現状維持であった日銀政策決定会合(10 月)

2016 年 11 月 4 日
片岡剛士レポート
現状維持であった日銀政策決定会合(10 月)
経済政策部 上席主任研究員 片岡 剛士
前回の拙稿(「金融緩和の総括的な検証と新たな枠組みをどうみるか?」1)では、9 月 20 日・21 日の金融政策決定会
合において公表された「総括的な検証」の概要と「イールドカーブ・コントロール」及び「オーバーシュート型コミットメント」の
2 つについて紹介しつつ、これら新たな枠組み採用がもたらすであろう 3 つの可能性を検討した。
1 つ目の可能性は年 80 兆円という長期国債買取りのペースを維持しつつ、長期国債金利(価格)を 0%に維持すると
いう新たな枠組みは両立不能であり、2%の物価安定目標の達成という政策効果が早期に達成される可能性は低いという
ものであった。
そして 2 つ目の可能性は、長期国債買取りのペースに応じて長期国債金利(価格)ないし日銀当座預金残高の一部に
適用しているマイナス金利をさらに低下させることで量的緩和拡大にみあう金利低下を実現させるというものであった。
さらに 3 つ目の可能性は政府による国債発行増を通じた財政政策や金利低下の実施により、量的緩和拡大と金利低
下を両立させるというものである。
日銀は 9 月 30 日に、10 月 3 日から適用する「当面の長期国債買い入れの運営について」を発表し、残存 10 年超 25
年以下、残存 25 年超の長期国債の買い入れ額をそれぞれ 100 億円減らすことを決めた。
そして 10 月 31 日、11 月 1 日の両日に開催された金融政策決定会合における日銀の判断は現状維持であった。政策
委員の物価見通しや内外の経済動向を考慮に入れた場合、この判断は 2%の物価安定目標の達成という政策効果が早
期に達成される可能性をさらに後退させたとも言える。以下、検討してみたい。
■「危険水域」にある物価上昇率
まず物価動向、予想インフレ率について確認しておこう。図表 1 は消費物価指数及び予想インフレ率の動向についてみ
ている。内閣府「消費動向調査」から計算した予想インフレ率は 2015 年以降低下基調で推移しているが、これは家計の
予想インフレ率が弱含みで推移していることを意味する。日銀が 10 月 4 日に公表した 16 年 9 月短観における「企業の
物価見通し」2をみると、全規模合計の物価見通しは1年後が 0.6%、3 年後が 1.0%、5 年後が 1.0%と下落が続き、調査
が開始された 2014 年 3 月以降で最低の伸びを更新している。企業の予想インフレ率も弱含みとなっている。
こうした中で、原油価格の低迷を受けて、消費者物価指数(生鮮食品除く総合)前年比は 2016 年 3 月以降マイナスが
持続し、ついに食料やエネルギー価格の影響を除いた消費者物価指数(食料(酒類を除く)・エネルギーを除く総合)前
年比もゼロ%まで低下した。日銀が注目している消費者物価指数(生鮮食品・エネルギーを除く総合)前年比も 0.2%まで
落ち込んでいる。
消費者物価指数(生鮮食品除く総合)前年比伸び率は 2016 年 7 月以降マイナス 0.5%で変化がないことも考慮に入
れれば、最近の食料やエネルギーを除いた消費者物価指数の停滞は、原油価格の下落といった国際的な市況によるも
のではなく、耐久財をはじめとする国内需要の停滞を素直に反映した結果である。
1
2
http://www.murc.jp/thinktank/rc/column/kataoka/column/kataoka160926
http://www.boj.or.jp/statistics/tk/bukka/2016/tkc1609.pdf
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黒田総裁は 9 月 21 日の総裁記者会見で、「「総括的な検証」で示した通り、「量的・質的金融緩和」は、経済・物価の好
転をもたらし、その結果、日本経済は、物価の持続的な下落という意味でのデフレではなくなりました。」と述べた。だが足
元の消費者物価指数(食料(酒類を除く)・エネルギーを除く総合)前年比は再びマイナスへの本格突入が懸念される。そ
