金融緩和の波及メカニズムにある目詰まり

リサーチ TODAY
2016 年 10 月 31 日
金融緩和の波及メカニズムにある目詰まり
常務執行役員 チーフエコノミスト 高田 創
9月21日に発表された日銀の総括的検証において、2%インフレ未達成の原因として3つの外的要因、
①原油価格の下落、②消費増税後の需要低迷、③新興国経済の減速とそれに伴う金融市場の混乱が挙
げられた。しかし、これ以外に「金融緩和の波及メカニズム」自体が目詰まりしたという誤算があった。みず
ほ総合研究所は、日銀の総括的検証に関し金融政策の波及メカニズムに注目したリポートを発表している1。
そもそも、今回の日銀の誤算の背景には、これまで標準的な学説とされてきた「ニューケインジアン経済」の
前提が成立しないとの見方がある。すなわち、日本のように「常態化」した低インフレには、「ニューケインジ
アン経済」が分析ツールとして成り立たないとの見方である。日銀が金融政策によるインフレ期待への働き
かけを重視するのも、この「ニューケインジアン経済」の考え方が前提にある。しかし、下記の図表に示した
ようにいくつもの誤算が生じた可能性が高い。2008年の金融危機以前は、トレンド(定常)インフレ率も中央
銀行がコントロールできるとの見方がコンセンサスだった。しかし、現在では、トレンド(定常)インフレ率のコ
ントロールは、金融政策だけでは困難との見方が優勢になっている。世界金融危機以降、低インフレの慢
性化が世界的な事象になるなか、単純に中央銀行がインフレ目標を設定するだけで、トレンド(定常)イン
フレ率を引き上げることは困難との認識が広がっているのである。これに代わって、最近話題になるのは
「物価水準の財政理論」であり、財政政策のスタンスが物価水準に影響するという考えが台頭している。
■図表:インフレ率決定メカニズムの概念図(総括的検証の補論図表に加筆)
(注)総括的検証の補論図表(黒字部分)に赤字で加筆したもの
(資料)日本銀行より、みずほ総合研究所作成
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2016 年 10 月 31 日
現象面では、今回、総括的検証で挙げられた「外的要因」以外に、「金融緩和の実体経済への波及メカ
ニズム」自体が想定通り機能せず、目詰まりを起こしたことが日銀の誤算だった。当社リポートでは、具体的
に次の3点を指摘した。
① 円安でも輸出数量が増えなかったという誤算
② 実質金利低下でも設備投資が増えなかったという誤算
③ 物価上昇に対して、賃金上昇が追い付かなかったという誤算
下記の図表は体感物価と賃金上昇率のギャップを示す。円安に伴う物価上昇時に賃金上昇が追い付
かなかったのが、2%インフレ未達成の最大の原因であった。従って、賃上げに向けて、金融政策だけでな
く、財政政策や構造改革も含めた政策の総動員が必要との考えが導かれる。
■図表:体感物価と賃金上昇率のギャップ
(前年比、%)
家計の体感物価は
賃金を上回る伸び
6
5
家計の体感物価
4
3
2
1
0
名目賃金
-1
-2
10
11
12
13
14
15
16
(年)
(注)家計の体感物価は、「1 年前に比べ現在の物価は何%変化したと思うか」との質問に対する回答の中央値
(資料)日本銀行「生活意識に関するアンケート調査」、厚生労働省「毎月勤労統計」よりみずほ総合研究所作成
前ページで紹介したように、経済学の教科書的な「ニューケインジアン経済」の前提が成り立たない環境
や、「金融緩和のメカニズムが目詰まりを起こす」という誤算が生じた結果、金融政策の限界が顕現化して
いる。それゆえ、益々、金融政策だけでなく、財政政策や構造改革も含めた政策の総動員が重要になる。
しかも、最近、日銀も主張するように期待形成が適合的であり、過去の歴史を背負ってマインド低下に陥っ
た状況では、長い時間をかけた辛抱強い対応も不可欠となる。
それゆえ財政政策についても、通常の財政出動は一時的な需要拡大策に過ぎないが、今は継続的な
財政拡大のコミットメントを行うことで、長期的な成長期待やインフレ期待に働きかけることが必要になって
いる。著名な経済学者であるC.A.Simsは、2016年のジャクソンホール講演において、2%インフレ達成ま
で消費増税を延期することを提言している。また、成長期待を高めるには構造改革の役割も重要になる。
なかでも労働市場の改革を行うことで成長分野への雇用シフトが生じやすくすることは重要だ。「金銭解決
制度」を含む解雇規制の明確化やそれを補完するための教育(職業訓練の充実)・社会保障制度(セーフ
ティネットや年金のポータビリティ改善など)の改革は重要だ。今年9月の「総括的検証」は事実上、金融政
策の限界を示したものとも考えられる。
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徳田秀信 「『総括的検証』で積み残された課題」(みずほ総合研究所 『みずほインサイト』 2016 年 10 月 3 日)
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