科学技術振興財団理事長就任、現在に至る 勲一等旭日大綬章受章 サイエンス・フロンティアつくば999ーつくば人の会議 小渕総理により教育改革国民会議座長に任命される 芝浦工業大学学長就任 2006年4月 横浜薬科大学学長就任、現在に至る 2012年9月 Celebrated Member from IEEE Electron Device Soc. 2015年3月 つくば科学モニュメント、ノーベル賞受賞者像、未来への道 2005 ― 2010 ― 2015 ― 3
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