して家計や企業の予想インフレ率も反転の兆しがみられないというのが現在の状況と言えるだろう。
図表 1 予想インフレ率、消費者物価指数前年比の推移
(%、前年比)
安倍首相増税表明
(2013年10月)
4
予想インフレ率
(消費動向調査)
3
マイナス金利政策(16年1月)
ETF買入れ強化
(16年7月)
消費税増税
(2014年4月~)
2
追加緩和
(14年10月)
金融政策枠組み変更
(16年9月)
1
0.0
-0.5
0
-1
-2
消費者物価指数(生鮮食
品を除く総合)
消費者物価指数(食料(酒
類を除く)・エネルギーを除く
総合)
-3
1234567891011 21234567891011 21234567891011 21234567891011 21234567891011 21234567891011 21234567891011 212345678910 (月)
2009
2010
2011
2012
2013
2014
2015
2016
(年)
(注)消費者物価指数は2015年基準値である。消費税増税による物価押し上げ分は除いている。
(出所)内閣府「消費動向調査」、総務省「消費者物価指数」
■「物価上昇のモメンタム」は維持されていない
日銀は 11 月 1 日に「経済・物価情勢の展望(2016 年 10 月)」(展望レポート)を公表した。政策委員による消費者物価
指数(生鮮食品除く総合)前年比の大勢見通し(中央値)をみると、2016 年度は-0.1%、2017 年度は 1.5%、2018 年度
は 1.7%である。2%の物価安定目標の達成時期は 2018 年度頃まで後退し、黒田総裁の在任期間における物価安定目
標達成は困難な情勢である。
なお物価上昇率の大勢見通しの後退は今に始まったことではない。図表 2 は 2016 年 1 月、4 月、7 月、10 月の展望レ
ポートにおける政策委員の物価上昇率の大勢見通し(中央値)を比較している。2016 年 1 月時点の見通しと比較すると、
2016 年 10 月の物価上昇率の見通しは実に 0.9%ポイントもの下方修正である。
こうした物価上昇率の見通し低下の背景にはしばしばエネルギー価格の低迷が指摘される。だが、2016 年 1 月時点の
展望レポートにおける 2016 年度エネルギー価格の寄与度はマイナス 0.7 からマイナス 0.8%ポイント程度と記載されてい
たのに対し、2016 年 10 月時点の「経済・物価情勢の展望」における 2016 年度エネルギー価格の寄与度はマイナス
0.6%ポイント程度である。むしろ 2016 年 1 月から 10 月までの期間で、エネルギー価格の低迷が消費者物価指数に与
えるマイナスインパクトは 0.1 から 0.2%ポイント程度低下している。エネルギー価格の低迷が消費者物価指数に与えるマ
イナスインパクトが弱まる一方で、消費者物価指数の見通しは低下しているのだから、見通し低下の原因がエネルギー価
格の低迷にないことは自明であろう。
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図表 2 政策委員による消費者物価指数の大勢見通し(中央値)の比較
2.0
(対前年度比、%)
1.8
1.9 1.9
1.7 1.7
1.7
1.5
1.5
1.0
2016年1月
0.8
2016年4月
2016年7月
0.5
0.5
2016年10月
0.1
0.0
-0.1
-0.5
2016
2017
2018
(年度)
(出所)日本銀行「経済・物価情勢の展望(2016 年 1 月・4 月・7 月・10 月)
」から筆者作成
黒田総裁は 11 月 1 日の記者会見において、記者から物価見通しの下方修正に対し追加緩和を見送った理由を問わ
れて「過去を見ても展望リポートで 2%に達する時期の予想が後ずれしたからといって、必ず追加緩和を実施してきたわけ
ではない。2%目標に向けたモメンタム(勢い)は維持されている。」と応じた。つまり、追加緩和を行うか否かは 2%の目標
に向けたモメンタム(勢い)が維持されていると日銀が判断するか否かによるということだ。
図表 3 は展望レポートに掲載されている「政策委員の経済・物価見通しとリスク評価」を転載している。物価見通しに関
して▼(下振れリスクが大きい)と回答している政策委員の数が 2017 年度は 5 人、2018 年度は 5 人と過半数にのぼってい
る。
図表3 政策委員の物価見通しとリスク評価(2016 年 10 月)
(出所)日本銀行「経済・物価情勢の展望(2016 年 10 月)」から転載
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大勢見通し(中央値)は最近の見通しになるほど低下し、かつ見通しそのものの下振れリスクは大きいと政策委員の過
半数が回答していることから判断すれば、黒田総裁がいう「2%目標に向けたモメンタム(勢い)が維持されている」との主
張には疑問符を付けざるをえない。
黒田総裁は 11 月 1 日の記者会見で、2016 年度マイナス 0.1%、2017 年度 1.6%という物価見通しの現実性について
問われて、「量的・質的金融緩和を導入する前は物価上昇率がマイナス圏だったが、1 年程度で 1.5%まで拡大した。非
現実的な見通しではない。」と述べた。しかし日銀が既に「総括的な検証」で論じているとおり、予想インフレ率が高まり、
物価が高まった 2013 年 4 月から 2014 年半ばまでの期間は、日銀自らが 2%の実現を阻害した要因として指摘する、消
費税増税による消費の低迷や、原油価格の大幅低下、新興国経済の減速とその下での国際金融市場の不安定な動きと
いった外的な要因が発生しなかった時期である。このうち消費税増税による消費の低迷は現在も続いており、原油価格が
緩やかな上昇基調をたどるかどうかはまだわからない。国際金融市場にもリスク要因は残存しており、展望レポートにもあ
るとおり、下振れリスクは依然として強まっている。このように考えていくと、従来と同じく、黒田総裁の見通しはやはり楽観
的であると結論づけざるをえない。
さて今回の「現状維持」という結果に対し「サプライズなし、予想どおり」との指摘が多くなされている。しかしこうした指摘
は筆者には奇妙に感じられる。というのは、本稿で紹介したとおり、これだけ 2%の物価安定目標の早期達成に対して暗
雲をもたらすデータが公表されているにも関わらず、日銀が具体的なアクションを起こさないというのは異常事態であり、
逆にサプライズでもあるからだ。
予想インフレ率、物価上昇率ともに停滞が進み(図表 1)、政策委員による物価の見通しも下方修正が続き(図表 2)、か
つ見通しそのものの下方リスクが高まっている(図表 3)とすれば、2%のインフレ目標にむけたモメンタムが維持されている
とは筆者には全く思えない。早期の追加緩和という具体的なアクションを行うことが定石であり、かつ必要である。
9月の金融政策の枠組み変更によって金融緩和政策の持続性が高まったとの指摘がある。確かに、2%の物価安定目
標を設定した上で行われた金融緩和政策によって、予想インフレ率が全く上昇せず、物価も上昇せず、さらに人々のデフ
レ心理がびくとも動かなかったのであれば、これまでの政策枠組みを変更の上で粘り強く金融緩和を続けていくために金
融緩和政策の持続性を高めるという判断もあり得るだろう。ただし、日銀が「総括的な検証」で述べているとおり、2%の物
価安定目標の設定と量的・質的金融緩和策の実行は 2014 年半ばまでは予想インフレ率のジャンプをもたらすことで人々
のデフレ心理を払拭することに寄与し、物価上昇率も高まるという成果をもたらしたのである。
日銀の金融政策の失敗は、政府がデフレ脱却途上に消費税増税に代表される増税・緊縮策に踏み込んだことで、日
銀の金融政策の阻害要因となってしまったこと、追加的な金融緩和策として予想インフレ率の上昇に寄与することが(過
去の事例も含め)確認できていなかったマイナス金利政策に安易に踏み込んでしまったこと、マイナス金利政策を採用し
たことで、量的・質的金融緩和政策の継続性への疑念を強めてしまったことにある。だとしたら、日銀にとって正しき対策
は少なくとも「現状維持」ではないことは明らかではないだろうか。
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